坂井直・歩兵中尉(44期)



 更新日/2021(平成31.5.1日より栄和改元/栄和3).4.23日

 【以前の流れは、「2.26事件史その4、処刑考」の項に記す】

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、皇道派名将録「坂井直・歩兵中尉(44期)」を確認する。(お墓は野中さん岡山、村中さん仙台、磯部さん東京、安藤さん仙台、相澤さん仙台)

 2011.6.4日 れんだいこ拝



死刑組

【坂井直プロフィール】(44期)(歩兵中尉)
 歩兵中尉(歩兵第3連隊、44期)、歩兵第三連隊第一中隊。明治43年8月13日、三重県で生まれた。2・26事件の判決により銃殺刑。1936(昭和11).7.12日銃殺処刑された(享年27歳)。

 明治43年8.13日、三重郡桜村(現在の四日市市桜町)で、陸軍少将坂井兵吉の次男として生まれる。

 1932年、陸軍士官学校を卒業(第44期)。その後、歩兵少尉として歩兵第三聯隊に所属。
 1934年、歩兵中尉となる。同連隊に所属していた安藤輝三大尉の国家改造思想に影響を受け青年将校運動に参加。安藤輝三大尉、秩父宮と仲が良かったと云う。「 行動を起こせば、一隊を率いて秩父宮が応援に来てくれる。そう断言していた」とも云う。

 1936(昭和11).2.9日、2.26事件の2週間前、平田辰男(ひらたときお、陸軍航空兵中佐、明野陸軍飛行学校材料廠長)の長女孝子と諏訪神社にて挙式。事件前の2月22日から週番勤務につき連隊に駐在したため、孝子との共に暮らしたのは二週間程度であった。

 2.26日、高橋太郎少尉、麦屋清済少尉、安田優少尉と共に重機4、軽機8、小銃、ピストルなどを備えた襲撃部隊を率いて、四谷区仲町三丁目(現:新宿区若葉一丁目)の斎藤内大臣の私邸を二手に分かれて襲撃。警備の警察官の抵抗を難なく制圧して、斎藤を殺害した逮捕後、叛乱罪(群衆指揮等)で死刑判決。同年7.12日、銃殺処刑された(享年27歳)。

 遺書
 「古(いにしえ)も今も天地に變(かわ)りなき/誠の心一筋の道」。
 「死がやって参りました。孝子の腹巻きに御守りが這行って居ります。広大無辺の御仏の御慈悲に浸り、唯忠を念じて瞑目致します。前途を祝福して下さい」。
 手記「神国日本ノ国体ノ真姿ヲ顕現セント欲スルニ在リ」。







(私論.私見)