その6の5 教祖の世直し論その1、神の残念、立腹論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「教祖の世直し論その1、神の残念、立腹論」教理を確認しておく。お道教理は、ご利益信心ではない。むしろ、自己と他と、集団と世の中との協働を生むための精神修養論から始まり、「世直し、世の立て替え」へ向けての心構え論を説いている。以下、これを能う限りにおいて解析してみたい。

 2006.1.23日 れんだいこ拝


神の残念、立腹論
 みき教理は、如何にも宗教的な類の単なる精神的な気休め論ではない。社会生活上の実践的な生活に於ける「あるべき生き方」を指針せしめている。ここにも「みき教理の白眉性」が認められよう。具体的には、諸病息災の元となる権力的抑圧的しがらみから離れて、いったんは「どん底生活」を通じて、その堪能の日々から起き上がり、そこから会得した生活能力でもって「上、高山」、「唐、天竺」を批判し、「人類及び世界の創造神親神の思いに適う陽気遊山の生活、社会、体制」に立ち返るよう「世直し、世の立替え」を指針している。ここが凡百の開祖と異なるみきの特異性であろう。

 教理的には、天然自然の理を知り、己の生き方に目覚めた民が、助け合いの陽気づくめの世づくりの変革に向かうよう促している。具体的には、「谷底せりあげ、高山後回し」、「陽気づくめでろっくの地にならす」、「高山削って谷底埋める」、「世界一列をろくぢに踏み均(なら)す」の御言葉がある。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。

 この障り 手引き意見も 立腹も 
 皆な銘々に 思案してみよ
五号20
 この話し 何と思うて 聞いている 
 可愛い余りて 口説くことなり
五号21
 どのように 意見立腹 云うたとて 
 これ助けんと 更に云わんで

