泥海古記どろうみこうき)諸本

 
 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.3.4日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、みき教理の精華である「元始まりの理話し譚」(「泥海こふき」とも云う。以下、「元の理」と言い換える)を開陳しておく。これに関する解説は「泥海こふき論評」で、「元の理」そのものの解説は「泥海こふき逐条解説文」で為すことにする。

 「元の理は、教祖がお筆先の中でも記しているが、総合的な話は信徒に対する口記で説かれていたものと思われる。教祖は、主だった信徒に筆記するよう促し、でき上がったものに目を通したが、満足するものはなかった。つまり、正式の定本はない。その後の応法の理過程で隠匿され、細々と語り継がれる運命を辿った。戦後になって復元が叫ばれ、自由に説ける時代を迎えたが、教祖が満足しなかった諸本を教理として聞き分ける体裁のまま今日に到っている。ここに、れんだいこが、「れんだいこ版『元の理』」を認め、世間の耳目を得てみたい。

 2007.12.25日 れんだいこ拝


れんだいこ文法に則る書き換えについて
 以下、「元の理」諸本を確認するが、本サイトは考証より読解に重きを置いている為、原文をれんだいこ文法に則り以下のように表記替えする。

 「さあ/\」は「さあさぁ」、「一段落々々々」は「一段落/\」、「めんめん」は「銘々」、「だんだん」は「段々」、「置く」は実際に「置く」の場合以外は「おく」、「無」は「な」又は「の」、「皆」は「皆な」、「話」は「話し」、「願」は「願い」、「付」は「つき」、「出来」は「でき」、「さしづ」は「指図」、「思やん」は「思案」、「いんねん」は「因縁」、「をや」は「親」、「さんげ」は「サンゲ」、「たんのう」は「タンノウ」、「成程」は「成る程」、「たすけ」は個人レベルで「助け」又は集合レベルで「救け」と書き換えた。

 「元の理」の採録に当っては、「ゑ」は「へ」、「え」。「よふ」などの「ふ」は「よう」などの「う」。「へ」も必要に応じ「え」。「ハ」は「は」、「わ」。「バ」は「ば」。「わ」も必要に応じて「は」と書き換えた。文意上「に」を「は」、「は」を「に」に書き替えた箇所もある。「事」は和語的意味のものは「こと」と表記替えした。

明治14年和歌体/「山澤良助本、題名なしの泥海古記」
 「こふきの研究」p56-73より

 先ず和歌体と説話体の両本を紹介することにいたします。和歌体は、明治14年のもので、沢山の写本がある。歌に多少の差があるが、復元第14号で山澤為次氏の記しているように、百六十首本と、百六十一首本の二首に結着するようである。山澤本は、お筆先のように一枚に八首の歌を十六行に誌してある。各写本の相違についての考証は略す。復元第14号にならい、山澤良助筆「明治十四年三月記之、山澤良助」と表記されている写本を台本として、桝井本「此世初まりのお噺控え」によって第百六十一首を補足して紹介する。

この世は 本元なるは 泥の海。 
元なる神は 月日様なり。
それよりも 月様先へ 国床を 見定めつけて 日様に談じ。
それ故に くにとこたちの命(みこと)様。 この神様は 元の親なり。
これからは 世界拵え 人間を 拵えようと 相談きまり。
人間を拵えるに それぞれの道具雛型 見出す模様を。
見澄ませば 泥海中に 見えてある 
魚(うを)と巳(みい)とが 混じりいるなり。
この魚は 顔は人間 身体には 鱗なしなる 人間の肌。
それ故に 人魚と云う 魚なるぞ。 
見澄ますところ 一条なるの心見て 承知をさして 貰い受け。 
これに仕込むる 道具なるのは 見澄ませば。
しゃち(鯱)ほことて 変なるの 勢い強き。
この勢を見て 貰い受け 食て了もぅては、
この者の 心味わい 引き受けなして、
男の 一の道具に 仕込みあり。 人間なるの 骨の守護。 
この魚に くにとこたちが入り込んで 夫婦始め 人間の種。
それ故に 神名をつけて大神宮。 これなる神は いざなぎの神。 
この神は 何処に居るとな 思うなら、 
当年巳の 十六才 存命で 在(おわ)しますなり。
この神は 元の屋敷の 一の神なり。
巳様は 白ぐつな(蛇)とて 肌合いは 人間なるの 如くなるなり。
この心 真あ直ぐなるを 見定めて これを引き寄せ 承知をさして。  
又他を見澄ませば 亀がいる。 
この亀なるは 皮強くにて 踏ん張りも 強くて倒(こ)けぬ。
この者を 承知をさして 食て了うなり。
その心 味わいを見て 女子(おなご)の一の道具に 仕込み給いて
巳様へ 日様心 入り込んで 夫婦始め、  
人間なるの 苗代に使うた。
これで 一の神 いざなみの神 伊勢では外宮。
この神は 人間なるの 元の親。
この親様は 何処に御座ると 思うなら、 
当年巳の八十と 四才にてこそ 山辺の郡 庄屋敷。
中山氏と云う屋敷 存命にてぞ 在しますなり。
現れて 在しますなり この親は この世にいる 人間の親。
又亀は 人間の 皮繋ぎにも 使うた道具。 これに神名を くにさつち。
この神様は 親様の 胎内こもり 抱きしめ御座る。
今年から 三十年 経ちたなら 名はたまひめ 元の屋敷へ 連れ帰り。
その上なるは いつまでも よろづ助けの 守護下さる。
つきよみは しゃちほこなり。 これなるは 人間骨の守護の神。
この神は 当年巳の六十と 一才にてぞ 現れ御座る。
くもよみは うなぎ(鰻)なるなり。 この神は 人間の食い飲みの守護神。 
この神は 当年巳の 五才にて 存命にてぞ 在しますなり。
かしこねは かれい(鰈)なるなり。 この神は 人間息の守護の神。 
この神は 当年巳の八才で 存命にてぞ 在しますなり。
たいしょくてんの命は ふぐ(河豚、鰒)なるぞ。
この者心 味わいをみて 人間の死に生きの時 縁を切る。
これはこの世の 鋏(はさみ)なる神。
この神は 当年巳の三十と 二才にてこそ 在しますなり。
をふとのべ 食物の神。 この神は 黒ぐつな(蛇)とて 引き出しの神。
この神は 当年巳の十六 存命にてぞ 在わしますなり。
人間の魂なるは 泥海に いたるどじょう。
この心見て 皆なの者承知をさして 貰い受け、
食(くぅ)てその心 味わいを見て、
この八(やぁ)つ 人間魂 道具なり。 これに皆々 神名をつけて。
人間の子数は 九億九万人 九千九百九十九人や。
この年を 経ちたるならば 因縁(いんねん)の 元の屋敷へ 連れ帰りてぞ 
陽気なる 遊山遊びを さしますと 月日様より 約束をなし
今ここで 元の神々 人間で 皆な存命で 現れている。
これまでは この親様へ 出るまでは、 
我が身体(からだ)は 我がものなると 思ていた。 心違いや。
この度は 親様よりの 教えを聞いて 発明(はつめ)して
真実心 誠ふと 思う心は 家内(かなえ)残らず。
借りものは 目へ潤いと 温みいと 皮繋ぎいに 芯の骨なる、
飲み食いや 出入りなるも 息なるも これ皆な神の 借りものなるぞ。
この事を 疑う者は 更になし これ疑えば 御利益(ごりやく)薄し。
借りものを 誠真実 思うなら 何叶わんと 云う事はなし。
この屋敷 人間創め 元のじば ここはこの世の 親里なるぞ。 
この世の 元の屋敷の 因縁で 元の道具を 生まれ御座るで。
それをばな 見澄まし給え 四十五年以前に 天降りあり。
日々に 御話しありた その事を 詳しく筆に 誌(し)るすなり。
人間の 一の道具は 亀なると しゃちほことふ これ身の内へ。
これよりも 九億九万と九千人 九百九十九人 子数を、
このぢばで 三日三夜に 宿し込み 三年三月 留まりありて、
これよりな 大和の国の 奈良・初瀬の 七里の間 七日かかりて 産み下ろし。  
残る大和は 四日にて 産み下ろしあり。これで神館(かみがた)。
山城に 伊賀・河内と 三国(さんがく)に 十九日にて 産み下ろしあり。
そのあとは 四十五日 他なるの 残る国々 産み下ろしあり。
これ故に 七十五日 をびやちう 産み下ろしたる ぢばは宮/\
人間は 五分から産まれ 五分/\と 成人をして 三寸にては 果てまして、 
いざなぎ様は これにてぞ をすぎまします。 
この後なるは いざなみの命様なり。
その胎に 一度教えた この守護で 又親に元の人数(にんじゅぅ) 宿り込み、
十月経ちた 事なるならば この人も 五分から生まれ 五分/\と、 
成人をして 三寸五分で 果てまして、
又もや同じ胎内に 元の人数 三度宿りた。
この者も 五分から生まれ 段々と 四寸になりて また果てました。
その時に いざなみ様も 喜んで にいこり笑うて、 
もうこれからは 五尺の人にはなると 思し召し お隠れました。 
その年限は この年(ねん)は 九十九年の間なり 三度ながらも 九十九年や。
二度目の 産み下ろしたる 場所は 墓所(はかしょ)なり。 三度めは 三原(はら)や。
そこで一宮 二墓なり。 三度三原 これ詣り所。
これよりは 鳥獣(とりけだもの)や 畜類(ちくるい)に 八千八度 生まれ更わりて、
それ故に 人なるものは 何なりと 真似をできます ことであるなり。
この間 経ちたるならば その後は 月日様より 又御守護で、
猿なるを 一人残り これなるは くにさつち様。
この胎にてぞ 人間を 男五人と 女子を五人と 都合十人づつ 宿まりて、 
これも五分から 生まれ出て 八寸の時 水土分かり、 
一尺八寸の時 海山も 天地日月 分かりかけたり。
一尺八寸までは 一胎(ひとはら)に 十人づつ 生まれてるなり。 
これよりは 三尺まで 一胎に 男一人に 女子一人と 二人づつ生まれてたなり。
この人を 三尺にて 物を言いかけ。 
これ故に 今人間も三歳で 物も言いかけ 智恵もできます。
これよりな 今に於いても 一胎に 一人づつと 定まりなりし。
この人を 五尺なるに 海山も 天地世界も 皆なできました。
水中(みずなか)を離れ 出まして 地の上に 上がりましたる その時までに、
成人に応じ 食物立毛も 不自由なきよふ 与えあるなり。 
段々と 食物にては 食い廻り 唐天竺へ 上がり行くなり。
人間を 授けた神の 証拠ふは をびや一条 現れてある。
この話し 宿り込むのも 月日様 生まれ出るのも 月日御苦労。
産む時の 守護下さる神様は たいしょくてん。
これなる神は 胎内の 縁切る神で 法華(?)様。
をふとのべへの 神様なるは 産む時に引き出しの神。
真言で 産み出した後しまい 繋ぎは 神真言(かみしんごん) くにさつち。
この神様は 禅宗で この三神(さんじん)は あつけん明王。
この三神 をびや一切御苦労て をびや許しは 腹帯要らず。
凭れ物 七十五日 この間 毒忌み要らず この産式(さんしき)を 許しあり。
常の身体で 穢れなし をびや許しは この屋敷にて 許し出す。
これはこの世の 人間を 創めかけたる 親の屋敷で この許し。
三千世界 この世に 他にあるまい 生まれ故郷よ。
人間を 宿し込みたる 屋敷なる 証拠現す 助け道開け。
人間に 病と言うて なけれども 心違いの 道がある故、
この道は 凡夫(?)心に 八ツあり。
欲しい惜しいと 可愛い憎いと
恨めしと 腹立ち欲と 高慢と これが八ツの 心違いや。
この違い 身の内なるの 悪しきいの 譬え話の 胸のほこりや。
このほこり 積もり重なる それ故に 
病悩み(やまいなやみ)も 憂災難(うれいさいなん)も
何もかも 身の内守護 神様の 心なおしの 意見立腹。
一列に てんりん様を 念ずるは 八ツのほこり。 
十五才より 今迄に ほこりつけたと 思う事 心真実 さんげをいたし、
ほこりさい 速やか洗た ことなれば 病の根えは 切れて仕舞うで。
他なるの よろづ助けも 同じ事。 
家内残らず 心澄まして 願うなら 家内睦まじ。 
人間を 互いに助け 心あるなら、
この心 神様より見分けして よろづ助けや 御利益深く。
この世ふも 人間なるも できたのは 月日様より 御守護なり。
この元を 知りたるものは 更になし 天は月様 地は日様や。
この世界 天地日月 同じ事 地と天とは 実の親なり。
父母(ちちはは)と云うのは 天地夫婦や 南無と云うのも 同じ事なり。
後なるは 道具衆なり 人間の 五体残らず 神の借りもの。
神様の 借りものなるは 一に眼 これは月様 借りものなるぞ。
身の内の 温み一切 日様の 借りものなるや これ南無と云う。
皮繋ぎ くにさつちなる神様の 借りものなるぞ。 
芯なる骨は つきよみのみこと様の 借りものや これで阿彌なり。
飲み食い出入り くもよみのみこと様の 借りものや これで五倫と五体と云うなり。
息吹くは かしこね様の 借りものや 息で物言う 風で吹き分け。
これこそは なむあみたぶと 六台や。
次なる神様 たいしょくてん
後なるの をふとのべゑの 神様は 立毛引き出し 百姓の神。
この神を 寄り集まりて 御座る故 方位八方 許します。
この内に 東三神(ひがしさんじん) 女子神(おなごかみ) 西三神は 男神なり。
辰巳いは くにさつち様 仏法の 普賢菩薩に 達磨弁天。
戌亥は つきよみの神 仏法の 八幡菩薩 聖徳太子。
東は くもよみの神 仏法の 文珠菩薩 龍王神農。
薬師様 薬の守護 すいしやも 書物文字 智恵も御守護。
坤 かしこねの神 仏法の 大日様に 法然様と。
丑寅は たいしょくてん 仏法の 虚空蔵菩 薩妙見様に 鬼子母神
橋詰様と 儒来(?)と 県様とは 同じ方なり
西こそは をふとのべ様 仏法の 不動明王に 弘法大師。
この屋敷 人間創め元の神 在わします故 よろづ助けを。
この世を 創めてからに 今迄は この助けをば できぬことから。
これ迄は 医者薬も 人間の 修理肥にて 拵(こしら)えありた。
これからは 医者や薬も 呪いも 拝み祈祷も いらんことやで。
神々の 拝み祈祷や 占いや これ人間の 恩の報じ場。
神様の 御話し聞いて 思案して 真実心 叶うたことなら、
何にても 叶わん事は なけねども 心違えば 薬飲むなり。
人間は 死に行くなぞと 言うけれと 死に行くやない 借りもの返す。
返すのは 身の内ほこり 積もる故 身の内神が 退きなさる。
この事を 着物に譬え 話する 心の汚れ はらさぬ者は、
洗わずば 着てる事をが できんから なんぼ惜しても 脱ぎ捨てるなり。
着物でも なんぼ汚れて あるとても 水で洗えば 着て気がよろし。
人間も 心の汚れ 払うたなら 神も喜び 守護下さる。
人間は 死ぬると云うは 着物を 脱ぎ捨てるのも 同じ事なり。
神様は 話しばかりで 人間の 心の汚れを 洗いなさるで。
この話し 水と神様同じ事 汚れたるもの 洗い澄まする。
助かるも 心次第や 一列に 早く心を 澄ますことなり。
心さい 速やか澄んだ ことならば 親様よりは すぐに与えを。
 原文は語調重視で綴られている。これを、れんだいこ文法に則り、文意に沿って文節区切りとする編集替えしておく。従って原本とは首数が異なることになった。

【明治14年和歌体 「堀内与蔵本」】
 「和歌体十四年本 「堀内与蔵本」」(「史料掛報第68号」より)。山澤本タイプ以外の唯一の和歌体本である。
 この世ぅの 元なるところハ 泥の海 中に月様 いちに出(い)でまし 思いつき、 
 何と世界を 始めよと 日い様にてハ 談じなされる。
 人間を 拵(こしら)らへよふと 思いつき 二神相談 決まりついたり。

 見澄ませハ どじようばかり。 その中に 魚(うを)と巳(みい)とが 混じりいるなり。

 魚みいハ ままことすぐなる 心なり。  横目もふらん 一筋(条、すじ)の者。
 この者ハ 魚ハ人魚(にんぎょ) (巳は)白蛇(はくじゃ)で  顔ハ人間、 
 身体(からだ)肌合い 人間の肌合いなるを これをみて これ人間の 種と苗代。
 この者に 末ハ結構を 極楽の ものにしてやる 得心をさし、
 月日様 貰い受けたる そのうへハ これがいざなぎ いざなみの命(みこと)。
 それよりも 道具なくてハ いかんから 道具を見出す 模様ばかりを。
 見澄ませハ 亀が一つう 混じりいる これなるものハ 皮堅い者。
 こけるめを知らず 踏ん張り強き者。 これ人間の 一の道具に。
 これなるハ 人間皮の 繋ぎなり。 くにさつちいの 命様なり。
 この方ハ 巳のとらよりも 三十年 名ハたまひめと 元の屋敷へ。
 また見れハ しやち(鯱)ほこなる 見えにける。 勢いなるの しやくばるなり。

