実践論その2 匂いがけ論、勇み論。山の仙人、里の仙人

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「匂いがけ論、勇めば勇む論。山の仙人、里の仙人」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【匂いがけ論】
 お道教義では、お助けの初等として「元の理」を伝えていく「匂いがけ」(「匂いを掛ける」という意味)が要請されている。花がよい香りを放てば虫が寄ってくるように信仰に誘うことを指すと解釈されている。「匂い」と云う用語が独特で味わい深い表現である。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 一言話(ひとこと話し)は ひのきしん
 匂いばかりを 掛けておく
七下り目一ッ

 教祖は次のようにお諭しなされている。
 
 「教祖はいつも相手より先に声をお掛けになっていると仰せられている。よって、先に声をかけることが教祖のひながたを辿ることになる。それは一言のにをいがけにつながる。朝の“”おはようございます“”の一言の挨拶も教祖のおひながたを通ることになる。『声は肥』とも聞かせていただく。教祖は、良き運命の肥となる言葉づかいを一つ一つ生活の中からお教え下さりました」。
 お指図には次のような御言葉がある。
 「にをいの事早いほうがよいで。急いでやってくれ。急いでやってくれにゃならん。急いでやっても良い加減になる。残らず残らず遠い所、ゆっくりして居ては遅れる。この人ににをいかけんならんと思えば、道の辻で会うても掛けてくれ。これからこれが仕事や」。(明治40年4.7日)

【山の仙人、里の仙人】
 教祖直々の伝であるかどうか分からないが、道人に伝えられている。「山の仙人」とは、人里離れた深山幽谷で厳しい修行を積んで悟りを開く人のことを云う。「里の仙人」とは、山から麓へ降りて来て、日常の現実社会の中で、仙人のように暮らしていく人のことを云う。つまり、「里の仙人」とは「山の仙人」に対する対句になっている。お道は、「里の仙人」を目指せと諭されている。その由は、衆生済度の方法として「里の仙人」を目指せ、ということにある。口伝で次のようなお言葉が伝えられている。
 「山の仙人、里の仙人。里の仙人を目指すのやで。こっちの方が偉いのやで
 「教祖は、先人の方々に『里の仙人になってくれ』とお話し下さったそうです。日本古来の信仰が、お寺や山にこもり修行や瞑想を通して、悟りを聞くものであったので、“”山の仙人“”に喩えられたのに対して、天理教の信者には、平常通りの生活にありながら悟りとってほしいとお望みになっておられます。これを『里の仙人』という言葉でお話して下さいました」。
 「信仰者の心の成人が培われるのは日常生活の中に於いてであります。お道の信仰者は、世間を離れて特別な修行を積んだり悟りを開いたり神通力を得ようとしたり、あるいは人との交際や社会との関係を絶って生活する必要はありません。日常の社会生活の中にありながら、その生活に押し流されずに、親神様の教えに添って生活するようにと教示しているわけです。この寓意を比喩的に『山の仙人、里の仙人』論としてお諭ししてくだされております。想像では、仙人というのは人里離れた山奥に庵(いおり)をつくって住み、穀類を避けて霞を食べて生活し、厳しい修行によって木から木へも自由に飛び移ることができるような霊妙な力を備えた、白髪にして白く長い髭を蓄えた老師といったイメージです。山は里と比べて静寂でありますし、人間関係の煩わしさもない、また世俗的な快楽に心が動くこともありませんし、禁欲生活に徹して厳しい修行をするのには格好の環境であることは確かです。しかし教祖はそのような山に於いてではなく、あえて里、すなわち現実のこの世俗社会に於いて仙人になるように教えられております。人に嗤われ誹られようと、常に親神の意に添う陽気ぐらしを目標として人救けの道を歩むことを促しておられ、『人を助けるは誠、誠は天の理である。誠であれば、それ世界成程という』と教えられております。俗塵にまみれることなく澄み切った心で救け一条に歩むその姿は、元始まりの話の中に人間の種として教えられております泥鰌にダブります。泥鰌はいつも泥の中に住んでおりながらちっとも泥を自分の身体に付けないで生きている、その姿にも似せられるわけで、これが教祖がお道の信仰者に求められる“”らしいあり方“”だと思います。これが『里の仙人の教え』ではないかと思わせていただきます」。