五号22

 こらほどに をもてはじめた この世界
 月日の心 なんと残念
六号87
 この道を 知りたる者は 更になし
 月日残念 何と思うぞ
六号88
 それ知らず 今のところ 高山は
 皆なはびこりて ままにしている
六号89
 この月日 第一これが 残念な
 どんな返し するや知れんで
六号90
 この世界 山ぐえなぞも 雷も
 地震大風 月日立腹
六号91
 この話し 何と思うて 聞いている
 天日火の雨 海津波や
六号116
 雷も 地震大風 水つきも
 これは月日の 残念立腹
八号58
 今までに 月日残念 やまやまと
 積もりてあるを 皆な晴らすでな
十四号17
 世界には コレラと云うて 居るけれど
 月日残念 知らすことなり
十四号22
 月日より 陽気づくめと 云うのはな
 これ止めたなら 残念えろうなる
十四号27
 口先で なんぼ真実 云うたとて
 聞き分けがない 親の残念
十四号75
 それ故に 親が胎内 入り込んで
 どんなことをば するや知れんで
十四号76
 どのような せつないことが ありてもな
 病いではない 親の残念や
十四号77
 この話し どこのこととも 云わんでな
 親のたあには 皆な我が子やで
十四号78
 真実の 親の残念 でたならば
 この治め方 誰も知るまい
十四号79
 こらほどに 残念積もりて あるけれど
 心次第に 皆な助けるで
十五号16
 いかほどに 残念積もりて あるとても
 踏ん張りきりて 働きをする
十五号17
 今日の日は 何を云うやら 知れんでな
 親の残念 皆な表わすで
十五号18
 今までの 親の残念 知らしたさ
 そこでこのたび 皆なしてみせる
十五号38
 どのような ことをするのも 知れんでな
 皆な一列は 承知していよ
十五号39
 このたびの 残念口説きの この話し
 皆な一列は 何と思うてる
十五号40
 親の目に 残念の者は 何時に
 夢見たように 散るや知れんで
十五号67
 何事を 頼んだとても 誰にても
 聞き分けがない 親の残念
十五号76
 このたびの 残念口説き この話し
 どうぞしっかり 聞き分けてくれ
十五号77
 今日の日は 親が何事 云うたとて
 どんなことでも 背きなきよう
十五号78
 いかほどに 口説いたとても 誰にても
 聞き分けがない 親の残念
十六号49
 今日の日の 神の残念 立腹は
 容易なることでは ないと思えよ
十六号52
 月日より ない人間や ない世界
 始め掛けたる 親であるぞや
十六号53
 そのところ 何も知らざる 子供にな
 太鼓止められ この残念みよ
十六号54
 このたびは 返しをば するほどに
 皆などこまでも 承知していよ
十六号55
 このことは 何のことやと 思うている
 神の残念 晴らすことやで
十六号58
 今日までは どんなことでも 云わなんだ
 じっとしていた この残念みよ
十六号68
 今までの 月日残念と 云うものは
 なかなか一寸の ことでないぞや
十七号21
 今までは どのよなことも 聞いていた
 このたびこそは 残念晴らすで
十七号25
 この晴らし どういうことに 思うかな
 何時どこで 退くやらな
十七号26
 これまでの 長い道中 この残念
 一寸のことでは ないと思えよ
十七号27
 これからは 月日残念 出たならば
 どのよなことが あるや知れんで
十七号32
 今日の日は どのよなことも 詰んできた
 神の残念 晴らすみていよ
十七号33
 それをばな 何も知らざる こ共にな
 取り払ハれた この残念わな
十七号38
 しかと聞け この先なるは どのような
 返しあるやら これ知れんでな
十七号39
 月日より この残念と 云うのわな
 なか/\一寸の 事でないぞや
十七号40
 返しでも 一寸のこととは 思うなよ
 どんなことをば 月日するやら
十七号41
 この話し 何んとをもうぞ 皆なの者 
 神の残念 ゑらい事やで
十七号42
 今日までは どんな道やら 知れなんだ
 これから先は 道を知らせる
十七号56
 この道は どういう事に思うかな 
 月日残念 一条の事
十七号57
 この残念 何の事やと 思うかな
 かんろふ大が 一の残念
十七号58
 この残念 一寸の事でハ ないほどに
 どんなかやしを 月日するやら
十七号59
 どのよふな ことがありても 恨みなよ
 皆な銘々に してをいたのや 
十七号60
 この先ハ 世界ぢううハ とこまでも
 高山にても 谷底までも
十七号61
 これからハ 世界一列 段々と
 胸の掃除を するとをもへよ
十七号62
 この掃除 なんとをもうぞ 皆なの者
 神の心を 誰もしろまい
十七号63
 月日にハ どんな残念が あるとても
 今までじいっと 見許していた
十七号64
 さあ今日ハ 日も十分に 詰んできた
 何でも返し せずにいられん
十七号65
 この返し 何のことやと 思うている
 神の残念 ばかりなるぞや
十七号66
 この残念 一寸のこととハ 思うなよ
 積もり重なり ゆえのことやで
十七号67
 月日には 世界中は 皆な我が子
 可愛い一杯 思うていれども 月
十七号68
 それ知らず 皆な一列は 銘々に
 埃ばかりを 思案している
十七号69
 この心 神の残念 思うてくれ
 どうも何とも 云うに云われん
十七号70
 今ゝでの よふなる事ハ ゆハんでな
 これから先ハ さとりばかりや  
十七号71
 この先ハ 何をゆうやら しれんでな
 どふぞしかり しやんしてくれ 
十七号72
 さと/\たをと/\びよさま/\ 十七号73
 この話し あいづたてやい てたならば
 何ゝついても 皆なこのとふり
十七号74
 これをはな 一列心 しやん頼むで 十七号75
 教祖は次のようにお諭しなされている。

 転輪王の身になって人を助ける。仏教の「帰投身命(きとうしんみょう)」の精神と通底している。
 お指図は次の通り。
 「どうでも精神という道なくばならん。皆な精神から出来てくる。この道元草生えの中から云えば、しんどの仕損は教祖や。何も楽しみなしに、一日の日も遊山もせずに越したはしんどの仕損」(お指図、40.5.30)。
 





(私論.私見)