その6 | 教祖の世直し論その3、世直し、世の立替え論 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「教祖の世直し論その3、世直し、世の立替え論」教理を確認しておく。お道教理は、ご利益信心ではない。むしろ、自己と他と、集団と世の中との協働を生むための精神修養論から始まり、「世直し、世の立て替え」へ向けての心構え論を説いている。以下、これを能う限りにおいて解析してみたい。 2006.1.23日 れんだいこ拝 |
【世直し、世の立替え論】 | ||||
お道の世直し、世の立替は次のような論理構図にある。 お道教理では、教会本部神殿中央かんろだいの据えられている地の「おぢば」で毎月26日に「よろづたすけのつとめ」として神楽づとめをつとめる。この「つとめ」というのは、親神によって遙か遠い昔、この世と人間を創められた元の理の“原初の働きの再現”を意味するものである。 教祖(おやさま)は、同時に親神の啓示による「お筆先」(原典)を誌した。その主題は、人間世界創造主の親神の願いに添って、この世を等しく「よふきゆさん」に導くために、その方途を示し、その対極に位置する“戦争”という世界の事情に対し、これを根絶することにあった。「お筆先」には“うちからせかいへ”、“にほんからからへ”という世界救済の経綸(筋道)が示されている。即ち、日本には親神の特別なはからいがあり、人類宿し込みの地である日本の「おぢば」で神楽つとめを執り行うことによって、それをひながたとし、世界の模範とし、これにより世界平和を追々に実現するという構図を示していた。 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
教祖は次のようにお諭しなされている。 転輪王の身になって人を助ける。仏教の「帰投身命(きとうしんみょう)」の精神と通底している。 |
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お指図は次の通り。
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みき教理は、如何にも宗教的な類の単なる精神的な気休め論ではない。社会生活上の実践的な生活に於ける「あるべき生き方」を指針せしめている。ここにも「みき教理の白眉性」が認められよう。具体的には、諸病息災の元となる権力的抑圧的しがらみから離れて、いったんは「どん底生活」を通じて、その堪能の日々から起き上がり、そこから会得した生活能力でもって「上、高山」、「唐、天竺」を批判し、「人類及び世界の創造神親神の思いに適う陽気遊山の生活、社会、体制」に立ち返るよう「世直し、世の立替え」を指針している。ここが凡百の開祖と異なるみきの特異性であろう。 教理的には、天然自然の理を知り、己の生き方に目覚めた民が、助け合いの陽気づくめの世づくりの変革に向かうよう促している。具体的には、「谷底せりあげ、高山後回し」、「陽気づくめでろっくの地にならす」、「高山削って谷底埋める」、「世界一列をろくぢに踏み均(なら)す」の御言葉がある。 |
(私論.私見)