昭和8年の5月12日、母親が中田家に嫁いできた。結婚式の翌朝、中田家の庭には墓石が投げ込まれてあった。この墓石事件に秘密があるような気がする。「中田家の秘密」とは、その件の真相と被害者の四女の出生に関わる秘密のこと。
善枝さんの母親が密通を重ねていた。善枝さんの本当の父親の秘密をネタに中田家から20万円をゆすろうとしたのが事件の発端。家族は1日の張り込みの前に被害者が殺されたことを知っていたようだ。被害者を殺すかどうかで犯人一味が仲間割れした可能性あり。カネの受け渡し方法と時刻は電話で二度ほど訂正されているようだ。脅迫状の2日夜が最終で、このときはすでに最初の計画を立てた人間は手を引いている。 |
これは母親と以前交際していた人物がいやがらせをやったものと思われた。そしてどういうわけか「中田家の女は育たない」という変な噂が流されていたそうだ。
そして事実、6人の子供の内、長女は家出同然で去り、次女は自殺、三女は幼くして病死し、四女は狭山事件で惨殺され、母親自身も事件の10年前に脳腫瘍で死んでいる。噂どおりに中田家には、女が一人もいなくなったわけだ。
(ただし事件の数年後、長男が結婚して嫁を迎えているようである) ついでにいうと、女ではないが次男も自殺している。 |
父親とその家族が「犯人は知り合いの者に決まっている」と言い続けた。その上で、石川さんを犯人に仕立てることに同意した。墓石事件と石川さん逮捕は、
「ある秘密」によって一本の線としてつながっているとみてよさそうだ。 |
伯父サン 「中田の家の秘密にしたいことなんだけど俺達が調べたことが全貌だったのか一部だったのか実は整理がついていない」。 |
脅迫については何度か行われて、そのたびに時間と場所が変わっているという。脅迫状の「五月2日夜12時」というのも、「サツに通報したので殺す」という通告のあとだったので、その真意が分からず家族も警察もてんやわんやだったらしい。そんな中、2日の張込みで来るはずのない犯人が現れたので驚いたというのが真相らしい。PTA会長はそれを知らないので、当然犯人が来ると思ってた犯人が来たのに、いつまでも飛び出してこない警察にイライラしていたそうだ。ところが、佐野屋に近くにいた刑事はエライさんだったが、なぜかビビって足がすくんでいたそうだ。足が速くて若い刑事はみんな道路側にいて犯人に気付いていない。これは犯人の一味が、車2台でやって来るというガセ情報を警察が真に受けたためらしい。姉の登美恵さんは、警察に知らせたことの報復のため犯人が自分を殺しに来たと思い、震えていたそうだ。
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中田家の長兄は、同家に恨みを持つ何者かが石田養豚場で働く不良たちを使ってやらせた犯行と思っていた。現に雑誌記者たちに「石川の他に複数犯があるはずで、警察もその証拠をつかんでいる
はずなので、もうすぐそれが明らかになるだろう」と話している。実際、怨恨の線を追っていた捜査班もあった。ところが警察は単純に養豚場の不良グループの金欲しさからの凶行との見方から脱却できず、結局石川氏以外の養豚場グループにアリバイがあったため石川氏単独犯行というストーリーに仕立ててしまった。長兄は腹を立てた。
この事件が無学な青年一人のみで起こせるものではないことは誰よりも長兄がよく知っている。善枝さんの誘拐殺人はともかく、佐野屋に警察の裏をかいてあらわれ、まんまと逃げおおせるなど、地元の地理に明るくそうとう肝が据わった人物でなければできるものではない。
おそらく佐野屋に来た人物(多分2名か3名)の見当は長兄にもついているに違いない。その中に一人は、中田家の遠縁にもあたり、誘拐の事実をも同家から知らされ相談された人物のはずである。真犯人と「密通」できた人間が中田家の近くにいたのは確実である。長兄がその後、事件の真相と真犯人を知ったことは間違いなく、その事実は家族にも伝わっている。むろん、次姉の婚約者(長兄の親友)も知っているのは間違いない。すでに中田家の実質的「家長」であった長兄は真犯人側となんらかの「取引き」をした。このことが次姉と末弟の自殺につながっている。ニ審で長兄と次姉の婚約者が「記憶喪失症」になったのは、こういう事情があったからだ。本当のことを言えば中田家が窮地に立たされる。しかし偽証は怖くて出来ない。裁判での二人は「記憶にない」と逃げるか、沈黙して石になってしまうしかなかった。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html
