大平良平の教理エッセイその2

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.27日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「別章【大平良平」をものしておく。

 2019(平成31→5.1栄和改元)年.9.26日 れんだいこ拝


 病を恐るゝ勿れ  大平隆平
 天理教信者の多くが随分不条理なる教会の制度及び儀式を忍んで教会通いを続けているのは、信心を止めれば又元の身上(疾病)なり事情(不幸)なりが復活するを恐れる臆病心からである。彼らは金を出すことは厭だ。けれども金を出さなければ病気になるを恐れるのである。彼らは教会のために働くことは好まぬ。けれども種々の不幸が彼らの身を襲わんことを恐れるからである。勿論中にはこう云ふ怯懦の信心より超越して真に真理を愛し真生活を愛するものもないではないが、それ等の人々は余程信仰の進んだ人である。大部分の人は以上述べたる疾病不幸の再来を恐れる恐怖心より心ならずも緩慢な信仰を続けているのである。けれどもこの世界に於て吾人の恐るべきものは肉体の病ではない。心の病心の癖である。云い換えれば性癖性情である。この性癖この性情あるがために人は受くべき自然の幸福より離れて小さな世界に呻吟しなければならないのである。

 けれども性癖と云つても一概に悪い性癖計(ばか)りではない。中には随分美しい性癖もしくば性情はある。けれども吾人が実際生活上の不幸を醸すのはそう云ふ良い性癖性情のためではなくて多く片寄つた不具の性情のためである。随つて吾人にとつて最も焦眉の信仰問題は先ず自己の悪癖を打破することである。肉体の疾病はこの精神病の全治に伴つて全治するのである。けれどもここに一つの問題は、以上の性癖即ち精神病を全治することが信仰の奥義ではないと云ふことである。云い換えれば、ほしい、をしい、かわゆい、にくい、うらみ、はらだ ち、よく、こうまんの性癖を打破するだけにて信仰の要義は尽きていないのである。真の信仰の奥義は真我の実現即ち朝起き、正直、働きそのものとなることである。然るに多くの天理教徒の信仰の標準はまだこの処迄達していない。彼らはただ肉体の病を助けられたるが故に信心せぬと云ふが如きものではない。病は助からうが助かるまいが、不幸は除去せられやうが除去せられまいが、真理なるが故に信ずるでなければ本当の信神とは云えない。本当の信神とは、病が助かつても助からぬでも、真理なるが故に信じて正しき生活を継続して行くことにある。蓋し因縁と云ふものは今生積んだ因縁もあれば前生積んだ因縁もある。小さな因縁もあれば大きな因縁もある。軽症もあれば重症もある。大難もあれば小難もある。小さな因縁なれば一時の心機転換によつて直ちに精神的健康状態に復帰することができるけれども、大なる因縁になれば長い間の習慣性のために一時の復活ができない場合、できない人間がある。従つて自己の因縁の大小自己の信仰の大小を計らずして、ただ助かる助からぬと云ふ眼前の利益を標準として信仰し、もしくば信仰せざるはまだこれ真の信仰心を有せるものと云ふことはできない。

 たとい現在に於て助かつても助からいでも自己の欠点、悪癖、悪習慣を自覚して正しき性情の発展に向つて努力するこそ真の信仰を求むる意識ある人とこそ云ふべけれ。もしその長い努力の期間に於て自己の悪癖が真に矯正せられたる時あらば、その時こそ真に吾人は健全なる精神をもつて健全なる幸福を享楽する資格ある人となるのである。畢竟神の立腹即ち身上事情を恐れて自己の所信を断行し得ざるの徒はただこれ臆病者のみ。もし自己の正しと信ずることを断行して神の御異見を戴いたならば、戴いた時こそお詫びをすれば良いのである。何んぞ始めより地頭の一喝を恐れて、自己の正義を断行し得ざる如き臆病に堕する必要あらんや。従つて私は云ふ。病を恐るゝなかれと。

 吾人の恐るべきは理である。理に反せる自己の非行である。誤つた精神である。苟も自己の精神に於て何ら疚(やま)しき点を有せざれば神を憚(はばかる)る必要はない、況んや人をや。私の希望するは実にこの種の人である。徒らに神と人との顔色を読むことに巧みにして、自己の所信を披瀝し得ず断行し得ざる烏合の信徒にあらざるなり。従つて私は云ふ。病を恐るゝ勿れと。真の信仰者の信条はただ理(神)を愛するの一事にある。それによつて生ずる結果の善悪は私の問ふ所でない。これ我が信条である。        

 (紀元九億十万七十 七年二月十一日)

 独立信仰の宣言  大平隆平
 天理教の教師信徒諸君! 余は今回天理教信者五百万の前に立つて余の信仰の変化について一言の説明を許されんことを乞う。余がこの道の信仰に入つたそもそもの動機は身上事情のためではない。また人に匂い掛けせられたためでもない。最初より全く他人の教導を待たない独立独歩の自由研究の結果、この道の信仰に入れることは余がかつて余の入信の動機に就いて告白した通りである。けれども余は神魂を祭る必要上、一昨年の七月、山名部下の一信徒として教会の制度、儀式、習慣に親しむに従い、今日の天理教は余がかつて考えていた教祖の道とは甚だ異る多くの点を発見したのである。而してその一部分は昨年の六月以後の新宗教誌上に於て天理教界革命の声として公表した点に於て余の立脚点は多少理解せられた筈である。けれども教祖の天理教と今日の天理教との距離は彼にて尽きているのではない。余は更に多くの矛盾撞着をこの二者の間に発見するのである。

