内外隔てなし、仇なし、恐みなしの理

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.5日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、お道教理としての「内外隔てなし、仇なしの理」教理を確認しておく。

 2003.8.29日 れんだいこ拝


【内外隔てなしの理】
  」、「内外隔てなし」その他参照。
 お筆先では次のようにお記しされている。
  これを見よ 世界も内も 隔てない
 胸の内より 掃除するぞや
四号108
 この掃除 内も世界も 隔てない
 銘々の心 みな表すで
十二号2   
 この道は 内も世界も 隔てない
 世界中の 胸の掃除や
十五号

 教祖は次のようにお諭しなされている。
 「そこで、真実心定め、また心澄ますよう、この心澄ますのは、嘘と追従(ついしょう)言わんよう、また、欲に高慢ないように。これさいか、弁(わきま)えたなら 心澄んである。何事も 我が子に取りて、思案せよ。子は どうでも、と思う親はなし。また、神様が、罰当(ばちあ)ては更になし。‥また、前に申す通り 神が罰当て更になし。そのはづや、この人間を拵えたのは、この人間の、陽気遊山を見たさに拵えた人間やもの。また、世界中、どこに隔ては更になし」(明治18.4.18日)。
 正文遺韻215-216頁が次のように記している。
 「それ、教祖様(おやさま)のご苦労は、ちょっとには言われません。けれども一つ二つ言うなら、夏の暑い時に監獄へ引かれて、夜といえば蚊帳(かや)もなし、蚊に喰われて、二十日あまりでお帰りになりたる事もあり。また六十日も監獄へ引かれて、何も食べず、水も飲まずにおいでになりたる事もある。警察へ引かれたことは何度とも数知れず。冬の寒い最中(さなか)でも、古椅子へ腰を掛けさせられ、ご通夜なされた事もあり。番の刑吏(けいり)が居眠りして、朝日様のお昇(あが)りになるのも知らず、火を灯(とも)してあるによりて、椅子を立ってこれを消して、刑吏の目を覚ました事もあり。されども誰を恨むという御気色(おんけしき/ご様子)もなく、ある時は、かどへ物売りに来る者あれば、役所に在りながら買うて、これを刑吏にやりたりして、『みな一れつは我が子』と言わんばかりの御気色で居らせられた。この大いなる心を、皆々心として道を尽くすことならば、怖き危なきことはない。危きところでも、それ『神が楽に通してやろう』という。それ、案じることは要らん。『心の仇が第一』であろう。

 内も世界もへだてなきやう。この道は、信心している者も、また信心していぬ(していない)者も、みな同じように思うて、みな隔(へだ)てなきようという。それ、如何(いか)なる者をも仇(かたき)に思わんよう。この心を台として、信心せぬ者には理を聞かして、信心させるように運ばねば、内も世界も隔てなきよう、とは言えようまい」。