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事件の日の朝に善枝さんが書いた日記は、最後の行に一言だけ。「五月一日、私の誕生日(十六歳)。うれしい」 。同級生には「今日は私の誕生日で、家でごちそうを作って待っているから早く帰る」
と言っている。中田家では兄弟が多かったこともあって誕生日を祝うという習慣はなかった。この日は姉が妹のために赤飯を炊いているが、それは朝食でのこと。善枝さんが楽しみにするごちそうなどを作る予定は、「ぜんぜんなかったです」(姉による法廷証言)。友人との約束であれば、日記にそのことは書いているはず。
したがってこの日の「誕生パーティー」は、善枝さん自身も誰にも言えない相手との「秘密の約束」であったことは想像に難くない。 昭和38年5月1日のこの日、この時刻、善枝さんが目撃された場所近くを通って、
会社を早退して新居に向っていた奥富玄二は、事件関係者の中で善枝さんと出遭う可能性が最も高かった人物といっていい。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html
被害者の日記から読み取れる情報をまとめると以下の通りです。
• 被害者は、ゴールデンウイークにお金を使う予定があった。それはおそらく、5月1日の待ち合わせに関係するものであった
• その内容は、家族とは関係がないものだった
• その内容は、被害者にとって「うれしい」ものだった
• 5月1日の待ち合わせの相手は、被害者にとって対等に費用負担をしたいと思わせる相手だったhttp://flowmanagement.jp/sayama/article.php/20090822174957982
亀井トム氏が昔に書いた本の中に、被害者を解剖した際、膣内に残存していた精液の量は3人分くらいあったという話しが、非公式に捜査官から漏れていたとのことです。確認できた血液型はBだけだったらしいです。
解剖直後の発表では「精液多量、血液型はBとO」だったんよ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1061689365/l50
だいたい、事件発生当初は複数犯というのが大方の見方で、被害者の膣内に残された精液の量も多く、犯人の血液型はB型とO型と書いた新聞もあるほど。これは解剖が被害者の自宅の庭で行われたため、医師の話が漏れたためらしい。佐野屋付近に残された足跡も二人だったらしい。
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弁護側の鑑定によると被害者の下着には精液のシミがついていたらしい。したがって被害者は性交後、一度下着をはいたあとに殺された、すなわち強姦されてそのまま下着をずり下げられたまま殺害されたのではない、つまり被害者と犯人は顔見知りだった…という主張だったように思う。だいだい被害者は、1日に誰かと逢うことを、家族にも親しい友人にも内緒にしていた。これは誕生日のデートとしか考えられない。そしてトマトなどを食べたあとボーイフレンドから強姦されたという推理も
一応成り立つが、彼女はかなり発展的な女性だったようで、非処女だったことは法廷でも証明されている。 トマトを食べておしゃべりをするだけなら親友には秘密にしなくてもよさそうだし、スポーツ・ウーマンの彼女が激しく抵抗した痕がないこのは、どう考えても
性行為は合意の上だったとしか思えない。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/6.html
善枝さんは乱暴されたのではなく合意の上だったと思われる。それは善枝さんが激しく抵抗したあとがないことと、強姦時には必ず残る太もも内側の内出血がなかったことによる。それに父親が証言しているように、善枝さんは男勝りのスポーツ・ウーマンで、見知らぬ男のいいなりになって付いていくような性格ではないのと、トマトと白米(おにぎり?)の接待を受けて、それを食べていることをみても強姦などではないことが分かる。ではB型の血液型は元作男かというと、二人が付き合っていたという事実が確認できない。それどころか元作男は性的な悩みを抱えていて、結婚前にそれを苦にして自殺したのではないかと言う人もいる。性格的にも気が弱くお人よしで、とても女子高校生と浮気するなど考えられない。ただ、お人よしの性格が災いして事件の共犯に仕立てられた可能性はある(脅迫状を書いたことと新居の提供)が、真犯人ではないと思う。事件の日、誕生日のお祝いを口実に善枝さんをデートに誘い、トマトなどを振舞って性交したのは、やはり彼女のボーイフレンドのひとりだったのではないかと思う。
