明治34年5月

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.1.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 (5月)
 明治34年5月4日
 植谷亀吉、身上伺い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ身上に心得ん、いかな事と思う。尋ねるから、諭しおく。心という一つの理、道という一つの理、この一つの理十分運び、親という、段々心を尽し心を尽した理は日々受け取ってある。いかな事で身上心得んと思う心が心得ん。又候/\親共に心を案じてくれる。大きい心に成れ。道というは末代の理。人間一代と思えば頼りない。何をしたんやらなあ。道というは末代の心。道に付いたる。末代の理。又候なあ、又心得んなあ、すっきり忘れて了え。しっかり心を定め。身は一代心は末代。この心定め。親というは艱難の道を通り、理というは末代。又候/\案じ心は持つな。案じた分にゃならんで。しっかり/\。
 明治34年5月5日
 吉岡忠左衞門65才、身上願い(近愛支教会長父)。
 さあさぁ尋ねる事情/\、なあ、さあ身上一つ心得んと、事情いかなる事であろう。身上に不足なりて、どうもならんから尋ねる。尋ぬるから、順序事情諭しおこう。身上何でこんな事であろうという。道という理という、一代と思えば頼りないなれども、一つ道の理は末代の理である。よう聞き分け。所々何も分からず、知らず処から尽した理は、消えやせん。なれど、身上が不足なりて、頼りないものなあ、身上が不足なりて、どうこう、何でなるとは更に思うな。これまでの道の上に、何か順序尽した処、神が受け取りあるで。さあさぁよくこれを楽しめ。又名々は何も思う事ない。又どうやこうやない程に。尽した理は、将来の理末代の理である。これ一つ心に与えて、満足を与えてくれ/\。
 明治34年5月7日
 中西殷及び母みつゑ59才、長男冨9才身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、段々身上事情、又替わり/\、これではと言う事であろう。どれだけの思案。これではどういう事であろう。名々も道という、理という、思う中どうでもならんと言うて尋ねる。尋ねるから一つ順序諭しおこうから、よく聞き分け。こんな大望なる道、皆な心に持って段々運ぶ中尽す中、日々受け取りある。又一つ身上に掛かりて来るは、どういう事である。なれども、よう聞き分け。道の上にある。これよいと思う中悪き事当たる事ある。よう聞き分け。その中に身上が判然せんという。これよう聞き分け。これまで知らず/\前生という心も、一つ心に治め。又中にこれだけ運んで、など、これは更に持つなよ。これ皆な前生因縁のサンゲである。身上不足なりて、タンノウできやせん。なれど、世上を眺め。世上の理にいかようの事もある。案じる事は要らん。一時の処にては、これから事情を思案してみよ。楽しみはこれから。これ一つよう聞き分け。さあさぁ案じる事要らんで。案じた分にゃならん。
 明治34年5月8日
 井上佐市47才、身上願い(水口分教会理事)。
 さあさぁ尋ねる事情/\、どうも心得んと、どうも心得んという一つ事情を尋ねる。さあさぁ尋ねる事情には又一つ諭もしよう。身上がどうも迫る。迫るから尋ねる。これまでどんな事も、どういう事も治まってあろ/\。日々運ぶ尽す。これは日に日に受け取ってあるもの。中に身上どういう事であろうと思う。身上一寸順序大層。一時どうこうはそらない。なれど余程大層/\。そんならどうと又思う。思うやない。よう聞き分け。これまでの道すがらであったら、何としょう/\、段々年限通り来たる。その中、楽しみかと思えばどう、楽しみかと思えばこう、年限の間大望一つ/\治め、一つ/\現われたる理。成る程と言うて、今日の日、もう十分治まり、楽しみ中に、これと成らん中であろ。よう聞き分けて人に一つ満足与えてくれ。三年五年後一つ見れば、大層大望一つ集まって、これ容易で成ったものやない。よう聞き分け。半ばであったら、見ず/\と言う。これ一つ楽しまして、どんな事あろうがこんな事あろうが、尽した理は将来末代の理。この心、楽しましてくれ。心に急えて、早く楽しましてくれるがよい。