 「第六回教義講習会講義録」の高井義一「雛形の道」の「へだて心」(昭和11年より)。
 「その当時の先生方に聞かして頂きましたに、教祖様は世界の人は、どんな人でも『可愛い我が子』と思うて御座る。『へだて』は少しもなかった。乞食にでもご苦労さん、誰も彼も一緒やったで。巡査が来ても可愛い我が子と思うてござる。『つれに来るのも、つれて行くのも皆な神や、反対しにくるのは、ぢばの宝を掘りに来るのや。巡査さんに失礼な事すればバチが当たる』 と側の者に申されたとの事であります」。
 お指図に次のような御言葉がある。
 「神の心に隔ては更になし。それ隔てられる隔てられん、隔てんならんの一つの理は 前生種により、一つは我が心にもよる。‥沢山(たくさん)な水にて 少しの濁り水を入りたとて、何處(どこ)濁りたようになし。この水は用(もち)いらりょう(用いられよう/使えるであろう)。少し〈の〉水ならば、少しの濁り水にても、これは一面に濁ろう。この理をよう思案してみよ。心に合わん気に合わんという事は、いつも心に合わん気に合わんと言うて居た分(ぶ)にゃ、いつも心にも合わにゃ気にも合わん。その気にも 心にも合わん處(ところ)だけ除(と)りたなら、心にも合や(合えば)気にも合う。さあここをよう思案して、人の悪きところだけ除(と)りて我が心包み、善きところだけ出して、何事も事治めるよう」(明治20.12.1日補遺 )。
 「難儀(なんぎ)さそ、不自由(ふじゅう)さそという親は無い。幾名何人(いくめいなんにん)ありても、救けたいとの一条である。その中 隔てにゃならん、隔てられんやならん、という處(ところ)、世上見て一つの思案。この理を聞き分け。一つはたんのう(足納)と。善き種蒔(ま)けば善き芽が吹くも、世上見て一つのたんのうとの心定め。たんのうとの理を持ちて、案じる事は要らん。案じては案じの理を(が)回る。案じは要らん、と、大きな心を持ちて理を治め。善き種蒔けば善き実がのる、とのさしづ、と」(明治21年6月)。
 「取次(とりつぎ)の理によって働く。天の理や/\と尋ね来る。取次親の使いなら、親の代わりや/\。親の代わりなら どんな仇(かたき)でも、仇(かたき)にして隔てゝくれな(へだててくれるな)。‥取次に委(まか)したら親の代わりや。親の代わりなら隔てゝいかん、隔てしていかん」(明治21.8.6日 刻限御話)。
 「銘々の親が言うとは思うなよ。世界中の親(月日親神)が言うのや。何処(どこ)に隔てはない程に」(明治21.8.30日)。
 「神は隔てないで/\。しっかり聞き分け。さあさぁ聞き分け。内も外も同じ理や」(明治22.2.4日)。
 「内外隔てなき一つ理という。‥さあ内外の隔てはないで。どれから人衆(にんじゅう)寄せるやらこれ知れん。心の理によって、どんな役割するや知れん」(明治22.11.25日)。
 「神は隔てない。それ銘々心から沸(わ)かす故(ゆえ)、隔てられんやならんようになる。暫(しばら)くの處(ところ)、じい(ジッ)としておくがよい」(明治23年頃)。
 「これまで皆々どんな事も諭してある。さあさぁ内外の理は、内外の理はない。遠くの事情という/\、遠くの事情も、内の事情も隔てんよう。さあさぁ何ぼ(なんぼ)遠くても、外の事情というのは、話するまでやない。内々も遠くも、内外の事情は要らん」(明治22.12.27日)。
 「内も外も隔てない。どんな事でも隔ては一つもない」(明治23.6.21日)。
 「道具でも どんな金高(かねだか)い値打(ねうち)でも、心の理がなくば何にもならん。さづけ(おさづけ)/\のところ、よう聞き分け。日々の席をする(別席を運ぶ)。席をすれば(満席になれば)さづけは渡す。その時の心、受け取る時の心、後々の心の理がある。日々まあ一日の日、結構という理を忘れて了(しま)う。どうも残念でならん。なれど運ばねばならん。そんならその者にはやろう、この者にはやらんというような隔てはない。今貰(もろ)うて直ぐとほかす(捨てる)者でも渡さにゃならん。一時の間、定める心の誠であるから、どんな者でも、こんな者でも心があるから、をやのそばへ来て 貰わにゃならんという」(明治23.7.7日午前3時)。
