【明治37年】お指図2

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.1.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 (9月)
  明治37年9月10日
 深谷源次郎62才、身上願い。
 さあさぁさぁ尋ねる事情/\、さあ身上という、いかなる事であろう思う処、さあさあ段々事情いかなる事情、さあさぁいかなる事情、皆なそれぞれの中と言うであろう。さあ身上に掛かる処、どういう事であろうと思う処、さあこれまでなかなかの道、あちらにどうこちらにこう、皆な自由自在に成り来たる中、ようよぅ聞き分けにゃ分からんで。さあさぁ思うようになりて、もうこれ遠い所/\、それぞれの中、元と言えば、初まり一つである/\。これからの心に理諭すによって、よう聞き分けにゃならん。今一時事情、何が案じる事要らん。これより一つ理諭す。年限追々道と言えば、皆なそれぞれ年限、この二つの理所々に理の元と言えば一つ理、十分の心である。これまでの処、理というは、容易ならん日を通り来たる処は、これ皆な突き止めてあるによって、こうと言う。本部一つに治め。楽しみの中であろう。楽しみの中に一つ、一代の心に忘れようにも忘れられん。これというはこれ、あれというはあれ、皆な成り来たる。この理心に治め、一つ理治めてくれ。案じる事要らん、案じた分にゃならん。これ皆々の心に一つ理も定めてくれ/\。
 明治37年9月11日
 福原惣太郎37才、身上願い(湖東部内筑紫支教会理事)。
 さあさぁさぁ尋ねる事情/\、さあ身上事情尋ねる。さあさぁ尋ねる事情は、余儀なく事であろう。どうしてもこうしてもいかん/\。段々どういう話も聞き取りたであろう。一つ理、身上鮮やかならんから、尋ねる。尋ねるから、一つ事情順序の理諭しおこう。一つ事情よう聞き取りてくれ。さあさぁどうしてもこうしてもと思うは日々であろう。さあさぁ堪えられんと思う心、別段何もどうこうはない。これまでの間段々の道も伝え、いかなる事も十分の心を治め来たる。そんなら身上どういう、又これまで道の上にどういう心も、これだけ運ぶ。いかな事もこういう事であってはなあと、堪えられん理であろう。人間という、一代と言えば頼りないもの。なれど、そうやない。これまでの理受け取りてある。よう聞き分け。世上の理を見て、一つ心道治めてくれ。いかな事もどんな話も、皆々の心寄り合うてくれ。これが道の理である。この一つ事情、一時どうとはないなれど、余程大層。これよう心にタンノウしてくれ。身上事情、これ皆な世界因縁のサンゲと言う。この一時事情余程事情大層。なれど、どうなりてもこうなりても、この一つ理聞き分けるなら、又一時暫くとも言うておく。
 明治37年9月12日
 鶴巻吉三郎38才、身上願い(湖東部内北蒲原出張所長)。
 さあさぁさぁ尋ねる事情/\、さあ身上という、尋ねる事情理尋ねる。さあ尋ねるから、これよう聞き分け。段々どうしてもいかん、こうしてもいかん。どういう事と思う。日々日を段々通り来た。その理尋ぬる。尋ねるからは、一つ又事情一つ理指図に及ぶ。どういう指図なら、よう聞き分けにゃ分からん。さあさあ段々年限重なり段々。さあいついつとても、何とても思い/\、日々日柄通りたる。道という、もうどうこう、これそれ、思う。楽しみの中に一ついかなる事と思う。よく理聞き分けにゃ分からん。何よの事心という理成って、一寸楽しみの中に、又身上不足なる。どうであろうと日々思う。これ日々堪えられんであろう。その又堪えられん中に、一つ理よう聞き分け。人間という、一代と言えば頼りないもの。なれどそうやない。理は末代と言う。さあこの理よう聞き分け。長長道の理治め来たる。日々楽しみ中に、身上に不足なりてタンノウできやせん。なれど、世界の理を見てタンノウという。これまで尽した理は皆な受け取りてある。さあさぁあちらからもこちらからも、どうしてこうして一つ理運ぶ尽す理、日々の処楽しみの理運んでやってくれ/\。まあ一時どうとはない。なれど大層。こんな事と更に思うやない。末代という理治め。これでどうこう道という上に、将来末代の理しっかり定めてくれ/\。又一つ身上不足なりてタンノウできやせん。なれど、世上一つの理見分け聞き分けてくれ。苦しみ切なみの中にタンノウできやせん。なれど、苦しみの中にタンノウするが世上因縁のサンゲと言う