 明治34年5月15日
 本席、御身上につき願い。
 さあさぁ段々尋ねにゃならん/\。尋ねにゃならんが、これ尋ねる道理を尋ねて、心という理がなくば何もならん。こゝよう聞き分け。どういう事を諭すなら、皆々日々は道のため一つの理のため、名々それぞれ通りてこれ運んで居る尽して居る。これはよい。一つの中これ前々中一つ時という事も一寸ほのかに諭しある。一日休み/\、又翌る日運んで満足与えて、皆々それぞれの心も休まる。又、今度という一日二日もまだや/\。段々一つ/\理重なれば、一つよう聞き分けにゃならんで。これ/\どうという事を諭すなら道の上(という)。道の上(の事は)は楽々のもの(だけを取って)難しい事打ちやってはならん。又一つ、通りよい道だけ(を)通りて居ては通り難くい道(が)来る。(それでは)一つ道理に適わぬ。これから聞き分け。

 いついつまで親に抱かれて居ては、欲しいと言えば(親が)与える(であろう)。欲しいだけ与え(て貰え)ば、これは楽のもの(である)。親の代わり、(親の)代わり(を)するようになれば(分かる)。名々苦労すれば分かる(ようになる)。又一つ、身上から事情よう放っておけん。日を送れば、どういう事であろう。一つ/\遙々運んで、一日の理に治まりたら、一日の日又遅れる/\。心の理差し入って働かにゃならん。さあさぁ皆な時を以て指図した理もある。又身上から指図した理もある。これまで仇(あだ)な指図(は)してない。間違うた指図(は)してない。なれど、勝手から濁り/\(を)さして通り切ってある。度々(そのようなことが)あって(事情に)及ぶからどうもならん。どうしょうと言うたて、表へ現われて指図する理は、親存命一つ、教祖の理という(理が指図の)中にあれば、(指図を大切に聞き分けにゃならん)。これはどうしておこう、これはこうしておこうと(勝手な心で通りては)、指図に濁りを打つ(ことになる)。濁りを打つ指図は要らんもの(である)。人間の一つの心で、どう(しよう)と思えど、(どうも)ならんで。理をよくこれ聞き分け/\。

 今日まで(の)道すがら(には)艱難苦労(の道を)通りたやろう。これよう聞き分け。通りよい道(を)通りてからは、通り難くい道(は)通られん。幾名何人重なりたとて、一日の席休んだら、満足与える事できようまい。(この道は)通り難くい道から出(来)たもの。よう聞き分け。さあさぁ席と言うて日々の処、事情を運び、それぞれ(に)満足(の)理(を)与えるは、教祖存命の理も同じ事(である)。あちら(の方は)どれだけどうしておこう、これだけこうしておこうと(人間勝手の理でしてはならぬ)。決まってから(は)どうする事もでけん。(指図通り)実地を見て(こそ)一つ鮮やかなもの。(指図通りに現れた)実地から見ればほっと(安心を)したもの(という)。これ一つよう聞き分けてくれ。時を外ればどうもならん/\。一つ/\諭す間に何も彼も定めて(くれ)。世上の道は、あちらにも一寸こちらにも一寸、道がついてあるのや。元々、元忘れては、一つの理を取り返やしのできぬような事できてから、どうもならん。これ一つ、よう聞き分けてくれ。
 一同協議の上再び御尋ね申し上げると言いし時、しばらくして。
