助け論 その3 天に届く理、神の請け合い論、神の自由自在のお働きの理、神の不思議のご守護論、恐み危なみなし論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.20日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「自由自在、神のお働きの理、神のお働きによる不思議のご守護論、恐み危なみなし論、神の請け合い論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


自由自在、神のお働きによるお助けご守護論
 お道教義では、お助け人が神の思惑に叶う心遣い、行いを為すことにより神の自由自在のご守護が働き、願いが叶う、これが「助かりの理」となるとの諭しを為されている。「自由自在とは」、思うことが何でも実現するというようなものではなく、「成ってくる理」を喜び、それを楽しむ心、及びそれに伴う所作を云う。「誠」に立地することが自由自在の道である。「誠」は、「たんのう」で「成ってくる理」を楽しむことである。更に、「医者の手あまり」でも、誠真実の信仰への切り替えにより、「不思議が神の不思議な助け」により助けられる、「神の自由(じゅうよう)な働き」によって助けられる、と諭されている。

 御神楽歌、お筆先に次のように記されている。
 いつも笑われ そしられて
 珍し助けを するほどに
三下り目五ッ
 真実に 助け一条の 心なら
 何云わいでも しかと受け取る
三号38
 ほこりさい すきやかはろた 事ならば
 あとハめづらし 助けするぞや
三号98
 段々と 神の心と ゆうものわ
 不思議あらハし 助けせきこむ
三号104
 この道が 上へ通りた ことならば
 神の自由用 直ぐに現わす
四号115
 真実の 心を神が 受け取れば
 如何な自由(じゅうよぅ) してみせるでな
五号14
 月日より 自由自在を 真実に
 早く見せたい これが一条
七号50
 上たるの 心速やか 分かりたら
 月日自由よう 早くするのに
七号63
 どのような 助けするのも 真実の
 親がいるから 皆な引き受ける
七号101
 どのような 事をするのも 月日には
 助けたいとの 一条ばかりで
十二号78
 今までは 世界中は 一列に
 銘々(めいめい)思案を していれども
十二号89
 情けない どのように思案 したとても
 人を助ける 心ないので
十二号90
 これからは 月日頼みや 一列は
 心しっかり 入れ替えてくれ
十二号91
 この心 どういう事で あるならば
 世界助ける 一条ばかりを
十二号92
 この先は 世界中は 一列に
 よろづ互いに 助けするなら
十二号93
 月日には その心をば 受け取りて
 どんな助けも すると思えよ
十二号94