 これなるハ 人間一の 道具なり。 これつきよみと 骨の守護を。

 この方ハ 当年六十と一歳で  存命 盛んに ござりまします。
 くもよみハ 食いの飲み 出入り道具なり 姿うなぎ(鰻)の ものであるなり。
 この方ハ みの六歳で 名ハたまへ 盛んに暮らし 存命でいる。
 かれい(鰈)なるハ 身薄いものヽ ことなれハ 息の守護をふ これを使うたで。
 この方ハ 当年みいの 七ちさいて 存命でいる これが確かに。
 ふぐ(河豚、鰒)なるハ くいこみなるの ものなりし。 たいしやく天と 切るが道具に
 この方ハ 三十と二歳で このとこに 存命でいる これが確かに。

 じきもつの めのひきたしハ 黒ぐつな(蛇) をヽとのべエと 名をつけたなり。

 この方ハ 巳の十六歳で 存命で 盛んに暮らし これがまことや。
 それよりハ 道具一列 引き寄せて 得心をさし 貰い受けたで。
 この者ゝ 味わい姿 引き受けて 食うてしもをてぞ 神の利益ハ

 この道具 元のところへ 引き寄せて 人間となし これに神名を

 この親の いざなぎハ 当年ハ 十六歳で 盛んこざるよ。
 をやさまの いざなみ様ハ 当年ハ 八十四歳で こざるや。
 この屋敷 大和の国の 山辺なり しよやしき村 中山の氏(うじ)
 こ ふ き
 人間の 元なることゝ 云うのハな 国とこたちが しやちほこのや
 勢いの 強い心を せのこをと いざなぎ様の 身の真ん中へ
 仕込みして これをおとこと 名をつける。 真実なるの  元の親なり。
 亀のこを これをおめこと なそらへて いざなみさまの 身の真ん中へ
 仕込むにハ おもたりさまが 引き受け 入り込み 魚と巳の中 
 それよりも 人間種ハ どじょうなり。 これ一列をくれしもをてぞ
 この子数(こかず) 九億九万に 九千人 九百九十うと 九人なるかや。
 この人を 三日三夜(よさ)に 宿し込み 三年三月 とゞまりていた。
 それよりも 産まれだしたハ 五分からや。 五分五分として 成人をした。
 このところ 七里四方の この間(あいだ) ひとなぬかにて 種をおろさし
 また四日 大和の国の しばとこに 種をおろさし このせつなみハ

 ま八ハ十九日 山城伊賀と 河内なり 種をおろさし 三十日をびや

 あとなるの 四十五日の その間(あいだ) 種をおろさし 諸国まても
 この者ハ 五分から成人 段々と 三寸にまで 成人をした。
 その者ハ そのまゝにてハ 皆な暮れて 九十九年て 元の胎内へ

 また産まれ 五分から産まれだしたのハ 三寸五分と 成人をした。

 その者ハ そのまゝにして また暮れて 九十九年で 元の胎内へ
 また産まれ 五分から産まれだしたのハ 四寸にまでも 成人をした。
 そのときに にいこりわらう をやさまが 暮れてしまいに なされたもをぞ。

 月日より 一度教えた この守護を 同じ胎内へ 三度宿りて

 人間を そのまゝにてハ 暮れにける 人間種ハ 皆なとなくなり
 それよりも 八千八度(たび) けだものや。 
 魚や鳥なり 虫けらにまで 産まれかへ
 猿ハふう/\てこりして これ人間の またの親なり。

 この猿の 胎内よりも 人間ハ いつ夫婦にて 産まれだしたで

 このにんわ 五分から産まれたしたのハ 五をにんにまで 成人をして
 この親の 猿とゆうのハ 元なるの くにさつちいの 命様なり。
 この猿ハ いきをひといき かけをいて そのまゝにてハ 暮れにけるなり。

 この人(にん)の 胎内よりも いつ夫婦 むまれたすのハ 一尺と八寸まで

 それよりも 三尺までハ 夫婦なり。 こにこがさいて 盛んなるなり。
 それよりも 五尺までハ いちにんで 十月十日で 産まれ出るなり。

 この世界 人間成人 段々と 海山里と 分かりついたり。


明治14年本説話体/中山眞之亮「題名なしの泥海古記」
 この世界人間始めたハ、九億九萬九千九百九十九年以前に、泥海の中より月日両人見定めつけて、種苗代ヲこしらへ、ほかなる道具皆な寄せて、それに月日入り込み、段々守護して、この屋敷にて、九億九萬九千九百九十九人を三日三よさに宿し込み、三年三月とゞまりていて、大和の国の奈良初瀬(はせ)七里の間、七日かゝりて産みをろし、残る大和を四日にて産みをろし、山城、伊賀、河内三ヶ国ヲ十九日にて産みをろし、残る国々四十五日かゝりて産みをろし、それゆへに七十五日をびやちうなり。

 

 この人ハ五分から産まれて、九十九年にて三寸になりて、皆なはててしまい、元の人衆(にんじゆぅ)同じ胎内にまた宿りこみ、十月たちてまた五分から産まれ、九十九年にて三寸五分になりてまた皆なはててしまい、一度教えたこの守護で、同じ胎内に三度宿りて、また五分から産まれ、九十九年にて四寸まで成人して。これをみて、これならバ、五尺の人になる、とにいこり笑うて喜んで、いざなみさまハこれにて隠れまし。四寸になりた人間も、まだ果てまして。それより鳥類、畜類に、虫、獣(けだもの)に八千八たび産まれ替わりて、死に絶える。その後に、猿が一人(いちにん)残りいる。これなるハくにさつちの命なり。この腹に、男五人と女(をなご)五人と十人づつ産まれでたなり。この人も五分から産まれ、五分五分と成人をして、八寸になりたとき、水土(みづゝち)高低(たかぶく)でけかけて、壹尺八寸になりたとき、海山かたち分かりかけ、三尺になりたとき、天地分かりかけ。一尺八寸までハ、ひと腹に十人づつ産まれ、壹尺八寸より三尺まで、ひと腹に男一人、女壹人、二人づつ産まれでた。三尺よりひと腹に壹人と定まり、三尺ニなりてものをゆいかけ。それゆへに、いま人間も三歳でものをゆいかけ、知恵もでけることなり。


 人間ハ五尺になるまた水中(みづなか)の住まい。三尺より五尺ニなるまで食物(じきもつ)を段々と食い廻り、唐天竺(からてんじく)までも廻りいくなり。五尺ニ成人したときに、この世界、天地海山、食物までも人間の成人に応じてでけた事なり。この人間をこしらへた道具と云うハ、いざなぎの命ぅへくにとこたちの命ヲいりこみ、種となし、いさなみの命ぅへをもたりの命ヲいりこみ、苗代となし、夫婦初メた。


 人間の見の内、目、潤いハ、くにとこたちの命(みこと)なり。ぬくみハ、をもたりの命なり。皮繋ぎハ、くにさつちの命なり。骨ハ、つきよみの命なり。飲み食い出入りハ、くもよみの命なり。息ハかしこねの命なり。人間ハこの神様の借りものなり。食物ハをふとのべの命の守護なり。死に生きの縁切りの守護うハ、たいしよくてんの命なり。この十人の神ハ元の親なり、身の内守護の神なり。

 この神々、この屋敷に生まれてゝ存命でいるなり。また、この屋敷にて、かんろふ台をたてるのハ、人間を九億九萬九千九百九十九人を、三日三よさに宿し込み、三年三月とゞまりていて、この屋敷より産まれだした、こゝハこの世の人間の親さとなるゆへ、このぢばの証拠のかんろふ台、この台をてけた事ならバ、これを親さまと思ぅて願いをかけて、人衆揃うてつとめするなら、何かなわんと云うことなし。

 
 この話し聞かしくたさるハ、当年八十四才に成老母のたまひいハ、いざなみの命なり。それゆへにぜんしんなり。このものを見澄まし、四十四年以前に月日のやしろに貰い受け、月日こゝろをいりこみ、刻限みやハせ、真実の話しなり。てんりんおふの命の名前つけたのハ、天理にかのふたゆへ、この屋敷につけてをくとの事。をびや、腹帯、もたれもの、毒忌みいらず、身の穢れ許しハ、人間をこしらへた神の証拠、よろづ助けの道明けなり。

 (中山正善『成人譜 その三 こふきの研究』天理教道友社、一九五七年。参照)


明治15年本説話体/山田伊八郎「泥海古紀聞問記」
 植田義弘氏の「中山みき 泥海古記の真実」(学研、2013.9.11日初版)に山田伊八郎氏の「こふき」が紹介されている。これを転載しておく。(読み易くするために、れんだいこ文法に則り編集替えした)(「山田伊八郎「聞問記」説話体15年本」)
 「みき8歳前後になって、中山家のある庄屋敷村から南へ十数キロ離れた村落に山田伊八郎という熱心な信者がいて、毎日のように中山家の屋敷に通っていたみきの愛弟子の一人であった。その伊八郎は、お屋敷から帰ると、その夜のうちにみきから聞かされた言葉を筆写して記録した貴重な史料が遺されていて、その原本が印刷出版されている。その中に次のような中山みき(88歳)の言葉がそのまま記されている。

 世界中、人間ハ、唐天竺まで、皆々この屋敷のかんろふ台の所。これはイザナギの命、イザナミの命様、体の芯のところ。ここより皆々人間残らず生まれ。(中略)又前に申す通り、神が罰当て更になし。そのはづや、この人間をこしらいたのハ、この人間の陽気遊山が見たさに拵えた人間やもの」(明治18年4月18日)。
 この世ぅハ、ほん元なるハ泥の海、その中にてどじょうばかりや。元なる神は月日様なり。何と両人こうしていてハ何のしよせんのない事、何と世界をこしらい、人間を、***この人間ハ手足も叶い、言葉も弁じる。この調法なる人間の、陽気遊山を見て楽しめバ、楽しみようのあるものと、月様が思し召されて日様へお談じなされ、それより国床(とこ)を見定メつけくだされ、それゆへに国床たちの命様、又国見定メの命様、せんじゆふ様とも云うハ月様のことなり。これからハ、世界こしらい人間をこしらいるにハ、道具ひながた見出す模様。

 その泥海中をよく見澄ませバ、魚(うを)と巳(みい)とが混じりいて、この魚ハ人間の顔で鱗(うろこ)なし。体ハ人間の肌合(や)いで、それゆえに人魚と云う。またぎふげふとも云う。この魚の肩の処にゑらがあり、この魚ハ、よこいもよらすあといも戻らずに、ただむこい/\といくとばかり。この一筋(ひとすじ)の心を見て承知をさして貰い受け、(これを)人間の種(にした)。この者に神名つけてイザナギの神。

 この種に仕込む道具ハ、よく見澄ませばバ乾(いぬい)の方に鯱(しやち)がいた。このしやちハ勢いの強いところ見て、これを男の一の道具に使う。それゆゑにへんなるのこ。また身の内にてハ骨の道具に使う。この者を引き寄せ、承知をさして月日様両人食うてしまい味わい、心引き受けて、月様がギ様の胎内入り込んで御(おん)働きくださる。

 また、みなるハ、顔ハ人間、体ハ人間の肌合い。この巳ハ白くつな。この一文字の一筋の心を見定メつけて、承知をさして貰い受けて、人間の苗代(なわしろ)。この者に神名をつけてイザナミの神。この苗代に仕込む道具ハ、よく見澄ませバ辰巳の方に亀が居た。この亀ハ皮強く、横にこけぬ者なり。踏ん張りも強く、背中に亀のこふがあり。それゆえにおめこふと云う。これを女の一の道具に仕込み、また身内にてハ皮繋ぎの道具に使う。この者を引き寄せ、承知をさして月日両人食うてしまい、味わい、心引き受けて、日様がミ様の胎内入り込て御働きくださる。

 これにてぞ、九億九万九千九百九十九疋のどじょう、この者を引き寄せ、承知をさして、月日様両人食てしもふて、味わい、心引き受けて、人間の魂(たましい)になされくださる。

 この飲み食い出入にハ、よく見澄ませばハ東の方にうなぎ(鰻)と云う魚が居た。このうなぎ、まん中つかみ見れハ、しりかしらいぬけ、また何を食べても、皮膚かかりてもいかず、出るとてもおなじ事、つふれふ(つるりと)と出入せぬバならん。その精の強い処の利ヲ以テ引き寄せて、承知をさして、月日両人様食うてしまい、味わい、心引き受けて、人間の飲み食い出入りに使う。

 また、息の道具にハよく見澄ませバ未申の方に、かれい(鰈)と云う魚が居た。この魚ハ身い薄い魚なり。このかれい、丸いものや角なものでハどのように招いても風がこん(ところ)、この魚なるの身薄い物で招けバ風がでる。この者を引き寄せて、承知をさして、月日両人様が食うてしまい、味わい、心引き受けて、身内にてハ息の道具、世界でハ風の道具に使う。

 もうこれで人間もでけあがるが、いつまでも生き通しでハならん。これの死に生きの縁切道具(が必要になった)。よく見澄ませバ丑寅の方にふぐ(河豚、鰒)と云う魚が居た。この魚なるハたいしよくする魚。また食べてあたる魚なり。この者を引き寄せて、承知をさして、月日両人様食うてしまい、味わい、心引き受けて、これヲ人間の死に生きの縁切道具に使う。それゆへに世界のはさみともゆふ。

 もうこれで人間もでけるから、この人間をでけたなら、食物(じきもつ)のふてハ育つまい。それにてぞ、よく見澄ませバ西の方に黒ぐつな(蛇)が居た。食物を引き出すにハ、どのよふな大ヲき物でも、おふをとふこふも、のふてそのつなでひきだせバ、どんな大きものでも出るであろ。それで、食物引き出しの道具に使う。また百姓の野へ種をまく、そのしんのめゑを引きだすで、しんごんとも云う。またおふとふのべの命とも云う。また、商人の白と黒とハこの理で云う。この道具衆ハ一番最初ぅより道具使うた。それゆゑ、今に人を呼ぶとても、膳だてもせずにハよびつかいわせず。

 これよりかんろふ台の処をしんとして、勤メ場所頭として、なむで一人、なむ一人。なむ/\と三日三夜(みよさ)に九億九万九千九百九十九人の人数を御宿し込なしくだされ、この宿し込みの時、東西南北のはじめかけ。ギ様がお越しになりて、顔をみて、きたか。これが北の方角分かりかけ。それにて、今に、顔をお不見にきたかとゆふ事ゆわず。ギ様もミ様も、両人の顔が向かれた方、これが西。この元ハ、人間からだのしんハ、いちにがん。この両人様の顔お、向かれた方、にいしん。これが西とゆふ。これが東西南北の始まり。このぢばにてそ三年三月とどまりていて、それよりみがおもゑゆへ、今、この奈良、初瀬と云う七里四方の間(あいだ)ゑ七日かかりて産みおろし。それゆゑに、神がたとゆふ。また、残る大和ハ四日にて産みをろし。この日数、十一日がおびやけと云う。亦伊賀、河内、山城、この三ヶ国ゑ十九日にて産みをろし、この日数、三十日がはんゆみ、はんまくら、残る国々四十五日にて産みおろし。この日数、七十五日ハ、おびやちうとゆふ。このさいしふ、産みをろしたる地場は宮/\。

 人間は、五分(ブ)から生まれ、五分/\と成人をして、三寸になりて、はてました。イザナギ様ハ、それにてぞ、おすぎまします。あとなるはイザナミ様なり。その腹に、一度教えたこの守護で、元の人衆ぅ宿り込み、またこの人衆も五分から生まれ、五分/\と成人をして、三寸五分ではてました。またもや同じ胎内、元の人衆ぅ三度宿りた。この者も五分から産まれ、段々と四寸なりてはてました。その時に、イザナミ様も、にいこり喜(よろこ)んで、もうこれからは五尺人(にん)になると思し召され、イザナミ様もお隠れなされ、この人衆の年限ハ、三度ながらも九十九年や。二度めへの産みおろし、地場は墓所なり。三度めへにハ、道の辻の地蔵や。金比羅様、またこふしん様や。三度ながら産みおろし場所は皆な参り所。そこで、一宮、二墓、三度三原、これ参り所。

