「天然自然銘々に誠さい定め、実(じっ)さい定め。身の處(ところ)心なくしてならんなれども、銘々兄弟姉妹。これはこうじゃ、神の指図、神を恨(うら)むことは少しもない」(明治20.3月)。
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「この道は皆なきょうだい(兄弟姉妹)やという理を聞かして置こ。なれど、隔てられるも隔てるも、皆な銘々の心通り。きょうだいという理を聞き分け」(明治21.6.15)。 |
「大きい心を持って通れば大きい成る、小さい心を持って通れば小そう成る。親が怒って子供はどうして育つ。皆な、親(月日親神/教祖)の代(かわ)りをするのや。満足さして連れて通るが親の役や」(明治21.7.7日)。
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「この世に親という理は銘々の二人より外(ほか)にもう一人(いちにん)あろうまいがな。皆々々聞いておけ」(明治21.8.9日)。 |
「さあさぁ小人(こども)/\は 十五才までは 親の心通りの守護と聞かし、十五才以上は皆な銘々の心通りや。さあさぁよく聞き分け」(明治21.8.30日)。 |
「さあさぁ神さんと思うやろう。神は何にも身を痛めはせんで。さあさぁ銘々心から痛むのやで。銘々の親の心に背けば幽冥(ゆうめい) 」(明治21.9.18日)。 |
「これまでにも諭したる處(ところ)、子の夜泣きは、親の心からという事は分かりあろう。さあさぁ銘々内々には、尋ねるまでやあろうまい。小人の處、何遍(なんべん)知らせども同じ事、どうせいこうせいは言わん。世界から日々出て来る事情を眺め。不自由するのも、これその理はあろうまい。この理を早く聞き取れ」(明治21.12.31日)。 |
「他人が他人やない。身が身やない。これ一つ聞き分けたら、何かの事情も皆な分かる」(明治27.1.22日) |
「神が表へ出て珍しい助けをする。皆な他人と言う。他人を寄せて兄弟一つの理。神が日々使うて居る。神が支配をして居るやこそ治まってある」(明治27.3.5日) |
「反対するのも可愛我が子、念ずる者は尚のこと」(明治29.4.21日) |
「同じ兄弟の中に、合うの合わんのと言うようでは、道を捨ててほかして了(しも)うたも同じことやで」(明治32.5.14日) |
「同じ五本指の如く、兄弟の中なら、どの指噛んでも身に応えるやろ。あちら起こして こちらを倒そうという理あろまい」(明治32.12.27日) |
「ある時ご本席様が、辻忠作氏に、『神様が今年は米が高くなる。けれども、神が不自由なしに連れて通ると仰る』とお話になった。辻さんは家へ帰るなり米を買い込まれた。すると左の肘(ひじ)に大きな腫れ物(はれもの)が出来た。痛んで仕方がないので、教祖のところへ伺われると、『人間は皆きょうだいや。人に肘喰らわすような事してはならんで』と仰せになった。けれども辻さんは、何のことだか分からなかった。それで重ねて伺うと、『伊蔵さんから聞いたことがあるやろ』
と仰せられて、それで米のことであることが分かった。するとすぐ、『みな売って、人々に恵んでやれ。その心になれ』と仰せられた。辻さんも、『これは悪かった』と懺悔(さんげ)せられると、腫れ物は、すぐに吹き切った。そのとき教祖は、『少しでも心が異なったら「しるし(印)」が付くで』と仰せられた。辻さんは帰って、米をお売りになった。それで儲かったので、その利益(りえき)だけ、人に施された。それでも後まで、肘に傷が残ったとのことである」(みちのとも
大正13年7月5日号 巻頭 神言と辻氏)。
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