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伯父説では脅迫状を書いたのは作男の奥富玄二。書かせたのはUの配下のO2という飲食店の店長としている。内容を考えたのも、アリバイ製作も犯行現場の証拠隠滅も脅迫状を届けさせたのも飲食店O2氏の指導の元にと考えている。伯父は飲食店O2氏を何故だか高く評価している。もともと大宮や浦和を根城にしている広域暴力団員の幹部であった人で、Uが手腕に惚れて大金を出して引っ張ってきたような人物だったらしく、選挙のゴタゴタや言う事を聞かない人物の意見を変えさせる作業などにかなり重宝された人物とされている。評価されている点は手腕のみでなく元ヤクザの割りにそれまで微罪で一度しか逮捕されていないほどの「尻尾を出さない人物」として評価している。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html
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田中登と石田登利造を殺った奴は黒幕(市議会議員)の部下の元暴力団員の手下だと思う。
898氏の親戚の元刑事氏の推理とは少し違っていて、佐野屋に来たのも、石田登利造を殺害したのも同一人物と思う。殺しに慣れた中年の男。元軍人。親分のためならなんでもやる男。ヤクザ組織での闇の仕事に加えて、軍隊で謀略・謀殺の手法を学んだ男。ついでにいうと、5月1日にボーイフレンド(これも一味)に誘われて食事したあと、 合意もとに性交し、奥富玄二氏の新居でくつろいでいた被害者を背後から襲い、 後頭部を鈍器で殴って殺害したのもこの男。 さらにこれは確証がないが、元憲兵のPTA会長の死にも、この男の影が見える。 元暴力団員の周辺を洗えば必ず該当者は出てくると思う。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html
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次姉の遺書の公表箇所
「夫」宛
(次姉)は誰とも結婚できない女です。(「夫」)さん、どうか幸せになってください (「夫」)さん幸福に。私は美しい花を見ても美しく思えない女になってしまった。あなたを幸福にできない
長兄宛
(長兄)ちゃんとはもっと相談したかった
父親宛
お父さん力強く生きてください。自分のクヨクヨした性格で、毎日毎日が、実にいやになりました。(次姉)の生活には発展もなければ何の信念も考えもない。動物にすぎない。死を考える親から、よい子など生まれません。五月一日、(被害者)の供養をしたとき、はじめて自分がわかった。二人でまっ黒になって働いたころが一番幸せだったと思う。先立つ(次姉)のわがままを許してください。
なお、長兄が次姉の遺書について別途、「常識では考えられないことが書いてあったんだが……」というコメントを残しています。その「常識では考えられないこと」が上の文章のどれかを指しているのか、あるいは公表されていない内容を指しているのかは不明です。この「遺書」を読むと、やはり次姉は「真実」を知っていて、それを公表できない自分の弱さを「何の信念も考えもない」と表現したのか、と考えさせられます
http://flowmanagement.jp/sayama/article.php/20090506075850770
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中田登美恵の死亡診断書を書いた医師鈴木将の証言(二審第六四回公判)
山上弁護人 |
そのことについて少し述べていただきたいんですが、この先生のお宅におうかがいして、私どもがいろいろおうかがいしたときに、先生の お話になられたなかに、どうも死因がわからんといいますか、非常に
奇妙な感じを受けたんだということをいっておられましたが、それは 何に原因してそういうふうな印象をもらされたんでしょうか。 |
鈴木 |
そうねえ、一般に何で亡くなられたにしても、苦悶の形をしているね。 老衰というのはいちばん楽な死に方だね。だけど普通の毒で死んだとか何とかいう人は非常に苦悶の体で死んでるな。ところがこの人はすっか
りととのってきれいになって亡くなったね。だからすごく奇異な感じを もったよね。 |
山上弁護人 |
