第一 |
ヨオッシ俺が軍閥を倒してやる |
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八月十二日は十五同志の命日だ。因縁の不思議は此の日が永田鉄山の命日で
あり、今日は宛もその一周忌だ。昭和十年八月十二日、即ち去年の今日、余は数
日苦しみたる腹痛の病床より起き出でて窓外をながめてゐたら、西田氏が来訪した
。余の住所、新宿ハウスの三階にて氏は「昨日相沢さんがやって来た、今朝出て行
ったが何だかあやしいフシがある、陸軍省へ行って永田に会ふと云って出た」。余
は病後の事とて元気がなく、氏の話が、ピンとこなかった。 |
第二 |
栗原中尉の決意 |
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磯部さん、あんたには判って貰えると思うから云ふのですが、私は他の同志から栗
原があわてるとか、統制を乱すとか云って、如何にも栗原だけが悪い様に云われて
いる事を知っている。然し、私はなぜ他の同志がもっともっと急進的になり、私の様
に居ても立っても居られない程の気分に迄、進んで呉れないかと云ふ事が残念で
す。 |
第三 |
アア何か起った方が早いよ |
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山下は改造改造と云ふが、案があるか、案があるならもって来い、アカヌケけのし
た案を見せてみろ、と云って一応嘲笑した態度であったが、「案よりも何事か起った
時どうするかと云ふ問題の方が先だ」といふ意味の余の返答に対して、「アア何か
起った方が早いよ」 と云って泰然としていた。 |
第四 |
昭和十一年の新春を迎えて世は新玉の年をことほぐ |
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昭和十一年の新春を迎えて 世は新玉の年をことほぎ、太平をうたふのであったが
、余の心は太平所か新年早々、非常な高鳴りをなし、ショウソウを感じて日々多忙
を極めた。年末に企図した倒閣運動は功を奏しないのみか、重臣元老の陣営は微
動もせぬ、牧野の後任として齋藤が入り、一木は依然として辞任しない。しかのみ
ならず、多少の信頼をつないでゐる川島の態度は、次第に軟化する様子さえ見え
る |
第五 |
何事か起るのなら、何も云って呉れるな |
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川島と交友関係に於て最も厚い真崎を訪ねる事にして、一月二十八日、相沢公判
の開始される早朝、世田谷に自動車を飛ばした。面会を求めた所が用件を尋ねら
れたので、名刺の裏に火急の用件であるから是非御引見を得たい、との旨を記し
て差出したら、応接して呉れることになった。真崎は何事かを察知せるものの如く、
「何事か起るのなら、何も云って呉れるな」と前提した。 |
第六 |
牧野は何処に |
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陸軍に於て、陸軍大臣と之を中心とした一団の勢力が吾人の行動を認め、且つ軍
内の強行派たる真崎が背後から支援をして呉れたら、元老、重臣に突撃する所の
吾人を弾圧する勢力はない筈だ。 |
第七 |
ヤルトカ、ヤラヌとか云ふ議論を戦わしてはいけない |
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そこで河野は一つの意見を出して、「磯部さん、ヤルトカ、ヤラヌとか云ふ議論を今
になって戦はしてはいけない、それでは永久に決行出来ぬ事になるから、この度は
真に決行の強い者だけ結束して断行しよう、二月十一日に決行同志の会合を催し
てもらいたい、其の席で行動計画等をシッカリと練らねばならん」。 |
第八 |
飛びついて行って殺せ |
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河野は余に「磯部さん、私は小学校の時、陛下の行幸に際し、父からこんな事を教
へられました。「今日陛下の行幸をお迎へに御前達はゆくのだが、若し陛下のロボ