 「神の道、上(かみ)の道、一寸(ちょっと)言えば同じ。事情の道とは 世上の道、神の道は胸の道。世上の道はどんな事して居ても、目にさえ見えねば通りて行ける。なれど胸の道は、皆な身に掛かる。道に二つある、世上の道、胸の道。世上の道には、どんな穴があるやら知れん、又(また)剣(つるぎ)があるやら知れん。‥これさえ十分説き聞かせば、どんな事も皆な治まる。‥ 親族事情には分かりゃせん。世上には皆な親子兄弟と云うて親族と云うても、兄弟何にも隔てる理はない。どれだけ内々事情、親族事情と云うても、聞いて居るやろう、見て居るやろう、言うて居るやろう。三点三つ立て合い事情、しっかり親族事情 治めてくれるよう」(明治24.1.27日)。
 「(村田長平、心荒立ち事情願い)さあさぁ一人の心々、今のところいかなる事、どういう事、よう聞き分け。世界へ対し面目やで。これは間違うのや。内外隔てなく、理を諭し、古き事情に諭しある。内々聞き分けてくれ。これまで諭せん理もある。遠く、内々外も、面々事情聞き分け。結構や、楽しみや。日々事情皆な事情、所詮/\前生あちらこちら理もある。これだけの理治まらん、怨み悔み(うらみくやみ)を持たず心だけ改め。いかなるも因縁、早く事情定めてくれ」(明治25.5.20日)。
 「内々事情成程(なるほど)、内々事情どんな事もあろう。又(また)一つ 思わにゃならん事情あろう。皆(みな)世上一寸(ちょっと)ひながた(雛型)と言う。この事情では威光が付こまい。事情世上皆聞こうと、見ようと、先々まゝあろ(ままあろう/よくあるであろう)。内々日々の處(ところ)多いで大層と必ず持つやない、思うやない。これ思てはならん。これ思うやろ。ならん中こうして来たらという隔てない。あの者どうや、この者どうや、思うな。言うやない」(明治27.5.27日)。
 「よう聞き分けにゃならん。同じ何人中、この教会やしき中、十人居れば十人、二十人居れば二十人、三十人居れば三十人、どんな者でも区域隔てない/\。こうもして貰わにゃならん。一名〈も〉放っておくことでけん」(明治29.4.9日)。
 「男女の隔てなく、一時に心澄み切りて通れば、男女の区別はない。‥この道始めたは男か女か。これから悟れば どんな事も分かる」(明治31.3.26日)。
 「隔てありては当然及(およ)ばん/\。隔てありてはならん。隔てられる隔てる。受け取る事もでけん/\」(明治31.6.18日夜)。
 「区域/\だけ心を働き、元に区域、末に区域散乱、これは破れ物に物入れたようなもの。あちらもこちら持って歩けば、十の物ありても何處(どこ)へ落としたやら分からん。心を繋(つな)ぎ合い、破れた容れ物(いれもの)に入れたようなもの。物落として知らん。軽々一つ理。これを違う物を隔てる理は 破れた物も同じ事、何處から種を持って出るやら分からん。何名何人ある。この順序隔てなく、よう隔てるは破れ容れ物。これ一つ治まったら、悩みはすっきりないで。‥ 第一、隔てるというは破れの元という」(明治31.7.25日)。
 「このぢばという/\、あちら眺めても こちら眺めても、皆な敵であった。皆な幼少ばかり、これを見て教祖(おやさま)誰に頼り、彼に頼りなき理を見て、たんのう(足納)してくれにゃならん。元から子生み出したも同じ事/\。それぞれ相談/\一つ理。皆な兄何人あるか。聞き分けてたんのう。この兄親一つ理、教祖存命苦労艱難見れば、聞き分け。今日は不自由さそう、難儀さそうと言うのやない。兄親の数を幾人(いくにん)あるか、一つ理見てくれにゃならん」(明治32.12.22日)。
 「将来の理は誠、誠は神が十分付き添うて守りてやろう。これを皆聞き分けて居れば楽しみ。この道は一人や二人三人四人、それぞれどんな事したて何にもならん。皆(み)んな心以(もっ)てすればこそ どんな事も出来る。すれば、どんな刄(やいば)どんな槍(やり)が差し向けようが、どんな敵に向かおうが、皆真実天に供えて運べば、天より防ぐ。天より守る。今日の諭(さとし)は、これより結構はない程に」(明治33.5.7日)
 「水切っては中弛(だる)み来る。中弛みしては どういうもの。何でもあの心一つ、めん/\神を怨みて、世上にある。中弛みというは、世上の仇(かたき)に肥(こえ)をするようなもの。‥人はどうでも銘々一人なりと、神一条の道よりないと治めてくれば、神一条の理ある。皆な手を打って勇んでくれるがよい/\」(明治33.10.16日)。
 「このぢばへ尽した運んだ者 引き出して居る中、高い低いはない。一列隔てないは、教祖の道と言う。高い低いの隔てないは、教祖の道と言う。これで分かったやろ」(明治33.12.4日)。
 「さあさぁどういう處(ところ)からどんな道が付くやら、遠く近くに隔(へだ)てない、何時(なんどき)どういう道が付くやら知れんで」。