 一例を挙げて云えば今日教界を風靡しつゝある専制的封建的傾向である。これは天理教本来の理想なる自治的、立憲的思想と全く容れない所の傾向と云わなければならない。然らば何が故に自治独立を標榜せる天理教の如き立憲的新宗教、文明的新宗教にかくの如き弊風が生じたか?その主なる原因は順序の理を余りに狭く曲解したがためである。云い換えれば中山家と信徒及び先輩と後輩との間に余りに大なる階段をつけたがためである。その結果は絶対服従主義と云ふが如き非天理教的教理を生み、人権を全く没却するに至つたのである。

 蓋し今日の天理教にあつては中山家はあたかも昔の将軍家である。大小の教会はこれ昔の譜代外様の大小名である。彼らが本部に登参するのはあたかも諸大名が江戸城に参勤交代すると同一である。将軍家たる中山家は天理教界の至上権を握り、その云ふ所一つとして行われざるはなく、往々之に反くものあればその教会は直ちに滅亡せざるを得ないのである。こう云ふ専制的弊風はひとり中山家と各教会との関係計りでなく、各教会とその部下教会との関係に於ても同一である。

 更に会長と信徒との間は如何と云えば、元来兄弟姉妹の道でありながら宛然これ主従の関係である。これを天理教々理より云えば一列は皆な兄弟である。道順序の上より云つて兄弟姉妹はあつても主従はない筈である。従つて兄は弟を立て、弟は兄を立て、姉は妹を助け、妹は姉を助けても、これに命令する権利はないのである。これが教祖の説いた互い立て合い助け合いの理である。然るに今日の教会の会長対信徒の関係は如何? 宛然一主人が雇人に対する態度である。下は上を立てても、上は下を立つる精神がない。ただ奴隷の如く下婢の如く駆使すれば足るのである。これは或る一部の教会に限られているかも知らないが、上級教会と部下教会、会長と信徒との階級が余りに甚しくその間に於て真の親みのないことは天理教界全体にわたれる争ふべからざる事実である。

 以上述べたる先輩もしくば上級者の専制横暴と極端なる階級制度とは道の精神に相反している計(ばか)りでなく、最も時勢後れの陋習と云わなければならない。事実政治界に於ても思想界に於ても封建制度、専制制度、階級制度は五十年乃至百年以前の過去の夢と化しているではないか!しかも封建制度の打破、専制制度の打破、階級制度の打破、自由の讃美者、平民主義の宣伝者たる天理教それ自身がまだこの古き昔の夢を繰り返しつゝあるとは余りに大なる矛盾ではないか? しかも天理教界全体の人がこの点に思い及ばず、及んでもこの弊風を打破し得ざると云ふのは、余りに自己の宗教の価値及び使命と時勢の進歩とを知らざるものと云わなければならない。

 以上は天理教界に於て直ちに打破せざるべからざる弊風の一つであるが更に天理教界の一つの弊風は各教会が各々党派を立てゝ一人でも多くの信徒をつくり、もつて自己の教会を盛大ならしめんとして信徒の掠奪を公然行いつゝある有様は、宛然戦国時代の諸英雄の勢力争いといささかも異らない。その間には道の発展と云ふが如き全体的観念はない。ただ自己の教会を盛大ならしめんとする一心あるのみ。これ等は道の精神より云つて最も悲しむべき弊風の一つである。余が今回教会を去る主なる理由は、天理教界全体がかくの如き専制的利己的階級的傾向を追ふ限りは、到底自由と独立と平民的特色とを愛する余が天理教信仰の最初の動機と一致すべからざることを悟つたからである。次に余が教会を去る第二の理由は今日の如く各教会が教理を度外視し、教祖の道を度外視して、ただ自己の勢力範囲の拡張にのみ熱中し、道のためも世界のためも思わない状態にあつては、私の真正の活動の範囲は自ら局限せられて根本的よりも寧ろ枝葉的一般的よりも部分的になる恐れがあるからである。事実余が山名の一信徒である限りは、余の活動の範囲は全然山名の一部分に限らるゝことはないにしても、それがために道全体のための働きを局限せられることは争ふべからざる事実である。これは道全体のため世界全体のために善良にして公平なる生活をなすことをもつて理想とせる余にとつては、到底耐ゆべからざる苦痛である。凡て九尺二間の道場にて五間十間の大身の槍は使えぬと同じく小さな仕事場で大きな仕事はできないのは何より明きらかな事実である。

