おやさま御口伝1

 最新見直し2012.9.5日

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 2012.9.5日 れんだいこ拝


【「年のよるのを、まちかねていた」】
 「正文遺韻抄」p140-p141「年のよるのを、まちかねていた」。
 「一つには、四十台や五十だいの女では、夜や夜中に男を引きよせて、話をきかすことはできんが、もう八十すぎた年よりなら、誰も疑う者もあるまい。また、どういう話もきかせられる。仕込まれる。そこで神さんはな、年のよるのを、えらう、お待ちかねで御座ったのやで」。
 「八十すぎた年よりで、それも女の身そらであれば、どこに力のある筈がないと、だれも思ふやろう。ここで力をあらはしたら、神の力としか思はれやうまい。よって、力だめしをして見せよと仰有る」。

【「ヘタを食うか実を食うか」】
 桝井孝四郎「おさしづ語り草 下」 130、131頁 「ヘタを食うか実を食うか」。
 「これは私のさめ母から聞いたお話であるが、教祖は常に目の前に見えるところの品物で、子供によく得心のいくように、お話を下さったのである。ある時、教祖の前に出さして頂くと柿があった。その柿をもって私のお母さんにかように諭して下さった。『皆さん、柿を食べる時には、どこからかぶりなさるな。うまい頭から食べなさるやろがな。お道を通らせて頂くめんめんは、我が身へたを食べて、人さんにうまい頭を食べてもらうように、心がけて通らせてもらわんことにゃ、いきませんのやで』と。こう仰せ下さるように、教祖をはじめ先輩の先生方は、身上たすけであるとか、事情の解決であるとか、即ち人に喜んで頂くよう、頭のうまい所を食べて頂いて、しかも人からは阿呆のように糞かすに言われて、我がへたを食べてお通り下さったのである。へたを食べたら後にうまい頭が残る。だからして、初代の方々はへたを我が身で食べて喜んで通られた理が、ご自身には会長になろうという考えは毛頭なかったけれども、教会の会長さんにもなっておられる、道の頭になっておられるので、これが天理である。教祖がこう仰せ下されたのであるが、これと反対に、我々お互い二代、三代、四代の者は、苦労というへたを食べないで最初から頭を食べるから、最初から頭になるものだから、へたが後に残って、案外、下手ばかりするのである。これは我々お互いの通り方として、よく思案をさせてもらわなけりゃならん」。

【「あほが神の望み」】
 「山澤先生の御話(一)」の「あほが神の望み」(大正十一年十月五日号みちのとも)。
 「 親様は、『学者は後廻し』と仰有ったが、学者は後回しとは、何も親様に於ても後に廻したいことはないのだが、学問を研究した人、世間の事も知って明るくなると、俺が偉い俺が賢いという心で人を下目に見る様な心持ちになって、世に云う学者高慢と云う風に人の云うことは何でも、取るに足らんと云う様なのが多い。しますからして聞く心がなければ、無理にどうとは仰せられません。御言葉に『来んものに無理に来いとは云わんでな、つき来るならば何時までもよし』と仰ってありますから、学者でも同じ様に、この教えを一般の者に早く聞かして眞の道を通したいというのが、親様の思召であるのだが、『聞く心が無いとすれば仕様がない。然し早いか遅いか何れかに解って来る時もあるやろ、ついて来る。』と仰ってあります。で、一つには、『道は下から』又一つには、『神はな、あほなものが欲しい、あほが神の望み』と仰った事がある。何も『阿呆というても西も解らん、東も解らん道理の暗い様なものは役にたゝないのである。理と非とがよく解るものでなければならぬ。真に教えの理をきゝわけた以上は、人に笑われそしられようが厭わないという決心の決まった阿呆でないと、本当に道について通り切ることがしぬくい。その阿呆でも、道についてだん/\慕って来れば後では出世さすのやで』と親様は仰りました」。

【「タンノウ座談」】
 ※昭和十一年六月号みちのとも「第四回教義及史料集成部座談会ーたんのう」より(高井→高井猶吉、平野→平野好松、桝井→桝井孝四郎、中台→中台赤太郎、小野→小野靖彦)
中台  いざ、と言う時に『なむ天理王命』と云うて行くと向うが治まる。それから道がスーッと伸びる。と云う事を明治二十年頃によく聞かして頂いたが、それは今後の事でしょうかね。道へ対しての圧迫が、グーッと来て、連れ信心をして来た者は皆散ってしまうと言う事も聞かして頂いていますね。(中略)
小野  お勤めに、いざ、と言う時にするお勤めが御座いますね。どういう時になさるものですか。又今迄になさった事がありますか。
高井  どうしても治まらんと言う事が起こった時にする。そんな事は今迄に無いわな。
小野  例えば。
桝井  世界大戦の様な時や。
高井  そうや、そう云う場合や。もうどうにもこうにも治まらんとなった中に治めに出る。こっちからも向うからもやり合うてる真ん中へ出るのや。そしたらこっちからうったのはこっちへ当り、向うからうったのは向うへ当る。人うとゝ(人を撃とうと)思たら我が身うつね。人殺そと思たら我が身殺すね。そやから真ん中へ出る。そしたら、何故かと言うて尋(た)んねる。尋んねられたら、『日本は兄。外国は弟。弟から兄を敬う。兄は弟を可愛がる。この道を明らかに立てたら謀叛治まる。』と、こう言えと仰った。よっぽど精神の決まった者やなけりゃ、そんな中へ出られん。たま当らん丈の精神持って出にゃ出られんわ。誠が有れば当る気遣いは無いのですな。どっちも可愛いて云う親心持って出りゃ当る様な気遣い無いわな。身勝手引くのやったら危ない。やっぱり当るわな。肥勤め教えといて下はっても、肥置く旬来ねばせえへんわな。この勤めも、教えとかはっても旬来なせえへんわな。然し其の時になってゞは遅いから、先へ教えといて下はるのやわな。雨多いよって預けようと云うお勤めは教えといて下はっても、その時来なせえへんわな。
桝井  雨あずけの勤めも未だしませぬな。
高井  そうや、未だせん。雨降って/\しょう無い時はまだ無いからや。
中台  雨乞い勤めは明治十六年だけですか。
桝井  河内でもしました。
小野  山城でもしました。
平野  難しい病人でおさしづ願うて、”たんのう”せ。”たんのう”さしてやれ。と云うお言葉有ると、皆出直してますね。私の父もそうでした。成らん中通って来た。道ならこそ通ったのや、通したのや。後々案じる事無い。互い/\話せよ。”たんのう”さしてやれ。と仰せ下さって、本部から高井先生来て下はる時にも『”たんのう”さしてやれ』と仰って下はったら出直してしもた。
桝井 ”たんのう”と云うのは味わいのある言葉やな。
高井  雨乞い勤めの祈祷でも、他では一週間位は短こうても勤める。この神様は、『今くれ。と願え』と仰せられる。旱(ひでり)で焼けて困ってるのに一週間もかかって雨降って、そんな雨何になるか。『今くれ。と願え』と仰せ下されて居る。あの時も今くれ言うて願ごたら直ぐ降って来た。お勤めにかかったら降って来たのや。そやから、もうどうにもこうにも仕様ないと、もう声上げる様になってからするのやわな。せやなけりゃ、なーに、と云うて人間の力でやってる。剛情がとれん。もうかなわん、と言う様になってから助かったら、あっちも気付きよる。こっちも気付きよる。なーに、どうでもやろうと言う間は一つも気付きよらへん。(後略)

