元の理効能考、お諭し考4、ご守護の理

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.10日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「元の理効能考、お諭し考4、ご守護の理」を確認しておく。ここで、「元の理」の元々の教理を確認しておきたい。この種の試みはまだなされていない気がする。

 2007.12.25日 れんだいこ拝


【元の理諭し】
 「諸井政一集 後篇84頁 御講話傍聴録二」より 
 「『火は火や、水は水や。何でもないと思うていては違う。火と水とは一の神。なくてはならんものの一つ。間違うたら、どうにもこうにも人間の力で防げん。ここをよう思案せよ。さあ、そうなってきたら、いかな強欲(ごうよく)でも、悪気者(あっきもの)でも、そんな事どころではない。何もかも忘れて、まず第一に手を合わすやろ。さあ、手を合わしたら何と言う。“なむ”という言葉が先へ出るやろがな。“南無”は親々(月日/くにとこたち・をもたりのみこと)やで。いかな大水も、大火事も、大風も、皆なこれ“親の意見”やから、知らず知らず、親を呼び出して頼むというは、仏法というものを、人間の心 和(やわ)らげるために、教えておいたのやで』と仰いました」。

【人間の身体ができてくる理】(「理の話し」参照)
 「人間の身体ができてくると云うのは、知らぬ間にお腹に宿りて、十ヶ月の間、眼、鼻、耳、口、手、足、男と女と云う身体もできて来る。人間の身体は誰も知らぬ間にでき、知らぬ間に大きくなって、15歳になれば一人前に成ってくる。立毛の成長も然りで、種を蒔けば知らぬ間に芽、葉ができ、花が咲き、実が入ってくる。世界にあるもの、草木、鳥、畜類、万物が然り。皆な不思議で、知らぬ間に成ってくることを天の理と云う。雨降り、風吹き、旱魃(干ばつ)、地震、雷、津波、流行病の流行りも然りで、天の理で成ってくるものである。

 人間の難儀と云うは、夫婦が離れ、親子が離れ、兄弟が離れ、貧に成ろうまいと思うても貧になり、病に成ろうまいと思うても病にかかる。難儀するのも、不自由するのも、これ皆な知らぬ間に成ってくるものである。これ、人間の考えで成ってくるものではない。これらは全て天の理に添うてないものである。神の残念と云う。難儀すると云うのも、良いことに会うも会わぬも、これ皆な人間の心が天の理に添うてあるのとないのとによってであり、成ってくるのを天の理と云う」。


【人間身の内の理と世界の理】
 「月日様は、人間を拵え下され、その人間に合わせて、世界を拵え下されたゆえ、身の内にあるものは世界にすっかりある。身の内のことが詳しく解れば、世界の何ごとの理も皆な解る。頭は天、胴は地なり。その証拠に頭は冷たく、胴、足温ければ身に不足なし。世界も天は寒い、地は暖かい。土地の高い所は寒いけれども、低い所は温い。天は月様にて水気、地は日様にて温みなり。両眼は月日なり。手足の十本ある指の親指は月日。後なる八本は八柱の神様なり。

 心は神なり。いかなる悪人にても、元の性質は正しきものなり。その証拠に、人の物盗むにも、抜けつ隠れつするは、元の正しき心が咎めるからなり。その正しき心が神なり。

 人間の息は、世界のもや、霧のようなもの。身体の水気は水、温みは火。爪、睫(まつげ)、髭、頭の毛、前の毛、腋毛、その他の毛にもそれぞれ理あり。口、血筋、四十八ヶ所の脈、身の内の怒り病、腫れ病、熱病、お腹の鳴り、臍にもそれぞれ理あり。

 人間生まれ出しは五分からにして、五分五分と成人したとある。今でも、一寸の虫にも五分の魂と云う。また勝負の勝ち負けなしを五分五分と云うなり。人間を計る物差しは、竹の差しが始まりなり。

 また、女の月役は、世界の草木が、花が咲いて稔るのと同じ。月役がありて、子が宿るものなり。この世の元は月様。「ね」が一番元ゆえ人間も子が宿るのが始まり。月様宿り下さるゆえ、月とまると云うなり」。


