「親と称え(とな)え 親と言うは、子供育てるも、いかなる道を通る。親の心、真実道を知らせば親と言う」。(明治20.4月補遺)
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「人間々々元が分かろまい。世界中皆(みな)神の子供。難儀さそう、困らそうという親はあるまい。親あって子がある。この理を聞け。憎い可愛(かわいい)の隔て無い」。(明治20.12.9日補遺)。
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「古き者は 親と思え。親となれば 子は可愛いというもの。皆な満足さして治めにゃならん。子供は子供だけの事。腹を立てゝは親であらせん。親となれば子を可愛との心にならねばならん。子を憎む心では親でない。この理をよく聞き分けておけ」。(明治21.6.30日補遺) |
「大きい心を持って通れば大きい成る、小さい心を持って通れば小そう成る。親が怒って子供はどうして育つ。皆な親の代わりをするのや。満足さして連れて通るが親の役や」。(明治21.7.7日) |
「この世に親という理は面々(銘々)の二人より外(ほか)にもう一人(いちにん)あろうまいがな。皆々々聞いておけ」。(明治21.8.9日) |
「親に孝心、夫に貞女(ていじょ)、世界の事情、どうでもこれを分けねばならん」。(明治22.1.13日) |
「子供の成人楽しみに、日々に功(こう)を積んで居る。皆その通り、いつもいつまでも親の厄介になる者はどんならん」(明治22.1.24日午前9時)。 |
「家内親々一つの事情、一代又二代、心の理があって一つ十分に治めある」。(明治22.6.10日)
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「さあさぁ小児因縁/\、あたゑ/\という」、「さあ/\与えたる小児は、親々の親という。親々の親を与えたるという」(明治22.6.16日)。 |
「これまで尽す運ぶ中に、互い助け合いは諭する理、又所に一つ成程の者というは、第一に家業親孝心、二つ一つが天の理という」。(明治22.10.9日補遺)
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「古き者 親という。子は何人ありても親は一人。為(な)したる事は どうでも立てねばならん。親がありて子というは、親が賢(かしこ)うても、子は鈍(どん)な者 出ける(できる)やら知れん。子は、親が鈍な者やと言う者があるなれども、何ぼ(なんぼ)鈍な親でも、親があればこそ。年が寄れば
鈍な者や。鈍な者でも 親というもの大切なものや。‥親というものは どれだけ鈍な者でも、親がありて子や。子は何ぼ(なんぼ)賢うても 親を立てるは一つの理や。これだけの理を聞かし置こう 」(明治22.10.14日)。 |
「一日の日は遊びに行て来うか言うて暮らして、奈良へ行こと思えば、年寄ったら手を引いて上げましょうと言うて、手を引かねば行かりゃせん。この理をよう/\気を付けさっしゃい。この理から年が寄ればくどい事を言う。理と理と親子なるこのやしき(屋敷)へ入り込めば、年取りた者を親と見立てるよう。この理を聞き取ってくれ」(明治22.10.14日午前8時20分)。 |
「親は親。何も案ぜる事は要らん。どういう事も治まれば皆治まる。親小人同じ事情」(明治22.10.22日) |
「元というはをやという。をやという理は可愛い理に育てば(育てれば)、どんな所も育つ。親と成りて育つるは可愛という理を以(もっ)て育てるよう。これだけ一寸(ちょっと)諭しおこう」(明治22.11.27日)。 |
「日々家業第一内々親孝心、この二つ理がこれが天の理」(明治22.12.14日補遺)。 |
「親という理に子という理、救けにゃならんが親の理。可愛い一条、‥」。(明治23.8.7日) |
「さあ/\人間というは神の子供という。親子兄弟同んなじ中といえども、皆な一名一人の心の理を以て生れて居る。何ぼどうしようこうしようと言うたところが、心の理がある。何ぼ親子兄弟でも」(明治23年8月9日)。 |
「古き者に親が尽して子が尽す当り前、子が尽して親が何でもという心の理がある」。(明治23.10.1日) |
「十分(じゅうぶん)子が成人する。親々の理 子にある。子に真実誠あれば理がある。古い者は親ともいう」。(明治24.1.8日) |
「親の理は神の理、‥」。(明治24.3.25日) |
「めん/\の子供の親あって子、‥」。(明治24.5.13日) |
「いかなるもいんねん、ほこりもいんねん、難儀するもいんねん、暮らすもいんねん、それ/\(それぞれ)のいんねん。親の理に分からんは知らず/\の理であろうまい。‥
いんねん事情、いんねん事情なら通らねばならん。いんねんというは そう/\どうむ(どうも)ならん。曇りの中でも暮らさにゃならん。それ/\親から明らか事情持たねばならん。これだけ諭するによって、しいかり(しっかり)聞き分け」。(明治24.5.20日)