 2011.8.、おやさと研究所長・深谷忠一「日本は里の仙人になろう!」。
 「世界の屋根ヒマラヤ山脈の南麓に、ブータンという小さな王国があります。この国の国民1人あたりのGDP は年間16 万円。貧困ライン(約1,100 円/月)以下で生活している人が、全人口の約4 分の1 という、決して豊かとは言えない国ですが、国民の95%が「自分は幸福だと感じている」という統計があります。ブータンは、国王の提唱によるGNH(国民総幸福量)という指針で世界に知られ、その国づくりの姿勢が多くの人々の共感を呼んでいます。例えば、この国に滞在した日本のNGO関係者のブログに、“ 政府の役人が「幸福は持ち物で図れるものではないこと、いかに今もっているもので満足するかが幸福の鍵である」と語っている” と書かれているのを読んだりすると、“ ブータン人こそ本物の幸福を知っている。日本人も見習うべきだ。”などと言いたくなるところであります。しかるに、現実的には、ブータンの人も“ 今幸せだから現状を変える必要はない” とは考えていないようです。その証拠に、ブータンでも1961 年以降5 年ごとに策定される社会経済開発を継続していて、現在も2008 年7月からの第10 次5 ヶ年計画が進行中なのです。また、それに対して、国連などの国際機関や他の多くの国が開発援助を継続中であり、日本も最大の開発パートナーの一つになっているのです。つまり、現在のブータンの首都ティンプーや他の都市での建築ラッシュにも見られるように、空港や道路を作り、電気・水道などのインフラを整備し、学校・病院や住宅を建て、産業を興して生活レベルの向上を図るのは、大方の開発途上国の人々の願いなのです。ブータンのように、国王が評判の善政を敷いていて、国民の幸福度が95%などという国であっても、やはり、何時までも貧しいままで留まることはできない。生活レベルの向上・近代化を図るのは、誰もが止め得ない世界の潮流なのです。

 我々の立場から申せば、『
元の理』のお話に、『六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる』とあるように、人間の知恵の発達、文化の興隆は、人間創造の時から期待されているところです。それは“”幸福は持ち物の量でだけで決まるのではない“”というのは真実であっても、それで文明・文化の発達を目指さないというのでは、長い年月をかけて知恵と文字の仕込みをされた意味がなくなるということです。つまり、天理教の教えからしても、幸せなブータン人が生活改善のために経済開発に一生懸命になるのは、何ら矛盾したことではなく、大いに奨励されるべきことなのです。また、教祖は『谷底せり上げ』とも言われていますが、世界には国の全てが谷底にあって、国民全体の生活レベルを向上させねばならない所が沢山あります。ですから、いわゆる先進国に住む我々は、ただ自国の現在の栄華・未来の繁栄だけを考えるのではなく、世界の全ての国・人の生活が、今も将来も豊かになるように、各々の国の開発にも協力することが不可欠なのです。したがって、例えば今、日本では、電力供給のあり方をどうするか?が問われていますが、その議論の中身が、単に今夏の電力不足を乗り切るためだけの“ 今さえよければ・・・” や、国内での安全・安定供給のみを考える“ 我さえよければ・・・” であってはならないのです。日本は水力、風力、地熱、太陽光、バイオマス、石油、石炭、天然ガス、原子力等、あらゆる発電所を建設・運用するための世界最先端の技術を持っています。ですから、そのノウハウを十分に活用し、また、さらに進展させて、世界中の電力の安全・安定供給に寄与するように、グローバルな視点で議論を進めることが望まれるのです。教祖のお言葉に『菜の葉一枚でも、粗末にせぬように』とありますが、世界にはその葉っぱ一枚すら満足に食せない飢餓レベルにいる人が大勢います。葉っぱどころか人間のいのちが粗末になっている。その悲惨な状況を改善するためにも欠かせないのが電力の供給です。それを、もし日本が、自国の状況・思惑だけで、これからの発電や送電・供給のシステムを決めてしまうと、日本とは自然環境や社会基盤が違う国が、将来大変困ることになると思われるのです。教祖は、『里の仙人になれ』と教えられていますが、それは人に対してだけでなく、国にも当てはまることです。日本も持てる経済力・技術力で、自国以外の国々の生活向上にも貢献して、世界から尊敬される『里の仙人』になることを目指したいものだと思う次第です」。