 これよりハ、鳥けだものや、畜類に、八千八たび生まれ替わりて、それゆへに人なるハ、なになりとも真似(まね)をでけます。この間(あいだ)、たちたるならば月日様ごしゆふごふ。猿なるを一人残る。これなるハ国さつち様なり。この猿の腹に人間を、男五人と女五人と、いつみよとヅゝ宿り、これも五分から産まれでて八寸になり、この八寸の時、水土高低(たかびく)分かりかけ。一尺八寸なりた時、天地海山日月分かりかけたり。一尺八寸までハ、ひとはらに十人ヅゝ生まれてるなり。これより三尺まで、ひとはらに男一人女一人二人ヅゝ生まれ、この人も三尺にて、ものも言いかけ、智慧もでけ。それゆへに、今人間も三才にならんことにてハ、ものもわからず智慧もでけぬ。これより、ひと腹に一人ヅゝと、今に定まる。この人衆ハ、奈良、初瀬七里四方の間に生まれた。この人間ハ成人に応じ、食物食い廻り、大和の国内に広まり、地の上り、残る大和に産まれた人衆ハ、また成人に応じ、食物くいまわり、みな国々へ行き、地の上あがり。外の国々に産まれた人間ハ、また成人に応じ、食物食い廻り、地上あかり。この人ハ皆な唐天竺の人となり。この元なる神の証拠ぅハ、おびや三しきの許しだす。この人間のほん元なるハ、おびやから世がはじまり。この元なるおびやで、元なる神の証拠をあらわす。

 (敷島大教会資料集成部/山田伊八郎文書より)

明治16年本説話体の桝井本/「神の古記」
 「明治16年本説話体の桝井本/神の古記」。註・上田本、宮森本、梶本本、喜多本(23)などによって補う。(読み易くするために、れんだいこ文法に則り編集替えした)
 この世は、元人間も世界もなく、泥の海ばかり。その中に、神と云うは月日両人居たばかり。この月様と云うは、くにとこたちの命(みこと)と云う神なり。日様は、おもたりの命と云う神なり。その中より、月様が先に居てた。国床を見定めて、日様へお談じなされ候には、「泥の海に、月日両人居たばかりでは、神と云うて敬う者なし。何の楽しみもなく、人間を拵え、その上世界を拵えて、守護をさせば、人間は重宝(調法)なる者で、陽気遊山を見て、その他何事も見られること」と相談定まった。この人間を拵えるには、種・苗代が要るに、道具雛型なくばいかん事故、これを見出すことと相なった。

 見澄ませば、ぎぎよと云う魚(うを)がいる。この魚は人魚(ぎょ)とも云う。人間の顔で鱗(うろこ)なし。肌は人間の肌。又見澄ませば、巳(みい)と云う白ぐつな(蛇)がいる。この者も、人間の肌にて鱗なし。この二人とも、心は真っ直で正直なる者。この姿、心を見て、これを引き寄せ、貰ひ受けて、この姿をも以せて人間拵える種・苗代に貰い受け様と相談まします。右両人引き寄せて、 「この度人間と云う者を拵えたきにつき、その方(ほう)の姿、心を以て、人間の種・苗代に貰ひ受けたい」と、仰せられ候えば、両人嫌うて断りを申上る。と言えど、押して貰い、「人間を拵え、世界を拵えその上は、この世の一(いち)の神に授け、人間の親神と拝ますことにする」と云うて、無理に承知をさせて、貰い受け遊ばされた。

 それより、なによの道具、人間の魂、五体の道具雛型を見出そふと見澄ませば、泥海中にどじょうばかりおる。この者を貰い受け、食べ、これを味わい、その心を見て人間の魂とす。

 又、見澄ませば、乾の方にしやち(鯱)ほこがいる。この者にも承知をさせて貰い受け、食べて、心味を見るに、しやちほこ云う魚は勢い強く、変にしやくばる者である故に、男の一の道具に仕込みて、人間の骨の守護とす。

 又、巽(たつみ)の方に亀がいる。これを貰い受け、食べて、心味わい、姿を見るに、この者は皮強く、倒れぬ者である故に、女の一の道具に仕込んで、人間の皮繋ぎの守護とす。

 又、東の方にうなぎ(鰻)がいる。これを貰い受け、食べて、心味わう。(この者の)姿を見るに、この者は勢強く、頭の方からでも、尾の方へも出入りする者である故に、人間の飲み食い出入りの守護とす。これを五体とす。

 人間に、息、風を以て物を言わす道具雛型(に相応しいものはおらぬか)と見澄ませば、坤(ひつじさる)の方にかれい(鰈)がいる。この者を承知をさして貰い受け、食べて、心味わう。(この者の)姿を見るに、この者は身薄(うす)き丸きもの。角なるものでは風が出ず、身薄きもので扇げば風が出るものである故に、人間の息、風の守護とす。

 尚も人間の楽しみ、食物を第一に拵え置く道具を見澄ませば、西の方に黒くつな(蛇)がいる。この者を引き寄せ、貰い受け、食べて、心味わう。(この者の)姿を見るに、この者は勢強く、引きても切れぬものである故に食物、立毛、地より生えるものゝ引き出しの守護として、一に使た道具なり。

 又、人間の生れる時の親子の縁を、死に出直しの時の縁切りの道具(に相応しいものはおらぬか)と見澄ませば、艮(うしとら)の方にふぐ(河豚)と云う魚がいる。この者を貰い受け、食べて、心味わう。(この者の)姿を見るに、この者は大食するもので、食べて中(あた)るものである故に、人間の生き死にの時縁を切る守護とす。この世のよろづ切るものに守護とす。

 これなる魚、道具とするを嫌う者を無理に貰い受け、人間を拵える相談を定めて、ぎぎよへしやちほこを男一の道具に仕込み、それよりくにとこたちの命の心を入り込み、男神で人間の種なり。みいへ亀を女の一の道具に仕込み、それにおもたりの命の心を入り込み、女神にして、人間の苗代となす。この屋敷のかんろ台のぢばを神体(たい)の中央として、北枕に寝て、九億九万九千九百九十九人の人数(かず)、三日三夜に南無々々と二人づつ宿し込み給う。この事を以て、南無とはあうんのことなり。今人間も南無々々として居ることは良きことなり。南無と云うは夫婦のことなり。夫婦とは、天と地を象りて夫婦はじめた事なり。人間と云う名を付けたは、雛形の人ぎよと人間の良き事あれば、これを今にけんと云うことの残り、この二つの理を以て人間と名を付け給う事なり。

 東西と云う、西東北南と云うは宿し込みの時、北枕の西向きに寝た。人間の本芯は目の事故、西向きを西と云う。西より目を東へ送る故に東と云う。ぎ様は先に起きて北向きになる故に北と云う。み様はあとより南向きに起きなされた故に南と云う。

 この世と云うは、夜から世ふ照らしなさる月様が先はじめ、夜から始まりたこの理をもって、この世と云う。これ皆な人間の言うことは、元初めの時人間を象りて名を付けた事を云て居るなり。

 身の内は神の借りものなり。人間守護下さる神は、国とこたちの命、おもたりの命、この二(ふた)柱の神は元の神、あとの八柱の神は人間を拵えるにつき、使うた道具衆に神名を授け給う。この拾柱(はしら)の神は、この世ふの元の神なり。

 この訳左に。

 くにとこたちの命は、天にては月様なり。この神は男神にして、御姿(おんすがた)は、頭(かしら)一つ、尾は一条(ひとすじ)の大龍なり。この神様はこの世界、国床を見定め給う、この理を以てくにとこたちの命と云う。又国を見定め給う故に国見定めの命と云う。人間を宿し込み給う時に、上(かみ)より突くが故に月様と云うなり。月様が先に立つ故に日月とは云われず月日と云う。三十日を又一月と云う。仏法にては釈迦如来と現れ、仏法を授け給う。又、先に出でて法を始め給うにて、ぜんじゆう様と云う。人間身の内目の潤いの守護の神様なり。則ち目はこの神様の借りものなり。

 おもたりの命様は、天にては日輪様なり。この神は女神にして、御姿は頭十二の三条(すじ)の尾に三つの剣ある大蛇なり。この神様は人間宿し込みたもう後(のち)は、日々に身が重くなる故に、おもたりの命と云う。日々に理を増す故に日輪様と云う。尾に三ツの剣(つるぎ)ある故に、この理をあしきな女は邪険と今にても云うなり。頭十二ある一つの頭にて、十二月の間、一月づつ頭代わりて守護。日々代わりて守護。又、十二時(とき)つゝ頭代わりて、目を一時とす守護ある故に一ケ年を十二月と定め、一日を十二時(とき)と云う。十二支の方(ほう)頭を取り巻きありて守護あり。この理を以て十二支と云うなり。仏法にては三尊(?)(づん)の弥陀如来、又、心澄んだる理を以て、勢至観音、大き見える故に寛大とも云う。観音と云うも同じ理なり。人間の身の内温みの守護の神、又温みはこの神様の借りものなり。

 この二柱の神様は、この世の人間の実の親様。人間にはこの世御照らしの如く入り込み、御守護なされ、故に、自由自在を叶うことなり。後(のち)なる神様は、この二柱の神様の守護によって御働きあることなり。

 国さつちの命。この神様は天にては源助星、女神様なり。御姿は亀なり。亀と云うは、皮強き、地につきても踏ん張り強く、倒れぬ者で、土色なるの故、くにさつちの神と名を授け、女一の道具に仕込んだ故、亀甲(かめこ)の理を以て、おめこと云うなり。おなごと云うも同理なり。人間皮繋ぎの守護、仏法にては普賢菩薩、達磨大師、弁天、結びの神、黄檗山(おふはくさん)の神の守護なり。この世の金(かね)繋ぎ、または、よろづ繋ぎものは皆なこの神の守護なり。人間の身の内皮繋ぎは、(この神様の借りものなり。万づ繋ぎ物はこの神の守護なり。

 月よみの命様。この神は、天にては破軍星にて、男神なり。御姿はしちほこと云う。又、鯉のこせたる者も同ことなり。しゃち(鯱)ほこと云うものは、勢い強く、変にしゃくばるもの故に男の一の道具に仕込み給う。男の道具はこの理を以て、せいのこと云う。又、男と云うは、床(とこ)で宿し込みのとき、突くが故に、この理を以て月よみの命と名を授け給う。仏法では八幡様と云う。聖徳太子様、この神様の御守護なり。人間身の内骨の守護なり。

 雲読之命。この神様は、天にては朝明神の星となり。女の神にして、この姿、うなぎ(鰻)なり。この者は、頭の方へも、尾の方へも出入りする者で、つるつくものである故に、人間の飲み食い出入りに使うた道具なり。故に、くもよふみの命と名を授け給う。仏法にては文珠菩薩、龍王、神農、薬師如来、水神様。この神、飲み食い出入りは、この神様の借りものなり。この五柱神様の守護によって、これを五体と云うなり。

 かしこねの命。この神様は、天にては未申の方に集まる星なり。男神にて、御姿はかれい(鰈)と云うなり。この者は身薄き者で、故に、人間の息の、風の道具に使うた。故にかしこねの命と名を授け給うなり。仏法にては大日如来、円光大師様、この神様の守護なり。人間の息はこの神様借りものなり。息は風、風で吹き分けて物を言わすなり。

 人間身の内は、六柱の神が入り込みて守護を下さる故に、自由に叶う事故、これ全く、この神の借りものなり。この六柱の神様は南無阿弥陀仏なり。南無と云うは、目、温み。阿弥とは、皮繋ぎに、芯の骨なり。陀仏とは、飲み食い出入りに、息の事なり。南無阿弥陀仏と云うは、人間の身の内の事なり。これで身の内六台と云うなり。火と水は一の神なり。風よりほかに神はなし。息は風なり、風は神なり、如何なあしきも吹き払うなり。

 おふとのへの命。この神様は、天にては宵の明神の星なり。男神にて、御姿は黒ぐつな(蛇)也。この者は勢い強く、引きても切れぬ者故、人間の食物、立毛、万物引き出しの道具に使うた神なり。引き出すには大綱が要る。又、引き出す者は玄人(くろうと)と云う。何事にても、先立ってする者は、玄人と云う名今にあり。この理を以ておふとのへの命と名を授け給う。仏法にては不動明王と名を授け給う。尚又、弘法大師、役行者。この神様の御守護なり。故に百姓の神なり。

 たいしょくでんの命。この神様は、天にては艮の方にあつまる星なり。女神にして、御姿はふぐ(河豚)と云う魚なり。この者は、食えば中(あた)るものである故、人間の死に生き、縁を切り道具に使うた。ふぐと云うもの、人間も大食すれば寿命をなくなる。よく中る故に、この理を以て大食天の命と名を授け給う。仏法にては虚空菩薩、妙見菩薩、鬼子母、県さん。この神様の守護に同じ事なり。この神様は鋏(はさみ)にて、よろづ切る。

 伊邪那岐の命神。この神様は、天にては天の川隔てにして現れある星なり。七夕様と云う。げぎよふ、又は人魚とも云う魚なり。この者は今の人間なる様な姿にて、心も真っ直ぐなるもので、これを雛形として、人間の種に使たもの、これは人間の父様なり。この証拠に、伊勢の内宮様、天照皇太神宮、この神なり。

 いざなみの命。この神様は、天にては天の川隔てにしている七夕様という星なり。女神にて、御姿は白くつななり。しろくつなと云うは、この者も人間の肌にて、綺麗なる者、心も真っ直ぐなるもので、これを人間の苗代に使うた。これは人間の母親なり。この証拠に、伊勢の外宮様、天照大神宮様はこの神なり。

 天輪王命はこの十柱の神の総名なり。この神様はない人間拵えるにつき使うた道具なり。この者を神となして、人間の身の内、この神様の守護なり。この外に、何の処つても(何処を尋ても)身の内より外に神はなし。この世の神や仏と云うて拝ましていたれとも、皆な人間が、紙や金や木をもつて拵えたものばかりなる故に、どうも紙や金や木の中へは神が入り込むことはできずもの、人間には皆な神が入り込み、何の守護もする故に、人間に勝れる神がない事なり。

 この度、天輪王の命と名を授け給うは、当年八十六才になる中山みき。この者も、前部にある通り、若い時より、ただ人を助ける心一条(ひとすじ)の者。この心を月日しかと受け取り見澄ませば、この者の魂と云うは、いざなみの命の魂を生まれさせおきたこと故、四十六年以前に天降り、身体(しんたい)を月日の社に貰い受け、心を天理に叶た故に、みきの代わりにこの屋敷に天輪王の命と名を授け、又屋敷は人間宿し込み元のぢばの事(こと)故に、地名に授け給うなり。

 この事、皆な(取次へ)聞かし下さる話と云うは、右みき人間の心なく、何の覚えもなく、月日様入り込み刻限をみて四十六年以前より今日に至りても、神の御話しある事を取次ぎのものへと聞かせくだされしことなり。元十柱の神の魂を、一に人間に生まれさせておきて、それに月日入り込み、人間月日の使うた一の道具なる。この度迄はこの助け、教える事できず、故に、これ迄世界中に拝み祈祷や、易判断、医者薬、これは皆な人間の修理肥に教えある事なり。

 これまでに、人間の宿し込み相済み、又、人間生み出したる人数の年限相過ぎ候。故、元の神々の魂をこの屋敷へ生み出している。この屋敷は、人間宿し込み、三年三月留まりて、この屋敷より生まれ出るなり。この世人間の親里なる故に、道具を貰い受けたる時に、人間の年限を経ちたならば、元の屋敷へ連れ帰り、陽気遊山を見て、楽しみ遊びをさせますとの約束ある故の事なり。故に、元の親を生まれさせおきて、その者を月日の社として入りこみ、助け教えるも、ない人間、ない世界を拵えたも、何の形もなくに拵えたは難しいことである。

 又、この度助け始め教えるも同じ事にて、神の言う事は、これ迄に書き物にあることや、人間の知りてる事は言わん。これ迄ある事は、言うて教えるには及ばず。書き物にてもない事、人間も知らぬ事を言うて教えること故に、これ又むつかしい筈の事。

 この世は月日両人の身体なり。天地抱き合わせの世界。人間は、月日懐に住ま居して居るものなり。それ故に、人間のする事に、月日の知らん事はなし。人間は皆な神の子なり。身の内は神の貸しものなる故に、他人と云うは更になし。皆な兄弟なり。

 これ迄は、人間に病と云えば、医師、薬、拝み祈祷と云うていたれども、人間には病ないものなれど、人間には八つの心得違いの道がある故に、病の元は心からと云うなり。この八ッ心得違いと云うは、欲しい、惜しい、恨み、腹立ち、可愛い、憎い、欲に高慢。これ八つの心得違いは身の内のほこりとなり、十五歳になる迄の子供のあしきは親のほこりを子に現れて意見する事なり。十五歳以上はあしき病や、不時災難、これ皆な、その者は第一、家内中のほこり積もり重なる故、意見立腹。この意見も憎さではなし、助たいから、心直す為に意見する事なり。この親に助けを頼むことならば、親の教えの道家内残らず、十五歳よりの、右八ッの心得違いを真実よりサンゲして、この後は、虚言(きよふげん)と追従、欲に高慢なき様にして、人を助ける心と入れ替えて願えば、その心を神が受け取りて、よろつ助けをするなり。

