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3. これが狭山事件の真相(?)
ある警察の元捜査官に聴いた話です。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html
・奥富=U議員は以前にも電話で中田家を脅した(善枝の出自について)。しかし中田氏が動じないので善枝さんを誘拐するまでに至った。・兄:健次は善枝を捜しに行った際に自転車と脅迫状を発見していた。
・警察の初動捜査は発表された時間よりも早かった。
・佐野屋での身柄引き渡し時には中田家は善枝さんが殺されている事を知っていた。だから健次は偽札を持っていった。
・被害者家族から犯人への憎悪や悲しみのコメントがあまり出て来ないのは善枝の出自によるもの。
・裁判での遺族の不自然・不可解な発言理由も同上。
・犯人は中田家が絶対に口外出来ない事情を利用することにより、自分達の安全が確保されると確信していた。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1137408263/
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5月6日午前、重要参考人が一名追加され四名とされ任意による聴取が始まるが、その中の一名が特捜部の監視をのがれ自殺。重要参考人の四名のうち三名はすべて被害者家族および親類からの聴取による参考人 であった、自殺した人物はその三名の中のひとりであった。 所沢署ではその内のひとり17歳の無職の少年を聴取、結果シロ。この頃より市民情報(たれこみ)が日に百軒を超えるようになり厳選して捜査員を 派遣しても手が足らない状態となった。 機捜が日に3、4人引っ張ってくる為留置場が足らず川越、大宮その他まで留置 場を使用することとなる。全県を挙げての捜査という雰囲気となっていった。 |
重要容疑者A,B,C、そしてBの逃走。
「Aがどうにもこうにも臭い、というのはさっきも言ったけど、拘留期限が来てAとBは一度出した、それでAは尻尾を出さなかったが、Bのほうがすぐに建築資材の盗難
に関して容疑が出て引っ張ろうということになった。しかしドロンしちまった。 結局数年か永久かわからないけど出てこなかったんじゃないかな。Bに関しちゃ実は4月30日に車を運転しているところを見られている。A,B,Cの中で免許を持ってたのはBだけ。
まあ時代がおおらかだったんで無免で運転している奴は多かったけど、とりあえず事件の前日車を転がしているのをBは見られている。Aを引っ張りたかったけど肝心なBが姿を消したことでAにはますます手が届かなくなった、残念なことにね」
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佐野屋の件、同時にAらの素性。
「俺が思うに石川さんには申し訳ないがAと石川さんを比べたら十倍以上Aの方が臭かった。佐野屋に現れたのもAだと確信している。 証拠はずばり佐野屋から逃げ果せたことが大きい。地図で書くとわかりやすいが佐野屋からAの自宅まで薬ケン坂の雑木林を通れば奴なら8分で帰られる。石川さんでは包囲網から出るのも容易ではなかったはずだ」
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*佐野屋では声からして中年男との説が多いですが。
「声からは年齢を特定するのは難しいよ。大体男なら声変わりして五十の終わりまで声質が変わらないということも珍しくない。高校生くらいに電話に出てお父さんと間違えられたことがあるだろう?それと昭和四十四、五年大宮で郵便局に強盗が入ったことがあって犯人は一人で覆面していたんだ。それで局員と客七人くらいは声からして四十前後の男と証言していたんだがいざ捕まえたら二十歳の男だったということもあった。声紋でも取っていれば別だが印象に捕らわれると間違いやすいよ」
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「佐野屋は当時地域のための雑貨と食料品店という店で塩とタバコの公社の小さい看板しか出していなかった、一見すると大きい民家に見える。その佐野屋を指名してくるということは地の利に精通していることが想像されるのと佐野屋の位置、道路状況が理想であったと考えられるね。
もしかしたら最初は車で行くつもりだったのかもしれない、しかし要所要所に追跡車両を隠したり捜査員を納屋に隠したりしているのは地元民のAからしてみたら筒抜けだったろうね。それで裏を取って雑木林から暗闇を利して佐野屋の横の畑まで行くことができたのだろうと思う」
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*危険を侵してまで佐野屋にくる理由はやはりお金ですか?
