天理教理、お諭しの構造考 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.9.25日
【天理教理、お諭しの構造考】 | |||||
そろそろ天理教理、お諭しの構造を明らかにしておきたい。個々の教理の解明、それらの全体的な関連づけを経てのに天理教理、お諭しの構造解明に向かうべきではなかろうか。この問題意識をもって今後の一日一日を費やしたいと思う。案外と為されていないと思うからである。 | |||||
過ぐる「堪能の日々」において、みきは、家族の「談じ合い、心の練りあい」を殊のほか重視していた。この頃のみきの教義の骨格を整理してみたい。この教義からやがて「おつとめ」の作法が生み出されていくことになるが、これもまた順次次第に見ていくことになるであろう。 付言すれば、小滝透氏は、著書「天理教QアンドA」の末尾で次のように述べ、絶賛を惜しんでいない。
植田義弘氏は、著書「理の研究」のはしがき文中で次のように述べている。
れんだいこも実に実にと思う。 とはいえ、お道教理の全体像を知ることは非常に困難で、以下に記すのはれんだいこ流に整理した仮の教理体系でしかない。それも刻々内容が改訂される。いわば覚え書き程度のものと心得ている。 2003.8.24日再編集 れんだいこ拝 |
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教祖の諭し話は非常に有益であった。「今日はどのようなお話しを聞かせていただけるのだろうか」、「一刻も早く教祖にお目にかかりたい」と、知らずと足がお屋敷へ向かった、こうして連日連夜、教祖を囲む集いが持たれた。「今夜もまた、ええ話をしていただいた」とその余韻を噛み締めながら家路に向かった、と伝えられている。 「正文遺韻抄」は、140、141Pで、教祖の次のように御言葉を伝えている。
本部の「稿本天理教教祖伝」が教祖の実像を描き出していない事情に鑑み、教祖の諭し話で補足していくことはかなり重要であると考える。そういう意味で、「天理教教祖逸話遍」(「おやさま逸話編(抜粋)」)(「天理教教祖伝逸話篇<目次
1-100>」)(「教祖逸話篇」)、「生きる言葉」(道友社、1995.10.1日初版)その他は貴重な資料の提供となっている。「天理と刻限」の「教祖直々の諭し」も大いに参考になる。こういう類の発掘と資料化、公開化、整備化が望まれている。 |
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小滝透氏に一連の中山みき研究がある。その観点をほぼ踏襲できるので以下紹介する(れんだいこ観点によりアレンジしている)。
小滝透氏は、「これから語る天理教もそうした新宗教群の一つである」として解説に踏み込み、同時期のそれらよりも抜きんでいる特質を次のように指摘している。
2006.1.23日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)