中山ミキ思想の古神道との通底考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.7.21日

 (れんだいこのショートメッセージ)


【「中山ミキ思想の古神道との通底性」について】
 「中山ミキ思想の古神道との通底性」を確認しておく。中山みき思想が日本古来の縄文的古神道の精華である出雲-三輪山神道と通底している気配が認められる。例えば、天理教では柏手を四つ打つが、これは出雲大社も同じで、真柱という用語も共通している。「中山みきによる古代神の復権」は次のように記している。

 「その理由は、起源を縄文時代にまで遡ることのできる古き神の道を、政治的な理由によって天皇家を中心とした国家神道へと変質させ、やがて破滅に向かって突き進んでしまうこの国を救う為だったからではないでしょうか。私には中山みきさんの生涯には人を助けるという目的だけでなく、国家神道に決して屈服しない古き神の意地というべきものがあるように思えます」。


 興味深い指摘であり、これについては改めて考察する。

【「中山ミキ思想と日月神示の通底性、齟齬性」について】
 最近、大本教系譜のは画家にして神道家、神典研究家である岡本天明氏が神掛かり自動書記したとされる「日月神示」なる霊能教が登場している。れんだいこが、その幾冊かを読み取るのに、興味深い内容になっている面と同時に危うい解釈が散見する。そこで、どう理解すべきかコメントしておく。「ウィキぺディア岡本天明」、「ウィキぺディア日月神示」その他を参照する。

 岡本天明 (おかもと てんめい、1897(明治30).12.4日 -1963(昭和38).4.7日)は、1944(昭和19).6.10年、大東亜戦争が終結する約1年2ヶ月前のこの日、千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)の麻賀多神社の末社である天之日津久神社を参拝した直後、同神社の社務所で後に「日月神示」(別名「ひふみ神示」、「一二三神示」)と云われる「神示」を自動書記し始め、これが止まることなく約17年間にわたって続いた。日月神示の内容は極めて広範囲にわたり、そのそれぞれに多くの記述が見られるが「人間の生き方」、「正しい食生活について」、「夫婦の本当のありかた」、「霊界の実相」、未来に関するいわゆる「予言書」的な記述が注目されている。「神示」は後に全39巻(本巻38巻、補巻1巻)にまとめられ発刊された。原文は漢数字とカナ文字と記号、抽象的な絵などからなり、書記した天明自身が当初はまったく読めなかったと云われる。その後、仲間の神典研究家や霊能者の協力のもと少しずつ解読が進んでいるが、「神示」が「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」とも述べており全貌解読が困難であることを告げている。1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作等により広く一般にも知られるようになってきている。

 問題はその中身である。天理教神義論、大本教神義論を超えているのかいないのかが精査されねばならない。岡本天明は、「神示」は「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれてる高級神霊より自動書記によって降ろされたとしている。


【「日月神示語録」考】
 天明が麻賀多神社の社務所で最初に自動書記した原文は下のようなものであった。「二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる」。これは次のように解読されている。「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」。

 続いて、「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」。次のように解読されている。「仏もキリストも何もかもハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるから ミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ 今一苦労あるが この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である」。解釈として、「マコトの神が世に出現して神の力を現して、すべてを助け何の苦労もない理想的な世界に立て直していくが、その前には人類は未だかつてなかった程の大災厄や大試練を迎えなければならない。助かる為には身魂(心、精神、身体)を絶え間なく磨き、鍛練つつ備えよ。磨いていなければ助かることが出来ない」。(※日月神示の中ではこのような大災厄や大試練を大峠や三千世界の大洗濯と呼んで、多くの帖で書記されている。この大峠は我々の住む現界のみならず、いわゆる霊界等も含めすべての世界とすべての存在に等しく起こると神示には記されている)

 日月神示はそのほとんどが数字や記号で書記されているが、その理由を神霊自らが神示の中で次のように述べている。「高度の霊人となれば文字はない。ただ文字の元をなす「レ」と「〇」と「+」があるのみ。また高度の霊人の文字として、殆ど(ほとんど)数字のみが使用されている場合もある。数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである」(二日んの巻第十三帖)。「天人同志の文字は数字が多いぞ。天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝え得るぞ」(「星座之巻」第十八帖、第十九帖)。

