2.26事件のキモ確認考


 更新日/2021(平成31.5.1日より栄和改元/栄和3).5.6日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「2.26事件のキモ確認考」をものしておく。

 2021(平成31.5.1日より栄和改元/栄和3).5.6日 れんだいこ拝


【2.26事件のキモその1、安藤輝三・陸軍大尉考】
 「2.26事件のキモ」と題して、2.26事件で見えた踏まえておくべき有益なことを確認しておこうと思います。あくまで個人的な感慨です。その第一を「安藤輝三・陸軍大尉考」としたいと思います。どこに意味を感じるかと云うと、事件指導者の中で最も遅く参加を決めたのが安藤大尉です。その安藤大尉が最後のその時まで頑強に抵抗し続けたという史実です。「決起には消極的だったものの、ひとたび起った後には誰よりも強い意志を貫いた」と評されています。私は、この史実を人物評定論の中に括り、非常に興味深く受け止めています。
 2021.5.6日、フェイスブック
 2.26事件の興味深いエピソードの一つが安藤大尉に関するもので、事件指導者の中で時期尚早論を唱え最も遅れて決意した安藤大尉が、事件終盤の局面で最後まで頑強に抵抗し続けた。安藤大尉が指令するまで隊列が崩れず生死を共にした。と云う史実を遺しています。私は意味深だなぁと感慨しております。

【2.26事件のキモその2、太田龍の2.26事件考】
 あくまで個人的な感慨の「2.26事件のキモ」第2。戦後直後のマルクス主義的思潮の中で自己形成し、奇想天外と云うか破天荒な思想遍歴をした太田龍が(語調がいいので敢えて呼び捨てにさせていただきます)、最晩年に辿り着いたのが2.26事件でした。この事件の歴史的重要性に思い至ったということだったと思います。毎月一の基本的に東京、時に大阪その他の地域で例会があり、私が始めて参加したときのテーマが2.26事件でした。その時の私の思想的立ち位置からすると違和感がありましたが、太田龍に会いに行くのが目的だったのでとても満足しました。もう十数年前のことです。その後、私の立ち位置に移動があり、2.26事件の重要性を私なりに捉えるようになりました。かといって将来気まぐれなもので検証が進んでいるという訳ではありません。ここのグループ立ち上げを知り、久しぶりに鎌首を持ち上げたという感じです。
 2021.5.8日、フェイスブック
 あくまで個人的な感慨の「2.26事件のキモ」第2。戦後のマルクス主義的思潮の中で自己形成し、破天荒な思想遍歴をした太田龍が(語調がいいので敢えて呼び捨てにします)、晩年に辿り着いたのが2.26事件でした。基本的に東京、時に大阪その他の地域で例会があり、私が始めて参加したときのテーマが2.26事件でした。その時の私の思想的立ち位置からすると違和感がありましたが、太田龍に会いに行くのが目的だったので満足しました。二次会にも参加し会話しました。もう十数年前のことで懐かしいです。その後、私の立ち位置に移動があり2.26事件の重要性を私なりに捉えるようになりました。将来気まぐれなもので検証が進んでいるという訳ではありません。このたび本グループを知り啓発されております。久しぶりに鎌首を持ち上げているという感じです。

【2.26事件のキモその3、海軍、憲兵隊それぞれの事件事前探知考】
 あくまで個人的な感慨の「2.26事件のキモ」第3。二・二六事件謀議の刻々を、海軍、憲兵隊がそれぞれ事前に掌握し、その詳細な記録を遺しています。その事実は長らく秘匿され続けました。秘匿されたのには十分な根拠があったと考えるべきでせう。これを詮索します。私は、陸軍の有能将校を炙り出し、事件化させ、一網打尽にする逆計画通りに事が運んだのではないかと推理します。何の為に?。これも推理ですが、来る日米決戦に向けての日本軍の戦力弱体化だったのではないでせうか。2.26事件は、飛び切り有能な青年将校たちがピックアップされるがごとくに寄せ集められ、その若さゆえの純情を上手く煽られ操られ、若葉のうちに芽を摘まれた面があったような気がします。

【2.26事件のキモその4、2.26事件の黒幕考】
 「2.26事件のキモ第3」を受けて更なる推理をしてみます。第3で海軍、憲兵隊それぞれの事件事前探知」ら言及しましたが、その情報は海外に筒抜けだったのではないでせうか。海外の正体は、後の第二次世界大戦の連合国側の参謀とします。それを仮に「米英仏奥の院」と命名します。すると、2.26事件は、「米英仏奥の院」側から見て、来る日米決戦に於いて日本軍の戦力弱体化に必要な粛清だったのではないのかと云う仮説に辿り着きます。この見方は陰謀論の観点です。陰謀論の中身が怖いのか陰謀論そのものが怖いのか、それは人それぞれの立ち位置によるのでせう。

