【教祖の「力比べ」の逸話】 |
老境に達した中山みきは、お屋敷に勤めている高井直吉や宮森与三郎、おぢばを訪れる力持ち、例えば井筒梅次郎、諸井国三郎、土佐卯之介、仲野秀信らに対して「力比べ」を持ちかけている。ご自分の腕を差し出して「力の限り押さえてみよ」と仰せられ、拒むわけにもいかず握り返して反発したところ、教祖は少しもたじろがず、そればかりか教祖が少し力を入れて握り直すと腕がしびれて力が抜け降参を余儀なくされた。教祖は、「神の方には倍の力や」と説いて聴かせている。また「こんな事できるかえ」と仰せになって、人差し指と小指とで相手の手の甲の皮をつまみ上げるや、非常に痛くてその跡は色が青く変わるくらい力が入っていた。また背中の真中で、胸で手を合わすように正しく合掌なされたこともあったと云う。以下、「力比べ逸話」を確認しておく。 |
1.井筒梅次郎との力比べ
(教祖伝逸話篇逸話75「これが天理や」p131-132) |
明治十二年秋、大阪の本田に住む中川文吉が眼病にかかり、失明せんばかりの重体となった。隣家に住む井筒梅次郎は早速おたすけにかかり、三日三夜のうちに鮮やかなご守護を頂いた。翌十三年のある日、中川文吉は、お礼参りにお屋敷へ帰らせていただいた。 教祖(おやさま)は、中川にお会いになって、「よう親里を尋ねて帰ってきなされた。一つ、私と力比べしましょう」 と、仰せになった。 日頃力自慢で、素人相撲のひとつもやっていた中川は、このお言葉に苦笑を禁じ得なかったが、拒むわけにもいかず、逞しい両腕を差し伸べた。すると、教祖は、静かに中川の左手首をお握りになり、中川の右手で、ご自身の左手首を力限り握りしめるように、と仰せられた。そこで、中川は、仰せの通り、力一杯に教祖のお手首を握った。と、不思議なことには、反対に、自分の左手首が折れるかと思うばかりの痛さを感じたので、思わず、「堪忍してください。」と、叫んだ。このとき、教祖は、 「何もビックリすることはないで。子供の方から力を入れてきたら、親も力を入れてやらにゃならん。これが天理や。分かりましたか」 と、仰せられた。 |
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「力だめしの話」、「正文遺韻抄」諸井政一著(道友社発行)138-140p。
「教祖様は、御老年に及びても、お弱り遊ばされず、時々御前へ伺う人々に対して、力だめしを遊ばさる。或る時、力士詣でければ、上段の間の御座より、腕引きを成されたるに、力士は、下より上段の方へ、引っ張られければ、大いに恐れ入りたる事ありしと。されば、通常の百姓、町人は云うまでもなく、如何なる剛の者といえども、神の方には、敵一倍、皆なこの通りやとお聞かせ下された。これ教祖様、御自身の力にあらず。正しく神様の入込み給う事を示し給うなり。又手の甲を出さしめて、御自身の人差し指と、小指とにて、皮を一寸はさみ給うに、痛さ身に沁みて堪えかね、恐れ入らぬ者はなかりしと」。 |
「そこで、今日は、神さんがな、今日の日を待ちかねたのやで。もう八十過ぎた年寄りで、それも、女の身空であれば、何処に力のある筈がないと、誰も思うやろう。ここで力を現わしたら、神の力としか思われようまい。よって、力だめしをして見せよと仰るでな、おまえ、ワシの手を持ちて、力限り引っ張って見なはれ』と仰せられましたので、梅谷様、血気盛りの頃なれば、力まかせに引きたれども、たちまち引き上げられる様になるので、恐れ入りました、と申し上ぐると、『人さんがおいでるとな、神さんが、手なぐさみをして見せよ、と仰るから、してみせるのやで』とお聞かせ下されたりと。又仰らるゝに、『年の寄るのを、待ちかねると云うは、一つには、四十台や、五十台の女では、夜や夜中に男を引き寄せて、話を聞かすことはできんが、もう八十過ぎた年寄りなら誰も疑う者もあるまい。また、どういう話も聞かせられる。仕込まれる。そこで、神さんはな、年の寄るのを、えろう、お待ちかねで御座ったのやで』と聞かせ給う。もっともの事にこそ」。 |
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2.諸井国三郎との力比べ
(教祖伝逸話篇逸話118「神の方には」p198-200) |
明治十六年二月十日(陰暦正月三日)、諸井国三郎が、はじめておぢばへ帰って、教祖(おやさま)にお目通りさせて頂くと、 「こうして手を出してごらん」
と、仰せになって、掌を畳に付けてお見せになる。それで、その通りにすると、中指と薬指とを中へ曲げ、人差し指と小指とで、諸井の手の甲の皮を挟んで、お上げになる。そして、
「引っ張って、取りなされ」 と、仰せになるから、引っ張ってみるが、自分の手の皮が痛いばかりで、離れない。そこで、「恐れ入りました」と申し上げると、今度は、
「私の手をもってごらん」 と、仰せになって、御自分の手首をお握らせになる。そうして、教祖もまた諸井の手をお握りになって、両方の手と手を掴み合わせると、
「しっかり力を入れて握りや」 と、仰せになる。そして、 「しかし、私が痛いというたら、やめてくれるのやで」 と、仰せられた。それで、一生懸命に力を入れて握ると、力を入れれば入れる程、自分の手が痛くなる。教祖は、
「もっと力はないのかえ」 と、仰っしゃるが、力を出せば出す程、自分の手が痛くなるので、「恐れ入りました。」と申し上げると、教祖は、手の力をおゆるめになって、
「それきり力はでないのかえ。神の方には倍の力や」 と、仰せられた。 |
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3.高井直吉、宮森与三郎との力比べ
