心の理、器量論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.20日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「心の理、器量論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【心の理について】
 お道教理は「心の理」を重要視する。身体は、神様からのかしもの・かりもの、心一つは我がの理で、各人は心一つの理によって、銘々の世相をつくる。人間は夫婦、親子、兄弟でも皆、身体が違うように心の理も違う。「一名一人の信仰」といわれる所以(ゆえん)である。
 「御供という、御供でみな救かると思ている心、これは心休めの印や。…何も御供効くのやない、心の理が効くのや」(明治35.7.23日)。

【器量論について】
 「教祖が御在世当時のある大雨の日、ある青年さんに、『その庭先に大きな樽桶と小さなお椀を両方並べて置いてみなされ』と教祖が仰言ったことがあったそうです。青年さんは言われるままに大きな樽桶とご飯茶碗ほどの小さな椀を雨の中に置いた。それをじっと見ていると、小さなお椀の方は雨がすぐに一杯になってしまい、どんどんどんどん水が溢れている。大きな樽の方はなかなか一杯にならない。教祖は、その姿を見て、『あんた、どう思いなさるかえ』とお尋ねになった。青年さんはすぐには返答できなかった。そのときに教祖は、『与えるところの天の理は一つ。なれど受ける心に理が変わっていくのや』と仰言った。これを悟らせていただくのに、天の恵みは皆な平等にいただいているけれども、受ける心の器によって受け取り分がそれぞれ皆んな変わってくる、ということではありますまいか」。








(私論.私見)