 尚、この度かくらつとめを教えるは、これも、これ迄ないこと始めかけ、これは元十柱の神の姿の形を以て、神楽両人は、国常立之命に面足の命なり。男神、男の面を冠り、女神は女の面を冠り、つとめ手振りも、元の道具の雛形、形を学びをし、陽気遊山踊りをする事なり。この人衆十人、鳴物数九ツ以て神を勇める事なり。人衆都合十九人にて、陽気つとめなり。陽気つとめをして助かると云うは、陽気遊山を見ようとて人間を拵えたる世界なり。よって元の姿を寄せて、共々勇むるにつき、助けるものは、たゝ、人間はそれを知らずして、人はどうでも、我が身さいよくばよき事と思う心は違うから、この度の助け教えるは、あしきを払いて、陽気の心になりて願えば、神の心も人間の心も同じ事故、人間の身の内は神の貸しものである故に、人間心を勇めば神も勇んで守護すれば、身の内あしきことはつとめ一条で、よろづ助けすると云うは、願い人は勿論、つとめの人衆も真実より助けたいとの心を以て願う事なり。

 人間、神の貸しもの、身の内は、神の自由はおびやの助けで思案してみよ。産の許しはこの屋敷へ願い出るなら、腹帯要らず、凭れ物要らず、七十五日の毒忌みも要らず、身の穢れなし。常の通りに許す事、おひや助けは、人間を拵えた神の証拠に、よろづ助けの道開けなり。

 又この先は、人間の心澄まして、何時(なんどき)迄居りても、病まず死なず、弱らずの助けを教える。おびや自由、早めなりとも、延ばしなりとも、願い通り叶うようの守りだす。疱瘡せぬようの請け合いの守り、又は、悪難除けの守り出す。百姓の助けは、萌え出(はゑで)の札、虫払の札、成熟の札、肥のさつけの札。肥やしの授けと云うは、糠三合、灰三合、土三合、都合九合調合して、肥一駄の助けなり。これ皆な守りは、千宛てつゞ、つとめにかけて出す。札は千枚つゝ一つとめにかけて出す。肥は百駄つゞ一つとめにかけて出す。これ皆な神楽らほんつとめなり。

 老母に赤き着物は、天照の如く、月日、天に現れて照らすは、両人の目なり。目は開(あ)く故に世界中明らかなり。それ故に、やしろの赤き故に、世界中は明らかなり。それ故にやしろ何の事でも見いるなり。それ故に他なる着物は着れば身が暗し故、着て居る事はできぬ事。このやしろも同じ人間に候らえども、この者は、元の親のいざなみの命之魂なる故に、何の処の者でも助けたい、可愛いばかりの心なり。この者を雛形として月日入り込み、助け教える事であるから、世界中の者、親里参り、親に助けて貰おと思うて願うなら、又、この親の心を雛形として心入れ替えば、助けは勿論、善悪とも神より返しをする事間違いなし。

 人間拵えたのはこの屋敷の中央にて、前の部にある通り、いざなぎの命へしやちほこを男の一の道具に仕込み、それに国常立之命を入り込み、どじよふ人間の魂として、いさなみの命へかめを女の一の道具に仕込み入れた。おもたるの命を入り込み給うて、人間の苗代として九億九万九千九百九拾九人の人数を南無々々と二人宛三日三夜に宿し込み、三年三月留まりて居りて、それより今の奈良、初瀬七里四方の間七日かゝり産み下ろし、このぢばが神かたと云うのはこの処なり。残る大和の国中四日かかりて産み下ろし、これで十一日がおびやあけと云う。山城、伊賀、河内、三ケ国十九日かゝりて産み下ろし、これ三十日を半宮と云う。残る今の日本中四十五日かゝりて産み下ろし、都合七十五日の間かゝりて産み下ろし、これ故に七十五日の間はおびや中と云うなり。即ち、産み下ろし毎に親の息をかけて産み下ろしおく。このぢばは今の宮地の地場となりてある処なり。これにていさなぎ様は死亡する。

 この人間生まれ出しては、五分より生まれて九十九年目に三寸迄成長して、皆な死亡す。又、元の人数を同じ胎内へ宿り込み、十月目より、又、諸処へ産み下ろし廻り、この地場は今の墓所なりてある処なり。この人間も五分から生まれて、九十九年目には三寸五分迄成長して、皆な死亡す。一度(ひとたび)教えたる守護で、元の人数同じ胎内へ三度宿り込み、又、十月目より、以前の諸処へ産み下ろし、この地場は今のはらてらの詣り所なり。これを一宮、二墓、三原(はら)と云う参り所なり。

 この人間も五分から生まれて、九十九年目に四寸迄成長す。いさなみ様はこれを見て、こゝ迄成長するならば、五尺の人間になると喜こんで、にいこり笑うて死亡なされ、また四寸の理と、につこり笑うた理を以て、生まれ出るところも二寸に四寸、死に行く穴も二尺四寸と云うなり。

 又、この人間も親の後を慕うて、残らず死亡す。それより、鳥類、畜類、虫螻(むしのら)異形の者と八千八度生まれ替わりた。故に、今人間は何もの真似でも出来る事なり。

 この年限は、九千九百九十九年目に死亡す。又、猿が一人残りいる。これはくにさつちの命なり。この胎内に、男五人、女と十人づゝ生まれ、この人間も五分から生まれて、五分/\と段々成長して、又、八寸迄成長した時に、泥水、高低出来かけ、一尺八寸迄成長したに、子が親となりて、元の人数生揃ひした時に、水土分かりかけ、これより男一人、女一人と二人つゝ生まれて三尺迄成長した時に、天地海山分かりかけ、人間物を言いかけ、それで、今人間は三才で物を言いかけるなり。五尺成長する迄は水中に住ま居。五尺になる迄に、人間の成長に応じ、天地海山、水土速やかに分かりあり。人数(かず)九億九万九千九百九十九人の内、大和の国へ産み下ろしたる人間は日本の地に上がり、外の国へ産み下ろしたる人間は食物(じきもつ)を食い廻り、唐、天竺の地上がり行きたものなり。

 この年限九億九万年之間水中の住まいす。地に上がりたるより四十六年以前迄の年限九千九百九十九年なり。この内、六千年の間人間に神が入り込み、何事も教え来たることなり。人間のする事を神が教えたる事は誰も知りたる者はない筈の事。人間を拵えても、これ迄人間に入り込んで、口を借りて教えたことは今初めの事故に、実に承知する者少なし。虚言(きよふげん)と思えば虚言となる。真(まこと)と思えば真なる。神の言う事は真実と思て願えば、拝み祈祷や、薬飲まいでも、話し一条で皆な助かる事、これ証拠なり。

 又、かんろ台を建てておくは、人間宿し込みたるぢばの証拠に、元の十柱の神の謂われを形を以て建ておくなり。又この先は、世界中の心澄みたるうえは、かんろふ台の上に平鉢に食物を供え、それに甘露を与え、これは人間の寿命薬となる、との御話しなり。

 人間には病なく、薬なく、毒もなくして、この元は皆な心から。人間は死に行くと云うていれども、死に行くでなし。身の内は神が退くことなり。死ぬると云うは、衣服を脱ぎ捨ているも同しことなり。と、神が教え給うなり。


山名大教会初代会長夫妻自伝(大正5年)の泥海古記
 「山名大教会初代会長夫妻自伝(大正5年)の泥海古記」(P64-69)。
 それで当時は、どんな話を、最も多くお聴かせになつたかと云へば、後の本席時代の様な詳しいお話ではなく、多く、泥海時代のお話であつた。即ち、

 「くにとこたちの命(みこと)」と仰せられるお方は、始めて、この国をお見定めになつたから、この方のことを、一名「くにみさだめの命」と申上げ、御姿は頭一つの大竜。

 又、「おもたりの命」様と申す方は、十二頭の大蛇で、尾に三つの剣がある。それで、悪気の女のことを蛇剣(邪見)と云ふ、と云ふ様なことをお聴かせになつた。今日、本部のお神楽の時「おもたりの命」様の御神楽は、尾が三本あつて、一本は東へ、一本は西へ、一本は未申へ引いてゐる。これは、東は「くにさつちの命」、西は「おほとのべの命」、未申は「かしこねの命」を仰せになってゐるので、本勤めの時は、その尾を三人の手に、一本づつ縛つてお勤めをする。「おもたりの命」の御姿を大蛇と申すのは、理が台じや、云ひ換へれば、この世の中は大事じや、と云ふことをお示しになったのである。御筆先に、「この世は 理でせめたる 世界なり 何かよろづを 歌の理でせめ」と御説きになつてゐるのは、この処である。

 この「くにとこたちの命」様が、「おもたりの命」様に御相談になるには、「吾々両神だけ、かうしてゐても、何の楽しみがないから、人間と云ふ、重宝なるものを拵へて楽しまうぢやないか」と。そこで御相談が纏つて、泥海中を御覧になつて、人魚と巳とを雛型として、それを仕込む道具の催をした。

 その道具の一つはしゃち(鯱)である。しゃちは突つ張りの強いものであるから、これを男一の道具に仕込んだ。

 又泥海中を見澄すと、亀がゐる。亀と云ふ動物は踏ん張りが強くてこけぬ。且つ、しとやかなものであるから、これを女一つの道具に仕込んだ。

 又泥海中を見澄すと、うなぎ(鰻)がゐる。これはノロノロして、尻からも頭からも出入りができるから、これを飲食、出入の守護とした。

 又泥海中を見澄すと、かれい(鰈)がゐる。これは身の薄いものであるから、これを風の道具に使つた。

 これで六体ができたが、食物を与へる道具がない。そこで又、泥海中を見澄すと、黒くつな(蛇)がゐる。これは強い丈夫なものだから、引き出しの守護とした。

 又泥海中を見澄ますと、ふぐ(鰒)がゐる。これは大食すると中毒する魚であるから、切断の守護とした、といふ様なことを始終仰った。

 これで八柱の道具、雛形は揃つたが、人間の魂とするものがない。そこで泥海中を見澄すと、鰌が沢山ゐる。これを引き寄せて、喰つて味はつて人間の魂とした。

 こゝに分らんのは、鰌を男の神様が食べたものは男となり、女の神様が食べたものは女となつた、といふことである。これはどういふ次第だか分らないが、兎に角、男女の魂は万代変らぬものとお聞かせになった。

 鰌の魂を美様(巳)に仕込んだのが、今の甘露台の場所。南無/\で、三日三夜に宿し込み、三年三月ジツと止めて置いた。それから奈良、初瀬七里の間を、七日七夜に生み下ろし、残る大和を四日にて生み下ろした。それで十一日を、大和では忌み明と云って宮参りをする。それから山城、伊賀、河内を十九日にて生み下ろした。それでこの三十日を、半帯屋とも枕直しとも、聞かせてあるで、と御聞かせになつた。それから残る国々を、四十五日で生み下ろした。それで前後合せて七十五日、これを産屋中といふ、と聞かせられてある。

 最初、生れ出したのは五分から。五分/\と成人して、三寸になって皆な果てた。そこで一度教へられた守護によって、又同じ腹に宿し込み、生まれ出したは五分から五分/\と成人して、今度は三寸五分にて皆な果てた。その次には又元の腹へ宿し込み、五分から生れて四寸まで成人して皆な果てた。その時、母親の「いざなみの命」(巳に附与した神名)様は、「これで、もう五尺の人間になる」と云うて、ニツコリと御笑いになってお隠れになった。それで死んで行く穴が四尺に二尺、生れて来る穴を四寸と二寸にお極めになった。

 そのお生みになる度毎に、親の息をかけてお育てになつた。その産み下ろしの場所を一宮二墓三原や三度三原これ参り所と仰せられて、今の宮、即ち神社は、最初の生み下ろしの場所、二度目は今の墓所、三度目は今の辻々や、原にある堂宮である、と聞かせられた。

 最初は水の中に魚が泳いで行く様なものであったが、段々と昆虫、鳥獣の如き異形の者に生れ変つて、一番終いに猿になり、猿から人間になった。それと同時に、天地、海山が速かに分れた。その分れる時、そこに上ったのがその所々の人種となった。この様に、人間は今日まで、どんな道筋も通つてゐるから、どんな者の真似でもできないものはないで、とお聞かせになつた。

 この間の年限が、九億九万九千九百九十九年、その中、九億九万年は水中の棲ひ、六千年が智慧の仕込み、四千年は書物の仕込みである。人間に、書物といふものを教へ始めたのは、六千年前である。然し、その頃は、人間にそれを聞き分ける力がなかったから、改めて四千年前から教へ始めた。それだから、四千年この方のことは、どんなことでも、皆な書物にあるで、とお聞かせになった。

 そこで一つの問題は、人間が死だら、魂はどうなるだらう、と云うことであるが、私が身上で伺った時、「何処へもやりやせんで。皆な元へ元へと返すのやで。誰は爺様に似てゐる、誰は婆様に似てゐると云ふやらう。似てゐるのやない。正の者を帰すのだが、分かりやしまい」と、云う御言葉があった。又或る分教会長のお爺さんの身上の時も、「まだ、急なことはないけれども、充分足納さしておけ。何処へもやりやせんで。元へ元へと帰すで」と、云う御言葉があった。これによってみると、人間と云うものは、死んでも矢っ張り親が子となり子が親となつて、順ぐり交代にその家に生れて出るらしい。元より因縁によっては、外の家に生れて出るのもあるが。

 教祖、御在世中の御話と云へば、大抵この泥海中のお話しが多かつたが、これをお聞かせになる前には、「今、世界の人間が、元を知らんから、互に他人と云って妬(ねた)み合ひ、恨(うら)み合ひ、我さへ良くばで、皆な勝手/\の心使い、甚だしきものは、敵同士になつて嫉み合つてゐるのも、元を聞かしたことがないから、仕方がない。なれど、この儘にゐては、親が子を殺し、子が親を殺し、いぢらしくて見てゐられぬ。それで、どうしても元を聞かせなければならん」と、云ふことをお話になり、それから、泥海中のお話をお説きになり、終(しま)いに、「こういう訳故、どんな者でも仲善くせんければならんで」と、云ってお聞かせになった。

明治十九年本/教祖御在世中の記としての泥海古記どろうみこうき
 明治十九年本/教祖御在世中の記としての「泥海古紀」。(趣意不改変にてれんだいこ文法に則り書き換え済み)
 泥海時代

 この世の本元なると云ふのは、人間もなく世界もなく、だゞ泥海ばかり。その中に二神あり。これ即ち今日の月輪と、日輪、これなり。

 月とは国常立命(尊)と云ふなり。御姿は頭一ツ尾一ツの大龍なり。泥海中より、現れまして、国床を見定めたまふ。故に、国見定めの命と云ふなり。これは月の大神の神霊の、神憑りあらせられたる時の、最高権威の動物なり。

 日は面足の命と云ふなり。御姿は頭十二、尾に三すじの剣ある大蛇なり。即ちこれは日の大神の神霊の神憑りあらせられたる、権威ある動物なり。

 この二神曰く、「泥海の中に二人いるばかりでは、誰か神と云ふて敬するものもない、気のいずんだる事ともなる。故に、人間を云ふものを拵らえ、その上世界を始めて、人間に神が入り込みて、萬の事を教えて守護すれば、陽気な遊び、その外に何事も見て楽しまれる」事と、二神の相談定まりまして、この人間を拵らえるには種と苗代、道具、雛型なくてはかなわぬ。この道具、雛型、見出す模様、二神それより泥海中を見澄ましたまへば、

 北の方にあたりて、岐魚と云ふ魚がいる。今の世で云うている人魚なり。又南の方にあたりて巳がいる。この世に云ふ白蛇なり。この二ツのものを見るに、この心まことにたゞしきその故に、その姿と心を見て、これを引きよせて、人間を創造する種と、苗代との雛型に貰い受けよふと相談しまして、この二ツのものを引き寄せた。二神の申されるに、この度人間と云ふものを造るにつき、その身の姿も心をもって、人間の種、苗代の雛型と貰ひ受けたく、然る上は世界を創造して天地開墾なしたる上は、人間よりその身二人をこの世の一乃神と云うて禮拝さす。又世界年限満ちたるなれば、因縁地場へ人體として生まれだし、陽気遊びをさせる。両名、これに満足にて、二ツの者を貰い受けて直ちに神名を授けてイザナギ(伊弉岐)命、イザナミ(伊弉美)命とつけたまふなり。

 それよりも男女一の道具、五體の道具、人間自己の魂を見出す模様と、相談ましまして、二神泥海中を見澄ましたまふに、乾の方にあたり一ツのものあり、この者へんにして実に踏ん張り、勢い強く、これ今世でいふ鯱(しゃち)と云ふ魚なり。この者を引き寄席て、承知をさして、貰い受け、食うてその心味をみて男一の道具と定めて、尚人間骨の道具とする。故にこの理をもって月読尊と名を授けたもふ。