 2005年、住原則也(Noriya SUMIHARA)天理大学「共通論題:『企業家の特異条件― 狂気・異形・才覚』報告2、信仰者としての経営者像」。
 「中牧氏の冒頭文を受けて、この小論ではある特定の宗教の教えを生活の上ばかりでなく,企業経営の上でも常に指針としてきた一人の企業家をとりあげたい。フレッシュクリーム「スジャータ」で知られる「めいらくグループ」(名古屋製酪株式会社など7社から成るグループ)の代表兼CEOの日比孝氏(1928年生まれ)である。「めいらくグループ」は,平成16年3月現在で年商1000億円を超え、従業員約3000人の大手企業であるが、日比孝氏が一家8人の生活を成り立たせるために、終戦後間もなく自転車でゴムひもや文房具を積んで農家をまわって行商したところから始まっている。行商、露天商、アイスクリーム屋、そして後に大きな飛躍となるフレッシュクリームを手がけた。ガラスの牛乳ビンから今では当たり前の紙パックへの切り替えをいち早くおこなったり、乳業界では20世紀の傑作とされる、防腐剤など使わずに乳製品を長持ちさせるロングライフ技術に注目し、他社に先んじて1975年にロングライフ工場なるものを完成させている。よく知られている「スジャータ」の生産量は世界一を誇っている。乳製品に限らずレトルトパック食品、「きくのIFCコーヒー」(世界初の急速冷凍製法に基づくコーヒーで国内外の特許を取得。これにより文部科学大臣賞なども受賞している)。有機豆乳など多方面の新商品開発を行ってきている。日比氏は地元愛知県では「名古屋の松下幸之助」とも称されているとか。その日比孝氏が熱心な天理教の信者であり、天理教的価値観に基づいて経営が行われていることをもって、「狂気」とか「異形」という形容がなされるとすれば、ご当人にとっては違和感を覚えることであろう。実際筆者自身一度一人で面会し、2時間余りにわたってお話を伺ったことがあるが、「異形」などとは程遠いごく一般的なダークスーツ姿で穏やかに誠実に受け答えしていただいた記憶がある。身体は小柄に感じられ、エネルギッシュにして破天荒などという印象からもほど遠い。従業員を前にして宗教的指導者のようなカリスマ性や放とうというような特別なしぐさも見受けられない。あえて言えば、筆者が訪ねた本社のある名古屋市天白区中砂町の社長室が、これほど成長した企業とは思われないほどみすぼらしいものであったことである。元々工場であったバラックのような古い建物がそのままトップの執務室であった。牽強付会に言えばそのアンバランスさこそ「異形」なのかもしれない。また一方で、周囲に立つ工場も決して新しい建物とは見えないが、毎朝従業員が全員でこまめに清掃を行い、文字通り工場内外でも路上でもチリひとつ見かけなかった。何十年も変わることなく守られてきた「重点実施事項」とは「清掃」であり、「清掃は心に徳をつくるため」と記されている。これもまた「異形」と言えるかもしれないが、工場周辺の凛とした清潔感が印象深い。このめいらくグループでは、従業員が天理教への信仰や改宗などが強制されるわけではないものの、経営方針の精神的基盤が天理教の教えであること、たとえば新規採用人事の時点から応募者に対してすら周知されている。企業の創業者や経営者が、ある特定の宗教の熱心な信者であることは珍しいことではない。経営上の判断に、信仰信念が影響を及ぼすということもよくあることと思われる。しかし、日比氏ほど、天理教信者であることを雑誌取材時なども含めて一貫して公言し、その教えを企業運営の上に実践しようとしてきた人は少ないと思われる。教団から依頼されてそうしているわけではない。公言することがビジネスにとれば有利と言えるものではない。信仰の見返りとして成功が保証されているわけでもない。また企業内部的にも、従業員全員を信者にして一つの神の下に心を一つにさせ連帯感を増大させるような明確な方向性や、職場の日常において宗教的儀礼が行われているわけでもない。内部的にも外部向けにも、天理教を標榜することによっ
て得られる実利的な意味での合理性を見出すことはできない。

