明治24年1月

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.27日

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 (1月)
 明治24年1月6日
 加藤徳平娘よそ19才、身上につき事情願い。
 さあさぁ尋ねる処/\、まあ一寸分かり難ない。なれど、内々の処にてこうという処、暫くおいてやるがよい。さあさぁ堅いようにありて見難くい処がある。成らんから思い立ったる理は、受け取らねばならん。成っても成らいでも、という。それから追々の事情、はあと思えば又順々明らか。これだけ諭すによって。
 押して願い。
 さあさぁ前に尋ねて、前に指図という。一寸の処は見る処に、今と言えば、心がいずむ。そこで、心分かり難ない。内々の処にて、事情皆な同じ事。大層運んではいかんで。
 明治24年1月7日
 増野正兵衞足の痛み全快せず、小人道興機嫌悪しくにつき伺い。
 さあさあ尋ねる処/\、身のところ長らくの処、一寸一つの理、どういう事速やかならんと思う。よう事情聞き取って記し/\おけ。一つ小人身のところ心得ん。身上一つ/\尋ね/\、どういう理も聞き取っておけ。一つ指図よう思案してくれ。何が違う、間違うとは言わん。身のところ不足なって良きかと思えば、一寸差し掛かって大層事情運ぶ。日々心に掛かる。内々よう事情聞き分け。一寸掛かりどう成ろう思案ある。思案/\名々それぞれ第一の事情、十分の理を以て、これまで一時大層心に掛かる。よう心に掛からんよう。心に掛かれば理を替えて案じる。紋型なきところ聞き分け。内々十分安心持たす。多くの中の数ない中で、名々大層、紋型なき処から聞き分け。案じる処なき、見定めて一寸案じる。よう何にも談じ柱、相談柱、心一つの理を以て何にも案じる事はない。一年経てば一年、二年経てば二年、一時蒔いた種生やす。生やさにゃならん。案じなきよう。そこで身の処、先々の処、一時聞き取ってくれるよう。
 明治24年1月7日(陰暦11月27日)
 五年祭につき、教祖の御霊舎を新造御許し願い、又御居間へ御簾掛ける事、机の新調の儀併せて御許しの願い。
 さあさあ尋ねる事情/\/\の処、どうしてこうしてと思う。思う処まあ一寸ほんのざっとにして、何程大層する事は要らん。これがきっしよう、どういう事、こういう事思う。何も別段大層の事は要らん。元にひながた通り/\、変わった事は要らん。一寸前々祀り方どうもならん。社という指図を以て、雛形生涯定め、雛形通りして諭してくれ。きっしようの事、これだけ一つ運ぶ。そこで尋ね、尋ね通り日々の処治まり一つ社一寸雛形、この雛形出たものでないで。雛形通り何処まで違わん処/\、雛形通り治めてある、仮社治めある。風の変わってある違うた雛形。一手雛形道があれば一手雛形、振り変えば雛形と言わん。あちらこちら心の雛形出して、雛形/\変えて、いかなる理も治まりあろうまい。日々尋ね、日々諭しよう。これまでふあ/\というもので心という。この道一つ変わった事すれば雛形とは言わん。世上という、風の変わったものはないか。雛形とは言わん。
 同時、御面を新調する事御許し下されますや、修復をさして頂きますや願い。
 さあさあ元々一つ元々尋ね、指図しよう。古き物は損じてあるなれば仕替えとは言わん。要るべき物はそれぞれ拵えにゃならん。一寸不足なったらどうもならん。そこで要らざらん事は一つも要らん。
 明治24年1月8日(陰暦11月28日)
 朝、こえのつとめの願い。
 さあさあつとめの事情、まあ当分の処、事情諭しある。学び何かの処、日限の処諭してある。ひそやか。
 押して願い。
 さあさあひそやか/\。つとめしたから効く。第一の処助け。をびや一条、一年と日が切ってある。そこまでの処。
 明治24年1月8日
 朝、網島天水組、集談所の願い。
 さあさあこれまで段々どういうこういう事、一度ならず二度ならず、諭してある。随分どういう事も、こういう事もせにゃならん。どういう事も、どういう事も狭くてならんという指図。何かの処許す。心おきのう事情計るがよい。
 明治24年1月8日
 朝、寺田達之助、身上障り願い。
 さあさあ尋ねる事情、尋ねにゃなろうまい、どうでもなろまい。どういう事である。日々のところの事情、日々に忘れられん。よくよく事情聞き分け。どうなろうという心持たずして、日々の理である。よく聞き分け。どういう事、こういう事情、日々心に持たず、成るべく/\一条始め掛けたる。何たる事情持たず、どういう事情、こういう事も先々心まで計る、余儀なき事情ある。どうしたらこうした、先々案じなきよう、事情治めくれるよう。放っておく事もなろまい。内々事情ある、先々名々家内治めてくれるよう。
 同日、寺田半兵衞、おぢばへ出る度に腹痛むにつき伺い。
 さあさあ身の内の処、どういう事である。どういう事と思う。又道々いろいろ心得ん。いついつ思う事情聞き取って、あちこち事情運ぶ。速やか事情なくば事情運ぶ事なろまい。一度二度いついつ事情、どういう事と思う。どんな事も聞き分け。内内事情に戻る事情心得ん。思案つくまい。諭する事情何の事情もなき、他に見る世界に見る。治まりある心得ん。身の内貸しもの借りもの諭し、名々よくよく事情諭し、よく治まってある。軽き処に何の事情鮮やかの事情分かる。辺所何たる、よく事情を諭して治めるなら直ぐと治まる。
 明治24年1月8日
 井筒梅治郎息女二人、同じ障りにつき願い。
 さあさあ尋ねる処/\、小人の処、身の障りがあって一時どういう事である。何が間違うてある。発散どういう事を諭す。分からん/\。分からんから尋ねる。一つ実際一日のところ、なれど身のところ随分速やか尋ねばなろまい。事情聞き分け。どういう事こういう事、真実一つの理というは、合うか合わぬか一つの理。身上一つについて一つの話し。何が間違う、どうなる事情、何にも間違いはない。これから先成る成らん尋ねたら、事情諭しよう。真実一つの理があれば治まる。真実どんな事も尋ねられん。どんな難しい事、ろくに見ても、多くの中、その中、世界の中、それそれの理も治まりついた一つの理。どういう事こういう事、一度の理が又一つ、どうなりこうなり始めようか、それぞれ談じ合い、よく理を聞き分け。まずまず十分の理が治まろうとも、一つの理という(ことを忘れてはならん)。多くの中の理(には)、名々の理がどういうもの(であろう)と思う。元々因縁元々の理、五十年の理を聞き分け。又順々一時の理、一時に治める。これまで外に事情思わず、穏やかに治め掛かる、治め掛ける。それぞれ一つ話し伝え合い、順々の理も、いかなる理も治める。これよう聞き取ってくれるよう。
 桝井伊三郎、押して願い。
 さあさあ尋ねるであろう/\。前々以て一つ身上、何から諭しおいたるところ、名々まずまずのところ、一つの印し、小さき処の理急くであろう。尋ねるから諭してある。談じ合いそれぞれの理は急けど、一時事情は急く事要らん。一時十分一つ時に理を許す。長らえての道/\、深き事情どういうものであろう。親という理になって、どういう事もこういう事も親に計れば、一寸に理を聞き分け。十分子が成人する。親々の理子にある。子に真実誠あれば理がある。古い者は親ともいう。親の理が治まらん。どういうものである。古い程難しい。本部/\、本部/\の理を聞き分けたなら、長らく年限の間、この年限から一つ所/\始め掛け。一っち古い所、をやの理失うにも失わん。このぢば本部や。古き親なれば十分の理がなければならん。
 又、桝井伊三郎、出張の事押して願い。
 さあさあ親々の元々の理、親々の理を諭し、十分の理を諭してくれるよう。
 明治24年1月8日
 梅谷たね、身上障りにつき又小人たか及びとみゑ以上三名の願い。
 さあさあ前々以て事情諭したる。一人家内、大きい、小さい、段々事情に心得ん。どういう事である。尋ねる事情聞き分け。年に取って一つの事情諭しおく。吉き今度の年という。案じ/\の年じゃなあという。この二つの事情悟って、一つにはっと思う。吉いと思う。はっと思う理を聞け。晴天という、曇るという。晴れるが晴天。人間事情、大き小さい事情、理は一つで治めてある。この理すうきりというはいかん。悪いという、案じる年吉い。たゞ一つの心に治まれば結構という。応法の理、一つの治めよう、一寸に行けやせん。思うように成らん。何にも/\成らんのやないで。十分に成ってある。どうしてあるで。家内それぞれ伝え。頼もしい心を定め。どうして一つの道は通り難くい。通り難くい道を通れば、後々良き道という。
 明治24年1月8日
 板倉、身上願い。
 さあさあ尋ね一条、身の処心得ん。定めならん。身上一つ心得ん。長らえて尋ね、一席了い、後改めて一席尋ねるがよい。
 改めて願い。
 さあさあ尋ねる処一席事情別々事情諭し、よくよく事情聞き分け。それぞれ事情諭しおく。一寸前々明らか事情通り、一つどういう事であって思う。道がない。どういう理であった。指図の理は違わん。指図はどういう事であった。皆な思う処、それぞれ運んで一つの理、無駄/\の理であろ。どういう理であろ。力を添えてどういうものである。これを悟り、内々他多くどんな理もあろ。よう一名一人の理で行こうまい。前々一つの理、無駄/\の理明らかな、名々心得ん理が発し、世上一つの理を聞いて速やかなれば、違う諭はない。名々思惑、どういうものである。よう事情聞き分け。どちらへ向けようこちらへ向けよう、段々古き事情、古き事情には善き事もあれば、幾名何人事情諭し第一親と見たで。どんな事も善き事に止めまい。あさと言えば、親でさいない。ないものがどんな事も被かにゃならん。親の役ならどんな事も被かにゃならん。善き事も被くが親の役。心の運ぶところ優しき心を運び掛け、旬々の事情は越やさん。よう聞き取って、急く心は更々ないよう。一つには思惑の理通そうと、早く/\理がある。急いでならん。古き道に、どういう事もこういう事も古きの理に止まる。名々親という心に持って被き一つの理さえ、又々の道も鮮やかであろ。どういう事被いても、旬々の道さえ来たなら思わく通り運ばす。互い/\の心にどういう事も思うた心もあろ。どういう事も被き、又助け一条のため、どんな事も聞き分けてくれ。又旬々の理は越やさん。どんな日もどんな月もどんな年もある。又々明らかという。それぞれ談示してくれるよう。どういう事こういう事も急えてはいかん。身に案じは要らん。難しい事も聞かにゃならん。親という心を持って被らにゃならん。思惑、苦労すればいついつの理に長らえて、結構早く見たとて、身上一つなくば楽しみあろうまい。その場/\の人、旬々越やさん。どんな事も神の守護見ようまい。身上の理があれば、理で分かる。身さえ適えば、難しい指図諭し思う。難しい事はない。他を見てどう思う、どんな事も被る。一つの心をやつし、どんな事も楽しみ。親の理、この理を諭してくれるよう。
 明治24年1月10日
 神戸春野利三郎妻ウノ、身上大層なるは増野正兵衞及びいと身上を春野の内々の者案じるにつき身に掛かりしものなるや伺い。
 さあさあ尋ねる事情、名々事情さておき、名々それぞれ事情、要らざる理を拵え、明らかな理を諭してくれ。
 同時、今一度御助け下されますよう願い。
 さあさあすっきり洗い替え。名々いついつ先々、それぞれいついつ頼もしと言うなら暫く踏ん張る。
 同時、正兵衞、神戸へ帰りまして運び致したきにつき御許し願い。
 さあさあ心に掛かる。それぞれから事情分からんから身に掛かる。互い/\一日の日、速やか理があるなら速やか。名々心に渡る。又々それぞれ理に渡る。互い互い諭して明らかという。
 同時、余人を以て運んで貰いました方宜しきや又は自身運んだ方宜しきや伺い。
 さあさあ余人/\まで、余人を以て諭するまで。人々人間の事情、因縁/\の事情、因縁返えし/\成る程遠く因縁事情を以て因縁。又々先々因縁。住むも因縁の所、一つも因縁。これをよう諭してくれるよう。
 明治24年1月10日
 桝井安松、目の障りにつき願い。
 さあさあ身上の処から尋ねる。どういう事を知らす、諭す。早く/\聞き取れ。一時とは言うまい。今日からとは言うまい。暫くの処という処、一つの理を以て身上速やかなれば一度の理、生涯の理。事情早く内々談じ十分の理試してみよ。
 押して願い。
 さあさあ身の処治まる処奇に思う。身上一つの理があって尋ねる。一つの理生涯の理と指図しよう。どうしようこうしようと思えども、人間心ではどうも仕様がない。この理だけ諭しよう。
 明治24年1月13日
 飾東支教会、開講式1月19日、20日(陰暦12月9日、10日)の願い。
 さあさあ尋ねる事情、日限は十分許す。さあ他に事情以て願う処、どういう事も、こういう事も、先々聞いても居るやろう。代理を以て一つの事情、代理を以て願うなら代理で許す。
 御名代の願い。
 さあさあ代理一名二名なら、それは十分許す。何か事情心おきのう。
 両日御神酒御供を出す事。
 さあさあ尋ねる事情、これまでの処、それぞれ順席事情運ぶ処、心だけ十分許す。月次祭陰暦一日御勤の願い。さあさあ尋ねる事情/\、所々一つ/\事情、一日の日定め、一つの理尋ねる。心おきのう十分に許しおく。皆な一つの集まる処、掛かりはどうであろうと思う。万事十分の理速やか事情許す。
 説教日毎月10日、20日の願い。
 さあさあ願い通り速やか許そ/\。
 明治24年1月13日
 上原佐助妻つね及び長男義彦の家内中の願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、身上の処にて心得ん。内々に皆な心得んという。心得んやない。一つ諭してやるがよい。所に一つ道/\のため、道々のためどんな事もこんな事も案じる事はない。要らん事に案じる。余儀なくの事情であろう。なれど心に思えば身上に掛かれば仕様はない。身上の処より、何でもぢばへ出てと思う。ぢばへ出てと思う理は十分受け取る。なれども急く事は要らん。身に不足なりてはどうもする事もできん。心に一つの事がある。名々の心に掛かるなれど、はくにはけようまい。はけんから身に掛かる。身に掛かれば、どうも仕様あろうまい。この理を諭してやれ。この理悟れば身は速やかと成る。
 明治24年1月13日
 村田、願い。
 さあさあ尋ねる処/\、それぞれに思案落ち着き、これまで諭してある処、これだけの理を運ぶよう。心通りに委せておこ。
 井戸につき伺い。
 さあさあ尋ねるところ事情は、許そ/\。願い通り尋ね通り許そ/\。