 明治37年9月15日(陰暦8月6日)
 増野道興、昨年東京方へ学問修行に出ました処御詫び申し上げ、本年も再度修行に上京致したく、もっとも在京中に脚気病悩み帰宅後全癒、15日前に左の肩怪我致し居り、再度上京の儀御許し願い。
 さあさぁさぁ尋ねる事情/\、さあさぁいかなる事情も尋ねにゃ分からん。さあさあ人々という小児という、小児にも数なき小児。どうしてくれ こうしてくれ、どうこう一つ心というありて親の心という。どう言うたてこう言うたて。なれども、これよう心得にゃ分からんで。さあさぁ何処にどうして居るも同じ事、無理強ってと言うや、やってもよい。なれども、これ一つ身上に知らしてある。何よの処もどういう事も、さあ行きたいと言うや、やってもよい。何よの事心に十分立ち寄りて掛かる処、行く事要らんとも、行けとも、そりゃ言わん。なれど身上に不足なったら戻らにゃならん。又一つ事情治まりて治まらん。小児一つの理よう聞き分け。指図一つ親の心と言う。事情先に一つ理であるという事、諭してやってくれるよう。
 明治37年9月26日
 仲田楢吉41才、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ身上という一つ事情、さあさぁいかな事情どういう事情、尋ねる処/\、さあ尋ねるから、一つ事情も諭しおこう。さあ心という理治まりなくば、何度諭すも同じ事、兄弟/\兄親兄弟、それぞれ兄弟事情皆々一つ事情、いかなる心もさんげ改めくれ。さあ第一よく聞き分けにゃ分からん。道というもの、何分からいで道とは言えん。道なら道のようなる事分けてこそ、道である。さあ遠からん事やない。古き事やありゃせん。戦場事情一つ、さあ年限は僅かの年限である。それから、よう心、よう聞き分け。間違うから、一つ理速やか、今日の日掛かる。どうもならん。なれど、将来心に改めるなら、身上速やかという。一度二度ならぬ愛想尽かし言葉、身上に掛かりて指図という。よう聞き分け。兄なら兄、姉なら姉、いかなる事も改めさすが兄弟一つの理。外々の心やない、道の上一つそれぞれの心を添え、改めてこう、事情という、しっかりこうと、改めさしてくれるよう。
 明治37年9月27日
 諸井国三郎、三女甲子緑川直次次男忠次郎を養子にとの内談整い居りますにつき、国三郎心得まで願い。
 さあさぁさぁ尋ねる事情/\、縁談一条尋ねる。さあさぁ一時事情よいと言う。どちらもこうと言う。もう又一時事情であろう。事情それぞれの心に将来/\心、この理道という、理一つ心合わせ/\添い、十分日という、十分日である。何かの処、心に委せおこう/\。
 明治37年9月30日
 中和分教会従来植田楢松分教会長たりし処都合にて辞職につき、後担任平野楢蔵に変更願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ尋ねる事情前々事情又前々事情、段々事情、さあさぁ皆々事情尋ね出る事情は容易やあろまい/\。さあさぁ前々事情一つ、又一時事情を以てこうという理尋ねる。尋ねるには、皆なそれぞれ寄り合うた中の理、どうせいこうせい、これがよかろうあれがよかろう、精神皆々の心の精神、心精神、皆々心の精神又々事情、さあ変わる人という、容易やあろうまい/\。一つ事情精神一つ事情、何かの処という、皆々の心という。何であろう/\、何であろうがよう聞き分け。いかなる事もどういう事も、危ない怖わい。先という道は鮮やかという道である。暫くの処/\、十分の保護してやってくれ。いかなる事、精神皆々の心に許しおこう/\。