 この説は、18世紀の巨大な科学者にして政治家であり、後半生を霊能者として過ごした有名なスェーデンの貴族であるE.スウェデンボルグも天界探訪の事を記した自身の著作で「天人の文字は数字ばかりであった」と書いておりハーモニーしている。神霊は更に、「今まで他に出て居たのは皆、神示先(ふでさき)ぢゃ。ここは神示(ふで)ぢゃ。キの神示ぢゃ」(カゼの巻第六帖、第七帖)と書記させている。また、「アメの巻」第十三帖でも「外で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事説いて聞かして得心させて上げますぞや。落ち着いて聞き落としのない様になされよ」とも語られている。

 また、一方ではこの神示は単に現界に生きる人間のみならず、天界や霊界、また、その他多くの世界に住んでいる存在(神、竜神、天人、天使、霊人達)にも等しく与えられているらしい次のような記述も見られる。「この神示は、神と竜神と天人天使と人民たちに与えてあるのぢゃ」と「極め之巻」第十八帖で述べられている。

 「下つ巻」第一帖や「黄金の巻」第二帖で、「この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ」、「今迄の日本の宗教は日本だけの宗教。この度は世界のもとの、三千世界の大道ぞ、教えでないぞ」。「アメの巻」第一帖で、「此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、三千世界の大道ざぞ」と述べている。神示を宗教でもなく教えでもなく三千世界の大道だと語っていることになる。

 「右の頬を打たれたら、左の頬も出しなさい」と言う教えについて、神霊は次のように述べられている。「右の頬をうたれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと申しているが、その心根をよく洗って見つめよ、それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことは出来ん、よくききわけてくだされよ。笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ。世界一家天下太平ぢゃ、左の頬を出すおろかさをやめて下されよ」(極め之巻第十五帖)。

 神の「しるし」や「証し」として重要視、神聖視されている奇跡に対して、これを否定し次のように述べている。「二日んの巻」第十三帖で、「地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものをふくむ。奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであること知らねばならない。かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない」。「黄金の巻」第二十二帖で、「奇跡では改心出来んのであるぞ」。「龍音の巻」第十八帖で、「正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ。わかりたか」。

 修行の一環としての断食を厳しく戒めているのも注目される。「日月の巻」第三帖で、「滝に打たれ断食する様な行は幽界の行ぞ。神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生まれる食べ物頂きて、神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。此の事よく心得よ」。更に、「正しい食生活について」、「食物を食べるのも喜びであるぞ。正しき食物正しく食べよ。更に喜びふへて弥栄へるのぢゃ。悪い食物悪く食べるから悪くなるのぢゃ。何も彼も同様ぞ。人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。うれしうれしの道あるに、何故歩まんのぢゃ」(春の巻第五帖)。

 多食や肉食について戒めており、次のような帖もある。「食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運開ける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理窟と申すもの。理窟悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ」(冬の巻捕帖)。「四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生まれると申してあろう、臣民の食物は五穀野菜の類であるぞ」(碧玉の巻第八帖)。なお肉食についてはそれを戒めつつも、次のようにも書記させている「獣の喰ひ物くふ時には一度神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ」(天つ巻第五帖)。

 「人間の生き方」に関しては次の記述が代表的なものであろう。「臣民にわかる様にいうなれば、身も心も神のものざから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体をどんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、夜になれば眠ったときはお返ししてゐるのざと思へ、それでよく分かるであろうが。身魂みがくと申すことは、神の入れものとして神からお預りしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ」(富士の巻第十四帖)。「目覚めたら其の日の生命お預りした事を神に感謝し、其の生命を神の御心のままに弥栄に仕へまつる事に祈れよ。神は其の日其の時に何すべきかに就いて教へるぞ。明日の事に心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ」(日月の巻第十五帖)。

 更に夫婦のありかたについては次のように述べられている。「愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ」(春の巻第二十六帖)。「家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ」(黄金の巻第七十二帖)、また「妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となれよ。信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸ひらけるぞ。不二(富士)晴れるぞ」(黄金の巻第九十九帖)、更には「夫婦けんかするでない。夫のみいかんのでない。妻のみ悪いのでないぞ。お互に己の姿を出し合ってゐるのぞ。よく会得せよ」(月光の巻第九帖)とあり、お互いに信頼しきった夫婦関係が大切で信仰の礎であると語られている。