「いや、金ではない。一種の虚栄心だろうね。俺はこれだけ出切ると親分にアピールする意味もあったろうて。しかし危ない橋には違いない、だけど 逃げ切れる自信は10割あって実行したと思うよ。
佐野屋からAの家までの経路をいろいろ復習してみると危ないのは1箇所どこで道路を横切るか、くらいであったよ。恐らく入間川線まで出て道を横切って家に逃げ込んだ。これが最も早くて交差点などにポイントを置いていた捜査陣に一度もはち合わず家に帰れる」。
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*よく目撃者は自殺他殺問われ亀井氏などは他殺と解きますが?
ます゛頑張って7割は他殺だろうと思っている、今も昔もね。実感したのは検死書を取ってみた時だね。大体自分で心臓を刺す時刃を立てには刺さない、横にするのが手首が返らず力が入って刺しやすい。
それに戦中派はね。当時米軍が本土にきて陵辱されるよりは死を選べって時が合ったのよ。その当時のことを知っている人は刺し方を知っているんだ。本当は青酸ソーダでも
あればかなり楽だけど、そこらにある物でもない、そこで何処にでもある包丁で心臓をこう、サクッと刺すと薬の次に楽に逝けると聞いたもんさ。その時刃は縦にしてはいけない、横にして肋骨を避けてミゾオチより一握り上の少し左を刺すのさ、そうすると苦しまずに死ねる。縦に刺すとね肋骨に当たったりしてうまく行かずに苦しむ、戦中派なら知っていることだ。
むろん田中氏もね。しかし刃の跡は縦だった、こりゃ殺しの線もありだなと 思った。問題なのは奥さんがすぐ見つけたことだね。ただしUから奥さんに何かのアプローチがあれば別になるけども」
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*では田中登さんは殺されたとしたら何故ですか。
「田中は薬研坂で怪しい男たちが、それもよそ者風で何か重たい物を抱えていたのを見た、と出頭してきた。当時重要容疑者は100名にも上がっていたがこれと言って成果はなかった、一部はスコップの土を調べたり一部は前述のAやBの足取りを調べたり、そんな壁に当たりかけているところに怪しい男たちの証言は普通に考えてどう
写る? 捜査のかく乱と思えはしないか? まず実際そういった男たちを本当に見たとしても、その出頭者がどう言った人物かは調べなければならない。で出た結果がUと言うわけだ。もう言わなければならんけどUは中田栄作さんと対立している元区長のOとは懇意にしている、確か姻戚関係があったのではないかな。それでUやOは否定するだろうがAやBなどの愚連隊を都合のよいように使っている。今の時代では信じられないだろうけどA、Bやその仲間のような奴らは利用する側に
してみたら良く働く、ライバル会社の工事を妨害したり、恐喝したり、捕まることがまるっきり怖くないんだ。で特捜部としては田中さんにはかなり揺さぶりを掛けた。しかし掛けすぎたのかも知れない、Uらにしてもかく乱するつもりが田中がかなりおびえながら帰って来たらどういった対応をとるだろうか。少し予想が入っているけどもどう転んでも田中さんにしては不幸なことだったと思います」
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被害者中田家とA、そして元区長のO
「事件から10日経った頃、俺達の班の班長であったT警部は俺達のいわゆる怨恨説班としての捜査を支持してくれたよ、それで地域的な背景、地元への捜査を人員をこれまでより割いて行うことになった。まあ他の線も行き詰まっておったからね。調べる内にネタは沸くように出てきたよ。地区に投入される金の動きに驚いたね。河川整備事業、上下水道整備事業、宅地造成事業、道路計画による保証金などなど、どれがどの地主どのように働いているかも一目瞭然であった。
時代はもう戦後を過ぎて大きく膨張を続けざる時期に来ていたんだ、オリンピックに新幹線、高速道路、日本中に大金持ちが溢れだしておった。しかしねホンの10年前にはみんな慎ましやかな生活をしておったんだよ。
中田の川辺りの土地の横にはAの親父の土地が合った。水害で川が溢れたりしたら皆して力合わせて土手を直したりしていた、むろん元区長のOらもね。それが金が人間を狂わせ始めたのかもしれない。
俺達はひとつの事業に目を付けたよ、事業主が中田栄作さんの土地にかかる事業の選定にOが取り入っていたというものだった。 Oは家族経営でちょっとした規模の土建会社を持っていた、その役員はかねてから出てくるUだ。この件を洗っていくと意外な人物が出てきた、井戸に身を投げた奥富玄二なんだ」
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* それだけ事象があって被害者の家族はなぜ訴え出なかったのか?