 筆者は、この小論の中で、宗教と企業経営の関係というテーマ一般を扱う意図などはない。日比孝氏という一企業家に焦点を当てたとしても、活字になっている一部の文献やわずかなインタビュー体験程度から、氏の内面の奥深い主観とその経営行為や成果を因果律でもって理路整然と結びつけることなどできない。しかし日比氏と天理教との結びつきの個人的ないきさつ(注1)は別にしても、氏が天理教の信仰者であったがゆえに下された重要な企業経営上の決断についてはある程度語ることは可能であると思われる。天理教の現世的指向性と企業観。天理教の教えがどうして企業の経営上の判断にも結びつきうるかを説明するには、やはり、その教えの基本的な側面を多少とも知らざるを得ない。教祖中山みきを通じて教えられたという親神(注2)が人間とこの世を創造した意図とは、人間たちが互いに自主的にたすけあい幸福を分かち合う「陽気ぐらし」を見るためであるという。あの世での救済ではなく、現世においての理想郷を目指す指向を持っている。したがって信仰者とは、出家して俗世を離れたり、深い山中で修行を行う存在ではなく、日常生活の中で「陽気ぐらし」を目指す者であり、そのことを教祖は「里の仙人となれ」とも表現した。そのような日常生活の心がけの基本として「朝起き、正直、はたらき」が教えられている。特に、はたらく(働く)とは「はたはた」(傍々=側の人)にらく(楽)してもらうよう動くからはたらくというのや、といった教祖の言葉が信者の中で広く知られている。つまり日常の行為そのものが、他者との相互貢献を指向していることになる。また「家業第一」ということばも残されており、自らの職業を遂行する上での「陽気ぐらし」へのビジョンが見られる。このような基本的な教理上の指向からすれば、日比孝氏が、「企業も人のためになるようやるのが目的で、仕事は手段である」という
考え方を述べていることも容易に理解できる。経営上の重要局面における判断基準としての教理また日比氏と信仰の関係は、神頼みや厄払いといった拝み行為ではない。信仰とは自らの考えや行為が「天の理」にかなっているかどうかの自己チェックの過程である。その姿勢は、たとえば熱心なキリスト教者であった米国大統領アブラハム・リンカーンが、南北戦争のおり、苦しい戦いの山場を越えてようやく北軍の勝利が見えかけたとき、側近が「神は我々の方についている」と歓喜して言ったことに対し、「神がついているか否かではなく、自らが神の側にいるかどうかを問うべきである」と返答したという逸話があるが、日比氏の意識もこれと同質のものであると考えられる。日ごろから神の側につく意識を持ち努力を重ねていても、不幸な出来事や会社の危機的な局面にも出くわすが、日比氏は「逆境こそ天の配剤」であると悟る生き方をこころがけてきたという。日比氏が、企業を運営するにあたり特に重要な局面において、信仰信念に基づきどのような決定を下してきたかについて多くの事例の中から紙面の許す限りであげてみよう。
 ・牛乳ビンから紙パックへの転換
 1970年ごろ、欧米ではすでに、重くて回収が必要なガラス製の牛乳ビンに換えて、ドイツやアメリカで発明された紙パックが使われていたという。当時日本の通産省も奨励したが大手メーカーすら手を出さなかった。コストが高くついたからようである。つまり、牛乳ビンなら年間300万円で済むところを,紙パックの中でもドイツで開発されたツーパックなら600万円、アメリカのピュアパックだと2000万円かかった。日比氏はリスクもありどうするか迷っていたところ、日ごろ天理教の教えを請うていた先生に聞いてみると、「損をするのはあなたでしょう。お客様に喜んでもらうことが一番でしょう。」と言われ、結局一番優れているピュアパックの方を、中京地域で最も先んじて導入したそうである。安価でも使い勝手や素材の劣るツーパックを導入したメーカーは結果として淘汰されていったという。教祖中山みきの逸話の中にも、商売人の信者に対して,「商売人は,高う買うて,安く売る」ように言っていたことが知られている。理解しがたいが、意味するところはつまり、生産者など川上からはできるだけ高く買ってやって喜ばせ、川下の消費者にはできるだけ安く売ってやり、自らは薄い利益で喜んではたらきなさい、という意味合いである。商業活動を通じた「陽気ぐらし」の実践のありかたということであろう。
 ・無臭ニンニクのカプセル「蓬莱」の無料配布
 さまざまの社会貢献活動の中でも,めいらくグループは、15年ほど前から「蓬莱」と命名したカプセル状の無臭ニンニク200粒入りを隔月毎に、50歳以上の希望者に無料配布してきている。当初の目標10万人達成後現在ではすでに25万人に配布しており、今では100万人を目指しているという。この事業のためにテレビCMなどは一切やめてその経費にあてている。ニンニクは古来健康に良いものとされてきたが、ニンニクの中のアホエンという成分が特に効果が高いことが知られているという。めいらくでは、名古屋製酪中央研究所バイオ研究室で研究を重ね、アホエンを加工過程で逃さない独自の製法を開発するとともに、その効用についても知識を深めている。たとえばピロリ菌の撃退効果、脳卒中予防、通風予防、心臓機能の強化、コレステロールの低下、がん予防、といった研究結果を発表している。

