実践論その3 布教論、理の親(親の理)論、講を結べ論

 更新日/2018(平成30).4.26日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「布教論、理の親(親の理)論、講を結べ論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【布教論】
 お道教義では、用木となった道人が積極的に布教に向うよう要請されている。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。

 教祖は次のようにお諭しなされている。
 「某本部員先生が、未だ本部の野仕事を手伝うて居られる当時の事であった。或る日、裏で踏臼に穀物を入れ、足で臼をついて居られると、教祖が裏庭へ見回って来られた。そして面白そうに臼つきを暫らく御覧になっていたが、フト御教祖は先生を顧みて、次の如く仰せられた。『○○さん、お道もその踏臼と同じことや。一生懸命足で運ぶのや。運んで杵(きね)をきかすのや。話を聞かすのや。そうすると粕と正味がひとりでに分かれてくる。糠が取れたら玄米が白米となる。垢さえ取れたら、どんな人でも皆善い人になるのや」(「道と踏臼」、大正十一年八月五日号みちのとも「理ぜめの世界」芦田義宣より)。
 「神様が『情に流されな』と仰せにてございました。あちらの顔眺め、こちらの顔眺めて、『遠慮するのやないほどに。神の用さえ勤めておれば、それでよいのや。人間の遠慮はいらんもの。人間の遠慮は、すっきりいらんものやで』」(「遠慮はいらん」、道友社新書26「先人の遺した教話(五)誠真実の道・増井りん」107ページより)。

 お指図には次のような御言葉がある。

【理の親(親の理)論】
 天理教では、用木となった道人の布教の結果として信者が生まれた場合の、布教した者を「理の親」、された者を「理の子」として擬制的な親子に関係づける。これを「理の親制」と云う。天理教組織は「理の親制」の発展系として成立している。これを教会秩序で言えば、末端教会が「理の子」、その上級教会が「理の親」。さらにその上の教会、大教会がその下の教会に対して「理の親」となり、教会本部が最終的な「理の親」になる。本来の教理では、二代真柱発言「理の親は教祖だけである」、中山善衛三代真柱発言「理の親という言葉は、教祖以外に使うべきではない」 が正しく、「理」の前では教祖だけが「理の親」であるが、その擬制組織として天理教会が秩序化されている。要するに必要悪(「悪」とは言い切れまいが)である。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 教祖は次のようにお諭しなされている。
 お指図には次のような御言葉がある。
 「親と称え(とな)え親と言うは、子供育てるも、いかなる道を通る。親の心 真実道を知らせば 親と言う」(明治20年4月、補遺)。
 「古き者は 親と思え。親となれば 子は可愛(可愛い)というもの。皆な満足さして治めにゃならん。子供は子供だけの事。腹を立てゝ(立てて)は、親であらせん。親となれば 子を可愛との心にならねばならん。子を憎む心では親でない。この理をよく聞き分けておけ」(明治21年6.30日、補遺)。
 「皆なをやの代り(月日親神・教祖の代わり・代理)をするのや。満足さして連れて通るが親の役や」(明治21年7.7日)。
 「取次(とりつぎ) をやの使いなら、をやの代わりや/\」(明治21年8.6日)。
 「取次/\と言う。取次は をやの代わりや。をやの代わりなれば 遠く所 分かり難(がた)ない。伝えにゃなるまい。聞かさにゃなるまいという」(明治21年8.6日)。
 やれやれという、はるばる遠くの所から出て来れば、暑ければ暑かったであろう、寒ければ寒かったであろうなあ、という。麦という、麦に太白を入れて、何でも一寸/\出さねばならん。なれど世上の事情あるから、今一時一寸すたって了うようなものや。世界より何か事情はないかと狙ろうて居る。敵を受けて居るなれど、何でも彼でも出さにゃならん。いかなる者も出て来る。出て来たなれば、暑ければ暑かろう寒ければ寒かろうと、満足さすが親の理(明治23年6.23日)。
 「をやの代わりをやの代理 という理を聞き分けるなら、見て直ぐと治まる」(明治23年11.23日)。
 「親という理になって、どういう事も こういう事も親に計(はか)れば、一寸(ちょっと)に理を聞き分け。十分 子が成人する。親々の理 子にある。子に真実誠あれば 理がある。 古い者は親ともいう」(明治24年1.8日)。
 「親の役なら どんな事でも被(かす)かにゃならん。善き事も被くが親の役」(明治24年1.8日、補遺)。
 「親という理を聞き分け/\。目の前だけの親ばかりやない。目に見えん親もある。現在の親という、親の理を見て 治めるなら鮮やか」(明治28年8.3日)。

 「何でも親という理戴くなら、いつも同じ晴天と諭しおこう」(明治28.10.24日)。

 「‥教祖代理」(明治31年8.26日)。
 「あちら たんのう(足納)さし、こちら たんのうさし、親の役、これ聞き分け。‥それ/\(それぞれ)たんのう与え。親与えば 神が与えるも同じ事。この一つの順序を、よう諭しおこう」(明治33年6.1日)。
 「心に大き思やん(大きい思案)持ってくれ。大き心(大きい心)持てば どんな働きもある/\。まさかの時には月日の代理(月日親神の代理)とも言うたる」(明治35年7.23日)。






(私論.私見)