5月18日、特捜部を離れる事に。
「奥富玄二の持っていた秘密についてね、確認することがあったので同じ班のTとKが川越筋にでかけた、その帰りに狭山の駅を出たところで特捜部の狭山署の捜査員G警部補とかちあった。俺はその場に居なかったので聞いた話だけどAやUの話しになったらし
い。でGはいつまでもその線を追っても何も出ませんよ、と言ったらしい。なかば凄みさえしたそうなんだ、あとで何となくわかったんだけどね、その日18日に刑
事部長から捜査員の削減と捜査本部の縮小の発表があった。特に所沢組みは初期からの捜査員5名以外は全て外されることになった。もちろん俺もね。それで次の日県警からの捜査員Hに引継ぎをした、Hは非常に有能な捜査員で安心して引継ぎできた。それで所沢に戻ってまた通常勤務に戻ったんだけど次の日だったかなHから電話があって石川一本で行くことになりましたって、残念だったね。すでに部外者であったことがね。T警部に電話したんだけど何も出ないのだから仕方ない、と残念そうだった」
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/1.html
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当時農地への水利事業が狭山市主導で進められていた。それが農水省主導により 県が計画推進することに計画が大きく変更された。県は浦和市にある大手建設会社に工事を依頼する。その大手は狭山市内の工事については入間川にあったKという土建会社に工事を依頼した。その工事と予算をKに持ってきたのがUという市会議員であり工事の規模は当時の価格で六千万円ほどであった。もともと地元の小さな土建会社が各地域で3分割ほど工事を分け合い施工されるはずが特定の1社のみが工事を請け負う形となった。地元の、とりわけ責任のある区長らは反発した。最後まで工事に反対していたのが中田栄作区長だった。U議員は、息の掛かった会社の社員であった奥富玄二さんを交渉役として抜擢した。U議員は中田家四女をU議員の経営するバーに出入りする田中(O2?)という二枚目に接触させ拉致監禁しその間長兄に父親の考えを変更させようという計画を奥富玄二さんを通し伝えさせた。
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事件の大枠は地元の有力者に逆らった中田家への「報復殺人」という見方が一番当たっていると思う。中田家側も、報復と思ったからこそ、誘拐の脅迫を受けてすぐに警察に届けたのだと思う。ただこの時、以前に黒幕の有力者から脅迫を受けていた事実は話せなかった。犯人側からすれば、営利誘拐事件に見せかけながら中田家を恐怖に陥れることに 最大の目的があったような気がする。家族が殺されるという最大の恐怖があれば、以後の「交渉」の無言の圧力となる。したがって、この事件は最初から四女殺害が目的であり、決して「ゆさぶり」な
どという生易しいものではない。計画を見破られて尻尾を捕まえられないよう、首謀者は完璧なアリバイを構築し、実行者には中田家と接点がない若者を使った。ただ、被害者の呼び出しについては、彼女が見知らぬ男に付いて行くわけがないので、中田家の元作男を利用したのだろう。犯行現場も彼の新居かもしれない。そして、警察の眼をあざむくために様々な偽装工作をほどこした。一番の難題は身代金受取りで、張込みに気付いて逃げた犯人が怒って被害者を殺害した、という筋書きのために仕組んだが、目論見どおり見事に成功している。そして、警察の捜査の眼が養豚場に向くよう、巧みに偽装・誘導しており、事実
そのとおりになった。また、中田家の長男も黒幕に感づいていながら、「最初からあの養豚場が臭いとにらんでいた」などと発言している。
中田家の二人の女性の死の原因は、黒幕と中田家の確執にあり、真相が闇に葬られたのは、黒幕の策略に嵌った上、途中で気付いたが引き返すことが出来なかった警察組織に最大の責任があることは言うまでもない
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犯人から中田家への脅迫の時刻が確定判決よりも早いのかどうかは不明だが、いずれにせよ中田家は脅迫されて、すぐさま警察に届けている。確定判決では、脅迫状を見てわずか5分後には自宅を飛び出している。犯人は24時間以上の猶予を与えているのにも関わらず、異常なまでのすばやさだ。可愛いはずの娘・妹の身を案じて、わずか20万円を渡して彼女を返して貰おうとの深刻な相談もなく、父と長男は一目散に派出所に駆け込んだと言うのである。