 五万十万の信徒をもつて唯一の宗教とし三百五百の教会をもつて唯一の自分の家となすことは私の理想ではない。自分の家族は人類である。自分の家は全世界である。自分の仕事は人類的事業である。かくの如き信念と理想を賦与せられた私には特殊の世界に於て枝葉の仕事をなすことは牢獄に入れられたると同様の苦痛である。これ本部を始め何れの教会にも属せず、神直属の信徒に帰つて自由の信仰生活を営まんとする所以である。かく云わば世の大部分の天理教信者諸君は余をもつて異端なり、外道なり、半狂的高慢者なりと云ふかも知れない。けれども余は元来或る一部の所謂謙遜なる人々の如く私は詰らないもので御座います。私は何もできないもので御座いますと云つて引つ込んでいるのを美徳だとは信じない一人である。できてもできなくても無限大の理想をもつてそれに向つて全力を傾倒しなければ満足のできない人間であると同時に、自分の感じたことを感じたがままに発表することなしに満足することのできない人間である。

 私は聞く、教祖が大豆越の山中忠七氏に向つて「有てるものゝ凡てを売つて神に捧げよ。然らば神は一粒万倍として返すであらう」と勧めた時、忠七氏は財を惜んでこれを拒んだ。その時教祖は、忠七氏に向つて、「五反や十反の田地を弄(いじ)つている様では駄目だ」と云つて、その志の小なることを笑われたそうであるが、余は始めより向上の志を絶つて凡夫凡婦の生活に甘んずるよりも寧ろ己が力量を知らざる誇大妄想狂たらんことを欲するのである。もし願ふべくは宇宙を呑むの大度と塵埃を余さぬ細心とを欲するものである。実に余は何よりも大なる田地を要する。何よりも大なる庭園を要する。何よりも大なる屋敷を要する。何よりも大なる家屋を要する。何よりも大なる仕事場を要する。何故なれば小さな田地、小さな庭園、小さな屋敷、小さな家屋、小さな仕事場では大きな活動はできないからである。

 更に余は自由を愛す。余は平等を愛す。余は正義を愛す。余は公平を愛す。けれども今日の天理教界には自由平等を与えず、正義公平を許さない。宛然これ三百年以前の封建政治である。そこには人権の擁護なく自由意志の尊重がない。かくの如くにして今日の天理教界には貸物借物の理に説かれてある自由意志の尊重は蔭だも認めることができなくなつてしまつた。余は痛切に感ずる。自分一身のためよりも寧ろ全天理教徒のために、この専制政治の牢獄より一日も早く彼らを救い出さなければならぬことを。余は先ず今日末派の信徒より天理教界の法王たる中山家に架けられたる踏み越え難き梯子を破壊せん。而して未来の人類のために平坦なる道を開かん。誠にこれ世界一列は神の愛児である。その間に兄弟姉妹の順序はあつても兄は主たれ、弟は僕たれ、姉は婦たれ、妹は婢たれとの制度は定めなかつた。これは谷底をせり上げ、高山を見下ろし世界を直路に踏み平らすと云ふ神の理想に徴して明きらかである。これ近代的宗教家の始祖たる親鸞と共に余には弟子なし、ただ同行者あるのみと呼ばしむる所以である。かく云えばとて余は天然自然の順序の道を破壊せよと云ふのではない。ただ今日の制度の下に順序の道を極端に追求する時は種々の恐るべき弊害の生ずることを云つたのであ る。

 一例を挙げて云えば授訓者である。もし授訓者の親教会がロンドンにあり、そのまた親教会がニューヨークにあり、そのまた親教会がパリにあり、そのまた親教会がロシアにあり、そのまた親教会がインドにあり、そのまた親教会が支那にあり、そのまた親教会が東京にありと仮定せんか。これを今日の制度より云えば授訓者は授訓を授く前に各親教会の捺印を求むるために世界を一周し、更に授訓の御礼としてもう一度世界を一周しなければならない。その本部以下各教会への御礼の包み金さえ容易ならざるに、それに世界を一周する往復の旅費を加えたならば、余程大なる財産家でもその家族全体の御授訓を戴く迄には財産は蕩尽せざるを得ないのである。けれどもこれはまだ親教会の少ない方である。もし将来道の発展の結果、親教会を百も二百も有するものは御授訓を運ぶに半年以上の時日と何千の金を費さなければならない。尤も学者金持ち後回しと云ふ天啓により後より道につくものは多く富豪なるが故に構わないと云ふかも知らない。けれども不便は一人信徒のみではない。部下教会に於ても全く同様である。例えばここに二百の親教会を有する宣教所が移転届を申請するとせよ。その教会は二百の親教会の捺印を得て漸く本部に来り官庁式の繁雑なる手続を経た後本部より許可さるゝや授訓者の二倍の礼を各教会になさゞるべからずと云ふ。

 更に余の解し難き不合理の一つは教会を新に新築し新設した場合には新設許可の御礼並びに新築許可の御礼として各教会に御礼をなしたる上、更に百円新築費として本部へ納めると云ふことである。これ等は本部より新築費として下付すべきに却つて新築した教会より徴収すると云ふが如き無謀は天理教ならでは聞かざる処のものである。けれども教会の負担はそれのみにて尽きない。教会新設許可の前には親教会より視察に来、そのまた親教会が視察に来、そのまた親教会が視察に来る。その来るや必らず部下教会長が案内として来るのである。かくの如くにして百も二百も親教会を有するものは建築のために多大の費用を費したばかりでなく、彼ら教会長の接待旅費等に多大の入費を消耗しなければならない。その上授訓者の数倍の御礼と百円の新築費を本部に寄付しなければならぬとは末派の教会の到底耐ゆべからざることである。しかも今日の教会制度をそのまま徹底して行けば当然こう云ふ結果に到達しなければならないのである。

