「人間というものは、皆な神の貸し物。如何なる理も聞かすから、聞き分け。心の誠意、自由自在と。自由自在どこにもあらせん。誠の心にあるのや。身は神の貸し物、心は我がもの。心次第に貸しものの理を聞き分け」(明治21.2.15日)。 |
「一つ誠という理を聞かそう。誠ほど強いものはない。誠は天の理である。誠であれば、それ世界成る程と云う」(21.6.2日) |
「自由自在は何処にあると思うな。面々の心、常々に誠あるのが、自由自在という」(明治21.12.7日) |
「人間というものは、身は借り物、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。どんな理も受け取る中に、自由自在(じゆうようじざい)という理を聞き分け」(明治22.2.14日)。 |
「人間というは、身体は借り物、心一つが我がの理」(明治22.6.1)。 |
「長らえての処、分からん処より段々通り来たる処、誠真実一つの理はどのように潰そうと思うても、どないにも出けるものやない。よう悟りておけ。真実誠天の理、天の理が潰れたというような事はない。何ぼ潰しに掛かりても潰れるものやない」(23.5.26日) |
「命でも危うき処(ところ)でも心という。これだけの事が分からねば〈、〉どうもならん」(明治23.6.20午後4時)。
注釈/「人命に関わるような危険な状況においても〝心一つ〟である。この〝心次第に心通りの守護〟という、これだけのことすら解らなければ、どうもならんぞ」。 命の繋ぎは、お金ではなく「心」だと宣べている。
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「堪忍というは誠一つの理、天の理と諭しおく。堪忍という理を定めるなら、広く大きい理である」(26.7.12日) |
「長くの楽しみという、こうのうの理と云う。こうのうの理というは常に誠一つの理ぃと云う」(補21.) |