善悪の理

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.7日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「善悪の理」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【善悪の見分けの理】
 御神楽歌、お筆先では次のようにお記しされている。
 これからは 神が体内 入り込んで
 心速やか 分けて見せるで
二号36
 段々と 15日より 見えかける
 善と悪とは 皆な現れる
二号44
 銘々に 我が身思案は 要らんもの
 神がそれぞれ 見分けするぞや
五号4
 一屋敷 同じ暮らし ている内に
 神も仏も あると思よ
五号5
 これを見て 如何な者でも 得心せ
 善と悪とを 分けて見せるで
五号6
 月日より 皆なそれぞれと 見定めて
 善と悪とを 見分けするぞや
八号52
 親の眼に 適(かの)うた者は 日々(にちにち)に
 だんだん心 勇むばかりや
十五号66
 親の眼に 残念(ざねん)の者は 何時(なんどき)に
 夢見たように 散るや知れんで
十五号67

 教祖は次のようにお諭し為されている。

 お指図は次の通り。
 「善きも悪しきも見分けている。これまでどうじゃこうじゃ、誠嘘分からん。誠あるか、もう分かる。もう一日待ち、だんだん待ち、見えるもあり、見えんもある。分けて分けるは一条(ひとすじ)神の道。変わらんなりに難(むずか)し話して、分からんなりに歪(いが)んだもの〈を〉まっすぐにし、歪んだもの直(す)としたものも意見で直らんにゃ、深き事や大きな事やで」(明治20.4.16日)。
 「さあさぅぁどんな者もこんな者もいる。妬(ねた)む/\。どんな事を言うて来ても、じっと静まりておれば独(ひと)り静まる。何程(何ほど)の邪険(じゃけん)出しても悪を出しても、悪は続かんと心を治め」(お指図、明治21.1.15。諸井政一集より)。
 「善もある。悪もある。善悪分かる(分かれる)のやで。悪は はびからす(はびこらせる)/\。善より思案してみよ」。(明治21.3.9日)
 「何時(なんどき/いつでも)人間というものは〈理の〉分からん者に分からん者が付く。世界の悪肥え、だんだん思案つけ。‥相談々々、悪の相談しているところが見えてある。知らんから身に知らせてある。この理、諭しておかねばならん。よほど用心頼む。‥悪の處(ところ)、悪の理が寄っている。さあと言えば、さあと言う。おうと言えば、おうと言う。日々、悪が面々(銘々)手柄と言うから、用心手当せねばならん」(明治22.1.15日午後11時10分)
 「さあさぁちょっと理を知らしたる處(ところ)、世界は悪に悪が添い/\、世界は何にもならん事をしている。さあさぁどんな話も、さあさぁ皆な離(はな)れて散りぢりばらりと分かれる。さあさぁ日々の尽す心の理を見たい/\。尽す心の早く/\理を見たい」(明治22.1.18日)。
 「悪を善で治め、たすけ一条。千筋(せんすじ)悪なら善で治め。悪は善出るところの悪の精抜けてしまう」(明治22.2.7日)。
 「さあさぁ罪々聞かすやない。心いずむ。神が乗らん。‥神が踏ん張るところ 、罪という罪すっきり聞かさんよう。一つの心という、神じゃない、心、人間心に映してある。罪聞かしてどうなるとも計り難(がた)ない。思案してみよ。僅(わず)か因縁、僅か治まり、雑言(ぞうごん)悪を馳(は)すと言う。一度は許そ。後一つ心許さん」。(お指図、明治22.9.19)(雑言「罪口説」とほぼ同意。 ここで「罪 」は文脈から「悪口・陰口を聞かせること」を指す。「悪を馳す」は「ほこりを駆け巡らせ、まき散らすこと」と解する)

悪(あく)
 「悪(あく)」。次のような教理になる。
 「悪(あく)」。「悪(あく)」と申しますは、***。「悪(あく)」は、いわゆる***の心遣いを云う。これが「悪(あく)払い」の秘訣です。
 増井りん「誠真実の道」巻頭、「教祖より戴いた御品の覚え書」より。
 「『百人の人。九十九人まで悪、たった一人善。悪が強いか、善が強いか。一人の善が強いで』 と、御教祖様(おやさま)のお言葉〈で〉ございます」。
 お指図は次の通り。
 「善きも悪しきも見分けている。これまでどうじゃこうじゃ、誠嘘分からん。誠あるか、もう分かる。もう一日待ち、だんだん待ち、見えるもあり、見えんもある。分けて分けるは一条(ひとすじ)神の道。変わらんなりに難(むずか)し話して、分からんなりに歪(いが)んだもの〈を〉まっすぐにし、歪んだもの直(す)としたものも意見で直らんにゃ、深き事や 大きな事やで」(明治20.4.16日)。
 「さあさぁどんな者もこんな者もいる。妬(ねた)む/\。どんな事を言うて来ても、じっと静まりておれば独(ひと)り静まる。何程(何ほど)の邪険(じゃけん)出しても悪を出しても、悪は続かんと心を治め」(明治21.1.15日)。
 「善もある。悪もある。善悪分かる(分かれる)のやで。悪は はびからす(はびこらせる)/\。善より思案してみよ」(明治21.3.9日)。
 「何時(なんどき/いつでも)人間というものは〈理の〉分からん者に分からん者が付く。世界の悪肥え、だんだん思案つけ。‥相談/\、悪の相談しているところが見えてある。知らんから身に知らせてある。この理、諭しておかねばならん。よほど用心頼む。‥悪の處(ところ)、悪の理が寄っている。さあと言えば、さあと言う。おうと言えば、おうと言う。日々、悪が銘々手柄と言うから、用心手当せねばならん」(明治22.1.15日午後11時10分)。
 「さあさぁちょっと理を知らしたる處(ところ)、世界は 悪に悪が添い/\、世界は何にもならん事をしている。さあさぁどんな話も、さあ/\皆離(はな)れて、散りぢりばらりと分かれる。さあ/\日々の尽す心の理を見たい/\。尽す心の早く/\理を見たい」(明治22.1.18日)。
 「悪を善で治め、たすけ一条。千筋(せんすじ)悪なら善で治め。悪は 善出るところの悪の精 抜けてしまう」(明治22.2.7日)。





(私論.私見)