 教祖は次のようにお諭し為されている。
 「どうでも、人を助けたい、助かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上は鮮やかやで」。
 「親となれば、子供が可愛い。何でもどうでも子供を可愛がってやってくれ。子供を憎むようではいかん」。
 「子供が、親の為に運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る」。
 「直ぐに助けて下さるで。あんたのなあ、親孝行に免じて助けて下さるで」。
 「どんな辛いことや嫌なことでも、結構と思うてすれば、天に届く理。神様受け取りくださる理は、結構に代えてくださる」。
 「親に孝行は、銭金(ぜにかね)要らん。とかく按摩(あんま)で堪能させ」。
 「日々は喜んで通らしてもらうのやで」。
 「喜べないような日もあろう、喜びにかえて通らしてもらうのやで」。
 「真実の心で通らしてもらえれば喜べるのや。誠の心で通ってくれ」。
 「日々通らしてもらう心の使い方、持ち方、よう思案してくれ」。
 「この所八方の神が治まる所、天理王命という。ひだるい所へ飯(まま)食べたようにはいかんなれど、日日薄やいでくるほどに」。(教祖伝45p)
 「あんたあっちこっちとえらい遠廻りをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへおいでたら、みんなおいでになるのに」。(逸話篇10)
 「さあさあ待っていた待っていた。救けてやろ、救けてやるけれども、天理王命という神は初めての事なれば、誠にすることむつかしかろ」。()
 「神様は救けてやると仰るにつき案じてはいかん」。(教祖伝49p)
 「親は苦労の中、苦労とせず通ってきた、この理よく思案してくれ」
 (「教祖口伝」、明治19年12月20日、明治8年から約10年間の、側な者に対する教祖直々のお諭し)。
 「人に腹を立てさせて下さるな」。
 「心の使い方というても、我が身思案からの通り方、人に助かってもらう、喜んでもらう通り方があるのや。ちり一つ拾うても誠、大きな木を取り片づけても真実といえん場合もあるで。日々よう思案してくれ。誰でも通れることやで。心の持ち方、思い方が大事やで。心の思い方というても、人間はあざないものであるから、都合のいいように考え、または思い、我が身に都合の悪いことはそうはでけんと言うてしまう。そんなことでは道はつくはずがない。都合のいいことも悪いことも心一つに治めて通ってくれ。神様がきっと連れて通って下さるで、一つも心配いらんのやで」。
 「日々通る中にどんな中もあろう。難儀な中、難しい中、その成らん中を喜びにかえて通ってくれ。その中にご守護が頂けるのや。無理と思うてはいかんで。無理と思うのやないで。無理と思えば無理になってしまうで。心通りの御守護下さるのやから、さらさら思うやないで」。
 「喜びにかえて通っていく中に、ああ結構やった、有難かったと思える日が必ずあるのやで。その日を楽しみに通ってくれ。今の苦しみは先の楽しみやで。日々を喜んで通らしてもらいなはれや」。
 「日々通らしてもろうていても、いろいろ人の通る道はある。その中で神様によろこんでもらう道を通るのやで。神様によろこんでもらう道は真実だけや。真実というても、自分だけが真実やと思うていても何にもならん。真実とは、ひくい、やさしい、すなおな心をいうのや。自分でひくいと思うているうちはひくくはないで。やさしいというても、すなおというても同じこと、人にあの人は真実の人やといわれるまでの道を通るのやで」。
 「素直というてもなあ、人の心をひくような素直は何にもならん。神様によろこんでもらえるような素直というは、親の言うなりするなりにしてもらう心にならなけりゃいかんで。やさしいというても、口だけでは何にもならん。ハイと言うたらすぐ行ってこそやさしいのやで。そうして何でもつとめさしてもらう心をひくいと言うのやから、その心で日々通らにゃいかんで。口だけの真実やったら神様はなあ、よろこんで下さらんのやで」。
 「神様のお話をよく聞かしてもらうのやで。神様のお話とは親の声や。親の声というていい加減に聞いていてはならん。しっかり心に治めなはれや」。
 「真実の心というても、昨日も話をしておったのや、まるごとでなきゃいかんで。まるごととは全部や。一切を引き受けさせて頂きますという心や。庭の掃除一つさせて頂くのも自分我が身一人ひとりがさせてもらうのや。多数の人でやったら自分の徳にはならんで。だがなあ、徳を積ましてもらうという心はいかん。これは我が身のためやからなあ。何でも人のため、我が心は人のよろこぶよう、人のたすかるような道を通ればよいのやで。我が身のことは何にも考えんでもよいのや。これがまるごとの真実やで」。
 「親の心に添うと言うても、形だけやったらいかん、心を添わして頂くのやで。どんなに離れていても、心は親に通じるものやで。心を添わしてもらいなはれや」、「親々の心に添わしてもろうて日々通っていたら、身上事情で苦しむような事はないで。だが、いんねんなら通らにゃならん道もあろう。しかし親の心に添って通らしてもろうているのなら、何にも身上や事情やというて案じる事はないで。心倒さんように通りなはれや」。
 「親の声を聞いて、そのまま受ける心に神が働くのや。人間心で聞いて、あれやこれやと思案をする、なんぼ聞いても同じことやで。実を以て聞かにゃならん。親の声を聞いて、頼りないと思うたら頼りなくなる。親の声も神の声も同じことやで。案じなきよう、神が連れて通るほどに」
 (「教祖口伝」、明治18年11月14日、明治8年から約10年間の、側な者に対する教祖直々のお諭し)。
 「真実の心で日々通らしてもらわにゃいかん。真実やったら神様は必ず守って下さるで。神様に守ってもらっておれば日々は安心やで。なんでも守らしてもらう心になんなはれや。神様はきっと守って下さるで」。
 「真実とは弱いもののように思うけれど、真実ほど強いものはないで。人が人を動かすことむずかしい、なれど真実なら神がうごかすで」。「人を助けるのも真実、その真実には神がはたらくのや」、「人が人を助けるのはむずかしい。なれど真実なれば神が助けさす」。 
 「真実の心とは、ひくい、やさしい、すなおな心を言うのやで。口でなんぼひくい、やさしい、すなおな心と言うても、その心にならなけりゃ何にもならんで」。「日々通っている中に、我が身はまことやまことやと思うて通っていても、まことの中のほこりという道もあるで。よう思案して通らしてもらうのやで」。「日々真実の心で通らしてもらえたなら、家々むつまじゅう暮らさせて頂くことが出来るのやで」。
