「神の心に隔ては更になし。それ隔てられる隔てられん、隔てんならんの一つの理は 前生種により、一つは我が心にもよる。‥沢山(たくさん)な水にて 少しの濁り水を入りたとて、何處(どこ)濁りたようになし。この水は用(もち)いらりょう(用いられよう/使えるであろう)。少し〈の〉水ならば、少しの濁り水にても、これは一面に濁ろう。この理をよう思案してみよ。心に合わん気に合わんという事は、いつも心に合わん気に合わんと言うて居た分(ぶ)にゃ、いつも心にも合わにゃ気にも合わん。その気にも 心にも合わん處(ところ)だけ除(と)りたなら、心にも合や(合えば)気にも合う。さあここをよう思案して、人の悪きところだけ除(と)りて我が心包み、善きところだけ出して、何事も事治めるよう」(明治20.12.1日補遺
)。 |
「難儀(なんぎ)さそ、不自由(ふじゅう)さそという親は無い。幾名何人(いくめいなんにん)ありても、救けたいとの一条である。その中 隔てにゃならん、隔てられんやならん、という處(ところ)、世上見て一つの思案。この理を聞き分け。一つはたんのう(足納)と。善き種蒔(ま)けば善き芽が吹くも、世上見て一つのたんのうとの心定め。たんのうとの理を持ちて、案じる事は要らん。案じては案じの理を(が)回る。案じは要らん、と、大きな心を持ちて理を治め。善き種蒔けば善き実がのる、とのさしづ、と」(明治21年6月)。 |
「取次(とりつぎ)の理によって働く。天の理や/\と尋ね来る。取次親の使いなら、親の代わりや/\。親の代わりなら どんな仇(かたき)でも、仇(かたき)にして隔てゝくれな(へだててくれるな)。‥取次に委(まか)したら親の代わりや。親の代わりなら隔てゝいかん、隔てしていかん」(明治21.8.6日 刻限御話)。 |
「銘々の親が言うとは思うなよ。世界中の親(月日親神)が言うのや。何処(どこ)に隔てはない程に」(明治21.8.30日)。 |
「神は隔てないで/\。しっかり聞き分け。さあさぁ聞き分け。内も外も同じ理や」(明治22.2.4日)。 |
「内外隔てなき一つ理という。‥さあ内外の隔てはないで。どれから人衆(にんじゅう)寄せるやらこれ知れん。心の理によって、どんな役割するや知れん」(明治22.11.25日)。 |
「神は隔てない。それ銘々心から沸(わ)かす故(ゆえ)、隔てられんやならんようになる。暫(しばら)くの處(ところ)、じい(ジッ)としておくがよい」(明治23年頃)。 |
「これまで皆々どんな事も諭してある。さあさぁ内外の理は、内外の理はない。遠くの事情という/\、遠くの事情も、内の事情も隔てんよう。さあさぁ何ぼ(なんぼ)遠くても、外の事情というのは、話するまでやない。内々も遠くも、内外の事情は要らん」(明治22.12.27日)。 |
「内も外も隔てない。どんな事でも隔ては一つもない」(明治23.6.21日)。
|
「道具でも どんな金高(かねだか)い値打(ねうち)でも、心の理がなくば何にもならん。さづけ(おさづけ)/\のところ、よう聞き分け。日々の席をする(別席を運ぶ)。席をすれば(満席になれば)さづけは渡す。その時の心、受け取る時の心、後々の心の理がある。日々まあ一日の日、結構という理を忘れて了(しま)う。どうも残念でならん。なれど運ばねばならん。そんならその者にはやろう、この者にはやらんというような隔てはない。今貰(もろ)うて直ぐとほかす(捨てる)者でも渡さにゃならん。一時の間、定める心の誠であるから、どんな者でも、こんな者でも心があるから、をやのそばへ来て 貰わにゃならんという」(明治23.7.7日午前3時)。 |
「神の道、上(かみ)の道、一寸(ちょっと)言えば同じ。事情の道とは 世上の道、神の道は胸の道。世上の道はどんな事して居ても、目にさえ見えねば通りて行ける。なれど胸の道は、皆な身に掛かる。道に二つある、世上の道、胸の道。世上の道には、どんな穴があるやら知れん、又(また)剣(つるぎ)があるやら知れん。‥これさえ十分説き聞かせば、どんな事も皆な治まる。‥
親族事情には分かりゃせん。世上には皆な親子兄弟と云うて親族と云うても、兄弟何にも隔てる理はない。どれだけ内々事情、親族事情と云うても、聞いて居るやろう、見て居るやろう、言うて居るやろう。三点三つ立て合い事情、しっかり親族事情