【「蚊の鳴く如くの日」】
 「改訂正文遺韻」P119-120「蚊の鳴く如くの日」。
 「いつのいつかとは日はきらんが、刻限だけ云うておく。朝日の出から日の入りまでを気をつけねばならん。世界は、蚊の鳴く如く、あちらも、こちらも、蚊の鳴く如くの日があるで。その日来たなら、やれ、こわやと思うやない。恐いと思うら、世界の”り”に巻き込まれるで。あゝ、きかしてもろうた事を、みせてくださると思うて、心勇んでつとめにかゝれ。この世のしょうぐん、このところより、さづけるようになるのやで」。

【「神楽面について」】
 「神楽面について」。※昭和十一年六月号みちのとも「第四回教義及史料集成部座談会ーたんのう」より(高井→高井猶吉、上田民→上田民蔵、桝井→桝井孝四郎、中台→中台赤太郎)
高井  書いたもん何んぼあってもあかん。今、書いたもの何もあらへんもの、覚えてる丈や。その代りゆっくり話したら何んぼでも話する。一晩も二晩も寝んと話した事なんぼでもある。
桝井  これから、先生お話なさる事仕事にして下さい。
高井  そら、ぼつ/\やったら何んぼでも話する。神楽の胴でも寸法聞きに来るけど、この寸法どういう理かと誰もききに来ぬ。寸法だけ尋んねに来るから寸法だけ言うたる。御神楽の獅子でも、教祖さんに持って行って恐い顔しとるの男やと思て言うと『いゝや違う』、優しいの女かと言うと『違う、のんびりした優しい顔が男や。ヤーッと怒ったんが女や』と仰せられた。あゝ俺の思てるのとあっちこっちや。それからよう問うと、恐い顔してるの”おもたりのみこと”で剣がある。邪険と言う。男の方は剣がない、円い玉がある。
中台  それで今のお面でもそうですね。
高井  人間の道具の理は、教祖六十歳に成るのを待ち兼ねて仰った。若い間に仰しゃると、何言うやらと言う。それで教祖でも六十歳に成る迄、そんな事仰らなんだ。若うて言うと人が妙に思う。そこで年寄るのを待ち兼ねる。それで年寄ってから詳しい仰った。
中台  神様は用意周到ですね。昔は最初から泥海古記で仕込み上げて来たから信仰は堅かったんですね。
上田民  元がわからんといかん。
高井 甘露台は、ほん真ん中をしるしてはるのや。人間の身体で言うとヘソや。三年三月止まった所は、その北の方で石の延べたてたるが、行く/\はどない成るのか、未だ本普請に成ったらへんよってな。甘露台は、どしん(ド芯?)や。人間で言うたらヘソや。ほん真ん中や。(後略)

【山澤為造「やわらかやさしい教え 」】
 山澤為造「やわらかやさしい教え 」。
 大正十一年十月五日号みちのとも「山澤先生の御話(一)」より
 教祖は、『一般の人に解らん様なむつかしいことは一つも教えんで』と仰せられました。『子供でも年寄でも、又少々届かぬ者でも解る様やわらかやさしい教えやで』と仰せ下されました。『堅い四角四面なことを云うて教えては、学問のある賢いものには解るけれども、とどかん者には解らんやろう、解らん様では信心は出来ようまい。それでは不公平である。眞の親の教えとは云えようまい』と仰せ下されました。『食べ物でもそうであろう。一方の者には食べられるけれども、又一方の者には食べられぬという様な事では、親が見て居られようか。見て居られようまい。親はたとえ子供が五人あれば五人とも五本の指の如く、十人あれば十人とも可愛いのが親心である。十人あれば十人とも皆が喜んで食べてくれてこそ、親も満足なら、子供もそれで育つのやで。親の教えは丁度そういう道理やで』と仰せ下されました。(中略)又或る時、御教祖は、豆に例えて御話聞かして下されたことがあります。この頃はだん/\贅沢になって、そら豆などは子供でも余り食べませんが、我々の子供の時分には「何ぞ欲しい」と言えば、親はそら豆をつかんでくれたものであるが、そのそら豆を例にとって仰ったことがある。『同じ豆でも煎って出して見よ。歯の善い者は食べられるけれども、歯の悪い者には食べられようまい。それをやわらこう煮(た)いて出して見よ。十人居れば十人とも食べてくれる。歯の悪い者でも食べられるやろう。丁度この親の教えはそういう道理やで』と聞かして頂いたことがある。

【「真実の心で通らしてもらえれば喜べるのや」】
 「おやさま御口伝」 
 明治8年6月14日 桝井伊三郎/「『心が晴ればれしませんので』と申し上げた処」。
 日々は、喜んで通らしてもらうのやで。喜べないような日もあろう、喜びにかえて通らせてもらうのやで。真実の心で通らしてもらえれば喜べるのや、誠の心で通ってくれ。日々通らして貰う心の使い方持ち方、よう思案してくれ。心の使い方によっては徳にもなれば埃にもなるで。真実や誠やと思うていても、その真実誠の中に埃がまじるのや。それを誠の中の埃と言うのやで。心の使い方と言うても、我が身思案からの通り方、人に助かって貰う、喜んで貰う通り方があるのや、ちり一つ拾うても誠、大きな木とり片付けても真実といえん場合もあるで、日々よう思案してくれ、誰でも通れることやで、心の持ち方、思い方が大事やで、心の思い方と言うても人間はあざないものであるから、都合のいゝように考え又は思い、我が身に都合の悪いことはそうはでけんと言うてしまう、そんなことでは道がつくはずがない、都合のいゝことも、都合の悪いことも心一つにおさめて通ってくれ、神様がきっとつれて通って下さるで、一つも心配いらんのやで。日々通る中にどんな中もあろう。難儀な中、むつかしい中、そのならん中を喜びにかえて通ってくれ、その中に御守護がいたゞけるのや、無理と思うてはいかんで、無理と思うやないで、無理と思えば無理になってしまうで、心通りの御守護下さるのやからさらさらに思うやないで。喜びにかえて通って行く中に、あゝ結構やった有難かったと思える日が必ずあるのやで、その日を楽しみに通ってくれ、今の苦しみは先の楽しみやで、日々を喜んで通らして貰いなはれや。