 押して伺い。
 さあさあ身上に障り、どういう事情であろと思う処案じる事は要らんで/\。今一つ案じなきよう、事情は心おきのう、身上は思惑通り運ぶがよい。これまで運んでした処、案じる事は要らんで。これまで諭してある。どうしたこうした心一つ、さあさあ大層は要らんで/\。事情に心思惑運んで、一つ尋ね出し、これまで運んだ一つ/\の理が見える。何ぼ運んでも、忙わし/\てどんならん、というようになる。そこで心通りという。案じてはどんならん。
 明治24年1月13日
 郡山分教会、山城講社取り堅めの願い。
 さあさあ尋ねる処、さあさあそれぞれに心寄りたる処速やかという。それぞれの道を以ちて又々諭し、一日二日事情は、暫くして又追々として諭してやれえ。どんな事情あるとも聞くとも、腹立てゝはならんで。何ぼどんな事情言うとも、名々の身を責めに歩いて居よるのや。どんな所へも、皆な我が身を責めに出て居るのやで。その中尽す、実々の道を通る者は案じる事は要らんで。皆な善き道へ連れて通る、と諭しおこ。
 明治24年1月13日
 兵神分教会にて教祖五年祭の願い。
 さあさあ尋ねる処、尋ねる事情は後や先とはどうでもよいなれど、今は前々は五箇年のさい、五箇年の事情十分何か万事して一つ後と言う。それから又一日の日という。それより心の通りしてくれるよう。
 明治24年1月14日
 山本利三郎、願い。
 さあさあ身に掛かる心事情一つ心掛かる。何かの事情よく聞き取りて、身上からの指図よく聞き取りて改め。身上名々諭しよ。掛かりて通り余儀なくの世界、成る成らんの道も通り、思惑一つの理、何で一つの理がなく、名々理を思う。又々順々の道心一つの理にもあろう。長らくのところ、艱難の道も通り、今一時は余儀なくの道であろう。日々のところ治まりをない思うやろう。早き道は早きにならん、遅くの道は遅きにならん。
 明治24年1月15日(陰暦12月5日)
 山沢為造、乳母の事情につき願い。
 さあさあ順々理を尋ねる/\。まあ一年思えば一年、重々最初与ゑ計り難ない。尋ねる一つの理、重々の理。与ゑ尋ねる事情、心おきのう十分。一人が二人、心おきのう十分与えよう。
 明治24年1月15日
 増野正兵衞、居宅明16日棟上げ致したくにつき御許しの願い。
 さあさあ尋ねる事情、さあ一日の日/\、これまでの処、長らえての道筋、長らえての道中、中々の理、十分何か万事心おきのうするがよい。
 明治24年1月15日
 岡本久太郎妻かつ、真明組事務所時分身上につき願い。
 さあさあ身上一条事情尋ねる。さあさあいかなる事尋ねる。身上に心得ん、どうであろう。一つにはこうという事情理を改め。身上に一つ心得ん。何かよく聞き分け。さあさあ一寸にはどうであろ。さあさあ長い/\道筋という。さあさあ一日の日という一日。又日には、朝という後という。さあさあ晴天という。一日の日にどういう事もある。長らくの日には、どういう日もある。内々にどういう事も思う処、内々運ぶ処尽す処、身上に事情あって尋ねる。尋ねば指図。どういう事もこういう事も神の理は違わんなれど、心の事情によって間違う。身上間違うところどうであろう。少々なる処、一寸にはよく聞き取って、一日一夜という事情は、世上と言う。皆な修理/\、聞くに聞かれん、見るに見られん事情聞いたる事情ある。世界事情という理を聞き取りて、又内々世上見て心得と言う。長らく長らえて事情であって、先々思う処運ぶ処、事情は急く事情でない。誠明らか事情以て、随分事情運べば明らかの理も治まる。
 明治24年1月16日
 増田甚七、願い。
 さあさあ尋ねる事情/\、さあ事情内々談じそれぞれ談じ、内々万事実々を諭しよ。心おきのう改めて、内々の処何か心に掛からぬよう。談示急く事も要らん。万事内々の事情談じて、それより一つ/\尋ねば一つ諭してやろう。
 押して願い。
 さあさあその処はそれぞれの処何か万事のところ委せおこう。
 明治24年1月18日
 桝井伊三郎、高井猶吉両名、大阪真明組へ出張につき伺い。
 さあさあ尋ねる処/\、さあ一つの事情一つの理、それからそれぞれの中尋ねる。これまで順々諭しある。急ぐやない、急くやない。他に一つの理明らかな理、名々事情どうであろうと思う。真実一つの理を以て通れば、成らんではない。年限の道を見て理を始め。事情は幾重という。掛かりというは、計り難ない。世上という、ようようの事情、何度にも諭しある。元々の所、理を見て、年限の長い間であってはという日もあり、日々の道を通りて道と言う。どういう事で立たずという理でも出す。タンノウ一時、どうという理急くやない、急ぐやない。急がいでも、明らかな理を以て通れば、その日が来る。親々という、どんな事でも親に掛かる。タンノウ一時どうしてもどう。後々じいっと居るがよい。遂に道を開ける程に。
 押して
 さあさあ、他に一つ/\思うて居る処、十分諭して、親という理を聞き分けて居れば、発散するであろう。
 明治24年1月18日
 秋岡亀治郎、長女しづ16才身上願い(西宮講元長女)。
 さあさあ尋ねる事情/\、身上事情尋ねる。身上の処一時どうと言うではない。なれど、一寸身上大層。どういう理いでなるという。一つの所にてこういう事であろうという。内々事情一つには、世上思う事情よく聞け。事情遠慮がない。身上迫るところ事情は因縁。因縁事情聞いて理を諭そ。一時事情大層、十分事情運び、事情早く掛かり、事情は因縁。一時大層という。
 明治24年1月19日
 今村斧太郎、事情伺い。
 さあさあ尋ねる事情/\、さあさあまあ一時の処は一つ思案して、どういう事も、こういう事も聞き分けて、さあどんな所に行く。住家をする。住家の事情、一つの理を聞かそ。心に事情持って尋ねるところ、何程の所、どれだけの所で住家する。所定まった。一つ与ゑ、何程辺所一つ、どんな所の住家でも、綺麗な花を見て、成る程の花という、楽しみという。そこまで暮らさにゃならん事情は因縁にある。何程いえども皆な因縁。因縁と言えば、一夜の間にも花が散る事もある。ここにこうして先々何にもなき所でも、心一つ、誠一つ、因縁一つで不自由なきものであろう。与ゑという一つの理を以て治めるがよい。これだけ諭しておく。名々こうと言うてすれば思惑通りするがよい。
 明治24年1月19日
 山野ミキ、勇太郎身上願い。
 さあさあ尋ねる事情/\、小人の事情一寸の処は難しいようなものであろうなれど、内々に何か一寸理が見て楽しみという。一寸には因縁という。結構な因縁、不思議な因縁であろう。事情よく聞き分け。不思議な因縁であって、十分という理聞き分けるなら分かる。所々にて因縁という理を聞き分けねばならん。万事聞き分けて事情心に治めるなら、分かる。事情心に分かり難ない。因縁というは、成るに成らん因縁もあろう。何か聞いて、因縁聞き分けるなら、一寸には理があるによって、早く事情運んでくれるがよい。
 明治24年1月19日
 板倉、身上願い。
 さあさあ前々以て尋ねる事情から諭してある聞かしてある。治まるも一つの理、治まらんも一つの理。名々に一つの理がある。日々心得んという理がある。心を治め、どれだけ思えど、その日が経てば、先々の事情楽しみ。急ぐ事情もあろう、急く事情もあろうなれど、旬々の理がある。先長く事情あれば、心に治めて、どんな楽しみでも通りて了たらそのまゝ。先々旬々の理を以て通れば、花が咲く。又内内事情先々事情以て通れば。
 明治24年1月21日
 朝、志紀分教会、地方庁不許可につき又地方庁へ再願の願い。
 さあさあ事情、尋ねる事情、一度二度の事情と言うであると思う処思うが理である。前々の事情を以て諭す。早速の事情、指図どういうものであると、又々一つ事情の指図、どういうものであると思うところ、一定の事情、聞き取りて成る程の事情、聞き取りてこれもよい、こうがよいと、心でこうがよいと、良き事情拵えてもいかんと言う。話する。又々それぞれの処、親々速やかと言うは、何故事情は治まらんと言う。まあ前々元々それぞれと言うたる処より、思案すれば随分治まらんやない。急く事情は要らん、急ぐ事は要らんと、前々より諭したる処で、多くも苦しむあろう。追々の道では、追々の事と思うやろう。前々の理にも、どんな事もある。最初と言えば前々、前と言えば、兄という、親という。どんな事でも一つの理持つなら、兄とも親とも言う。急ぐ事も、急く事も要らん。旬々という。旬には越ささんという、所を変えて又一つという。一度二度の理があって一時の所変える。一度二度という、よう聞き分け。急く事でもない、急ぐ事情でない。前々一つの事情が治まらんというは、兄親ともいう。くさすやない、萎やすやない。旬が来たなら、どうでも治まる。ぢばというは、五十年長らえてという。この事情をよう聞き取りてくれるよう。
 明治24年1月21日
 上田ナライト、身上事情によって願い。
 さあさあ尋ねる事情/\、さあさあまあ一寸の処にては事情も定め難くい事情であろう。さあさあどうであろうという事情であろう。親々今こうでは、先々、そこで心の事情が定まるようで定まらん。内々どうであろう。陽気と思う事情から事情聞き分け。一名暮らしと言うて、早うに諭したる。元ぢばという。これまで長らく間の道すがら、聞いて通りたであろう。一名暮らしなら、一名暮らしの道があり、頼もしい事情があり、なれども、これ頼もしい道通さにゃならん。前々以て諭したる道は因縁/\の事情。これに三年の間という、道に運びたる。五十年の道/\間の道、二年三年にはっちゃならん。これ心に治め。長らくの心に持って、長らく心に治めて出る。日々の日楽しめば、長らく今までの事、不安に思うて何でも通さにゃならん。一名一人暮らし、諭したる理から定めてくれるよう。人々に十分話して、内々十分心治めてくれねばならん。難儀さそうと不自由さそうという親はない。なれど名々に心に事情持っては、何程どうしようと思うたところがどうもならん。いついつまで通りても楽しみという事情は寄せにゃならん。話しを聞いて心に理を治めて、世界中寄せたのや。今からこうと言えばこう、又後々というは後。心落ちつけば又々後々、これ助け話しを伝えてくれねばならん。
 明治24年1月21日
 林九右衞門、願い。
 さあさあ身上に一つ心得ん、長らえて心得んと思う処、身上不自由と思うところ先々出る。事情いろいろいついつ何たる事情と思う。身の内の処不足なる。日々と言えばタンノウ。よう聞き分けてくれるよう。
 明治24年1月22日
 寺田半兵衞、身の障りにつき願い。
 さあさあ掛かるであろう、思うであろう。余儀なき事情心に掛かる。よく聞き取れ。若きが若きに立たず、年が年に取らず。先々の事情重くはどうなろうと思う。運んだる事情は通さにゃならん。心一つの理、日々の事情一つ理、一つ心、因縁一つの理があろう。よく聞き分け。年が取れたるという理はない。身に事情案じる事は要らん。事情通さにゃならん。よく聞き取りて、心どんと一つの理、心定めてくれるよう。
 明治24年1月23日
 午前1時、刻限御話し。
 さあさあ/\、これこれどんな事もこんな事も、これまでは神一条で始めた道を、人間の心で始めたように思うて居れば、結構(な事)と思う。神一条の道とは何かの事も聞き取れ。古き道に(ついて)どういう事も聞かそ。(本席は身上で)段々幾重休むところもある。(しかし)今一時ならんと言えば、(神が先回りして)向こうへ/\走って行くような道を通して来た。人間の心はどうもならん。人間の思う心では何にもならん。おかしい事を言い掛けると思うやろう。もうどんならん。もうもう名々勝手を尋ねる。先々の処(は)、どう成ろうこう成ろうと(いう)、案ぜ/\の道を通して来た。これまでの道というは(どういう道であったか)。五十年以来の道は何でも彼でも(と)通りて来た。言わば腰掛けたような道や。まあまあ長い間の処にてどんな事も段々仕込もうと思えども、そこまで行かなんだ。そこで一つ道を変えた。今まで聞いた道(は)、腰掛けたような道(であったが)、人間の心で始めた道か、尋ねてみよ。神に尋ねるのやない。人々(にんにん)(の)心に尋ねるのや。さあ明日早々伝え合い、しっかり談示せん事には、何を尋ねてもすっきりいかんで。さあこれだけ諭しおく。
 明治24年1月25日(陰暦12月15日)
 兵神分教会、部内三木支教会所の件願い。
 さあさあ何か万取り集め、どれから事情見て、どうでも一つ元々事情といえど理である。一つには世上見る。見るところ多く/\の中の治まり、理を以て治まれば順序の理、それぞれの理は治めてある。一つにはこうという。随分暫くのところ十分治めてやるがよい。
 明治24年1月25日
 清水与之助、身上咳の願い。
 さあさあ尋ねる/\処心得ん。尋ねるがよい。どういう事、こういう事、何がどうとも言わん。尋ねる心を受け取る。これから尋ねる心を受け取る。身の心得ん/\、どういう事である。世上/\世上迫り切る。世上が迫ってある。どういうものである。何処から何処まで、万事心得。どういう事も迫り切る。信者/\、どういう事である。善き事の理も掛かり、どんな理も掛かり、心にどんな理、心掛かり掛かる。どんな事も聞く、どんな事も見る/\。先々こういう話しあったと伝えおく。難しい事、ようこそ一つの理の為す事、天より一つに中多くの中、信者/\理を以て寄る、話し説き聞かし、よう一つの道が分かる。日々に迫る。日々に事情ある。身上一つの理があって多くの中通る。多く通り難くい。深き心と思う。怪しいこれはと思うが真実。真実/\みたようで怪しいもの。花という花も綺麗な花でも稔らぬ花もある、實ののる花もある。元一つの理があって、今に一つの理がない。真実という理がなくば、どんな事聞いても分からん。どんな事聞いても不足持ってくれんよう。日々どんな事聞いても、この道よりなきという。案じなきよう。しいかり諭しおく。
 明治24年1月25日
 飾東支教会、開講式の際、紺谷久平身上につき願い。
 さあさあ身上の事情尋ねる/\処、さあ一段一つ身上一つの身上、一つの事情、とんと一つ身上心得ん/\事情聞き取って、どういう理で成ると更々持たず、多くの事情の理、もの一つの理、まずまず世上一つ、難儀不自由見て、心に事情理に持たず、名々些かこれさえ鮮やか思う。まずまず事情タンノウ、追々一つの理分かるであろう。案じる事は要らん。案じてならん。世上難儀不自由見て治まるなら、治まるであろう。
 明治24年1月25日
 増野正兵衞、居宅の南東の隅へ井戸屋形新築並びに東へ壁をする事の御許し願い。
 さあさあ尋ねる処、元々十分の理許してある。一つこれだけ尋ねる/\。諭しおく。心に掛かる理を尋ねる。思えば思うても尋ねる心を受け取る。どんな事も許す。心おきのう許す。
 明治24年1月26日
 宮森与三郎、腕の痛みにつき願い。
 さあさあ身上に心得んの事情あって尋ねる。どういう事の事情でなろうと思う。余の儀ではない。些か堪えられん軽き事情、身の処にて心得ん堪えられん。些か事情以て心にタンノウ。又先々運ぶところ、先々の事情、急えて運んで治めてやるがよいで。
 明治24年1月27日
 夜9時、刻限。
 さあさあ今一寸尋ねる処、段々の話しをしてある。段々(教えの理を)伝えて治まり掛けたる処(ができて)、それから順序一寸治まりた。どうしても一時に治められん。もうこれどんな事も十分に説き聞かし(て来)た。(しかし)世上の処(は)何と(して)も分からん。(けれども皆が)ばらばら(の心)になって、心配掛けた日柄は僅かにて、(今は)十分の道をつけようと思うて掛かりて(いる)。世上から何でも彼でも、打ち潰(つぶ)そうと思うて居る(処の)危ういところも(神は)働き(て)来た。あんな所によう理があったなあと言う(ような難しい道であった)。(この道は)とても潰すに潰されん。もうもう潰れる理はないと言えば、もうもう十分と思うやろう。なれどそこに一つ聞きよう取りよう(をしっかり定めねばならぬ事がある)。