を乱す悪漢がお前達のそばからとび出したら如何するか」。私も兄も、父の問に答
へなかったら、父が厳然として、「とびついて行って殺せ」 と云ひました。私は理屈
は知りません、しいて私の理屈を云へば、父が子供の時教へて呉れた、賊にとび
ついて行って殺せと言ふ、たった一つがあるのです。牧野だけは私にやらして下さ
い、牧野を殺すことは、私の父の命令の様なものですよ」と、其の信念のとう徹せ
る、其の心境の済み切ったる、余は強く肺肝をさされた様に感じた。 |
第九 |
安藤がヤレないという |
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二月一八日、 栗原宅に村、栗、安、余が会合して、いよいよ何日に如何なる方法
で決行するかを決定しようとの考へで、意見の交換をした。所が以外にも、安藤が
今はやれないといふのだ。村中が理由をきいたが、理由は大して述べないで時機
尚早をとなへた。 |
第十 |
戒厳令を布いて斬るのだなあ |
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これより先、十五日、夜、安藤と共に山下奉文を訪ねた。歩三の青年将校は山下
から、統帥権干犯者は「戒厳令を布いて斬るのだなあ」との話をきき、非常に元気
づいてゐた。 |
第十一 |
君等がやると云へば、今度は無理にとめる事も出来ぬ |
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一応西田氏に打ち明けるの必要を考へ、村中と相談の上、十八、九日頃になって
打ち明けた。氏は沈思してゐた。その表情は沈痛でさへあった。そして余に語った。
「僕としては未だ色々としておかねばならぬ事があるけれども、君等がやると云へ
ば、今度は無理にとめる事も出来ぬ。海軍の藤井が、革命のために国内で死にた
い、是非一度国奸討伐がしてみたいと云っていたのに上海にやられた。彼の死は
悶死であったかもしれぬ。第一師団が渡満するのだから、渡満前に決行すると云
って思ひつめてゐた青年将校をとめる事は出来ぬのでなあ」と云って、何か良好な
方法はないかと苦心している風だった。余は若し失敗した場合、西田氏に迷惑の
かかる事は、氏の十年間の苦闘を水泡に帰してしまふので相すまぬし、又、革命
日本の非常なる損失と考へたので、一寸その意をもらしたら、氏は、「僕自身は五
・一五の時、既に死んだのだからアキラメもある、僕に対する君等の同情はまあい
いとしても、おしいなあ」と云った。余はこの言をきいて、何とも云へぬ気になった。 |
第十二 |
計画ズサンなりと云ふな |
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余は二月二十三日 北先生を訪ね、支那革命の武昌の一挙の時、サウサウたる
革命の志士が皆過失をおかしてゐるのは何故かとたずねたら、「何しろ革命と云ふ
奴には計画がないのだからね、計画も何もなく、自然に突発するのだから、どんな
人だってあわてるよ」と云はれた。成程と思った。革命は機運の熟成した時、自然
発火をするものだから計画がない、予定表を作成しておくわけにゆかぬ。 |
第十三 |
いよいよ 始まった |
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村中、香田、余等の参加する丹生部隊は、午前四時二十分出発して、栗原部隊の
後尾より溜池を経て首相官邸の坂を上る。其の時俄然、官邸内に数発の銃声をき
く。いよいよ始まった。秋季演習の聯隊対抗の第一遭遇戦のトッ始めの感じだ。勇
躍する、歓喜する、感慨たとへんにものなしだ(同志諸君、余の筆ではこの時の感じ
はとても表し得ないとに角云ふに云へぬ程面白い。一度やって見るといい。余はも
う一度やりたい。あの快感は恐らく人生至上のものであらふ)。 |
第十四 |
ヤッタカ!! ヤッタ、ヤッタ |
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田中は意気けんこうとして、「面白いぞ」と云ひつつ余をさがして官邸に来る。余は
