「善きも悪しきも見分けている。これまでどうじゃこうじゃ、誠嘘分からん。誠あるか、もう分かる。もう一日待ち、だんだん待ち、見えるもあり、見えんもある。分けて分けるは一条(ひとすじ)神の道。変わらんなりに難(むずか)し話して、分からんなりに歪(いが)んだもの〈を〉まっすぐにし、歪んだもの直(す)としたものも意見で直らんにゃ、深き事や大きな事やで」(明治20.4.16日)。 |
「さあさぅぁどんな者もこんな者もいる。妬(ねた)む/\。どんな事を言うて来ても、じっと静まりておれば独(ひと)り静まる。何程(何ほど)の邪険(じゃけん)出しても悪を出しても、悪は続かんと心を治め」(お指図、明治21.1.15。諸井政一集より)。 |
「善もある。悪もある。善悪分かる(分かれる)のやで。悪は はびからす(はびこらせる)/\。善より思案してみよ」。(明治21.3.9日) |
「何時(なんどき/いつでも)人間というものは〈理の〉分からん者に分からん者が付く。世界の悪肥え、だんだん思案つけ。‥相談々々、悪の相談しているところが見えてある。知らんから身に知らせてある。この理、諭しておかねばならん。よほど用心頼む。‥悪の處(ところ)、悪の理が寄っている。さあと言えば、さあと言う。おうと言えば、おうと言う。日々、悪が面々(銘々)手柄と言うから、用心手当せねばならん」(明治22.1.15日午後11時10分)。 |
「さあさぁちょっと理を知らしたる處(ところ)、世界は悪に悪が添い/\、世界は何にもならん事をしている。さあさぁどんな話も、さあさぁ皆な離(はな)れて散りぢりばらりと分かれる。さあさぁ日々の尽す心の理を見たい/\。尽す心の早く/\理を見たい」(明治22.1.18日)。 |
「悪を善で治め、たすけ一条。千筋(せんすじ)悪なら善で治め。悪は善出るところの悪の精抜けてしまう」(明治22.2.7日)。 |
「さあさぁ罪々聞かすやない。心いずむ。神が乗らん。‥神が踏ん張るところ 、罪という罪すっきり聞かさんよう。一つの心という、神じゃない、心、人間心に映してある。罪聞かしてどうなるとも計り難(がた)ない。思案してみよ。僅(わず)か因縁、僅か治まり、雑言(ぞうごん)悪を馳(は)すと言う。一度は許そ。後一つ心許さん」。(お指図、明治22.9.19)(雑言「罪口説」とほぼ同意。
ここで「罪 」は文脈から「悪口・陰口を聞かせること」を指す。「悪を馳す」は「ほこりを駆け巡らせ、まき散らすこと」と解する) |