こうすれば勝手がよいという、人間心をすっきり出せん。刻限の話(おさしづ)は違わんで。めん/\(銘々)思やん(思案)があって こうしたらよいと、談示(だんじ)して尋ねる。これからは何でも彼(か)でもさしづする。さしづ通りにすれば間違う事は無い。あの者があゝ(ああ)言うよって、この者がこう言うよって、と言うて居ては、すうきり(すっきり)間違う。そこでこの事を一寸(ちょっと)話置くという。(明治22年10.25日)
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さあさぁさぁさぁ悟り違い/\、悟り違いはもう知りつゝ(つつ)もう/\くどう/\だん/\(だんだん)のさしづ。めん/\(銘々)皆それ/\(それぞれ)談示無く、談示して勝手に運ぶなら 何にも尋ねるまでやない。人間の義理に尋ねるなら要らん事、さしづ外せば尋ねるまでやない。尋ねるならさしづもしよう。さしづは神一条の話。これまでの處(ところ)は多くの處(ところ)、内々定める處(ところ)も未だ/\(まだまだ)尋ねてないで。一つ人間の心でするなら、尋ねるに及ばんもの。(明治23年6.20日午後12時20分)
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皆(みな)勝手という この理が難しいのやで。皆(みな)集会々々と言うて、何遍(なんべん)集会をしたと言うて居る。けれど皆勝手をするから難しいのや。中に成程(なるほど)の理もある。勝手すれば
その日から苦しまんならん。又(また)夜明けたら尋ね出る。何遍集会しても、止め(とめ)は神がするのやで。皆勝手すればどうもならん。(明治23年6.25日午前2時)
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ぢばというは、三年や十年やない。見澄ましてある。そこで言うた通りに成る。内々もさしづ通りより持たぬよう。中には勝手が悪い事もある。人間心取れば(選択すれば)孝心(こうしん)でしたる事と言わん。その日から困らにゃならん。尋ねたらさしづ通り、心一つ、一手さしづ通り。心得のため理を諭そう。(明治23年6.25日午前9時)
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それ/\(それぞれ)人間心勝手が混じる。受け取りが無い、直(す)ぐと終(しま)いになる。こゝから(ここから)尋ね事情から 一つの心の理
受け取る事出来ぬ。外々(ほかほか)事情一つ始め掛け、神一条始め、神一条〈で〉行かんにゃならん。(明治23年7.3日)
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皆揃(みなそろ)うて出て来る。結構な理がある、めん/\の理がある。結構の理が分からん。勝手言う理があるからどうもならん。もう変わる変わらんやない。幾年何年経って分からんやならん。一名一人(いちめいいちにん)の理がある。明らかな道を通りて、やれ/\めん/\(やれやれ銘々)勝手あるからどうもならん。こゝら(ここら)の理を
よく聞き分けてくれ。(明治23年8.19日午前2時30分)
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めん/\の勝手というが、何遍諭(なんべんさと)せども一寸(ちょっと)も治まらん。もう/\十分々々。何も彼 (か)も治めてある。なれど勝手がある。勝手はどうもならん。親の事情
親の理 聞き分け。身の處(ところ)にて不足あれば どうもならん。勝手がどうもならん。親々の間に何の差さありも無い。親々の理を聞き分け。(明治23年11.28日)
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勝手というはどうもならん。勝手というは、人間心の道であるから一寸(ちょっと)にはよい。なれどいつ/\までも治まらん。何をしたのやなあ と言う。これで難しい。たとえ(たとえば)縄を引く、仮に杭(くい)を打つといえど、尋ねさしづ通り。尋ねば随分の理に見てさしづする事もある。成らん道も押しての道は続かん。何かの事(どんな事で)も聞き分けてくれ。(明治24年5.8日)
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勝手の道通りていんねん(因縁)という。これから治めさす。‥俺が/\というは、薄紙貼ってあるようなもの。先は見えて見えん。‥ 見ては強く堅(かた)いように見えるなれど、あちらかす/\(カスカス)、こちらかす/\、元より堅き事はない。これ一つの理も心に治めにゃなろうまい。‥
勝手一つの理は邪魔になる。事情聞き分け。神がじっと(ジッと)して居たら、世界から寄りて来ても、どうもなろうまい。(明治24年5.10日)