 又巽の方に一ツのものある。この者は、皮強くこけぬものにて、国床にひっついているものにて今世にいふ亀なり。この者を引き寄せて、承知をさして貰い受け、その心味を見て女一の道具と定め、尚人間の皮繋ぎとす。故にその理をもって、國狭土尊と名を授けたまふなり。

 又東の方にあたりて一ツものあり。このもの頭の方にても、尾の方にても、自由に出入するもの、勢い強くすべて豊かにして、ぬる/\として、ぬめりある。これ今世に鰻(うなぎ)と云ふ魚なり。この者を引きよせて、承知をさせて、その心味を見て、人間呑み食い出入する道具となしたもう。故にこの理をもって、雲読尊と名を授けたまふなり。

 即ちこの五ツのものをもって五體の道具とするなり。尚人間息吹分けする道具を見出す模様を。それより、二神泥海中を、見澄ましたもふに、坤の方にあたりて、一ツのものあり。このものは、身薄き姿にて、勢強く、丸なるもの角なるものは、風を出す事できん。このものは身薄きゆへ風を生ず。今世に云ふ鰈(かれい)なり。このものを引きよせて承知をさせて、その心味わいをみて、行き吹き分けの道具とす。故にこの理をもって、惶根尊と名を授けたもふ。

 この上は、人間の一の楽しみ、食物の立毛引出しの道具ひながた、見出すもよふの相談ましまして泥海中を見澄ませば、西の方にあたりて一ツのものあり。このものは至極引く力強く、今世に云ふ黒蛇(くろくつな)にて、このものを引きよせて承知をさして、貰い受けて、その心味わいを見て、食物の立毛草木地上より引き出しの道具と定めたまふなり。この理をもって、大戸邊尊と名を授けたまふ。

 それより人間死に臨んで、この世との縁を切る道具なくば叶わず、見れば泥海中に艮の方にあたりて、一ツものあり。この者は至って大食するもので、腹の袋大きく、よくあたりて、切るに強き、勢いあり。今世の河豚(ふぐ)なり。即ちその心味わいを見て、息の根を切る道具と承知をさせて、貰い受け、この理をもって、大食天尊と名を授けたまふなり。これにて人間創造の道具雛型、全部揃うなり。

 それより二神ご相談ましまして、人間一人ずつの自己の心魂を見定めたまふなり。見渡す処に泥海中に鰌ばかり。このもの、数は九億九萬九千九百九十九すじで、三寸の丈なり。これを月日両神引き寄せて、その心味わいを見て人間自己の魂と定めたまふなり。これを神かはりたまふと云ふて今世に云ふ神道のおはなしと云ふなり。是にて月日の相談定まって、是より人間夫婦の宿し込み始めたまふなり。

 創造時代

 人間の父親種はイザナギでありして、男一の前の道具として鯱を仕込みたもふて、鰌を人間の魂と定め、即ちこれに月様の神霊御入り込みたまい、父親となりたまふ。

 人間の母親苗代はイザナミでありまして、女一前の道具として亀をお仕込みたまふて、即ちこれに日様の神霊入り込みたまふて、母親となりまたふ。

 六物六代を始めとして、泥海中へ、九億九萬九千九百九十九人の人種を南無南無南無と二人ずつ、男一人女一人、三日三夜宿し込みたもふなり。

 宿し込み済みて、イザナギ起きたちて向かいたる方を北と名づけたまふ。イザナミ後より起きて向かいたる方を南と名づけたまふ。又二神宿し込みの時向かいたる方を二神の芯と云ふ心に西と名づけたまふ。朝出て日を西へ/\と貸す故に東と名づけたまふ。

 こゝにおいて、イザナギ、イザナミの二神宿し込み済みて、天の岩戸にて三年三月の間とゞまりたまふ。その天の岩戸と云ふのは泥海中の事にて、今世の大和国山辺郡生屋敷村中山氏の屋敷の地面なり。又宿し込みの地場は今の中山氏の屋敷の地場の由。この度はここに甘露台据える処の由、それは月日様からの御話なり。

 人間生みおろしの理由

 イザナギ、イザナミの二命(みこと)、九億九萬九千九百九十九人の種は、一腹の中に宿りて三年三月。その間、腹を養ひたまふて、天の岩戸より出現ましまして、最初はイザナギ、泥海中の泥をよけなして、産場を拵いたまう。その処より、イザナミが産み下ろしたまふ。初めは、今世の大日本大和国奈良初瀬の七里四方へ、七日かゝりて産みおろしたまふ。残る大和國中に四日かゝりて産み下ろしたまふ。それより今世の山城、伊賀、河内、三ヶ国の地場へ、一ヶ国へ六日目、六日目にて都合十九日に産みおろしたまふなり。都合三十日にして四ヶ国へ胎内の子数、半分産みたまふ、残るを日本の国中へ四十五日かゝして、産み下ろしたまふ。合わせて七十五日の間に、九億九萬九千九百九十九人の人の種を残らず、産み下ろしたまふなり。

 この子数如何にして宿し込み、又産み下ろしたまふたか、その証拠に、正月には数の子を食わして祝わしてあるとの事。因みに云ふ今の人間が安産して、六日經てば六日だれと云ふて呼び名つけて祝する事、一ヶ国にて産み下ろしの理を御祝いする事なり。

 大和一ヶ国は十一日だれと云ふて国中祝いをするも、これ最初産み下ろしの理なり。三十日を半滞と云ふてイザナミの胎内の子数半分、四ヶ国へ産み下ろしの理にて、人間が元の親神の御苦労なされた通りするなり。即ち七十五日たちて、親のゆみ上げとゆふは七十五日にて、胎内の子数残らず産み下ろしたまふ理をもっての事なり。

 人間生まれ出し五分からや

 人間の生まれだしは五分なり。この人間は、イザナミが息をかけて養育なしたまふて九十九年の年を經て三寸までに成長するとき、イザナギは逝去なしたまふ。人間も悉く死去しまたるなり。イザナミ御一体で一度教えたる守護にて又元の人数を宿し込み、それより又、天の岩戸に六ヶ月の間、止まりて元の如く大和を始めとして、日本国中の地場へ、七十五日の間にて右の人数を産み下ろしたまふなり。これも五分から生まれ九十九年の年を經て、三寸五分と成長するなり。その養育もイザナミの尊息をかけてまわりたまふなり。こゝに至りて皆な死去した。それよりイザナミの胎内へ又もや、元の人數を宿し込み、この度は十ヶ月の間は天の岩戸に止まりて、元の如く大和を始めとして、日本国中の地場へ、七十五日の間に右人數を産み下ろしたまふなり。これも五分から生まれて、九十九年の年を経て四寸となり、この養育もイザナミの息に成長するなり。こゝにてイザナミはこの通り順次成長する事ならば、末には五尺の人間に相成る事、二ツこりと笑ふて逝去なしたまふなり。即ち元の人間も續いて皆な残らず死去するなり。

 始めより三度、イザナミの胎内へ宿し込みたる理を以って三腹と云ふ。最初産み下ろしの地場は今世の所々の氏神の地場となる。故に一宮と云ふ。二度目の産み下ろしの地場は今世の墓地なり、故に二墓と云ふなり。三度目に産み下ろし地場は今世の所々山々の神社、仏閣の地場なり、これを三原と云ふなり。

 これより九億九萬九千九百九十九人に自己の心魂をば、鳥畜類や種々なる動物に、八千八度生まれ変りとなしたまふて、この理にて今人間も萬の動物のする事は、どんな事でもまねをするなり。この間、変化中の年限は最も泥海中の中に九千九百九十九目に又皆な動物類も死んでしまったのである。

 人間のつなき親は猿であった。

 人間の縁つなぎとして、女猿一匹残りているなり。これ、人間皮繋ぎの理と女の一の道具として使われた国狭土尊の変化する所にして、導き神、伊勢にては猿田彦命なり。この女猿の胎内へ、男五人、女五人と都合十人、宿し込みたまふなり。右十人の男女産みて五分から生まれて、綿々と成長して八寸となりたる時に、泥海中も高低が出来かけた。即ち八寸の男女十人が交わりて一腹に十人宿りて、その子を産み下ろし、又それをくり返し/\、元の人数九億九萬九千九百九十九人揃いて、その時に至りて人間、一尺八寸と生育するよふになった。

 人間が成長するに従て、変化に応じて天地世界とわかるなり。この時、泥海の水と土と分かりたるなり。これより一腹に男一人女一人と宿ることと定まりて、人間三尺と成長したるなり。時に至りて、天地山川開けて、人間も始めて言語を發するなり。この三尺の理を以って、今人間も三才となったら必ず言葉がしかと解ることはありがたくもこの理なり。

 是より、人間成長に応じ段々と食物のある方へ喰いまわりて、唐天竺の地場へ渡り、又各々外国へと渡り行くなり。この處にて天地全く開けて、世界八方八柱の神が御守護下さるなり。即ち人間泥海中を離れて、五尺の体と成長して地に居住するなり。元の人數九億九萬九千九百九十九人の内、大和国へ産み下ろしたる人間が、今世の日本国の人種なり。

 日本人を大和魂と云ふ紀元は

 この大和魂と云ふのは、元始大和國へ十一日間かゝつて産み下ろした人間が、日本国に止まりて、山城、伊賀、河内、三ヶ國に産み下ろした人間が唐天竺と渡って行ったので、それを亜細亜人種と云ふ。又四十五日かゝて、日本国中に産み下ろした人間の魂が欧米各国に渡ったのである。故に大和で産み下ろされた魂は一番兄である。この魂が大和魂と云ふのである。

 この理から思案すれば、人間は皆な兄弟である。即ち日本は根なり、唐天竺は枝なり。外の国々の先々は枝葉なり。故に珍しき事物はこの理にて、月日二神が花や実として枝先に教えたまふとゆえども、皆な我日本国へ帰り来るなり。大和即ち、日本を、神形、神国、眞国とも云ふなり。

 即ち最初泥海中より、五尺と成長する道すがらを、世界中に知りたるものは更になし。この度は月日二神元の始めの地場へ天降りて御話し下さると云ふのは、この世の年限経ちたる故の事。この年限は、泥海中の間は九億九萬年なり。五尺の人間となりては、四十九年以前の天保九年十月二十六日、朝の五ツ時に至りて、九千九百九十九年にて、この内の六千年の間の事物を教へ下さる。この六千年の間を日本にては、神代と云ふて、人間皆な命名をもちゆるなり。

 これより人間は自覚をまして、慾を生じて悪氣盛んと成る故に、元泥海の始め、人間女雛型苗代と御なり下されたイザナミ、人体へ変化なして天照皇太神と現れたまふて、人間の衣食住の道を教へたまふなり。これは泥海時代に月日二神と御約束なされた通り、世界を創造して天地開墾なしたる上は、人間よりその身二人をこの世界一乃神と云ふて禮拝さすと申されたのであり、又イザナギの心魂は人体と変化ましまして神武天皇(一書に日本天照皇大神)と現れたもふて、悪神を制し、国中を始め、政治を始めて、萬民を治め、国々を始めたもふなり。

 世界年限満ちたるなれば、因縁地場へ、人体として生まれだし、陽氣遊びをさすと仰せられた、天保九年十月二十六日は、この世界御創造下さる時の約束の年限九億九萬九千九百九十九年と云ふ、年限であるから、先に生まれさしておいた、元イザナミの心魂を再び人体を受けさして、人間創造の元の地場に、引きよせて、陽氣遊びをさしてやるとの事である。

 この度は人間のたてながしの館(やかた)の内造りをするのやと仰せられて、即ち天理教教祖の出現であります。教祖即ち、人間母親神、イザナミは先に天照皇太神と現れ、又中山美岐子様と現れ、全世界を極楽世界、即ち甘露台世界となさん為に出現ましましたのである。


【諸井国三郎と「元の理」】
 諸井国三郎さんの御話よりの「元の理について(その一) 」、「元の理について(その二) 」、「元の理について(その三) 」(大正五年一月発行「山名大教会初代会長夫妻自伝」、文進堂)。
 教祖御在世中のお話と云えば、大抵この泥海中のお話が多かったが、これをお聞かせになる前には、『今世界の人間が元をしらんから、互いに他人と云ってねたみ合い、うらみ合い、我さえよくばで皆勝手/\の心つかい。甚だしき者は敵同士になって嫉(ねた)み合っているものも、元を聞かしたことがないから仕方がない。なれどこのままにては親が子を殺し、子が親を殺し、いじらしくて見ていられぬ。それでどうしても、元を聞かせなければならん』ということをお話しになり、それから泥海中のお話をお説きになり、終いに、『こういう訳ゆえ、どんな者でも仲良くせんければならんで』と云ってお聞かせになった。
 (前略)それで当時はどんな話を最も多くお聞かせになったかと云えば、後の御本席時代の様な詳しいお話ではなく、多く泥海時代のお話であった。即ち「くにとこたちのみこと」と仰せられるお方は始めてこの国を御見定めになったから、この方のことを一名「国見定めの命(みこと)」と申し上げ、御姿は頭一つの大龍。

 又「をもたりの命」様と申す方は、十二頭の大蛇で尾に三つの剣がある。それで悪気の女の事を蛇剣(邪見)と云うという様なことをお聞かせになった。今日、本部のお神楽の時「おもたりの命」様の御神楽は尾が三本あって一本は東へ、一本は西へ、一本は未申(ひつじさる)へ引いてある。これは東は「くもよみの命」、西は「をふとのべの命」、未申は「かしこねの命」を抑えになっているので、本勤めの時はその尾を三人の手に一本づゝ縛ってお勤めをする。「をもたりの命」の御姿を大蛇と申すのは、理が台じゃ、言い換えればこの世の中は大事じゃと云うことを御示しになったのである。お筆先に、『このよふは理いでせめたる世界なり なにかよろづを歌の理でせめ』とお説きになっているのはここである。

 この「国とこたちの命」様が「をもたりの命」様に御相談になるには、『我々両神だけこうしていても何の楽しみがないから、人間と云う調宝なものを拵えて楽しもうじゃないか』と。そこで相談がまとまって、泥海中を御覧になって人魚と巳(み)とを雛型として、それを仕込む道具のもようをした。その道具の一つはしゃち(鯱)である。鯱は突っ張りの強いものであるから、これを男一つの道具に仕込んだ。

 又泥海中を見澄ますと、亀がある。亀と云う動物は踏ん張りが強くてこけぬ。且つ、しとやかなものであるから、これを女一つの道具に仕込んだ。

 又泥海中を見澄ますと、うなぎ(鰻)がある。鰻はノロノロして尻からも頭からも出入ができるから、これを飲食い出入の御守護とした。

 又泥海中を見澄ますと、かれい(鰈)がある。鰈は身の薄いものであるから、これを風の道具に使った。

 これで六体ができたが、食物を与える道具がない。そこで又泥海中を見澄ますと、黒ぐつな(蛇)がある。これは強い丈夫のものだから、引き出しの御守護とした。

 又泥海中を見澄ますと、ふぐ(河豚、鰒)がいる。鰒は大食すると中毒する魚であるから、切断の守護としたという様なことを始終仰った。

 これで八柱の道具雛型は揃ったが、人間の魂とするものがない。そこで泥海中を見澄ますと鰌(どじょう)が沢山いる。これを引き寄せて喰って味わって人間の魂とした。ここにわからんのは、鰌を男の神様が食べたものは男となり、女の神様が食べたものが女となったということである。これはどういう次第だかわからないが、とにかく男女の魂は万代変らぬものと御聞かせになった。

 鰌の魂を美(巳)様に仕込んだのが今の甘露台の場所。南無/\で三日三夜に宿し込み、三年三月ジッと止めて置いた。それから奈良初瀬七里の間を七日七夜に生み下ろし、残る大和を四日にて生み下ろした。それで十一日を大和では忌み明けと云って宮参りをする。それから山城、伊賀、河内の三ヶ国を十九日に生み下ろした。それでこの三十日を半帯屋とも枕直しとも聞かせてあるでと御聞かせになった。それから残る国々を四十五日で生み下ろした。それで前後合わせて七十五日。これを産屋中というと聞かせられてある。

