その8 高う買うて安く売れ式事業商売論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.20日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「高う買うて安く売れ式事業商売論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


「教祖の事業諭しについて】
 直接的には私ごとになるけれども、現在私は地方都市の一角において小事業を営んでいる。ここに至る因果はひとまずおいて、この私の事業において、「みき」の立教から布教への五十年の道すがらこそ、私の事業経営の困難辛苦の遣り繰りに、何物にも替えがたい貴重な財産として指標されているのではなかろうか、と気づかせて頂いている。かって修養科を卒業し「おじば」を離れるにあたってお道に対して抱いた感慨は、私にはしっくりと治まる教えではあったけれども、率直に云って、この教義は一般的には農業、漁業従事者に向いており、あるいは「お道」用語に大工言葉が多いことからそうした土木、建築職種の人向きの教えではなかろうかとの思いにあった。更に云えば、商業的な事業を主とした職種に就こうとしていた私には、個人的な興趣を別にすれば、私の従事しようとする業には接点の薄い教えではなかろうかとの思いにあった。

 何しろ商売についての直接的なお諭しとしては、「高く買って安く売りなさい」と云う、世間常識とは逆の御言葉しか見出せなかったのだから。ところが、小とはいえ会社経営を手掛けて十余年を経て、このところ頻りに次のように気づかせられるようになった。「高く買って安く売りなさい」の教えは、続いてこそ道の、長く続く道の秘訣を教示している。且つ、「みき」の立教に至る道筋より、「堪能」の二十年間にも及ぶ日々の暮らしの折々を経て、漸く布教へ向かう五十年の道すがらの階梯こそ、普遍的に事業発展の行程とその軌跡をも又指し示しているのではなかろうか。(党派の場合は、革命を事業と思えば然りである) この道中に為された、例えば「節から芽がでる」等の「お諭し」、「お話し」、「ひながた」の全てが、日々平坦でない私共の事業を盛りたてていく上での貴重な助言であり、珠玉の目標(めどう)になっているのではなかろうか。そう思い当るに至っている。つまり、「みき」の考究こそ事業経営の発展の道筋をも照らしだす指針を探ることであり、そうとすれば、あたら惜しくも日々を無為に過ごせしことよと嘆くにも値することともなる。とはいえ、有り難くも今日気づかせて頂いたことを何より感謝せねばならぬことと思わせて頂いている。

高う買うて安く売れ式事業商売論
 ここで、教祖の諭しの「高く買うて安く売れ」を愚考してみることにする。商売知らずの教祖の限界的なお諭しかと思っていたが案外そうではない。深い哲理に支えられている名言であることが次第に分かってきた。これを確認しておく。