【身の内一家に於ける七福神の理】
 「夫婦を始め家内中睦に揃うて丹精尽くすを七福神と云う、睦に揃うは六にて家内仲良くむつまじい事なり。揃うて丹精尽くすは七なり。真心にて丹精尽くせば毘沙門天にて切り分け与え下さるなり。恵比寿、大黒、福録、芸豊、布袋、弁財天、以上六金神と毘沙門天にて七福神なり。

 大黒天が担ぐ二俵の米俵は睾丸二つなり。担ぎたる袋はきんのうなり。手に持つ槌。大きなる頭巾をかぶりたるは○○なり。下を向きて足納す。これは世界にて大国主命にて金持ち長者なり。福録神は、夫婦睦まじく暮らせば福は睦く録と云う理。側に鶴の居る理はつるはたつると云うて男一道具の理なり。○の一の道具は男一の道具を起る役なり。弁財天が美女の姿に見ゆる。芸豊の頭の長き。布袋の腹の大きさは女懐胎になりし姿なり。恵比寿の足の立たざる姿は婦人がお産する時の風体なり。抱えし赤鯛は懐胎せし子の生れ出たるなり。懐胎は海鯛の理にて赤鯛は赤子の理なり。釣針は胎内にて肉縁を切り分け下さる理。釣り糸は胎内より引き出し下さる理。釣竿はお産を司る理。竿と云うはお産の王と云うなり。猿王権現の猿田彦之命又庚申とも祀るなり。恵比寿を少彦命と礼拝するは、人間は分丈相応に足納して喜んで居れば福の神の少彦尊のご守護をいただく。又にこっと笑って暮らせば恵比寿様なり。毘沙門天の姿はお産する時の婦人の力みの理を現したるなり。笑う門には福来り、怒る門には鬼来ると云う。家内仲よく笑うて居れば福神、怒る心は鬼なり。世上には鬼と云う者は居らぬものなり。腹立ち、怒り、強欲、重欲の心が鬼なり、悪気なり。鬼は心の内より出で福は外より入るなり。内は我が身なり、他人は外なり。往古より節分に煎り豆を蒔くに、福は内、鬼は外と云う。豆を煎るは悪気の芽を出さぬ理。鰯の頭を用うるは目鼻口耳の四つを祝う理にて祝は四、即ちゆわし心思い始めにこの四つの使い方を祝うなり。鬼の目刺しを差すは強欲重欲、怒る心の眼を出さぬ理なり。よく/\往古よりの式来たりの例を見て、その元本の理を考え人心を改良すべきなり」。


【八方の八柱の神様が人間に入り込み日々の守護の理、身体と世界の守護】
  「天地、月日、水気、温みも同じこと。月日両神は、万物の親、万有の集合の大源。月日のお入り込みなくては、六柱の神様お働きはできぬ。陰陽和合、即ち、月日より万物は生まれ出て、各々形を現わし、この世に命があるなり。人間は、月日の魂より、生まれたる分身なり。人間の身体は、八柱の神様のお心の現われなれば、八柱の神様が入り込み、お住い下さるがゆえ、身体の自由用自在が叶う。神様は、人間の心にのって、お働き御守護下さるなり。

 男神五柱は、人間に取りては男の理。一家にとりては夫の理。女神五柱は、人間にとりては女の理。一家にとりては妻の理。男神は男の心に入り込み女神は女の心に入り込み、世界も、身の内も同一に守護下される。皆な人間の自由用が神の働きである。神様と身の内を別々に思うていては、天理は解らぬものなり。神は、身の内にいるなり。 

 五倫は五柱の命の御心なり。五体とは五柱の臺なり体なり。代なり臺と云うも体と云うも同じこと也。五柱も命の御心とは、五柱の尊の台とは第一くにとこたちの命、第二おもたりの命、第三くにさづちの命、第四つきよみの命、第五くもよみの命なり。木火土金水これ五行也。裏表となりて十幹となる。裏倫表体十幹とは、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸。五倫は五台、木、火、土、金、水なり。干支なり。えは甲、丙、戊、庚、壬のえなり。とは乙、丁、己、辛、癸の五つなり」。