【「神様のお話は守らして貰わにゃいかん」】
 「おやさま御口伝」 
 明治8年11月21日 辻忠作/「神様のお話は守らして貰わにゃいかん」
 神様のお話は守らして貰わにゃいかん、守らんよって御守護が頂けないのや。神様のお話を守らして貰うから身が守られるのやで。心の守りが身の守りになるのやで。神様のお話はむつかしい事ないのやから、すぐにでもさせて貰はにゃいかん。守るから守られるのやで、忘れたらいかんで。守るということは、聞かして貰うたことだけでなく、自分が定めたことも守らして貰わにゃいかん。定めたこと守らんようだったら守って頂けなくなるということは、身上を守ってもらえないことや。人間同志の間でも守るからお互いに守られるのや。約束したら守らにゃいかん。人の真実を無にするような事したらいかん。人を待たせるような事したらほこりやで、待たせると言う事は人をしばると同じやで、人をしばることは物を取るより悪い、なんでもないように思うて居るかも知れないが、人の真実無にしたら自分が守って貰えんようになるで。人をしばることは、人の自由をさまたげるもの、御守護の理をとめることにもなるで、こゝのところよう思案してくれ。どんなことになるやらしれんで。時は大切にしなけりゃいかん、時は守ることによっていかされる、守らない時ならいらないやろ。まもるということは人の真実やで。真実の心で日々通らして貰わにゃいかん、真実やったら神様は必ず守って下さるで、神様に守って貰っておれば日々は安心やで。なんでも守らして貰う心になんなはれや、神様はきっと守って下さるで。

【「ハイと返事をするのやで」】
 「おやさま御口伝」 
 明治8年11月21日 辻ます、飯降さと、桝井さめ、村田かじ/「ハイと返事をするのやで」。
 人に呼ばれたらすぐにハイと返事をするのやで、あれやこれやとうけこたえするのやないで、すなおにハイと返事しなはれや。よばれた時ハイと返事をせんで、今外へ行くところやなんて返事したらいかんで。人間はなあみんなそんな返事をするのや。それでいゝと思うている。誠の中のほこりやで。神様に対しても同じことが言える。よう考えて見い、蛙の子はお玉やで、これはわかっているやろ。お玉は、自分は蛙の子やと仲々納得できないやろ。蛙とお玉は全然違うからなあ。お玉は何時までも鮒やどじょうと一緒に居たいと思うやろ。それと同じような事が人間にも言える。人間はなあ、人間として生きる道は考えて通るだろうが、神の子としての道が本当に通れるだろうか。ここの処をよう思案して見い。暗いと思う前に、先ず灯りをつけることを考えにゃいかんで。  

【「夫婦諭し」】
 「おやさま御口伝」 
 明治9年1月12日昼頃、桝井伊三郎夫婦に対してのお話
し/「夫婦諭し」。
 男、女のへだてないと言うても、男は男、女は女やで。へだてないと言うのは神様の御守護に男女もへだてないと言うことやで。神様の御守護と言うこと忘れたらいかんで。男も女も同じだからと言うて、男が女のようになり、女が男のようになってしもうたら、道がのうなってしまう。何と言うても男は天や、女は地やで。天と地では大分ちがう。こゝの処よう思案しなけりゃいかん。夫婦が仲よう通らせて貰うにはなあ、どんなことあっても女は地やから天をたてゝ通らしてもらうのやで。天をたてゝ通らせ貰わにゃ地の理はなくなってしまう。地はどこまでいっても天にはとゞかんもの。こんなことはわかっているやろ。女が天に手をとゞかそうとするからけがをするのやで。女は台やで、女は台やで。台は大きなけりゃいかん。台がちいさいと、ひっくりかえるで。天のあるところ地がなけりゃいかん。この理よう思案しなはれや。女の通る日々の心使いは男より難しいで。ものゝ言い方、ものゝ聞き方、することなすこと一つ一つが男とは違う。男は男の通る道、女には女の通る道があるで。女の通る日々の心使いはなあ、むつかしいものや。女は常に嫁に行くときのような心をもって、その心わすれずに日々通らせて貰えばよいのやで。言うことによく注意して、とげのたたぬよう、やさしく言わにゃいかん。女というものは、ついじゃけんなものゝ言い方をするものやで。男が聞いたら、あれでも女かいなあと思われるようなことやったらもう女ではないで。女の人は、ものゝ見方でも半分しか見ないものや。ものは両面見なけりゃいかん。障子一ツしめたりあけたりするのも座ってするものや。その動作は美しく見えるものやで。

 女は男と違いぐちの多いものや。心で申し訳ないと思っているうちはいゝけれど、それが口にでるようになってしまうとぐちになるのやで。不足の心持つのも男より女の方が多い。夫婦の中で婦が不足の心を持って通っていると、その理は夫に移っていくで。女は常にやさしくなけりゃ女とはいわれんで。地のやさしい心が天をたすけていくのやで。こゝの処よう思案しなけりゃ女はいかんで。女の人に随分無理を言うようだが、決して無理を言うているのやないで。女の心一つで家も国もほろんでしまうような事にもなるのやから、女は心して日々通らしてもらうのやで。婦は夫にさからわぬよう、何でもはい/\と言うて夫にしたがい、低い心で通らせてもらうのやで。低い心で通らしてもらえばあとは神様がつれて通って下さるで。なにも心配はいらん、はい/\と言うて通るのが損をするような考え持ったらいかんで。女は男に対してよく口ごたえするものや、その口ごたえがいかんのやで。それを言わずに心に治めて通ってくれにゃ女とはいわれん。こゝの処よう心に治めておきなはれや。神様は男も女もへだてなくつれて通って下さるのやから、心大きく持って日々を通らにゃいかんで。へだてなくつれて通って下さるのは、男と女が同じということではないで。御守護は同じであっても、男には男の理があるで。女は女やで、こゝの処よう思案しなけりゃいかん。