 (10月)
 明治37年10月19日
 吉岡岩蔵59才、身上願い(兵神部内加古支教会会計)。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ身上事情一つ理尋ねる。さあさぁ尋ねるから一つ、又身上によりて一つ理諭しおこう。よく聞き分けにゃ分からん。さあ身上不足、何でやろうと思う。いろいろ心迷う。長らえての道を尽したその中に、この身上不足。皆なそれぞれの心日々の心である。十分一つ事情諭しおくによって、よう聞き分けてくれにゃならん。さあさぁ長らえての心、どれだけ尽す、これだけ尽した理は、日々皆々受け取りある。理は必ず受け取りある。又身上何故こうなると思うやない。この道という、それぞれに諭する理、よう聞き分け。同じ人間同じ神の子である。難儀さそう不自由さそうという親はない。又これからという中に身上不足なりて楽しみありゃせん。身の内こうなりてどうこう、成る程聞き分け。も一つの借りものという、この心を定めて、苦しみの中に楽しんでくれ。成らんできんサンゲするが、前生よりのサンゲと言う。これ一つよう聞き分け。何でも彼でも一つタンノウしてくれ。一時どうとはない。尽した理は将来末代と言う。この理聞き分けてくれ。一つ理、満足与えてやってくれるよう。
 明治37年10月22日
 富田伝次郎妻たき60才、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあさぁ身上さあ一時事情一つ理尋ねる。尋ねるには、もうよくよくの理であろう。尋ねるは、よくよくの理であろう。どうでも成らんどうでも行かんと思うは、日々心という、一つ理尋ねる。身上不足成る。何故こう成ると日々思う。一つ尋ねるから、何かの理も諭するによって、よう聞き取らにゃ分からん。さあさぁこの道という、容易であろうまい。前々(からの)長く(の)間では、いろいろ一つの理(があった)。年限という理(を)思うて(運び来て今日は)ようよぅの理(となった)。成る成らん(という中)、思うだけの心は尽してある。日々働いてある。日々尽した理は、日々の理で受け取りてある。尽せば尽すだけの理(が)ある。又身上という。心(を)大きい持ってくれねば、発散できようまい。しっかり聞き取りてくれにゃならん。さあ道という、年来に重なり/\、年限の理よりできた道である。さあ何よの事も世界に映し(て)ある。働いた(コウノウの)理は金銭ずくで買えるか。さあどう成る(と思う)。さあ心という、働いた(コウノウの)理(は)世界に現わしたる。身上に不足ありてどうと(思うてはならん)。早く(出直したら)なあと思う(てはならん)。

 さあさぁ身上(について)前生(の事が心に掛かり)人(にん)(の心が)なくなり(て)、こう成るどう成る(ばかり思う)。前々には可愛なあ(と思うた子が出直した)。又候(と)この理(を)心に掛けず、先ずこれから何でもと思う大き(い)心を持ってくれ。さあさぁ何時とも分からん、というような心を持たず、この心に治めてくれ。成っても成らいでも、どうぞして(で)も(教え通りにこの道を通る)という、この心(は)将来(生涯?)末代(の理)という。(この理を)心に楽しんでくれ。満足(を)心に与えてくれ。日々に弱るなあという心を持たず、楽しんでくれ。人間という、一代切りと思うから頼りない。なれど、そうやない。末代という。この理(は)金銭ずくで買われん。これ世界に映し(て)ある。成ろう(と)言うて成るものやない。天然という、この心を持ってくれ。さあ一時どうと(いうこと)はない。なれど、早く(心を)発散/\(するよう)。嬉しいなあと、これを早く心に(治めてくれ)。この理(を心を)、発散して治めてくれるよう。

