助け論その1 | つとめ論 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.12.7日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「つとめ論」教理を確認する。 2016.02.29日 れんだいこ拝 |
【つとめ論】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お道教義では、「おつとめ」が重要な意味を持つ。教祖は、「つとめの理が神」とも宣べている。してみれば、「おつとめ」とは、「おつとめ」によってたすける心と行いを知ることで本当の信仰に目覚める手引きとも拝することができる。「つとめ」につき、仏教では、「お経を読み、念仏、お題目を唱える」ことを意味する。教祖の説く「おつとめ」は、「元の理つとめ」と「お願いつとめ」に分かれる。「元の理つとめ」とは、「元の理」を象(かたど)った「つとめ」のことであり、教祖が語った創世神話(元始まりの話)に貫かれている「理」を汲み取り、その元一日に立ち帰ることで生命の始原力を得ようとしているように思われる。 御神楽歌には次のように記されている。
お筆先には次のように記されている。
教祖は次のようにお諭し為されている。
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お指図には次のような御言葉がある。
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二代真柱は、「ひとことはな志 その三 此世始まりのお話」冒頭で次のように述べている。
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中山正善「こふきの研究」所収、桝井伊三郎(ますいいさぶろう)「神の古記」108頁。
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「勤めの理」は次の通り。
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【神楽つとめ(かんろ台つとめ)】 | ||||||||||
「元の理」による「元一日」に立ち帰り、親神の自由自在を引き出すためのお道最高の本づとめのことを云う。「おぢば」でかんろ台を囲んで行われるのを本式とする。かんろ台つとめとも云う。「おぢば」とは、現在天理教本部の神殿の中心地とされているが、「元の理」に拠れば、ここが人間宿しこみの場であり、人類創造の地点、従って全人類の故郷ということになる。この「おぢば」にかんろだいが据えられている。本づとめは、このかんろだいを中心にして行われるのでかんろだいづとめとも云われる。 「かぐらづとめ」に直接参画する人達を「つとめ人衆」と云う。男神5人、女神5、計10名のつとめ人衆が、それぞれの役目を寓意させたかぐら面をかぶり、親神の十全の働きをそれぞれの手振りにあらわしてつとめる。つとめ人衆だけでなく、参拝するものすべてが心を一つにして、陽気ぐらし世界実現の上に親神のお力添えを願う、これが「かぐらづとめ」の目的と云える。ちなみに、最高聖儀に男性と女性が対等に参画する形態を取っているところが珍しい。 概要「このつとめは、親神が人間創造の原初的な時に示された元始まりの神秘的な働きを、象徴的に具象化し、その神の働きを、再びこの世人間の再生の上に現わそうという意味を持っている。それは世界人類の救済(助け)を祈念し、且つもたらすためのつとめなので、たすけづとめとも云われている」(松本滋「人間の元なるもの」)。神人和楽のつとめであり「陽気づとめ」。 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
教祖は次のようにお諭し為されている。 お指図には次のような御言葉がある。 |
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神楽づとめについて、天理教教典16pは次のように記している。
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【お願いつとめ】 | ||
「おつとめ」にはもう一つ「お願いつとめ」がある。「お願いつとめ」は、「心定め」と「お授け」と組み合わせられている。即ち、「心定め」→「お願いつとめ」→「お授け」という流れの中に位置づけられている。
御神楽歌、お筆先には次のように記されている。 教祖は次のようにお諭し為されている。 お指図には次のような御言葉がある。 |
【神の理を立てよ】 | ||
明治13年秋の頃、教祖は、つとめをすることを、大層厳しくお急き込み下された。警察の見張り、干渉の激しい時であったから、人々が躊躇していると、教祖は刻限を以て次のように厳しくお急き込み下された。
そこで、皆々相談の上、「心を定めておつとめをさしてもらおう。」ということになった。 ところが、おつとめの手は、めいめいに稽古も出来ていたが、かぐらづとめの人衆は、未だ誰彼と言うて定まってはいなかったので、これもお決め頂いて、勤めさせて頂くことになった。また、女鳴物は、三味線は飯降よしえ、胡弓は上田ナライト、琴は辻とめぎくの三人が、教祖から長ダメ頂いていたが、男鳴物の方は、未だ手合わせも稽古も出来ていないし、俄のことであるから、どうしたら宜しきやと、種々相談もしたが、人間の心で勝手に出来ないという上から、教祖にこの旨をお伺い申し上げた。すると、教祖は次のように仰せられた。
皆な、安心して勇んで勤めた。場所は、つとめ場所の北の上段の間の、南に続く八畳の間であった。 |
【鳴り物】 | ||
おつとめの九つの鳴り物をつとめるに当ってのお言葉。
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【手踊り】 | |
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【待つ理】 | |
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(私論.私見)