 神の道(といい)、上の道(という)。一寸言えば同じ(発音である)。(しかし)事情の道とは世上の道(であり)、神の道は胸の道(である)。世上の道はどんな事(を)して居ても、目にさえ見えねば通りて行ける。なれど胸の道は皆な身に掛かる。道に二つある、世上の道(と)胸の道(とある)。世上の道には、どんな穴があるやら知れん、又剣があるやら知れん。神の道は、胸三寸の道であるから、通ろうと思うても通れん。これさえ十分説き聞かせば、どんな事も皆な治まる。
前々の処に指図、内々事情、親族の事情を以て尋ね出よ、と諭したる。今まではどんな道も通して来た。一つにはどんな日もありた。又一つには三十年以来掛かり掛けた勤場所。なかなかの事情であった。親族事情には分かりゃせん。世上には皆な親子兄弟と言うて、親族と言うても、兄弟何にも隔てる理はない。どれだけ内々事情、親族事情と言うても、聞いて居るやろう、見て居るやろう、言うて居るやろう。三点三つ立て合い事情、しっかり親族事情治めてくれるよう。
 明治24年1月28日
 夜8時半、刻限お指図(前お指図に基づき中山会長へ御願い致しました処、会長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話し伝えました)
 さあよくよく聞き分けるなら一つの話をしよう。分かりてあるやろう。分かりてあるだけでは運ばん。前々以て一つ尋ね出る処、中山家のある間、一つも粗末にはせんというは、どういう処より出るか。この理を聞こう。神の方より聞こう。
 押して願い。
 さあさあ洗い替えて速やか。日々の処からどういう理が出るとも分からん。さあさあ直ぐと/\話して、親族の理を以て放っておけんという(の)は、どれから出た(の)か。この屋敷では親族の理では世上(を)助ける事ができん。苦労艱難の道を通り来て理を聞くなら一つの道も通そう。(中山家の)限りなきところまで尽そうというは、どういう理であるか。中山家の続くまで助けるというは親族の理であろう。三十年以前の理を聞き分けるなら、何も分からんやない。残念の道も通りて来たわい。(道は)何でも彼でも足場がなくばつけられん。(早々と表出よふと思もヘども、道がのふては出るに出られん)(そこで)歪(いが)めてなりと、痛めてなりと、(心を)洗い替えて(行くように)事情(を見せるのである)。これまで通りどんな事も聞き分け(てくれ)。

