【その他埃り五、悪口、陰口、つげ口。小言】 |
その他の埃りその五は「悪口、陰口、つげ口」。次のような教理になる。
その他の埃り六は「悪口、陰口、つげ口」です。「悪口、陰口、つげ口」の埃りと申しますは、***。「悪口、陰口、つげ口」は、いわゆる***の心遣いを云う。これが「悪口、陰口、つげ口埃り払い」の秘訣です。 |
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創象10号「先人の咄」、高野友治「奥野道三郎氏から聞く」 の「人が悪口を言うたら」。
「あるとき教祖は山本利三郎に仰いました。 『人が悪口を言うたら、その者の、後ろ姿を拝んで通るのやで。そうしたら、その者が、こちらの因縁を取って行って下さる恩人になるのやで』。 山本利三郎は、どんな事があっても腹を立てず、その人の後ろ姿を拝んで通っていたのであります。山本には“しま”という女房がいました。二人の間には可愛い男の子がいました。それなのに、どうした気の迷いでございましたか、“しま”は、他の男と割りない仲となったのであります。いつもの山本なら、どうなったか分かりませんが、この時には教祖から、『どんな事があっても腹を立ててはならん』、と教えられていたのであります。それで山本は女房の“しま”に、どうしても、その男を忘れられんと言うなら、その男の所へ嫁に行け。子供は私が引き取り立派に育てる。何の心配も要らん。また心配ごとができたら相談に来てくれ。神の子供、兄妹として、たすけ合おうではないか、と言って別れたのであります。“しま”はその後も山本の所へ、事情があると相談に来ていたそうです。その後、山本は教祖のお世話によって勝山小松と結婚致しました。この人は若くてきれいな人でした。それで河内(現大阪府東部)の人々は、山本は糟糠(そうこう)の妻(貧苦を共にした妻)を捨てて、若い嫁をもらった、と悪口を言っていました。本当の事情が伝わっていなかったのです。明治22年、山本が会長になり、中河分教会(現大教会)設立認可を大阪府へ申請した時、この悪口を投書した者があって、なかなかお聞き届け頂けなかったのだ、と聞かしてもらっています。それでも山本は、教祖の教えのままに通っていたのであります」。 |
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堀越義男「幸せを求めて」131-132pの「陰口、悪口言う人は」。
「増井りん先生が若後家となり、くわえて失明の身上をいただいて教祖におたすけ頂き、子供さんは在るのにチョクチョクおぢばに参り、教祖のお世話をさせて頂いておられた折、村人たちは
、増井の若後家にも虫が付いたとみえ、子供を放ったらかして大和くんだり(大和の田舎)まで行っている。ひどいものや、と噂を流し、先生はいたく悩まれた。すると教祖は先生に、『陰口、悪口言う人は、あんたの前世の因縁を取ってくれる恩人やさかい、後ろ姿を拝んで通りなはれや』、とお聞かせ下された」。 |
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堀越義男「幸せを求めて」89pの「言うた人に傷が残るのや」。
「教祖は、『人の欠点を言うと、言うた人に傷が残るのや。鉋(かんな)の刃が毀(こぼ)れると、鉋かけたら筋が残る。その筋が身上事情となるのやで』、とお諭し下されている。悪口は、刃毀(はこぼ)れの鉋で木を削るようなもので、鉋をかけても必ず削れぬ筋が残る。悪口は、削られない筋のようなものであって、そのところから腐れがくるように、人間の身上事情となって苦しまねばならんとの戒めである。言葉の使い方が分からんから、歯、口、肺などの、息一筋(ひとすじ)の道具に障りをいただく。痔(ぢ)は口の裏口で、みな、口の悪い人がなる病である」。 |
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堀越義男「幸せを求めて」61pの「やさしい言葉 」。
「教祖は寄り来る人々にいつも、『惨(むご)い言葉を出さぬよう、切り口上、捨て言葉、愛想尽かしは、口が腐っても言うやないで』、とお諭し下されている。そして御自(おんみずか)らも、その通りの言葉を使い、雛型を遺されている。吉川万治郎先生が、教祖は天啓の折は、厳としたお声でお伝え下さるが、ふだんは小さな子供さえ腰の周りにまつわり付くような、やさしい声を出されていた、と自らの幼少の折、教祖にお会いして体験した印象を語っていた。温かい所、明るい所、穏やかな所に人も物金も集まり、成育し、栄えもする天然自然の姿を考えた時、教会在住の人の使う言葉は、相手を喜ばせ、勇ませる、やさしい言葉でなくてはならんと思う」。 |
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諸井政一集 後篇 御講話傍聴録 六〕「ほこりの提灯持ち 」。