【百姓たすけの理】
 「百姓たすけは、第一に雨乞い。第二に芽だしの札。第三に稔り十分の札。第四に虫払いの札。この札のお守りは、千枚すって一座のつとめにかける。第五に作物肥えのさずけなり。この肥えと云うのは、糠三合、灰三合、土三合、合わせて九合を調合して用いるときは、肥やし一だの替りとなる。この肥え九合をもって一だとし、百だずつを一座のつとめにかける。これら皆な施しするべし。このつとめは、神楽十二下り手踊り陽気づとめなるべし。この助けを親神へ願うことなら、神の教えを守り、慎むべし。もし、人道に反する時は、その効き目さらになきものなり」。

【「まことたから」】
 瓜と茄子の歌
 人間一名一人の心を改め誠となりて互いに心を合わせば、為せば成り何事も成就す。心を合わさずして成したる事は成就せず、たとえ成りても後破れ易くして、成したる事仇となること多し。故に万事成就は真より成るなり。これ真実といゝて誠の実なり根元の証拠なり。茄子と瓜。なすとは、事成就する理にて事を成す、真実の成ると云う事。うりは、愁いと云いて花多く咲きても実成る事少なく、あぎ花多し。故に昔より、『高い山から谷底みれば、うりやなすびのはなざかり、これわいどん/\ど、あれわいどん/\ど』。この歌の意味は、月日様が、人間のする事成す事を高い所より御眺め下された、その眺め下された中に人間思い/\にて心に巧み身に行う業にて宝を求め、財を殖やそうとする景色が見える。花を咲かす者もあれば、愁いを招く花咲をかす者がいる。種々行う者の盛りと云う歌なり。

 紫は色の王にて青と赤との合いたる色なり。青赤は月日の真なり。故に千に一つもあざ花なく始めより終わりまで実が成りて誠の理なり。瓜は葉青くつる青く成る実も青くなれども肝心の咲く花が黄なり。故に瓜はあだ花多く、成る実は十に五つ三つに一つ位のものなり。人間行う業も心を合わさずしたる事は十度の事を行いても都合よくして五度位なり。跡五度愁いを招きて悲しみの種となるなり。

 故によく/\心を改め我より人に心を合わし睦まじくし、事を行い真の花を咲かし誠の実成らすべし、謀反の心にて咲かしたる花はいかに栄えるとも長く保たず、折角子孫に譲りても、却って仇となるなり。たとえ我が身一代栄華に暮らすとも子孫の難儀に及ぶ事鏡に懸けて見る如く明らかなり。又一つの意味は、この度は谷底にては段々と多く用木が見えてあるぞやと仰せられ、谷底に用木あると云う事。近年に至りてどじょうすくいが流行するこの理は、愈々神様の旬刻限が至りて神因縁の深き魂をすくい集めらるゝ理である(前世の因縁寄せて中護する)。但し、この意味は最も重要なる事なれど文書に書き現わす事できん。


身の内に於ける高天原龍宮の訳
 高天の原龍宮は人間身体にては○○○○の時にて子種を男より女へ宿し込み下さる時の理なり。高天原とは、男の腹世界にては雲なり、龍宮は女の腹の中なる、子宮高天原より天人天下るは男より子種女の腹に入る。天人の絵に美人を描きたるは○○の時の男の心の理を顕したるなり。天人琴や笙を持って居る理は子の宿る時の○○正の事や笙琴は鳴り物の王也、正の事は真なり、誠は六物六臺かしこねの尊なり、鳴り物はかしこね様子の宿らぬ時の○○は親神様人間夫婦仲良く暮さす為○○○に守護下さるなり。くもよみの尊善女と変化なせし理は此の天人と同一にてよき女という事なり。龍宮とは子宮なり、子は最初一○○水なり、水はくにとこたちの大大大尊、元本は龍王の理、故に子宮は龍宮なり。子の宿ると云うも月泊まるというも同一の理、龍宮乙姫と云うは女の体を云う世界何ようも天より種を雲にて含まし大海へ下げ下さる也。

