実践論その4 組織論、規約論、順序論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.20日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「組織論、規約論、順序論、迫害論、節芽論、路銀論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【道つき論】
 
 「ある時、教祖仰せには、『まず、先方の心のうちを尋ねること。次に、神の仰せを伝えること。そうしたら神が先方へ入り込んで意見をする。それで道がつく』。尋ね、仰せ、意見、道、と教え下さいました。とお聞きしています。ある時、教祖の仰せには、『天保九年と日をきって諸国霊場霊地とりあげ』と教え下さった、とお聞きしています」。(「奥野道三郎氏の話(その六)、道がつたわるには」)

【お道の組織論、規約論】
 お道の組織論、規約論につき、御神楽歌、お筆先には次のように記されている。

 教祖は次のようにお諭しなされている。
 お指図では次のように諭されている。
 「さあさあ何か談示談示、談示の決は、これまでよりも神の指図。指図通りの道なら、どんな事も遠慮気兼ねするやない」(24.2.7)
 「遠慮気兼ねは要らん。すっきり要らん。遠慮気兼ねあっては真の兄弟と云えるか」(24.11.15)
 「互い互い知らし合い、互い互いの研究諭し合い道と云う」(24.11.25)
 「この屋敷高い低いの区別はない」(28.8.3)
 「互いに遠慮は要らん。遠慮は追従(ついしょう)になる。追従は嘘になる。嘘に追従は大埃(ほこり)の台」(31.5.9日お指図)
 「何事するも話し合い、伝え合いは神の望みや」(31.5.9)
 
 指導者と下部の関係論ついて、お指図では次のように諭されている。
 「これまで親が皆通り来たる道、聞いても居る、見ても居る。皆談じ合うて通りてくれ。大きい心を持って通れば大きい成る。小さい心を持って通れば小そうなる。親が怒って子供はどうして育つ。皆、親の代わりをするのや。満足さして連れて通るが親の役や。皆、満足さして、元のぢばや親郷やと云うて、満足さして帰るのやで。どんな事も談示して満足させよう」(21.7.7)。

 「血の親、役の親、理の親」の諭しもある。

 講信者間の関係論について、お指図では次のように諭されている。
 「一列は皆兄弟」
 「真の兄弟は、誠一つの心が兄弟。又、誠一つ理が天の理、常に誠一つの心が天の理。真の心の理が兄弟」(20.)
 「神一条の道は皆兄弟。いずこの理を以って親族、親族は心の結び合い、他人と云うはほのかな理、神一条の道は神屋敷、鏡屋敷と云う。(中略)神一条の道には親族は無い」(23.6.21)
 「同じ兄弟互い互い深き因縁、皆兄弟この理聞き分け」(24.11.16) 
 「神が表へ出て珍しい助けする。皆他人と云う。他人を寄せて兄弟一つの理」(27.3.5)
 「兄弟と云う理を聞き分け。人間という、元々一つの理より始めたる。兄弟なら兄弟という意味が無くばならん。なれど、中に兄弟心が合わん者もある。皆それぞれ心より合わせてくれ」(28.5.19)
 「俺がと云う者がどうもならん。神の方から捨てんなれど、理としてすたる。どんな者でも道と云うは、皆兄弟と諭したる」(30.4.22)

 「どんな事も今までは見許してあるというは、先に諭したる。これからは談示一つ、指図の道より立たせんで。俺が俺がと云うは、薄紙貼ってあるようなもの。先は見えておらん」(24.5.10)

 「一列兄弟の理は知りて居るやろ。一屋敷の中、段々早くの理を聞き分け。容易ならん兄弟の中での兄弟の理である。その兄弟の理でありながら、口に出さず心に持って、この事情すっきり洗いきってしまわにゃならん」(31.5.9)

 講信者間の立て合いについて、お指図では次のように諭されている。

 「一列は年限の道の上の理の兄弟である。道の上に兄弟の理が分からいではどうもならん。兄弟にあれば立てるは道、立てる道は云わいでも立てにゃならん」(34.6.14) 
 「道の理は容易やない容易やない。これからと云う、これから兄弟と云う。兄弟なら兄弟の心無くば兄弟とは云わん」(35.7.20) 
 「さあさあ兄弟という理であろう。中にも兄弟。一列兄弟は云うまで。こうして道と云う、遠く所厭わず寄り合うた理は、生まれの兄弟も同じ事」(35.7.20)