 最初生れ出したのは五分から。五分/\と成人して三寸になって皆な果てた。そこで一度教えられた御守護に依って、又同じ腹に宿し込み、生れ出したは五分から、五分/\と成人して今度は三寸五分にて皆な果てた。その次には、又元の腹へ宿し込み、五分から生れて四寸迄成長して皆な果てた。その時、母親の「いざなみの命」(巳に付与した神名)様は、『これでもう五尺の人間になる』と云うてニッコリと御笑いになってお崩れになった。それで死んで行く穴が四尺に二尺、生れて来る穴を四寸と二寸にお決めになった。そのお生みになる度毎に、親の息をかけてお育てになった。その産下しの場所を一宮二墓三原や、三度三原これ参り所と仰せられて、今の宮即ち神社は最初生下しの場所、二度目は今の墓所、三度目は今の辻々や原にある堂宮であると聞かせられた。
 最初は水の中に魚が泳いで行く様なものであったが、段々昆虫鳥獣の如き異形の者に生まれ変わって一番お終いに猿になり、猿から人間になった。それと同時に天地海山が速やかに分れた。その分れる時、そこに上ったのがその所々の人種となった。この様に人間は今日までどんな道筋も通っているから、どんな者の真似でもできないものはないでと御聞かせになった。この間の年限が九億九万九千九百九十九年。九千九百九十九度の生まれ変わり。その中九億九万年は水中の棲(す)まい、六千年が知恵の仕込み、四千年は書物の仕込みである。人間に書物というものを教え始めたのは六千年前である。然しその頃は人間にそれを聞き分ける力がなかったから、改めて四千年前から教え始めた。それだから四千年こっちのことは、どんなことでも皆な書物にあるでと御聞かせになった。

 そこで一つの問題は、人間が死んだら魂はどうなるだろうと云う問題であるが、私が身上で伺った時、『何処へもやりゃせんで。皆な元へ元へと返すのやで。誰は爺様に似ている。誰は婆様に似ていると云うやろう。似てるのやない。正の者を帰すのだがわかりゃしまい』というお言葉があった。又某分教会長のお爺さんの身上の時も、『まだ急なことはないけれども充分たんのうさしておけ。何処へもやりゃせんで。元へ元へと帰すで』という御言葉があった。これに依って見ると、人間と云うものは死んでもやっぱり親が子となり、子が親となって順繰り交代にその家に生れて出るらしい。素より因縁によっては外の家に生れて出るのもあるが。

※1‥みちのとも大正十五年八月二十日号「人間の始まり」高井猶吉によると、「~九千九百九十九年という年限に八千八度生まれ更わった」とある所から推察して、『九千九百九十九(年という年限に八千八)度の生まれ変わり』というのが本来のもので、恐らく編集上の抜け落ちだと思われます。
※2‥天理教教典によると、正しくは『三千九百九十九年』。

【芹沢光治良本「もとはじまりの話 泥海古記(どろうみこうき)」】
 「芹沢光治良本/もとはじまりの話 泥海古記(どろうみこうき)
 この世の元はじまりは、泥(どろ)の海。そのたいら一面、泥海の世界に、月様と日様がおいでになるばかりであった。(この月様と日様は、くにとこたちの命(みこと)、おもたりの命と申し上げ、人間とこの世界とを、はじめられた、親神様である) 月日様はいつも、『泥海の世界に、二人いるばかりでは、神と言って敬ってくれる者もなし、なんの楽しみもない。人間という者を、こしらえて、その陽気暮しをするのを見て、ともに楽しみたい』と、話し合っておられた。

 ある時、月様と日様は、泥海のなかに、大竜、大蛇のお姿をして、現われになった。泥海のなかを、ご覧になると、たくさんの『どじょう』ばかりいるなかに、『うお(魚)』と、『み(巳)』とが、泳いでいるのが、目にとまった。この『うお』は、岐魚(ぎぎょ)ともいい、鱗のない人魚のようで、鯨程もある。『み』も大きな白い蛇で、太刀魚(たちうお)の体付きである。お二人で、『うお』と『み』とを、よくご覧になるうち、「この物を雛型(ひながた)として、人間をこしらえたらよかろう」と、思いつかれた。それで、『うお』と『み』とを雛型に、そのほかの道具を使って、人間を創造する模様を相談され、やがて相談がまとまった。

 そこで、まず、『うお』と『み』とを呼びよせられた。『うお』と『み』は、お召しによって、月日様のもとへ、真直ぐにやって来た。月日様が、よくよくご覧になると、顔といい、肌合いといい、つくろうと思う人間にふさわしく、また心根も、ともに一すじ心で、月日様のお心にかなっていた。月日様は、人間創造の思召(おぼしめ)しをお話しになって、『おまえたちを人間の雛型にしたいと、思う。ここにいる沢山の“どじょう”を種として、ほかにも道具を、よせてやるから、ひとつ、種(たね)、苗代(なわしろ)として、働いてくれないか』と、お話になった。『うお』も『み』も、一度はお断り申上げたのであるが、月日様は重ねて、『人間世界ができあがって、初めて生まれる子数(こかず:子供の数)の年限がたったなら、親として敬われるように、してやろう』と、お約束になったので、やっと承知をした。そこで、人間の種・苗代として貰い受けられた。

 続いて、この雛型に、仕込む道具は、と見ると、乾(いぬい、西北)の方に、『しゃち(鯱)』が、巽(たつみ、東南)の方に、『亀』がいる。それで、これを呼びよせられた。さらに、このほかの道具になるものはと、見渡して、東の方から『うなぎ』を、坤(ひつじさる、西南)の方から、『かれい』を、艮(うしとら、東北)の方から『ふぐ』を、西の方から、『くろぐつな(黒蛇)』を、次々に引き寄せられた。これらのものにも、それぞれ人間創造の話しをされ、やがて年限がたてば、陽気遊びもできることを話されて、承知をさせて、もらい受けられた。

 こうして、雛型と道具が、みな寄ったので、人間を創造して、これを守護することを談じ合われた。そして、道具となるものを皆な食べて、その心根(こころね)を味わわれた。(その心を引き受けて、お働きになられたのである) 『しゃち』は、へんにシャチコ張り、勢(いきおい)の強いものであるから、男一の道具、および骨、つっぱりの道具。『かめ』は皮が強く、踏張りも強くて、容易には転(ころ)ばないものであるから、女一の道具、および、皮繋ぎの道具とされた。即ち、『魚』の体に『しゃち』を仕込んで男雛型とされ、これに『いざなぎのみこと』の神名を授けられた。『しゃち』には『つきよみのみこと』の神名を授けられた。また、『み』のからだに『亀』を仕込んで女雛型とされ、これに、『いざなみのみこと』の神名を授けられた。そして、『亀』には『くにさつちのみこと』の神名を授けられた。

 また、『うなぎ』は精が強く、頭の方へも、尾の方へも、スルスルとぬけて行くものであるから、飲み食い、出入りの道具と定められ、これに『くもよみのみこと』の神名を授けられた。『かれい』は身が薄く、風をおこすのに都合がよいものであるから、息吹き分けの道具と定められ、これに『かしこねのみこと』の神名が授けられた。『ふぐ』は食べると、よくあたって、この世との縁が、切れるものであるから、切る道具と定められ、これに『たいしょくてんのみこと』の神名が授けられた。『くろぐつな』は勢が強く、引いても容易にちぎれないものであるから、引出しの道具に定められ、これに『おおとのべのみこと』の神名が授けられた。(人間の眼のうるおいは、月様が、ぬくみは、日様が、守護される)

 こうして、いよいよ、人間と、この世界を、はじめかけることになった。そこで、まず月日親神様は、泥海のなかの『どじょう』を皆な食べて、その心根を味わい、人間の『種』とされた。月様は、『いざなぎのみこと』の体内に入り込み、日様は『いざなみのみこと』の体内に入り込んで、夫婦の雛型として、人間をこしらえる手順(てじゅん)を教え込まれた。そして、三日三夜の間に、九億九万九千九百九十九人の子数(こかず)の『種』を、『いざなみのみこと』の胎内に、なむなむとお宿しこみになった。『いざなみのみこと』は、その場所に、三年三月(さんねんみつき)、お留(とど)まりになり、七十五日かかって、子数のすべてを、産み下ろしになった。(その範囲は、遥かに広く、日本の国ほどに、産み下ろして、まわられたのである。また、産み下ろすごとに、生れた子供に親の息をかけておかれた)

 最初に生れた人間は、一様に、五分(ごぶ)の大きさであった。このものは、五分五分と成人して、九十九年経って、三寸まで大きくなった。そして、全部死んでしまった。父親である『いざなぎのみこと』も、身をおかくしになった。けれども、親神様から、一度教えて頂いた守護により、『いざなみのみこと』の胎内に、また、前と同じ子供が、同じ数だけ宿った。そして、十月(とつき)経って、産み下ろされた。この二度目に、生れた人間も、五分から生れ、五分五分と成人したが、九十九年経って、三寸五分まで成人して、また死んでしまった。しかし、このときも、同じ守護によって、『いざなみのみこと』の胎内へ、同じ子供が、同じ数だけ宿った。そして十月(とつき)経って、産み下ろされた。この、三度目に生れた人間も、五分から生れ、五分五分と成人して、九十九年経って、四寸まで成人したとき、母親である『いざなみのみこと』は、「これまで成人すれば、いずれ五尺の人間になるだろう」と、お悦びになって、にっこり笑って、身をおかくしになった。そして、子供である人間も、産んだ親である『いざなみのみこと』の、あとを慕って、残らず死んでしまった。

 それから人間は、虫、鳥、畜類(ちくるい)などの姿に、八千八度(はっせんやたび)、生まれかわった。ところが、こうして、この世の出直(でなおし)を、くりかえしていた人間も、九千九百九十九年経って、みな死んでしまった。しかし、親神様のはからいによって、『めざる』が、ひとりだけ生き残った。そして、その胎内に、男五人女五人、つごう十人、人間が宿り、五分から生まれて、五分五分と、成人していった。こうして、この人間が、八寸まで成人したころから、親神様の守護により、泥海世界に高低(たかひく)が、できかけたのである。その人間が、一尺八寸に、成人したころには、海山も、天地も、日月も、ようやく区別できるように、なってきた。そして、子が親となって、元の人数がそろった。一尺八寸から、三尺に成人するまでは、一胎(ひとはら)に、男一人、女一人の、二人ずつ生まれた。三尺に成人した時、言葉をつかうようになり、一胎に一人ずつ、生まれるようになった。

 その後、人間は成人するにしたがい、食を求め、陸地を見つけては、はい上がり、世界中にひろまった。人間が、五尺に成人したときには、人間が住むに都合がよいように、海山、天地、世界もはっきりできあがった。そこで、水中の生活をやめて、現在のような陸上生活を、するようになったのである。この間、九億九万年は、水中の住居(すまい)、六千年は知恵(ちえ)の仕こみ、三千九百九十九年は、文字の仕込み、と仰せられている……

 平成4年6月15日発行  芹沢光治良 著 大自然の夢 新潮社版 P49から起こしています。一部誤植と思われる部分は独自の判断で訂正しています。

【芹沢家本「もとはじまりの話 泥海古記(どろうみこうき)」】
 芹沢家本「もとはじまりの話 泥海古記(どろうみこうき)」。
 さあ、前にきいや、皆な前に。さてなあ、親神さんが何故に人を助けよう、また人を造ろうと思うたのかという理のことや。先ず、ほんまにこの世というものは何にもない時、月日両人ばかりが表に現れて、この姿を見てほんまに可哀相や、ああこれでは寂しいなあと思われた。親神さんが先ず泥の海をじいっと見澄まされると、ほんまに真っ直ぐさんに動いている魚(うを)とみいとが交じってた。ああこれならこの一筋心ならば、神さん、使えるやろと思うた理を神さんはなあ、先ずその場にいる魚とみいとを引き寄せて話をしましたのや。

 さて、あんた方、これから人の雛型造ろうと思うやけども、あんたどないやろか協力してくれますかと言うたのやけども、魚とみいとはそないえらい仕事できまへんわと言うて断って消えてしもうた。それでも、三、三、三度、くどく、くどく、くどく言うて魚とみいとを引き寄せた。ほんまにくどく言うてほんまに魚とみいとがやっと承知し、そやから協力しますで親神さんの御守護やから、ほんまに協力さしてもらいますと言うて九億九万九千九百九十九年の後は、あんさん方を神として拝をさせようと言うような思し召しの上から親神が両月日が魚とみいとを引き寄せた。

 そやけどせ、魚とみいとではまだできん。それで人間の体の一部一部を皆なそれぞれ造らんといけん。またその中のどょうをようよう見澄まされると、しゃちと亀とが居ましてな、しゃちと亀とはほんまにまた、これも一筋に動いてこっちに寄ってきて親神さんがよう言いました。あんた方、人の雛型の道具の神になってくれんやろかと。そやけどもそのもの達も、いやや、そないなえらい仕事できまへんと言うて断ってしもうた。そやけどもやっぱりここで、くどく、くどく言うてやっと承知してもらい受けて、先ずしゃちを男の一の道具さんにさしてもらい、亀を女一の道具さんにさしてもらいて、あい決まって九十九年たったら道具神として拝をさせようと、ここでまた談じ合い練り合いの末ここまでやってきた。

 またこれでは足らん。これでやっと男の種、女の種と両方が出来た。これで女の苗代、男の種と、これでほんまできたけどもまだ足らん。人間の体というものはいろんなものでできてはる。飲むことも食べることもせんとならんし、また子供を産む時には、それを引き出す道具が必要や。それでまた色々とこう、ようよう見澄まさせると、ほんまにうなぎとそれから人間の息を造りはったな。丁度かれいの形というものは団扇の様に風起こしや、そや、こんならば人間の息の理とまた飲み食い出入りの御守護というものできるやろうと思うて、親神さんが早ようこれを引き寄せんとと思うた。さあ、おいでと言うた。またここで、くどく、くどく親神さんのさとりの上、あんた、あんた、こないなことしてくれんと人はできんでと言うたけど、また断って、くどく言うて始めて、はいとしてもらい受けた。また九億九万九千九百九十九年経ったら、でいり神さんとして引き寄せましょうと言うた。

 またこれでは足らん。そや、今度は子供を引き出さんとならん。またその胎縁を切らんとならんと言うて、またどじょうの中を充分に見澄ませた上、ああこれはふぐだ、怒るとぷっと脹れてぎざぎざしたもんができてくる。それでふぐと、それから引き寄さんならん紐の働きをするへび、くろぐつながいましてな。くろぐつなを引き寄せてまたこれに、よくよく、くどく、くどく言うてもらい受けて、これでやっと引き出しと切る理というものが出来て、これでやっと人を引き出すまでに出来るなという談じ合い練り合いの末、ここまでやっときて、おおとのべのしんをおさめましたのや。

 さて、これを男の種と女子の苗代と二つ出来たのや。月日両人が女の中に日の心、男の中に月の心が入り込んで三年三月、どじょうを飲み込んで九億九万九千九百九十九人の子供の種を宿し込み、七十五日経ってほんまに産み下ろしましたのや。初め五分五分で成人して、しっかりすえても中々できん。九十九年経ってああとして、いざなぎの御心というものが一緒に出直して、そして子供達もまた出直してしもうた。はじめ一緒にな。さて、それからまた、どんどん、どんどん、ひがして、いざなみは同じどじょうの心をもて、自分で宿し込み、そしてまた子供を産み下ろし。ここまで来ればいいやろうと思うて、子供と一緒に九億九年経って子供が成人する前に、ひがきえてはる。始めてここで泥海というものの御苦労さんがみえてくる。

 さて、これが肝心や。それから人間は、ほんまに鳥や畜類全てに生まれかわって、やっとここまできて知恵の仕込みや、言葉の仕込みを教えて尚も教えて、高、低できかかる中で、子供というものが、ほんまに親神さんの苦労でここまでやってきた。これが第一ということや。なれどここで間違うていけんというものは先ず、泥海というもの、これは人間の種の理や。種の理というものは親神の懐に抱えられている御霊の心。そして尚もどじょうというものも、この高、低できたところでやっていた。先ず天の親神の御霊の心から沢山のどじょうが、この地球に落ちて始めてそこから、だんだんできてきたのが人というものや。等しく教えても尚も分からん故に、親神はいろんな諭し方で教えてきてはる。

 そやから、この世界というものはな、神さんの懐住まいというてな、貸しもの借りものの理が一番重要なことや。尚も一層見定めると、人間の心というものは皆な一筋でなければいかん。一筋の心持たんと、あちこちと曲がった心になる。さて、これでまた泥海にたいして、心変わって始めて、くどく、くどくと言うて、道具神を引き寄せたほどに、人間というものは、また同じや。くどく、くどく言って、その種を持ってはるから、くどく、くどく、元一日で、くどくつとめた。さてな人というものを、くどく教えても中々悟らんでいろいろに、くどく、くどく引き寄せて引っ張って、切ったり繋げたり、また怒ったりというようにいろんなことをして、人間は造られてきた。なれど、人というものは、惜しい、欲しい、憎い、可愛い、恨み、腹立ち、欲、高慢というようなもんで、人というものは、ほこりが力を造ってしまう。ほこりの心というものをつこうたら、またそれが因縁として現れてくるが、人は借りものやからなあ。御霊さん、心同様が皆それぞれという。

 なれどもそれぞれの心というものは、それぞれに与えられてるものやから、難しいが、先ず人間は、くどく、くどく、親神に何度も、何度も説かれても分からん。自分勝手の心使いやすいというのを泥海では、よう教えてはるはずや。そやから人というものは、また一つ一つを親神に、どないなことして造ってもろうたという元一日に戻ることが大事や。あまりねんだいのぎや、またどの位の成人が鈍うてならんかったという心までに教えて九十九年と、同じ繰り返し、繰り返しをしていても中々成人出来ん子供のことを諭したものもある。