 右身の内に有る事は世界に有り、元々人間御造化下さるに付き身体と世界の理と同一に御造り下さる、人間一人を一年と積もりて九億九万九千九百九十九人の魂をいざなみ様の御腹より産み出し下さる故身の内に有る事は皆世界に有る也。


【人間一代の理】
 身の内ができて一日ができる。元々人間がこの世に生まれ出た故、一日と云うことができ、始まる一日ができて一年ができ、一年ができて六十年ができる。四季故に八方の神が四季、十二支、十二刻、十二ヶ月、五年づつ三つ寄せて十五年を一季とし、五年と云うは六十一ヵ月、一ヶ月は潤月五年を十二合わせて六十年。一年の潤年を加え六十一年が還暦と巡戻る。

【妊娠十月十日の理】
 人間宿りてから、生まれ出るまでの十月十日の間は、十柱の神様それぞれの守護なり。
一ヶ月目 くにとこたちの命様の守護 水一滴の守護により、体内に宿り、この間に芯なる眼が宿し込まれる。
二ヶ月目 をもたりの命様の守護 血の固まりが出来て来る。
三ヶ月目 くにさづちの命様の守護 筋、皮をお造りになられる。
四ヶ月目 月よみの命様の守護 芯なる骨をお造り下される。この時期、初めて人と動物の区別がつく。
五ヶ月目 くもよみの命様の守護 飲み食いの道をお造り下される。
六ヶ月目 かしこねの命様の守護 耳、鼻、喉、呼吸器などをお造り下される。
七ヶ月目 たいしょく天の命様の守護 六ヶ月目までに出来た九つの道具を切り、整えて下される。
八ヶ月目 をふとのべの命様の守護 知能が整い、身体を引き伸ばして下される。
九ヶ月目 いざなぎの命様の守護 種の守護を下される。
十ヶ月目 いざなみの命様の守護 苗代の守護を下される。
最後の十日 十柱の神様それぞれの守護 一日ずつ、両親の心と合っているかどうか調べて下される期間なり。この十柱の守護に欠ける所がなかったなら、何不足なしに安産さして頂くことができるなり。

【九四(このよ)の訳】
 身の内にあるもの世界にあり、世界にあるもの身の内にあり。算術の根元は皆なこの理より初まる。宇宙の真理は皆な九九で理が出る也。 算術は術法なり。測量とか天文とか総てこれにて明算す。算術は天理より教えられたるなり。そろばんと云う。皆な世界は十と云う世界なり。天理は根元、学問は枝末なり。この世の根は月様、子が一番の元。故に人間も子が宿るが始まり也。月泊まると云う月様宿り下さるなり。故に人間子の宿る所を子宮と云う。龍宮と云うも同じ意味にて、身の内では子宮、世界では龍宮と云う。

【大小潤の訳】
 「月に大小ある。親神その理を計り御守護下さるは六十年に十二ヶ月潤あるは女に月水を下さるなり。月経は天の月様の恵みなり。潤壬は雲読様が水を分け下さる理なり。女の魂は日様の分魂故、三十年間の月水なければ女は焼け死ぬ故、月様より授け下さる水なれど、女の身が日様の分身故赤き心写りて赤くなる。総て血液は日様にて赤くなる。三十年間、月様よりそれだけの余分の水を御守護下さるで七十とか、八十、九十と、男と同様に連れて通り下さる。月経は色気の花なり。色気なき者にはなし。世界にては桃の花と同じ理。二十九日の小月が女の理故、潤月が月経なり。潤月があって男と同じ事になる理なり」。

【交合交際之訳、男女交合の五倫五体本元之理】
 「男女真実に交合するを夫婦と云う。世界の土用と云うのが人間身の内に取っては夫婦交合交際の理。土用の理によって皆な万物が殖える。世界も身の内も土用と云うものは冬至と夏至と云う。人間交際は骨の折れるもので交際は互いに辛抱の仕合いをせねばならん。土用が一年に於いて最も陽気の良い時、人間も交合が最も陽気の良い事。交合も交際も同じ理。土用は十五日。かかりの三日は辛の神の続ぎの理にて合わせて十八日。色情とは四季の情と云う事。四季の陽気、陰陽和合にて万物育す。人間も男女陰陽同じ。夫婦の心合はざれば子供完全に成育せぬ、健全の者が生ませぬ。

