2022.6.4日、「梶本松治郎への神様からのお言葉」参照。
「梶本宗太郎自叙傳」(橋本正治編、昭和32年)に教祖の口上(宗太郎の祖父、惣治郎の筆跡で、教祖のお言葉の書き取り)の記載がある。これを確認しておく。梶本惣治郎の妻の「はる」さんは、教祖の三女に当る人で、惣治郎は教祖の義理の息子である。
(https://takaoka56.com/itsuwa-006/)
この言葉の割書きは以下の通リ。(表記は現代仮名遣い、漢字も必要の応じて入れた)
(明治17,18年頃)松治郎、教祖様に、奈良詣りに行きましょうと、誘いてお地場に来て、教祖様櫟本(いちのもと)へお越し下され、次の言葉あり。梶本松治郎とは、宗太郎の父である、松治郎の弟の新治郎(真之亮)は中山家の養子となり、いわゆる初代真柱様となる。
「松治郎奈良詣りというて来た。神の采配 行けと言うたで。詣ろうと思うて来るも図り事。神の思惑ある故の事。日々の神の心受け取りて、すべて珍し助けするなり。この助け、これ何時頃と言うならば、小人成人次第なるぞや。この小人十三才になりたなら、親子もろ共引き寄せるなら、引き寄せてその先なるは段々と、いつも陽気で遊山遊びを、日日に遊山遊びのそのうちに、中で普請の模様ばかりを。この普請しんはしらともなるならば、いついつまでも年を寄らんで。何十になるいても(註ーなると言うても)案じなし。身の内弱りつくでないぞや。神のゆ(註ーゆう)事疑うな。何を言うても、嘘はないぞや。家内中因縁つけてあるけれど、何を言わねば知らん事なり。因縁をつけたと言うて案じなよ。今から来いと言うでないぞや。めへめへに家業に心尽くするは、これが第一神の望みや」。 |
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