(稿本・天理教祖伝逸話篇「逸話131、神の方には」p220-222) |
教祖は、お屋敷に勤めている高井直吉や宮森与三郎などの若い者に、「力試しをしよう」 と、仰せられ、ご自分の腕を、 「力限り押さえてみよ」 と、仰せられた。けれども、どうしても押さえきることができないばかりか、教祖が、少し力を入れて、こちらの腕をお握りになると、腕がしびれて、力が抜けてしまう。すると、 「神の方には倍の力や」と仰せになった。又、 「こんなこと出来るかえ」 と、仰せになって、人差し指と小指で、こちらの手の甲の皮を、おつまみ上げになると、非常に痛くて、その跡は、色が青く変わるくらい力が入っていた。 又、背中の真ん中で、胸で手を合わすように、正しく合掌なさったこともあった。 これは、宮森の思い出話である。 |
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4.土佐卯之介との力比べ
(教祖伝逸話篇「逸話152、倍の力」p254-256) |
明治十七年頃は、警察の圧迫が極めて厳しく、おぢばに帰っても、教祖にお目にかからせていただける者は稀であった。そこへ土佐卯之介は、二十五、六名の信者を連れて帰らせて頂いた。取次が、「阿波から参りました」と申し上げると、教祖は、 「遠方はるばる帰ってきてくれた」 と、おねぎらい下された。続いて、 「土佐はん、こうして遠方からはるばる帰ってきても、真実の神の力というものを、よく心に治めておかんと、多くの人を連れて帰るのに頼りないから、今日は一つ、神の力を試してごらん」 と、仰せになり、側の人に手拭を持って来させられ、その一方の片隅を、ご自分の親指と人差し指との間に挟んで、 「さあ、これを引いてごらん」 と、差し出された。土佐は、挨拶してから、力一杯引っ張ったが、どうしても離れない。すると、教祖は笑いながら、 「さあ、もっと引いてごらん。遠慮は要らんで」 と、仰せになった。土佐は、顔を真っ赤にして、満身の力をこめて引いた。けれども、どんなに力を込めて引いても、その手拭は取れない。土佐は、生来腕力が強く、その上船乗り稼業で鍛えた力自慢であった。が、どうしても、その手拭が取れない。遂に、「恐れ入りました。」と頭を下げた。すると、教祖は、今度は右の手をお出しになって、「もう一度、試してごらん。さあ、今度は、この手首を握ってごらん」 と、仰せになるので、「では、御免下さい」と言って、恐る恐る教祖のお手を握らせて頂いた。教祖は、「さあ、もっと強く、もっと強く」 と、仰せ下さるのであるが、力を入れれば入れる程、土佐の手が痛くなるばかりであった。そこで、遂に土佐は兜を脱いで、「恐れ入りました」と、お手を放して平伏した。すると、教祖は、 「これが、神の、倍の力やで」 と、仰せになって、ニッコリなされた。 |
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5、上田民蔵との力比べ(植田つる (上田民蔵の娘、本部婦人) 手記「力くらべ」) |
「父(上田民蔵/たみぞう)の十八才の時だったと思います。教祖のお齢(よわい)は、聞いたように思いますが、忘れました。父の母(上田いそ)と一緒にお屋敷へ帰らせて頂いた時のこと、教祖が、『民蔵さん、私とおまはんと、どちらが力強いか、力くらべをしよう』と仰って、教祖は、昔のお祀り所の上段の板間の下から、ほんのわずかの高さですが、一、二、三のかけ声で、お手を取って、引っ張り合いをすることになりました。『わしは一生懸命ひっぱった。男の十八、やぶ力というて、思いきり、えらい力を出したのに、教祖がお勝ちになった。ビクともお動きにならへん。教祖、お齢を召しておられるのに、力のお強いこと!わしはもうビックリしてしもた』」。 |
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5.仲野秀信との力比べ
(教祖伝逸話篇174「そっちで力をゆるめたら」p288-289) |
もと大和小泉藩でお馬廻役をしていて、柔術や剣道にも相当に腕に覚えがあった仲野秀信が、ある日おぢばに帰って、教祖にお目にかかった時のこと、、次のような逸話がある。教祖は、「仲野さん、あんたは世界で力強やと言われてなさるが、ひとつ、この手を放してごらん」 と、仰せになって、仲野の両方の手首をお握りになった。仲野は、仰せられるままに、最初は少しずつ力を入れて、握られている自分の手を引いてみたが、なかなか離れない。そこで、今度は本気になって、満身の力を両の手に込めて、気合諸共ヤッとひきはなそうとした。しかし、ご高齢の教祖は、神色自若として、ビクともなさらない。 まだ壮年に仲野は、今は、顔を真っ赤にして、何んとかして引き離そうと、力限り、何度も、ヤッ、ヤッと試みたが、教祖は、依然としてニコニコなさっているだけで、何んの甲斐もない。 それのみか、驚いたことには、仲野が、力を入れて引っ張れば引っ張る程、だんだん自分の手首が堅く握りしめられて、ついには手首がちぎれるような痛さをさえ覚えて来た。さすがの仲野も、ついに耐え切れなくなって、「どうも恐れ入りました。お放し願います」と言って、お放し下さるように願った。すると、教祖は、 「何も、謝らいでもよい。そっちで力をゆるめたら、神も力をゆるめる。そっちで力を入れて来たら、神も力を入れるのやで。これが天理や。神の方には倍の力や。この事は、今だけの事やない程に」 と、仰せになって、静かに手をお放しになった。 |
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