その8 勇む論、いずむ論

 更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「勇む論、いずむ論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【勇む論、いずむ論】
 お道の「勇み論」、「いずむ論」教理は案外と大事と思わせていただく。そもそも「勇む」には、親神様のご守護がなければ勇めない。親神様のご守護を頂くには、親神さんの思い、願いに即した生き方をしていなければならない。その逆が「いずむ」である。「いずむ」者は「いずむ」者特有の考え方、行い方がある。これを逆に言えば、「勇む」者には「勇む」者特有の考え方、行い方がある。その発露としての「勇み」である。してみれば、勇んでいられるのは勇めるだけの理があるから勇み、「いずむ」者には「いずむ」だけの理があるから「いずむ」と云うことになる。

 「勇む」につき、御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 神が出て 何か委細(一切)を 説くならバ
 世界一列 勇むなり
御神楽歌よろづよ八首の7首
 一列に 早く助けを 急ぐから 
 世界の心も 勇さめかけ
御神楽歌よろづよ八首の8首
 八ツ 病のすっきり根は抜ける
 心はだんだん勇みくる
御神楽歌四下り目
 皆な揃うて 早くつとめを するならバ
 そばが勇めバ 神も勇むる
(1号11)
 親の目に 適うた者は 日々に
 段々心 勇むばかりや」
(15号66)

 「いずむ」につき、御神楽歌、お筆先には次のように記されている。

 これからは 心しっかり 入れ替えて
 陽気づくめの 心になるよふ
(14号24)
 月日には 人間始め かけたのは
 陽気遊山が 見たい故から
(14号25)
 世界には この真実を 知らんから
 皆などこまでも いつむばかりで
(14号26)
 月日より 陽気づくめと いうのをな
 これ止めたなら 残念えろなる
(14号27)
 親の眼に 残念(ざねん)の者は 何時(なんどき)に
 夢見たように 散るや知れんで
(15号67)

 教祖は次のようにお諭しなされている。

 お指図は次の通り。
 「さあさぁ罪々聞かすやない。心いずむ。神が乗らん。‥神が踏ん張る處(ところ) 、罪という罪すっきり聞かさんよう。一つの心という、神じゃない、心 人間心に映してある。罪聞かして どうなるとも計り難(がた)ない。思案してみよ。僅(わず)か因縁、僅か治まり、雑言(ぞうごん)悪を馳(は)すと言う。一度は許そ。後一つ心許さん」 (明治22.9.19)。

 【註】雑言「罪口説」とほぼ同意。ここで 「罪 」は文脈から「悪口・陰口を聞かせること」、悪を馳すは「ほこりを駆け巡らせ、まき散らすこと」と思案します。





(私論.私見)