「三才児(みつご)、生(うま)れ三才の心に成って、明日は楽しみ。…三才児 穏やかに暮らす。何よりそこで結構/\。こうして行かねばならん。まあまぁ三才児
三才心に成りて、三才の心に成って何も要らん、機嫌好(よ)う遊んで結構/\。心(こころ)心配ないよう改め替え」。(明治20.3月)。 |
「小人(しょうにん)という、小人一つの心になれば、小人三才の心というものは、何も心に掛けんものや。 三才までは 何にも分かり難ない。小人一つの心に思うて、すうきり(すっきり)心に思わんよう」(明治22.11.7日)。 |
「小人というは、一才二才三才までは どういう事、人間心は さらにあろうまい」(明治22.11.9日)。 |
「事情は 指図通り凭(もた)れつけ/\。万事(ばんじ)諭しおこう。よう聞き分けて、三才童児(どうじ)という心を以(もっ)て道治め」(明治30.12.25日)。 |
「三才の理と言えば 心が浮かめば(原文まま)にま/\(ニマニマ)と笑う。気に合わねば無理を言う」(明治32.3.5日朝)。 |
「さあさぁ皆々あれはどういう者、〈という〉人間心〈は〉持たず、内々人々家内一つの理、互い扶け合いという 親切合いという。こんな事した思わんよう、理のさんげ(懺悔)。三才小人なあと、優し/\心持って守護という」(明治32.10.18日)。 |
「この道の中は こうなっても どうなっても、これ三才の子供という心に成ってくれにゃならん」(明治36.12.22日)。 |
「生まれ児(うまれご)小児(しょうに)一つ心に成れ。生まれ児の心には 何も欲しいものは無い。生まれ三才、又ちょっと一つ心分かろうまい。さあ/\生まれ児は
持たせば持ち、持たさにゃ持たん。この理しっかり聞き分け」(明治40.1.20日)。 |