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「事情どういう事を聞き、今の不自由を思わずして、他の處(ところ)、世界万事(ばんじ)の中、一つの理が難儀不自由。親一つの理を以(もっ)てすれば、治まらん事はない。よく聞き取ってくれ」。(明治24年7月) |
「子供という、親という、親は辛抱(しんぼう)して、この物は数無い物や、残してやろ、と言うが親の理。上と言えば上、兄と言えば兄、親と言えば親の理。しっかり聞いてくれ」。(明治24.11.15日夜1時) |
「勝手良い理に寄って 勝手の悪き理は寄り難(に)くい理であろう。勝手の良き理は置かん。この道では選り喰い(よりぐい)同様、親という理分からねば何も分からん」。(明治25.10.15日) |
「心の尽し方、親孝行の理も同じ事、皆随(みな/つ)いて来る」。(明治26.5.17 夜) |
「どうでもこうでも伝う理、親という代、そのあと伝わにゃならん。尋ねるまでのもの。真実の理を見た限り、親のあと子が伝う。心無き者どうしようと言うて成るものやない。元々の理を伝わにゃならん」。(明治26.6.21
) |
「親が分からにゃ、子が皆分からん」。(明治27.3.15) |
「親は子を思うは一つの理、子は親思うは理。この理聞き分け。何でもぢば、という理が集まりて道という」。(明治28.3.10 ) |
「第一心 一人心、親という理思う。神という理思う。思うは鮮やか。思うは神の理、親の理忘れる事なら道とは言わん。‥生涯さしづは生涯
親の理 神の理、その理 知らねばならん」。(明治28.6.24 ) |
「一戸の内に諭しても分かるやろ。水も同じ事。汲(く)めば飲める。親があって子という。子は何人あれど皆(みな)可愛いもの。なれど、どんならにゃ
ならんように片付ける。中に出直す者もある。我が子であってまゝ(まま)にならん。出すにも出せん、切るにも切られん。あんな者は何處へなっとと(原文まま)思えど、真の理は切れるか。この理から取ってみよ」。(明治31.3.30
) |
「親子となるいんねん理、聞き分け。親子それはどうでも、一日々々深くなる。親子分かろまい。一日の日の処、将来さしづ、皆いんねん、いんねん以て寄る」(明治32年4月27日)。 |
「親ありて子、親ありて子。思やん(思案)せい。結構思えど、心に掛かれば どうもならん。理の煩(わずら)わんようにせにゃならん」。(明治32.9.23
) |
「親の後は子である。親に子が無けねば、貰(もろ)てなりと末代(まつだい)という。よう聞き分け。心が悔(く)やめば、切り(限り)が無い、果てが無い。‥これが間違いと思たら、間違う。聞き違えば違う。さあ/\心配する事要らんで。親は一代
理は末代、神は末代。理は違わん。この理 聞き分けてくれ」。(明治33.4.3) |
「何も彼も皆な因縁同志(同士)。因縁という親子の理、因縁理聞き分け」。(明治34.3.11) |
「親子の理、因縁理聞き分け、善い子持つも悪い子持つも因縁。これ聞き分けにゃならん」。(明治34年3月11日) |
「皆な夫婦と成るも因縁、親子と成るも因縁。どうでもこうでも因縁なくして成らるものやない。夫婦親子と成り、その中よう聞き分けにゃならん 。堪いられん(耐えられん)ところから親という因縁というところから、どういうところも治め。一人の理ではない。‥道という。扶け合い(たすけあい)というは、それぞれ諭す。又、因縁の中というは、尚々(なおなお)の事。因縁、それはやり損(ぞこ)のうてはならん、運び損のうてはならん。‥夫婦親子というは深い仲、それには又、兄弟/\ある。この理
何か結び合い/\、この心定め。成る理は言うまで。何か因縁為す(なす)中なら、どうという一時急く事、人という心寄せ/\、心寄せるなら又、世界もほんになあ道と言う。早く順序定め。急く/\」(明治34年3月26日夜、補遺)
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「親の言う事は、道の上の心と思わにゃ理やない。道の理やで。これさえ聞き分けたらば、腹立ちゃせん。たゞ(ただ)ぬっと大きなって、子の間はというものは、どういう事も知りゃせん。さあ/\欲というものに切り(限り)は無い/\。いんねん(因縁)が悪かったらどうするか。門に立って一度のものも乞うや。不自由の理
聞き分け。不自由の理 聞き分けたら、何も腹立ちゃせん」。(明治35.3.14 ) |
「親孝心(おやこうしん/親孝行)、又(また)家業第一。これ何處(どこ)へ行(いっ)ても難は無い」。(明治35.7.13) |
「親という子という、子の煩(わずら)いは 親の煩い、親の煩いは 子の煩い。これしっかり聞き分け/\」。(明治35.9.21 ) |
「親と成り子と成るは、いんねん事情から成りたもの。親を孝行せず、親という理忘れ、親に不幸すれば、今度の世は 何になるとも分かり難ない/\。この話
理 伝えて置こう」。(明治40.4.9 ) |