その1-4 | 誠真実の理、阿呆の理、慎みの理、結構の理 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「誠真実の理、阿呆の理、慎みの理、結構の理」教理を確認する。「天理教教理随想」の「No.92教理随想(43)、自由自在について」 その他を参照しながら私流に再推敲しておく。 更新日/2016.02.29日 れんだいこ拝 |
【心遣いによる神のご守護、助かりの理】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お道教義では、神の思惑に叶う心遣い、行いを為すことに因り神のご守護が働きになられ、これが「助かりの理」となると教えられている。 御神楽歌、お筆先に次のように記されている。
教祖は次のようにお諭し為されている。
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お指図は次の通り。 |
【誠真実の理、まの宝】 | |||||||||||
お指図は次の通り。
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「My Library Home 」の天佑會「眞の寶(上巻)」。 | |||||||||||
「気は長く、心は広く、勤めは堅くと云うは堪忍を旨とし、何事にも癇癪を出さず、又何事に懸かりても捲まざるを云う。心広くと云うは、何事にも心を動せず、先を案じざるを云う。勤めと云うは言行一致のことなり。正直から情けが出る。正直、慈悲、堪忍の三つが誠(真事)なり。誠は神也。誠より尊き心なし。水火風、これより上の宝はない。これが人間万物の命なり。人間の肉体を始めとし一切動物の肉体、宇宙の万体は、悉く水土温熱風にて産み出され、この世に生命を有し活動をなす。神が命なり、故に神様を尊、命と云う。
神言「身上あって楽しみ、身上あっての道である。これよう聞分けてくれ」と仰せ下さる。 ばっと腹立ちたのをそのまま風に出さずに堪忍して、どん事でも分かる様に説いて聞かす。人の満足の行くように聞かす。人に満足与える、善き方/\と優しく物の治まる様の風を吹かす言葉が堪忍の風、かしこねの命の智恵なり。かしこねの命の言葉、口弁舌、賢いという。人は心中道理の見分け、噛み分けのよくできる者、即ち切り分け故にかしこねの命の裏は大食天命(丑寅と未申)。見分け聞分けの神、交際義理の神様、かしこねの命誠が現れ、慈悲心気を長くして、人に満足与える風が智恵。 しかして言葉は心は現れるもの故、物が惜しいや欲しいで欲が深いようでは人の助かる人に満足与える真実の言葉が出ん。木の葉も根より水気入り込み、温味が入りて芽が出る。芽は葉なり。言葉も同一の理なり。現れるなり。誠は、情けと思い切りの理、例えば人を助けるにも人様に志し心尽くすにも情けを施すにも思い切らねばできぬ如く我が家我が身欲を思い切れぬようでは社会の為に働けぬが如し。 その真実が誠がなくては出んなり。誠の心陽に現われ或いは人を助ける食物与えるとか世話をするとか金銭物を施すとか実行して、その誠の現われたものを実と云う。真実なり、心に誠あっても行なわざれば見えん。行なうたものが即ち実、例えば人間夫婦の間に子の生まれたのが実、柿の木は甘き柿の実を結ぶ。渋柿は渋い味の実が現れる。甘き木の誠が現れて甘柿となる如し。木の実も実も同じ。親神様の誠が宇宙万物に現れて衣食住その他総ての物を身に受け見聞して陽気に暮らす。皆な親様の実を頂いて活きて居る人間也。これが神様の真実誠。人間も同じ。助けよと思う心は誠。誠は無形現れて実、欲のなきものが誠。親が我が子を思う、我を忘れ欲を忘れ、真心尽くして育てる慈悲、この心が真実誠也。 堪忍と素直は同じ理となる。素直は神の心、水の心。人間誠というは足納が第一。足納はこの世の大王とも足納大き木とも仰せられてある。心澄む心の掃除するには足納。足納はこの世の治まる理。水の心なり。八方の神様の御心が一つにまとまり下されたものが即ち誠、月日の御心なり。優しき心と云うは誠にて、この世は八方八柱の神。この八柱神の心にかなう心に定めるが世界の式なり。この心を優しいと云うなり。 正直、慈悲、堪忍、この三つは人間暖み水気息一日もなくては立たぬと同じく、これより宝はない。堪忍は物のよく分かりた賢い人から堪忍をする。寛仁、大度、慈悲心を以って敵を味方にする如き古今の例話もある如く、誠ほど尊きものはなく、誠ほど人の感化するものはない。誠には刃も立たず、矢も立たず、水に溺れず、火に焼けずという。宇宙間は悉く神の誠の現われ故、本書中だん/\逑ぶる所は借り物の理を了解せんとするもの皆な誠の一つに止まる故、この誠と云う理は何程にても話し尽くせぬものなり。 『誠という理の働きさえあれば天の親よりも実があるで。実と云うは分かろうまい、火水風という。この恩理が分かれば一切の恩理が知れる。これ知れば衣食住の三点は火水風の賜物という理が知れる。この理が分かれば神の守護という理が知れる。この理が治まれば神の誠という理が明らか知れる。なれど、教えの理を取り違えるというは、これまでの心の理が忘れられんから、目に見えたものに惜しみをかけて身上の大敵という事を知らず。欲しい惜しいの心の理が離れられんから、真実という理が治まらん。早く思案をしてくれ。世上の難はどういう所から身に受けるは八つのヶ条は何と思うてしている。又神の守護という理が心に分かりたことなれば、道のりは容易ならぬ重い理なれど、深い楽しみの理を与うるには日々銘々の心の勤め方の理によって与うる理と与えられん理とあるから、取り違いのなきように勤めにゃならん。我が身の助かると云うは、人の為なら我が身捨ててもと云う精神を以って人を助けにゃならん。人に喜んで貰わにゃならん、と云う心で日心勤めて人の心を助け、自分も喜び、日々勤むる理であると仰せ、又御道は話一條で助け下さるその話は月日の真実。これを取次ぐ者は月日の代理である。神様の御言葉は人間が考えたり作った事でないから、正直に取次がねばならん。我々人間が智恵高慢を交ぜて我が身欲から我が身の用害や身引、例えはこの話をしては人か如何に感ずるから気に入らぬからと云う風にて取次ぐにひかえるとか上手口とか遠慮気兼ねして居ては人が助からぬ故、神に対して高慢となる。神の御言葉は正直に取次ぐ。神に素直になくては誠とは云えぬ我が身をだくは欲。 又人間の俗に云う硬いと云う心は一時強いようなれども欲というものがために決断力が乏しく心が変わる崩れる。硬いものがやわらかい中途で挫ける。真実定めた心は立ち抜く挫けぬ変わらん迷わんくるわんと云うのが誠。真実の定まった心なり、日本魂とも云う、たとえば弾丸は出かけは強いが先に行くと布に包まれる。矢は出かけは弱い手の効いた者はつかむという。先の行く程激しく強くなると云うたとえの如し』。 『自由用と云う理は何所にあると思うなよ、只銘々精神一つの理にある日々と云う常と云う、日々常に誠一つという、誠の心と云えは一寸には弱いように皆な思うなれど誠より堅き長きものはない誠一つが天の理、又人を助ける心は真の誠と仰せ下さる』」。 |
【阿呆の理】 | |
増井りん手記/誠真実(まこと)の道97-99p「あほうが望み」。
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【慎みの理】 | |
御神楽歌、お筆先に次のように記されている。 お指図は次の通り。
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【結構の理】 | |
御神楽歌、お筆先に次のように記されている。 お指図は次の通り。
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(私論.私見)