 日月神示には霊界についての記述も多く見られるが、特に「二日んの巻」(ジシンの巻)や「龍音之巻」は、ほとんどがこれらについての記述である。そのなかでも、我々が住んでいるこの現界と関係が深いと思われるもので主なものを以下に箇条書きで記す。「広く霊界といっても神界と幽界に大別され、神界は天国と霊国に分けられ、幽界はそれぞれ、陽界と陰界に分けられる」、「天国には天人が、霊国には天使が住み、幽界は陽界には陽霊人が、陰界には陰霊人が住んでいる」。「幽界は人間界(現界)と最も深い関係にあり、初期の神懸かりの殆んどはこの幽界からの感応によるものであるから注意が必要である」。「高度の霊がただちに肉体人に感応する事はなく、それぞれの段階を経て感応するものであることを忘れてはならない」。 目に見えぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的なものになる。下級霊は現実界と紙一重の所に住んでいる為、その感応は極めて強く人間の目にはいかにも、もっともらしく映るのでこれも注意が必要である」。「高度なものはその人間の心(精神)に応じてそれと同一波長の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現される」。「下級霊が懸かった霊媒の態度や所作、動作、言動は高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものであるがこれらは良く見極めれば判る」。「特別の使命を持つ天使は、最下級の霊界まで降って来て人間に特別な通信をしたり、指示したりする事がある。また天使の霊が母体(母胎)に宿り人間として生まれて来ることもある。末世にはこの種の降誕人が沢山ある」。「特別の使命を持つ天使は別として、人間霊以外の霊で人間に憑依するのは、日本を例にとれば神、天狗、仙人、狐、狸、猫などが大部分である」。「先祖霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意を要する。動物霊が祖先のことを知っているのは、その憑依の対象となる人間の肉体霊の知っていることを、直ちに知り得るからである」。「動物霊が人間の言葉を使うのは不可解にも思えるが、それは例えれば、他人の家に入り込んで其処に有る道具類をそのまま使うのと同じ道理である。動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、ある程度その人間の持つ言葉を使いこなせる。日本人に感応すれば日本語を、米国人ならば英語を語ることが出来る」。「基本的に下級霊や動物霊は人間に感応はするが肉体の内部までは入り込めない。しかし、感応の度が強ければ入ったと同様に見える場合が有る」。「例外として人間の魂と動物の魂が入れ替わっている事も有る。こうした場合は肉体に入り込んだと考えて良い。例えばそれが狐なら狐の様相を露呈するから、すぐ判るが悪行を積んだ霊などの場合は、その時代時代に合わせて化けているので見破る事が中々難しい」。「人間霊の場合でも或種の霊は、自分自身が高度な神界に住んでいると誤信しているものがいるが、こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が多い。人間の知らぬ世界の事を自信を以って強く告げてくるので、判別は困難で多くの場合、審神者は参ってしまう」。「仙人というのはどんなに高度に見えるものでも、幽界に属す。なぜなら、仙人界には戒律があるからである。神界には戒律はない。真の宗教に戒律はないのである。戒律がある宗教は亡びる。しかし、神界にも仙人的な存在はある」。「竜体(竜神の事か?)を持つ霊は神界にも幽界にもある。竜体だからといってそれらが全て神界に属すると思うのは誤りである」。「先祖霊が出る場合は、何か頼みたい事が有る場合が多い。浄化した高級霊ともなれば、人間の肉体に判るような感応はほとんどない」。