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知らず/\の道、分からず/\の道、みす/\(みすみす)の道ある。これ三つ出掛けたらどうもならん。盛(さか)ん程(ほど)めん/\心を静めて掛かるから盛んという。心の理があれば勝手の道という。勝手の道は盛んとは言えようまい。〈先に〉暗がりの道が見えてあるから、諭さにゃならん。しっかり皆に伝えて治めてくれ。(明治24年7.24日)
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第一若き事情、若き事情は これまで育てて来たる。日々治まりたる。万事(ばんじ)聞き、若き一代の理 聞き分け。どんな事もさしづまでの理 運んで、先々心で思わにゃならん。若きというは、心の勝手という。若い者は諭してくれ。‥
一寸(ちょっと)若いと言えば、めん/\心の勝手という理がある。そこで諭してくれにゃならん。知らん/\、分からん/\は どうも一時の處(ところ)にては分かろうまい。よう聞き分け。(明治24年9.16日)
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さあ/\さしづ/\という、これまでどんなさしづもしてある。さしづは違わん。なれど当分はその心で居る。なれど日が経てば、遂には勝手々々ついで/\、遂には崩れ、その日/\の勝手を以(もっ)て崩す。そんな事ぐらいは
ほんの小さい事や。どんならん事は、その時の場合によりてする事はどうもならん。その場によりて通らねばならん。(明治25年1.13日)
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勝手/\覚束(おぼつか)ないものであるで。(明治25年2.22日)
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さあ/\よう/\(漸々)事情/\、これまでの事情にさあ/\分からん/\。どんならん。分からんからこういう日が出て来る。幾日経てども竦(すく)んで居る。‥
ワハ丶丶丶丶、さあ/\皆(み)んな勝手ばかり言うて放って居てはどんならん。放って置くからこうなる。‥これまでだん/\さしづ/\で日々の處(ところ)、危ない處も怖わい處も知らし、こうなる道も知らし、さしづ順序、危なき道を通りたか、よう思やん(思案)すれば分かるやろ。ただ一言のさしづ柔らかなもの、さしづに間違いはあろまい。心真実の理を見分けるなら、間違うた理はあろまい。これだけ聞き分けて置け。(明治26年2.6日朝)
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さあ/\もうこれ一人のために そちらも騒がし、残念でならんが未だ(まだ)それだけの事分からんか。分からんやない。なれどめん/\勝手から怖わい道を通らねばならん。(明治26年5.11日夜2時10分)
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これから向う(向こう)は人間の理で通る。人間の心で通る、とても/\行かせん(行けはしない)で。一筋の糸が切れたら〈、〉暗がり同様の道である。(明治27年1.22日午後12時30分刻限御話)
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危ない話も怖わい恐ろしい話もしてある。‥さしづ引き出して、改めてみるがよい。さしづの中に間違うたると思う事もあろう。なれどさしづの理は間違わん。聞きよう取りよう勝手の理があるから、ありゃこりゃになるからどうもならん。(明治27年3.4日夜)
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皆な勝手/\の理を拵(こしら)え、ならん時にはさしづ/\と言うはどんならん。
さしづ取りて事情、さあ/\井戸々々深い井戸に譬(たと)えて話する。すっきり澄んだ水いらいさえせねば濁(にご)らん。すっきり(すっかり)濁りた水が飲めん。よう聞き分けてくれ。濁る時節(じせつ)来る處(ところ)どうもならん。世界濁る。(明治27年3.17日)
【註】いらいさえせねば
「弄(いら)いさえせねば」で、「弄(いじ)りさえしなければ」「弄(もてあそ)びさえしなければ」という関西広域で用いられる語。〔動詞〕弄(いら)う。
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さしづの理に どういうもの と言うようでは、さしづは何にもならんようなものなれど、これまで道の理を考えてみよ。分かるやろう。勝手の理に
理を拵えるから間違う。今の話の理に止(とど)まって了(しま)うと言う。 (明治27年3.19日)