 「銘々我が身一人がその心にならせてもらいなはれ。なんぼ真実や真実やと言うて通っていても、心に真実なくば何にもならん。目にも見えん、形にも現れんもの、心にその理なくば何にもならん。人の心にある真実は神が受け取って下さるのやで」。
 「ひくい、やさしい、素直な心、いくら自分がその心やと言うても、人に与えなけりゃわからん。人に与えるというは、人に喜んでもらう、人に助かってもらう道を通ることやで」、「この心で日々通れたら、どんな中でも連れて通るほどに」。
 「人間はあざないものであるから、日々その心で通らしてもらわにゃいかんと思いながらも、身びいき、身勝手な心遣いから、我が身さえ、我が身さえと思い、我が身さえよければ人はどうなってもというような日々を通ってしまう。それでは守護頂けるはずはないで」。
 「我が身どうなってもという心にならなけりゃ真実の心は生まれてこんのや。案じ心を捨てて、人の喜ぶよう、人の助かるような道を通りなはれや。人助けたら我が身助けてもらうことできるのやで」。
 「親の言う通りせんで御守護頂けないと言うて日々通っている、そんなことで人に喜んでもらう、人にたすかってもらう道が通れるか、よう思案してみい。申し訳ないと思うたら、すぐに心入れ替えてつとめなはれや、御守護下さるで」。
 「日々通る身上についての心の持ち方はなあ、人間は、いやなものを見ると、すぐにいややなあと思い、いやな事を聞くと、すぐにいややなあと思う。その心がいかんのやで。その時の心の使い方が大切なのやで」、「いやなものを見、いやなものを見せられた時、いややなあと思う前に、ああ見えてよかった、目が不自由でのうてよかった、ありがたい結構やと思うて通らしてもらうのやで」、「いやなこと聞いた時でも同じこと、何時の日、何時の時でもそういう心で通りなはれや」、「その心遣いが自由用の守護が頂ける道になるのやで、むずかしいことないで」。
 「親の声聞いたら、そのまま受ける心に神がはたらくのや。親の声聞いて、頼りないと思うたら、頼りなくなる。親の声も神の声も同じことやで。案じなきよう、神が連れて通るほどに」。
 「借りものという事は、神様からこんな結構な身体を借りているという事をよく心に治めることやで。これが分かれば、それでよいのや。よく心に治まれば、どうしてお礼をさせて頂こうかと思えてくるで。その思えてきた事を供えさせてもらうのや」。
 「日々通る心の持ち方は、自分勝手な心遣い、気随気ままな心遣い、そんな心遣いでは御守護は頂けないで」、「気随気ままな心遣いで日々通っていると、頂ける御守護も頂けない。こんな事は分かっているやろ。ここのところ、よく思案してくれ」。
 「日々に埃の心遣うて通るから御守護が頂けないのやで。人の心に嫌な思いをさせるのは何でもないように思うて通っているやろうが、それは人の心を殺して通っているのと同じこと、目に見えない埃を日々に積んでいったら、身上にもなろう、事情にもあらわれてこよう、みな我が身が苦しむことになるのやで」。
 「日々通らしてもらうには、難しい事は何にもない。ただ真実の心で、借りものという理をしっかり心に治めて、ありがたい、結構やと言うて、思うて、明るい心で通ってくれ、神様が必ず御守護下さるで」。
 「日々に、朝起き、正直、働き、この三つを心に置いて通らしてもらうのやで。結構な日々が通れるで。借りものという事分からねば、この道は通れないで」。
 「神のこしらえた世界、人間である。神一条の道を通させたさ、陽気遊山を見たいゆえーー人間心で通る人間もあるーーー神の残念、親の心は助けたい一条やで。人間思案を捨てて、指図一つの理をもって通りたなら、身上事情で苦しむようなことはない」。
 「親の心に添うて通る者、火の中水の中でも連れて通るほどに。人間心出すやない。もたれる心に神がはたらくのや、案じない」
 「ある時、熊吉がおぢばへお詣りしたところ、教祖が孫の”たまへ”さまを背負うて、飯降伊蔵さんにお話しをしておられましたそうです。その話しというのは次のようなお話しであったと聞いています。『心あがれば心にごる。心にごれば神のはたらきがうすくなる。我より下はなきものと心定めてみよ』。俺は偉いと心を高うしてはいけません。人間が偉いのでなく、神様が後ろから力を添えて下さるから偉いのです。俺は偉いと思うと神さまのおはたらきがうすくなります。心は下へおかねばなりません。本席さまは、いつも心を下へおかれ、困っている人のことを考えて下されました。困っている人があると、自分の日々のものを”しまつ”して、それを包んで、困っている人の家へ、誰にも分らぬようにして運んで下されたのです。私の一家が豊田山の下にいたとき、いつも運んで下さいました」
 (「奥野道三郎氏の話(その三)、心あがれば」。元天理大学名誉教授の高野友治さんが個人的に発行していた「創象」第十号(昭和56.7発行・天理時報社)「先人の咄ー奥野道三郎氏から聞くー」より)。
 「私(永尾芳枝)が子供の頃、御教祖様(おやさま)は親しく次のようなお話を聞かせて下さったことがございます。『我が身のことは一切(いっせつ)思うな。我が身どうなっても構わぬ、人に喜ばすよう、人を大切にするような心にならなければいかんで。着物は箪笥(たんす)の抽斗(ひきだし)へ、一枚でも余計に入れておくようなことではいかんで。旬々のものさえあればそれでよい。旬々に着るもの無ければ、袷(あわせ)を単衣物(ひとえもの)、単衣物を袷にして通るような心にならなければいかんで』と仰せ下さいました」。
 (「我が身どうなっても 」、昭和6年2月「よのもと」第2号、永尾(飯降)芳枝「聞かせて頂いたまゝに」より)
 明治17年12月3日、山澤良治郎。(願いの筋なし)「親の心にそうて通るもの、火の中水の中でもつれて通る程に。人間心だすやない。もたれる心に神が働くのや。案じない」。
 明治18年2月4日、桝井伊三郎。(願いの筋なし)「自分の身どうなってもという心で親に添いきる心。この心で通りたなら十分の理、十分の理とは結構づくめやで」。
 「今日、米蒔いても今穫れぬ。後で穫れるのや。倒れてから突っ張りは要らぬ。『悪うなったら信仰する、かなわん時の神頼みや』などと言うが、倒れてから突っ張りは要らぬ。日頃、誠を尽すから大難は小難、小難ならば無難で通らせて頂けるのや。神様は、日頃の誠を受け取り、さあ、という時に踏ん張る』と仰る」。(「」)
