さんざい(散財)心

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.7日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、お道教理の「さんざい(散財)心」教理を確認しておく。

 2003.7.23日 れんだいこ拝


【さんざい(散財)心論】
 お道教義では、

 御神楽歌、お筆先では次のように諭されている。

 教祖は次のようにお諭し為されている。

 お指図では次のように御言葉されている。

【さんざい(散財)心】
 諸井政一著「正文遺韻抄」(道友社発行)262-263pの「一人さんざい大きらい」。
 ‘’思い事叶えてくれたら、これだけの事します‘’と云うのは、世界並みの悪人でも、そのくらいの誓いはする。神様の御道を聞いた者が、そんな事では助かる事はでけん。しかるに、御助けをさしてもらう者、取り次ぐ者からして、今度誰それは、あれは、あれだけの真実定めたから、三日の中には御助け下さるやろ等と云うて喜んでいる。ちょうど道を知らん者同士が、寄って話しているようなもの。『神が働くに働けん』と仰る。『尽くした者に食べさしたら、内のものは増えるで。尽くしもせぬ者に食べさしたら、減るぞよ』と仰せられた。『助けて貰いたいという心あって、助けたいという心がないから、助かることがでけん。なんぼ話し聞いても、都合の良いことは守る。心に合わんことは、理は分かりながら心でひねり潰しているから助からん。知らん間は許しておくけれど、知りながら守らにゃ、どうあっても許せんで』と仰る。『人は一代、名は末代。こうのう残すで、名という。一人さんざい(散財。金銭を消費、または浪費すること)、大きらい』と仰せられた。






(私論.私見)