  • 先祖は現界に住んでいる肉体人を土台として修業するものである。また、同様に霊界に於ける自分は先祖との交流や交渉は深いものである。
  • 下級霊や動物霊の場合は「酔いどれ」のように箸にも棒にもかからない事を言ってくる。霊の要求だからといって、そのまま受け入れるのではなく、よく判断した上で処理しなければならない。
  • 霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違いが多い。霊耳は耳をふさいでも内から聞こえてくる。また、霊人と語るのは非常に危険である。
  • ' 物を見るのは額で見ることが重要である。額の目に見の誤りは無く、額の判断に間違いは無い。また、悪の霊が懸かった場合は肉体の背後や首すじなどから感応し、肉体の「みぞおち」あたりに集まり、そこで頑張るものである。
  • 霊覚者や行者の中には奇跡的な事や非常識な行動をする者がよくいて、一般人はそれに騙される事がよくある。これらは、いずれも下級霊の仕業である。
  • 正神には奇跡はない。高級霊は態度が立派である。
  • どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはならない。馬鹿にすると反射的に審神者を馬鹿にして始末に負えないことになるので思慮が必要である。特にその霊が病気に関連をもっている場合は微妙である。霊には常に愛を持って接し、柔らかく持ち掛け良い方向に導いて行こうとする努力が大切である。霊の邪道的要求を受けて一時的に病気を治すと、それに倍になってぶり返すものである。
  • 悪霊自身は自身を悪だとは思っていない。
  • 霊的良識は神示や神典類によって、また体験によって養われる。更には高度の科学書も参考になる。
  • 神界より真っ直ぐに感応する想念が正流である。幽界からや幽界を経て流れてくる想念が外流である。
  • 人間界(現界)のことを良く知っている霊は人間界を去って間もない霊か地上世界に長く住んでいた動物霊か、人間に憑依していた霊である。
  • 神の守護というのは人間からは全然判らないものである。判る様な守護は低い神や悪神の守護である。悪神でも大将ともなればその守護は人間には判らない。
  • 日本には日本の守護の神、中国には中国の、外国には外国のそれぞれの守護の神がいる。
  • 今の人間は9分9厘は幽界との繋がりを持つから、よくよく自分自身を審神し反省する必要がある。
  • 霊媒を通じてこの世に呼びかける霊の9分9厘は邪霊である。今後は更に激しくなる。
  • 少しでも、怪しいと思った場合はそれが神の言葉でも裏表の見境もなく闇雲に信じてはならない。例え神の言葉でも自分で一応考えて、審神する事が重要である。
  • 悪神が懸かった時は自分では偉い神様が乗り移ったと信じ込む場合が多い。それは自分の天狗のような高慢な心が原因である。
  • 我は「天照大御神」などと名乗る霊にろくなものはいない。こうした霊に憑かれた人間は例外なく大言壮語するものであり、眉唾ものである。
  • 幽界霊も時によっては正しく善なる事を言うが、それはただ言うだけである。例えるなら悪人が口先だけで善を語るようなものである。
  • 良い言葉ならば、たとえ悪神が語ってもいいのでは?とも思えるが、それは理屈である。真の善言や真言は心、言葉、行ないが一致しているから直ちに力を持つが、それらが一致していないと力は出ないのである。言葉の上のみ同一であっても例えば、同じ「はい」という返事でも喜びの時と不満の時とでは違うように、偽りの言葉は落ち着いて聞けば判るものである。
  • その人間の心に相応した神しか拝めない。悪い心で拝めば、どんなに立派な神前でも悪神が感応する。逆に悪神を拝んでも正しい愛や喜びがあり、善い念が通じるならば悪神は引っ込んでそれぞれの善い神が現れる。
  • 2重3重人格というのは2重3重の憑き物の転換によるものであり、群衆心理とはその時の一時的な憑依霊の仕業である。また、流行病のほとんどが邪霊集団の作用や仕業によるものである。
  • 霊人には何でも判っていると思うのは大きな間違いである。
  • 人は死ぬ時の想念がそのまま続くので、その想念に応じた世界に住むことになるのである。この世を天国として暮らしていた人は天国へ、地獄と感じて生きていた人は自ら地獄的な想念を作り出してそのような世界に住むことになる。
  • 神的自分が本守護神であり、霊的自分が正守護神である。また、幽界的自分が副守護神である。本守護神は大神の歓喜である。
  • 人間の肉体は最底部をなすものであるから、肉体的動きの以前において必ず霊的動きが有る。また、肉体的には小さな行為であつても霊的には大きな意味や働きをしている場合が多い。
  • 天界で起こった出来事は必ず現界にも起こる。しかし、その時の現界の状況にもある程度左右され、早くなったり逆に遅くなったりする場合がある。また、時によっては順序が違う場合もある。
  • 天人や天使の行為が人間にうつるのであるが、逆に人間の自由や能力の如何によっての行為も天界や霊界に反映する。日本や外国では土地が違うように天界へのうつり方も違うのである。
  • 悪い事(天災や戦争や世の中の騒動や混乱等)を待つ心は魔の心である。いつどこにそれらが来たり、起ったりするのかと待ち望んでいるような心は悪魔に使われているのである。

 天明に日月神示が降り始めてから、まだ1年も経たない昭和20年の4月か5月のある日に(天明はこの頃は上記した東京、千駄ヶ谷の鳩森八幡神社で留守神主をしていた)、神前に座ると神霊の「天明、此所をやめい」と言うお告げが有り、これはそれから3日間にわたって連日続いたという。この後、天明が留守神主を辞職した直後の5月26日に米国軍の焼夷弾が本殿に落下し、危ういところで天明は一命を救われたという。左記の事実は岡本三典が天明から直接に聞いた話として三典の著書(『日月神示はなぜ岡本天明に降りたか』)に記されている。

