その8 | 勇む論、いずむ論 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「勇む論、いずむ論」教理を確認する。 2016.02.29日 れんだいこ拝 |
【勇む論、いずむ論】 | ||||||||||||||||||||||
お道の「勇み論」、「いずむ論」教理は案外と大事と思わせていただく。そもそも「勇む」には、親神様のご守護がなければ勇めない。親神様のご守護を頂くには、親神さんの思い、願いに即した生き方をしていなければならない。その逆が「いずむ」である。「いずむ」者は「いずむ」者特有の考え方、行い方がある。これを逆に言えば、「勇む」者には「勇む」者特有の考え方、行い方がある。その発露としての「勇み」である。してみれば、勇んでいられるのは勇めるだけの理があるから勇み、「いずむ」者には「いずむ」だけの理があるから「いずむ」と云うことになる。 「勇む」につき、御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
「いずむ」につき、御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
教祖は次のようにお諭しなされている。 |
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お指図は次の通り。
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(私論.私見)