 さあさぁまあ数々指図。一寸一つ諭し掛けたら、諭し切らにゃならん。席は三四日前一つ切なみ日も通り、そこで、一日の日も早くという/\。皆々満足を与えてやらにゃならん。今日の日/\、理を以て尋ね出る。身の一つの切なみあれば、放っておくのやない/\。
 明治34年5月17日
 本席、明日より水口分教会へ御出張下さる願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあさぁ段々これまで/\皆々それぞれ理を集まりてこれでと治まる処、又一度という順序心理であろ。さあさぁ事情は許そ/\。
 本部長21日より御出張下さる願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、事情は皆なそれぞれ同じ一つ理、同じ一つ道と言う。皆々それぞれ心に委せよ/\。
 明治34年5月25日
 昨日より本席御身上大変のぼせると仰せあり、御障り中本日朝、増井りん教祖赤衣仕立て下されし事につき申し上げ下され、それより段々御話しありて本部員残らず寄せと仰せあるにより、本部員一同打ち揃い御話し(御敷布団しかず御坐りでお指図)。
 三十八年後は、こんな席へ坐わりゃせん。皆々揃うてくれ/\。まあまぁ遠い所から運んでくれるのは、容易やない/\。さあさぁ話して聞かす。存心心に嵌まりたらよし、治まったらよし。席というもの、どういうものと合点行かにゃ尋ねたらよい。席が同等して話しするによって、聞き分け。分かり掛けるから分かる。元々から席元の座へ直すも理、直さんも理にある。直さにゃ理なきもの。これ心の肚へ治まりてあればよい。心というもの(が神の思わまと)、違い(て)有ってすれば、順序(は)今日限りのもの(である)。こらよく大事の場である。(指図の)聞き損いあってはなろまい、取り損いあってはならんと、これまで指図してある。(指図に)濁り/\(が)付いてはならん。濁りはどうもならん。仕切りて道の理(を)治めて、どうでもという精神(が)薄いから、人の心に流れ(る)。人の心に流れて(は)、この道(が)立って行くか行かんか、よく聞き分け。さあさぁどうやこうやと一つ/\の答がするか、答でけんか。答もせず、席一つの場へ上ぼせんと言うたら、この道どうなるか。これまでどうして通りて来た。よもやよもや、十年後から成って来た道やあろまい。(教祖が)寿命縮めて席に出て働きした(な)らこそ、世界やれやれと目(を)醒ますようになったもの(である)。教祖存命の間から年限(は)幾年経ったか思案してみよ。さあさぁどうやこうやと一々の答(を)してみよ。いついつ(は)こうであったと(いう処の)理(の思案)がなくばならん。どうもこうも理が戻し(ている)。指図を砕き(ている)。何よ(の事も)人間心(である)。人間心で(は)どれだけ掛かったかて行かせん。日々どうして(も)行かん、こうして(も)行かんと思い/\の心(で)、ここまで(日を)送りて来た。今日の日言葉添える(の)は、もうどうもならんから(である)。もう一度見捨てゝおいたなら(どうもならん)。一時の水が出て来てから(は)どうもならん。一時の水(は)防ぐ事(が)でけん。(どうも)成らんから、これ一つ(の)ふし(を)以て旬(を)諭す。諭すから答して、これより指図違わん違わんと、皆んな惣々分かれば、何とか申し上げるがよい。
 会議致しますから元の席に御直り下されませ、と申し上げ。
 さあさぁそうして皆んなが心を合わせて、こうと言うは道理であろ。一人でも精神なくばならん。怖わい処探りてなりても、夜に忍んでなりとも、精神万事の処成って来たる処から見れば、無駄あろまい。無駄あってはならん。指図に無駄あろまい。一日の日を踏み留めてみよ。踏み留めてくれるがよい。
 相談して心を合わせて御詫び致します、と申し上げ。