おまけに佐野屋に次女を行かせる時、父も兄も現金を持たせることは「まったく考えなかった」。なぜなら「本当にあの時は夢中でして」。16歳の四女の命より、有力者に逆らって起きた一大事に震え、下手をすれば
次は自分たちが殺されると思い、警察に身の安全を託したのだろう。家の財産と面目と自分らの命を考えるのに「夢中だった」のではないか。
中田一家の実質的家長としての権限は、この頃から長男が握っていたようだ。父親は「犯人は知り合いの者に決まっている」と言い続けており、石川氏逮捕の報を聞いても「まだ本当の犯人かどうか分んないけども・・・」と言っている。対して、死体発見現場に駆けつけ冷静に死体と野次馬達をカメラで撮っていた長男は、石川氏逮捕で「石川が犯人に間違いない」と早くも断言している。真犯人の偽装工作を十分知りながら、お家の危機を回避するため、それを明かさず石川氏犯人視に迎合することで、有力者の無言の圧力に屈してその後の「取り引き」に応じたのだと思われる。ついでに家の秘密と不仲の厄介者も消し去ることができた。長男にとって石川氏無罪は、即事件の真相解明への道が拓かれることを意味する。 こう考えると、二審での彼の「健忘症ぶり」も納得がいく。長男の不審な言動は、彼が事件の主犯だからではなく、真犯人の意図を早々と察しておきながらそれを隠し、二人の妹を犠牲にしてまで家の体面と自分の身を守ろうとしたことに起因するものだと思う。
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父親は近所では評判のしっかり者で、妻の死後も遺産相続の原因となる後妻を娶らず、区長としても自分の考えを貫き通し、成績優秀の子供達も「百姓には学問はいらん」
との方針で四女以外は夜間高校に通わせるほどの徹底した頑固者だったと伝えられている。 このような性格の人物を落とすには、かなり荒っぽい手段に出るしかないと考えた人物が眼をつけたのが、他ならぬ四女だったのではなかろうか。真犯人は被害者家族の内情を熟知しており、母親の生前の行状とその死、そして兄弟姉妹の中に他人の血が混入しているという事実に起因する不和・不協和音が家庭内に発生していることを利用したのではないかと考えられるのである。 |
この事件で最も責められるべきは卑劣な真犯人グループであり、その首謀者である。と同時に、面子を重んじるばかりに犯人逮捕を急ぎ、証拠を捏造し無防備な青年を
騙して代用犯人を仕立てた警察であり、それを黙認し追随した検察の罪も深い。 権力の偽装を見破れず(見破ったが見逃した?)、石川氏を有罪とした上、再審の門も閉ざしつづける裁判所も同罪である。
事件の前に、真犯人側にとっては絶対に許せない言葉を、中田家の父親か長男が吐いたのかもしれない。「四女殺害」という報復でもって、中田家は彼らの本当の恐ろしさを感じ取ったのだろう。仮に過去のいきさつを警察にすべて告白したところで、本当の黒幕まで捜査の手が伸びるという保証はなく、この地で生きていく以上、こうなってしまえばもう彼らに屈服せざるを得ない。これだけの事件が起こせる、この地の有力者と対決したところで、ますます自分たちが窮地に追い込まれるだけだと、父と息子は判断したのではなかろうか。そして真犯人側は、中田家の家庭内に吹く「すきま風」を十分に知っており、四女を殺したとしても、「報復」に対する中田家の「反撃」はまずあるまい、と読んでいたのだろう。あとはいかに警察をあざむくかに全力を挙げて知恵を絞った結果が、あの「奇妙な脅迫状」と「死体埋葬」そして「佐野屋の逃走劇」であったのだ思う。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html
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事件直後に流れた犯人像としては、 1、顔見知りのボーイフレンド説、2、区長選挙をめぐる父親への怨恨説、3、流しの不良説、4、米軍の不良外人説などがあり、2はかなり有力な説だった。警察は3の説をとって、弱い立場の青年を犯人に仕立て上げることを選択した、というのが本当のところだろう。養豚所の元使用人たる石川氏が逮捕されたとき、これに2の説をくっつけて、親父と対立する一派が石川氏らを遣ってやらせたとみる向きもあった(事実、親父と長男はそう思い込んでいたはず)。石川氏逮捕を聞いて、芋づる式に2~3人の実行犯が逮捕されると考えられていた。ことによると黒幕まで行ってしまうかも?と、戦々兢々いた者も多かったはず。ところが結論は石川単独犯ケリがつけられた。 |