 日月神示の書記が始まった数日後、枢軸国側と日本の敗戦を告げているらしい記述が見られる。「上つ巻」第四帖(書記日、昭和19年6月13日)では「ドイツもイタリアもあてにならぬ、世界中一つになりて㋹の国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか」(原文ではドイツは卍、イタリアは一十と書記されている)、更には日本がその後、国家としての存続が危ぶまれるほどの大打撃を受け、東京もあたり一帯が焦土と化し焼け野原になってしまうらしい事が、「日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ」(同巻第九帖、書記日、昭和19年6月17日)、「東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ」(同巻第十一帖、書記日、昭和19年6月19日)、「江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ」(下つ巻第十六帖、書記日、昭和19年7月21日)と書記されている。

 終戦の約2カ月前に書記された「松の巻」第七帖(書記日、昭和20年6月23日)では「偉い人皆俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。夜明けたらなにもかもはっきりするぞ。夜明前は闇より暗いぞ慌てるでないぞ」とあり、間もなく戦争が終わるらしい事と指導者達(政治家高官や軍事関係者上層部)が戦犯として逮捕、収監されるらしい事がこの時点ではっきりと述べられている。なお、上記した終戦時に自殺を思いとどまった軍人達の中にはこの記述を知っていた者もかなりの人数がいたと言われている。神示にはまた、敗戦後の復興や経済的な発展、そして日本人の精神的な凋落ぶりを指摘していると思われる帖も有るという。「アメの巻」第十四帖(書記日、昭和20年12月18日)では「今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、何れ元に帰って来るから、元に帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返へすぞ」や「三の巻」(うみの巻)第四帖(書記日、昭和22年8月14日)でも「出てきてから、又同じ様なこと繰り返すぞ、今度は魂抜けてゐるからグニャグニャぞ、グニャグニャ細工しか出来んぞ、それに迷ふでないぞ」とあり、これらは逮捕、収監されていた者も釈放、解放される事。また、敗戦後の復興の反面、精神的に退廃する社会や無気力な人間が多く現われて来る様子を書記させたものだと言われている。また、「黄金の巻」第五十九帖(書記日、昭和24年12月7日)では「金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世(ミロクの世)と致すのぢゃ」と語られている。

 国常立尊と過去の預言者達

 神示の中ではこれから起こるらしい大災厄や戦乱を「大峠」や「三千世界の大洗濯」と呼び、それらは現界に生きている人間のみならず霊界等も含めた全ての世界に等しく起こるとされ、神霊の別の言葉によれば「三千世界すべての大建替」になるという。また、洋の東西を問わず、預言者と称される人間が過去に幾人か現れて現在の世界が大災厄と大戦乱の末に終焉を迎える事と、その後にそれまでと全く異なる新しい「理想世界」の到来する事を説いているが、それらもすべて「国常立尊」と呼ばれるこの神霊の仕組みであったと神霊自身は語っている。「一火リの巻」(ヒカリの巻)第四帖で「世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから皆仲良う手引き合ってやって呉れよ。」と述べられ、時代や国、地域を超えて古くからこの神霊の仕組みや働きがあったものと考えられている。

 なお、この先に起こるらしい未来の出来事やその対処について、神霊は「この先どうしたらよいかと云ふ事は、世界中金の草鞋(わらじ)で捜しても九九(ここ)より他分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ」(松の巻第五帖)や「世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神神様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは九(こ)の神でないと分らんぞ。」(下つ巻第二十三帖)、「あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最后(最期)分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。」(天つ巻第四帖)と語っており、高級神霊や高級霊でも必ずしもその全てが、今後に起こる未来の正確な出来事やその結末、また救われる為にはどうすればよいのかといった対処の仕方や救済の方法を知っている訳ではないらしいという記述が見られる。

 また、「みろくの世」(ミロクの世)と神霊が呼ぶ理想世界が来る前には我々が住むこの現界でもこうした肝心な事が何もわからない神(低級な神)や霊に憑かれた怪しげな予言者や神懸り、霊懸りした宗教家(低級な神や霊が懸った宗教家)や指導者(同じく低級な神や霊が懸った霊能者やチャネラー)などが多く現れて、世の人を惑わすらしいと記されている次のような帖もある。「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。」(星座之巻第十八帖)で書記され、こうした混乱も一時的で束の間のものでしかないと語られている。