(私論.私見) みき教理の「人間観」考
 近代民主主義の人間観は人格の独立を基本としている。人格の独立は、歴史的には信仰的規制からの分離と政治権力による規制弾圧に対する抵抗運動の流れで獲得されてきた。教祖みきの教義は、「(神の目には)世界一列皆な我が子、世界中一列は皆な兄弟」、「天皇も人間、我々百姓も同じ魂」という観点を打ち樹てたことにより、各自の人格の独立を認め、親神の思し召しに叶うよう処世するのを促したが、そこには規制強制的なものはない。してみれば、近代民主主義の人間観とも異質なのだが、結果的に近代民主主義の自律的人間観に非常に近いところに位置しているということになる。但し、無条件的に自律しているのかと云うと、そうでもないように思われる。いわゆる政治的世間的柵(しがらみ)に対しては自律的であるが、親神の思惑に対しては「一途な聞き分け」を要請しているように思う。ここら辺りが「みき教理の真骨頂」であろう。

 2016.6.27日 れんだいこ拝

【陸軍大将一人出迎え考】
 「教祖とその高弟逸話集」の「初代真柱/中山眞之亮さんのエピソードその2」(天理教赤心社昭和3年4月発行)。
 「かつて某陸軍大将が、信者としておぢばへ参拝した事があった。陸軍大将が正式に参拝して来たのは、その時が始めてであったから、本部の人達は何とか歓迎しなければなるまいと考えて、この事を初代管長閣下にお伺いした。すると閣下は、たとい如何なる位階の方にても信者として参拝するならば、特に歓迎する必要はない、と仰せられ、教務支庁の関係から梶本宗太郎氏一人出迎えを命ぜられた」。

【身分差別無縁の理】
 「教祖ひながたにみる『貧』」(立教百五十六(1993)年五月号みちのとも「教祖ひながたにみる『貧』・再考」池田士郎より)。
 「ところで、教祖は、被差別民衆の視座を具体的に持つことを長男秀司に対してのみ求めたのではなく、自らも積極的に被差別部落の人々との交わりを求められたようである。そのことを伝える伝承がいくつか被差別部落に今も残っている。例えば*地区に住むC・米司翁は、祖母からの聞き伝えとして次のような話を語っている。私の祖母キミは安政5年の生まれですが、その祖母より聞いたことでは、天理教のおみき婆さんが毎月のように、この村に来て人々に話しをしたが、誰も耳を貸さなかったそうです。また、私の家は部落でも裕福な家で、田を四十枚も持っていたけど、おみき婆さんはそんな家には入られずに、こやけ(貧しい)の人々の家にしか入らはらへんかった。村の人は皆な、おみき婆さんのことを狐憑きと言っていたそうです。この伝承を語ってくれた米司翁が、『私たち部落の者は世間の人からまともに相手にされなんだが、おたくの教祖さんはその部落の人間からまともに相手にされはらへんかった』と言われた時、ひながたの『親』の姿が目に浮かぶ思いがして胸が熱くなるとともに私の信仰の姿勢を厳しく反省させられた」。

【仇なしの理】
 「仇(かたき)の者を、仇(かたき)とするやないで。寒い時であるならば、温かいものを拵 (こしら)えて、『まあ、お寒くございますでしょう。これをお召し上がりなされませ』と言うて出してご覧(ろう) じ (ごらんなさい) 。なんぼ仇(かたき)やというても、仇 (かたき)のようにできやせんで」(諸井政一集 後篇 御講話傍聴録十)。
 「勝つも負けるもいんねん通り。 親の仇(かたき)を捜(さが)すには、それどこまでも、日本国々の草の根を分けてまで訪ねるであろう。また、よう/\(漸々) に巡り会いても、勝つこともあれば、かえって返り討ちに遭うこともあり。因縁を切るも、この道理なり」(静かなる炎の人・梅谷四郎兵衛  21頁)。
 お指図に次のような御言葉がある。
 「誰彼(たれかれ)を、仇(かたき)と言うのやない」(明治21.3.22日)。
 「今日は信心、明日仇(かたき)という理。善き理、悪き理、これ一つ聞き分けにゃならんで」(明治26.5.16日)。
 「仇々(かたき/\)の者も皆な神の子供、‥」(明治26.6.23日)。
 「どんな所にをい掛かるも 神が働くから掛かる。なかなかの働き言うまでやない。出るや否(いな)や 危なき怖わき所でも守護するで通れる。何處其處(どこそこ)へにをい掛かりたというは皆な神の守護、どんな所通りて危なき所怖わき所でもなかなかの理なくば通られやせん。逃れて来た所、一寸(ちょっと)逃れることできやせん。仇(かたき)の中、敵の中、剣(つるぎ)の中も連れて通るも同じ事と言う」(明治26.7.12日夜)。
 「不事(ふじ)を待つは悪人や。悪人は仇(かたき)とせにゃならん」(明治32.5.31日)。