 一年で蒔いた種が、一年で生える(のもある)。二年で蒔いた種が、二年で生えるのもある。又蒔いた種が生えんのもある。なれど一旦蒔いたる種は、どうでもこうでも生やさにゃならん。生えんという理はない。どんな事も談示したとて、聞く者はない。残念(であった)。相談する人もなし、掛かり掛けた道(は)どうな(るであ)ろうと、残念/\の道も越して来た。涙をこぼして越した日もある。種を蒔いたから今日の日や。広い地所があっても種を蒔かねば草山や。草山は草山の値打ち(しかない)。種があればこそ、修理がある。修理がしたならこそ今日の日や。これをよう聞き分けてくれ。さあさあ尋ね掛け話し。さあさあ朝はとうからどんどん風も構わず走り歩き、(お里様の事)寒い時は寒い装束、暑い時は暑い装束、扇使いでは種になるか。(真柱のこと)これだけ話しすれば皆な分かる。前々にも話してある。三つの立て合いと言うたが、諭したが、向うに何と言うたぞ。
 平野楢蔵「タンノウして居られます」と答えると。
 結構が分かるなら、神一条を尋ねる。神一条の道を通れば、たゞ一人の不足はあろうまい。たった一人の曇りがある。そこで口説き掛けたのや。これまで内々事情、神に尋ねた事はあろうまい。勝手に通りて来た。たった一つの道が濁ってある。どうも速やかならん。そこで口説き掛ける。さあさあ残念とも思わず、恥かしいとも思わず、神であって何の事情も通らず、今の一時の諭しを聞いて、芯から前々の理が分かり、嬉しいと思えば、一つサンゲができねばならん。成る時なら誰でもする。成らんところを通り、言うに言われん、越すに越されん、心にほんに鈍な事やなあと言うて、残念な道も通りたと言う。何もどうする事も要らん。なれどたった一人の心で動く事もできん、何処も見られん。独り竦んで居やにゃならん。これまでにも尋ねるなら、心受け取って指図する。指図は違わん。よう聞いてくれ。違う指図して、一日の日が照るか照らんか。一つの理を聞いてくれ。前々より一つの理も尋ねやせん。今日の日は残念であろう。けなるかろう。なれど勝手に知りつゝして来たのや。今日の日は気兼ねない。親族といえどもどうもならん。これまでそれだけの道を通りて来たなら、何処の何某と、国々まで響く。今日一つの理を見よ。どうもならん。心打ち解け洗い替え。蒔いたる種は、神が皆な受け取りて居る。受け取りた種は皆な生える。
 夜9時、刻限お指図。
 さあさぁ口説き掛ける/\。神の話しを真実に聞き分けようとしない残念な理を改めるべく、どんな事も口説き/\伝える。残念/\の話の中から親の真実が分かるのであって真実の道が付くのやで。皆楽しんで聞いてくれるが良い。神が口説き掛けたら、どういう事を口説くやら分からん。さあさぁ苦労艱難の中で隠れたものを連れて出るで。細かに書き取れ。(屋敷)中にも話を聞いた者(が)少ないから、一寸皆聞いてくれ。口説き掛けたら分かる。一寸聞いてくれ。