 この救済方法に就いて余はただ二つの方法を知つている。その一つは自己の直属教会より直ちに本部に来て御授訓なり事情願なり戴くのである。(そのための出張所があるではないか)他の一つは部下の教会が独立の力を備ふるに至らば同格教会として独立せしめ、かくて支庁の直属に委することである。こう云ふ方法をとれば今日の如き極端なる封建的弊風を一掃する計りでなく末派の教会信徒を救ふことができる。けれども之に対しては多くの反対者がある。その反対者の多く大教会分教会支教会の如き多くの部下教会を有する既設教会である。何故なれば、この方法によれば現在の大教会分教会支教会は在来の資格を失ふ計りでなく、その維持に困難を生ずるからである。その時彼らの口実として利用せられるのは順序の理である。順序の理より云えば教務支庁直属論は勿論余の山名大教会脱会の行為が現に順序を無視せるものと云ふかも知らない。けれども封建政治が廃れて郡県政治が布かれた否な布かれなければならなかつた世界の大勢から云つても、斯道発展の必然の結果より云つても、勢い到達しなければならぬ結論を云つたままである。後者に関しては余は答えて何ら順序の理を狂することはない。却つてこれを徹底せるのみと云わん。

 何故なれば余は山名よりお助けをして貰つたのでもなければ、また山名より匂い掛けせられたのでもない。全く神自身の直接の匂い掛けによつてこの道に入つた者であるからである。更に余が天理教信仰の道程にて就て詳しく云えば、余が始めて天理教の天啓に接したのは東京の麹町大橋図書館に於て ゞある。余は読書の欝を晴らすために廊下に出た時、不図私の眼に止まつたのは道の友である。余は一語また一語遂に全誌にわたつて天啓の声を拾い集めて読んだが、その中より余はこれぞ我が研究すべき大道であるとの霊覚を与えられた。よつて閲覧室に帰つて研究のために借り出した一切の書籍を返し館内にある天理教に関する一切の書籍を片つ端より読破した。而して館外に出た時は余は天理教に関する一角(ひとかど)の識者であつた。私はその足で直ちに神田錦町の日本橋大教会に往き庭掃きをせる青年より一冊の御神楽歌を求め、帰つて之を通読し、かくも簡単なる言葉の中にかくも偉大なる真理を含有せるを驚嘆した。

 爾来一年有二ヶ月、独力天理教の研究に耽り(その間一度も教会へ行つたことなく一人も教師に逢つたことはない)これぞ吾が永年求めていた宗教であるとの確信を抱き、忘れもせぬ大正三年の七月二十六日に東京教務支庁を訪れた。余の考えでは本部直属の信徒として信仰するにあつたけれども、本部に早速登参せられぬ事情があり、さては教務支庁を訪れたのであつた。その日は青年会の当日で事務所には山名大教会東都支教会の鈴木五郎氏がいられた。余は氏を事務員と思い、神を祭ることゝ信徒加入の手続を尋ねた。その時氏の云ふには、貴方はこれ迄何処の教会にも入つたことがありませんか? ありません。そんなら教務支庁は信徒を扱いませんから私が祀らして戴きましょう。余は教務支庁で信徒を扱わぬと聞いて失望しつゝも、神様さえ祀れば良いと思つて氏に依頼した。氏は翌日約束の如く余を訪問し、祭祀の日を定めて帰つた。而して中二日を置いて七月三十日に神を祀り、山名大教会東都支教会の信徒となつたのである。

 爾来余は東都支教会に於ても山名大教会に於ても破格の優遇を受けて今日に至つたのであるが、天理教教理並びに教会制度研究の結果、余は教祖の天理教と今日の天理教との間に益々大なる距離を感じ、遂にこの大恩ある養いの親、育ての親を捨てゝ生みの親、手引の親神の許に帰らなければならない様になつた。之を教理の上より云えば生みの親と育ての親とある場合には育ての親につくのが自然の道である。けれども余が天理教信仰の動機は全く神自身の教導によるをもつて余は当然神直属の信徒たるべきものである。従つて余は今回山名大教会を退会するのは、順序の理を無視するにあらずして却つてこれを徹底するのである。けれども余は一般天理教徒に向つては余の今回の行動をもつて諸君の範となさゞらんことを告げるのである。何故なれば余の山名大教会を退会して神の直属の信徒に帰つたのは、順序の道を踏んだものであつて、諸君が自分の教会を退会するのは或は順序の道を破壊する恐れがあるからである。余が特にこれを諸君のために断るのは、余は神の律法を破壊するために来らず却つてこれを完成するために来たからである。けれども余は諸君のために注意するのである。誤れる教師の言葉と虚偽なる儀式と虚偽の制度に従う勿れと。これに従ふものは神と教祖の敵である。ただ朝起きせよ、正直なれ、働け、これ三つは諸君の必らずや守らざるべからざるものである。もし諸君の中この三つを守らざれば諸君が如何に教会の制度儀式に忠実なるとも決して救わることなかるべし。