 (11月)
 明治37年11月2日
 本席、身上御障りにつき願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあまあ一寸身の処、あちらこちら段々さあさぁ何か知らすやらと思う。よう皆々の者も心得てくれにゃならん。時という、今一時の時と言うてあろう。十年以来から、どういう事できるやら、こういう事出来るやらと思う。数年来より仮名な事に、筆に知らしたる。これを皆々よう聞き分け。十年と言うや、一昔と言う日来たる。世間惣々の話し、道から知らしたる。一つ理長い間に皆々筆に取りたる。これを皆々心に理を定めて、心洗い替えてくれにゃならん。時という、旬という、時外れてはならん。そんならどうしたらよかろうと(思うであろう)。(それは)名々(の)精神心にあろう。さあさぁよう聞き分けてくれにゃならん。どうでもこうでも、あらあらの道(は)皆付いたる、細い/\道に(例えて)一寸知らしたる。又ほのかに聞いて居れば、あんな事(を云われる)と言う者(も)あろう。(しかし)台という(事が肝心である)。あらあら年限(運んだ)という日があろう。名々どう成りてもこう成りてもという精神の理(を)、心一つに結んでおかにゃならん。一寸話し掛けたる。これをよう思案してみよ。国のためと言うて、存命果たす者もあろう。又この道というは、尚も心一つに治めてくれにゃならん。よう聞き分け。皆な心一つに持ってくれにゃならん。
 しばらくして
 さあさぁ一言言うておかにゃならん。いずれ成るやろう/\、どうで成るやろうと言うて、成るに決まりたという心(が)皆々の中にあるやろう。よう思案してみよ。時という、旬という。時(という理が)ある、旬(という理が)ある。旬が外れたら、一掛けから組み替えせにゃならん。さあさぁどうでもこうでも、(我が身を)投げ捨てゝなりとも、一人の心にしっかりと(心を)寄せてくれにゃならん。何ぼ(多くの人が)寄っても(そもそもの心ではどうもならん)。一人の心に寄る心(が)あれば、守護という。そこで、いつまでも(定めて通る事は)同じ事である。一つ心を定めてくれにゃならん。さあさぁほんの言葉だけで言うた分にゃ分からん。言葉はその場だけのもの(である)。言葉の理を拵えて(言うた事を実行して)こそ、八方(の人が納得するの)である。(万)人が知る(ようになる)であろう。これも一寸話しておかにゃならん。
 皆々相談して居ると
 さあさぁこの場で一つ理、どうしょうこうしょう理、それは分かろうまい。ちょいちょい筆に取りた処から、談じ合いて定めて、又一日の日と言うて尋ね出るがよかろう。さあさぁ又もう席と言うたら、余程の年であろう。席は機嫌界にしておかにゃならん。又日々勤めというは、勤めせにゃならん。勤めは心の働き、又勤め過ぎて、気を病ます事もある。席は三才児同様にして、ほんのそのまゝ心に委しておかにゃならん。日々勤め、当直/\。それは大切の理。かえって、大切の理気を病ます事ある。心に掛けんようにして、これはこうしてんかいと言う処まで、構わんようにしてくれ。構い過ぎて心を病ます事あるから、あちら畑の端、こちら畑の端、さあさぁ今日もよいかいなあと言うて、あちらへ行けば随いて行き、こちらへ行けば随いて行き、気を病まし心を煩わすようなもの。なれど、心見切りて了うてはならん。前々諭したる事ある。門中は一人歩きさすがよい。日の中というは、構わず、これはこうどれはどう、心に持って、これだけと言う。なれど、夜分は何でも彼でも一つ晴らして、気の休まるという事を、心に持ってくれにゃならん。
 相談の上御願いに出ます。
 さあさぁまあ一言/\、今はどうでもこうでも我が一同、国のため皆々の心を運ぶ。これは十分の理である。又一つ応法心働かにゃならん。なれど、道の理はころりと違う。さあと言うたらさあという心を、皆持ってくれにゃならん。これを、談じ合いの角目に一寸話しておこう。
