その2-4 病の元は心から、身上/事情論手入れ論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.7日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、お道教理の「身上.事情論」、「病の元は心から」教理を確認しておく。

 2003.7.23日 れんだいこ拝


【「身上.事情論」/「病のもとは心から。病むほどつらいことはない」】
 お道教義では、お道のおたすけ論の基本を「病のもとは心から。病むほどつらいことはない」と云う認識に置いている。世の病は「身上」と「事情」から成る。「身上」とは心身の病、「事情」とは世事雑多から発生する悩みのことを云う。教祖は、その真因として「病の元は心から」、「病むほどつらいことはない」と喝破しお諭ししている。

 「病の元は心から」という洞察は、病気や災難の原因としての従来の1・「怨霊の祟り(たたり)」思想、2・業.因縁-因果応報論、3・その他迷信に振り回されていた状況下でそれを踏襲せず、「理説きお諭し」であったことに意義がある。つまり、拝み祈祷に胚胎している仏教教説因縁論との違いに特質がある。但し、胎蔵界曼荼羅教理には即応している。自然の運行という大宇宙と人間の小宇宙とが対応.感応し合っており、この調和が乱れたときに異変、病気、天災地変が起こる、という考えは引き継いでいる。

 人間が神から与えられた自由の使い道を誤り、悪心.悪行を積もらせた結果、「手入れ」を貰う。これが身上(病)、事情である。神の御心に叶うよう切り替えを行うことによって「すっきり切り替わる」と仰せられている。

 御神楽歌では次のようにお記しされている。
 七ツ 難儀するのも 心から
 我が身恨みで あるほどに
十下り目七ツ
 八ツ 病はつらい ものなれど
 元を知りたる 者はない
十下り目八ツ
 九ツ このたびまでは 一列に
 病の元は 知れなんだ
十下り目九ツ
 十ド このたび 現れた 
 病の元は 心から」
十下り目十ド

 お筆先では次のようにお記しされている。
 この世うは 賑わし暮らし しているけれど
 元を知りたる 者はないので
三号92
 この元を 詳しく知りた ことならば
 病いの起こる ことはないのに
三号93
 何もかも 知らずに この子供 
 神の目えには いじらしきこと
三号94
 何にても 病いと云うて 更になし 
 心違いの 道があるから
三号95
 銘々の 身の内よりの 借り物を
 知らずにいては 何も分からん
三号137
 思案せよ 病いというては 更になし
 神の道教える 意見なるぞや
三号138
 一寸したる 目えの悪しきも できものや
 のぼせ痛みは 神の手引きや
三号139
 世界中 どこのものとは 云わんでな
 心の埃り 身に障りつく
五号9

 教祖は次のようにお諭し為されている。
 「病のもとは心から」。
 「案じる心が身上になるのやで」。
 「病というても身上に障りつくは二分、あと八分は神経や。ふところに少しでも持っていたら、施してやってくれ。心勇めば身も勇む」。
 「身上事情を病いと言うやない。病いというは日々の心のあらわれ、身上事情は前生もあるのや。病いというてさらにない。心のほこりだけや。心を倒すのが病い、倒さんのが身上というて花や。人間思案で通るから倒れるのや。人間思案を捨てたら、そのまま通れる。人間思案を捨てるには、親の声だけがたよりやで。親の声、何でも聞かしてもらわにゃいかん。無理と思うな無理とおもうな、きっと連れて通るほどに」