 さあさぁ残念で/\でならなんだ。神様が出さしゃった。(家内の者が)苦労艱難(して居るの)で、(自分としても)退(の)くに退かれん。何処へ出ようと(し)て(も)出られんから(どうもならん)。(又)放っておいても(ならん)と思うて、(難儀の)道の間はあちらへ(こちらへ)出歩き(して働いたが、それでも)身代をなくし、どうしようにもこうしようにも(できなかった)。その時の残念(という)、その理が残ってある。何処へどうしても頼み甲斐もなし。そこで先祖より伝わってある道具を売り払うた。それだけの事情(は)今日(の有様)だけ(でいうなら)些(いささか)なもので(あっても)、(その)些かのものもならん日があった。その時(の)そんな残念悔し(い気持ちを)それぞれ聞いてくれ。残念であった。

 これは一つ(の話である)。今(の)真柱、鍛冶屋/\(という)。七、八年という(間)はいつも/\厄介になった。その嬉しさはどうでもこうでも忘れられん/\。ようようの処(の暮らしであった)。(他の親族は)一寸隠れて(しまって)居る(だけであった)。(これが)一つ残念/\、一つの品も値えを持って行かねばいかなんだ。その残念という(の)は、残念/\/\/\/\。ウウ/\/\。

 年限経つ(の)は早いもの(である)。程のう(私は)あちらへ隠れ、一代も過ぎ又一代(と経った)。今は我が代(よ)(である)。これだけ十分に成った。一つには切るに切られん(因縁という)。残念の中、残念/\/\の理があった。残念の理ほど怖いものはないで。残念の理(は)一代でいかにゃ二代、二代でいかにゃ三代、切るに切られん因縁つけてある。これは(残念の心)が退(の)くに退かれん理によって(の故である)。なれど神に切る神はない。なれど切られる心はどうもならん。仇言(あだこと)にも捨て言葉は神は大嫌い。(捨て言葉には切るに切られん)因縁付き(てある)。身の処(神の思惑通りに)なってこそ(理が明らかとなる)。澄んで/\/\澄み切った理が、世上の理(に)当然の理と映るのである。(神は)仇言はすっきり嫌い(である)。すっきり(心を)立て替え(てくれ)。
 (中略)処から道に尽くす誠の者を、連れて出る世界の道やで。どんな道も実践をして心に理を治めて貰いたいのであり、治めた理を人に写すべく、細かに書き取ってくれるよう。どんな中にも理が有るのであって、話を聞いて実際に通り抜けた者が少ないから誠の道が治まらんという事を、一寸真実の心を出して皆聞いてくれと言うのや。真実の理を心に治めて口説き掛けたら明らかな理が働くのであって、皆々分かるように成るのや。澄み切った小さなものが大きくなる道であり、いついつ末代続く理であるという事を一寸聞いてくれるよう。
 明治24年1月29日
 午前2時、刻限御話(増野正兵衞より今晩前のお指図の様子を本席に御話し下さる時に)。
 半七様のような足は悪ろし、顔色の悪い、医者に掛けんならんような者、あれが播州や東京やの者ならどうや。皆の者屋敷内に留めておくか。どうじゃ。神は抱える事は嫌い/\大嫌い。この屋敷は無理しては通れん。通れん事はなけれども、無理しては続かん。皆な日々屋敷中に通りて居る者は、理があるで。どうしてある。通りて居る理がなくば、中々通ろうにも通れん。さあ抱える事はすっきり要らん。これだけ返えす/\、くどう/\言い聞かしておく。忘れんよう。又捨てゝおけん理もある。理によって十分抱えんならん者もある。けれど残念/\で暮れた者の事を思うてみよ。神は義理は嫌い。人間の義理はすっきり要らんで。これだけ諭しておく。
 (半七様のような足は悪ろし、顔色の悪い、医者に掛けんならんような者、あれが播州や東京やの者ならどうや。皆の者やしき内に留めて置くか。どうじゃ。神は抱える事〈力で人をどうにかしてやろうとするような事〉は嫌い/\大嫌いや。このやしきは真実の心一つが通る神のやしきであって、無理しては通れんのや。通れん事は無けれども、真実の心もないままに無理しては続かんのや。皆日々やしきの中に通りて居る者には通るだけの理があるのや。どのようにしてあると思うか。皆先々を見定めて道の為に引き寄せているのであり、神の思惑によって連れて通りて居るという理が無くば、中々通ろうにも通れんのや。さあ抱える事はすっきり要らんで。これだけの事を返えす/\、くどう/\言い聞かして置く。心一つの道であると、皆々忘れんよう心に留め置かなければ成らん事やで。又真実の心を尽くす理によっては捨てゝ置けん理もあるのや。元始まりのいんねんの理によっては十分に抱えんならん者〈十分に神の思惑通りに連れて通らなければならない者〉もある。けれど残念々々で暮れた者の事〈ひながたの道の理を聞き分けて付いて来てくれる者も無く、残念々々の理で生涯暮れた教祖があればこそ今日の道が出来上がったという事実〉を思うてみよ。成らん中から人の為に尽くす誠の心を道の台として世界を救けるのであって、人間心を捨てて不自由な道を楽しみ通る理が世界救ける真実誠の種となるのであり、目先の事ばかりを大切にして人間の心を第一に立てるような義理が有っては世界は救けられないのであって、神は義理は嫌いや。人間の義理はすっきり要らんで。これだけ諭しておく)
 夜11時20分、刻限お指図。
 「さあさあさあ、段々事情を話しすれば、一つの事情一つの理は鮮やか。何か万事よう聞き分け。一つの心がなくばたった一度の話し、二度とも尋ね返やす。分からんなりにも一夜の間と、前々にも諭したる。サンゲ/\の廉が分からず、言うても分からず。あれでいかんこれでいかんと言う。皆なそれぞれ思えども人間の事情として、人間という取次という。これまでにも見分けてくれ、聞き分けてくれと、段々諭し、取次には席の位まで付けてある。見難くい見苦しいところは、皆な掃除をしてくれねばならん。鏡屋敷濁ってあってどうもならん。鏡屋敷は四方正面ともいう。少しぐらいこんな事ぐらいという理はむさくろしい。妬み合いという理が見て居られん。これで掃除は仕舞。これだけ見分けんならん。見分けるには遠慮は要らん。遠慮するのは分からんからや。陰で言う事は十代罪と言う。陰で言うならその者直ぐに言うてやれ。身のためや。来る者に去ねとは言わん、来ん者に来いとは言うやない。心で尽す者と、現場で尽す者とよう見分け。陰隔ての理のなきよう。高い者は高うに見る、低い者は低うに見る。これからは何も遠慮は要らん。代わりにあの人さえあれだけならと、銘々もサンゲという。さあさぁさぁ、段々事情を話すれば、一つの事情一つの理は鮮やか。何か万事よう聞き分け。一つの心が無くばたった一度の話、二度とも尋ね返やす。分からんなりにも一夜の間と、前々にも諭したる」。
 (さあさぁさぁ、段々事情〈事情…心の一つの養いの理であり、真実の心のつなぎ合いの理であり、万事に於いて真実の理が心にしっかりと取り決まってこそ心の養いと言うのであって、その為に働く理を事情と言う〉を話すれば、一つの事情〈どんな事も神様の思惑に従おうとする事情であって、どんな事もそれによって治まるただ一つの事情〉一つの理〈いついつ変わらぬ一つの理であって、いついつ変わる事の無い一つの信念〉は鮮やかと治まる。何か万事よう聞き分け。一つの心〈成っても成らんでもどうなろうとも道と言う一つの心〉が無くば治まらないと言うたった一度の話〈真実誠の神様の話は、何の疑い心も無く一度に聞き分けようとする澄み切った心にのみ治まるのであり、分からなければ尋ね返すが誠の理であって、尋ね返して二度の理に治まれば一度の理として許されるのであり、一度二度の理として治まる〉であるが、二度とも尋ね返やすような事であっては治まらんのや。又分からんなりにも聞き分けてくれるなら、一夜の間にも治めさすと前々にも諭したるで。)