 明治37年11月5日
 この間結構にお指図を頂きしにつき、昨夜居合わす本部員協議を遂げましたが、何分に目下人少なにて、十月大祭には役員皆本部へ帰ります故一同揃いました上、十分協議を為し御願いに出ますと願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、前々事情一つ諭したる。一つ理十分に諭したる。あちらからもこちらからも、片々の理心に持って居るやろう。十分の理何かの事も一つ理、又一つどうこう中に、これなら/\と意見一つ合わし、皆々の中惣々の中、もう一日の日と思えば、尋ね出るがよい。これ事情諭しおこう。
 明治37年11月27日
 増田亀次郎、身上願い。
  さあさぁ尋ねる事情/\、身上一つ事情いかな事であろうと尋ねる。もうよかろうか/\思い/\処、余儀なく事情である。尋ねるから諭してくれ。いかな事情も道の成り立ちから心の理、成り立ちの理聞き分け。どうせこうせは言わん。一つの心、あちらでもこちらでもと思う処、連れ添う家内、安楽心何不自由なく暮らしたのに思う事情、これから元々心をよう聞き分け。内々何一つ、身上一つ何か一つ、幼少より中、こういう一つの道に心の理、身上切なみ成ったら、これをよう聞き分けねばならん。道の理一代切りと思う。道は末代、人間は一代。安楽一つの理、日々に思う心間違って居る。一つ年限楽しんでくれ。又候こんな事と心を持って、一代の理でない、末代道の理はころっと取り替え。成る程と言えば、神が受け取る。こんな事でなあと思うな。これから楽しんで心という。楽しんでくれ。どんな大きものでもなくなって了う。小さいものでも、成人して大きく成ったものもある。不自由の心忘れてくれ。一時どうともない。精神ころっと入れ替え。しいかり踏ん張って、楽しましてくれ/\。

 (12月)
 明治37年12月14日
 過日のお指図により、一同協議の上第一部下を養成するに対し、以前教会に関係ある本部員整理のためその教会に赴き、関係のなき教会は教長の命により、神様の御許し頂戴の上それぞれ教会に養成するため出張する願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、前々の事情から一つ理を尋ねる事情、いかな事情も尋ねにゃ分からん。さあさぁよう皆々心にしっかりと心に治め。道というものは、成る程という理持たにゃならん。先々と言うであろう。遠く所と言うであろう。人間業でできると思うては違う。人間業でできるものやない。遠き所は遠き所のように計り、一目に見て居る。そこで先々まずどれだけの事になろうという。これを皆なよう聞き分け。(これまでの)一年二年三年(の間は)、皆な(足並みの)揃うた年はない。(しかし)苦しみの道(を)通りてこそ立つ。大きく成る(のである)。これから(は)、大き(い)心を持ってくれにゃならん。(大きい心を)持ってくれにゃならんの処(であるが)、(困って居る者に)一々物を持って行て、どう(する)と(いうこと)はできようまい。そこに一つの情愛という心(が大切で)ある。一人助けたら万人助かるという心(を)持ってくれ。一人狂うたら万人狂う(という)。成らん事(を)せいとは言わん。一人助けりゃ万人助かるという理(を)、心に治めにゃならん。何が違う(というて不足する者が)、幾国(いくくに)(には)何人(か)あろう。(しかし)元一所(から始まった道である)。子供(を)一人育てば皆々育つ。一人潰せば皆な潰れる。

