その1-2 ものを大切にする修理の理、丹精の理、親切の理

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ものを大切にする修理、丹精の理、親切の理」教理を確認しておく。


【ものを大切にする修理の理】
 昭和42年4月号みちのとも「先人とわたし 増井りん先生を偲び」梶本巖雄「これでエエ」。
 「増井(りん)先生は九十才(で出直し)と聞いているが、或る時、私は先生に、記念に一筆お願いしたいと、家から上等の画箋紙を持って本部詰所へ行った。先生の前へ用意の紙を差し出したら、先生は、これは勿体ないから、あそこの紙を持って来なされ、と仰るので、何処にあるのかと見ると、部屋の隅に押しをして延ばしてある、お賽銭の包み紙のことであった。折角もって来たんですから、と申し上げると、これでエエ、これでエエ、とシワ延ばしの半紙に、”寿”と書いて、”九十才りん”と署名して下された。常にものを粗末にされないお心がけは、みんな教祖直々のお仕込みを頂かれての実行だけに、尚更シワ延ばし紙の直筆が有難く、また素晴らしい教訓を拝することができた」。

【ものを大切にする丹精の理

【ものを大切にする親切の理】
 大正15年8.20日号みちのとも「真の助け」春野喜市「農に親切を施す」。
 「御教祖は農作物においても、『硬い肥やしを一度に置く所は薄肥えにして、二度のものは三度にも置き、農に親切を施せ』、と仰せられたのであります」。
 お指図は次の通り。
 植田英蔵著「新版飯降伊蔵伝」139p「西・東ではわからん」(道友社)。 
 「本席は一面には厳格なところもあり、本部の人達の信者に対する不親切な取扱いを見ては容赦なく訓戒を与えられた。例えば、信者の方が詰所の所在地を尋ねる時、多くはあちらへ行って西へ行けとか、東へ行けとか答えると、本席は、『それではいかん。遠国から帰ってきて西も東もわからん者に、どちらこちらと言うてもわからん。それよりちょっと一足案内してやれ』、というように諭されたものである」。




(私論.私見)