「価を以って実を買う」。 |
「金銭一つの道じゃない。神一条は金銭ではいかん。‥ 金銭で出来る理であろうまい。神一条は金銭で出来まい」(明治22.8.12、陰暦7.16)。
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「わづか五十年、五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れといへばいこまい、二十年も十年も通れといふのやない、まあ十年の中の三つや、三日の間の道を通ればよいのや、わづか千日の道を通れといふのや」(22.11.7)。 |
「一日の日でも心たんのう(足納)の理は受け取る。金銭の心は受け取りはない。心だけ金銭、何程(なにほど)の金を持って来て、今日からと言うても受け取るものやない。これだけよう聞き分け」(明治23.6.17
午前三時半)。
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「思うよう(に)成るもいんねん(因縁)、成らんもいんねん」。皆んな段々いんねん知らず/\越せば、どんないんねんが持って出るや分からん。どねしても(どのようにしても)成らんがいんねん。金銀力(きんぎんちから)で行けば、世上に一つの理もあるまい。金銀力で行かんがいんねんという」(明治23.8.26
補遺)。 |
「理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く。これ聞き分け」(25.1.13) |
「尽す一つ、運ぶ一つの事情に、理が治まらにゃならん」(25.7.25) |
「日々運び尽す理を受け取りて日々守護と云う」(26.12.6) |
「しんどの中に実がある、楽の中に実がない」(32.12.6)。 |
「これもと(これも、と、)金銭づく(尽く)でする事はどうでもなる。なれど、心を養う理は、金銭ではいかん。これしっかり聞き分け。勝手はならん。金銭で出ける事は小さい」(明治34.5.25)。 |
「人を救ける道なら、救かるは天の理である。日々の理である。この道理聞き分けてくれ」(明治34.11.4)。
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「〈神の〉自由(じゅうよう)〈の守護〉というは、何程(どれだけ)の金銭積み立てたと言うて(いうて)成るものやない」(明治35.10.7)。 |
「道という尋ねる一つ理、所々一つ〈教会〉名称、この理〈、〉金銭や智者学者で出来たものやない」(明治37.7.15)。 |
「元というものは、金銭ずくめ(尽くめ)で買えるものやない。真実の一つ心を出し、一つどうこう理を尋ねば、心は勇んで来る」(明治37.12.17)。 |
「この道というは、もう言うまでのものである。金銭ずくで求められやせん。国々所々あちらこちら遠き所より運び来る。又、日々稼ぎという、皆な働いてる人の事を思え。金銭稼ぎ、朝晩(朝から晩)
まで働いたとて、何ぼうの(どれだけの)あたゑ(与え)あるか、よう思案せい」(明治40.4.10、陰暦2.28、午後五時半)。 |