 【大意】不慮(ふりょ)の事態 事故、人の不運 不幸などを期待する人は悪人である。悪人は「神の仇・道の仇」と見做(みな)さなくてはならない。
 「将来の理は誠、誠は神が十分付き添うて守りてやろう。これを皆聞き分けて居れば楽しみ。この道は一人や二人三人四人、それぞれどんな事したて何にもならん。皆(み)んな心以(もっ)てすればこそ どんな事も出来る。すれば、どんな刄(やいば)どんな槍(やり)が差し向けようが、どんな敵に向かおうが、皆真実天に供えて運べば、天より防ぐ。天より守る。今日の諭(さとし)は、これより結構は無い程に」(明治33.5.27日)。
 「水切っては中弛(だる)み来る。中弛みしては どういうもの。何でもあの心一つ、めん/\神を怨みて、世上にある。中弛みというは、世上の仇(かたき)に肥(こえ)をするようなもの。‥
人はどうでも、めん/\一人なりと、神一条の道より無いと治めてくれば、神一条の理ある。皆手を打って勇んでくれるがよい/\」(明治33.10.16日)。
 「どんな悪人でも、道から治まったと言えば、世界の雛型という」(明治34.3.11日)。

 【大意】どれほどの悪人でも、道を知り、気付き、懺悔し、心入れ替えれば、世界中の模範的な人間にも成りうる〔から、自分の基準で隔てたり、悪く言うたりしてはならない〕。
 「どんな悪人でも、道から治まったと言えば、世界の雛型という」(明治34.3.11日)。

 【大意】どれほどの悪人でも、道を知り、気付き、懺悔し、心入れ替えれば、世界中の模範的な人間にも成りうる〔から、自分の基準で隔てたり、悪く言うたりしてはならない〕。
 

【恐みなしの理】
 真実に 助け一条で あるからに
 何も恐みハ さらにないぞや
三号77
 日本見よ ちいさいよふに 思うたれど
 根があらハれば 恐れいるぞや
三号90
 上たるを 恐いと思うて いすみいる
 神の急き込み 恐みないぞや
三号102
 内なるハ 上を思うて いづみいる
 恐みないぞや 神のうけやい
四号69
 この世界 山ぐゑなそも 雷も
 地震大風 月日立腹
六号91
 この話し 何と思うて 聞いている
 てんび火の雨 海わ津波や
六号116
 心さい 真実よりも わかりたら
 何も恐みも 危なきもない
六号122
 月日にハ 段々見える 道筋に
 恐き危なき 道があるので
七号7
 人間の わが子をもうも 同じ事
 恐き危なき 道を案じる
七号9
 この先ハ とのよな事を ゆうにもな
 恐み危なき ないと思ゑよ
七号58
 雷も 地震大風 水つきも
 これわ月日の 残念立腹
八号58
 月日より 恐き危なき 道筋を
 案じていれど 銘々知らずに
八号63
 これさいか 確か見へきた 事ならば
 とんなものでも 恐るものなし
八号86
 これさいか しいかりすへて をいたなら
 何も恐みも 危なきもない
九号49
 やれ恐や 聞くより早く もふ見へた
 どんな事ても 油断でけんで
十二号59
 神がでゝ 世界ぢううを 働けば
 どんなつとめも 恐みないぞや
十三号55
 どのよふな 事がありても 真実の
 心次第に 恐い事なし
十四号49
 何もかも 早くつとめの しこしらへ
 親のうけやい 恐みないぞや
十四号90





(私論.私見)