 女は男に無理を言われるとすぐにつのを出すものや。つの出して通ったらいかん。なんでも心に治めて通らして貰いなはれや。日々心に治めて通らしてもらえればこそ、女としての徳がつめるのや。女としての徳というのはなあ、内々丸く治まるという理になるのやで。女の心の使い方が治る理にも、おさまらぬ理にもなるのや。治めて通らして貰うのが女として第一の道や。無理を言ふているのやないで。女の通る道はむつかしいものやからよう心して日々通ってくれにゃいかんで。男の人にはなあ、神様のお話を聞いて貰わにゃならん。女の人には女の道をよう心に治めてもらわにゃならん。女の道と言うは一口で言えば真実の道やで。真実とは低いやさしいすなおな心を言うのやで。ひくいやさしいすなおな心とは、女の人のためにあるような言葉や。男にはひくい心、親にはすなおな心、子にはやさしい心になって、日々通らして貰うのやで。女は常に、男という理に対してつとめさせて貰うのやで。その心忘れんよう日々通りなはれや。女の人は常に真実の心で通らして貰うていたら、必ず人はついてくるものや。それが女の人の真の通る道やで。女の人は、身びいき身勝手の多い心をつこうて通る、人にもたれすぎる、親に、主人に子供に一生もたれて通ってしまうような日々を通る。人にあゝさせよう、こうさせようと思う心で通っているから、自分の身がたたなくなるような事になってしまう、こゝの処よう考えて通ってくれ。女の人はすることなすことにおいても、自分がすると人にもさせたくなるものやが、なんぼ人にさせようと思うても、なんにもならん。人がさせて頂かなけりゃと思う心になるようにしてやってくれ。この道は人にさせる道やないで。めい/\一人/\が自分からつとめさせて貰う道やから、人がどうのこうの言うやないで。自分がつとめさせて貰う時でも、人にさせようと思う心持ったらいかんで。男の人に対しての心の使い方によって、その理のあらわれるのは、お産のときにようわからして貰えるのやで。お産は日々の心使いのあらわれではない。お産は病ではない。女は誰もが通る女の道なのやから、一つも心配はいらん。だが男に対しての心の持ち方考え方が、どのようになるやらしれんで。そのあらわれてくるのは女の病いやで。女がその病いでたおれるような事やったら神様に対して申訳ないで
。

【「心定めが肝心」】
 「おやさま御口伝」 
 明治10年2月3日、桝井伊三郎、辻忠作/「お助けを頂くには、心定めが肝心やで」。
 お助けを頂くには、心定めが肝心やで。心定めんことには自由用はない。定めた心は動かしてはならん、動くようでは定めたとは言えん、この理よう思案してくれ。定めた心の理に自由用はあるのや。その定めた心に神が働く。一時の定めでも守護いたゞける。だがそれは神様の御慈悲やで。お慈悲によって自由用かなえさせて下さったのやから、いつなんどき元にもどるやら知れんで。定めた心変らなかったら、いついつまでも自由用かなえさすで。一時の定めでも御守護頂けるからと言って、いつもいつも同じような心で通って居たなら、頂ける御守護も頂けなくなってしまうで。人間の中でも同じようなこと繰り返していれば、いつかは離れてしまう。神様かて一度はゆるす、二度はたすける、三度はゆるさんとお教え下されているのやから、よう思案しなけりゃいかんで。人を助けさせて貰うと言う事は恩返しになり、徳をつむ事にもなる。前生からの悪い因縁も切って下さるのやからどれだけ結構にさせて頂ける事やわからんで。せいだして助けさせて貰いなはれや。  

【「御恩返しの道」】
 「おやさま御口伝」 
 明治10年2月3日夕刻、桝井伊三郎、辻忠作、岡田与之介/「御恩返しをさせて頂くには、日々どうゆう道を通らせて貰うたらよろしいでございましょうか」。
 日々に人を助けさせて頂くことやで。口で人を助けるというが、人を助けさせて頂くことはむつかしい事やで。はじめは人を助けさせて頂くのやと思うていても、日がたつにつれ守護が見えてくると、自分が助けてやるのだと言う心になってしまう、その心がいかんのや。自分が助けるのではない、神様が助けて下さるのやで。神様が助けて下さるというても神様はなあ、助けさせて貰う者の心にお働き下さるのやで。助ける者は助けさせて貰う喜びを持つのや、これが恩返しになるのやで。人を助けさせて貰うことは神様への御礼にもなるで。お助けさせて頂くのに、常に神様のおともさせて頂く心でなけりゃいかんで。自分が助けるのやないで、神様が助けて下さるのやからその心忘れんようにしなはれや。人を助けさせて貰うには、我が身どうなってもという心にならにゃいかんで、我が身どうなってもという心が恩返しになるのやで。これは自分一人の道ではないで、末代までの道、末代に残す道をつけれくれ。人にお話をするにはなあ、我が身が心にしっかりとかりものということを治めておかなけりゃいかんで。借りものということよく教えてやってくれ、よくわからせてやるのやで。助けて貰う者が借りものという事心に治まれば、どんな病いでも助けて貰うこと出来るのやで。心配いらん案じ心持たぬよう。お助けをさせて頂くのに、助ける者が誠の心で借りものと言う理しっかり心に治めておれば後は神が働く程に、何も案じ心配いらんで。誠の心でお話させて貰うのやで、これが恩返しになる道や、楽しんでつとめさせて貰いなはれや。恩返しになる道、日々通らせて貰うてこそ結構にさせて貰うこと出来るのやで。勇んで通らにゃいかん。人を助けさせて頂くには、真実の心になって常に低いやさしいすなおな心でお話をさせて貰うのやで。相手の心を助けさせて貰うのやで。借りものと言う理心に治まっただけ御守護頂けるのや。借りものという理しっかり心に治めにゃいかんで。人を助けさせて頂くというは、恩を返すことになるのやから、何時の日にもいつの時にもその心で通らにゃいかんで。をやの声きかして貰うて、その通りつとめさせて頂く処に恩が返せていくのやで。をやの声一つがたよりやで、その声そのまゝ受ける心に神様が働いて下さるのや。神様に働いて貰うには、借りりものという事をよく心に治めて通らにゃ神様に働いて貰えんのや。人間心を捨てゝ通らして貰わにゃいかんで。をやの声たよりないと思うていたら、神様はお働き下さらんで、神様がお働き下さらなかったら、日々は通れないのやで。案じ心を捨てゝ通りなはれや。をやの声聞いて通っていたら、どんな中でもつれて通って下さるのや。こわいあぶない道はないで、神様がつれて通って下さるのやからなあ。人間心を捨てゝ我が身どうなってもと言う心で日々通らして貰うことが出来るならどんな助けもして下さるで。それが真実のあらわれや。結構やろ。真実の心で日々通らして貰えば十分の理を何時のときでも見せて下さるで。人は何時のときでも真実でなけりゃいかんのやで。あゝもしたい、こうもしたいと思う心もあるやろう。その心を供えるのや。をやの言うなりするなりにして貰う心、それをすなおという、何でもつとめるという心ひくいという何でもハイと言う心やさしいという。大きい心というても人間思案はいかん、人間思案でなんぼ大きいと言うても大きいとはいえん。人間思案は小さいもの、あれやこれやと考えて人間心でなんぼ思案したとてせんないこと。あゝさせたら、こうさせたらと思う心がいかん。その心が人間思案やで。大きい心になったら人間思案は浮かばんもの。大きい心で助けさせて貰うのやで。借りものという事よくわからせてやるのやで。人にわからせる前に我が身が借りものという事わからねば、なんぼ話したとてわかってもらえん。こゝの処よう思案してくれ 。