 さあさぁなあこうして、皆なと/\同等で話し、押し掛ける話し掛けたら、一日の日を以て集まったも同じ事。今日まで教祖存命(の理を聞かしてある)。教祖日々(席に)入り込んで話する。理は軽軽しい事やない/\。(教祖のひながたを)十分思い、日々心を和らげ、どんな者も頭並べ、頭揃えて通りて来た(の)は、今日まで何年以来(になるか)。(それは)教祖存命(と)同じ事(である)。どんな者でも同じよう(に)、心だけ日々受け取って、日に/\話しする(の)は教祖存命(と)同じ事(である)。(それを)元々の心にて指図ない(な)げな、席変わりた(ということは)、どういうもの(であるか)。(それでは)一日一時(の理が)どうなる。明かい道(が)暗い道になって了てはどうなる。そうなってから(は)どんな事(を)したとてあかせん。教祖存命(の理を)一つ治めさした(の)は容易(のこと)やない。これしっかり聞き分け。又、席どういう処からでけたる。毎々聞いて居るなれど、元々という処分からん。ほんの軽々しう思て、屋敷に居る者やと。その日来たら、ほんになあ/\と言うような事でけてから、どうなる。日々世界(で)天理教(は)ほんに偉いものや、と言うようになった(の)は容易(でなったの)やない。内々から元の事(を)掴まえどこ(の)ないようになってから(では)、何と沖へ突き流されたようになってから(では)、どうするか。何の理があるか。よう聞いておかにゃならんで。さあさぁこれどうや心に嵌まるか心に治まるか。
 相談致しまして申し上げますと。
 さあさぁ皆々心さえこうと言えば、こうであろう。今日という、今日は皆々同等席するは、よく聞き分け。今日までは、どういう事もこういう事も、皆な見遁してあったのや。指図/\用いらんものなら、席は要らんもの。(この道は)世上(から見れ)はどういう事(であろう)。(この道は)第一小さいようなもの(である)。小さいようなものやなれど、その小さいものが大きい成ったもの(である)。(この道は)何処の国にも彼処の国にもあったものやない。神が入り込んで教祖(を)教えたもの(である)。その教祖の言葉は天の言葉や。どうやろこうやろうと(云うことが世界の人々に分からぬ中に)、そこへ教祖(へ親神が)入り込み、天より直ぐと映したのや。今日無駄にしてはならん/\。真から無駄にする。これまで聞いて居て、治めさゝんが今日の日になったる。第一一つ世上へ人々へ守り渡す。悪難除け。これ分からん。勝手にして居た。それより段々改めて、教祖しっかり渡し授けたる。これ小さいもの。小さいものが何程大切とも分からん。改めて一つの理、とんとどうならん。一度はそこえ/\と言うたもの。又勝手にしょう/\。これ第一いかん、第一ならん。この勝手一つ、又、何よしてからこう、これもいかん。これもと金銭づくでする事はどうでもなる。なれど、心を養う理は、金銭ではいかん。これしっかり聞き分け。勝手はならん。金銭ででける事は小さい。金銭は構わんようなものなれど、それは皆な道からでけたもの。道からでけたものなら、それはそれの運び方も、それぞれ心なくばなろうまい。
 皆々へ話し聞かして、と申し上げ。
 しっかりと言い伝えにゃいかん/\。何も知りたる者やない。大き所へすぼっと入って、十分心を自由自在してるだけの者。これこれなあ、ほのかに聞いて居る。最初はほんの破れ家の草原同様の処から、十分心に楽しまして連れて通りた席やで。席が言うのやない。よう聞き分け。裏は鍛冶屋、表大工。鍛冶屋、大工、柱にして、今日の日まで上ぼりて来たわい。真柱は鍛冶屋、そこで真柱、表大工、皆んな筆に残りある。又一つ、止めに出てあろうが/\。なかなかこれ三十八年以前、九月より取り掛かり、十分一つ道(を通りて)よう/\仮家/\(できあがった)。仮家は大層であった。一寸節(が)あった。皆な退(の)いて了た。大工一人になった事思てみよ/\。八方の神が手打った事(が)ある/\。八方の神が手を打ったと言うてある。