田中のトラック一台を直ちに赤坂離宮前へ向はしめ、渡辺襲撃隊の為にそなへる。
高橋是清襲撃の中島帰来し、完全に目的を達したと報ず。続いて首相官邸よりも
岡田をやったとの報、更に坂井部隊より麦屋清済が急ぎ来り、齋藤を見事にやった
と告ぐ。安藤は部下中隊の先頭に立ちて颯爽として来る。ヤッタカ!! と問へば、ヤッ
タ、ヤッタと答へる。各方面すべて完全に目的を達した。天佑を喜ぶ。 |
第十五 |
お前達の心は ヨーわかっとる |
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歩哨の停止命令をきかずして一台の自動車がスベリ込んだ。余が近づいてみると
真崎将軍だ。「閣下統帥権干犯の賊類を討つために蹶起しました、情況を御存知
でありますか」といふ。「とうとうやったか、お前達の心はヨヲッわかっとる、ヨヲッー
わかっとる」と 答へる。「どうか善処していたゞきたい」とつげる。大将はうなづきな
がら邸内に入る。 |
第十六 |
射たんでもわかる |
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時に突然、片倉が石原に向って、「課長殿、話があります」と云って詰問するかの
如き態度を表したので、「エイッ此の野郎、ウルサイ奴だ、まだグヅグヅと文句を云
ふか!」と云ふ気になって、イキナリ、ピストルを握って彼の右セツジュ部に銃口をア
テテ射撃した。彼が四、五歩転身するのと、余が軍刀を抜くのと同時だった。余は
刀を右手に下げて、残心の型で彼の斃れるのを待った。血が顔面にたれて、悪魔
相の彼が「射たんでもわかる」と云ひながら、傍らの大尉に支えられている。 |
第十七 |
吾々の行動を認めるか 否か |
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午後二時頃か、山下少将が宮中より退下し来り、集合を求める。香、村、対馬、余
、野中の五人が次官、鈴木大佐、西村大佐、満井中佐、山口大尉等立会ひの下に
、山下少将より大臣告示の朗読呈示を受ける。「諸子の至情は国体の真姿顕現に
基くものと認む。この事は上聞に達しあり。国体の真姿顕現については、各軍事参
議官も恐懼に堪へざるものがある。各閣僚も一層ヒキョウの誠を至す。これ以上は
一つに大御心に待つべきである」。大体に於て以上の主旨である。対馬は、吾々の
行動を認めるのですか、否やと突込む。余は吾々の行動が義軍の義挙であると云
ふことを認めるのですか、否やと詰問する。山下少将は口答の確答をさけて、質問
に対し、三度告示を朗読して答へに代へる |
第十八 |
軍事参議官と会見
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午後十時頃、各参議官来邸、余等と会見することとなる。(香、村、余、対馬、栗原
の六名と満井、山下、小藤、山口、鈴木)香田より蹶起主旨と大臣に対する要望事
項の意見開陳を説明する。荒木が大一番に口を割って「大権を私議する様な事を
君等が云ふならば、吾輩は断然意見を異にする、御上かどれだけ、御シン念にな
っているか考へてみよ」と、頭から陛下をカブって大上段で打ち下す様な態度をとっ
た。これが、二月事件に於ける維新派の敗退の重大な原因になったのだ。 |
第十九 |
国家人なし 勇将真崎あり |
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午前八、九時であったか、西田氏より電話があったので、余は簡単に「退去すると
云ふ話しを村中がしたが、断然反対した、小生のみは断じて退かない、もし軍部が
弾圧する様な態度を示した時は、策動の中心人物を斬り、戒厳司令部を占領する
決心だ」 と告げる。氏は 「僕は亀川が退去案をもって来たから叱っておいたよ」と
いふ。更に今御経が出たから読むと云って、「国家人なし、勇将真崎あり、国家正
義軍のために号令し、正義軍速かに一任せよ」と零示を告げる。余は驚いた。「御
経に国家正義軍と出たですか、不思議ですね、私共は昨日来、尊皇義軍と云って
います」と云ひ、神威の厳粛なるに驚き、且つ快哉を叫んだ。 |
第二十 |