 (この道は)長い道筋の間(に)、年々に寄り合う(てできて来)た(道である)。(こうした話をすれば)変わりた話し、変わりた話しと思うやろう。そうやない。前々から(通りた処の)田の中、野中の事(を)思うて見よ。神は嘘は言わん。教祖存命(ということを)伝えたる。(どうなるこうなるという事は)年限まで切って聞かしたる。これだけのもの(は)、どれだけのもの(が)、(幾ら)金(を)持っ(て来)たて世界に拡げられるような事はない。これは皆な神の守護(である)。(いずれ)楽しみ(の)中(になるという事)も違わん。(しかし)楽の中に苦しみ(がある)という。苦しみの処(を)、通り抜けにゃならん。


 元々から大き(い)ものはない。(しかし)一年は一年、二年は二年、三年は三年の理(が)見えてなくば嘘である。そこで皆々(一手一つの)心を持って、こうもせにゃならん、どうもせにゃならん、と、名々の心に持ってくれにゃならん。時(旬の理を)聞き分けて談じ合い/\の心、水も漏れんよう(に)十分運べば、神の守護と言う。神の守護は珍しきもの(である)。暫くの間(は)難し(い)。困難、道も困難、世界も困難(という)。辛抱という、元の(教祖ひながたの)心(を)見てやれ。これから見れば、どんな辛抱もできる。年々に(事情が)重なりたる。これを、しっかり聞き分けてくれ。皆な成らん中からする(のが)肥(である)。肥というものは、早い目からせにゃできやせん。どんな艱難も踏ん張りてくれ。
 教祖の二十年祭も近づき、表門西へ石垣を築き塀を設け内部の設計致したく願い。
 さあさぁまあどうなりこうなり、これだけどれだけ、どうせにゃならんとは言わん。皆々精一杯にして居る処は見て居る。なれども、年限思えば、もうなあという心あれば、心だけ許す。無理にどうせいとは言わん。時という、旬という、世界から見れば(いろいろ案ずる事もあるが、神は)どんな事も見て居る。成らん事(を)無理にせいと言うた処ができやせん。もうこれだけ(はさして貰おう)と言う(ように)、皆な(の)心(が)、一つの心に成りてくれ。一つに成れば強いもの(である)。そもそもの心(で)は、どうしてやろうこうしてやろう、と言うたとて、できん。そこで暇が要る。もうこれから(は)、皆な心という(もの)は、一人の心にようあれだけの心を揃うたなあというは、世界にどんな事も映る。これをよう皆々の心に持ってくれにゃならん。

 しばらくして
  さあさぁちょと一言言うておく。まあ年を明けたら何年になる。これではいかんというは、十分の心。成るだけ許すと言うてある。なれども、よう一つ成るだけの事、心だけ許す/\と言う。まあ、ちょとの働き/\、日々世界からようできるなあと言う。一つ中にどうであろう、まあ心によう/\と言う。あれかいなあと心に微かにほっと見える。世界の理よいはなあと、そこで一つ夜が明ける。夜が明けたら、そらなあと言う。楽しむ日が、つい見えてあるのやで。これを、ほのかにちょと知らしおく。
 先刻のお指図一人の心から万人助かるという処は、先々担任教師の事を仰せ下されたるものかと申し上げる。
 さあさぁ皆々これ多くの中(に)所々国々という、まあ(その中には具合の悪いのは)あの者かいなあと言う(者もあろう)。所々の理(の治まりには)、そこで心の使い方、心の使い方(が大切である)。但しどんな(使い方)もある。人(にん)と言うたら一人と言う。一人助けたら万人助かる(という)。皆なこれ段々に国々へ廻りて見て居る(であろう)。一人(助ける処)の中に、三人五人も何十人(も助かっていく者)もあると言う。(しかし)その中の(肝心な者の)心(が)散乱の心(に)なって、何ぼう言うたとて(聞き分けできず)、心から(不足の)出る者はどうも仕様がない。今日は西とも東とも分からん(迷いの)心(が)ある。それはその中の理(を見分けてくれ)。苦しんだ者の中に(は)、一人でも誠結んで、聞き分けて居る者(が)ないとは言えん。元一つの心から、どんな者もできる。その心(を)見てやれ、聞いてやれ。これは種に成る程に/\。