 なれども、いざなぎ、いざなみの理を、親神の心頂く月日両人が入り込んで心こそが丁度夫婦の理や。夫婦がそれぞれ阿吽の呼吸で心入れて始めて子宝の種を頂くようなもん。その心を第一に、もの、ものというものに入れて、器というもできかける。そこに高、低できた心入れかけて始めてもの心つくまでという。もの心つくまで親神の修理肥は中々難しい。そやから皆なそれぞれに因縁を抹消するためには自分の心の入れ替えと自分の魂の入れ替えというものがある。それは気の向き方、心の向きから事情の返し方によってくる。このことを第一、親神が言いたいことや。さてなあ今日何故に親神が言いたいことは、それはただ泥海こうきだけを一生懸命学べということや。泥海こうきの中にある親神がいかように苦労したか、苦労して人に何かを教えようかと思うたことや。泥海の中には幾多の困難を乗り越えて親神が人を造ろうと思うた苦労話だけやのうて、人というものが色々な道具衆に入り込んだように、それは道具やな。道具の心を入り込んだ、ようように色々たたかれて頂いて始めて、ああ、ほんまもんの人にならしてもらう。

 九億九万九千九百九十九年には神として拝をさせよう。神というものは示して申すものや。親神の心をしっかり頂くものにしようというた元一日や。その道具の心というものは、あんた方全てや。神を現して神を拝をさせようと思う姿ではのうて、自分自身の心を親神さんから見て始めて素晴らしいもんやと言われるような、肝の坐った一条の心を持つ者にせんといかん。そやからそこが大事や。親神さんの心が何故に九十九年経って始めて神さんの心頂いて、神の心、社の心までおさまりきった。その理というものは、それぞれ人間さんが始めて九十九年心入れ替えて始めて百年というものみたことや。

 九億九万九千九百九十九年経ったら、人というものがいかように人間の心頂いて、ほんまもんの人さんにさしてもらい、陽気暮らしを共に楽しもうと思うた親神の精神に近づかならんというのが元一日や。特別に九十九年、真柱、心入れ替えてというようなもんやないで、始めて九億九万九千九百九十九年経って、人が何故に造られたかという元一日を諭すための話や。

 九億九万九千九百九十九年経ってまた、やおよろづの神を現そうと思うたことやない。ほんま人間の心というものが神に一番近こうならん。神というてもそれは、親神の心に一番添いきらんといかんという精神を教えるために、九億九万九千九百九十九年という年月をおいてまでも、お話することや。なれども九億九万九千九百九十九年は全てくどく、くどく、くどく、くどく申し上げますぞよという親神の親心や。そやから全て救われんといかん。

 親神は何故に九というものを、沢山表したのか、それを元一日で考えてごらん。それが第一今日の話や。一番初めの話は、昔言うたようなこと。なれど後から言うたことは今の姿ならばわかるやろうと思うた者に言うことや。これを第一しっかり持っていきなはれ。

 さて一人一人というても難しいが、このことをよう思案した上で改めてわしの前にきいや。この心が大事やで。今日はご苦労さん。
  (一九八六年六月十四日)天鶏第15号 13頁

  一部誤植と思われる部分もあるが訂正していない。段落はないが、読みにくいので勝手に付けた。内容の判断は読者に任せる。

【天理教教典第三章、元の理】
 「天理教教典第三章、元の理」。
 親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上からおやさま(教祖)をやしろとしてこの世の表に現れた。奇しきいんねん(因縁)と、陽気づとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。

 この世の元初りは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。

 そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢよ(ドジョウ)の中に、うを(魚)とみ(蛇)とが混っている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねん(因縁)ある元のやしき(屋敷)に連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。

 続いて、乾の方からしやち(鯱)を、巽の方からかめ(亀)を呼び寄せ、これ又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の道具、及び、骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々をうをとみとに仕込み、男女の雛型と定められた。いざなぎのみこと いざなみのみこととは、この男雛型・種、女雛型・苗代の理に授けられた神名であり、月よみのみこと くにさづちのみこととは、夫々、この道具の理に授けられた神名である。

 更に、東の方からうなぎ(鰻)を、坤の方からかれい(鰈)を、西の方からくろぐつな(黒蛇)を、艮の方からふぐ(河豚)を、次々と引き寄せ、これにも又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された。そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る道具と定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと をふとのべのみこと たいしょく天のみこととの神名を授けられた。

 かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなった。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたね(種)とされた。そして、月様は、いざなぎのみことの体内に、日様は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の間に九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみことの胎内に宿し込まれた。それから、いざなみのみことは、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日かかって、子数のすべてを産みおろされた。

 最初に産みおろされたものは、一様に五分であったが、五分五分と成人して、九十九年経って三寸になった時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、身を隠された。しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経って、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って三寸五分まで成人して、皆出直した。そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って四寸まで成人した。その時、母親なるいざなみのみことは、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、にっこり笑うて身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。

 その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、めざる(雌猿)が一匹だけ残った。この胎に男五人女五人の十人ずつの人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になった時、親神の守護によって、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るようにかたまりかけてきた。そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようになった。次いで、五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになった。 この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。

 月日よりだん/\心つくしきり 
 そのゆへなるのにんけんである(六 50)

 このよふのしんぢつの神月日なり
 あとなるはみなどふくなるぞや(六 88)

 にんげんをはぢめよふとてだんだんと
 よせてつこふたこれに神なを (六 51) 


 この世の元の神・実の神は、月日親神であって、月様を、くにとこたちのみこと 日様を、をもたりのみことと称える。あとなるは皆、雛形であり、道具である。更に申せば親神は、深い思し召しの上から、その十全の守護を解りやすく詳しく示し、その夫々に神名をつけられたのである。

 しかときけこのもとなるとゆうのハな
 くにとこたちにをもたりさまや (十六 12)
  
 思えば、親神は、この世人間を造られたばかりでなく、長の歳月、限りない親心をもってその成人を守護し、時に応じて旬旬の仕込みをなされた。人類の成人とその文化の発達とは、悉く親神の篤い守護による。

 月日にはせかいぢううをみハたせど
 もとはじまりをしりたものなし (十三 30)
 このもとをどふぞせかいをしへたさ
 そこで月日があらわれてでた  (十三 31)

 親神はこの真実を明かし、一れつ人間に陽気ぐらしへの道を教えようとて、おやさま(教祖)をやしろとして表に現れられた。即ち、最初産みおろしの子数の年限が経った暁は、元のやしきに連れもどり、神として拝をさせようとの、元初りの約束に基く。


 にんげんをはじめだしたるやしきなり
 そのいんねんであまくたりたで (四 56)

 このよふをはじめだしたるやしきなり
 にんげんはじめもとのおやなり (六 55)

月 日よりそれをみすましあまくだり
 なにかよろづをしらしたいから (六 56)

 親神は、この約束により、人間創造の母胎としての魂の因縁あるおやさま(教祖)を、予めこの世に現し、宿し込みのいんねんある元のやしきに引き寄せて、天保九年十月二十六日、年限の到来と共に、月日のやしろに貰いうけられた。この人と所と時とに関するいんねんを、おやさま魂のいんねん、やしきのいんねん、旬刻限の理という。

 この月日もとなるぢばや元なるの
 いんねんあるでちうよぢさいを (八 47)

 このはなしなんでこのよにくどいなら
 たすけ一ぢようけやうのもと  (八 48)

 かくて、親神は、おやさまの口を通して親しくよろづいさいの真実を明かされた。それは、長年の間、一れつ人間の成人に応じて、修理肥として旬旬に仕込まれた教えの点睛である。即ち、ここにいよいよ、親神直々の、だめの教えが垂示された。けだし、十のものなら九つまで教え、なお、明かされなかった最後の一点、元の親を知らして、人類に、親神の子供たるの自覚を与え、一れつ兄弟姉妹としての親和を促し、親子団欒の陽気ぐらしの世と立て替えようとの思召しからである。これを、

 このよふを初た神の事ならば
 せかい一れつみなわがこなり  (四 62)

 せかいぢう神のたあにハみなわがこ
 一れつハみなをやとおもえよ  (四 79)

 せかいぢう一れつはみなきよたいや
 たにんとゆうわさらにないぞや (十三 43)

 と教え、更に又、

 月日にわにんけんはじめかけたのわ
 よふきゆさんがみたいゆへから (十四 25)

 せかいにハこのしんぢつをしらんから
 みなどこまでもいつむはかりで (十四 26)

 このさきハせかへぢううハどこまでも
 よふきづくめにみなしてかかる (十 103)

 と仰せられている。

 陽気ぐらしこそ、人間生活の目標(めど)であり、理想である。これを実現しようと、よふきづとめを教えて、たすけ一条の道をつけられた。よふきづとめの理は、実に,この元初りの真実による。

 ちよとはなしかみのいふこときいてくれ
 あしきのことはいはんでな
 このよのぢいとてんとをかたどりて
 ふうふをこしらへきたるでな
 これハこのよのはじめだし

 「天理教教典第3章元の理英文 Motonori The Truth of Orijin」。
 Chpter Three 

  The  truth of origin

 In order to hasten the realization of JoyousLife,God th e Parent revealed the truth of  the creation so that we might understand the truth of the Joyous Service and the mysterious causality by which God appeared on earth through Oyasama as the Shrine.
 
   In the beginning, the world was a muddy ocean.
Tsukihi(tsuki-hi),God the Parent, finding this chaos unbearably tasteless, thought of creating human beings in order to see the Joyus Life and thus share in that joy. 

  Looking carefully through the muddy ocean, God saw  a fish (merman) and a serpent (white snake) amid many loaches(mudfish).Planning to make them into models of husband and wife, God summoned them.
 Discerning their single-heartedness, God obtained their consent and received them, promising that when the years equal to the number of their first-born had elapsed, they would be returned to the Residence of Origin, the place of original
conception,and would be adored by their posterity. 

 Continuing,God summoned an orc(killer whale) from the northwest and a turtle from the southeast.Again,after obtaining  their consent,God received them and, after consuming them to test the flavor of their minds,determined their natures.  Then God decided to use the orc as the instrument of the male organ, of bones and support; and the turtle as the instrument of the female organ, of skin and 
joining.
 Then God put the orc into the fish and the turtle in to the serpent and established them as models of man and woman.
 God gave the sacred names of Izamagi-no-mikoto to the model of man, the seed and Izanami-no-mikoto to the model of woman, the seedplot.
 To the divine principles of these instruments,God gave the names
Tukiyomi-no-mikotoand Kunisazuchi-no-mikoto,respectively.

  Then God summoned an eel from the east, flatfish from the southwest, a black snake from the west, and a globefish from the nurtheast, one after another.
 Again God first gainedtheir consent, received them, and consumed them to testthe nature of each.

  God tnen decided to use the eel as the instrument for eating,drinking,and elimination,the flatfish for breathing and speaking, the black snake for pulling forth,and the globefish for cutting.
 To the divine plinciples of these insutruments, God gave the sacred names of, respectively, Kumoyomi-no-mikoto, Kasikone-no mikoto, Otonobe-no-mikoto,and Taishokuten-no-mikoto.

  Thus,the models and instruments having been betermined,the creation of human beings was begun.
 First God comsumed  all the loaches in the muddy ocean, tasted the flavors oftheir nature,and made them the seeds for human beings.
 Then God the Parent, as Tuki-sama (the Moon), entered the body of Izanagi-no-mikokto and, Hi-sama (the san),entered the body of Izanami-no-mikoto and taught them the divine providence of creating human beings.Then nine hundred million,ninety-nine thousand, nine hundred and ninety-nine seeds were put into the body of Izamami-no-mikoto  in three days and three nights.Izamami-no-mikoto remained there for three years and three months and gave birth in seventy-five days to as many children as there were seeds.

  The first children thus born were all half an inches(5bu) tall.Growing taller gradually, they reachd a height of three inches (3sun) in ninety-nine years.
 Then they all passed 
away for rebirth and their father, Izanago-no-mikoto,
withdrew from physical life.However, Izanami-no-mikoto, again conceived the origina lnumber of children by the divine providence already taught her and, after ten months, gave birth to them again.
 The children,then too,were half an inchetall at birth and, after growing to three and a half inches (3 sun 5 bu) in ninety-nine years,all passed away for rebirth once more. 

 Then the children were conceived for the third time.
 They were again born half an inch tall and, this time, grew to four inches (4 sun) in ninety-nine years. At that time, their mother, Izamami-no-Mikoto, said."Now that they have grown so tall, in time they will reach the height of human beings five tall (5 shaku)." and with a smile, withdrew from physical life.
 Then all her children,too, passed away for rebirth, deeply yearning for their mother.

  After that, humanbeings were reborn eight thousand and eight times as worms, birds, beasts,and the like.
 Then they all passed away except a she- monkey.
 She conceived tne human beings at a time, five male and five female.
 They were born half an inch tall and grew taller gradually.
 When they grew to eight inches ( 8 sun ), the bottom of the muddy ocean began to develop highs and lows by the plovi-dence of God the Parent.When they grew to one foot and eight inches ( 1 shaku 8 sun ), land and sea, heaven and earth, and the sun and moon came to take from so as to be distinguishabl.
 In the development of the humen beings from one foot and eight inches to three feet ( 3 shaku ), twins were born from earch conceptin, a male and a female.
 When humans reached three feet, one child was born from earch conception and they began to speek.
 When they reached five feet,land and sea, heaven and earth, the whole universe, was completed, and human beings began to dwell on land.

  God the Parent taught that human beings lived in water for nine hundred million and ninety thousand years, were trained for six thousand years in wisdom,and were instruct-ed for three thousand nine hundred ninety-nine years in letters.

  Only through the exhausitive efforts of Tsukihi,
   made step by step, have you become the 
   humans you are             
 
Ofudesaki Ⅵ:88
 
  The  true  and  real  God  of  this  universe is
   Tsukihi. The others are all instruments.
                                               
 Drawing them forth one after another,I used
    them to begin human beings and gave to each a
    sacred name .

 Ofudesaki Ⅵ:55-51

 God of origin, God in truth,is God the Parent,Tsukihi(Moon-Sun).
 The name of Tsuki-sama (the  Moon) is Kunitokotachi-no-mikoto and that of Hi-sama (the Sun) is Omotari-no-Mikoto. 
 All the others are models or instru-ments. More precisery, they are those aspects of the complete providence of God the Parent which were given sacred names due to the divine forethought of making the  providence easier to understand.

  Listen!  This origin is the venerable Kunitokotati and
  Omotari.
 
Ofudesaki XⅥ:12

 God the parent not only created human beings and the world but has watched over our growth with unending parental love, providing us with training the seasonable times appropriate to our growth.
 The development of humankind and our cultures is entirely due to the gracious providence of God the Parent.
    
  Though Tukihi looks all over the world, there is no who
   knows the origin.

   Desiring to teach this origin to the world by all means,
  Tuk-ihi has become revealed.
  
OfudesakiXIII:30-31  

  God the Parent  became openly revealed in this world through Oyasama, the Shrine,to teach the truth of origin in order to show all humankind the path to the Joyous Life.This was in accordnce with the  promise made at the time of creation that God would return those who had become models in human creation to the Residence of Origin to be adored by their posterity when the years equal to the number of their first-born had elapsed.

   This is the Residence  where I began human
    beings. Because of this causality,it is here that I
    desdended.
 
OfudesakiⅣ:55

 
This is the Residence  where I began  this world.
   Therein lives the original Parent of human bigin-nings.

   Discerning this, Tsukihi  descended from the desire to teach about all matters.

 
 OfudesakiⅥ55-56

 To fulfill this promise,God the parent brought Oyasama, whose soul was that of the mother in human creation ,into this world, and drew Her to the Residence of Origin,the place of the original conception.On October 26, 1838, which was the fulfillment of the  promised time,God the parent received Her as the Shrine of Tsukihi.
 The causalities concerning person,place,and time are called the Causality of the
Soul ofOyasama, the Causality of the Residence, and the Causality of the Promised Time.

  Bcause the Jiba of  Origin and the causality of origin exist,Tsukihi works freely and unlimitedly. 

       
 You may wonder  why  I repeat this teaching so persistently.It is the basis of My assurance of single-hearted salvation. 

  
OfudesakiⅧ:47-48

 Thus, God the parent intimately revealed the truth of all things through the lips of Oyasama. It is the final point to the teachings which God had given to all of us human beings over many years according to the stages f our spiritual growth.
 God the Parent became openly revealed at this time to give the final teachings directry to us,for God had already given us nine-tenths of the complete teachings. 
 In this last teaching,God revealed the Parent of Origin to make us aware that we are truly children of God and,thereby, to urge all the peoples of earth to live as brothers and sisters so that this world be reconstructed as the world of the Joyous Life in which the Parent and children dwell in joyous harmony. 

