教祖の予言逸話

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「教祖の予言逸話」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【教祖の「予言」について】
 教祖は、数々の予言をしている。但し、伝わるものの中には正確を期し難いものも含まれている。それらを排除して整理しておく。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 見えてから 説いてかかるは 世界並 
 見えん先から 説いておくぞや
一号18
 幸せを 良きようにとて 十分に
 身についてくる これを楽しめ
二号42
 何もかも 強欲尽し その上は 
 神の立腹 見えてくるぞや
二号43
 段々と 十五日より 見えかける 
 善と悪とは 皆なあらわれる
二号44
 この話し どこの事とも 言わんでな 
 見えてきたれば 皆な得心せ
二号45
 世界ぢう  胸の内より この掃除
 神がほふけ(箒)や しかとみでいよ
三号52
 これからハ ないことばかりを 説いておく
 これから先を 確か見ていよ
三号116
 これからの あとなるはなし山/\の
 道をみていよ めづらしき道
四号11
 今の道 神の急き込み 内なるハ
 案じないぞや しかと見ていよ
四号96
 この道ハ 何か難し 珍しい
 道であるぞや 確か見ていよ
四号101
 段々と 見えん事をば 云うておいて 
 先で見えたら これが神やで
四号105
 これまでハ 枝先にては 法などと 
 教えてあれど 先をみていよ
五号37
 枝先ハ 大きに見えて あかんもの 
 構えば折れる 先を見ていよ
五号42
 この話し どういうことに 思うかな
 これから先の 道を見ていよ
七号12
 何云うも それよりしかと 請け負うて
 助けするぞや しかと見ていよ
九号6
 これからは 日本のものは 段々と
 月日引き立て これを見ていよ
十号9
 このような ないことばかり 云うけれど
 先を見ていよ 皆な誠やで
十一号62
 なにぶんに 珍しことを するからは
 いかな話しも ないことばかり
十一号63
 どのような ないことばかり 云うたとて
 先を見ていよ 見える不思議や
十一号64
 どのような 者も芯から 得心を
 さして帰るで これを見ていよ
十一号79
 この世を 始めた神の 事ならば 
 どのような事でも 皆な見えてある
十二号40
 この先を 確か見ていよ 一列は
 胸の掃除が ひとりでけるで
十二号79
 月日より 一度云うて をいた事 
 いつになりても 違う事なし
十三号65
 今日の日は どのよなことも 詰んできた
 神の残念 晴らすみていよ
十七号33

 教祖は次のように予言なされている。
 「見えてからといてかかるは世界並み。見えん先から説いておくぞや。神が、一度言うておいた事は、千に一つも違わんで。言うておいた通りの道になって来るねで」。
 「大名廃止、槍持ち廃止、駕籠かき廃止。上下なしになる」。
 口伝「道かけて75年したならば、日本国中はあらあらと、それから先は世界中、隅から隅まで天理王命の名を流す」。
(「神がこの屋敷に天下って75年経てば日本あらあら澄ます。それから先は世界隅から隅まで天理王命の名を流す」)。
 「いま話しているあんた達は大和河内の人々ばかりや。けれども終いには、江戸長崎の人々もここで話すのやで」。
 「年限経ったら外国からも親里へ帰ってくる。(中略)何の神を招きたいと外国から頼みに来る。(中略)そうなったら行ってやるのや、二百人も三百人もの人々が天女ごし(輿)を持って神様を迎えに来る。そうしたら、これに乗って行ってやるのや」。 高井猶吉「三才」第8巻第1輯22頁。
 「明治11年、上田民蔵18才の時、母いそと共に、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。教祖が、「民蔵さん、わたしとおまはんと、どちらが力強いか、力比べしよう」と、仰せになり、教祖は、北の上段にお上がりになり、民蔵は、その下から、一、二、三のかけ声で、お手を握って、引っ張り合いをした。力一杯引っ張ったが、教祖はビクともなさらない。民蔵は、そのお力の強いのに、全く驚嘆した。 

 又、ある時、民蔵がお側へ伺うと、教祖が、「民蔵さん、あんた、居間は大西から帰って来るが、先になったら、おなかはんも一しょに、この屋敷へ来ることになるのやで」と、お言葉を下された。民蔵は、「わしは百姓をしているし、子供もあるし、そんな事出来そうにもない」と思うたが、その後子供の身上から、家族揃うてお屋敷へお引き寄せ頂いた。