  「借物(かりもの/身体)返す時には、息の根を切って(ひきとって)下さる。『家ならば、古くなったら再式(改装)。再式するより古くなる方が早いとなれば出直し(新築)さす。決して死なんで、出直しをさす』と仰る。『人は外出(そとで)へ行く時に、古い着物を脱いで、新しい着物と着替えて行くように、それと同じ事やで。年取った古い着物を返して、今度は生まれ子となって、新しい借物を借りて、またこの世へ出てくるのやで。なれど、恩に恩を着たら、堕ちるで』と仰る。『堕ちたら、容易に人間界へ出られん(戻れん)。これを「死んだ」と言うのや。恩に恩をきて、人間の道を切るから、道が切れて死ぬのや、堕ちるのや。神様は、それがいぢらしいから「理を聞き分けて、堕ちぬようにせよ」と仰る』。してみれば人間、生きている間だけが神の守護やない。死んでも生きても、神の守護に与(あずか)っているのや」。(「」、みちのとも大正7年4月号「高井先生お話の一節」高井猶吉)。
 「助けてやるけれども、天理王命と云う神は、初めてのことなれば、誠にする事むつかしやろ。神さんの仰る通りにさしてもろたら、きっと助けて下さるで。神さんのお供さしてもろうて、人助けに歩きなされ」。
 「世話さしてもらうという真実の心さえ持っていたら、与えは神の自由(じゅうよう)で、どんなにでも神が働く。案じる事は要らんで」。
 「助けて欲しいと願う人を助けに行く事が、一番のご恩返しやから、しっかりお助けをするように。あんたの助かったことを、人さんに真剣に話させていただくのやで」。
 「日々に人を助けさせて頂くことやで。口で人を助けると言うが、人を助けさせて頂くことは難しいことやで。はじめは人を助けさせて頂くのやと思うていても、日がたつにつれ守護が見えてくると、自分が助けてやるのだという心になってしまう。その心がいかんのや。自分が助けるのではない、神様が助けて下さるのやで。神様が助けて下さるというても、神様はなあ、助けさせてもらう者の心にお働き下さるのやで。助ける者は助けさせてもらう喜びを持つのや。これが恩返しになるのやで。人を助けさせてもらうことは神様への御礼にもなるで」
 「お助けさせて頂くのに、常に神様のお供をさせて頂く心でなけりゃいかんで。自分が助けるのやないで、神様が助けて下さるのやから、その心忘れんようにしなはれや」、「人を助けさせてもらうには、我が身どうなってもという心にならにゃいかんで。我が身どうなってもという心が恩返しになるのやで。これは自分一人の道ではないで。末代までの道、末代に残す道をつけてくれ」
 「人を助けさせて頂くというは、恩を返すことになるのやから、いつの日にも、いつの時にも、その心で通らにゃいかんで」、「親の声を聞かせてもろうて、その通りにつとめさせて頂くところに恩が返せていくのやで」
 「親の声をたよりないと思うていたら、神様はおはたらき下さらんで。神様がはたらいて下さらなかったら、日々は通れないのやで。案じ心を捨てて通りなはれや」
 「親の声きいて通っていたら、どんな中でも連れて通って下さるのや。こわいあぶない道はないで。神様が連れて通って下さるのやからなあ」。
 「人間心を捨てて我が身どうなってもという心で日々通らしてもらうことができるなら、どんな助けもして下さるで。それが真実のあらわれや、結構や」
 「恩返しになる道、日々通らせてもろうてこそ結構にさせてもらうこと出来るのやで。いさんで通らにゃいかん」
 「人を助けさせて頂くには、真実の心になって、常にひくい、やさしい、すなおな心でお話をさせてもらうのやで。相手の心を助けさせてもらうのやで。かりものという理、こころに治まれば、治まっただけご守護頂けるのや。かりものという理、しっかり心に治めにゃいかんで」。
 「人をたすけさせて頂くには、日々の心遣いが大事やで。日々の心遣いによっては、たすけさせて頂くことが出来るような時にでも、たすけさせて頂くこと出来ないで。この理よう思案してくれ」、「たすけて頂く者も真実の心になって、お話を聞かせて頂いて、借りものという理をよく悟らせて頂くことやで。借りものという理、心に治まったら治まっただけ、御守護頂けるのやから、何も心配いらん」。
 「日々通らしてもらうには、人のあしきを言わぬよう、人のあしきを思わぬよう、人にあしきを思わせぬよう、この三つの心がけ大事やで。この心がけ一日に一回遣うても、三日の間さづけの理は止まるで」。
 「自分の身どうなってもという心で親に添い切る心、この心で通りたなら十分の理、十分の理とは結構づくめやで」。
 「取次に、理が分かりて、十が十ながら、神の心に叶うようになったなら、取次ぎに、みな何事も任せよう。そこで、やまいでも、なおる、なおらん、取次ぎの言うとおりに、守護する。そこで、世界から、話し医者と言うようになるで」。
 明治18年9月24日、(氏名なし)(願いの筋なし)。「親という理いたゞくなら、なによのことも受取るで。受け取る中に自由用と言う理があるのや」。
 明治18年11月14日、(氏名なし)(願いの筋なし)「親の声を聞いて、そのまゝ受ける心に神が働くのや。人間心で聞いてあれやこれやと思案する。なんぼ聞いても同じ事やで。実をもって聞かにゃならん。親の声を聞いてたよりないと思うたらたよりなくなる。親の声も神の声も同じことやで。案じなきよう神が連れて通る程に」。
 明治19年12月20日、(氏名なし)(願いの筋なし)「親は苦労の中、苦労とせずに通って来た。この理よく思案してくれ」。 
 お指図は次の通り。
 「たんのうが誠。心に誠さい定めば、自由自在と言うておこう」(明治21年5月、補遺)。
 「自由自在は、何処にあると思うな。めんめんの心、常々に誠あるのが、自由自在という」(明治21.12.7日)。
 「人間心の事情要らん。すっきり人間心要らん。これから先は人間心すっきり要らん。もうこれから神一条という道を立てにゃならん。立てさせにゃならん。立てさして見せる。成るも一つの理、成らんも一つの理と云うは前々に諭してある。指図通りに通るなら働き掛ける。どんな事も指図一つの理を以ってするなら、どんな事も神一条の道を通るなら、通してみせる」(明治22.10.23日)
 「精神の理によって働かそう。精神一つの理によつて、一人万人に向か う。神は心に乗りて働く。心さえしつかりすれば、神が自由自在に心に 乗りて働く程に」。(明治31.10.2)
 「我が身捨てゝも構わん。身を捨てゝもという精神持って働くなら、神が働く、という理を、精神一つの理に授けよう」。(明治32.11.3) 
 「 我が身捨てゝも構わん。身を捨てゝもという精神持って働くなら、神が働く、という理を、精神一つの理に授けよう」(明治32.11.3日)。
 「成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という」(おかきさげ)。
 「これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、面々事情の理に治め」(おかきさげ)。
 「自分に由って、自分に在る」(随処に主となれば立処皆真なり、臨済録)。