【「口のきゝ方、ものゝ言い方」】
 「おやさま御口伝」 
 明治10年3月21日、辻忠作 山澤良治郎 村田幸右衛門、「口のきゝ方、ものゝ言い方」。
 日々通らして貰うに、先ず口のきゝ方、ものゝ言い方に気を付けにゃいかんで。それからなあ、することなすことに心を使うことやで。不足の心で通っていたらなんにもならんで。神様の人間をおつくり下されたお心をよう思案しなはれや。これで日々通っている心使いが違っていないかどうか、よう思案するのやで。

【「借りものと言う理」】
 「おやさま御口伝」 
 明治10年9月17日、山澤良治郎 辻忠作 桝井伊三郎/「借りものと言う理」。
 恩返しをさせて頂くには、先ず心をしっかりと定めて、借りものと言う理を治めて助けさせて頂くのやで。人を助けさせて貰うということは、恩返しになり徳を積むことにもなる。前生からの悪い因縁も切って下さるのやから、どれだけ結構にさせて頂ける事やらわからんで。せいだして助けさせてもらいなはれや。お助けをさせて頂くときの心まちがわぬようしなけりゃいかんで。お話するにも、借りものと言うことだけお話させてもらえりゃ結構なのやから、誰にもできる話やで。自分我が身がその心にならにゃいかんで。よう思案させて貰うて日々を通らせて貰いなはれや。

【「元の理がわからなければ何もわからない」】
 「おやさま御口伝」 
 明治10年10月25日、桝井伊三郎/「元の理がわからなければ何もわからない」。
 さあ八十の年をまちかねた/\、この話はなあ、ききながしときながし、よく心に治めてくれにゃならんで。とりちがえのないよう、あんな話と思うてきいたらいかんで。あんな話と思うてきいたらあんな話になってしまう。人間元の理がわからなければ何もわからない、何も知れようまい、心してきかにゃいかん、心によう治めてくれ 。

【「子育てとお産の諭し」】
 「おやさま御口伝」 
 明治10年10月28日、桝井伊三郎/「子育てとお産の諭し」。
 人間元はじまりの話し、よう心に治めねば子を育てること出来ようまい、子を育てること出来ぬようではをやの恩はかやせまい。子を育てゝこそをやの恩は返せるのやで。お産は病いではない。だがお産から色々と病いを引き起こすような事がもしもあったなら、女として女の道がたっていないからや。

【「日々の通り方の諭し」】
 「おやさま御口伝」 
 明治10年11月2日夕刻、辻忠作 仲田儀三郎 山澤良治郎/「おやしきのお掃除をみんなでさせて頂きたいと申し上げた処」。
 日々通る中に心にもない通り方をしてはいかんで。この道は人にさせる道やないで。めい/\一人/\が自分からつとめさせて貰う道やから、人がどうのこうのと言うやないで。人間は(女の人は)自分がすると、人にもさせたくなるものやが、何ぼ人にさせようと思うてさせても何にもならん。人がさせて頂かなけりゃと思う心になるようにしてやってくれ。それには時というものがあるで。時ということよく心に治めておかにゃいかん。時をはずして何をしても何もならん。種を蒔くときには種をまかにゃいかん。さむいあついと言うて、今忙しいからというて時をはずしたら、いい芽はでてこないで。時をはずさぬよう、よく教えてやってくれ。自分がつとめさせて貰う時でも、人にもさせようと思う心持ったらいかんで。人には借りものという事わからせてやったらつとめて貰える、なんぼさせようと思うても、借りものという事わからねばなんにもならん。めい/\が運ばして貰い、つとめさせて貰うておるうちに人はついてくるで。

【「自分がつとめさせて貰うから人がついてくるのや」】
 「おやさま御口伝」 
 明治10年11月3日朝方、辻忠作 仲田儀三郎 山澤良治郎/「自分がつとめさせて貰うから人がついてくるのや」。
 人にあゝさせようこうさせようと思う心使うて通っていたら、我が身が立たなくなるで、人にさせる道やない。自分からさせて頂く心にならにゃいかん。自分がつとめさせて貰うから人がついてくるのやで。つとめると言うても人にするのやない。神様につとめさせて貰うのやで。神様にやで。人間はなあ、人が人をどうするこうすると言う事は出来ないのやから、なんぼさせようと思うていても動かすこと出来ん。だから自分からつとめさせてもろうて、その理をうつしてやるよりほかにないで。自分がつとめさせてもらうと言う理ほど結構なことないで。

【「お助けさせてもらうに一番大事な心使い」】
 「おやさま御口伝」 
 明治10年11月23日、「お助けさせてもらうに一番大事な心使い」。
 つくすと言うは、金や物をつくすだけを言うのやない、身上をかして頂いているという恩を報じる心をつくすのがつくしというて果しになるのやで。借りものという理わからねばつくしようがあるまい。人間心にとらわれぬようお話をさせてもらうのやで。定めさす/\と言うても、自分の心に浮んだ事をうかばして貰うたと思うてお話をすることがいかんのや。定めさすことは、借りものという事より他に何も無いのやからよくわかるように話してやってくれ。借りものというは、神様から身体を貸して頂いているという事なのやから、この理をよう思案させて貰うのやで。借りものというは、身上をかして頂いているのやから、よくさとらして頂いて、日々を通らして貰うのやで。借りものということがよくわかれば、どんな病いでもすぐに御守護下さるのやから、お助けには、借りものということ、神様から身体を貸して貰うておるという理を、人間思案にとらわれず、たゞ/\有難い結構やと思うてお話をさせてもらいなはれや。お助けさせてもらうに一番大事な心使いやで。