 ちなみに、出典は不明であるが、吉田兼好の「病を受くる事、多くは心より受く」という言葉がある。
 「身上事情の中、勇んで通るから神が守るのや。もうあかんと思うのが人間心やで。人間心捨てにゃ身上事情の中は通れんのや」
 「身上事情の中は通り難いやろ、その中を通るのや。通れんと言うやろ。もたれる心あったら通れるのや」、「身上事情は結構やで。身上事情のうては道は通れんのや。 その中、勇んで通るのや。親の声一つがたよりやで。親という理忘れたら道はないで」。
 「『身上があるで、食うものはじめ、万事入り用である。身上があるで、田地、田畑、金銭をも、欲しいと云うのやろう。そこで、万物は、身上に付き添えて貸したもの』と仰る。身上を借りて、その上よろずの財をもうけたる者、拵えたる者、心ばかりでは、何一つもできやせん。この理よう聞き分けねばならん。教祖様仰るには、『分からん子供が分からんのやない。親の教えが届かんのや。親の教えが隅々まで届いたなら、子供の成人が分かるであろ』と、くりかやし/\何万べんとも数限りなく聞かして下された。おかげによって、分からん人も分かり、助からん人も助かり、難儀する人も、難儀せぬようの道をお付け下されたもの」。
 (「分からん子供が分からんのやない 」、「正文遺韻抄」諸井政一著(道友社)260-261p、御講話傍聴録8)
 「神様は、『人間身上は“病む日に病む”と思うな。災難ある日に災難あると思うな。日々月々年々に、知らず知らずに積んだ埃(ほこり)が、天然自然の理に治まって現れ出るのや』と仰る。
『息子も娘も一生、息子や娘やない。十五歳からこちらへの心は誰が遣うたか、他人が遣うたのやあるまい。みな自分が遣うたのやろう。その心が現れ出るのや』と仰る」。(「」)
 教祖口伝<◆明治17年4月12日、松村に対する教祖直々のお諭し>」。
 「神のこしらえた世界、人間である。神一条の道を通させたさ、よふきゆさんをみたいゆえ人間心で通る人間もある神のざんねん、親の心はたすけたい一条やで。人間思案を捨てて、さしづ一つの理をもって通りたなら、身上事情で苦しむようなことはない」。
 教祖口伝<明治8年から約10年間の、側な者に対する教祖直々のおさとし>◆明治18年5月3日、村田、辻、橋本、前川。
 「身上事情を病いと言うやない。病いというは日々の心のあらわれ、身上事情は前生もあるのや。病いというてさらにない。心のほこりだけや。心を倒すのが病い、倒さんのが身上というて花や。人間思案で通るから倒れるのや。人間思案を捨てたら、そのまま通れる。人間思案を捨てるには、親の声だけがたよりやで。親の声、何でも聞かしてもらわにゃいかん。無理と思うな無理とおもうな、きっと連れて通るほどに。身上事情の中、勇んで通るから神が守るのや。もうあかんと思うのが人間心やで。人間心捨てにゃ身上事情の中は通れんのや」。
 ----義理と人情の立て分けについて。
 「人間心捨てたら理は立つのや。人のような心遣うて通りたがる、それで理の立つはずがない。情をつぶして、殺して、親の心に添い切るのや。それで情のつぶれるような事はない。案じ心がいかんのや。よう思案して通れ」。
 教祖口伝<明治8年から約10年間の、側な者に対する教祖直々のおさとし>◆明治18年6月8日、高井
 教祖口伝<明治8年から約10年間の、側な者に対する教祖直々のおさとし>◆明治18年7月20日、辻、村田、枡井。
 「身上事情の中は通り難いやろ、その中を通るのや。通れんと言うやろ。もたれる心あったら通れるのや」。
 教祖口伝<明治8年から約10年間の、側な者に対する教祖直々のおさとし>◆明治18年8月3日
 「身上事情は結構やで。身上事情のうては道は通れんのや。 その中、勇んで通るのや。親の声一つがたよりやで。親という理忘れたら道はないで」。
 「病というは心から」(昭和四十八年八月発行「山田伊八郎文書~教話」359-360p)。
 「身は借り物の体。心一つが我がの理。この借り物の体、病い一つもない、病ひと云うは心から。御話しを聞いても真の心に理が治まらねば何もわからん。そこで世上世界では病みわずらいも色々。又不自由難儀と云うも色々。又は因縁が現れ出て憂いている者も色々。この因縁の理が現われるのは、大き事にも現われてあれば、又は、一家の内に現われてあるものもあると御聞かせになりてある。そこで是を世界と云うては一寸わかりにくい。日本だけでと云うても、まだ広くてわかりにくい。それでは一国だけでと云うてもまだわかりにくい。それでは一郡だけにと縮めたら、まだわかりにくいとあれば、その一村で、まだその新村やなしに大字にて。さあこれで、二代、三代前からの事、思案してみよ、と御聞かせに成りて有ります。又、富に金がたまると云うは、その家にきづがでけるとか、人に不足ができるとか、不足な子ができるとか、何なりと不足ができて、たまりだしたら、金と云うものは沢山できるもの」。

