| 医術観、医者の手余りの理、話し医者、神の手余りの理 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.20日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「医術観、医者の手余りの理、話し医者、神の手余りの理」教理を確認しておく。 2006.1.23日 れんだいこ拝 |
| 【医術観、医者の手余りの理】 | |||||||||||||||
御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
教祖は次のようにお話しなされている。
お指図には次のような御言葉がある。
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金光教では次のように説かれている。
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| 【話し医者】 | |
| 教祖みきは『話し医者』と言われていた。単なる篤志家ともオカルトの呪い師でもない。正しい夫婦の有り様、正しい心使い、正しい人生の生き方、そして、正しい世の中を創るために働く事、という話をされた。身分制度のある社会、自分さえ良ければという価値観、他人を倒してでもという考え方、全てが月日親神の願いと相反する。それを順々に諭して伝えたのが教祖みきの教えだと考えられる。 | |
| 「助け人衆は話し医者と呼ばれる時が来る」 | |
| 「人の助けもこの理やで。心の皺(しわ)を、話の理で伸ばしてやるのやで」 | |
「イガの理」。
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「改訂正文遺韻」119頁。
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| 【身体を苦しめて通るのやない】 | |
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ある日、泉田藤吉(註、通称熊吉)が、おぢば恋しくなって帰らせて頂いたところ、教祖は、膝の上で小さな皺紙を伸ばしておられた。そして、お聞かせ下されたのには、「こんな皺紙でも、やんわり伸ばしたら、綺麗になって、又使えるのや。何一つ要らんというものはない」と。お諭し頂いた泉田は、喜び勇んで大阪へかえり、又一層熱心におたすけに廻った。
しかし、道は容易にはつかない。心が倒れかかると、泉田は我と我が心を励ますために水ごりを取った。厳寒の深夜、淀川に出て一っ刻程も水に浸かり、堤に上がって身体を乾かすのに、手拭いを使っては効能がないと、身体が自然に乾くまで風に吹かれていた。水に浸かっている間は左程でもないが、水から出て寒い北風に吹かれて身体を乾かす時は、身を切られるように痛かった。が、我慢して30日間程これを続けた。又、なんでも、苦しまねばならん、ということを聞いていたので、天神橋の橋杭につかまって、一晩川の水に浸かってから、おたすけに廻らせて頂いた。 こういう頃のある日、おぢばへ帰って、教祖にお目にかからせて頂くと、教祖は次のように仰せ下された。
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| 【神の手余りの理】 |
| 【踏み込み末代信心の理】 | |
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(私論.私見)