 ほんに今までと言う。今はなあ、今はこういう道で(あるので)、今日はどうしょう明日はどうしょうと(思うてもどうもならんというて)、落ち着いて了うた者もある。道に離れられず、道に付いて居た処が(どうもならん)なぁと言う者もある。(しかしどんな者にも)一寸/\と言葉でなりと満足(を)与えば、それから一つ理も分かって来る。成る程という心(を)持ってくれ。あんな者(はならん)こんな者(はならん)と言うて了うてはならん。これがいかんあれがいかん、と言う(の)は、道の疵(きず)(になる)と言う。(それでは)あちらが曇り、こちらが曇りするから、(明らかな道になるのに)暇が要る。折角細道(を)付け(て来た)。これだけこう成る(の)は容易で成るものやない。道のため、今日の日(暮らしも立たず)行かんと言うて(日を)送りて居る者もある。種というは、些(いささか)かのものから大きものに成る。年々に作り上げたら、どれだけのものに成るやら知れん。(これを)しっかりと心に聞き分けたか。
 明治37年12月16日
 本部、節会の事につき一同協議の結果本部長へ申し上げ、本年は日露の戦役にて国家多端の折柄につき、本年に限り節会見合わす事願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\/\は、それは余儀なき事情であろう/\。この世一つ始まりてから、一つ全国に於て大変/\の理、大変というは五年十年二十年やない。これまで段々諭したる。ようよぅの日どうもならん日に及んだる。道は、六十年以来から始め掛けたる。皆な諭し詰めたる。残念/\現われたら、どうもならん日になる、と諭したる。この道月日が出てこゝまで働いたるは、容易の事やない。道という、又一つ全国の事情に於て大変の事、万事助け合いと言うたる。助け合いというは、年々節会という、仕来たるなれども、どうで一つ起りた事は済む日もあろう。そこで、そのまゝこうせにゃならん、どうせにゃならんと言うは、十分の心である。一年大望な事休んだ日というは、余の事で休むのであろうまい。世上にして、それは大望の事と察しるは、それは取次十分の理である。抜け目ないよう。そこで、どうしたらよいこうしたらよい、とは言わん。道にこうしたらよいと言うは、何よの事も願い通り/\、一時の処事情は聞き取りてやろ/\。
 従前の御供鏡餅を十分の一に致し他は金額にして本部へ供える事、本部はその金を以て軍人救護の費に寄贈の事につき願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、まあ道というものは、これは一つ心の道。神というものは何程積んでくれたて、どうとも言わん/\。皆な子供のする事、子供のする事こうしょうというは、親が許してやるが理。よく心に考えてみよ。そこで、尋ねたら、こういう事であった、どういう事であったと、相談集めて、どうしたらよいこうしたらよいというは、年によりて旬によりて、聞き取りてやろ、聞き取りてやろ。
 明治37年12月17日
 寺田半兵衞、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ身上という一つ理尋ねる。さあ身上理尋ねる。容易ならんから尋ねる。身の切なみ事情という、これまで長らえての間、どうこう思う。行かんならん、思い/\の日の処、送る処、日々どうこう一つ、どうもならん。一つ指図、諭しおくによって、よう聞き分け。さあ一人の中やあろうまい。皆々の中、皆々の心というものなくばならん。一つ所理下りたる。容易で成ったものやない。一人の事情で皆々心取り直し、それからと言う。名称というものは、容易のものやない。皆々一つ心に合わしてくれにゃならん。よう思案してみよ。一戸結ぶも容易でできるものやない。台の元を拵えた者、これなかなかの理。それぞれも、この心一つ持たにゃならん。踏ん張ったるも、順序一つの理に添えてくれ。身上どうしてもならん。年限の間身上不足なりてどうもこうもならんが、皆なそもそもではどうもならん。元というものは、金銭ずくめで買えるものやない。真実の一つ心を出し、一つどうこう理を尋ねば、心は勇んで来る。たゞ一つこうのうより、真実の思い立つものやない。よう思案してくれ。一時どうとはない。なれど、何よの処も満足与えてやってくれにゃならん。これを一つの事情に諭しておこう。