【「真実とは、弱いものゝように思うけど、真実ほど強いものはないで」】
 「おやさま御口伝」 
 明治10年11月23日、桝井伊三郎 村田幸右衞門 辻忠作/「真実とは、弱いものゝように思うけど、真実ほど強いものはないで」。
 日々通るには、真実の心になって、借りものと言う理しっかり心に治めて、親の心にそってつとめさせて頂くのやで。その心になって通れたなら自由用の御守護が頂けるのや。真実とは、弱いものゝように思うけど、真実ほど強いものはないで。人が人を動かすこと難しい。なれど真実なら神がうごかすで。人を助けるのも真実、その真実には神がはたらくのや。人が人を助けるのはむづかしい、なれど真実なれば神が助けさす。真実の心とは、ひくい、やさしい、すなおな心を言うのやで。口でなんぼひくい、やさしい、すなおな心というていても、その心にならなけりゃなんにもならんで。日々通っている中に、我が身は誠やまことやと思うて通っていても、誠の中のほこりという道もあるで、よう思案して通らして貰うのやで。日々真実の心で通らして貰えたらなら、家々むつまじゆう暮させて頂くことが出来るのやで。めい/\我が身一人がその心にならせてもらいなはれ。なんぼ真実や、真実やと思うて通っていても、心に真実なくばなんにもならん、目にも見えん、形にもあらわれんもの、心にその理なくばならん。人の心にある真実は神が受け取って下さるのやで。低いやさしい素直な心、いくら自分がその心やその心やと言うても、人に与えなけりゃわからん。人に与えると言うは、人に喜んで貰う、人に助かって貰う道を通ることやで。この心で日々通れたなら、どんな中でもつれて通るほどに。人間はあざない者であるから、日々その心で通らして貰わにゃいかんと思いながらも、身びいき、身勝手な心使いから、我が身さえ我が身さえと思い、我が身さえ良ければ人はどうなってもというような日々を通ってしまう、それでは守護いたゞける筈はないで。我が身どうなってもと言う心にならなけりゃ真実の心は生まれてこんのや。案じ心を捨てゝ人の喜ぶよう人の助かるような道を通りなはれや、人助けたら我が身助けて貰うことできるのやで。人間はなあ、みんな神様から身体を借りているのやで。それを自分のものゝような心で日々使うて通っている。それでは申訳ないのやで。自分のものと思うて使うて通るから、頂ける守護も頂けなくなるのや、この理よう思案してくれ。借りものと言う理は、日々通らせて頂いている心の中に、常にもたせて貰うていなけりゃならんのやで。日々通る身上についての心の持方はなあ、人間はいやなもの見るとすぐにいややなあと思い、いやなこと聞くとすぐにいややなあと思う、その心がいかんのやで。その時の心の使い方が大切なのやで。いやなものを見、いやなものを見せられた時、いややなあと思う前に、あゝ見えてよかった、めくらでのうてよかった、有難い結構やと思うて通らして貰うのやで。いやなこと聞いた時でも同じこと、いつの日いつの時でもそう言う心で通りなはれや。その心使いが自由用の守護が頂ける道になるのやで、むつかしいことないで。身上事情でなやみ苦しむとき、借りものと言うことをすぐに思わにゃいかんで。借りものという理心に治まれば、どんな中でも助けて下さるのやで。借りものというは、常に借りているということ忘れずに、一日一日を有難い結構やと思うて通らせて貰うのや、その心やったらどんなあぶない中も大難は小難小難は無難につれて通って下さるで。身上の中でも事情の中でも、借りものと言う理一つ心に治まれば、ない寿命もつないで下さるで。人間力でどうにもならんもんでも、治めて下さる守護が頂けるのや。借りものと言う理、しっかり心に治めて日々通ってくれ。心に治まればどんな道でも案じない、案じ心もたぬよう、をやの心にそわして貰うには、我が身思案をすてにゃいかんで。我が身どうなってもと言う心で親にそいきるのや。我が身思案から、あゝもこうもと心を使う、人間心で聞いてあれやこれやと思案する、なんぼ聞いても同じ事やで。そんな心やったら、をやの心にそうこと出来ん。をやの声きいたら、そのまゝうける心に神が働くのや。をやの声きいて、たよりないと思ったらたよりなくなる。をやの声も神の声も同じことやで。案じなきよう、神がつれて通る程に、人間心だすやない、もたれる心に神が働くのや。案じない。をやの心にそうて通るなら、どんなことでもうけとるで。うけとる中に自由用という理があるのや。自分の身どうなってもという心で親にそいきる心、この心で通りたなら十分の理、十分の理は結構づくめやで。親の心にそうて通るなら、ならん中、通りにくい中、その中を運び、果して行く処に道がつく、あの中でもよう通る、ようつとめるなあと言われる処まで道をつけるのや。その道はらく/\にあるける道。親の心にそうこと出来ず、勝手気まゝな心使いから、親をつぶして親にさかろうて通るから身がたゝなくなる。この理よう思案してくれ。親の心にそわずして、親の心ころして通るもの、人間心で通るもの、勝手な道を歩むもの、なれど一度はゆるす、二度はたすける、三度はゆるさん、親という理わすれぬよう、親の心にそうて通らにゃいかんで。

【「つくすと言うは、金や物をつくすだけを言うのやない」】
 「おやさま御口伝」 
 明治12年3月4日、桝井伊三郎 村田幸右衞門 辻忠作、
飯降伊蔵 /「つくすと言うは、金や物をつくすだけを言うのやない」。
 つくすと言うは、金や物をつくすだけを言うのやない、身上かして頂いていると言う恩を報じる心をつくすのが、つくしと言うて果しになるのやで。借りものという理わからねばつくしようがあるまい。だん/\恩がかさなるばかりやで、この理よう思案して、つとめなけりゃいかんで。

【「元の神実の神」】
 「おやさま御口伝」 
 明治12年7月5日夕方、村田幸右衞門/「この神様はどういう神様でございますか、と尋ねられた処」。
 この神様はなあ、元の神といゝ実の神様やで。元の神様とは拝みきとうの神やない、元こしらえた神というて、元々何にもなかった処から、人間をはじめ、すべてのものを造り創められた神様や。実の神というはなあ、真実の神ということやで。すべてのものをおつくりになったというだけでなく、それ以来常に変わらず不思議なお働きによってあらゆるものを育て、温い恵みをもって御守護下される神様や。人間をおつくり下されたおぼし召し通りに通らせて頂くことが出来るようにと、直き/\にこの世へお姿を現わされた真の神やで。神様は人間をつくり、その人間が陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しもうと思召され、人間世界をお創めなされたのや。だから人間は日々通らせて頂くのに、神様に喜んで頂けるような日々を通らにゃいかんで。神様に喜んでもらえるような日々とはなあ、先ず借りものということをよく心に治めることや。心に治めるというは、神様から身上をかして頂いているということをよく心に定めることや。そうして真実の心にならせて貰うて、親の心にそうてつとめるのや。これが一番神様に喜んで貰える道やで、この心で日々通らせて貰いなはれや。神様にはどんなに御礼させてもろうても、これでいゝということはないで。日々の御恩は日々にさせて貰わにゃいかん。日々にさせて頂くことが、日々結構に通らせて頂ける道になるのや。身上でも事情でも御守護頂ける道は只一つや、借りものと言う理心に治めてしっかり通りなはれや。