【真実の心さえ持っていたら与えは神の自由で、どんなにでも神が働く】
 大和国永原村の岡本重治郎の長男善六と、その妻シナとの間には、7人の子供が授かったが、無事成人させて頂いたのは、長男榮太郎と末女カンの二人で、その間の5人は、あるいは夭折したり流産したりであった。明治12年に、長男榮太郎の熱病をお救け頂いて、善六夫婦の信心は大きく成人したのであったが、同14年8月ごろになってシナにとって一つの難問が出て来た。それは、永原村から約1里ある小路村で6町歩の田地を持つ農家、今田太郎兵衛の家から使いが来て、「長男が生まれましたが、乳が少しも出ないので困っています。何とか預かって世話してもらえますまいか。無理な願いではございますが、まげて承知して頂きたい」との口上である。その頃、あいにくシナの乳は出なくなっていたので、早速引き受けるわけにもゆかず、「お気の毒ですが引き受けるわけには参りません」と断った。しかし、「そこをどうしても」と言うので、思案に余ったシナは、「それなら教祖にお伺いしてから」と返事して、直ぐ様お屋敷へ向かった。

 そして、教祖にお目にかかって、お伺いすると、「金が何んぼあっても、又、米倉に米を何んぼ積み上げていても直ぐには子供に与えられん。人の子を預かって育ててやる程の大きな助けはない」と仰せになった。この時、シナは、「よく分かりました。けれども私はもう乳が出ないようになっておりますが、それでもお世話できましょうか」と押して伺うと、教祖は、「世話さしてもらうという真実の心さえ持っていたら、与えは神の自由で、どんなにでも神が働く。案じることは要らんで」とのお言葉であった。これを承って、シナは、神様におもたれする心を定め、「お世話さして頂く」と先方へ返事した。 