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双方の心にとって皆々高い低いの理は無い。ろっくな道なれど、勝手の理よりだん/\高低(たかひく)の理を拵え、あちらへこちらへ擦(す)れ、心の理は散乱。たった一つの理を、きょうだい(兄弟姉妹)一つの理、後より出けた(出来た)理もあろまい。どうなろうと言うようになりてからは、どうもならん。皆(みな)打ち捨てたる事情もある。よう聞き分け。(明治28年5.13日午後3時)
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何程(何ほど)身の障り 幾重々々(いくえ/\)何ぼう(なんぼう)さしづしたとてさしづはその場限り。どうしたらよいこうしたらよいと言えど皆そのまゝ(まま)。さしづ無くても勝手だけはよう出来る。さしづ通り出来ん。さしづ通り出来たる事もある。出けても不承々々(ふしょうぶしょう/嫌々/渋々)だらけ。あちら腹立てこちら腹立て一つの理に治まらん。互い/\の心さえ皆(み)んな話し合うなら一時の理に治まる。この道は俺が/\と言うたて皆んな神の道、神が働けばこそ日々の道である。それで難しい事
始め掛ける。(明治28年10.7日)
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好(よ)いと悪いとのさしづを取りて、勝手の好(よ)いさしづは用いるなれど、勝手の悪いさしづは潰(つぶ)して了(しま)う。第一これが残念でならん。これがどうもならん台である。台の話もして置こう。けつまず(蹴躓)く台にもなるやろう。有るやら無いやらと思て居る者がけつまず(蹴躓)く。〈神のさしづを〉心に持って通る者はけつまず(蹴躓)かん。皆一寸(いっすん)の虫にも五分(ごぶ)の魂、と、皆言うたる。 人間と人間と どうこう言うならさしづは要らんものや。これだけ諭したら皆分かる。(明治29年3.24日) |
道が分からんから分からん事になる。どうなるこうなる、心の理 分からんから分からん。皆(み)んなこれ教(教え)という理がある。教(教え)に従うて通らんから、綺麗(きれい)な道が
むさくろ(むさ苦)しいなる。皆 行き難(にく)い道を尋(たず)ねて捜(さが)すから どんならん(どうにもならない事になる)。一人二人三人の心で世界通れるか。さあ
さしづに及ぶ。さしづしても守らねば、さしづまでのもの。よう聞き分け/\。何遍(なんべん)々々、これまでの道 知りて居(い)ながら、便りも無く 声も無く、理も無く、道の道 通らんから、どうなろう
知らん という日になって来たのや。どうでもこうでも、心迷いありてはならん。‥自由(じゅうよう)の理 分からんから どんならん。我がさえよくばよい
という心があるから、こういう理になりて来る。どうでもこうでも人間の心では行かんで/\、行くなら この道とは言わん。精神一つの理が 世界鮮やか明らかなもの。この理より無い。これをよう聞き分けて、改めてくれ/\。めん/\(銘々/各自)でする事なら
どうもならん。いかなる大切にせんならんものでも、心に間違えば、大切が大切にならん理が、今日の日であろ。さあ/\分からんから分からん。(明治30年11.13日) |
皆な一つの心に成りて、よう思やん(思案)せよ。これまで艱難(かんなん)の道、今の道 互いの道。辛(つら)い者もあれば、陽気な者もある。神が連れて通る陽気と、めん/\(銘々)勝手の陽気とある。勝手の陽気は通るに通れん。陽気というは、皆(み)んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者
苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。めん/\勝手の陽気は、 生涯通れると思たら違うで。(明治30年12.11日)
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好き事だけ集め、外(ほか)の事はそのまゝ。これでは勝手の理とはっちゃ言う理は無い。勝手の理なら、めん/\(銘々)好いた(好きな)ようにするがよい。(明治31年3.27日)
【註】はっちゃ 〜とだけ。〜としか。この場合は「勝手の理としか言いようがない」となります。
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神の理 失うて了(しま)い、勝手々々の理でそれ仕舞(じまい)、神のさしづ、紙に巻いて納(なお)して、この理 神の残念々々、事情はだん/\諭さにゃならん。(明治31年4.20日)
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こら理や、そら理やと、人間勝手の理、神の道に無き理を引き出すから治まらん。決まらん。そんな事では教(教え)の理は説けやせんで。日々どういう理を以(もっ)て取り次いで居るか。一手一つの心、教(教え)一つの理を以て、嬉しい心を、日々聞かしてくれにゃならん。(明治31年5.17日朝)