 堅いと云う理は皆な月読尊なり、柔かいと云う理は皆な国狹槌尊。堅きものは一切この神の理、柔かき物一切はこの神の理。堅い柔かいと云う理は一切夫婦この二神の理が元。故に一方が何程堅くても一方が柔らかにあれば睦まじく行けるなり。又柔堅の二者の時は柔が表也。

 天理は皆な十と云う世界なり。水は横に流れ火は縦。人間も昼は立ち働く夜は伏す。横に寝たら水の理。但し夜でも光を点じ。仕事中は昼の理に、昼でも寝たら夜の理に御守護下され、家屋でも縦に使う、立つ柱は皆な月読様の理。桁とか梁とか横に使う。続ぐものは皆な国狹土様の理」。

  「五倫五臺重なりて重となる即ち十これ夫婦なり。女臺となりてこの世の人間始めたるなり。これ陰陽和合の始めなり。男女呼吸風風として六物六臺となる台に子宿りし理なり。○○○時、男の頭の渦巻きが月様、女の額が日様、男の鼻口、女の鼻口はいざなぎ、いざなみの二命なり。鼻口が夫婦なり。天は地、地は天にうつるなり。男の呼吸女の息の交じる。この理を月日二神様いざなぎの命を男種、いざなみの命を女苗代として○○の道を教え下された人間御造化始め世界御造り下されたるなり。地と天とを形取りて夫婦を拵え来るでな、これはこの世の始めだし」。

【五臓の理】
胆臓  月様。目に通じる。意。見るは表、意見。胆眼勇む。物が恐ろしうて心細くなるのは胆臓が弱って居る。胆の小さい者は月様の御心に沿わぬ。胆は月様の御心に沿うだけ太くなる。借り物と云う事が分って心が落ち着いたら太る。勇む心は胆の養い。勇むは勇気と云う。胆玉の小さき者は勇む心なし。
心臓  日様。鼻に通じる。心。心臓鼻安んず。物が案じられて心配でならんと云うは心臓が弱っている。心臓は安心すれば丈夫になる、心太ると云うは神様の道を段々納めて安心ができたら胆が据わるから太る。物を知りて安心するだけ胆が据わるから心が太る。我が身安心、人に安心させる心なら心臓は痛まぬ。又学問すればするだけ物事を覚えるだけ、一つ学べば習うただけ、心が広く太る、屋敷を広めるも同じ事、我が心の範囲を広くする。感心は心の養いと云うて苦労しただけ心が作れる。
肺臓  かしこ根様。口に通じる。思う。肺口喜ぶ。我が身も喜ぶ人にも喜ばす心を使うて居たら肺は痛まぬ。
肝臓  大食天様。耳に通じる。慮る。肝耳楽しむ。音響の耳より肝に入る。目の醒めるも肝が一番先き、眠るも先き。算術等の達者なるは肝が一番の働き。勘考、堪忍。肝の病は大食天で欲から起る。忍は刃に心、刃は虎に同じ理なり。慮りは忍と云うも同じ意味なり。
腎臓  月読様、国狭土様が裏表。腎臓は男女交合の時、梅の木と同じ理にて夫婦一つに成った理。人間を造る源なり。嬉しいと云う心が腎臓を養う。

 「五臓を胸と云う。六腑を腹と云う。六腑は、脾、胃、大腸、小腸、十二支腸、膀胱。胸は六つの根。目、耳、鼻、口、飲食い、息する道具六つ。胸はあたまと云うも同じ、頭のよいと云うも胸のよいと云うも同じ事なり。最も心は胸が本根なるが只胸四つだけで心が働くと云うものではない、全身あって心が働く。八埃は五臓の働き即ち神を無にする、五臓を腐らす心也。