治めてくれるよう」(明治24.1.27日)。 |
「(村田長平、心荒立ち事情願い)さあさぁ一人の心々、今のところいかなる事、どういう事、よう聞き分け。世界へ対し面目やで。これは間違うのや。内外隔てなく、理を諭し、古き事情に諭しある。内々聞き分けてくれ。これまで諭せん理もある。遠く、内々外も、面々事情聞き分け。結構や、楽しみや。日々事情皆な事情、所詮/\前生あちらこちら理もある。これだけの理治まらん、怨み悔み(うらみくやみ)を持たず心だけ改め。いかなるも因縁、早く事情定めてくれ」(明治25.5.20日)。 |
「内々事情成程(なるほど)、内々事情どんな事もあろう。又(また)一つ 思わにゃならん事情あろう。皆(みな)世上一寸(ちょっと)ひながた(雛型)と言う。この事情では威光が付こまい。事情世上皆聞こうと、見ようと、先々まゝあろ(ままあろう/よくあるであろう)。内々日々の處(ところ)多いで大層と必ず持つやない、思うやない。これ思てはならん。これ思うやろ。ならん中こうして来たらという隔てない。あの者どうや、この者どうや、思うな。言うやない」(明治27.5.27日)。 |
「よう聞き分けにゃならん。同じ何人中、この教会やしき中、十人居れば十人、二十人居れば二十人、三十人居れば三十人、どんな者でも区域隔てない/\。こうもして貰わにゃならん。一名〈も〉放っておくことでけん」(明治29.4.9日)。 |
「男女の隔てなく、一時に心澄み切りて通れば、男女の区別はない。‥この道始めたは男か女か。これから悟れば どんな事も分かる」(明治31.3.26日)。
|
「隔てありては当然及(およ)ばん/\。隔てありてはならん。隔てられる隔てる。受け取る事もでけん/\」(明治31.6.18日夜)。 |
「区域/\だけ心を働き、元に区域、末に区域散乱、これは破れ物に物入れたようなもの。あちらもこちら持って歩けば、十の物ありても何處(どこ)へ落としたやら分からん。心を繋(つな)ぎ合い、破れた容れ物(いれもの)に入れたようなもの。物落として知らん。軽々一つ理。これを違う物を隔てる理は
破れた物も同じ事、何處から種を持って出るやら分からん。何名何人ある。この順序隔てなく、よう隔てるは破れ容れ物。これ一つ治まったら、悩みはすっきりないで。‥
第一、隔てるというは破れの元という」(明治31.7.25日)。
|
「このぢばという/\、あちら眺めても こちら眺めても、皆な敵であった。皆な幼少ばかり、これを見て教祖(おやさま)誰に頼り、彼に頼りなき理を見て、たんのう(足納)してくれにゃならん。元から子生み出したも同じ事/\。それぞれ相談/\一つ理。皆な兄何人あるか。聞き分けてたんのう。この兄親一つ理、教祖存命苦労艱難見れば、聞き分け。今日は不自由さそう、難儀さそうと言うのやない。兄親の数を幾人(いくにん)あるか、一つ理見てくれにゃならん」(明治32.12.22日)。 |
「将来の理は誠、誠は神が十分付き添うて守りてやろう。これを皆聞き分けて居れば楽しみ。この道は一人や二人三人四人、それぞれどんな事したて何にもならん。皆(み)んな心以(もっ)てすればこそ
どんな事も出来る。すれば、どんな刄(やいば)どんな槍(やり)が差し向けようが、どんな敵に向かおうが、皆真実天に供えて運べば、天より防ぐ。天より守る。今日の諭(さとし)は、これより結構はない程に」(明治33.5.7日) |
「水切っては中弛(だる)み来る。中弛みしては どういうもの。何でもあの心一つ、めん/\神を怨みて、世上にある。中弛みというは、世上の仇(かたき)に肥(こえ)をするようなもの。‥人はどうでも銘々一人なりと、神一条の道よりないと治めてくれば、神一条の理ある。皆な手を打って勇んでくれるがよい/\」(明治33.10.16日)。 |
「このぢばへ尽した運んだ者 引き出して居る中、高い低いはない。一列隔てないは、教祖の道と言う。高い低いの隔てないは、教祖の道と言う。これで分かったやろ」(明治33.12.4日)。
|
「さあさぁどういう處(ところ)からどんな道が付くやら、遠く近くに隔(へだ)てない、何時(なんどき)どういう道が付くやら知れんで」。 |