原理論その7 存命の理

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.6日

 (れんだいこのショートメッセージ)

 ここで、お道教理としての「存命の理」教理を確認しておく。

 2003.8.29日 れんだいこ拝



存命の理
 「存命の理」とは、お指図によって、教祖が現身をかくされた後も、なお存命のまま元の屋敷にとどまり、日々世界だすけの上にお働きになられているとする諭しを云う。  

 「存命の理」について、稿本天理教教祖伝336頁は次のように記している。

 「一列子供を救けたいとの親心一条(おやごころひとすじ)に、あらゆる艱難苦労(かんなんくろう)の中を勇んで通り抜け、万人たすけの道をひらかれた教祖(おやさま)は、尚その上に、一列子供の成人を急込む(せきこむ)上から、今ここに二十五年の寿命を縮めて現身をかくされたが、月日の心は今も尚、そしていついつまでも存命のまま、元のやしきに留まり、一列子供の成人を守護されて居る。日々に現われて来るふしぎなたすけこそ、教祖が生きて働いて居られる証拠である」。


 みかぐら歌、お筆先は次のように歌っている。
 人間を 始めだしたる この親ハ
 そんめゑ(存命)でいる これがまことや
八号37
 人間を 始めた親が もう一人
 どこにあるなら 訪ね出でみよ
八号75
 お指図は次の通り。
 「さあさあこれまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。日々の道を見て思案してくれねばならん」。(明治23.3.17日)
 「さあさあ、ちゃんと仕立てお召し更えが出来ましたと言うて、夏なれば単衣、寒くなれば袷、それそれ旬の物を拵え、それを着て働くのやで。姿は見えんだけやで、同んなし事やで、姿がないばかりやで」。(明治23年3.17日)
 「存命/\と言うであろう。存命でありゃこそ日々働きという。働き一つありゃこそ又一つ道という」。(明治29.2.4日

 「さあ皆なよう思案をして掛かれば危ない事はない。影は見えねけど、働きの理が見えてある。これは誰の言葉と思うやない。二十年以前にかくれた者やで。なれど、日々働いて居る。案じる事要らんで。勇んで掛かれば十分働く。心配掛けるのやない程に/\。さあさぁもう十分の道がある程に/\」。(明治40.5.17日)





(私論.私見)