すっかりととのってきれいというのは仏さんとしてきれいというんです か、身づくろいが。 |
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身づくろいは普通のものだったけど、吐物がないとか、たとえば失禁と かいうことがなかったということですね。そういうものが伴うものだね たいがいね。
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山上弁護人 |
この人の場合にはそういう何か毒薬を用いたというような徴候もなかったと、こういうことですか。 |
鈴木 |
それはあったかもしれないけれども、そこの様子じゃわからなかったで すね。ただそういう死に方もないとはいえないね。絶対用いないとは私 はいえないよ。 |
山上弁護人 |
先生は農薬を用いたんじゃないかということで、家族の方に農薬のびん はないかというようなことをたずねられたようですね。 |
鈴木 |
うん。 |
山上弁護人 |
その際、どうだったのでしょうか。 |
鈴木 |
なかったね。そしてみんなきれいに洗ってあったね。 |
山上弁護人 |
びんを洗ってあった。 |
鈴木 |
うん、だからどうもね。 |
山上弁護人 |
先生が中田さんのうちに着かれてまあすぐ死体を見られたということになりますと、そのときの死体の状況はまだなま暖かいといいますかもう 冷えきって固くなる、硬直状態といいますか、その程度は。 |
鈴木 |
私もいくつも死体をみてるからもう忘れてるけれども、硬直があったと 思います。 |
山上弁護人 |
これは死後何時間ぐらいして、まあ、普通これは科学的には厳密にはな かなかむつかしいということを聞いておりますが、通常硬直というのは 死後・・・。
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鈴木 |
さあ、私も法医じゃないから、そのへんはくわしくはわからないですね。 知らないといったほうが正しいのですね。 |
山上弁護人 |
とにかく硬直がきておったように思うと。 |
鈴木 |
そうですね。 |
山上弁護人 |
で、布団が敷かれてあって、すでに普通の人が寝るような形で安置されていた、こういうことになりますか。 |
鈴木 |
そうですね。 |
つまり鈴木医師が訪れた時には、遺体はすでに通常の通夜などの時のようにきれいな形で布団に寝かされていた。苦悶のあともなく、こういう場合につ きものの失禁などもなかったというのである。これは明らかに死後加工された状態である。仮に布団に入った状態で薬をあおったとしても、苦しむうちに姿態が乱れ、周囲が荒れた状態になるのが普通である。死因の追求にあまり熱心にみえない鈴木医師さえも「奇異に感じた」状況であった。一応農薬自殺を疑った鈴木医師は、家人に農薬の瓶の有無を尋ねたが、それらはすべ
てきれいに洗ってあったというのである。 |
中田登美恵の死亡診断書を書いた医師鈴木将の証言(二審第六四回公判)
山梨検察官 |
そのときの死亡診断書ですがね、まあ直接の死因として薬物自殺となって いるんですが。 |
鈴木 |
ああ、そうですか。 (中略) |
山梨検察官 |
ただこの死亡診断書を見ますと、まあ、おいでになった時間がこれは一 つの問題なんですけれども、発病より死亡までの時間として五時間となっているんですよね。 |
鈴木 |
それは想像ですよ。だって死んだ時間がわからないでしょう。だいたいだからうちの者がうちをあけた時間からそのへんまでということにしたんじゃないでしょうか。あくまでも想像ですよ、それは。
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山梨検察官 |
五時間というのは本人が死んだのは何時頃という推定はどうやってつけられた。 |
鈴木 |
だからうちの人が朝ご飯食べるときは生きてたでしょう。それから今度は昼に帰ってきたといったかな、そうじゃないですか。そうするとその間ぐらいはだいたい五時間ぐらいあったんじゃないかというふうな、多くの根拠をそこにもって私書きませんでしたけれども、わかりませんですよ。私はどうやってわかるかといえば食べ物を行政解剖でもして出さ
なければわかりませんよ。出ますか。 |
鈴木医師は薬物自殺として診断書を書いたものの、薬物中毒の明確な痕跡もなく、死亡推定時刻も特に根拠がないことを認めている。これでは先の奥富玄二のケースと同じく「自殺」と理解することはとてもできない。少な