 このような社会貢献のあり方の背景には、健康食品ブームということもあるだろうが、天理
教教祖は、かつて「人間は病まず弱らず115歳定命(じょうみょう)、それ以上は心次第にいつまでもいよ」と言っていたこともよく知られている。つまり、人間の体は本来病気もせずに115歳までは生きられるよう神に造られているという。実際はたいていそのようでないのは、自由な意思が与えられている人間の心がけ次第であるとされている(注3)。そのような天理教の理想郷に近づくための一助として無料配布を行っていることは明らかである。

 おわりに

 日比孝氏の姿や生き方から「狂気」や「異形」というイメージは受けない。「才覚」は秀でているに相違ない。しかしその商業行為上の才覚の発露には、天理教の教えに誠実であろうとする静かで強い信念が一貫していると思われる。天理教の教えには「日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものはない。」といった言葉もあるが、日比氏からはそのような印象を受ける。ロシアの生んだ世界的な演出家スタニスラフスキーが、「演出の底辺は愛である」とよく語っていたそうであるが、経営の底辺に「真の誠」が潜んでいることが経営に魂を入れることになってはいないだろうか。この共通論題である起業家の「狂気」というのは、表現的には非常識で破天荒とも見える経営行為の底辺に実は人間への「誠」が潜んでいればこその狂気と思われる。

 【注】
 (注1) この点、個人としての起業家に焦点を当てるという意味では重要なポイントであろうが、プライベートなことでもあり詳しい調査はできていない。ただ日比氏が若いころより直接接する機会のあった故関根豊松という天理教の歴史の中でも傑出した人物からの影響は少なくなかったと思われる。関根豊松については天理教の中の屈指の霊能者として豊島泰国が書き記している。
(注2) 天理教では、神が特別の意図を持って人間とこの世を創った親という意味で、神を親しみを込めて「親神」と呼び、親神の名前は「天理王命(てんりおうのみこと)」とされている。
(注3) 天理教では「心どおりの守護」ということばがある。拝み願うことにより守護されるのではなく、日ごろの心通りに神の守護があるのだという。

 【引用文献】
 「わが身を支える人こそを大切にする経営の意味」
 『長野商工会議所だより』2004年7月号No.672 pp.1‐5
 『実践本物の経営』船井幸雄著2004年ダイヤモンド社
 『天理の霊能者−中山みきと神人群像』豊嶋泰国著1999年Psy-ence book
 『天理教教祖逸話篇』天理教教会本部1976年道友社

(私論.私見) 「スジャータ」経営者天理教考

 「スジャータ」経営者が天理教信仰者とは驚いた。個人的に知る「スジャータ」製アイスクリームは私の最も忌避するレベルのものであり、それが天理教信仰とどう関わっているのか、ここに拘り対。

 2019.10.23日 れんだいこ拝





(私論.私見)