君等は奉勅命令が下ったらどうするか |
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突然石原大佐が這入って来て側に坐し、「君等は奉勅命令が下ったらどうするか」
と問ふ。「ハアイイデスネ」と答える。「イイデスネではわからん、キクカ、キカヌかだ
」と云ふ。「ソレハ問題ではないではありませんか」と答へる。 |
第二十一 |
統帥系統を通じてもう一度御上に御伺い申上げよう |
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栗原が「統帥系統を通じてもう一度御上に御伺ひ申上げようではないか。奉勅命令
が出るとか出ないとか云ふが、一向にわけがわからん、御伺ひ申上げたうえで我々
の進退を決しよう。若し死を賜ると云ふことにでもなれば、将校だけは自決しよう。
自決する時には勅使の御差遺位ひをあおぐ様にでもなれば幸せではないか」との
意見を出す。 |
第二十二 |
断乎決戦の覚悟をする |
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全同志を陸相官邸に集合させようとして連絡をとったが、なかなか集合しない。安
藤、坂井は強硬論をとって動じない。村中は安藤に連絡のため幸楽へ走る。暫くす
ると村中が飛び込んで来て、「オイ磯部やらふかッ、安藤は引かぬと云ふ、幸楽附
近は今にも攻撃を受けそうな情況だ」と斬込む様な口調で云ふ。余は一語、「ヤロ
ウッ」 と 答へ、走って官邸を出る。 |
第二十三 |
もう一度 勇を振るって呉れ |
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首相官邸に至り、栗原に情況を尋ねる。彼は余の発言に先だって、「奉勅命令が
下った様ですね、どうしたらいいでせうかね。下士官兵は一緒に死ぬとは云ってゐ
るのですが、可愛想でしてね、どうせこんな十重、二十重に包囲されてしまっては、
戦をした所で勝ち目はないでせう。下士官兵以下を帰隊さしてはどうでせう。そした
ら吾々が死んでも、残された下士官兵によって、第二革命が出来るのではないで
せうか。 |
第二十四 |
安藤部隊の最期 |
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「オイ安藤、下士官兵を帰さう。貴様はコレ程の立派な部下をもってゐるのだ。騎虎
の勢、一戦せずば止まる事が出来まいけれども、兵を帰してやらふ」と あふり落ち
る涙を払ひもせで伝へば、彼はコウ然として、「諸君、僕は今回の蹶起には最後迄
不サンセイだった。然るに遂に蹶起したのは、どこま迄もやり通すと云ふ決心が出
来たからだ。僕は今、何人をも信ずる事が出来ぬ、僕は僕自身の決心を貫徹する」
と云ふ。 |
第二十五 |
二十九日の日はトップリと暮れてしまふ |
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同志将校は各々下士官兵と劇的な訣別を終わり、陸相官邸に集合する。余が村中
、田中と共に官邸に向ひたる時は、永田町台上一体は既に包囲軍隊が進入し、勝
ち誇ったかの如く、喧騒極めている。陸相官邸は憲兵、歩哨、参謀将校等が飛ぶ如
くに往来している。余等は広間に入り、此処でピストルその他の装具を取り上げられ
、軍刀だけの携帯を許される。山下少将、岡村寧次少将が立会って居た。彼我共に
黙して語らず。余等三人は林立せる警戒憲兵の間を僅かに通過して小室にカン禁
さる。同志との打合せ、連絡等すべて不可能、余はまさかこんな事にされるとは予
想しなかった。少なくも軍首脳部の士が、吾等一同を集めて最後の意見なり、希望
を陳べさして呉れると考へてゐた。然るに血も涙も一滴だになく、自決せよと言はぬ
ばかりの態度だ。山下少将が入り来て 「覚悟は」 と 問ふ。村中 「天裁を受けま
す」 と 簡単に答へる。連日連夜の疲労がどっと押し寄せて性気を失ひて眠る。夕
景迫る頃、憲兵大尉 岡村通弘(同期生)の指揮にて、数名の下士官が歩縄をかけ
る。刑務所に送られる途中、青山のあたりで昭和十一年二月二十九日の日はトップ
リと暮れてしまふ。 |