 さんげ/\の廉が分からず、言うても分からず。あれでいかんこれでいかんと言う。皆それ/\思えども人間の事情として、人間という取次という。これまでにも見分けてくれ、聞き分けてくれと、だん/\諭し、取次には席の位まで付けてある。さんげ/\の廉〈れん…欲が無くいさぎよい事…無理な話・損な話を真実の神様の真実の守護だと受け止めて、喜んで治めさせて頂く理によってさんげの理が治まる。さんげの理が治まれば、通る道は大きく開く事に成る〉が分からず、言うても分からず、人の間違いに対して、「あれではものの道理に外れているからいかん、これではとても聞き分けるわけにはいかん。」と言う。皆それ/\に無理な話を聞き分けて己の残念の理を果たさなければならないとは思えども、現実には人間の事情として許せないのであり、今ここでさんげの理を治めるなら先々の運命が大きく開くという事を読めないような可哀想な心を人間心というのであって、それでは何時まで経っても残念の理が晴れないのであって難儀な道ばかりを通らなければならないと、真実の神の思惑を伝えるのが取次というのや。「これまでにもそんな事があったなあ。」というように、真実の理を見分けてくれ、聞き分けてくれと言いつつ段々諭して来た処であり、道の為に何もかも捨てゝ真実尽くしてくれる取次には、席の位まで付けてあるのや。)

 見難くい見苦しい処は、皆掃除をしてくれねばならん。鏡やしき濁ってあってどうもならん。鏡やしきは四方正面ともいう。少しぐらいこんな事ぐらいという理はむさくろしい。妬み合いという理が見て居られん。これで掃除は仕舞。これだけ見分けんならん。見分けるには遠慮は要らん。遠慮するのは分からんからや。(世界から見て見難くい見苦しい処というは、何時まで経っても神に従う事の出来ない残念な人間心であり、皆それをすっきりと掃除をしてくれねばならんで。このやしきは世界創め出しの元のやしきであって鏡やしきであり、世界に写し出して世界救ける元のやしきの理であるからどんな事も世界に写るのであり、やしきの中に濁りがあっては世界が皆濁ってしまうのであって、どうもならんと言うのや。鏡やしきというは何もかも鏡のように写るのであり、四方がぐるりと世界正面の理につながっているとも言うのや。少しぐらいこんな事ぐらいという理は薄ぎたない人間心の理であって、そんなものが世界に写ってしまうからむさくろしいと言うのや。ねたみ合いという理が世界の間違いの元であり、とても見て居られん。ねたみ合いやそねみ合いの心が有れば神は働けないのであって、これで胸の掃除は仕舞という事に成るのや。この心だけは決して間違わんようと、皆で見分けんならん。見分けるには先ず先に自分自身が改めなければならないのであって、改めた理を人に写すのであり、そうして人に諭すなら互いに遠慮は要らん。遠慮するのは真実の心が足らんからであり、道が分からんからや。)

 陰で言う事は十代罪と言う。陰で言うならその者直ぐに言うてやれ。身のためや。来る者に去ねとは言わん、来ん者に来いとは言うやない。心で尽す者と、現場で尽す者とよう見分け。陰隔ての理の無きよう。高い者は高うに見る、低い者は低うに見る。これからは何も遠慮は要らん。代わりにあの人さえあれだけならと、めん/\もさんげという。(このやしきは鏡やしきであって陰で言う事は皆世界に写るのであり、折角の道を台無しにしてしまう残念の理であり、十代にも渡って果たさなければならないような残念な理であって十代罪と言うのや。陰で言うならその者直ぐに言うてやれ。己の身の為や。来る者に、間違っているから去ね〈来るな。去ってしまえ〉とは言わん道であり、付いて来れん者に無理に付いて来いとは言うやない。真実の心で陰から尽す者と、表の現場で形ばかりの道に尽す者とが居るのであって、年限の理によってそれぞれ通る道が違うのであり、それぞれの理をよう見分けにゃならんのや。どんな者も皆神の思惑によって働いているのであり、陰隔ての理の無きよう治めてくれなければ成らんのや。これまではそれがよく分からないから、高い処に居る者に対しては高うに見るのであり、低い処から尽くす者は低うに見るような事であった。これからは一列ろくぢの道に改めるのであって皆高い低いの理は無いのであり、誰にも何にも遠慮は要らんのや。明らかなろくぢの道を通る為には、積み重ねた残念の理を払わなければならないのであって、「私の代わりにあの人さえ喜んでくれるなら残念の理が果たせるのであって、あれだけ喜んでくれるなら十分や」と真実の心を働かすなら、名々も十分なサンゲの理が治まると言うておく)。

 明治24年1月30日(陰暦12月20日)
 午後1時、親族一同出席の場にて御話し、お指図。
 さあさあさあ一同親族/\、事情から一寸話し掛ける。一寸呼び出した処、一同に一つ/\の話しを聞き分けるなら、談示という理が分かる。一同に出よ、一同に聞け、と言うは、よう聞き分け。名々の身の障りより、どういう事諭すやら分からん、洗い切るやら分からん。段々事情遅れ、一つ/\の事情洗い替え、改め替え、浚え替え、長らえての理も諭し、事情に一つの心を寄せて、これから一つと言えば初まりと言う。初まりならば一つこれまでというは、遠く事情ではあろうまい。辺所の所ではあろうまい。日々の処皆な分かる。艱難一つの道を通りた、又通した。ようようの日、よう聞き取ってくれ。神が口説き話しすれば、真実聞くなら悟るやろう。何でも尽すやろう。段々事情も諭す。諭せば、世界通り慎んだようなもの、理によって分かり来る。一寸上面身の処不足なって、神さん頼んで助けて貰ろた、というは、それだけの理。物を入れて包んであるようなもの、段々分からんように成る。一同に話しというは、お前の尋ねの時にはどうであったと、名々には分からんから、一同一つの理に悟ろうという。前々より二度三度の諭し、あらあらの処は浚えた。浚えば水も流さにゃならん。流せば溜まる。溜まれば浚えにゃならん。

 
ようよう一年という、これから二年という事情を諭しおくによって、よく聞いてくれ。二年の間の理というは、余程事情ある。嬉しいような道であって、身の処にて前々の話しには、又々の理を諭そうと言うて席を休めてある。どうしよう知らんと言うて居る。親族一同に諭しおく。多くの中にたった一人の心、一人の心という。人々あれども一人の心、一つよう聞き取りてくれ。どんな事もこんな事もこれしたらよいと心を寄せる。間違いの心から、どんな事できるとも分からん。分からんやない。立って来た一人の心の理という。世上へ出さにゃならん。国々それぞれちょいちょいとの処、もう忙わしい処も見えてある。それは知らん。今年の年に取ればどういうものと思案。思案したとて善い思案はできん。何と言われようが、心を定めたら万人の心という。四方四面鏡屋敷の中に、一つ見るも、そのまゝ深きの理程聞いたる。隠しても包んでも皆な知れる。どんな者やさかいどうやとは言わん。親族一同の話し/\何であったぞいなあと言う。

 古き(道を)尋ね(る)には、(古き道には)何とも分からん道があった。一つの心という。何でも彼でも一つの心は通さにゃならん。ごもくの中に(ては)一つの心(は)すっきり掃除はできん。ぼつぼつの道を始め掛けて、一段という。一段という理は二段(となる)。二段登れば三段、四段という。登るには一つの心(が必要である)。焦げつきの理錆びつきの理という。研いても剥げん(ものは)捏(つく)ね変えねばならん。

 真の心に成る程の理が治まらねば、どうもならん。これから一つの心を治めるなら、結構なる道(になる)という。紋型なき(教祖のひながたの道の)理という。(この理に)日々の理を治めるなら、一つタンノウの理がなけりゃならん。タンノウは改めた心の理(という)。もうすっきりごもくは払えた。これから始め(よ)。一段二段の理から始める(よう)。これが台(である)。又一つ変わる/\。
 さあさぁ急いで早く、段々早く/\の諭がありて、又々の道と日を送り、この事情いずれ皆前々に出したから、表の理を聞き分け。裏表の理はくどう/\に諭したる。裏には一つどうにもこうにもならん事情があった。今年もやれ/\、又今年もやれ/\、日々日を送り、今年は十分又十分。心を鎮めて聞け。元々の所へ一つの理という。それより始まった理、これも聞いてくれ。何ぼ話があるとも知れん。三四日休めてある。そこで又一人の改め替え。

