天理神之口明場所おうかんみち/考

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.27日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2007.12.28日 れんだいこ拝


【天理神之口明場所おうかんみち教の履歴と御教え】
 山田梅次郎(1875(明治8)5.8~ 1941(昭和16)11.8)。御神号を根株甘露台。

 愛知県海部郡蟹江町出身。農業を営む山田林吉・冨美の四男として生まれる。 8歳の時に父が没し、母は目を患い全盲となる。幼い頃から兄を助け家の仕事を手伝った。1899(M32)年、臀部に腫れ物ができ天理教に入信。下駄、鍋蓋製造業を営むかたわら、天理教校別科を修了し、のちに天理教講師としての権少講義になる。1912(大正元)10.23日、38歳の時、初めて神意を感得する(天の将軍月日大神の神がかりを教えとして大天啓者となる)。 天理研究会に入会し、1928(昭和3)年、『研究資料』を配布し検挙、起訴猶予処分となる。その後、天理三輪講、天理神の打開場所に入信。天啓を受け、石の甘露台を造っている。

 1936(昭和11).1.11日、梅次郎は、天啓により天理教教祖中山みきの夫、善兵衛の生まれ替わりとする天啓者・人間甘露台であるとの自覚に至り、「甘露水(神種)授け」という救済の秘儀を始める。当時の天理教内部では少なくとも公式的には廃止されていた「扇の授け(伺い)」、「息の授け」を復活させている。この「扇の伺い」による天啓のなかには、国体の変革や理想世界実現に触れたもの、また敗戦や天変地異の予言ともとれるものも含まれている。

 1937(昭和12)年、東京・奈良・長野でも「甘露水授け」を行い、一年余りの活動で組織が整い、名古屋市内の自宅にて、12.23日、十天上王神月日大神の天降りを受け、天理神の口明場所おうかんみち教を立教した。「根株甘露台」を名乗り、ほんみち天理三輪講系から造反した。地上的人間的顕現として親神の社となる。世界丸輪の大義を世に顕示し、神人合一、甘露合世界達設の大望事情を打ち出した。しかし、同年11.21日、治安維持法違反で検挙される。一時保釈となるが、翌年、懲役5年の実刑判決を受け控訴。控訴審で懲役2年執行猶予4年の判決となるが、同年死去した(享年67歳)。
 参考文献

【おうかんみちの履歴と御教え】
 江上寿胤(1904(明治37)1.4~ 1971(昭和47)10.20)。

 酒田市出身。本名は江上庚之助。農家の四男として生まれる。19歳の時に上京。1928(昭和3)年、天理教に入信する。翌年、天理教布教師の江上まちに懇望されて同家の養子となる。名古屋市で山田梅次郎(同墓)が「甘露水授け」を行っているのを聞き、その指導を受ける決心をする。1937(昭和12).8.19日、「甘露水」を拝戴し、そのときに梅次郎から「ひょうたんの木」という名を授かる。同年、梅次郎による天理神之口明場所の結成(おうかんみち教を立教)に参画する。同教団が治安維持法違反事件に遭い、梅次郎が死去する。当時は軍国主義国家化していたため思想、言論の自由は奪われ、宗教に対する弾圧は厳しく取り締まわれていたこともあり、活動は頓挫する。1941(昭和16).12.15日、天理教教祖の中山みきが夢枕に立ったのをはじめ、次第に天啓が示されるようになる。戦時中は活動が停止していたが、戦後の1946(昭和21).4.18日、「甘露水授け」を開始し、梅次郎の行っていた秘儀の継承を宣言する。これを「理の世襲」とよんでいる。こうして天理神之口明場所時代の信者を集め、また天理教の教会に布教をして教団を再建する。「おうかんみち教」を立教させ、「ひょうたんの木甘露台」を名乗り天理神乃口明場所系から造反した。おうかんみちの系譜で、これを再建する。 その後も、中山みきやほんみち創始者大西愛治郎が夢に現れたといい、また天啓を神より受け続ける。没後、教団での位置づけが教祖から教主へ変更された。

 「おうかんみち」とは、人間が見つけたみちではなく、元親神様が直々にお付けになった名称。 道に例えると、大勢の人々が共に歩める広く大きな道を現し、全人類が心勇んで歩む道という意味である。 御祭神は、宇宙を支配する元親神様「十天上王神」、人間創造人間魂の産み親神「月日玉神」、人間肉体の産み親神「岐美王神」であり、『三社三棟の親神様』と称している。 この世の形が定まっていない遠い昔に、神が人間を創ったという概念から、神は生みの親であり、全人類は全て神の子供という思想である。 神は生みの親であり、育ての親という考えから、子供である人間の悩みと魂を救うために、教祖の甘露台を通し、天の食物「甘露水」を授けたというのが原点。 この甘露水を頂くと入込社となり、胸内に親神が宿り、心を育ててくれるというのが特色となっている。
 墓所入口に「宗教法人おうかんみち霊廟」の碑が建ち、入口すぐ右側に山田梅次郎の碑、その奥に江上寿胤の碑が建つ。 墓石は三基並び、真ん中が「根株甘露台」と刻む山田梅次郎の墓、右側が「ひょうたんの木甘露台」と刻む江上寿胤(江上庚之助)の墓、左側は江上家の墓である。





(私論.私見)