「80年史」考 |
(最新見直し2009.5.8日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「不破による姑息な党史改竄考」をまとめておこうと思いつつそのままにしていたが、そのひどさに辟易し虚しさを感じるばかりでれんだいこ自身はその労を取るのを避けてきた。が、世の中には真面目な方が居られる。「村岡到・ロゴスの会」の「『日本共産党の80年』を一読して」論文、「さざなみ通信」の「通信第30号」(03.3.13日発行)、「通信第31号」(03.4.26日発行)、「通信第32号」((03.5.31日発行)が「日本共産党の80年」を解析している。以下、これに依拠しながられんだいこ風に纏めて見ることにする。 ところで、僭越ながらいつものれんだいこ節を繰り返しておく。村岡氏及びさざなみ通信編集部その他諸氏がいくら日共論文を精査してみても、或る観点が欠如していれば役に立たない。「日共の党史改竄問題」を批判的に考究するにはその特殊性を踏まえて為さねば全てが徒労でしかない。日共の際限の無い右傾化主義の現状をいくら批判してみても、そのよってくる秘密まで解き明かさないと片手落ちと云うべきだろう。 その秘密とは何か。これを理解するためには、まず、宮顕―不破系日共党中央は左派運動に送り込まれた当局内通派である、という視点を持つ必要がある。次に、この連中が1955年の六全協を経て党中央を占拠して今日に至っている、という視点を持つ必要がある。次に、この一派が投降主義的マルクス主義という社民主義とは又違う変態理論を弄び、この観点の押し付けを通じて今なお更なる日本左派運動の穏和化を推進しようとしている、という視点を持つ必要がある。 結びとして、宮顕―不破系路線の最後の総決算が目下行われようとしている段階であり、規約改正、綱領改正、党史改正という三悪行に着手している、来る党大会はその追認式となるであろう、という視点を持つ必要がある。 この秘密を知れば、宮顕―不破系日共党中央の素性の胡散臭さをクローズアップさせない限り、彼らの故意確信犯ぶりを炙り出さない限り、彼らのデタラメぶりをいくら指摘しても役に立たない、個別対応は限が無い、むしろ彼らの意図の解析の方にこそ値打ちがある、という認識の獲得こそ必要とされているということが分かるであろう。世のあまたの論文の物足りなさはこの観点の無さに起因しているように思える。 よく似た例として、読売新聞社に内務官僚高官であった正力松太郎が乗り込み、以降、同社のジャーナル性を如何に逼塞せしめたかを喚起すれば良い。経営陣はその後、務台―小林―ナベツネと社長交代してきているが、マスコミの自律的発展に寄与するのではなく、偏狭な国家統制下にマスコミを組み敷かんとして営々汲々としてきた歴史でしかない。 「宮顕―不破による姑息な党史改竄」もこの流れと通底しており、彼らの非道ぶりをいくら論証しても甲斐が無い。むしろ、連中の確固とした意思を見据え、連中がその改竄を通じて何を企図しているのか、それが当局の意思と如何に通底しているのか、それが人民大衆の利益と如何に違背しているのか、の解析の方がよほど重要である。だが、残念ながら、この観点から考究されることが無い。愚かなことである。 本稿では、(1)・「党史改竄の検証」、(2)・「改竄方向の検証、改竄者達の意図解析」、(3)・「理論的諸問題」という三テーマを設定し、追跡していきたいと思う。 2003.5.7日、6.14日再編集 れんだいこ拝 |
目次
コード | 題名 |
れんだいこの「80年史」批判 | |
さざなみ通信の「80年史」批判 | |
1−1、「党史改竄の検証・戦前編」 | |
1−2、「党史改竄の検証・戦後編六全協以前」 | |
1−3、「党史改竄の検証・戦後編六全協以後」 | |
1−4、「党史改竄の検証・戦後編不破時代」 | |
2、「改竄方向の検証、改竄者達の意図解析」 | |
3、「理論的諸問題」 |
(私論.私見)