 すると早速、小路村から子供を連れて来たが、その子を見て驚いた。8ヶ月の月足らずで生まれて、それまで、重湯や砂糖水でようやく育てられていたためか、生まれて百日余りにもなるというのに、やせ衰えて泣く力もなく、かすかにヒイヒイと声を出していた。シナが抱き取って、乳を飲まそうとするが、乳は急に出るものではない。子供は癇を立てて乳首をかむというような事で、この先どうなる事かと、一時は心配した。が、そうしているうちに、2、3日経つと、不思議と乳が出るようになって来た。そのお蔭で、預かり児は、見る見るうちに元気になり、引き続いて順調に育った。その後、シナが、丸々と太った預かり児を連れて、お屋敷へ帰らせて頂くと、教祖は、その児をお抱き上げ下されて、「シナはん、善い事をしなはったなあ」とおねぎらい下された。シナは、教祖のお言葉にしたがって通るところに、親神様様の自由自在をお見せ頂けるのだ、ということを、身に沁みて体験した。シナ26才の時のことである。

【神の自由(じゅうよう)、願えば叶うように神が働く】
 「人の子を預かって育ててやるほどの大きな助けはない。世話さしてもらうという真実の心さえ持っていたら、与えは神の自由(じゅうよう)で、どんなにでも神が働く」。