それより又一つ/\あちらからこちらから、段々成って来たる間、丸九年という/\。年々大晦日(おおつごもり)という。その日の心(という)。一日の日誰も出て来る者もなかった。頼りになる者(も)なかった。九年の間というものは大工が出て(来て)、何も万事取り締まりて(くれた)。ようよぅ随いて来てくれたと喜んだ日(が)ある。これ放っておかるか、放っておけるか。それより万事(大工に)委せると言うたる。そこで、大工に委せると言うたる。これが分からん(のか)。さあさぁこれだけ話したら、これがいかんどれがいかんと言えば、一つ/\この場で述べてくれ。よしよし、強ってどうせいとは言わん。席これだけあったら日々満足働かしたる。出て来る者十分取り扱いせにゃならんと心に持って、今日までの日は通りて来たる。これで、席は十分タンノウして居る/\。
 守りの処よく御話を致しまして、押して申し上げます。
 さあさぁ守りという話しが一つ(ある)。これがきっしり決まるか、勝手(に)するか。勝手(に)すると言うのなら、言うて了え。指図は要らん/\。これしっかり伝えてくれ。一つこうやどうやと席直らして、しっかり聞き取らすがよい。
 明治34年5月25日
 本日昼のお指図を申し上げし時、続いて御話しになり。
 さあさぁもう一声/\、さあ筆にそれぞれ写しおいたる。万事道理を話さにゃならん。数々筆に誌して、一つの理取り計らい/\。今日までは顔見てほっと思い、人を見てほっと思うようでは、とても/\いかん。どんな事あろうが、道は聞き取りて諭しする事できようまい。人間何程皆な結構思えど、これまで段々こうと言えば、世上へ種を蒔き掛けて、段々自由という。元々指図心は合わず持たず、指図は何度の指図も違う指図してない程に。十のものなら二つぐらいしか用いてない。その中踏み留めできん/\。こうかどうか筆に十分になって、それぞれ峠越せん/\。一つの理赴く事がでけまい。第一理を諭しよう。どんな事でも、内から指図するのやない。これが分からん。内から指図一つも要らん。よう聞き分けば、鮮やか。席が(教祖の)存命理を負うてさづけ(が)ある。(指図を)人間(の)理と思う(て)は違う。紋型ない処から、こういう所がでけて来た。よう聞き分け。さあさぁようこれ何よ一つ/\筆に写してくれ/\。詳しう筆に写してくれ。道は、そもそも写しては、後先に成ってならん。鏡屋敷という。世上皆々心立って来る立って来る。来れば日々鏡屋敷/\。鏡屋敷なら、鏡屋敷のように通らにゃ鏡屋敷と言えん。十分いかな道も何でも彼でも立てにゃならん。進めにゃならん。どうでも付けた道緩まんよう、改めてくれにゃならん。話し合うていずまんよう、一つ/\運んでくれ。さあさぁどうでもこうでも鮮やかならん。どうでも月が重なる、年が重なる。善い処の理は、花咲いたようではならん。真実根には花咲かさにゃならん。世上から何を楽しみに出て来る。教という、何よ見習いと言うて来る。何よ見習い/\、何を見習うて居るぞや。さあさぁ見習いというものは難しい。見習う程難しいものはない。見習いは、元鏡屋敷の心をそれぞれ心見習いに来る。心に一つどうでも、何処へ出そうが彼処へ出そうが、言葉の不足思わさんようにするは見習い。これ変わらん。これが分かるまい。さあさぁ日々別席/\授け一条の心に治めて、見習い教えの理、何の用もなくば、見習いという理にならんで/\。さあさぁ人に満足さすは、見習いである/\。満足指図では、見習いとは言えまい。さあさぁこれこれよう思案してみよ。皆なこうして屋敷取り扱わして居る。国々所々名称/\、取締あろ。何よこうと思えばこう、こうと思えばその一つの元から、よく改めにゃならん。十分改め。言い難くい一つの話し難くいようでは、何をしてるものや分からん。これ第一である。さあさぁもう数々、それぞれ言葉言えば、こゝそこ言えば、指図及んである。