 助け一条の道は草が茂つた。今日の天理教々師の往来している道はただ助かり一条の道のみ。人泣かせの道のみ。彼らの求むる所は黄金ただ黄金である。けれども天国に於て最も小さきものは金なることを記憶せよ。虚偽の儀式と虚偽の制度とは諸君を姓名の道より引き戻す腰縄のみ。余はこれだけ諸君に語つて我が生れ故郷なる朝起き、正直、働きの世界に帰つて行くのである。而してそこで何者にも束縛せられることなき自由の信仰を楽しむのである。底には教理あれども教権はない。本部の誤れる教権は遂に余を縛る力はない。教会の制度も亦然り。かくて余は一切の教界の虚偽より脱して独立の信仰に入るべきことを宣言す。

 最後に一言。余と山名大教会との関係について弁明してをかねばならぬことがある。余が昨年の六月、新宗教第三号に始めて天理教界革命の声を発表するや、事情を知らざる天理教界の人々は或は広池博士の暗中飛躍と云い諸井前会長の使嗾と云つた。けれども当時の余と博士並びに前会長との関係は各々ただ一回の会見を遂げしのみにて元より教界の内情を語つたことはない。それも余が本部にあつて毎日諸井氏もしくば広池氏に接しているものならば兎に角、東西居を異にしてしかもまだ全く理解し合わざる人間が手紙を以つて六、七月両号にわたる彼だけの内容を書かせられる筈はない。元来余と雖も信仰を生命とせる人間である。人の使嗾や指導によつて論説を発表する様な薄弱な人格は持たない。然るに昨年七月、余が登本以来、世人は専ら諸井氏が物質的にも精神的にも余の雑誌と関係あるかの如く信ずる者が益々多くなつた。けれども前述の如く雑誌を出すについて余は諸井氏より一言の使嗾を受けたことなく一文の補助を受けたことはない。これは神の明きらかに知つていることである。然るに今なお本部の中にも余と諸井氏との関係を疑い、あたかも一味与党であるかの如く信じているのは余の主義信仰と諸井氏の主義信仰とが或る点に於て一致する点があつたためだと思われる。けれども主義信仰の一致は必ずしも事業の提携とはならない。現に余と諸井氏との関係がそうである。従つて余は山名大教会を去るに臨み、一言二者の関係を明かにして余のために累を諸井氏に迄及ぼさゞらんことを望んでをく。  

 付記 この宣言書には教会の制度及び儀式と余の信仰との距離について徹底した説明を欠いている。けれどもその一部分は昨年の新宗教に於て之を発表したから改めて発表しない。その他のことに関しては漸次新宗教誌末に発表する心算(つもり)であるからここに省略した。従つて余はただ独立信仰の結論に就て一言しただけに止めてをく。                              

 紀元十億十万七十七年 二月十二日

 第二天理教界革命の声(一)  大平隆平
 第一章 階級制度を打破せよ
 「高山に 育つる木いも 谷底に  育つる木いも 皆な同じこと」。

 余は紀元九億十万七十六年(大正四年)の六月より同年の十一月にわたつて天理教界革命の声を書いた。それによつて多少天理教界を覚醒し得たことは読者の声によつて明らかである。けれども教界の革命は彼にて尽きたのではない。更に大なる革命を将来に要するのである。分けて第一に打破せざるべからざるは階級制度である。これは天理教のみならず仏教に於ても基督教に於ても等しく主張する所のものである。けれども余がここに階級の打破を叫ぶのは人為的階級の打破であつて信仰の強弱知識の大小によつて生ずる自然の階級を打破するの謂ではないのである。

 一例を挙げて云えば男女の階級である。この道では雌松雄松の隔てなし即ち男女はその生得の権利に於て同等なりと明示されているにも係らず、やゝもすれば今日迄の世俗の習慣に従つて女子の存在、女子の権利の男子と同等に認められざるは、世界ならば兎に角道の内部としては最も遺憾のことである。次に私の最も遺憾に思ふのは、本部と部下教会、会長と信徒、先輩と後輩との距離の余りに甚しきことである。ために社会に於ては相当の地位を占めている者も、この道の信徒としては下女男同様に取り扱われ、殆んど人間としての権利を認められない感がある。就中地方の淳朴の信徒が本部へ来て先ず驚くのは、その扱いの余りに粗暴なることであらうと思われる。これを入信当時に見るに、この道に引き入れる迄は猫撫で声で百方機嫌をとり、一旦道に引き入るれば虎の如き権威をもつて望むのである。而して余程特別の引立でもない限りは、自己の所属せる大教会乃至分教会の会長にさえ相対して面会することはできないのである。まして本部員もしくば管長をや。これは他宗は知らず温和謙遜慈悲をもつて何人にも隔てなく接見せられた教祖の開いた道としては、余りに権威ー世界の道ーに堕しているではないか? 余は敢て親教会と子教会、兄徒と弟徒との順序を没却せよとは云わない。けれどもその間の関係を旧幕時代の主従の如くせよとは尚更云わないのである。