 又、ある時、母いそと共にお屋敷へ帰らせて頂いた時、教祖は、「民蔵はん、この屋敷は、先になったらなあ、廊下の下を人が往き来するようになるのやで」と、仰せられた。後年、お言葉が次々と実現して来るのに、民蔵は、心から感じ入った、と云う」。()
 「93. 八町四方」。
ある時、教祖は、中南の門屋にあったお居間の南の窓から、竹薮や田圃ばかりの続く外の景色を眺めておられたが、ふと、側の人々に向かい、次のように仰せられた。『今に、ここら辺り一面に家が建て詰むのやで。奈良、初瀬七里の間は家が建て続き、一里四方は宿屋で詰まるほどに。屋敷の中は八町四方になるのやで』」。

 これを『八町四方は神のやかた』神言、『八町四方構想』、『八町四方計画』と云う」。()ちなみに、これが実現すれば、バチカンを超える巨大神域になる。 註 「おさしづ」に、 小さい事思てはならん。年限だん/\重なれば、八町四方に成る事分からん。      (明治二七・一一・一七)
 年限々々、これまで存命の間経ち来たと言う。一里四方宿屋もせにゃならんと言う。一里四方も未だ狭いなあ、とも言うてある。  (明治二六・二・六 刻限)
 「明治18、9年頃のことと言い伝えられている。大和国笠間村の大浦伝七妻なかは、急に人差指に激しい痛みを感じ、その痛みがなかなか治まらないので、近所の加見兵四郎に願うてもろうたところ、痛みは止まった。が、しばらくすると、又痛み出し、お願いしてもらうと、止まった。こういう事を、三、四度も繰り返した後、加見が、おぢばへ帰って教祖にお願い致しましょう、と言うたので、同道してお屋敷へ帰り、教祖にお目通りして、お願いしたところ、教祖は、その指に三度息をおかけ下された。すると、激しい痛みは、即座に止まった。この鮮やかな御守護に、なかは、不思議な神様やなあ、と心から感激した。その時、教祖は次のようにお聞かせ下された。『ここは、人間はじめ出したる元の屋敷である。先になったら、世界中の人が、故郷、親里やと言うて集まって来て、うちの門口出たら、何ないという事のない繁華な町になるのや』」。(天理教教祖伝逸話編182「元の屋敷」)、(註/これは、明治十八、九年頃のことと言い伝えられている)
 諸井政一の「正文遺韻」に登場する預言。「いつの日とは日はきらんが、刻限だけは言うておく」という言葉で始まり、「世界蚊の鳴くような日」に「この世の将軍を現わす」と書かれている。
 お指図には次のような御言葉がある。
 「筆先通り皆な出る。今度道はいつどう、いつ見える。筆先皆知らせてある。大きな節が見える」(20.6.24)。
 「皆な先の事云うたる。云うておいた事は、年限の内にはどうでも出てくる見えて来る。どうでも先の事云うて置いたら、その日が来る。百年先のこと云うて置けば、三十五十の者は知ろうまい。なれど、どうでも出てくる。これよう聞き分け。元の話はこれくらいのもの」(33.9.9)。

【「一日の日」の予言】
 「予言」もある。
 「さあさあ怖わや恐ろしやと、前々諭してある。一日の日と云うてある。一日の日は一代と取れ。一代の道にはいかなる道もある。すっきり洗い替える」(明治22.2.23日)。
 「一日の日というは大きい話、前々より諭したる。どんな道があってもおめ恐れるやないで。これまでにも諭してある。内々胸の思案が第一」(明治24.5.18日)。
 「さあさあもうこれ一日の日を、段々追い詰めてある。日柄もまず無い。又一つ天災という事情も聞き分けにゃならん。掃除は、万事の処に心を治めてくれ。掃除掃除天災一つの理は計られん」(明治25.12.5日)。
 「国の一つ事情も、道の事情も同じ理。皆何でも彼でもという心あっても、どれだけしても、理が無くばどうもならん。一日の日がある。度し難い。飲むに飲まれん。行き着かにゃならんで。これよう思案定めて、一つの心に定めてくれ。聞いて心に治まってなくば、一日の日が通り難い」(明治38.5.11日)。

【「胸の掃除」の予言】
 




(私論.私見)