 概要「明治15年の8月上旬(新暦9月上旬)、兵庫富屋町の富田伝次郎氏は、長男米太郎氏の胃病の難しかったのを、僅か三日の間に不思議に助けられた御礼の故をもって、折柄病気見舞いに来て居られた播州三木町の藤村家の実母じゅん女を伴って、初めて御地場へ参詣せられた。やがて取次の先生に導かれて御教祖に御目に掛かられた。その時御教祖は、氏に向かって、『あんたは、どこからお参りなはった。(私は兵庫から参りました) さよか、兵庫なら遠いところ、ようお参りなさったなあ。あんたは家業は何をなさるな。(ハイ、私は蒟蒻屋をして居ります) 蒟蒻屋さんなら商売人やな。商売人なら高う買うて安う売りなはれや』と、品物を仕入れる際には、問屋を倒さぬよう泣かさぬよう、又品物を売る場合には、お客の得のゆくよう喜ぶよう、高う買うて安う売る。その理によって、自分もまた戻りを喰ったりなどして、損する事のない商法の天理をお説き下された。なお御教祖は、富田伝次郎氏に、引き続いて、『神さんの信心はな、神様を産んでくれた親とおんなじ様に思いなはれや。そしたらほんまの信心ができますで』と、神様を真実元の親様として、絶対の人格的信頼をささげることが、本教信仰の要義である事をも、いとも平易に説いてお聞かせ下されたという」(逸話篇104「信心はな」、昭和四十三年三月二十七日発行「史料掛報」第130号「おぢば参謁記九」白藤義治郎より)。
 「明治15.9月中旬、冨田伝治郎は、当時15才の長男米太郎が胃病再発して命も危ないという事になった時、和田崎町の先輩達によって親神様にお願いしてもらい、三日の間に不思議な助けを頂いた。その御礼に生母の藤村じゅん(註:当時76才)を伴って初めておぢば帰りをさせて頂いた。やがて取次に導かれて教祖にお目通りしたところ、教祖は、「あんたどこから詣りなはった」と仰せられた。そこで、「私は兵庫から詣りました」と申し上げると、教祖は、「さよか。兵庫なら遠い所、よう詣りなはったなあ」と仰せ下され、次いで「あんた家業は何なさる」とお尋ねになった。それで「はい、私は蒟蒻屋をしております」とお答えした。すると教祖は次のように仰せられた。
 『蒟蒻屋さんなら商売人やな。商売人なら高う買うて安う売りなはれや。神さんの信心はな、神さんを生んでくれた親と同んなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心ができますで』。

 ところが、どう考えても「高う買うて安う売る」という意味が分からない。そんなことをすると、損をして、商売ができないように思われる。それで、当時お屋敷に居られた先輩に尋ねたところ、先輩から、『問屋から品物を仕入れる時には、問屋を倒さんよう、泣かさんよう、比較的高う買うてやるのや。それを、今度お客さんに売るときには、利を低うして比較的安う売って上げるのや。そうすると、問屋も立ち、お客も喜ぶ。その理で、自分の店も立つ。これは、決して戻りを喰うて損することのない、共に栄える理である』と諭されて、初めて『成る程』と得心がいった」。
 「明治18年夏、神明組でお話に感銘を受け入信した大阪船場の足袋商、宮田善蔵は、今川清次郎の案内で教祖にお目通りさせていただいた。身上からの入信でない彼はキセル片手に世間話でも聞くように教祖の結構なお話を聞いていたのだが、その中で、『商売人はなあ、高う買うて、安う売るのやで』と言うお言葉だけが耳に残った。そして善蔵は思った。『そんな事したら飯の食いはぐれやないか。百姓の事はご存知でも、商売のことは一向にお分かりでない』と」。
  註/昭和六年四月八日、当時の兵神大教会役員、藤原吉次郎氏が、次の様な話を私(※白藤義治郎さん)に聞かせて下さった。

 「船場の梅谷四郎兵衛先生の御膝許の大阪の某商人信者が、御教祖にお目に掛った時、教祖から、『あんた商売人なら、内の番頭おかんと、世界の番頭置きなはれや。そうしたら、来るお客さんに、老人でも子供でも女でも誰でも、人によって値を上げ下げせず、常に世の人の為めになる番頭置きや。すれば、しまいにその正直知ったら、一人が五人に言う。五人が買いにきて、それ正直知れば又各五人に言う。すれば、五かける五、二十五倍の得がゆくで。それせず、人をだましたり、人によりて値を高下し、時によっては高下げしては、戻り食うて損するで』とお諭しになったと、梅谷先生から聞いたことがある。この場合の富田さんも、『高う買うて安く売る訳がわからんだ』。それでお側の先生に聞いたら、『高う買うとは、元である問屋を泣かすな、問屋の立って行けるよう、比較的高う買う事や。安う売れとは、比較的安くしてお客に売るのや。そうすれば、問屋も立ち、自分も立ち、お客も立つ。これを三点龍頭と言うのや。それで戻り喰うて倒れることなく、皆な立って行くで堅い』と、教えて頂かれたと聞きましたと」。