くとも「変死」とすべきであるし、どちらの場合も医師の診断時すでに遺体に工作がなされている可能性を考えると、むしろ「他殺」を疑うのが自然とすら思えるのである
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/1.html
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次姉は、石川さんが犯人とされ、裁判が始まった時くらいからふさぎ込むことが多くなり、次第にノイローゼ症状が重くなっていた。彼女は事件後婚約し、すでに入籍していたが中田家に女手がないので実家にとどまり、新婚生活もままならない毎日であった。唯一の話し相手であった妹を失った上、家を出て夫と暮らすことも許されない。スポーツ万能で勝気だった妹とは違い、おとなしく優しい性格の次姉にとっては耐えがたい生活だったはずだ。次姉は、事件当時から独自に調査をしていた石川さんの支援者・荻原佑介氏の訪問を受ける。そして石川さんが無罪であることの論拠を示された彼女は、そのとき顔面蒼白となるのである。
「石川さんが無罪ならば、やはりあの人が…」。次姉は裁判で警察に迎合して佐野屋にあらわれた犯人の声を「石川さんにそっくり」と証言したことを後悔し始める。そして一審での石川さんの死刑判決の報を聞き、自責の念にかられるのである。
さらに狭山事件のをめぐる直接的・間接的関係者の内、少なからぬ人々が訴えている症状、「原因不明の頭痛と身体のだるさ」に彼女も悩まされるのである。夫にあてた遺書のなかの「私は美しい花をみても美しく思えない女になったしまった」
という言葉に彼女の苦悩がよく表現されている。 そして次姉の日記には、真犯人の名前がはっきりと記されてあった。 次姉の「自殺」後、長兄はマスコミの取材に答えて、彼女が生前に付けていた
日記の存在を明かし、 「日記には常識では考えられないことが書いてあったんですが…」 とコメントしている。 しかしその「常識では考えられないこと」の内容については口をつぐんでいる。
これはどういうことであろうか。 わざわざ日記の存在を公表し、内容に興味を引くコメントを残しながら、肝心の 内容についてはだんまりを決めこむ。
中身が話せないならば、日記のことなど最初から触れなければいいではないか。 にもかかわらず、そこに書かれてあったことについて思わせぶりな話しをする。
それもマスコミに対して。 はたして長兄のこの不思議な言動は、何を意味するのか。 私には、あの「犯人たるおまえに」同様、これはマスコミを利用して行った長兄
の真犯人に宛てたメッセージであると思う。 つまり「自殺した彼女の日記にはおまえの名前が書かれている。俺はお前の策略 をすべて見抜いているぞ」という意味が込められているのである。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/1.html
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次女が自殺した後の報道によると、彼女は大学ノートに書いていた日記を石川氏の地裁死刑判決直後から中断したようです。 「身体がだるく、頭が重い」と訴え、死の十日ほど前に訪れた堀兼診療所では、「極度のノイローゼ」と診断されたとのことです。
また、父親宛ての遺書にはこう書いてあったとのことです。「死を考える親からよい子など生まれません。五月一日善枝の供養をしたときはじめて自分がわかった。二人で真っ黒になって働らいていた頃が一番幸せだった」
。さらに「夫」宛ての遺書には、「私は美しい花をみても美しく思えない女になってしまった。あなたを幸福にできない」と書いてあったとのこと。 このことから、次女の遺書は一部かもしれませんが、公開されていたことが見てとれますね。ただ、長男が言う「日記には常識では考えられない事が書いてあった」のが、この遺書のことを指しているのか、それ以前の日記のことなのかが不明。
もし後者とすると、彼女は日記を書くのを中断していたわけですから、一審判決以前から、次女は「常識では考えられない」精神状態に陥っていた、ということになりかねないようにも思われます。
次女は事件の年の秋にお見合いし、十二月には入籍しています。 非業の死を遂げた妹の喪が明けてからでもよかったように思われますが、なにか特別に急がなければならない事情でもあったのでしょうか。しかし、この年までは特に変わったことはなく、体調が悪くなったのは年が明けてからとしても、亡くなったのは七月ですから、ノイローゼは急速に進んだと見てよさそうです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1061689365/