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あちら身びいき(身贔屓)こちら身びいき。一時(いちじ)の道に勝手々々の話は何にもならん。前々の話の理にもある。成るか成らんか鮮やか分かりたるやろ。身びいきはならん。こうのう(効能)の理は
いつになりてもこうのうある程に。こうのうの無い者は、どれ程(ほど)蔓(はびこ)っても、ふっと吹かれたようなもの。よく聞き分け。(明治31年7.14日夜)
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心に日々曇り無く、道理からの理。その中に聞くに聞かれん、見るに見られん、高い低い理、長い短い理。よう聞き分け。神のさしづを聞いて、分からん事を聞き分け。どうもならん。何ぼ(なんぼ)諭したとて、勝手ある。善いと悪いと、長い短い、ほんにこれでこそ神の話。さしづ通りよりならんものと定め。(明治31年9.30日)
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人はどうでもいうようでは、むさくろしい(むさ苦しい)/\。塵(ちり)だらけ ほこり(埃)だらけではどうも出けやせん(出来やせん)。(明治31年10.23日) |
勝手なら勝手にさす。それで人に満足与えられるか、与えられんか聞き分け。この満足何處(どこ)から理与えるか、誰に理があるか。この道理(どうり)聞き分け。何程(ほど)高い所に居ても、何時(なんどき)落ちるやら分からん。一夜の間にも、どういう事出けるやら分からん。どんな事出けても、神の怨みとは思うてくれなよ。(明治31年12.30日)
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勝手という理は、この道には一つも要らん。(明治32年5.14日)
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誰がどう彼がどう、めん/\勝手という理があってはならん。何ぼ(なんぼ)賢(かし)こに生まれても、教えにゃ知りゃせん。聞かにゃ分からんで。どんな者でも、聞いて一つ、通りて年限重ねて一つの理という。(明治32年5.31日)
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あちら眺めこちら眺めて、勝手のよい理を出し、無理の理でも通すというは、人間凡夫(ぼんぷ)の理である。(明治32年7.23日)
【註】凡夫
もとは仏教語。愚かな人。仏の教えを理解しない人。凡人。転じて、人間心・人間思案の強い人。親神・教祖の教えを理解しない人。ほこりの心遣いの人。
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話をして居るが、聞いた時は ほんに と言うて居る。なれど、聞いた事つい日柄経てば勝手という理運ぶ。勝手運べば、つい/\(ついつい)の日が出る/\。日が出るからどうもならん。勝手というものは、めん/\にとってはよいものなれど、皆の中にとっては治まる理にならん。‥
たゞ(ただ)その場越せるなれど、心失うて、神の道は働かせんようになったら、どうもならん/\。勝手々々の話はあちら濁り、こちら濁り、濁り水流(なが)したら、どうもならん。立てよ/\どう言うたてならん。‥あちら捜(さが)
し、こちら捜し、澄んだ水を捜さにゃならんような事では、どうもならん。日柄十分経ったるけれど、澄んだ同じ水に成らんから日が遅れる。‥
勝手出せば、あちら濁りこちら濁りすれば、どうなる。これ聞き分け。何よ五本の指の如く/\すれば、澄んだ水と言う。中に澄んだ水が神の道に外(ほか)は無い。外(そと)の濁りは世界と言う。中の濁り
中から洗わにゃならん。神の道 皆心得。(明治33年11.20日)
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又(また)勝手にしょう/\。これ第一いかん、第一ならん。この勝手一つ、又、何よしてからこう、これもいかん。これもと金銭づくでする事はどうでもなる。なれど、心を養う理は、金銭ではいかん。これしっかり聞き分け。勝手はならん。金銭で出ける事は小さい。金銭は構わんようなものなれど、それは皆 道から出けたもの。道から出けたものなら、それはそれの運び方も、それ/\
心なくばなろうまい。(明治34年5.25日) |
まあ遠い所、それからそれへ伝え、道という、又先(またさき)という中に、一つの困難という/\中に一つ理、これも一つ、よく聞いて話という。又(また)満足さゝ(ささ)にゃならん。満足さゝにゃならんが道という。ただ一つというは、何度の中にも諭し置いたる。同じ一つの中、我がさえよくばよい
というようでは、きょうだい(兄弟姉妹)とは言えん。この理を一つ聞き分けて心に治めするなら、同じ水流れる。力次第、力次第にもだん/\ある。この理よく聞き分けにゃならん。(明治35年8.10日) |