 増野正兵衞尋ねに赴く願い。
 さあさぁ尋ねる処/\、一つ話しというは、皆々諭しよう、諭しよう取りようという。道というもの、しっかりと伝えてくれ。それぞれの中も、どうしてこうして、万事の中も治めてやってくれるよう。
 明治37年12月22日
 松村ノブ37才、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ身上という。ならん/\尋ねる事情/\いかな事情と思う。さあ思うは日々であろう/\。どういう事でこうなった、一つ思う。何よ身上、どういう事尋ねるからは、一寸指図に及ぶ。身上どうも不思議、日々の処段々事情思う。何かどうこう分からん。分からんから一つ尋ねる。尋ねるから一つ諭しおくによって、よう聞き分けにゃならん。さあさぁ身上一つ心の煩い、心煩いは何たる事と思う。一時身上どうもならん/\と言う。なれど、身上一つ案じる事要らん。案じた分にゃならん。一つ事情は容易やない/\。何か万事心得のため順序の心得のため諭しおこう。さあ身上から一つこういう話し、何よの処も一つ事情、それぞれの談示もある。知らしもある。身上から尋ねたら一つ指図もあったと、皆々一つ心得てくれにゃならん。諭しおく心を日々の処よう聞き分け。古き事情にも諭したる。頼んで許して貰う道やない、と言うたる事もある。なれど、何年経てど/\心のみ運ぶ処もある。それは一つ事情どうとも言わん。何程経てばとて、どうすればとて、どうもいかん。いかんとて、何も不足言うのやないで。これ年限一つ順序という理待つのが理。どうしてもいかん、あれがよかろう、これがよかろうかと、あちらへ掛かり、こちらへ掛かり、それぞれ思うように行かん。それ身上も思うように行かん。なれど、年限の理追うたる処、心の理定めてくれ。ならんならんどうしてもいかん/\と不足、これよう聞き分けにゃならん。これ一つ諭しおかねば分からん。年来年限何程経つ。いかな事理未だの理、ならん/\の処、これ一つの事情、それは思うようには行かん/\。これ一つよく考えて、何よの処相談一つの順序と言う。
 明治37年12月31日
 増田亀次郎36才、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ身上という。一つどういう事であろうと思う。思うから尋ねる。尋ねるは今までの事情、事情(という)はこれまでの事情日々の処(の)事情、これまでの処(は)、十分に受け取りてある程に。よう心に(タンノウの)一つ理(を)持ってくれにゃならん。尽した理は将来(生涯?)末代という理である。人間というは、一代と思うから頼りない。理は末代の理(である)。これをよう聞き分けて、しっかり治めてくれ。尽した理は、将来(生涯?)末代の理に受け取りてある。(尽した)理(は)消えやせん程に。理は十分の理である。これを楽しんで、一代の理に(現れないからといって)悔やしいと思うやない。これをよう聞き分け。人間というは、早い者もあれば遅い者もある。どんな者もある。これを聞き分けて心に満足せい。タンノウが第一である。これを前生因縁のサンゲと言う。これを聞き分けて、何も思うやない。さあ言葉直ぐに受け取るというは、一つ道の理と心に治めてくれ。これしっかりと心に治めてくれ。まあまぁ暫くじっと。成っても成らいでも、一代の心は十分の理を治めてくれるよう。さあ受け取りてあるで。




(私論.私見)