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石川氏の声をテープで聞かされた次姉の最初の証言は「(犯人の声は)もっと低かったと思います」というものだった。 (実際、石川氏の声は60歳を超えた今でも甲高い)それでテープの回転速度を遅くして「似ている」という証言を引き出したもの。一審では石川氏も長谷部警視との「男の約束」を信じて犯行を認めていたので 中田家の家族も彼を犯人と思っており、次姉の「そっくりです」という証言に なったものと考えられる。 その後、石川氏が一審で死刑判決を受けたあと、何らかの理由で真犯人と家族との 「関係」を知ってしまったことで良心の呵責に耐え切れなかったのだろう。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html
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自殺したお姉さんは可哀想だよね。母親が死んだあと、上のお姉さんは家出。唯一の話し相手だった妹が惨殺されて家の中の女は自分一人。母親代わりと主婦の役目もこなさなければならないし、せっかく婚約したのに
実家に女手がないということで籍だけ入れたまま、新婚生活もままならない。相談相手だった増田秀雄さんは急死。そこに自分が証言したせいで無実の人が死刑になってしまうという事実を知らされたとしたら…
お姉さんは石川さんの死刑判決があった日から、毎日つけていた日記を書くのを止めて ふさぎこんでしまったそうだ。 そこでさらに事件の真相か背景を知らされたとしたら、田舎の純朴な女性にはとても
耐えられることではなかったに違いない。善枝さんも気の毒だけど、事件の最大の被害者はお姉さんのような気がしてならない。 |
その姉の遺書についてですが、公判証言をつぶさに読んで見たところでは、「遺書」がどのような形態であったのかも語っていないし、と言う事は、その「遺書」が夫宛のものであったかどうかも結局の処不明です。
しかし『Yさん、幸せになって下さい』と言う様な文面があったと言い、その様にある程度内容に関してはっきりと証言していると言う事は、夫は確かに、ある種の遺書的な文面は家族から見せられたのでしょう。
そうすると言うと、この「遺書」(姉の、夫宛の)はあったのかどうか、と言う事になるわけですが、小生は、これは姉の日記(の最後の頁)に書いてあった事を、夫はその時見せられたのではないか、と。
要するに姉の「遺書」と称する物は、「日記」に書いてあったのではないか。
(個別宛の「封書」ではなく)ト言うのが、現在小生がこの「姉の遺書」について考える処です。
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公判記録などによると、次女の遺書は3通で2通が父と兄弟宛てで、残り1通が「夫」宛てとのことです。 ただし「夫」は遺書は見せられたがどんな内容だったか、縦書きか横書きかさえ忘れています(法廷証言は次女の死から8年後)。
遺書は日記にしていた大学ノートを引きちぎって書かれていたそうで、枕の下にあり、封筒はなかったとのことです。 |
「夫宛」の遺書に限定して言うと遺族に(この夫も遺族なのですが)「遺書」を見せられた処「ぼくのことが書いてあって‥」と言う事で、その言いっぷりを一応信用すれば、それは実は夫宛の遺書ではなく、家族宛のものに書いてあったか、やはり日記の文言を見せられたのではないか‥?と言う意味でした。
しかしこれは長兄の「日記には常識では考えられない事が書いてあったんだが」と言う言葉を、姉のお墓の前で思い出した時に、浮かんだ考えです。 つまり、「日記」(その最後の部分が遺書を兼ねていたのかも知れない)にはその「常識では考えられない事」が書いてあった為、夫には全部を見せられなかったか、夫はそれも読んだが、勿論公判では全てを語る事など出来なかった‥‥のか、と言う事です。
夫が何故通夜にも葬式にも行かなかった(行けなかった)のかについては、その裏にどうも事件総体の真相にも関わる、相当な事情があったのではないか‥‥と考えています。
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野間宏の本では例の次姉の婚約者(戸籍上は夫)の裁判証言も面白いというか不気味だったねぇ… なにしろ最愛の人の死なのに遺書もよく見てないし、通夜にも葬式にも行っていない。