「教祖様(おやさま)に告げ口する人がござりまして、お家のこと〈や〉、「誰それはどう言うている、こう言うている、とさまざまの事を申し上げた。そこで教祖様(おやさま)仰るには、
『神さんな、そんなこと聞くな、聞くな、と仰るによってな、そんなこと言うておくれるなら、もう来ておくれなえ』、と仰せられて、それからあとで、側の者に仰るには、 『あら、ほこりの提灯(ちょうちん)持ちやで。他所(よそ)のこと持ち込む者は、また持って出るで。中言(なかごと)、悪告げは、ほこりの提灯持ち、と神さん仰るで』 、とお聞かせ下されました」。
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みちのとも昭和2年8月20号、布教要旨十五、春野喜一「ほこりや ほこりや」。
「以前ある人が、教祖様(おやさま)のところへ行って、 あなたのことを陰で、こう言うている人がある、と言われたところが、 『聞くやない 聞くやない。ほこりや ほこりや』、と仰る。 『ある人が陰で、そんなことを言うているのかいなあ、と思うだけでもほこりがかかる。そんなこと聞くのやない。人の中言、言うのやない』、とこう言われて、他人の中言を一向にお取り上げにならなかったことがある」。
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お指図は次の通り。
「さあさぁ罪々聞かすやない。心いずむ。神が乗らん。‥神が踏ん張る處(ところ) 、罪という罪すっきり聞かさんよう。一つの心という、神じゃない、心
人間心に映してある。罪聞かして どうなるとも計り難(がた)ない。思やん (思案)してみよ。僅(わず)かいんねん(因縁)、僅か治まり、雑言(ぞうごん)悪を馳(は)すと言う。一度は許そ。後一つ心許さん」(明治22.9.19日)。 |
「多くの中に世界の道理、今一時、人を毀(こぼ)つでほこりが立つのやで。世上の道が狭く成る。人さえ毀(こぼ)たねば、人の事を悪く言うことはない。人を毀(こぼ)つで、あちらからこちらから人が眺める(ことになってしまうのや)。あの者この者が、何でも実々(じつじつ)の道を通るに、悪く言うたら、善き道とも、たすけ道とも言うまい。日々の道を通ろうと思うては、人を毀(こぼ)ったり、悪く言うてはどうもならん。人を毀(こぼ)って、何ぼ(なんぼ)道を神がつけても、毀(こぼ)つから
道をないようにするのやで。急く事情は要らん。偉い者に成ろうと思うたら どうもならん。皆たけ/\(丈々)の人間。偉い者に成ろうとて一時に成らん。人間一生と言うても、人間の一生の事は急いては いかせん。末代の道やもの。急いては いかせん。天然自然の道に基(もとづ)いて、心治めてくれるよう(明治23.2.6日)。
【註】毀つ ー 壊す。削る。この場合は、人権や個人の体面、名誉、精神面などを著しく毀損(きそん)すること。悪口・陰口、讒訴・讒言ほかの言動。
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「さあさぁ又一つ話しやで。繰り返やし/\くどい話するで。さあさぁくどい話しとんと分からん。何かのところも始め掛ける。古い話から始め掛けるで。初め/\第一初め。不思議普請をするなれど誰に頼みは掛けん。皆な寄り合うてできたるなら人も勇めば神も勇む。不思議普請をするからは頼みもせん。ようようの事始め掛けた。世界雨が降る、難儀や、えらい年やなあと言う。こいら一つの理を思い、よう聞き分け。怪しい話しやなれど、皆なちゃんと寄せて締めて見よ。これからどんな普請せんならんかも知れん。本普請はいつの事やと思う。不思議の中で小言はこれ嫌い、陽気遊びのようなが神が勇む。余儀なきのところだけ済めばよい。するするでは初めの理が失う。神の書置きも反古になる。よう聞き分け。人間心なら人間の理を以てする。心揃うたら手を打つがよい。心に得心が行かねば、三日三夜猶予してあるから、又々尋ね出るがよい」(明治23.6.17日)。
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「心をみな純粋に治めてくれ。陰で言うより前で言え。いかん事はいかんと、影で見て、陰で言わんと直ぐ(すぐ/直接)に言え。陰で言うたら、重罪の罪と言おうがな」(明治23.11.22日)。
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「陰で言うは、十代罪と言う。陰で言うなら、その者直ぐ(すぐ/直接)に言うてやれ。〈自分の〉身のためや」(明治24.1.29日)。 |
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