【真実なら神が受け取る】
 桝井伊三郎の母キクが病気になり、次第に重く、危篤の容態になって来たので、伊三郎は、夜の明けるのを待ちかねて、伊豆七条村を出発し、50町の道のりを歩いてお屋敷へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いて、「母親の身上の患いを、どうかお救けくださいませ。」と、お願いすると、教祖は、「伊三郎さん、せっかくやけれども、身上救からんで」と仰せになった。

 これを承って、他ならぬ教祖の仰せであるから、伊三郎は、「さようでございますか。」と言って、そのまま御前を引き下がって、家へ帰ってきた。が、家へついて、目の前に、病気で苦しんでいる母親の姿を見ていると、心が変わって来て、「ああ、どうでも救けてもらいたいなあ。」という気持ちで一杯になって来た。それで、再びお屋敷へ帰って、「どうかお願いです。ならん中を救けて頂きとうございます。」と願うと、教祖は、重ねて、「伊三郎さん、気の毒やけれども、救からん」と、仰せになった。

 教祖に、こう仰せ頂くと、伊三郎は、「ああやむをえない」と、その時は得心した。が、家にもどって、苦しみ悩んでいる母親の姿を見た時、子供としてジッとしていられなくなった。又、トボトボと50町の道のりを歩いて、お屋敷へ着いた時には、もう夜になっていた。教祖は、もう、お寝みになった、と、聞いたのに、更にお願いした。「ならん中でございましょうが、何とか、お救け頂きとうございます。」と。

 すると、教祖は、「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る」と、仰せ下された。この有り難いお言葉を頂戴して、キクは、救からん命を救けて頂き、88才まで長命させて頂いた。