【2.26事件のキモその4、皇道派の優秀な戦歴考】
 2.26事件の興味深いエピソードのその2。事件の首謀者は村中孝次大尉、野中四郎大尉、香田清貞大尉、磯部浅一一等主計。その取り巻きに栗原安秀中尉、中橋基明中尉、丹生誠忠中尉、河野寿航空大尉。これに安藤輝三大尉が加わり厚みを増す。これらの青年将校が前年の相沢中佐による永田鉄山(軍務局長・少将)斬殺事件以降、発。

【2.26事件のキモその4、2.26事件青年将校の相関図考】
 2.26事件の興味深いエピソードのその2。事件の首謀者は村中孝次大尉、野中四郎大尉、香田清貞大尉、磯部浅一一等主計。その取り巻きに栗原安秀中尉、中橋基明中尉、丹生誠忠中尉、河野寿航空大尉。これに安藤輝三大尉が加わり厚みを増す。これらの青年将校が前年の相沢中佐による永田鉄山(軍務局長・少将)斬殺事件以降、発生。

【2.26事件を考える会管理人との問答考】
 何やらとんでもない事態になったので後日の証として記録しておく。
豊志久保  2021.4.22
皆さんはじめまして。宜しくお願い申し上げます。
伊牟田  管理人です。ご参加ありがとうございます。2.26事件は完全に忘れられています。
何故かというと重要だからです。辻褄の合わない昭和史の謎を解く鍵だからだと私
は思っています。異論、正論、噂話、反論、質問、……どんな事でも投稿して下さい
豊志久保  私も、この事件が歴史に突き付けられたまま今日に至っていると認識できるように
なりました。そういう意味で皆様方の論考が興味深いです。頃合いに発信させていた
だこうと考えております。その際、よろしくねぇ。
豊志久保  5.4
 初投稿です。上段に構えすぎですがコメントします。私は2.26事件将校の有能さを
高く評価しています。問題は、国体護持と天皇制擁護を理論的に識別し損なっている
故の悲劇が生じているのではないかと思っています。敢えて言えば、国体は本質、
天皇制は方法なのではないか。決起将校はこの二項が鋭く対立したとき理論を生ま
ず、故に混乱し求心力を阻喪させ、それが滅びに向かった要因なのではないのか、
この課題は未だ解き明かされていないのではないかと考えております。この観点から
論考したいのですが気が多くて牛歩の歩みをしております。今日はこれから飲みが
入りますのでお返しできぬ失礼がありましたら悪しからず。
豊志久保  5.6
 2.26事件の興味深いエピソードの一つが安藤大尉に関するもので、事件指導者の
中で時期尚早論を唱え最も遅れて決意した安藤大尉が、事件終盤の局面で最後ま
で頑強に抵抗し続けた。安藤大尉が指令するまで隊列が崩れず生死を共にした。と
云う史実を遺しています。私は意味深だなぁと感慨しております。
豊志久保  あくまで個人的な感慨の「2.26事件のキモ」第2。戦後のマルクス主義的思潮の
中で自己形成し、破天荒な思想遍歴をした太田龍が(語調がいいので敢えて呼び捨
てにします)、晩年に辿り着いたのが2.26事件でした。基本的に東京、時に大阪そ
の他の地域で例会があり、私が始めて参加したときのテーマが2.26事件でした。
その時の私の思想的立ち位置からすると違和感がありましたが、太田龍に会いに行
くのが目的だったので満足しました。二次会にも参加し会話しました。もう十数年前の
ことで懐かしいです。その後、私の立ち位置に移動があり2.26事件の重要性を私
なりに捉えるようになりました。生来気まぐれなもので検証が進んでいるという訳では
ありません。このたび本グループを知り啓発されております。久しぶりに鎌首を持ち
上げているという感じです。
伊牟田  久保さん…青年将校の蹶起の動機はたったひとつです。貧しい人達を救いたい。
その為に色々な論理のブレがでてきます。天皇制???そんな発想はありませんよ
。青年将校の頭の全体が「仁徳天皇の民の竈」です。下々の民が、こんなに苦しん
でいるのに何故に天皇陛下は助けてくれないのか???それは君側の奸が情報を
遮っているからだ!!!だから「尊皇倒奸」なのです。私の考えは上記の通りです。
反論をお願いします。
豊志久保  伊牟田さんちわぁ。「仁徳天皇の民の竈」と「尊皇倒奸」は分かります。しかし、近い
ところで明治天皇、大正天皇、昭和天皇の比較をすれば、やはり天皇も神ならずの
個性があることは承知のはずで、「決起後の運命」を自力で切り拓くのではなく、天皇
のご聖断を仰ぐ一辺倒なのは如何なものかと考える余地が、なぜなかったのでせう