談じ合い、いかな理も改め。存心理が治まったら、何も言う事は要らん。さあさぁまあ変わらんが親/\、日々早く見たいと思えば、皆々改めて、一日やない、一夜の間改めて、万事諭し難くい所へも、早く運ばにゃなろまい。一日よい又一日よい、二日よい、四五日、それから向こうはどうなるぞ。これが第一の理である。さあさぁあらあら諭したる。あらあら諭したる処、承知できるか出けぬか。一日一夜猶予として一つの理改め。皆な治まるか治まらんか。取次という、皆んな一つの心にあろう。
 明治34年5月26日
 前お指図より本部集会又教長へ運び致し、その趣を本席へ申し上げて御詫び致し居るところ、俄かに御話しありし角々(平野楢蔵、桝井伊三郎、増野正兵衞三名運び)。
 何にもわしがどうこう言うのやない。指図守らねば要らんものと言え、と仰せらる。一昨日の朝(本席の)身上悪いのに、守りをしに来てくれ、来られねばこちらでしょうか(というたであろう)。(本席の)身上ある時は、一日でも(日を)延べてとも言うのが当たり前であるのに、来られねばこちらでしよ(う)と言うようでは、理を守りて居るとは言えん。何か、針芯(は)取りを縫うて(居ると)言うように思て(いて)は、違うぞ。人の出世を怨むようでは違うぞ。人数委すと言うが、委せてこうと言うなら、三名に委せおこう。針芯という名は誰が付けたるか。教祖が付けたるか、席が付けたるか、皆な(が)寄って付けたるか。答えてみよ。
 明治34年5月26日
 午後6時5分、一昨日24日よりの事情については、平野楢蔵、増野正兵衞、桝井伊三郎の三名教長へ運び、教長27日より御運びの席に御出まし下さる事、本席へ申し上げし処、本席より御守りは如何にと仰せられ直ぐ教祖御入り込みにて大声にて。
 守り芯、針の芯というは、二代(の)席が決めたか。相談にて決めたか。教祖存命中に授けおいたる(ものであろう)。三名の者聞いたか。さあ、しっかり聞いたか/\。
 押して、教祖存命中に結構に聞かして頂きました理も御座いますのを、一々役員に伝えては御座いませんので、是を皆々へ伝えさして頂きましては、先楽しんで一同働かして頂きますよう致しましたら宜しう御座いますかと願い。
 さあさぁどういう理(も)こういう理(も)、皆んなこれ先々に諭してある。一時(に)どうしょうこうしょうと言うた処が(どうもならん)。時という、旬という、年限という、旬という。十分何でも彼でも、長らえて(の)道(を)聞き分け。これが天然である。成る事なら、何処まで(も)一つの事(を)一つの理(を以て運んでくれ)。神はたゞ助けたいが理(である)。難儀さそう、不自由さそうという親(が)有るか無いか、よう聞き分け。存命の間、どんな話しも伝えたる。これ聞き分け。どんな事も皆な成るまで分からん。こらどういう花や、どういう実やと(というて)聞かして、(今日まで)立って来たる。なれど、実がのるまで分からん。(しかし)聞いたる事は、(でき)立って来るが理である。よう聞き分け。
 又押して
 さあさぁよう聞き分けにゃならんで。さあさぁ先に一つ理を話した。これはどういう色、こういう色言うた処が、分からにゃ何も分からん。心に楽しみの理、いつの日から、分からん日から通りた。何処に実がのるやら、彼処に実がのるやら分からん。心の理として楽しんだ。惣々である。強ってどうしてこうしてと言うた処がならん/\。皆な日という、旬という。これを一つ待たにゃならん/\。これ聞き分けにゃならん。
 明治34年5月28日
 東分教会より本席を水戸地方へ招待につき願い。
  さあさぁ尋ねる処/\、さあ遠くも厭わず、遊歩こうしたらなあというは、タンノウする。元々の理一時の処身上の理がある。もう四五日の処じとそのまゝにして、順序という、日鮮やか諭する。





(私論.私見)