【天に届く理】
 教祖は明治17.3.24日から4.5日まで奈良監獄所へご苦労下された。その間忠三郎は獄吏から便所掃除を命ぜられた。忠三郎が掃除を終えて教祖の御前に戻ると教祖は、「鴻田はん、こんな所へ連れてきて便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ」とお尋ね下されたので、「何をさせて頂いても神様の御用向きを勤めさせていただくと思えば、実に結構でございます」と申し上げると、教祖は次のように仰せられた。
 そうそう、どんな辛いことや嫌な事でも結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれどもえらい仕事、しんどい仕事をなんぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足不足でしては、天にとどく理は不足になるのやで」。

【神の働き】
 「奥野道三郎氏の話(その七)、恩を忘れぬのも」。
 「『喧嘩の腰押し、神はきらい』。人と人とが喧嘩をしないようにつとめることが第一」。
 祖父の伊平が、巡査が、教祖を荒々しく扱うているのを見て、教祖の御苦労を少なくさしてもらうために、巡査と戦ってやろうかと思ったこともあったといいます。その後で、教祖にお会いしたとき、教祖は『時の天下に、日の奉行やで』と仰せられたと聞かしてもらいます。
 『神は土地処の”しん”に乗ってはたらく』。
 『神がこわいので、この世がおさまる』。
 あるとき、奥野氏の話に、「十年で化ける人もあり、二十年で化ける人もある。”とめ”を知らんからや」と言った。それで私(高野)が、「”とめ”とは何ですか」と訊くと、「教祖おおせには、弟が兄に無理をいうたら言わしておけ、神がゆるさん、とおっしゃった。だが、兄だから弟に無理をしてよいのではない。兄が兄だといって、弟をいじめたら神さんがゆるさん、とおっしゃった。それが”とめ”や」と言った。

恐み危なみなし論、神の請け合い論
 真実に 助け一条で あるからに
 何も怖みは 更にないぞや
三号77
 日本見よ 小さいように 思うたれど
 根が表われば 恐れいるぞや
三号90
 上たるを 恐いと思うて いずみいる 
 神の急き込み 恐みないぞや
三号102
 内なるは 上を思うて いづみいる
 恐みないぞや 神の請け合い
四号69
 心さえ 真実よりも 分かりたなら
 何も恐みも 危なきもない
六号122
 月日には 段々見える 道筋に
 恐き危なき 道があるので
七号7
 月日より その道を早く 知らそうと
 思うて心配 しているとこそ
七号8
 人間の 我が子思うも 同じこと
 恐き危なき 道を案じる
七号9
 この先は どのよなことを 云うにもな
 恐み危なき ないと思えよ
七号58
 月日より 恐き危なき 道筋を
 案じていれど 銘々知らずに
八号63
 これさいか 確か見えきた ことならば
 どんなものでも 恐るものなし
八号86
 これさいか しっかり据えて おいたなら
 何も恐みも 危なきもない
九号49
 やれ恐や 聞くより早く もう見えた
 どんなことでも 油断でけんで
十二号59
 神が出て 世界中を 働けば
 どんなつとめも 恐みないぞや
十三号55
 どのような ことがありても 真実の
 心次第に 恐いことなし
十四号49
 何もかも 早くつとめの しこしらえ
 親の請け合い 恐みないぞや
十四号90

【神の引き寄せ】
 「ようこそ帰って来たにあ。親神が手を引いて連れて帰ったのやで」。
 「神に深き因縁あるを以て、神が引き寄せたのであるほどに。病気は案じることは要らん」。
 「神が用に使おうと思し召す者は、どうしてなりと引き寄せるから、結構と思うて、これからどんな道もあるから、楽しんで通るよう」。
 「神様は、因縁の者寄せて守護して下さるのねで」。
 「用に使わねばならんという道具は、痛めてでも引き寄せる」。





(私論.私見)