 今日やゝ進歩せる家庭ー天理教以外のーに於ては主婦は女中と共に台所に働きその食事の如きも家族といささかも異ることなき同一の食事を給しつゝあるのである。然るに元来は主人も主婦も子供も同時に同じ食卓に座つて一つの物も分け合ふて通るべきこの道に会長もしくば役員の一家族は別仕立てにして信徒は他人か雇人の如く一家族の仲間に入られず別種の待遇を受けねばならぬと云ふことは、世界一列一つの家族と説く天理教の先達者としては余りに言行の矛盾せるにあらざるか? 元よりこれには一部の反対論者がある。会長と役員もしくば信徒は徳が違ふ。格が違えばその生活の程度の異るに何ら不思議はないではないかと。如何にも世界の理から云えばそれに違いない。けれども私の云ふのは教祖の所謂「同じ一苗一苗代」と云ふ世界一家族の理想から云ふのである。苟も一家族ならば家族らしく一つのものも分け合ふて通るのが真にお道らしくはないかと云ふのである。

 現にお道の中には余の言葉通りに実行して居る会長がある。否な余の言葉以上の事を実行している会長がある。その人は信徒と同じものを食い、信徒と同じものを着、信徒と同じ所に寝て満足しつゝある。否な自分は食わぬでも信徒に食わせ、自分は着ぬでも信徒に着せ、自分は野天に寝ても信徒を内に寝せている人もある。これが真の親心である。而してかくの如き会長の下に教養されつゝある信徒も亦信徒である。彼らはまた自分は如何なる不自由を忍んでも会長の満足を計らんことをのみ心掛けている。かくの如く互いに喜んで衷心より立て合い助け合ふのが真の互い立て合い助け対の道である。

 然るに今日一般普通の会長もしくば役員は如何?信徒の食も奪つて食い、信徒の夜具も奪つて衣、信徒の場所も奪つて寝た。この三十年祭にはこの二種の会長もしくば役員の雛型を見た。しかも前者は後者の千分の一である。そもそもこの中に於て何れがより多く道の要領を得た人であるであらうか? 余の考ふる所によればそれは云ふ迄もなく前者である。前者こそ真に道の精神を得た会長並びに信徒である。余は望むのである。天理教全体の人がこの精神をもたれんことを。今日の如く会長は大名の如く役員は家臣の如く信徒は藩民の如くにては到底真に相互の幸福を感ずることはでき得ないからである。

 その最も良き実例は世界である。世界は日一日と階級制度を打破しもしくばその間の距離を縮めつゝあるに反し、ひとり天理教のみ旧式の陋風を何時迄も維持しつゝある。これは天理教本来の理想より云つても道の発達世界の進歩より云つても最も悲しむべき現象であると云わねばならない。従つて私は云ふのである。順序の道は立つべし、然し階級制度は廃すべし、と。これ世現直路の神の理想より云つて当然達せなければならぬ結論である。之は私自身に就て云えば、余は昨年の七月より十月迄の四ヶ月間山名に於て事務員と同一に別膳で賄われた。これが余にとつて何よりの苦痛であつた。余が教会を出でゝ自炊を始めた一部の理由は、教会では甘いものを食べられないためではなく、他の日の寄進者や学生等と異つた特殊な待遇を与えらるゝに耐えないからである。正直の処余は人並以下に待遇せられることも苦痛なれば、人並以上に待遇せられることも苦痛である。常に人と同等にありたい。これが余の本心の希望である。この余自身の希望は人類的の希望であると信ずるのである。

 由来人間はその徳によつて上下の区別はあつてもその生権即ち人間としての権利は同等である。これは法律の認むる処である計りでなく 天理教々理の認むる処のものである。然るにこの生得の権利を無視して会長は神の如く信徒は獣の如く見ねばならぬと云ふ理由は何処にかある?かくの如き不条理は教理そのものの罪にあらずして教理の誤解の罪である。道順序の理は決してそう云ふ極端な階級を会長と信徒、先輩と後輩、親教会と子教会の間につくるべきものではない。これ余が人為的階級の打破を絶叫する所以である。
 第二章 専制制度を打破せよ
 極端なる階級制度に伴ふ大なる弊害は極端なる専制制度である。この道は御神楽歌にも明示されてある通り「皆な世界が寄り合ふてでけたち来る」道であつて、会長や役員の独断でやり通す道ではない。これは天理教の教理がかく命ずるのである。然るに今日の教会の事業を見るに、会長以下信徒が心を揃えて事をなすと云ふ事は少く、多くは会長もしくば役員が独断で極めたことを信徒に強制する傾がある。これは人間の自由意志を尊重する道としては誠に大なる矛盾と云わなければならない。けれども天啓の声に「来ぬ者に来いとは云はん。往ぬ者に来いとは云はん」と云い、御神楽歌には「無理に出やうと云ふでない。心定めのつく迄は」とある如く、どこ迄も人間の自由意志を尊重し、その得心づく納得づくの上、協同事をなすのが自然の人道である。それを一人もしくば数人の了見で事を決するのは明きらかに共同生活の意義を破壊するものである。かくの如くにして人道の教師等は先ず自分自身より人道を破壊していささかも顧みないのである。この原因は主として今日の天理教当局者に天理教の如何なる宗教であり世界の現状は如何なる状態にあるかを知らざるためである。

