その4 7層倍の理、繁盛論、一粒万倍論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「七層倍の理、繁盛論、一粒万倍論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【七層倍の理】
  奥野道三郎氏談 「奥野道三郎氏の話(その八)、余禄」。
 教祖は、『無理な願はしてくれな』とおっしゃる。だが、『子供が、火断ち、穀断ちをして願えば、親は、子供可愛いゆえに一時きいてやる。だが、七層倍の理にかえる』と仰せられたと聞かしてもらいます。

【繁盛論】
 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 段々と 心勇んで 来るならバ
 世界世の中 ところ繁盛
一号9
 日々に 世界の心 勇むなら
 ものゝ立毛(りうけ、農作物)ハ 皆な勇みでる
三号143
 また助け 立毛一列 どこまでも
 いつも豊作 教えたいから
十二号96

 教祖は次のようにお諭しなされている。

 逸話篇「142、狭いのが楽しみ」。
 「深谷源次郎が、なんでもどうでもこの結構な教を弘めさせて頂かねばと、ますます勇んであちらこちらと”においがけ”に”おたすけ”にと歩かせて頂いていた頃の話し。当時、源次郎は、もう着物はない、炭はない、親神様のお働きを見せて頂かねば、その日食べるものもない、という中を、心も倒しもせずに運ばして頂いていると、教祖はいつも、『狭いのが楽しみやで。小さいからというて不足にしてはいかん。小さいものから理が積もって大きいなるのや。松の木でも、小さい時があるのやで。小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで』と、仰せ下された」

 お指図は次の通り。

【一粒万倍論】
 教祖は、ある時一粒の籾種を持って、飯降伊蔵に向かい、次のようにお諭しされている。
 「人間は、これやで。一粒の真実の種を蒔いたら、一年経てば二百粒から三百粒になる。二年目には何万という数になる。これを一粒万倍というのやで。三年目には大和一国に蒔く程になるで」(逸話篇30「一粒万倍」)。

 お指図は次の通り。
 「日々尽して嬉しい。尽さずして種を蒔けば、日々帳面をよごして居るようなもの。日々帳面消して居るようではどうもならん。日々嬉しい一つの種は、一粒万倍に成りて来る。これは実が実やないか、反故かうそか、世上の理をみれば疑いあろうまい」(明治24年12.19日)。
 「雨ふる中も段々しのぎ、百石まいて一粒万倍といふ」(明治29.10.10日)。
 「不自由すれば不自由は一粒万倍にしてかやす」(明治31.4.20日)。
 「心配は楽しみの種、一粒万倍といふ事はもうとうから/\諭しおいたるほどに」(明治38.12.4日)。





(私論.私見)