【「すぐに心いれかえてつとめなはれや、御守護下さるで」】
 「おやさま御口伝」 
 明治14年2月7日-8日、辻忠作、村田幸右衞門、山澤良治郎/「すぐに心いれかえてつとめなはれや、御守護下さるで」。
 日々通らして貰うていても、いろいろ人の通る道はある、その中で神様によろこんで貰う道を通るのやで。神様に喜んで貰う道は真実だけや。真実というても自分だけが真実やと思うていてもなんにもならん。真実とは、ひくい、やさしい、すなおな心をいうのや。自分でひくいと思っているうちはひくくはないで。やさしいというても、すなおというても同じこと、人にあの人は真実の人やといわれる迄の道を通るのやで。すなおと言うてもなあ、人の心をひくような素直はなんにもならん。神様に喜んで貰えるような素直というのは、をやの言うなり、するなりにして貰う心にならなけりゃいかんで。やさしいと言うても口だけではなんにもならん。はいと言うたらすぐおこなってこそやさしいのやで。そうして何でもつとめさせて貰う心をひくいと言うのやから、その心で日々通らにゃいかんで。口だけの真実やったら神様はなあ、喜んで下さらんのや。神様のお話をよく聞かして貰うのやで。神様のお話とはをやの声や。をやの声というていゝかげんに聞いていてはならん。しっかり心に治めなはれや。真実の心と言うても昨日も話をして居ったのや。丸ごとでなきゃいかんで。丸ごととは全部や。一切を引き受けさせて頂きますという心や。庭の掃除一つさせて頂くのも自分、我が身一人一人がさせて貰うのや。多数の人でやったら自分の徳にはならんで。だがなあ、徳をつまして貰うという心はいかん。これは我が身のためやからなあ。なんでも人のため、我が心は人の喜ぶよう、人の助かるような道を通ればよいのやで。我が身のことは何にも考んでよいのや、これが丸ごとの真実やで。人に腹を立たせて下さるな。親の心にそうと言うても形だけやったらいかん。心をそわして頂くのやで。どんなに離れていても心は親に通じるものやで、心をそわして貰いなはれや。親の心にそわして貰うて日々通って居たら、身上事情で苦しむような事はないで。だが因縁なら通らにゃならん道もあろう、しかし親の心にそって通らして貰うているなら、何にも身上や事情やというて案じることはないで。心倒さんように通りなはれや。この世に病というはさらにない、心の埃りだけや。心を倒すのが病い、倒さんのが身上というて花や。人間思案で通るから倒れるのや。人間思案だすやない、人間思案すてるには親の心だけがたよりやで、親の声何でも素直に聞かして貰わにゃいかんで。借りものという理知らずして日々通っていると、身上にお知らせ頂いても仲々御守護頂けないで。親の心にそうこと出来んかったらどんな事で苦しい道を通らにゃならんかも知れん。そんな道通っているなら何も神様のお話はいらん。神様のお話は借りものと言うことをよくわからして頂くために聞かして頂くのや。親の心にそわして頂くために聞かして貰うお話やで。お話を聞かしてもろうときながら勝手な道を歩むようであったなら、御守護やりとうてもやれへんやないか、こゝの処よう思案してくれ。神様のお話を聞かして貰うているのやから、日々を喜び勇んで、借りものという理をしっかり心に治めて、をやの声をしっかり聞かして貰い、親のいう通りにさせて貰うたなら、どんな御守護もお与え下さるで。いらんと言うてもきっと下さるのやから、御守護頂けんと言うていたら申訳ないことやで。をやの言う通りにせんで御守護頂けないと言うて日々通っている、そんな事で人に喜んで貰う、人に助かって貰う道が通れるか、よう思案してみい、申訳ないと思うたらすぐに心いれかえてつとめなはれや、御守護下さるで。

【「借りものという理心に治まれば、身上でも事情でも御守護頂けるのや」】
 「おやさま御口伝」 
 明治15年4月5日、
梶本松治郎、仲田儀三郎、岡田与之介/「借りものという理心に治まれば、身上でも事情でも御守護頂けるのや」。
 借りものという理心に治ったなら、どんな中でも神様はつれて通って下さるのやで。いくら口でといたとてその心にならにゃ何にもならん。心に治まったなら無い命でもつないで下さるで、心配いらん。日々通る心の持方がむつかしいのや。日々通る心の持方は自分勝手な心使い、気ずい気まゝな心使いでは御守護は頂けないで。気ずい気まゝな心使いで日々通っていると、頂ける御守護も頂けない、こんなことはわかっているやろ、ここの処よく思案してくれ。借りものという理心に治まれば、身上でも事情でも御守護頂けるのや。借りものということよくしっかり心に治めてくれ。借りものという事は、神様からこんな結構な身体を借りていると言うことをよく心に治める事やで。これがわかればそれでよいのや。よく心に治まれば、どうして御礼をさせて頂こうかと思えてくるで、その思えて来たことをそなえさせてもろうのや。

【「日々に、朝起き、正直、働き、この三つを心において通らして貰うのやで」】
 「おやさま御口伝」 
 明治15年9月12日、
桝井伊三郎 辻忠作 村田長平 /「日々に、朝起き、正直、働き、この三つを心において通らして貰うのやで」。
 日々に埃の心つこうて通るから御守護が頂けないのやで。人の心にいやな思いをさせる、何でもないように思うて通っているやろうが、それは人の心をころしているのと同じこと、目に見えない埃り日々につんでいったら身上にもなろう。事情もあらわれてもきよう。みな我が身が苦しむことになるのやで。日々に通らせて貰うには、むつかしいことは何もない、只真実の心でかりものという理をしっかり心に治めて、有難い結構やというて、思うて明るい心で通ってくれ。神様が必ず御守護下さるで。日々に、朝起き、正直、働き、この三つを心において通らして貰うのやで。結構な日々が通れるで。借りものという事わからねばこの道は通れないで。

【「人のあしきを言わぬよう、人のあしきを思わぬよう 人にあしきを思わせぬよう、この三ッの心がけが大事やで」】
 「おやさま御口伝」 
 明治17年2月4日、
桝井伊三郎 高井直吉 岡田与之介(宮森与三郎)/「人のあしきを言わぬよう、人のあしきを思わぬよう 人にあしきを思わせぬよう、この三ッの心がけが大事やで」。
 人を助けさせて頂くには、日々の心づかいが大事やで。日々の心づかいによっては、助けさせて頂く事ができるような時にでも、助けさせて頂くこと出来ないで。この理よう思案してくれ。助けて頂く者も真実の心になって、お話を聞かせて頂いて、借りものと言う理をよくさとらせて頂くことやで。借りものと言う理心に治ったら治ったゞけ、御守護頂けるのやから、なにも心配いらん。さづけという理は、めい/\の心にあるもの、日々の通る心づかいがあらわれるもの。心の使い方によって理のあらわれがかわってくるで。さづけの手ぶりがきくのやない、理がきくのやで。日々通らして貰うには、人のあしきを言わぬよう、人のあしきを思わぬよう 人にあしきを思わせぬよう、この三ッの心がけが大事やで。この心がけ一日に一回つこうても三日の間さづけの理はとまるで。

