さあ/\たすけ一条/\
父(上川孫兵衛)が初めて「おぢば」参拝した時には、中山家の門前は大字で「参拝人お断り申上候(申し上げそうろう)」とベタッと扉に貼ってあった。それで晩に内緒で裏から入れて貰(もろ)うた。
父が初めて教祖様(おやさま)にお目にかかった時、
「私(上川孫兵衛)は山城の者で、初めてお参りさせて頂きました」
と申し上げると教祖様(おやさま)は、
『まあ山城から。それはご遠方からよくお帰りなはった』
と仰せられた。そして、
『世の中の人達はな、お金を儲(もう) けるのには人の裏をかいてでも儲けたい「我さえよければよい」 という心。 儲けたら、田買う、畑買う、山も家も買う。家の内が豊かになる。 すると妻があるのに「他に女が欲しい 」 というほこりの心がわく。金銭や物のほこり は返せば済むが、女や男のほこりは、なすになされん、返すに返せんほこりや。そうした心のほこりを払う道やで 』と仰せられた。
私(上川米太郎)の父は、
『教祖様(おやさま)は「世の中の人は」と仰せられるが、その「世の中の人」は私の事でございます』
と、心に八寸釘を打たれている気持ちであった。
そして教祖様(おやさま)は、
『この道は、人をたすける道や。人をたすけて我が身たすかる道やで。たすける理がたすかる理やで。
人をたすけるにはな、暇を惜しんだり、小遣い銭を惜しんでいるようでは、人をたすけることは出け(出来)んで。さあ/\たすけ一条/\ 』と仰せられた。
そこで父は悟らせて頂いた。
そうじゃ、そうじゃ。俺は「暇が無い、銭が無い」と言うて、「自分の都合や勝手」を言うていたら、「人だすけ」というような仕事は出来やせん。
『腹が減ったら飯も食わねばならぬ。道が遠ければ乗り物にも乗らねばならん。そこで「暇」と「小遣い銭」が要る。それを「惜しい」と言うたり、思うたりしているようでは「人だすけ」は出来ないぞ』と仰せられているのである、と悟ったのである。
【註】上川孫兵衛先生は、河原町大教会直轄の斯道分教会初代会長様です。
〔道友社発行「お道と私」上川米太郎〕より