原理論その3 最後(だめ)の教え、学問にない教え、平仮名の教え、宝の山の教え

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.5日

 (れんだいこのショートメッセージ)

 ここで、お道教理としての「最後(だめ)の教え、学問にない教え、平仮名の教え、宝の山の教え」教理を確認しておく。

 2003.8.29日 れんだいこ拝



最後(だめ)の教え
 天理教教理は、自らの教えを「最後(だめ)の教え」と位置づけている。「だめ」を漢字で書けば「最後」(だめ)であり「駄目」(だめ)の方ではない。囲碁の「ダメ詰め」に近い意味で、「究極の最後の教え」を含意している。これを自意識過剰と見なすか見なさないかは受け取りよう自由であろう。天理教に限らずどの宗教も多少なりとも自意識過剰な面を持っており、独り天理教のみが責めを負うべきではなかろう。

 2016.6.27日 れんだいこ拝

【この道は、どういう事に思うかな。この世を治める真実の道】
 
 この道は どういう事に 思うかな
 この世を治める 真実の道
六号4

 松本滋・氏の「人間の元なるもの」が次のように記している。
 「『これまで人間には、知恵も仕込み、学問も仕込み、よろづのことを段々と教えてきて、十のものなら九つまで教えたで。このたびは残り一つの理を教えるで。それで『十目(とめ)の教え』や、だめの教えやで。人間は、これまでに、九つまで教えていただいているから、世上では何不自由なく、便利で結構な生活をさせていただいている。なれど、たつた一つの不足がある。それは、めいめい思うことが思うようにならん。しようと思う事が成らずして、しようまいと思う事が成ってくる。それで嘆いている。そこで、このたび、思い通り思惑通りに叶うようになる理、『自由自在』(じゆうようじざい)という理を教える。この一つの理教えたさに天降りたのや』、とお話されたと伝えられている」。
 次のようにも説かれている。
 「これまでのいろんな宗教の開祖・宗祖、偉人・哲人・先人の教えはいったい何だったのでしょう。それは人間の成人に応じてお教え下さった修理肥であるとお聞かせいただくのであります。今までのそうした先人君子・宗祖開祖の教えは、十のものなら九つまで教えてきたその九つの中の一部であります。では本当の、本真実の教えとは何か。親神様が中山みきという教祖に入り込んで、そして私たちの目で見える姿、耳に聞こえる声として五十年の人間生活の中で教祖がお教え下さいましたのが、その後(あと)の一つの最後(だめ)の教え、最後(だめ)の一点であります。その最後の一点とはなんぞやと言えば、これは、人間の元なる親を知らせて下さったということであります。即ち、天理王命様が人間の親である。それが故に人間は親神様の子供である。だから、世界には黒い人・白い人・黄色い人、様々な人々がおられますが、人類は皆な等しくこの親から創られたのでありますから『一列兄弟である』と教えて下さったのであります。そして、
 月日にわ にんけんはじめ かけたのわ
 よふきゆさんが みたいゆへから
一四号25

 と、人間生活の目標(めどう)が『陽気ぐらしの世への立て替え』であることを、私たちははじめて教えていただいたのであります」。

【お道の教えとは既成学問にない本当の教えや】
 「天理教教祖伝 第六章 ぢば定め」を参照し、輔弼しておく。教祖は、お道教義の特徴につき次のように述べられている。
 「教祖は、大和(おやまと)神社の神職達に、親しく会う、と仰せられ、衣服を改めた上、直々お会いなされ、親神の守護について詳しく説き諭された。神職達は、 それが真(まこと)なれば学問は嘘か、と尋ねると、教祖は、学問にない、古い 九億九万六千年間のこと、世界へ教えたい。習いにやるのでもなければ、教えに来て貰うのでもないで。この屋敷から教え出すものばかりや。世界から教えてもらうものは何もない。この屋敷から教え出すので、理があるのや』と仰せられた。神職達はあきれて、また来る、と言い残して立ち去った」。
(私論.私見)

【この道は智恵学問の道やない】
 教祖逸話篇(十)190「この道は」。
 「明治19年夏、松村吉太郎が、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。多少学問の素養などもあった松村の目には、当時、お屋敷へ寄り集う人々の中に見受けられる無学さや、余りにも粗野な振舞などが、異様に思われ、軽侮の念すら感じていた。ある時、教祖にお目通りすると、教祖は、『この道は智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや』、と仰せになった。このお言葉を承って、松村は、心の底から高慢のさんげをし、ぢばの理の尊さを、心に深く感銘したのであった」。

【この道は安売りしない、向こうから訪ね来る道である】
 増野鼓雪選集第1巻、講壇146p(昭和45年10月発行)「世界からたずねてくる道」。
 「私らの子供の時分にも、この道の話しは心のあるものより他に聞かしてはいかん、ということをよく聞かされたが、聞きたくない人にいくら舌を振るって聞かしても、それはついに無駄事になってしまうから、本当に聞きたいとて訪ねてくる人より他に話をしてはいかん。教祖も訪ねてくればどんな話しもして聞かすとおっしゃって、自ら世界に出て売って歩くようなことはなさらなかった。きれいな水ならば誰でも貰いにくる。汚い水は貰ってくれと言うて歩いたところで貰ってくれない。又、教祖は、『この道というは不思議の理さえあれば、世界から訪ねてくるのやで』、とも仰せられた」。

【平仮名の教え】
 「高弟列伝第五編/鴻田忠三郎」の「道の祝詞」(大正13年1月、三才社、発行兼編集人は桝井孝四郎より)。
 (要約)「祭事の祝詞を作らせて頂くにあたり、鴻田忠三郎さんが親戚の神官・守屋秀雄さんから草稿を貰って作られていた時に、教祖様が仰られた御言葉。『鴻田さん、お道にそんな難しい祝詞はいらん。心通りの御守護下さる、これが祝詞や』」。

【宝の山の教え】
 「171.宝の山」は次の通り。
 「教祖のお話に、『大きな皮に橋杭のない橋がある。その橋を渡って行けば宝の山に登って結構なものを頂くことができる。けれども、途中まで行くと橋杭がないから揺れる。そのために途中から帰るから宝を頂けぬ。けれどもそこを一生懸命で、落ちないように渡って行くと宝の山がある。山の頂上に登れば、結構なものを頂けるが、途中で険しいところがあるとそこから帰るから宝が頂けないのやで』、とお聞かせ下された」。




(私論.私見)