 どれから見てもほんに(成る程と)、元々の理というは、(心)尽さにゃならん。今一時助け合い(を)一つ頼む。(それでこそ)明らかな理(である)。これでこそ、尽されたならこそ(である)と言う(ことになる)。未だ(教祖が)存命中なら(どうであろう)と言う。十分事情を(治めるよう)頼む。(理を)明らかにして(通りてくれ)。大層と思わずして(心尽した)古き一人(梶本惣治郎)の心(は)、十分受け取ってある。成らん事(を)せいとも言わん。どれから見てもほんに(成る程)なあと(治めてくれ)、日々古き道が日々に変わる。早く事情を聞き分けて(くれ)。(この運びをするのは)大層と思うやろう。(しかし教祖が)紋型なき処より(道を)一つ始めた(道の理を聞き分けてくれ)。十分一つの理(に誤りない事)を頼む。
 さあさあ急いで早く、段々早く/\の諭がありて、又々の道と日を送り、この事情いずれ皆な前々に出したから、表の理を聞き分け。裏表の理はくどうどうに諭したる。裏には一つどうにもこうにもならん事情があった。今年もやれやれ、又今年もやれやれ、日々日を送り、今年は十分又十分。心を鎮めて聞け。元々の所へ一つの理という。それより始まった理、これも聞いてくれ。何ぼ話しがあるとも知れん。三四日休めてある。そこで又一人の改め替え。どれから見てもほんに元々の理というは、尽さにゃならん。今一時助け合い一つ頼む。明らかな理、これでこそ、尽されたならこそ、と言う。未だ存命中ならと言う。十分事情を頼む。明らかにして、大層と思わずして、古き一人の心、十分受け取ってある。成らん事せいとも言わん。どれから見てもほんになあと、日々古き道が日々に変わる。早く事情を聞き分けて、大層と思うやろう。紋型なきところより一つ始めた。十分一つの理を頼む。
 さあさぁさぁ一同親族/\、事情から一寸話し掛ける。一寸呼び出した処、一同に一つ/\の話を聞き分けるなら、談示という理が分かる。一同に出よ、一同に聞け、と言うは、よう聞き分け。名々の身の障りより、どういう事諭すやら分からん、洗い切るやら分からん。
 さあさぁさぁ一同親族/\の理を以って諭すのであり、今一時に聞き分けて治めなければならない事情の理から一寸話し掛ける。一寸呼び出した処というは、皆々一つの親族となって一同に心を寄せて一つ/\の話を聞き分けるなら何もかも治まるという事を伝えたいのであり、皆で一つに心を寄せて談示合うという誠の理によって理が分かると諭したいのや。一同に出よ、一同に聞けと言うは皆で心を揃えて一つに治めて貰いたいのであり、そうして互いに救け合って通る姿を世界に写し出して世界救ける為であると、よう聞き分けて貰いたいのや。名々の身の障りより理を諭すのであって、どういう事を諭すやら分からん、又洗い切るやら分からんで
 段々事情遅れ、一つ/\の事情洗い替え、改め替え、浚え替え、長らえての理も諭し、事情に一つの心を寄せて、これから一つと言えば初まりと言う。初まりならば一つこれまでというは、遠く事情ではあろうまい。辺所の所ではあろうまい。日々の処皆分かる。
 段々に聞き分けて治めなければならない事情の理に対しての遅れが出るから身上事情の理に表れるのであり、そのまま放って置くわけにはいかないから、一つ/\の治まらない事情を身上事情の理によって洗い替えるのであり、そのようにして日々の処を改め替え、浚え替えているのやで。そうして長い年限運ぶ事情によって真実の理の治まる時旬が来ると言うのであって、長らえて治まるという年限の理も諭しているのや。そのような真実の道の事情に一つの心を寄せて、「何時までもこんな事では申し訳ない、これからは神様の思惑通りの一つの道を通させて貰おう。」と言えば、真実誠の神一条の道の初まりと言うのや。神一条の道の初まりならば一つの天然自然順序の道を始め掛けるのであり、それによって段々と理が分かるように成るのであって、これまでというは残念な道で有ったという事が分かるように成るのや。真実の道は日々通る常の中に有るのであって、何も遠くの事情ではあろうまい。安心をして神にもたれて居さえすればどんな理も治まるのであって、残念な理を洗い替える為の辺所の処など必要ではあろうまい。何もかも神に任せようとする真実の心一つがあれば神が連れて通すのであり、聞き分けて治めるべき日々の処の理が皆分かるように成るのや
 艱難一つの道を通りた、又通した。よう/\の日、よう聞き取ってくれ。神が口説き話すれば、真実聞くなら悟るやろう。何でも尽すやろう。段々事情も諭す。諭せば、世界通り慎んだようなもの、理によって分かり来る。一寸上面身の処不足なって、神さん頼んで助けて貰ろた、というは、それだけの理。物を入れて包んであるようなもの、段々分からんように成る。
 世界に道を伝える為に教祖が艱難一つの道を通りたと言うのであり、又通したのである。よう/\の日〈長い年限の間、あえて通り難い世間の事情から道を通り、その中をじっと堪えて真実誠の心を貫き通してこそ理が変わるのであって、世界助ける誠の道が治まるというようようの日〉というものを、よう聞き取ってくれ。神が口説き話をすれば分かるよう胸の内から諭すのであって、真実の心を出して聞くなら皆悟る事ができるやろう。真実に悟る事が出来れば、「どうでも何でも」という心で道に尽す事ができるやろう。そうして尽くしてくれるなら段々と先々の事情も諭すのやで。神が諭せば皆な聞き分ける事ができるのであり、日々に神の話しを聞き分けて運ぶなら世界助ける誠の道を通ったという事になるのであって、人間の勝手な理を慎んだようなものであり、心に治まった理によって段々とそれが分かり来るのや。一寸した表面上の理だけしか治まらずに身の処の不足なって、「神さん頼んで助けて貰ろた」というはそれだけの事であり、肝心な大事なものを何処かに入れて包んでしまってあるようなものであり、真実誠の神の道が段々と分からんように成るのや。
 一同に話というは、お前の尋ねの時にはどうであったと、名々には分からんから、一同一つの理に悟ろうという。前々より二度三度の諭し、あら/\の処は浚えた。浚えば水も流さにゃならん。流せば溜まる。溜まれば浚えにゃならん。よう/\一年という、これから二年という事情を諭しおくによって、よく聞いてくれ。二年の間の理というは、余程事情ある。嬉しいような道であって、身の処にて前々の話には、又々の理を諭そうと言うて席を休めてある。どうしよう知らんと言うて居る。親族一同に諭しおく。多くの中にたった一人の心、一人の心という。人人あれども一人の心、一つよう聞き取りてくれ。
 一同に話というは皆一つに心を揃えて聞き分けて貰いたいと言う事であり、お前の尋ねの時にはどういう諭しであったという事がめん/\には分からんから、一同一つの理に寄せて皆で悟ろうという理であるのや。前々よりも二度三度の諭しをすれば皆分かるようになるのであり、あら/\の処〈大体の処の残念の理〉は浚えたという事に成るのや。浚えばきれいな水〈澄み切った神の話〉も流さにゃならんであろう。流せば又聞き分けの出来ない理が溜まる〈たまる…とどこおる〉のであって、溜まれば又浚えにゃならんのや。そうして段々と心が澄まされる事によって道に尽くそうという真実の心が定まるのであり、真実誠の心が定まってこそ、よう/\一年の理が治まったという事に成るのや。

 これから二年という事情を諭し置くによって、よく聞いてくれ。一年の理が定まればそれぞれの道の順序が定まるのであり、順序の理に導かれながらの神一条の道が始まるのや。運んだ年限の理と共に段々と心が澄んで来るのであり、それによってどうでも道に尽くそうとする深き心が定まる日が来るのやで。「いついつまでも神様のお役に立たせて頂きたい。」というような深き心が定まれば深き代々の理が治まるのであり、深き代々の理が治まれば二年の理が治まる。二年の理が治まれば心置きなく神が働く事が出来るのであり、尚一層の神の働きによって真実誠の神の道が分かるように成るのや。真実誠の神の道は世界救けるもようばかりであって、ひながたの道より他には無いという事が分かる日が来るのやで。そして、どうでも神様の思惑に従いたいという心と、一人立ち上がってひながたの道を通り抜けようとする強い精神が定まる日が来るのであり、それだけの真実誠の心が定まれば待ちに待った三年の理が治まるのや。三年の理が治まればいずれ三年千日の道を許される日が来るのであり、ひながた同様の理を治めて真実の人衆と成って道に尽くす事が出来るのやで。