 しかし、一方では、「小さい事はサニワで家来の神神様から知らすのであるから、その事忘れるなよ」(下つ巻第二十六帖)や「ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかのお役は人の病をなほして(治して)神の方へ向けさすお役ぞ」(上つ巻第五帖)と書記されている帖もあり、大きなことではなくても、国常立尊の眷属の神霊やその系統の神霊による知らせ、病気治しなどの働きとそうした仲介と役割を持つ現界の人間も存在するらしいことが述べられている。

 三千世界の大洗濯と大峠

 神示には過去にも世の建替は6度あったとあり、今後に起こるとされる大建替で7度目だという。そして、これが最後なのだとも書記されている。過去6度のそれぞれについてはその全てが現界のみの建替でしかなかった為に、すぐに元に戻り根本的な大建替にはならなかったのだという。そして、今後に起こるとされる大建替では過去にあったそれらとは全く異なり、この現界はもちろんの事、神界、霊界、幽界等も含めた全ての世界に起こり、天明が最初に麻賀多神社の社務所で書記させられたように、文字通り「この世始まって二度とない苦労」になるのだとされる。

 「松の巻」第十二帖では「前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって悪は走れば、苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ。」や「天つ巻」第二帖でも「これまでの改造は膏薬(こうやく)張りざから、すぐ元にかへるのぞ。今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらに御座る守護神さまには分らんのぞ。」続いて、「戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上(天界)も潰れるぞ、下(現界)も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分りては居らんのざぞ。」(同じく「天つ巻」第二帖)、更には「今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。」(松の巻第八帖)と述べられ、今までの建替とは違い三千世界すべてに渡って起こる大災厄と大建替、大建直になる事と国常立尊をはじめとした一部の高級神霊しか、それらの仕組みが分らないらしい事がここでも述べられている。

 また、今度の建替と建直については次のように述べられている帖もある。「建替と申すのは、神界、幽界、顕界(現界)にある今までの事をきれいに塵(ちり)一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直と申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。」(水の巻第十二帖)とあり、今度の大建替があらゆる世界に及ぶ事とその後の建直では想像を絶するような光の世界が到来することが書記されている。

 予兆  

 灼熱の太陽。神示のなかに大峠や三千世界の大洗濯が来る直前の大きな兆候として「月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ」という記述があり、この太陽が光を失い真っ黒に変色するのだという。国常立尊が語っている「世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから皆仲良う手引き合ってやって呉れよ」の言葉で、預言者であり、この神柱の一人と思われる「ヨハネの黙示録」を著したこの著者もそのなかで、見せられた、この世が終焉していく前半の光景で「太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになった。」(『聖書』 新共同訳 共同訳聖書実行委員会 1988)と日月神示と全く同じ様相を書き記している。

 上記の大峠や三千世界の大洗濯が来る直前にはいくつかの兆候があるのだと神示には書記されている。まず、天空に多くの異常が現れ本来ひとつのはずの「太陽」が複数個見られる様になるという。また「月」にも異常が現れ太陽はその色が「黒く」月は「赤く」なり、空も赤く染まるのだという。また、北から軍事攻撃されるのが、その始まりになるとも書記されている。これらは次のように述べられている。「北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、神々様にも知らすぞよ。」(富士の巻第十六帖)、「月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はち(血)の色となるぞ、流れもちぢゃ、人民四つん這ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。」(紫金之巻第五帖)と書記されている。

 天空の異変については、上記以外にも「宵の明星が東へ廻ってゐたら、愈々(いよいよ)だぞ。天の異変気付けと、くどう申してあろがな」(松の巻第十九帖)、更には「天の異変気付と申してあろが冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏雪降ることもあるのざぞ。人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。」(夜明けの巻第三帖)、同様に「空に変りたこと現はれたならば地に変りたことがあると心得よ、いよいよとなりて来てゐるのざぞ」( 天つ巻第十三帖)と神示には複数の帖で書記されている。また、「八のつく日に気つけて呉れよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。冬に桜咲いたら気つけて呉れよ」(下つ巻第三十帖)などでも書記されており、冬に桜が咲いたり夏に雪が降ったりといった季節の異常なども大きな予兆になるのだという。