か。青年将校たちは相当優秀な方々ばかりですから論理的にそう問うだけの能力は
互いにあったと思われるのですが、そういう議論に出くわしておりません。私の関心
で言えば国体と天皇制の相関問題です。要するに、万一昭和天皇の同意と云うか了
解が取れなかった場合にどうするのか、それを事前に演習していたのかいなかった
のか。当時の時代が分かりませんので後付けの見解ではありますが、憐憫と不思議
さが同居した事件観になっています。今日はとりあえずここまで。ご教示お願いしま
す。
伊牟田  久保さん????(天皇のご聖断を仰ぐ一辺倒なのは如何なものかと考える余地
が、なぜなかったのでせうか)?????????? 帝国軍人にとってそれは凶
悪犯罪者以上の罪人・・・逆賊そのものですよ・・・・(承詔必謹)の帝国軍人にそれを
問いますか????
豊志久保  管理人さんちわぁ。申し訳ありませんか、そういうものも含めて問いたいです。今日
的視座から評することがそれほどいけないことでせうか。
伊牟田  豊志久保 さん。当たり前です。歴史を(今日的視座から表する)と織田信長はただ
の大量殺戮者になってしまいますよ。英雄を殺人鬼に変えてしまう事が(今日的視座
から表する)ということです。
豊志久保  今日的視座は何も今風の視座を意味しておりません。歴史は降ってから真相とか
真価がより見えて来る場合があります。そういう意味で使っております。従いまして、
織田信長をただの大量虐殺者とはみなしておりません。
伊牟田  豊志久保 さん ???あなたの言う(今日的視座から表する) わたしには理解出
来ません…
豊志久保  うーーん。困りました。そんなに難しいことを言っているつもりはありません。
伊牟田  豊志久保 さん。今日的視座と今風の視座の違いを説明してくれますか??今日
的視座とは何ですか??
豊志久保  伊牟田伸一 さん。今日的は以来風雪を経て歴史的現在的には、という文字通りで
す。今風は、現在的通説という意味で使っています。
伊牟田  豊志久保さん…2.26蹶起を成功させる唯一確実な手段は皇居に突入して昭和天
皇に直訴する事です。そんな事を青年将校ができる訳はないでしょう???
伊牟田  豊志久保さん (伊牟田伸一さん。今日的は以来風雪を経て歴史的現在的には、
という文字通りです。今風は、現在的通説という意味で使っています) まったく意味
不明です。
豊志久保  逆にあ尋ねしますが、批判は受け付けますが否定は受け付けませんという場合の
、批判と否定の違いというか境目はどの辺りにあるのですか。
伊牟田  豊志久保さん 批判とは論理的に述べる事…否定とは論理が無く拒絶する事
豊志久保  伊牟田伸一さん。論理的と論理の的の差はどの辺りにあるのですか。
伊牟田  豊志久保さん。論理があるかないかだけです。
豊志久保  伊牟田伸一さん。それを誰が判定するのですか。そのさいの基準はどのようなとこ
ろにあるのですか。
伊牟田  禅問答ですか??? 論理があるかないか? 批判は良い(議論する) 否定は拒
否(問答無用) あまりにも分かり易い。議論はするけど喧嘩はゴメンです。論点逸ら
せて、貴方は喧嘩を売っている??
豊志久保  これはまじめな質問です。「論理があるかないか」を誰が判定するのか、ここをお聞
きしないと前へ進まないのです。割合と重要な確認だと思っています。
伊牟田  それはスレッドを立ち上げたわたしが決めます。当たり前ですよね???私の投稿
の趣旨に沿って議論をしていただかないと私のスレッドの意味が無くなります 私の投
稿に対して論理的に議論を進めて下さい。そうしないとただのアラシになりますよ。
豊志久保  例えば、その判定を会の運営委員会のようなものを設け、そこに諮るというようなこ
とをしないのですか。ジャッジが公正なものになると思います。
伊牟田  豊志久保さん???「運営委員会の人選」は誰がやりますか???私の思想に
近い人間を選べば公平なジャッジなぞ不可能です。
その提案はまったく無意味です。
あなたが自分の主張を聴いてもらいたければご自身でスレッドを立ち上げて主張する
しかないんです。
他人のスレッドで投稿者の意向に沿わない事を主張すればアラシ
にされますよ…
豊志久保  私的にはもう十分なやりとりです。これにて失礼いたします。以後返信いたしません
のであしからず。

 この後は【2.26事件史その2、決起考】に続く







(私論.私見)