祖母のこよしは、現在の天理市~の出身です。家は吉田という姓の農家で、彼女の姉が福井鶴太郎の嫁でしたから、その妹のこよしが、(中山)重吉自身か又は鶴太郎の母である(中山)おマサさん(
教祖の長女 )の眼にとまったものと推測されます。いづれにしてもおマサさんは、二人の結婚について、教祖の思召を伺って決めようと考えたのです。二人の性格のちがいを気にしていたためかもしれません。おマサさんはある日、二人を連れてお屋敷を訪れました。『よう来たなあ』。教祖は若い二人を、いつものお言葉でお迎えになりました。深い、静かな響き、それでいてホカホカと温みの伝わるお声です。その後の展開が、しかし面白いことになりました。多分おマサさんが、二人の結婚話について何か申し上げてからでしょうか。教祖は重吉に向かい、『お前、盆の音頭をとりなされ』と仰り、こよしに対しては、『こよし、お前は盆の踊りをするのや』と言われたのです。二人は異口同音に「はい」とお答えしました。二人とも少しもためらいません。不思議といえば不思議です。教祖のお言葉には、何か人の反抗を許さない力があるかのようです。教祖が明るいほほ笑みの浮かぶお顔を向けられると、誰もがすうっと素直に、教祖に従う気持ちになるのです。こうしてお居間は、たちまち盆踊りの華やいだ空気に包まれました。重吉の評判の喉が、快い律動感を奏でます。軽やかな、こよしの手足の動き、身のこなし、それらが宙に立体的な絵を描きます。呼吸はピッタリ。重吉は天性、声がよく、節回しがうまかったそうです。盆踊りの時節が来ると、三島村の若い者が集まって、「重吉さん、音頭たのみます」ということになるのでした。お人よしで、頼み易かったのと、また断れない性質であったためか、いつもじいさんがやらされた、と母がよく話したものです。こよしはこよしで、踊りが好きでした。自分の村の盆踊りには、欠かさず出て踊ったのです。教祖はその辺を、よくお見通しでいられたのでしょう。重吉とこよしとは、こうして教祖に仲を結んでいただく事になりました。のちに二人が述懐したと伝えられている話では、盆踊りのあとで二人は「十年もの長い間付き合ったような親しさを感じた」ということで、二人とも喜んで結婚することにしたのです。男女が隔てなく交際できるような世の中ではありませんでしたから、それまでの二人は、もし知っていたとしても顔見知り程度に過ぎなかったと思います。それが、教祖のはからいで互いの気持ちがほどけ、その場ですっかり意気投合したのでした。 |