 大峠

 上記した予兆の後に起こるとされる大戦乱や天変地異についての記述は神示の中に多く見られるが、戦乱については多くの国がひとつになって日本に攻めて来るのだという。また、時を同じくして天変地異なども起こると神示には書記されている。「富士の巻」第三帖で「メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて㋹の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな。」と書記されアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、ロシアなどの国の軍隊が日本に攻めて来るらしい事が述べられている。

 また、天変地異については「下つ巻」第二十八帖で「またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。」や、更にはそれだけにとどまらず、「人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。神かかりと申しても其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。」(磐戸(一八十)の巻第七帖)とあり、本当の怖さは人間の戦争や天災、また、肉体などではなくタマ(魂)の災禍の怖さなのだという。同様に次のように書記されている帖もある。「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ」(富士の巻第七帖))と書記され本当の怖さは魂のそれだとここでも述べられている。

 神示の中で書記されている天変地異については次のような災いが起こるとされる。

  • 世界中が唸り、陸が海となるところや、海が陸になるところもあるという。(上つ巻第三帖)、(地つ巻第十六帖)
  • 大地震、火の雨降らしての大洗濯になるという。(紫金之巻第五帖)
  • 火と水の災難がいかに恐ろしいかを大なり小なり知らされる事になるという。(富士の巻第十九帖)
  • 一時は天も地も一つにまぜまぜになるという。(富士の巻第十九帖)
  • 天地がうなり、上下引っくり返るという。(上つ巻第二十七帖))
  • 大風が起こり、大海原には竜巻が発生し、やがて火の雨と地震が、山は火を噴きどよめくという。(富士の巻第二十四帖)
  • 富士山がいよいよ動くのだという。(上つ巻第二十一帖)
  • 大地も転位、天も転位するという。(五葉之巻第十五帖)
  1. 「上つ巻」第十四帖で「身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ」。
  2. 「日の出の巻」第十三帖では「此れまでの仕組みや信仰は方便のものでありたぞ。今度は正味の信仰であるぞ、神に真直ぐに向ふのざぞ。日向と申してあろうがな」。
  3. 「腹一杯食べてはならん、死に行く道ぞ、二分を先づ神にささげよ。流行病は邪霊集団のしわざ、今にわからん病、世界中の病はげしくなるぞ。」(五葉之巻第十四帖)、「みなみな気つかん理、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。」(冬の巻補帖)
  4. 第四帖で「陽霊人とは人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性をもってゐるぞ」。
  5. 「龍音之巻」第十帖で「肉体霊、外部霊、副守護霊等の想念は、時によって動物的、幽界的となるものであるから、それと同一波長の動物的霊が感応する、感応はするが肉体の内部までは入り込めない、しかし、感応の度が強ければ入ったと同様に見える状態となるのである。先祖霊も大体同様であるぞ」。
  6. 「龍音の巻」第十八帖で「正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ。わかりたか」。
  7. 「龍音之巻」第六帖で「科学を馬鹿にしてはならん。幽界の霊であっても高度のものともなれば、神界の高級神霊と区別することが六ヶ敷しい(難しい)ぞ」。
  8. 「日の出の巻」第二十一帖でも「悪の大将の神憑は、神憑と分らんぞ、気つけて呉れよ」。
  9. 日月神示の原文には記号が多いが、この㋹はその中でも最も多く出てくる記号のひとつである。読み方としては神や光、身魂を磨いて神霊(高級神霊)がどっしりと鎮まった人間の事だとされる。また、真ん中で中心といった意味もあるとされる。ここでは日本の事を指していると考えられている。
  10. 神示の中では随所に出てくるが、今後に到来する理想世界の事だと言われている。また、神の国、神の世とも書記されている。
  11. 「天つ巻」第四帖で「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。」や「富士の巻」第二十帖でも「日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。」と述べている。
  12. 「磐戸(一八十)の巻」第十帖でも「世界の何所さがしても、今では九九(ここ)より外に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。」や「何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ」(|三(ウミ)の巻第十四帖)、さらに「日月の巻」第三十六帖では「今度の愈々(いよいよ)の仕組は臣民の知りた事ではないぞ、神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ」。
  13. 「世は七度の大変りと知らしてあろう」(黄金の巻第二十六帖)、「世はグルグルと七変り、改心の為世界の民皆、今度は引上げ一旦みなあるぞ」(黄金の巻第七十一帖)、また、「世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落込むぞ」(月光の巻第四十帖)。
  14. 「松の巻」第八帖で「今度の建替は、此の世始まってない事であるから、戦ばかりで建替出来んぞ。世界隅々まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民沢山出来るぞ」。
  15. ^神示には、この北の国はロシアであるとはっきり記されている。「日の出の巻」第七帖で「おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々(いよいよ)㋹の国に攻め寄せて来るぞ。北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念(くどく)気つけてありた事近ふなりたぞ」。同じ第七帖で「ろしあの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなはん思ふ様に激しき御力ぞ」。「北から来るぞ。神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ」(上つ巻第二十五帖)、「オロシアの悪神と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。北に気つけて呉れよ」(日の出の巻第二十帖)と書記され北(ロシア)からの攻撃があるらしい事が複数の帖で述べられている。
  16. 「大本」の出口王仁三郎もその口述著書である霊界物語第1巻で「ミロクの世」の到来に先立って、前兆として未知の天体が出現して、世の人が驚嘆するらしい様子を次のように語っている。「天に王星の顕はれ、地上の学者知者の驚嘆する時こそ、天国の政治の地上に移され、仁愛神政の世(みろくの世、ミロクの世)に近づいた時なので、これがいはゆる三千世界の立替立直しの開始である」(霊界物語 第1巻霊主体従 子の巻)。
  17. 「上つ巻」第一帖で「日本はお土があかる、外国はお土がさかる」と書記され外国の中には海に沈む所もあると述べている。
  18. この2か月前の扶乩(フーチ)実験の時に現れた神霊を祀る「天之日津久神社」がこの近くに在るという不思議な偶然さと、神霊が実験に出てきてくれたおかげで天明自身の面目が立ち、非常に助かった(そもそも、修史協翼会のメンバーに扶乩(フーチ)実験を行うことを提案したのは天明だった)ということで、この神霊に「御礼」と「感謝」の気持ちを伝えたいということで天明は1人で千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)に訪れた。なお、この話には後日談があり、この2年後に「天之日津久神社」の近くに移り住んだ天明は、しばらくしてから2年前に訪れる予定だった「どぶろく」を造っている家の主人の「小川源一郎」から「天明さん1人が飲むぐらいなら当時でも十分にあった」と聞かされたという。
  19. 「地つ巻」第二十一帖でも「臣民からは阿房(あほう)に見えても、素直な人には神がかかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ」。



