「」()。大難小難、道順序あればこそ大難小難。順序の理があるのやで。それ/\(それぞれ)にも、その理を諭してくれ。
おさしづ 明治31.10.31
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「」()。
あちらにも分教会、こちらにも支教会、出張所、布教所、順序理という。‥理という、皆元という。何か無しに持って来る者は無い。よう聞き分け。三才の者も同じ事、生まれ子も同じ事。よう聞き分け。生まれた時は 親は誰やら彼やら分からんなれど、年限分かり掛けば、親という事が分かる。順序治めてくれ。
おさしづ明治32.2.24
【註】分教会 現在の本部直属教会。
支教会 現在の各直属の部属教会。(はじめから本部直属だが、撫養、堺、南海は支教会であった)
出張所 教会未認可の状態。
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「」()。先々あちら名称々々理というは、元々ありて順序。又一つ、元ある/\元から元の順序改めて順序。よう聞き分け。多い中 古い道 忘れてはならん。‥ 元々だん/\元々の元、又元がある。この順序諭し置く。分教会という、名称、それ支教会 出張所 布教所という。二つ三つ元々元一つという。その古い道 忘れてはならん。おさしづ
明治32.3.18
【註】古い道 教祖五十年の道すがら・ひながたの道。
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「」()。親という、子という、親子一つの理、よう聞き分けくれにゃならん。同じ道がある。よう事情聞き取ってくれ。どういう事で元と言う。皆(みな)小首傾(かたむ)け
膝に手を置いて思やん(思案)してみよ。 親という、痛み悩みありて一つ聞き、道ありて道、道無(の)うて 親と言わん。道あって 親あって 子という。世界中教会、世界成らん理は思わずに満足させば、満足から何處(どこ)からでも理が返る。これ一つ悟ってくれ。
おさしづ 明治32.11.15
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「」()。めん/\所で道具を拵え、名称を拵え、多く道理から、皆々部下々々、部下は一つ親となって取り締まって居る。だん/\理によって、又、それ/\は多く中なら、人々所々出して運んで居る。又、あちらから何人、こちらから何人、百人二百人連れて戻る、連れて帰る。皆んなあちらへ諭しに歩き、こちらへ諭しに歩き、部下から成らん中楽しんで、親順序聞いて増して来るは、人間勝手々々こらならん。もう行く所あろか。思案してみよ。
親分教会何ぼ(なんぼ)あるぞ/\。支教会 出張所、一つ派出所という。親という。親兄という、何時でも仕掛けたる。
おさしづ 明治33.10.16
【註】派出所 不明。出張所、布教所の別名か。あるいは現在の講社にあたるものか。交番でない事は確か。
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「」()。どれだけの長者も、一夜の間に無くなる、という理 諭したる。これ聞き分け。今日は十分と思えども、明日は分からん。この理を聞き分けにゃならん。理を心に
意味を含んでくれ/\。取り損ないあっては、踏み被(かぶ)らにゃならん。何よの事も 天然と言うて諭し掛けたる。天然という順序 聞き分け。
〔おさしづ 明治34.2.10〕 |
「」()。 全国に十教区を置く事の願
さあ/\尋ねる處(ところ)/\、そらどうとも言わん。まあそら修理肥(しゅうりこえ) の内である。修理肥は何處(どこ)までもせにゃならん。蒔き(まき) 流しでは、何も取れるものやない。修理肥というは せにゃならん。又(また)人という、十名と言うは
そら願通り許し置こう。中に又(また)余程の理 改めてせにゃならん。銘々勝手という理あるで。これを十分取り調べてくれにゃならん。
おさしづ 明治35.7.13
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「」()。本部という理あって 他に教会の理 同じ息一つのもの。この一つの心治めにゃ 天が働き出来ん。めん/\それ/\(銘々それぞれ)心と心、天が見通しである。これより一つ心の理を治め。唯(ただ)一つ教(教え)という心で通らにゃならん。さあ教祖存命の理という。どういうもの
こういうもの、聞き分け治めてくれ。さあ/\心の心無くて、一つ心や。理無けにゃならん。
おさしづ 明治39.12.13
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