 徳積み、心の使い方にて大なる相違となる。善悪二つの理は、助かる道と、死ぬる道と、落つる道と、上る道との理の区域をよく間違いのなきようにと仰せられる。楽しみ、勇む、安心、喜ぶの四つが胸を養う心。この四つの心を信神信心という。日々の心の不足、喜べんのが天理には一番重い。喜ぶという心が天理に叶う第一なり。喜べんという心は欲が深いからであり、如何ほど結構でも結構と思えぬ不足から起る。自分が安心せずして人に安心させよと云うても、向うへ写らんから道がつかぬが如し。自分が嬉しい心なくては人に写らん、匂いが掛らん。嬉しも楽しも、し、と云う心に花が咲く。その薫ばしき匂いを人に写すが匂い掛けとなる、自然と人の心が写るなり。皆な八挨から心が小さくなって神魂の徳を失う。

 小さい心では神の器には成れん。勇気なく胆玉小さきは心に真実無き理なり。例えば昔の武士はまさかちがえば命を惜しまんと云う度胸有って胆が据わった如く、一身を捧げて成すと云う真実なれば太る。心を作る事、心を大きくする道を知らねば、道は何年暮れても役に立たぬ。これが天理の第一なり。

 世界中の物が天理故、皆なその元その神の理を心に治めて我が心の宝とする。末代の宝、心の財産である極意を治めねばならん、何にもならん。皆な治めてしまわねば心澄まぬ理。故に八方の神様の括り治めは月読尊。天理を皆な読んで治める安神立命。神様の御言葉に大きい心になれ、小さい心ではにっちもさっちもどうもならんと仰せある。大きい心とは、欲しい惜しいもない苦労をいとわんと云う、身欲のない真実の心を云う。又真の誠の心を以て力の及ぶ限り国家の為、道の為を思うて尽くし運びをしたならば、心に治まった理は末代の理なれど、親が何ぼう宝を与えようと思うても心に相違あってはどうもならんと仰せられた」。


【五倫五体の理】
 「首より上の心の働きを五倫、首より下の働きを五体と云う。上下、天地、男と女も五倫五体なり。上、天、男が五倫なり。下、地、女が五体なり、五代なり。たいと云うも、だいと云うも同じことなり。五倫は天、五体は地ゆえ、男は天、いざなぎ、女は地、いざなみなり。いざなぎ、いざなみは、男と女で夫婦なり。夫婦交合の時は、男は天、女は地なり。これ、五倫五体なり。すなわち五行と同一なり。

 五行とは、木、火、土、金、水なり。五行から分かれたものを、きのえ(甲)、きのと(乙)、ひのえ(丙)、ひのと(丁)、つちのえ(戊)、つちのと(己)、かのえ(庚)、かのと(辛)、みずのえ(壬)、みずのと(癸)の十干(じっかん)の干支(えと、かんし)なり。

 五倫五体の五倫とは、五柱の神様の心にて、天においては、月輪、日輪、源助星、破軍星、明けの明星の五倫なり。五体とは、五柱の神様の働きにて、くにとこたちの命様、をもたりの命様、くにさづちの命様、月よみの命様、くもよみの命様の働きなり。

 ゆえに、五倫五体十干とは、

 月輪様は、くにとこたちの命様、土にて、つちのえ、つちのと。

 日輪様は、をもたりの命様、火にて、ひのえ、ひのと。

 源助星は、くにさづちの命様、金神にして、かのえ、かのと。

 破軍星は、月よみの命様、木神にて、きのえ、きのと。

 明けの明星は、くもよみの命様、水神にて、みずのえ、みずのとなり。

 きのえ、ひのえ、つちのえ、かのえ、みずのえ、この五つのえは、天、男なり。きのと、ひのと、つちのと、かのと、みずのと、この五つのとは、地、女なり。五輪五体重なりて十なり。これ夫婦なり。この十干が重なりて、ふうふと交わりは、六仏六代の理なり。これは、陰陽和合のきなり。風なり。六台とは、木火土金水風。火と水があって風になるゆえ、夫婦と名の付く元なり。また、十干十二支の十干は、幹で、元なり。十二支は、枝なり」。







(私論.私見)