 参考文献
  • 岡本天明筆『ひふみ神示』 コスモ・テン・パプリケーション ISBN 4876660336 c0014
  • 岡本天明筆『新版 ひふみ神示』 コスモ・ビジョン ISBN 4876660751
  • 岡本天明筆 岡本三典編『太神の布告』 コスモ・テン・パプリケーション ISBN 4876660107 c0014
  • ' 岡本三典『日月神示はなぜ岡本天明に降りたか』 徳間書店 ISBN 4198606226
  • 泉田瑞顕『日月神示 日本大預言』 静雅堂 ISBN 4915366057 c0014
  • 中矢伸一『日月神示』 徳間書店 ISBN 4195045592
  • 中矢伸一『日月神示 神一厘のシナリオ』 徳間書店 ISBN 4195048710
  • 中矢伸一『正釈日月神示』 徳間書店 ISBN 419860262x    
  • 中矢伸一『日月神示 艮の戦』 徳間書店 ISBN 4198500118
  • 中矢伸一『日月神示 日本魂復活の日』 KKロングセラーズ ISBN 484540656X
  • 中矢伸一『日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』 徳間書店 ISBN 9784198620233  
  • 坂口光男『21世紀の大末路』 KKロングセラーズ ISBN 4845407507   
  • ' 今村光一抄訳、編『スウェデンボルグの霊界からの手記(上)』 経済界 ISBN 4766702689
  • ' 出口和明『(実録 出口王仁三郎伝)大地の母3 地獄の釜』 みいづ舎 ISBN 4900441031
  • ' 出口和明『(実録 出口王仁三郎伝)大地の母4 立春の光』 みいづ舎 ISBN 490044104x
  • 出口王仁三郎『霊界物語1 霊主体従 子の巻』 愛善世界社(ISBNコード無し 平成7年刊)
  • 出口なお『大本神諭 天の巻』村上重良 校注 東洋文庫347 平凡社 ISBN 4582803474
  • 出口なお『大本神諭 火の巻』村上重良 校注 東洋文庫348 平凡社 ISBN 4582803482
  • ' 『聖書』 新共同訳 共同訳聖書実行委員会 1988 ISBN 4820210351 




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