  To God, who began this world,all of you in the world  are equally My beloved children.
  
OfudesakiⅣ:62

 To God,people throuout the world are all  My children.
  All of you equally, know that I am your Parent!
  
OfudesakiⅣ:79

  
All of you throuout the world are brothers and sisters.
  There should be no one called an outsider.
   
OfudesakiⅩⅢ:43
 Further:

 The reason Tsukihi began human beings was the desire to see you lead a joyous life.
  Because the world dose not know this truth, everyone sinks only deeper into depression.

 Ofudesaki
 ⅩⅣ:25-26

  Hereafter, I shall set out to make the whole world brim with joy.

  OfudesakiⅩ:103

 The Joyous life is the purpose and final goal of human axistence.
 To attain this goal, God the Parent initiated the path of single-hearted salvation by teaching us the Joyous Service.
 This Joyous Service is  based upon the truth of the origin of human beings.

  Just a word: Listen to what God says.
  I never tell you anything wrong.
  Representing heaven and earth
  I have created husband and wife.
 This is the beginning of the world.
   Mikagura-uta
  Chpter Three   The truth of origin
 天理教教典第三章、元の理
 In order to hasten the realization of JoyousLife,God the Parent revealed the truth of the creation so that we might understand the truth of the Joyous Service and the mysterious causality by which God appeared on earth through Oyasama as the Shrine. 
 陽気ぐらしを急き込まれる上から、親神は、おやさま(教祖)をやしろとしてこの世に現れて、陽気づとめの理と奇しきいんねん(因縁)を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。
  In the beginning, the world was a muddy ocean.
 この世の元初りは、どろ海であった。
 Tsukihi(tsuki-hi),God the Parent, finding this chaos unbearably tasteless, thought of creating human being in order to see the Joyus Life and thus share in that joy. 
 月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。
 Looking carefully through the muddy ocean, God saw a fish (merman) and a serpent (white snake) amid many loaches(mudfish).
 そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢよ(ドジョウ)の中に、うを(魚)とみ(蛇)とが混っている。
 Planning to make them into models of husband and wife, God summoned them.
 夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ
 Discerning their single-heartedness, God obtained their consent and received them, promising that when the years equal to the number of their first-born had elapsed, they would be returned to the Residence of Origin, the place of original
conception,and would be adored by their posterity. 
 夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねん(因縁)ある元のやしき(屋敷)に連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。
 Continuing,God summoned an orc(killer whale) from the northwest and a turtle from the southeast.
 続いて、神は、乾の方からしやち(鯱)を、巽の方からかめ(亀)を呼び寄せた。
 Again, after obtaining their consent, God received them and, after consuming them to test the flavor of their minds, determined their natures.
 これ又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めた。
 Then God decided to use the orc as the instrument of the male organ, of bones and support; and the turtle as the instrument of the female organ, of skin and joining.
 神は、これ等を男一の道具、及び骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び皮つなぎの道具として使うことを決めた。
 Then God put the orc into the fish and the turtle in to the serpent and established them as models of man and woman.
 それから神は、夫々をうをとみとに仕込み、男女の雛型と定められた。
 God gave the sacred names of  Izamagi-no-mikoto to the model of man, the seed and Izanami-no-mikoto to the model of woman, the seedplot.
 神は、男雛型・種にいざなぎのみことの名を与えた。女雛型・苗代の理にいざなみのみことの名を与えた。
 To the divine principles of these instruments,God gave the names
Tukiyomi-no-mikotoand Kunisazuchi-no-mikoto,respectively.
 神は、この道具の理に、月よみのみこと、くにさづちのみことの神名を授けられた。
 Then God summoned an eel from the east, flatfish from the southwest, a black snake from the west, and a globefish from the nurtheast, one after another.
 更に、東の方からうなぎ(鰻)を、坤の方からかれい(鰈)を、西の方からくろぐつな(黒蛇)を、艮の方からふぐ(河豚)を、次々と引き寄せられた。
 Again God first gainedtheir consent, received them,and consumed them to testthe nature of each.
 神は、これにも又承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された。
  God tnen decided to use the eel as the instrument for eating,drinking,and elimination,the flatfish for breathing and speaking, the black snake for pulling forth,and the globefish for cutting.
 神は、そしてそれぞれ、うなぎ(鰻)に飲み食い出入り、かれい(鰈)に息吹き分け、くろぐつな(黒蛇)に引き出し、ふぐ(河豚)に切る道具として使うことをきめた。
 To the divine plinciples of these insutruments, God gave the sacred names of, respectively, Kumoyomi-no-mikoto, Kasikone-nomikoto,Otonobe-no-mikoto,and Taishokuten-no-mikoto.
 神は、これらの道具の理に、くもよみのみこと、かしこねのみこと、をふとのべのみこと、たいしょく天のみこととの神名を授けられた。
  Thus,the models and instruments having been betermined,the creation of human beings was begun.
 かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなった。
 First God comsumed all the loaches in the muddy ocean, tasted the flavors oftheir nature,and made them the seeds for human beings.
 先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたね(種)とされた。
 Then God the Parent, as Tuki-sama (the Moon), entered the body of Izanagi-no-mikokto and, Hi-sama (the san ), entered the body of Izanami-no-mikoto and taught them the divine providence of creating human beings.
 そして、親神は、月様として、いざなぎのみことの体内に、日様は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教えた。
 Then nine hundred million, ninety-nine thousand, nine hundred and ninety-nine
seeds were put into the body of Izamami-no-mikoto in three days and three nights.
 三日三夜の間に九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみことの胎内に宿し込まれた。
 Izamami-no-mikoto remained there for three years and three months and gave birth in seventy-five days to as many children as there were seeds.
 いざなみのみことは、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日かかって、子数のすべてを産みおろされた。
  The first children thus born were all half an inches(5bu)tall.
 最初に産みおろされたものは、一様に五分であった。
 Growing taller gradually, they reachd a height of three inches (3sun) in ninety-nine years.
 五分五分と成人して、九十九年経って三寸になった。
 Then they all passed away for rebirth and their father, Izanagi-no-mikoto,
withdrew from physical life.
 そして、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、身を隠された。
 However, Izanami-no-mikoto,again conceived the origina lnumber of children by the divine providence already taught her and, after ten months,gave birth to them again.
 しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経って、これを産みおろされた。
 The children,then too,were half an inchetall at birth and, after growing to three and a half inches (3 sun 5 bu) in ninety-nine years,all passed away for rebirth once more. 
 が、このものも、五分から生れ、九十九年経って三寸五分まで成人して、皆出直した。
 Then the children were conceived for the third time.
 そこで又、三度目の宿し込みをなされた。
 They were again born half an inch tall and, this time, grew to four inches (4 sun) in ninety-nine years.
 が、このものも、五分から生れ、九十九年経って四寸まで成人した。
 At that time, their mother, Izamami-no-Mikoto, said."Now that they have grown so tall, in time they will reach the height of human beings five tall (5 shaku)." and with a smile, withdrew from physical life.
 その時、母親なるいざなみのみことは、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、にっこり笑うて身を隠された。
 Then all her children,too, passed away for rebirth, deeply yearning for their mother.
 そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。
  After that, humanbeings were reborn eight thousand and eight times as worms, birds, beasts,and the like.
 その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経た。
 Then they all passed away except a she- monkey.
 又もや皆な出直し、最後に、めざる(雌猿)が一匹だけ残った。
 She conceived tne human beings at a time, five male and five female.
 この胎に男五人女五人の十人ずつの人間が宿った。
 They were born half an inch tall and grew taller gradually.
 五分から生れ、五分五分と成人した。
 When they grew to eight inches ( 8 sun ), the bottom of the muddy ocean began to develop highs and lows by the plovi-dence of God the Parent.
 八寸になった時、親神の守護によって、どろ海の中に高低ができかけた。
 When they grew to one foot and eight inches ( 1 shaku 8 sun ), land and sea, heaven and earth, and the sun and moon came to take from so as to be distinguishabl.
 一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別できるようにかたまりかけてきた。
 In the development of the humen beings from one foot and eight inches to three feet ( 3 shaku ), twins were born from earch conceptin, a male and a female.
 人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れた。
 When humans reached three feet, one child was born from earch conception and they began to speek.
 三尺に成人した時、一胎に一人ずつ生れるようになり、ものを言い始めた。
 When they reached five feet,land and sea, heaven and earth, the whole
universe, was completed, and human beings began to dwell on land.
 次いで、五尺になった時、海山も天地も世界も皆なできて、人間は陸上の生活をするようになった。
  God the Parent taught that human beings lived in water for nine hundred million and ninety thousand years, were trained for six thousand years in wisdom,and were instruct-ed for three thousand nine hundred ninety-nine years in letters.
 この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。
  Only through the exhausitive efforts of Tsukihi, made step by step, have you become the humans you are
  Ofudesaki Ⅵ:88  
 月日より だん/\心 つくしきり 
 そのゆへなるの 人間である
 (六88)
  The true and real God of this universe is Tsukihi.
 The others are all instruments.
 Ofudesaki Ⅵ:55
  
 このよふの しんぢつの神 月日なり
 あとなるはみな 道具なるぞや
 (六55)
 Drawing them forth one after another, I used them to begin human beings and gave to each a sacred name .
 Ofudesaki Ⅵ:51
 人間を はぢめよふとて だんだんと
 寄せてつこふた これに神名(かみな)を 
 (六51) 
 God of origin, God in truth, is God the Parent,Tsukihi(Moon-Sun).
 この世の元の神・実の神は、月日親神である。
 The name of Tsuki-sama (the Moon) is Kunitokotachi-no-mikoto and that of Hi-sama (the Sun) is Omotari-no-Mikoto.
 月様の名を、くにとこたちのみこと、日様の名を、をもたりのみことと称える。
 All the others are models or instru-ments.
 あとなるは皆な雛形であり、道具である。
 More precisery, they are those aspects of the complete providence of God
the Parent which were given sacred names due to the divine forethought of making the providence easier to understand.
 更に申せば、親神は、深い思し召しの上から、その十全の守護を解りやすく詳しく示し、その夫々に神名をつけられたのである。
  Listen!  This origin is the venerable Kunitokotati and Omotari.
  Ofudesaki XⅥ:12
 しかと聞け このもとなると ゆうのハな
 くにとこたちに をもたりさまや
 (十六12)
 God the parent not only created human beings and the world but has watched over our growth with unending parental love, providing us with training the seasonable times appropriate to our growth.
 思えば、親神は、この世人間を造られたばかりでなく、長の歳月、限りない親心をもってその成人を守護し、時に応じて旬旬の仕込みをなされた。
 The development of humankind and our cultures is entirely due to the gracious providence of God the Parent.
 人類の成人とその文化の発達とは、悉く親神の篤い守護による。
  Though Tukihi looks all over the world,
 there is no who knows the origin.
 月日には 世界ぢううを みハたせど
 元はじまりを 知りたものなし
 (十三30)
   Desiring to teach this origin to the world by all means,
 Tuk-ihi has become revealed.

  OfudesakiXIII:30-31  
 この元を どふぞ世界へ 教えたさ
 そこで月日が 現れて出た 
 (十三31)
  God the Parent became openly revealed in this world through Oyasama, the Shrine,to teach the truth of origin in order to show all humankind the path to the Joyous Life.
 親神はこの真実を明かし、一れつ人間に陽気ぐらしへの道を教えようとて、おやさま(教祖)をやしろとして表に現れられた。
 This was in accordnce with the  promise made at the time of creation that God would return those who had become models in human creation to the Residence of Origin to be adored by their posterity when the years equal to the number of their first-born had elapsed.
 即ち、最初産みおろしの子数の年限が経った暁は、元の屋敷に連れもどり、神として拝をさせようとの、元初りの約束に基く。
  This is the Residence  where I began human beings.
 Because of this causality, it is here that I
 desdended.
 OfudesakiⅣ:55
 人間を はじめだしたる 屋敷なり
 その因縁で 天下りたで
 (四55)
 This is the Residence  where I began this world.
 Therein lives the original Parent of human bigin-nings.
 このよふを 始め出したる 屋敷なり
 人間はじめ 元の親なり 
 (六55)
  Discerning this, Tsukihi descended from the desire to teach about all matters.  OfudesakiⅥ56
 月日より それをみすまし 天下り
 なにかよろづを 知らしたいから 
 (六56)
 To fulfill this promise,God the parent brought Oyasama, whose soul was that of the mother in human creation ,intothis world, and drew Her to the Residence of Origin, theplace of the original conception.
 親神は、この約束により、人間創造の母胎としての魂の因縁あるおやさま(教祖)を、予めこの世に現し、宿し込みのいんねんある元のやしきに引き寄せた。
 On October 26, 1838, which was the fulfillment of the promised time,God the parent received Her as the Shrine of Tsukihi.
 天保九年十月二十六日、年限の到来と共に、月日の社(やしろ)に貰い受けられた。
 The causalities concerning person, place,and time are called the Causality of the
Soul of Oyasama, the Causality of the Residence, and the Causality of the Promised Time.
 この人と所と時とに関する因縁を、おやさま魂の因縁、屋敷の因縁、旬刻限の理という。
  Bcause the Jiba of Origin and the causality of origin exist,
 Tsukihi works freely and unlimitedly. 
 この月日 元なるぢばや 元なるの
 因縁あるで ちうよぢさいを
 (八47)
  You may wonder why I repeat this teaching so persistently.
 It is the basis of My assurance of
single-hearted salvation. 
 OfudesakiⅧ:47-48
 この話し なんでこのよに くどいなら
 助一ぢよ うけやうのもと 
 (八48)
 Thus, God the parent intimately revealed the truth of all things through the lips of Oyasama.
 かくて、親神は、おやさまの口を通して親しくよろづいさいの真実を明かされた。
 It is the final point to the teachings which God had given to all of us human beings over many years according to the stages f our spiritual growth.
 それは、神が、長年の間、一れつ人間の成人に応じて、修理肥として旬旬に仕込まれた教えの点睛である。
 God the Parent became openly revealed at this time to give the final teachings directry to us,for God had already given us nine-tenths of the complete teachings. 
 即ち、ここにいよいよ、親神直々の、けだし、十のものなら九つまで教え、なお、明かされなかった最後の一点となる、だめの教えが垂示された。
 In this last teaching,God revealed the Parent of Origin to make us aware
that we are truly children of God and,thereby, to urge all the peoples of earth to live as brothers and sisters so that this world be reconstructed as the world of the Joyous Life in which the Parent and children dwell in joyous harmony. 
 元の親を知らして、人類に、親神の子供たるの自覚を与え、一れつ兄弟姉妹としての親和を促し、親子団欒の陽気ぐらしの世と立て替えようとの思召しからである。これを次のように教えた。
  To God, who began this world,
 all of you in the world 
are equally My beloved children.
 OfudesakiⅣ:62
 このよふを 始めた神の ことならば
 世界一れつ 皆なわが子なり 
 (四62)
 To God,people throuout the world are all My children.
  All of you equally, know that I am your Parent!

  OfudesakiⅣ:79
 世界ぢう 神のたあにハ 皆なわが子
 一れつハ皆な 親と思えよ 
 (四79)
  All of you throuout the world are brothers and sisters.
  There should be no one called an outsider.

  OfudesakiⅩⅢ:43
 世界ぢう 一れつは皆な 兄弟や
 他人とゆうわ さらにないぞや
 (十三43)
 Further:
 更に又、次のように仰せられている。
 The reason Tsukihi began human beings
 was the
desire to see you lead a joyous life.
 Ofudesaki ⅩⅣ25
 月日にわ 人間始め かけたのわ
 陽気遊山が 見たいゆへから
 (十四25)
  Because the world dose not know this truth, 
 everyone sinks only deeper into depression.
 Ofudesaki ⅩⅣ:25-26
 世界にハ この真実を 知らんから
 皆などこまでも いづむばかりで
 (十四26)
   Hereafter, I shall set out to make the whole world brim with joy.
  OfudesakiⅩ:103
 この先ハ 世界ぢううハ どこまでも
 陽気づくめに 皆なしてかかる
 (十103)
 The Joyous life is the purpose and final goal of human axistence.
 陽気ぐらしこそ、人間生活の目標(めど)であり、理想である。
 To attain this goal, God the Parent initiated the path of single-hearted salvation by teaching us the Joyous Service.
 神は、これを実現しようと、陽気づとめを教えて、助け一条の道をつけられた。
 This Joyous Service is  based upon the truth of the origin of human beings.
 陽気づとめの理は、実に、この元始まりの真実による。
  Just a word:
 Listen to what God says.

  I never tell you anything wrong.

  Representing heaven and earth
  I have created husband and wife.
  This is the beginning of the world.

  Mikagura-uta
 ちよと話し
 神の云ふこと 聞いてくれ

 悪(あ)しきのことは 云はんでな
 この世の ぢい(地)とてん(天)とを かたどりて
 夫婦を こしらへきたるでな
 これハこの世の 始めだし
 み神楽歌








(私論.私見)