 二年の間の理と言うは胸の掃除一条の理であり、いずれ世界の道の台と成って尽くすというような余程の事情があるのや。先に立って世界の為に尽くす道は嬉しいような道であって、身の処にては自由自在の理が治まると前々の話には伝えて居るのであり、又々の理を以ってそれを諭そうと言うて居るのであって、その為に今は席〈新たな神の話を〉を休めてあるのやで。真実の神の話を聞いても皆速やかとは心が定まらんのであり、「どうしよう知らん。」と言うて居るやろ。今は未だ十分に聞き分けられないであろうが、後々の道に知らせるべく親族一同に諭しおくのや。世界助ける元はただ一つであって、多くの中にたった一人で立ち上がるという誠の心一つやで。皆な世界中は誰でも同じであって、一人の心というのや。世界どれだけの人々があれども初めは皆一人で真実の心を定めて立ち上がらなければ成らないのであり、その為のたった一つのひながたの理が要るという事を、よう聞き取りてくれ。
 どんな事もこんな事もこれしたらよいと心を寄せる。間違いの心から、どんな事出来るとも分からん。分からんやない。立って来た一人の心の理という。世上へ出さにゃならん。国々それ/\ちょいちょいとの処、もう忙わしい処も見えてある。それは知らん。今年の年に取ればどういうものと思やん。思やんしたとて善い思やんは出来ん。何と言われようが、心を定めたら万人の心という。四方四面鏡屋敷の中に、一つ見るも、そのまゝ深きの理程聞いたる。隠しても包んでも皆知れる。どんな者やさかいどうやとは言わん。
 どんな事もこんな事も心一つで始まるのであり、「神様の思惑に沿わせて頂く為には、これをしたら良いのではないか。」と思って始め掛ける誠の心を寄せるのやで。自分勝手な間違いの心からは、どんな恐ろしい事が出来るとも分からん。何も分からんやないで。世界の為に尽くそうと立ち上がって来た一人の心の理という。その心が世界救ける元であり、たった一つのひながたであればこそ世上へ出さにゃならんのや。国々に置いてもそれ/\一人の心で立ち上がって来たのであって、ちょいちょいとの処でそれが見えてあるのであり、多くの人が寄って来てもう忙わしいという処も見えてある。「それは人の事であってとても真似など出来るものでは無く、わしは知らん。」という者も居るであろう。そんな者でも真実の思案をするのであり、今年の年に取れば〈今自分が通るべき道に取れば〉どういうものかと思やんするであろう。どれだけ思案をしたとて思案だけでは何も治まらないのであり、道の為に成るような善い思案はできんのや。「人に何と言われようが誠の道を貫こう。」という心を定めたら、その心が多くの人に写るのであって万人の心と言うのや。皆四方四面鏡屋敷の中で働いている理であってどんな事も世界に写るのであり、世界が心の働き一つを見るというのも実際に通り抜けた理を見定めるのであり、一つの実践がそのまゝ世界に写ると言う深きの理を何程聞いたるやら分からんであろう。どれだけ隠しても包んでも四方が正面の理であって、皆鏡の如く世界中に知れ渡るのや。神は世界助けの元と成る誠の心を待っているのであり、どんな者やさかいどうやとは言わん。
 親族一同の話/\何であったぞいなあと言う。古き尋ねには、何とも分からん道があった。一つの心という。何でも彼でも一つの心は通さにゃならん。ごもくの中に一つの心すっきり掃除は出来ん。ぼつ/\の道を始め掛けて、一段という。一段という理は二段、二段登れば三段、四段という。登るには一つの心、焦げ付きの理錆び付きの理という。といても剥げん、捏ね変えねばならん。真の心に成程の理が治まらねば、どうもならん。これから一つの心を治めるなら、結構なる道という、紋型無き理という。
 皆一つの親族となって一同に聞き分けて貰いたいと、親族一同の話/\の理を以って諭して来ても、「神様の話は一体全体何であったぞいなあ」と言うような事ばかりであった。年限の理が来足らない為にしっかりとした性根が据わらないのであり、性根が定まらんから道の実践ができないのであって、古き尋ねには何とも分からん道があったのや。一つの心と言う。何でも彼でもどうでも道というしっかりとした一つの心はどうでも通さにゃならんのや。ごもく(我が身勝手な人間思案)の中に真実の一つの心が埋まっていればすっきりと掃除をしなければならないのであるが、皆心を寄せてくれないから掃除はできんのや。掃除の為のぼつ/\の道を始め掛けて一段の道と言うのや。一段という理は二段につながっているのであり、二段登れば三段、四段と言う。一段一段と登るにはどうでも道という一つの心が要るのであり、一つの心を受け取って神が働くのであって、神の力によって焦げ付きの理錆び付きの理(自分勝手な人間思案で心そのものが変質をしてしまった理)を洗い流すと言うのや。研いてもどうしてもはげんのが焦げ付きの理錆び付きの理であって、一つの心が治まらないと言うなら神が働けないのであり、握りつぶして初めから付くね変えねばならんのや。真の心に誠がなければ道は始まらないのであり、通って成程の理が治まらねばどうもならん。これから聞き分けて一つの心を治めるなら結構なる道が治まると言うのであり、どれ程の結構な理であるか分からないような紋型なき理と言うのやで。
 日々の理を治めるなら、一つたんのうの理が無けりゃならん。タンノウは改めた心の理、もうすっきりごもくは払えた。これから始め。一段二段の理から始める。これが台。又一つ変わる/\。
 生涯変わる事の無い日々の理を治めようとするなら、一つのたんのうの理がなけりゃならんで。タンノウは改めた心の理であり、もうすっきりとごもくは払えたという事に成る。これから聞き分けて真実の道を始め掛けるが良い。そして段々と一つの心が定まるなら一段二段の理から始めるで。これが世界に写し出して世界救ける誠の理であって世界の道の台と成るのや。成人次第に又一つ変わる/\という道であって、段々の楽しみの道を諭しておく。
 さあさぁ急いで早く、段々早く/\の諭がありて、又々の道と日を送り、この事情いずれ皆前々に出したから、表の理を聞き分け。裏表の理はくどう/\に諭したる。裏には一つどうにもこうにもならん事情があった。今年もやれ/\、又今年もやれ/\、日々日を送り、今年は十分又十分。心を鎮めて聞け。
 さあさぁ急いで早く真実誠の道を聞き分けてくれるようと諭しているのであり、道というものは一つ治まれば段々早く/\治まるようになるという諭がありて、それを知らせたい為に又々の道と日を送りつつしているのであり、この事情をいずれ皆々治めて貰いたいと前々に出しておいたからこそ、今こうして表の理と成って働いて居るのであり、表の理となった誠の理を一日も早く聞き分けて貰いたいのや。裏表の理というは、日々心を働かす裏の理によって成って来る理が表の理であると、くどう/\に諭したるで。真実誠の裏の理に置いては一つの難儀不自由の理が有るのであって、人間はそれが容易に承知できない為にどうにもこうにもならん事情があったのやで。「今年もこれだけの成らん中の道を運ばせて貰えた、やれ/\良かったなあ。又今年もやれ/\少しばかり運ばせて貰えた」と日々日を送り、どんな事にも満足タンノウを治めるなら今年という理は十分の理であり、十分なら十分な理が続くのであって、又次の年も十分の理が治まるのやで。心を鎮めて聞き分けて貰いたいのや。
 元々の所へ一つの理という。それより始まった理、これも聞いてくれ。何ぼ話があるとも知れん。三四日休めてある。そこで又一人の改め替え。どれから見てもほんに元々の理というは、尽さにゃならん。
 元々の所へ一つの理(教祖ひながたの道というこの世を救う為のたった一つの胸の掃除の理である元々の道に、どうか心を向けて貰いたいと願う真実の親の理)という。この道と言うはそれより始まった理であろう。又これも聞いてくれ。これから先も何ぼ同じ話があるとも知れんで。それを諭す為にそれぞれの心を三四日の間休めてあるのや。そこで心を鎮めて真実の思案をし、又新たに一人立ち上がるべく、真実誠の道に改め替えるが良い。どれから見てもほんに結構という道は元々の理(世界助ける為のひながたの道)が有るからであって、元々の理というは一人先に立って尽さにゃならんのやで。
 今一時扶け合い一つ頼む。明らかな理、これでこそ、尽されたならこそ、と言う。未だ存命中ならと言う。十分事情を頼む。明らかにして、大層と思わずして、古き一人の心、十分受け取ってある。成らん事せいとも言わん。どれから見てもほんになあと、日々古き道が日々に変わる。早く事情を聞き分けて、大層と思うやろう。紋型無き処より、一つ始めた。十分一つの理を頼む。
 今一時に治めて貰いたい理は互い助け合いの理であって、この一つを頼むと言うのや。互い助け合いの道はひながたの道が台であり、先ず一人先に立って立ち上がった誠の道であればこそ世界に写さなければならないのであって明らかな理が働くのであり、これでこそ世界助ける元の道であり、世界の為に尽くされた誠の理ならこそ十分な道に成ると言うのやで。「未だ教祖が存命中で働いて居て下さるなら、私も教祖の後を追わせて貰おう」という誠の心から始まる元の道〈すっきりと胸の掃除をして頂く為の三年千日の道であり、通り抜けた理にひながた同様の理を許されるのであって、世界助ける真実の人衆と成って尽くす為のただ一つの道〉であり、世界の為の十分事情を頼むと言うのや。艱難の中の真実の助けの理を明らかにして通り抜ける世界の道であり、何も大層と思わずして古き一人の心を貫いてくれゝば良いのであって、その事情は十分に受け取ってあるのやで。成らん事をせいとも言わん。どれから見てもほんに成程なあという結構な道は、教祖の日々通った古き道が、己の日々の道に変わる事であると言うておく。一日も早くこの真実誠の事情を聞き分けて運んで貰いたいと言うのであり、聞けば大層な事であると思うやろう。何一つもない紋型なき処より始め掛けた道であって、十分な証拠を以って一つ始め掛けた道やで。十分な一つの理を確かめてくれと頼むのや。
 明治24年1月
 紺谷久平、教会内へ引き越しの願い(飾東支教会)。
 さあさあ尋ねに皆な一つの理は一つの理である。心旬々運ぶ一つの理を以て運び掛けたる。ようよう重々の理、願い通り速やか許そう。
 明治24年1月
 北嶋友五郎28才、身上願い(阿波国)。
 さあさあ人一人の心尋ねる。身上に一つ心得んという処、人に諭して居るやろ。名々の理を聞き分け。身に一つの不足が分からん。真実一つの理を聞き分け。随分ならんやない。人に諭して我が身どういうものでならんと思う。何にもならんやない。たゞ心だけの理いさい分かればならんでない。人間というものは前生因縁という理を持ち来てある。因縁の理は世上の理を見てサンゲ。世上の理に難儀の難儀、不自由の不自由という理を皆な映してある。その理を見て、名々タンノウという理を定め。尽す理にして大難小難としてある。世上見てタンノウと心定めば、タンノウは因縁のサンゲである。随分ならんでない。




(私論.私見)