【「親の心は助けたい一条やで」】
 「おやさま御口伝」 
 明治17年4月12日、
松村栄治郎/「親の心は助けたい一条やで」。
 神のこしらえた世界、人間である、神一条の道を通させたさ、陽気ゆさんを見たいゆえ、「人間心で通る人間もある」。神のざんねん、親の心は助けたい一条やで。人間思案をすてゝ、さしづ一つの理をもって、人間思案すてゝ通りたなら、身上事情で苦しむような事はない。

【「誠真実なら何でも自由用という」】
 「おやさま御口伝」 
 明治17年10月11日、
宮森与三郎/「誠真実なら何でも自由用という」。
 あゝもしたい、こうもしたいと思う心もあるやろ。その心をそなえるのや。親のいうなり、するなりにして貰う心、それを素直という。何でもつとめるという心ひくいという、なんでもはいとうける心やさしいという、この三つ誠真実やで。誠真実なら何でも自由用という。

【「もたれる心に神が働くのや、案じない」】
 「おやさま御口伝」 
 明治17年12月3日、
山澤良治郎/「もたれる心に神が働くのや、案じない」。
 親の心にそうて通るもの。火の中水の中でもつれて通る程に、人間心だすやない。もたれる心に神が働くのや、案じない。

【「十分の理」】
 「おやさま御口伝」 
 明治18年2月4日、
桝井伊三郎/「十分の理」。
 自分の身どうなってもという心で親にそいきる心、この心で通りたなら十分の理、十分の理とは結構づくめやで 。

【「一度はゆるす、二度はたすける、三度はゆるさん」】
 「おやさま御口伝」 
 明治18年3月14日、
松村栄治郎/「一度はゆるす、二度はたすける、三度はゆるさん」。
 親の心ころして通るもの、人間心で通るもの、勝手な道を歩むもの、なれど一度はゆるす、二度はたすける、三度はゆるさん。定めさせる心も、定める心も同じでなきゃならんもの、定めさす心は借物ということほかにないで。よくわからせるのやで。定める心も借りものという事よく心に治め、その心で日々通らせて頂くことを定めるのやで。その心定まったならどんな中でも自由自在やで。心を定めさすのはなぁ、あれせいこれせいと言うのやないで。自分の心に思ったこというたらいかんで。神様のお話をさせて貰うのやで。神様のお話というは、借りものということしかないで。この借りものということ心にしっかり定めさせてやってくれ。定めさすというはそれだけや、他に何もないで。定める、定めさすとよう言うておるが、定めるとか定めさすということは、かりものという事より他に何もないで。借りものと言う理が心に治まれば、あとはつれて通ってもらえるで。

【「ならん中、通りにくい中、その中を通るのが道や」】
 「おやさま御口伝」 
 明治18年3月21日、
辻忠作/「ならん中、通りにくい中、その中を通るのが道や」。
 ならん中、通りにくい中、その中を通るのが道や。運びにくい中運び、果しにくい中果して行く処に道がつく。あの中でもよう通る、ようつとめるなあと言われる処まで道をつけるのや。その道はらく/\に歩ける道。

【「人間心すてにゃ身上事情の中は通れんのや」】
 「おやさま御口伝」 
 明治18年5月3日、
辻忠作 前川喜三郎 村田長平 橋本/「人間心すてにゃ身上事情の中は通れんのや」。
 身上事情を病いと言うやない。病いというは日々の心のあらわれ。身上事情は前生もあるのや。病と言うてさらにない、心の埃だけや。心を倒すのが病い、倒さんのが身上というて花や。人間思案で通るから倒れるのや、人間思案をすてたらそのまゝ通れる。人間思案をすてるには、親の声だけがたよりやで。をやの声何でも聞かしてもらわにゃいかん。無理と思うな/\きっとつれて通る程に。身上事情の中、勇んで通るから神が守るのや。もうあかんと思うのが人間心やで。人間心すてにゃ身上事情の中は通れんのや。

【「親の心にそいきるのや」】
 「おやさま御口伝」 
 明治18年6月8日、高井直吉/「親の心にそいきるのや」。
 人間心すてたら理はたつのや。人のような心つこうて通りたがる、それで理のたつ筈がない。情をつぶして、ころして、親の心にそいきるのや。それで情のつぶれるようなことはない。案じ心がいかんのや、よう思案して通れ。

【「もたれる心あったら通れるのや」】
 「おやさま御口伝」 
 明治18年7月20日、辻忠作 桝井伊三郎 村田長平/「もたれる心あったら通れるのや」。
 身上事情の中、勇んで通るから神が守るのや。もうあかんと思うのが人間心やで。人間心すてにゃ身上事情の中は通れんのや。身上事情の中は通りにくいやろ、その中を通るのや。通れんと言うやろ、もたれる心あったら通れるのや。

【「親という理」】
 「おやさま御口伝」 
 明治18年8月3日、
前川喜三郎 辻忠作 橋本/「親という理」。
 身上事情は結構やで。身上事情のうては道は通れんのや。その中勇んで通るのや。親の声一つがたよりやで。親という理忘れたら、道はないのや。親をつぶして、親にさからって通るから身がたゝなくなる。この理よう思案してくれ、親という理わすれぬように。

【「親という理いたゞくなら、なによのことも受取るで」】
 「おやさま御口伝」 
 明治18年9月24日、「親という理いたゞくなら、なによのことも受取るで」。
 親という理いたゞくなら、なによのことも受取るで。うけとる中に自由用と言う理があるのや。

【「案じなきよう神がつれて通る程に」】
 「おやさま御口伝」 
 明治18年11月14日、「案じなきよう神がつれて通る程に」。
 親の声を聞いて、そのまゝ受ける心に神が働くのや。人間心で聞いてあれやこれやと思案するなんぼ聞いても同じ事やで。実をもって聞かにゃならん、親の声を聞いてたよりないと思うたらたよりなくなる、親の声も神の声も同じことやで。案じなきよう神がつれて通る程に。  

【「をやは苦労の中、苦労とせずに通って来た」】
 「おやさま御口伝」 
 明治18年12月20日、「をやは苦労の中、苦労とせずに通って来た」。
 をやは苦労の中、苦労とせずに通って来た、この理よく思案してくれ。   




(私論.私見)