「二代真柱・中山正善のこふきの研究」考

 (最新見直し2012.03.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 通称「泥海古記」の「古記」の解釈を廻って諸説ある。これを確認しておく。

 2011.04.13日 れんだいこ拝


 二代真柱・中山正善氏の「こふき論」は次の通り。これを転写しておく。※原文の旧字体は、すべて新字体に書き換えている。

 「こふきの研究」より(その一)

 昭和三十一年五月二十七日から約半年にわたって、こふき≠ノついてのお話を続けて参りました。“おふでさき”や“おさしづ”の中にありますこふき≠フ言葉から、こふき≠ニ称えられて来た写本の幾つかを紹介して来ました。十四年本の和歌体から、十四年本、十八年本等を見て参ったのですが、その結果、次のような事が、おわかり頂けたと存じます。先ず第一に、こふき≠フ内容は、
 (イ)“おふでさき”で窺(うかが)いましたように、“かんろだいつとめ”に関係あることでありまして、これは、“陽気くらし”への“たすけ一条”に関係あることを意味されています。言い換えますと、“かんろだいつとめ”の完成されることが、こふき≠フ完成であり、末代の“たから”であると、仰せられているのであります。
 (ロ)次に、こふき≠ニ称えられる書き物についてみまするに、年代と共にその内容には、多少の別はありますが、概(おおむ)ね、
 一、この世初まりのお話
 二、人間身の内の御守護
 三、“いんねん”と“ほこり”の話
 四、“をびや”の話
 五、教祖(おやさま)
 六、神道見立(みたて)
 七、仏教見立
 等になってありまして、“おつとめ”の意義の説明から発して、信仰するものの態度にまで及び、その節、その節のお話のあやと思われる説話にまで含まれているのであります。つまり、“つとめ”の理の解き明(あか)しに始まるお話が、それを聴いた人々の執る態度にまで、説明が加わってありまして、年代のすすむにつれて、説明が詳細に渡り、本質的な筋に、種々の粉飾と思われる説話が、増しているように思われます。

 第二に、こふき≠フ目指されている目的ともいうべき廉(かど)を窺ってみますと、こふき≠フ内容を、単に発表されているばかりではなく、取次@{成を意図されているのであります。“たすけ一条”の成就を、独り教祖の努力のみに依るのではなく、助手ともいうべき取次≠フ手によってもすすめられるべきであり、その取次@{成の為にこふき≠ェ物され、又、そのこふき≠ノより、取次が教祖の助手たるの立場、用木の御用が果されるように考えられるのであります。

 かかる意味から、こふきを作れ≠ニの意味は、“つとめ”を完成せよ≠ニの意味から、取次たるものの心得台本を作れ≠ニいう意味に転じているかの如く思われるのであります。当初、“おふでさき”に感ぜられたが如き、“つとめ”の完成≠ノは取次たるものの話の台本、心の定規を作れという具合に感得され、処理された如く思われるのであります。(つづく、以上153〜156頁より)

 「こふきの研究(その二)

 かくて、教祖は、日々にお話あり、それを取次たる者をして、筆に誌せしめられたのであり、皆、取次にお聞かせ下さるのであります。又、“おふでさき”の終わった頃から増える刻限話や、錦の仕事場たる本席の刻限話等も、こふき≠ノ関係あるものと考えられ、こふき&法にて、取次をお仕込み下されていることと、察せられるのであります。又、観点を替えて、こふき≠ニ称せられる写本の現れ初める頃は、丁度、“おふでさき”の停った頃であります。忘れるから筆に誌しておいたとお教え下され、親しくお筆をおとり下された“おふでさき”は、教祖の八十四、五才たる明治十四、五年頃に停り、その頃から、刻限話≠ェ増してくること、並びに、聴聞の信者層にも、筆の執れる人が増してきたこと、等から推量して、こふき≠ヘ“おふでさき”に次いでなされた教話伝達≠フ方法と考えられるのであります。

 従来こふき≠ノ対しては、古記≠フ文字を多く用いられて来ました。しかし、この文字は、当初から使われていたのではなく、寧ろ、後年になってから、使われ出したと思われる節が多く、必ずしも、こふき≠フお言葉は、古記≠ニ当てるとは、限らないと思うのであります。此世始まりのお話≠ェこふき§bの初めにある所から、その頃の信者中の有識者が、古事記%凾フ連想より、古記≠ニの文字を当て、その文字によって、こふき§bが代表称名とされて参ったように思われるのでして、十八年本の小松本に使われていた当字(あてじ)に、明治二十年以後ノ古記ヲ貫書(ぬきがき)ス≠ニありましたように、明かに、古記は古い記≠ニいうよりも、こふき≠フ音を写したものであり、写音の当字にすぎないと、考えられるのであります。

 以上のような諸要件から、私は、所謂泥海古記≠ヘ、此世始まりのお話≠指すという、従来からの常識なり、今日迄の私自身の解釈に、あきたらぬものを感じたのであります。これは、古記≠フ文字にとらわれ、その字義にとらわれてこふき≠フ語義となした憾(うら)みを感じたのであります。こふき≠フ音を古記≠フ文字に写したという事よりも古記≠フ文字にとらわれて、こふき≠フ意味を極限したと考えるに至ったのであります。そして、古記≠ヘこふき≠フ写音であり、文字には大した意味を考えぬ方が本来の意味を生かすものであり、先にのべたこふき≠フ内容なり、対象を取次の仕込み≠ノおいて考えるとき、寧ろ、こふき≠ヘ口で述べられたお話を記(しる)≠ウれた書き物を意味し、“おふでさき”に対してのこふき=A即ち、教祖の親しく筆を執られた書物に対して、教祖が口で述べられ、取次を仕込む上から、筆執り学人(ふでとりがくにん)として、一は取次に筆を執らしめ、一は取次の話の台本とされたものと考えられるのであります。即ち、親しく誌された“おふでさき”に対して、口授して書き取らしめられた記(き)≠こふき≠ニ呼ばれたものであり、強いて字を当てれば、口記≠フ方が寧ろ、本来の意味を写す文字ではないかと考えるのであります。

 以上、半年にわたりましたこふき≠ノついての叙述は、この字義を探ろうと考えたからなのであります。そして、口記≠ノ及び、教理説述の方法として、口に、筆に、或は行いに≠ニ述べてあります教典の説明に、更に加えて、口授されて書き取らされた∞こふき≠フ一方法が考えられ、かく考えますと、“おさしづ”も亦(また)、こふき≠フ一つであると考えられるに至ったのであります。(後略)

 昭和三十二年七月発行「こふき≠フ研究 成人譜 その三」(中山正善)153〜159ページより

(私論.私見) 「泥海古記」か「泥海口記」か考

 中山正善氏の指摘によると、「泥海古記」はむしろ「泥海口記」と解すべしと云うことになる。その為の考証をいろいろしていることになる。案外そうかも知れぬと思う。但し問題は残る。教祖の「元始まり話」は、はるか昔の人類創世譚から説き起こしており、その意味では「古記」と理解して何ら差し支えないように思う。「古事記」から発想して「古記」としたとする説は半面の真理に過ぎないとも思う。そう云う意味で、どちらでも良い、両面で受け取るべしとも思う。

 2011.4.13日 れんだいこ拝





(私論.私見)