いや、行っていないというのなら「ショックで行けなかった」といういいわけも成り立ちそうだが、なにしろ弁護人が「通夜には当然行ったんでしょう?葬式にも」と聞くと無言のまま答えずさらに突っ込まれて「忘れた。バカだから」というのだから、
驚きを通り越して不気味な感じがする。 次姉が亡くなった原因や、遺書・葬式などの件になると記憶喪失状態になるのに、 夫なら当然の権利のはずの次姉の相続分の分配などは「まったくありません」と断言し、相思相愛で肉体関係はあったと証言している。
ちなみに婚約者は被害者の長兄の同級生。 出廷の前になぜか警察官が婚約者の家を訪ねて来ており、「一体なんの話をしに行ったんだ」と、弁護人が迫る場面もあった。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html
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二人は、事件の年の秋に婚約し12月には入籍しているが、それはYH氏の勤務先(米軍ジョンソン基地)の税金控除で有利というためで、結婚式も挙げていないし同居もしていない。
善枝さんの喪が明けたあとの翌年の秋に挙式予定だったらしい。つまり戸籍上では夫婦だが、実質的にはまだ婚約中という状態だった。 ちなみに法廷でのYH氏は、仮にも結婚する予定で肉体関係もあった仲なのになぜ通夜や葬式に行かなかったのかと弁護士から追及され、「まあ、死んで、たまげて行きましたしね、で、とにかく戸籍上では、そういうふうになってたけれども、まだ結婚式もあれだったりして、それ以上深く…」
と答え、他の質問にも「バカだから忘れちゃう」との返事を繰り返してまともに証言せず、弁護士は「事実上の証言拒否」と苛立ち、傍聴していた女性の一人は
「彼女のお墓はY・登美恵となっていますよ!」と叫んだ。
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次姉の婚約者も、彼女が自殺したとき中田家の秘密と事件の真相の一部を知らされたのだろう。愛する婚約者の通夜にも葬式にも行っていないのだから、よほどのショックを受けたのではないだろうか?(婚約者も二審では健忘症状態)
戸籍上は夫だったわけだから、当然彼が喪主だったはず(次姉の墓の姓は彼の苗字になっている)。 喪主が葬式にも出ないとは、普通考えられない。特に昔の農村ではなおさら。
「夫はあまりのショックで式には出られない」とでも説明したのだろうか? |
次姉の婚約者Y氏について、その裁判証言があまりにも不可解だったので大いに疑惑が向けられることになったわけですが、でも本当にY氏が共犯ならば、
あるいは最初から犯行を知っていたのなら、通夜や葬式には行くと思いますよ。つまり、次姉の死の床で、彼は家族からなんらかの秘密を打ち明けられ、そのショックで通夜・葬式に出ることができなかった。
裁判では嘘を言うと偽証罪になってしまうので、秘密を暴露できない以上、Y氏は沈黙せざるを得なかった、ということですね。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html
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自殺した次兄がカレンダーの裏に走り書きしていたという「遺書」
私の生きる道はどこにあるのかしら。 社会は流れ、私も流されるとしたら、余りにもさみしい夜になるでしょう。 あすの社会もきょうの社会も余り変わりはないけれど、
私はただ私の社会の中にきょうという日を見つめて生きるのです。 そしてまた、私は古いものの中にいつまでもいいものがあることを願いたい。いまを生きるのでしょう。
けれどもこれは余りにも遠すぎた夜かしら。すべてが終わり、すべてが夢だったのね。 |
はたしてこれが「遺書」といえるのか疑問だが、盛況氏の推理にあるように、これは次姉の遺書の文面を書き写したものではないだろうか? 妻子ある33歳の男性の遺書とすると奇怪至極だが、ノイローゼ状態だった24歳の女性の辞世の詩とするならば、そう違和感はない。「さみしい夜」と「余りにも遠すぎた夜」
。昭和38年5月2日の深夜、佐野屋の前に立ち、恐怖に震えた次姉ならではの表現のように感じられてならない。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/10.html
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