その2 縁談見合い論、結婚論、妾論、離縁論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.8日

(れんだいこのショートメッセージ)
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 2016.02.29日 れんだいこ拝


【縁談見合い論】
 教祖の前で縁談」(天理時報昭和53年5.28日号の中山慶一「別窓閑談 祖父母の結婚話」より。
 祖母のこよしは、現在の天理市~の出身です。家は吉田という姓の農家で、彼女の姉が福井鶴太郎の嫁でしたから、その妹のこよしが、(中山)重吉自身か又は鶴太郎の母である(中山)おマサさん( 教祖の長女 )の眼にとまったものと推測されます。いづれにしてもおマサさんは、二人の結婚について、教祖の思召を伺って決めようと考えたのです。二人の性格のちがいを気にしていたためかもしれません。おマサさんはある日、二人を連れてお屋敷を訪れました。『よう来たなあ』。教祖は若い二人を、いつものお言葉でお迎えになりました。深い、静かな響き、それでいてホカホカと温みの伝わるお声です。その後の展開が、しかし面白いことになりました。多分おマサさんが、二人の結婚話について何か申し上げてからでしょうか。教祖は重吉に向かい、『お前、盆の音頭をとりなされ』と仰り、こよしに対しては、『こよし、お前は盆の踊りをするのや』と言われたのです。二人は異口同音に「はい」とお答えしました。二人とも少しもためらいません。不思議といえば不思議です。教祖のお言葉には、何か人の反抗を許さない力があるかのようです。教祖が明るいほほ笑みの浮かぶお顔を向けられると、誰もがすうっと素直に、教祖に従う気持ちになるのです。こうしてお居間は、たちまち盆踊りの華やいだ空気に包まれました。重吉の評判の喉が、快い律動感を奏でます。軽やかな、こよしの手足の動き、身のこなし、それらが宙に立体的な絵を描きます。呼吸はピッタリ。重吉は天性、声がよく、節回しがうまかったそうです。盆踊りの時節が来ると、三島村の若い者が集まって、「重吉さん、音頭たのみます」ということになるのでした。お人よしで、頼み易かったのと、また断れない性質であったためか、いつもじいさんがやらされた、と母がよく話したものです。こよしはこよしで、踊りが好きでした。自分の村の盆踊りには、欠かさず出て踊ったのです。教祖はその辺を、よくお見通しでいられたのでしょう。重吉とこよしとは、こうして教祖に仲を結んでいただく事になりました。のちに二人が述懐したと伝えられている話では、盆踊りのあとで二人は「十年もの長い間付き合ったような親しさを感じた」ということで、二人とも喜んで結婚することにしたのです。男女が隔てなく交際できるような世の中ではありませんでしたから、それまでの二人は、もし知っていたとしても顔見知り程度に過ぎなかったと思います。それが、教祖のはからいで互いの気持ちがほどけ、その場ですっかり意気投合したのでした。

【抱きつき論】
 「沢田善助さん(善次郎の父)から聞いた話。『心と心と合うたら、みちのりどれ程隔たってても、だきついて寝てるようなものや。だきついて寝てても心が隔たったら、千里も隔たったようなものや』と教祖様が仰ったと云う」。(「心と心が合うたら」、「復元」第十八号「教祖様の思い出その他」梶本宗太郎より)

【言葉一つ】
 稿本天理教教祖伝逸話編137「言葉一つ」。
  「教祖が、桝井伊三郎に次のようにお聞かせ下された。『内で良くて外で悪い人もあり、内で悪く外で良い人もあるが、腹を立てる気儘癇癪(かんしゃく)は悪い。言葉一つが肝心。つく息引く息一つの加減で内々治まる。伊三郎さん、あんたは外ではなかなかやさしい人付き合いの良い人であるが、我が家に帰って、女房の顔を見てガミガミ腹を立てて叱ることは、これは一番いかんことやで。それだけは今後決してせんように』。桝井は、女房が告げ口したのかしら、と思ったが、いやいや神様は見抜き見通しであらせられる、と思い返して、今後は一切腹を立てません、と心を定めた。すると、不思議にも、家へ帰って女房に何を言われても、一寸(ちょっと)も腹が立たぬようになった」。

【妾論】
 「めかけ(妾)を置く心の理は、泥海世界の時は男女皆ごぢや/\(混合)に住んでいたものであるから、その時の癖が今に尚残っていて直らぬとのことである」。(「家内の者の病について」、 「復元」第二十二号「教祖様のお話」梶本宗太郎より。大正六年六月九日、御母堂様に聞く)。

【離縁論】
 梶本、まさゑの事情願い。
 「さあさぁ指図/\、前々の掛かり一つ縁談、皆な諭したる。誰々との縁はない。あちら伝え こちら伝え、やれ嬉しいと〈心と心の〉理が合えば、十分の縁と知らしてある/\。それが生涯の縁と言う。一時尋ねる処、将来の理に治まらねば治まろうまい。この屋敷十分と思うた中に、どういうものと思うやろ。無理という理は治まらんと言う。一つの話の理になるやろ。神様の指図ならばと言うても、後々〈に〉事情を拵え〈れ〉ば止めるに止められん。こういう事にな〈るのであ〉れば、〈夫婦の間を〉ほどいて了(しも)うてやれ。あゝいう風になりても後々に、神様は親切やい、成程という〈日が来る〉。夫婦の中切れたという。夫婦の縁はなくとも、互い/\〈一れつ〉 兄弟という縁は結んでくれ。‥これまで夫婦の中、罪の絶えもなき日を送りた。なれど、十分なら運ぶがよかろう、と諭したる (諭してある)。なれど、よかろうと思うた理が悪くなる。不承/\(ふしょうぶしょう)の理は治まらん。すっきりするがよい/\」(明治28.5.22日朝)。

 当時、婚姻には「足入れ(試用期間か)」と「輿入れ(正式入嫁)」とがあり、また婚姻外の「妾(めかけ)」などがあったが、この御指図は現在の「縁談の破談」 ないし「婚姻の解消」にあたる件についてのお諭しと思われる。




(私論.私見)