 2011.5.21日 れんだいこ拝

【値切るな くさすな よるな】
 教祖様御言葉、明治17年、4.9日より。
 「人より物を買う時は、代価を値切りな。(値切るな) また人に物を売る時は、掛け値言いな。(ふっかけるな/ぼったくるな) 人に損を掛けたら、人また我に損を掛けるべし。(人に損させると、損させられることになるぞ)」。

 「普通の家で果物とか、野菜とか、その他の物を買う時に先ず値段を値切る。値切る手段として一生懸命に品物をくさす、ようやく商談が出来ると、今度は目を皿のようにして、一つ一つ選り始めるのが常である。おや様はこの有様を御覧になっての事であろうか、物を買う心得として、『値切るな くさすな よるな』と、仰せられたそうである」。(「教祖と買物」、昭和八年十一月五日号みちのとも「おやさまのことども」柏木庫治より)


   

   さあ/\たすけ一条/\
   父(上川孫兵衛)が初めて「おぢば」参拝した時には、中山家の門前は大字で「参拝人お断り申上候(申し上げそうろう)」とベタッと扉に貼ってあった。それで晩に内緒で裏から入れて貰(もろ)うた。
   父が初めて教祖様(おやさま)にお目にかかった時、
「私(上川孫兵衛)は山城の者で、初めてお参りさせて頂きました」
と申し上げると教祖様(おやさま)は、
まあ山城から。それはご遠方からよくお帰りなはった
と仰せられた。そして、
世の中の人達はな、お金を儲(もう) けるのには人の裏をかいてでも儲けたい我さえよければよい という心。 儲けたら、田買う、畑買う、山も家も買う。家の内が豊かになる。 すると妻があるのに他に女が欲しい というほこりの心がわく。金銭や物のほこり は返せば済むが、女や男のほこりは、なすになされん、返すに返せんほこりや。そうした心のほこりを払う道やで 』と仰せられた。
   私(上川米太郎)の父は、
『教祖様(おやさま)は「世の中の人は」と仰せられるが、その「世の中の人」は私の事でございます』
と、心に八寸釘を打たれている気持ちであった。
   そして教祖様(おやさま)は、
この道は、人をたすける道や。人をたすけて我が身たすかる道やで。たすける理がたすかる理やで。
   人をたすけるにはな、暇を惜しんだり、小遣い銭を惜しんでいるようでは、人をたすけることは出け(出来)んで。さあ/\たすけ一条/\ 』と仰せられた。
   そこで父は悟らせて頂いた。
   そうじゃ、そうじゃ。俺は「暇が無い、銭が無い」と言うて、「自分の都合や勝手」を言うていたら、「人だすけ」というような仕事は出来やせん。
『腹が減ったら飯も食わねばならぬ。道が遠ければ乗り物にも乗らねばならん。そこで「暇」と「小遣い銭」が要る。それを「惜しい」と言うたり、思うたりしているようでは「人だすけ」は出来ないぞ』と仰せられているのである、と悟ったのである。
【註】上川孫兵衛先生は、河原町大教会直轄の斯道分教会初代会長様です。
〔道友社発行「お道と私」上川米太郎〕より


   食べさしたら
(つく)した者に食べさしたら、内の者は増えるで。尽しもせぬ者に食べさしたら、減るぞよ』と仰せられた。
【註】身贔屓(みびいき)、依怙贔屓(えこひいき)についてのお諭し。
〔諸井政一集 後篇 御講話傍聴録 九〕より



 「『尽(つく)した者に食べさしたら、内の者は増えるで。尽しもせぬ者に食べさしたら、減るぞよ』と仰せられた」。(「食べさしたら」、諸井政一集 後篇 御講話傍聴録九〕より)
 「『独り散財大嫌い』と仰せられた」。(「ひとりさんざい」、諸井政一集後篇、御講話傍聴録九より)、(註・「散財」とは、無用、不要のことに金銭を遣うこと。無駄遣い。また、多額の金銭を費やすこと)





(私論.私見)