実践論その5 普請論、人材結集論、棟梁論、真柱論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「普請論、人材結集論、棟梁論、真柱論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


普請論】
 お道の「普請論」は、「形の普請」と「心の普請」の両面から成り立つ。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 無性やたらに 急き込むな
 胸の内より思案せよ
八下り目六ッ
 何か心が 澄んだなら
 早く普請に 取り掛かれ
八下り目七ッ

 教祖は次のようにお諭しなされている。

  大正12年4月「よのなか(第43号)」(天理教よのなか社、代表・上原義彦)、「神の用木」の桝井きよ「普請に譬えて」より
 「御教祖が、普請に譬えて色々に諭されてあります。その中に、『大工が木を使うにも、節なく曲りないものは四角柱として大黒柱にするが、三方きれいでも一方に節があれば、三方見えても一方は隠れる所に使う。四方とも節だらけで、見苦しいものは土台とか塗り込み柱に使う。道具も使い良いものは、誰にも重宝がられるが、使い悪いものは、仕舞いには納屋の隅に捨てられる。人間もその通りである』、と仰せられたことがあります」。

 お指図には次のような御言葉がある。


人材結集論】
 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。

 教祖は次のようにお諭しなされている。
 昭和13年4月号みちのとも「傷病兵を憶ふ」、佐津川準の「針金と藁しべ」より。
 「教祖様のお話として伝えられる中に、次のような一節がある。『何ぼ太い針金でも一本やったらプツンと切れてしまい。細い細い藁しべでも沢山よせて縄になえば、千石船でもつなぎ止めることができる』」。
 お指図には次のような御言葉がある。

【棟梁論】
 教祖は、「お道」の指導者に対して「棟梁」(とうりょう)という大工用語を使って諭されている。その用語には、荒き棟梁、建前(たてまえ)棟梁、小細工(こざいく)棟梁、鉋(かんな)棟梁の四棟梁がある。荒き棟梁とは、直訳では「山の中へ分け入って荒木を切り出す棟梁」という意味になる。意訳では、困難が待ち受ける局面に雄々しく立ち向かい「お道」を牽引する指導者と云う意味になろう。天理教青年会員はこの「荒きとうりょう」を自任していることから、天理教青年会の代名詞として使われている。組織の全体を立体的に束ねるのが建前棟梁で、その建前棟梁を補佐して細かい指示を出すのが小細工棟梁。これをさらに補佐して信仰に磨きをかけるのが鉋棟梁と云う関係にあるものと思われる。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 良き棟梁が あるならバ
 早くこもとへ 寄せておけ
十二下り目四ツ
 いづれ棟梁 四人いる
 早く伺い 立てゝみよ 
十二下り目五ツ
 山の中へと 行くならバ
 荒き棟梁 連れて行け 
十二下り目八ツ

 これは小細工 棟梁や
 建前棟梁  これかんな
 

十二下り目九ツ
 この小人 今度かやした 事ならバ
 これにいほんの 棟梁となる
号外

 荒き棟梁(とうりょう)論。

 教祖は次のようにお諭しなされている。

 「国の架け橋、丸太橋、橋がなければ渡られん。荒き棟梁/\」。

 お指図は次の通り。


【人の上に立つ者の心得論】
 「上に立つ者は」(大正五年四月号みちのとも「御本席十年祭を迎へて」武谷兼信より)。
 「聞くところによれば、御教祖が御本席に向かって、『理を立てて身が立つ。人を立てた理によって我が身が立つ。必ず人様を立てるようにして自分に上らぬようにせよ。よしや人々より立てらるゝ身となっても、高い心を使わぬようにすることが肝要である。その位置は高くなっても、その心は低く持つようにせよ。十人の上に立てられたならば、十人の上に立って、十人の上の仕事はしていても、その心は十人の一番下に置くように。百人の上に立てられたならば、百人の上に立って、百人の上の仕事はしていても、その心は百人の一番下に置くようにせよ。千人万人の上に立てられた場合も同様、その心は千人万人の一番下に置くようにせよ』と。懇々とお諭し下されたとのことにて、ご自分はこの御遺訓を、身の守りとして通らせて頂いていると折々仰せられておったとのことである云々」。

真柱論】
 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。

 教祖は次のようにお諭しなされている。
 お指図には次のような御言葉がある。






(私論.私見)