時は高度成長期の真っ只中で東京オリンピックの前年。東京オリンピックを翌年に控えた事件。 |
407 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/20 14:40
犯人は四女とは顔見知りではない人間であることを示すため、最初は「少時家」の子供を狙ったが果たせず、行きずりに出遭った女子高校生に眼を付け、身代金を取るついでに性欲を満たそうと考え、下校途中の四女を襲った、というストーリーを考えた。そして四女を拘束したあと、脅迫状の宛名たる父親の名前を四女に訊ねる。四女が「中田栄作」と言ったのを「なかた・えさく」と聞き違え、封筒には「中田江さく」「中田江」と万年筆で書いた。本文は「少時様」宛に以前に書いておいたと見せかけるために、ボールペン書きにしておいた。そして封筒の宛名と本文の訂正箇所を万年筆で書くことによって、四女のカバンの中にあった筆入れから万年筆を奪い、あとから書いたように見せかけた(このとき、インクの色を確かめなかったのはうかつだった)。
このことを強く印象付けるため、筆入れごと持ち去って処分した。見ず知らずの四女の住所をそれで知ったと思わせるためと、誘拐がいたずらではないことを示すために、脅迫状の封筒には四女の生徒証を同封しておいた。もし父親が不在だったら他の家族が開封せず、発覚が遅れては困るので、封筒は一度封をしたあと、ちぎって開封しておいた。指紋がつかぬよう軍手を用いたが、これも二種類のものを使い、手袋痕を検出されても複数犯との印象を与えるよう、念には念を入れておいた。
身代金の金額は、貧乏な若者が犯人との印象付けのため、20万円にしておいた。では警察の捜査をどこへ誰に向けさせればいいだろうか?
そうだ、菅原四丁目の被差別部落の人間にしよう。ちょうど四女宅の近くに養豚所がある。ここは部落出身の兄弟が経営していて、部落の若者が多く出入りしている。 たわいないものばかりではあるが、いろいろと悪さもしているようだし、地元の人間も差別意識丸出しでこの養豚所を見ている。 それを利用して、彼らに疑いがかかるように工作しよう。それには身代金受け取り場所を「佐野屋」に指定するのがいい。 ここなら養豚所に近いので、そこで働く者は誰でも知っているはずと思われることだろう。
「少時様」の「前の門」の「前」を訂正し、稚拙な字の共犯が訂正したと見せかけるため、この箇所は左手で「サノヤ」と書いておこう。それに佐野屋は五本の道路が交差する場所なので、張込み刑事を分散させ、身代金を取りに来たと見せかけて逃げるのに都合がいい。 しかし捕まっては行けないので、過去の事件(斎藤恵子さん誘拐殺人事件)を参考に、指定時刻を「五月2日の夜12時」と書いて前日にも張込みをさせるよう誘導しよう。そして1日夜に、大体の張込み配置を確かめておこう。佐野屋での逃走を成功させるため、犯人が自動車でやって来るように見せかけよう。 脅迫状に「友だちが車出でいく」と繰り返し書いて、複数犯と車の使用を印象付けよう。ちょうど養豚場にはトヨエースがあり、経営者兄弟が乗り回しているので大いに疑われることだろう。
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犯人は、「車出いく」と見せかけ、5本の道路側に刑事を分散配置させ、畑側から声をかけた。街灯の明かりもなく、茶垣に隔てられていては、自分の姿を見られる心配もない。警察犬がいないことも事前に知っていたが、臭気は2、3日残るため、不老川に入って臭いを消している。察するに犯人グループは、かなりの手間ひまをかけて、この計画を遂行していると思われる。警察犬は狭山署にはいないので、川越署から派遣しようとしたが、同署の訓練士がなんと二人とも病気などで出動できず、張込み前までには準備できなかった。 急遽手配した大宮署からの警察犬が現場に到着したのは、すでに犯人逃走から 3時間以上も経ってからだった。警察犬の手配が間に合わず、投光機やトランシーバーなども用意できていないことは単なる偶然で、犯人にとってはまれに見る僥倖だったのか?いや、そうではあるまい。現地の地図を広げ、用意周到に計画を練っていると思われる犯人グループが、この点のみは、いちかばちかで決行したとは到底思えないのだ。結論として、この大胆不敵で壮大なトリックを成功させるためには、警察当局
の動きを逐一把握できることが必須条件であったに違いなかろう。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/5.html
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