 何故なれば天理教は明きらかに教訓とか命令とか専制とか強制とかを脱して個人の自由意志を尊重する立憲的宗教文明的宗教であるからである。然るにこの社会の灯明となるべき天理教より始めて社会が現に捨てたる旧式の遺風を頑守するといふのは、余りに道の発達世界の進歩を知らざるものと云わなければならない。由来この世界に於て神ならで一人も人間に向つて命令を発する権利あるものはない。その神すらも、どうせこうせの指図はしない。頼む/\と柔しい言葉をもつて人類に接せられつゝあるにあらずや。それを何んぞや人間の分際をもつてあたかも同じ同胞を召使の如く 駆使するとは礼を知らざるも亦甚しと云わなければならない。蓋しこの道に働く人間は上を働き、中を働き、下を働き、また荒い事をなし、細い事をなし、中位のことをなすものがあつても、等しくこれ道の道具である。お互いに立てつ立てられつ、助けつ助けられつ、頼みつ頼まれつ、謝しつ謝されつして睦じく共同生活を継続しつゝ行くべきものである。

 それを何んぞや。自己の意に従ふものは近づけ、逆ふものは遠ざけ、甚しきは激怒を発するが如きはそもそも人道と云ふものゝ如何なるものなるかを知らないからである。蓋し教会は会長一人のために造られず、信徒一人のために造られない。またこの世界は帝王一人のために造られず、国民一人のために造られない。全人類のために造られたのである。この自覚なくして人道を人に教ゆると云ふが如きはそもそも片腹痛き事である。専制制度の打破!ここに於てか決して無用の空論ではないのである。
 第三章 封建制度を打破せよ
 階級制度並びに専制制度に次いで打破せざるべからざるは封建制度である。つらつら今日の現状を見るに或は郡山と云い、或は兵神と云い、或は山名と云い、或は 河原町と云い、各々分立して自己の封土の拡張を争ふ様は宛然これ昔の大小名割拠時代に異らないのである。元よりその中には党派心を超越して純粋に世界一列の志を有する者もあるべしと雖も、その大部分は道全体の発達と云ふよりも自己の教会の発達、道全体の利益と云ふよりも自己の教会の利益を中心とせざるものはない。殊に残念に思ふのは世界一列の理想より云えば何れの教会の信徒をも同一視せざるべからざるに実際は中々そうではない。自己の教会の信徒には便宜を与えても他の教会の信徒は殆んど異端視するの風がある。更に以上の残念は道の理想より云えば、他の教会を助けても信徒を結成してやるべきに、却つて信徒の掠奪を行つていささかも恥じない。これ等は道の精神より云つても最も悲しまざるべからざる現象である。之を世界の上より云つても封建制度は五十年百年前の昔の夢にして今日は皆な郡県制度によつて昔日の党派心を一掃している。天理教の終局も亦かくの如くならざるべからず。即ち各教会はその封土を本部に返上して新に支庁の管轄下にあつて新しき教政を布くべきである。けれどもこれには多くの反対があるであらう。けれども道全体の発達を計るには、それより外に取るべき最良の方法はない。今日の如く各教会が各々党派を立てその党派心を中心として布教をなしつゝある中は決して真の天理教の発達は期して見るべからざるものである。従つて党派心の打破と云ふことは今日の教会の何れも協力一致してなさゞるべからざる所のものである。この党派心を打破し世界一列の精神に復帰したならば何も支庁の管轄下に移すの必要はない。けれどもそれは今日の如き封建制度の下には到底望むべからざるものである。従つて道の発達は必らずや新たなる制度を生むであらう。その時こそ必らずや今日の封建制度の打破せざるべからざる時であらう。私はこれを賢明なる教界の士君子の問題として提出してをくのである。
 第四章 中央集権を打破せよ
 今日の天理教は教祖の精神に相反せる矛盾と欠陥との多くをもつて居るが、その中でもこの中央集権の如きも矛盾の一つであると思われる。一例を挙げて云えば財力の吸収である。実際今日の部下教会の状況を見るに、その枯形せる有様は見るに耐えない。しかも本部はなお教権を利用して部下教会の熱血を絞り、その金をもつて全く無用の用に浪費しつゝある。これは明きらかに教祖の意志ではない。教祖の意志より云えば、親は食わないでも衣ないでも住む所がなくても子に甘い物を食わせ、美い衣物を着せ、奇麗な所に住ませたいのが教祖の理想であつた。然るに今日の本部のなす処は如何? 部下は痩せてもこけても本部へ金銭を吸収しさいすれば良いのである。しかもその吸収したる尊き部下の膏血は何のために費さるゝや?曰く軍資金、曰く選挙運動、曰く建築、曰く何々と、その中の一文として道の発達とか社会の利益とかのために費さるゝことなし。