※このお話は教祖のお話と教話が混在したものであるが、その境界線が曖昧である為、あえて原文のまま紹介させて頂きました。そのつもりでお読み下さい。
 お指図教理は次の通り。  
 「事情なければ心が定まらん」(明治20.1.13日)
 「一つ心、我がと我がでに我が身を責めるで」。(明治20.3月)
 「先を案じあるから、自由自在一寸身の内の処不足出来る」(明治20.5.10日)
 「心に掛かるから身に掛かる。……心に掛かるのが神の邪魔になる」(明治20.5.12日)
 「心発散すれば身の内速やか成るで。病というはすっきりないで。銘々の心が現れるのやで」(明治20.9.5日)
 「心で思う通りに障り付くのやで。急くから咳が出る」(明治21.1.23日)
 「神は何にも身を痛めはせんで。さあさぁ銘々心から痛むのやで」(明治21.9.18日)
 「何程の事と言うても拝み祈祷するやなし、ただ一寸話聞いて、成る程という心なら、身のところ速やかなものや。どんな事も心通りや」(21.9月、輔弼)。
 「神は不足な身上は貸したやない。身上に不足あると思うは違う。皆な心の不足を身に現れるのや。心さい速やかならば、身に不足は何もなきものやで」(21.9月、輔弼)
 「何が間違う、これが間違うと思う心が間違う。さんげこれ一つよう聞き分け」(明治29.5.1日)
 「さあさぁ尋ねる事情/\、身上という、心得んと言うやろ。身上心得ん。一年改(あらた)め、二年改め、身上から改め。一年改める、二年改める、三年改める。一つ/\心の理 改め。道これまで運ぶ處(ところ)、十分受け取ってある/\。長らえて道中、掛かりならん處 運んだ理は、十分受け取る。それから心という理/\、とんと計り難(がた)ない。順序改め掛けた/\。又(また)事情、一年改め二年改め三年改めて、事情働き損やない/\。年々銘々心の理で伸びたもの/\。誰怨みやない/\。一時鮮やかなら、一年二年三年理が、表という一つ理に集めてやろ。理に取り立てる。これ楽しませ/\」(明治32.3.22日)。
 「俺はこれだけ思うて居るのに何故成らん、何故いかん、段々理に理を付けるから身上という」(明治32.8.6日)
 「心迫るから身上迫る」(明治32.8.6日6)
 「難儀さそう不自由さそう親無き理。そこに身上掛かるはどう、又(また)重なる事情に掛かるは、どうと言うは日々であろ。なれど、心取り替え/\。身上一時どうとは言わん。一寸(ちょっと)大層。成っても成らいでもと、心尽(つく)した理は末代。理 末代の理。これ将来に聞き分けば、怨みる處(ところ)ない。よう聞き分け。一代と思うによって、心どうもならん。難儀不自由銘々思うから、銘々理に掛かる。これよう聞き分け」(明治32.12.21日)。
 「心勇めば身の内障りなきもの」(明治33.6.1日)

【事情、身上(病)は道の華】
 
 神様はなぁ。親に因縁つけて、子の出てくるのを、神が待ち受けていると、仰(おっしゃ)りますねで」。





(私論.私見)