 講信者間の不和について、お指図では次のように諭されている。

 「ぢばに一つの理があるのや。同じ兄弟の中に、合うの合わないのと云うようでは、道を捨ててほかしてしもうたも同じ事やで」(32.5.14)

【順序論】

 お指図では次のように諭されている。

 「」()。大難小難、道順序あればこそ大難小難。順序の理があるのやで。それ/\(それぞれ)にも、その理を諭してくれ。 
おさしづ 明治31.10.31
 「」()。 
あちらにも分教会、こちらにも支教会、出張所、布教所、順序理という。‥理という、皆元という。何か無しに持って来る者は無い。よう聞き分け。三才の者も同じ事、生まれ子も同じ事。よう聞き分け。生まれた時は 親は誰やら彼やら分からんなれど、年限分かり掛けば、親という事が分かる。順序治めてくれ。
おさしづ明治32.2.24
【註】分教会   現在の本部直属教会。
           支教会   現在の各直属の部属教会。(はじめから本部直属だが、撫養、堺、南海は支教会であった)     
           出張所   教会未認可の状態。
 「」()。先々あちら名称々々理というは、元々ありて順序。又一つ、元ある/\元から元の順序改めて順序。よう聞き分け。多い中 古い道 忘れてはならん。‥ 元々だん/\元々の元、又元がある。この順序諭し置く。分教会という、名称、それ支教会 出張所 布教所という。二つ三つ元々元一つという。その古い道 忘れてはならん。おさしづ 明治32.3.18

【註】古い道   教祖五十年の道すがら・ひながたの道。 
 「」()。親という、子という、親子一つの理、よう聞き分けくれにゃならん。同じ道がある。よう事情聞き取ってくれ。どういう事で元と言う。皆(みな)小首傾(かたむ)け 膝に手を置いて思やん(思案)してみよ。 親という、痛み悩みありて一つ聞き、道ありて道、道無(の)うて 親と言わん。道あって 親あって 子という。世界中教会、世界成らん理は思わずに満足させば、満足から何處(どこ)からでも理が返る。これ一つ悟ってくれ。
おさしづ 明治32.11.15
 「」()。めん/\所で道具を拵え、名称を拵え、多く道理から、皆々部下々々、部下は一つ親となって取り締まって居る。だん/\理によって、又、それ/\は多く中なら、人々所々出して運んで居る。又、あちらから何人、こちらから何人、百人二百人連れて戻る、連れて帰る。皆んなあちらへ諭しに歩き、こちらへ諭しに歩き、部下から成らん中楽しんで、親順序聞いて増して来るは、人間勝手々々こらならん。もう行く所あろか。思案してみよ。 親分教会何ぼ(なんぼ)あるぞ/\。支教会 出張所、一つ派出所という。親という。親兄という、何時でも仕掛けたる。
おさしづ 明治33.10.16

【註】派出所   不明。出張所、布教所の別名か。あるいは現在の講社にあたるものか。交番でない事は確か。

 「」()。どれだけの長者も、一夜の間に無くなる、という理 諭したる。これ聞き分け。今日は十分と思えども、明日は分からん。この理を聞き分けにゃならん。理を心に 意味を含んでくれ/\。取り損ないあっては、踏み被(かぶ)らにゃならん。何よの事も 天然と言うて諭し掛けたる。天然という順序 聞き分け。 〔おさしづ 明治34.2.10〕
 「」()。 全国に十教区を置く事の願
さあ/\尋ねる處(ところ)/\、そらどうとも言わん。まあそら修理肥(しゅうりこえ) の内である。修理肥は何處(どこ)までもせにゃならん。蒔き(まき) 流しでは、何も取れるものやない。修理肥というは せにゃならん。又(また)人という、十名と言うは そら願通り許し置こう。中に又(また)余程の理 改めてせにゃならん。銘々勝手という理あるで。これを十分取り調べてくれにゃならん。
おさしづ 明治35.7.13
 「」()。本部という理あって 他に教会の理 同じ息一つのもの。この一つの心治めにゃ 天が働き出来ん。めん/\それ/\(銘々それぞれ)心と心、天が見通しである。これより一つ心の理を治め。唯(ただ)一つ教(教え)という心で通らにゃならん。さあ教祖存命の理という。どういうもの こういうもの、聞き分け治めてくれ。さあ/\心の心無くて、一つ心や。理無けにゃならん。
 おさしづ 明治39.12.13





(私論.私見)