 見よ、本部の邸内には大きな犬を飼つてそのために人一人を付き添わせ、これに与ふるに部下の会長もしくば信徒の口にするにともできない上肉を与えている。かくの如くにして部下の膏血を絞つて集めた金は銀行へあずけられて漸次かくの如き無意義の費用に向つて空費せられつゝあるのである。天理教が社会より毒虫の如く嫌われつゝあるはこの吸収を知つて発散を知らざるによるのである。吾人は必ずしも信徒の膏血を絞る勿れとは云わない。ただその金を有益の事業に向つて費せと云ふのである。彼の救世軍が国家よりも社会よりも尊重せられつゝあるは、その教理が天理教より優つて居るためではない。その事業が公利公益に資する所があるためである。ただ病助けする計りが助けではない。心直すばかりが助けではない。苟も人類を幸福にするものならば、凡てこれ助け一条である。天理教もこの点に向つて金銭を費すならば吾人はいささかも尽せ果せと云ふことについて反対の声を挙げないのである。

 けれども今日の如くこの貴重な信徒の膏血を湯水の如く無用の事に向つて浪費するに於ては大なる異議を提出せざるを得ない。蓋し家屋や家具や庭園は金さえあれば何時でもできることである。けれども道の発展は容易にできない。今日は宏壮なる建物を立てゝ信徒に向つて城壁を築く時ではあるまい。否な、道の発展のために物質も精神も投げ出すべき時である。教祖もし御在世ならば今日の本部の所業を如何に見給ふべき?吾人は教祖の精神を思ふ毎に涙滂沱として止めることができない。

 けれども今日の本部に向つて何を云つても駄目である。何らの良心はドン底より腐つてしまつた。彼らには公利公益もなければ道に対する永遠の計もない。ただ眼前に宝の山を築いてそれを眺めていれば良いのである。部下が起きやうが倒れやうがそれはいささかも彼らの問ふ処ではない。道が発達しやうがしまいがそれはいささかも問ふ処ではない。ただ今日を無事に通れば良いのである。気概もなければ抱負もない。計画もなければ事業もない。ただ浪費あるのみ。ただ物質と金銭と労力と時間との浪費あるのみ。かくの如くにして教祖の助け一条の精神は全く没却せられおわんぬ。けれども時代の要求は何時迄も本部にこの惰眠を貪らしめて居ることを許さない。従つて吾人は先ずここに重要なる問題を本部に向つて提出するのである。

 その問題は本部が今日の如く無用の金を銀行の金庫に遊ばせてをくならば先ず部下の疲弊を救い引いては公共事業、慈善事業に教庫を提出すべし。然らざれば部下の熱血を絞ることは断然中止すべしと。これ至当の言である。見よ、部下教会の辛苦艱難を。彼らの中には食ふに食なく、衣るに衣なく、住むに所なき ものが往々ある。いじらしくて見ていられぬ。これをしも彼らの因縁として看過すべきか?吾人はその然るべからざるを思ふものである。凡て一本の樹木にたとえて云つても、枝葉が繁茂してこそ根幹も栄えるのである。今日の如く部下は見る影もなく衰えて殆んど生色なきに至つては、本部のみ一人栄えたりとて何の希望かあるべき?、何の光栄かあるべき? 要するに今日の本部は余りにその権力を振るい過ぎる。けれども親の権力の余りに大なる家には子は自然に育つことはできない。主権者の勢力の余りに大なる国家は国民が育たない。

 天理教も亦そうである。今日の如く本部がひたすら中央集権もしくば中央集金に腐心している間は決して部下教会の発達は期して望まれない。これ瀕々として教会の倒る ゝ所以である。従つてこの政策は道永遠の計より云つて決して策を得たものではない。道永遠の計より云えばもつと部下に向つて精神上並びに物質上の自由を与えねばならない。然らざれば決して斯道の発達は望むことができない。

 つらつら今日の本部の所業を見るに、本来は疲弊せる教会は之を助けても維持発達して行かなければならぬのに、却つてその根も葉もなき迄血液を絞り上げんとしつゝある。これが本部か?これが本部の事業か?凡そ世に最も不幸なる子供は理解と同情となき親をもてる子供である。彼らは生涯親権の暴戻の下に泣かざるべからざる運命を有しているのである。しかもその横着なる親を制して不幸の子供を救ふのが吾が使命である。凡て親は如何なる横道もなして可なりと云ふ規則はこの世界には設けられていないのである。親も子も凡て皆な生権に於ては同等である。それと同様に本部の勢力の余りに大にして部下の勢力の余りに小なるは神の喜ばざる処である。

 これを一つの家庭に見よ。親の権力の余りに大なる家庭には必らず子に不孝の子が多いのである。親と子、夫と妻の勢力の均等せらるゝかもしくばそれに近づくに従つて、その家庭は漸次理想の家庭に近づくのである。私は本部と部下教会、会長と信教との距離を昔の親子主従の如く大ならしむるを好まない。これ私が極力中央集権を打破せよと絶叫する所以である。
 第五章 教理を乱用する勿れ
 凡そ何れの宗教に於ても多少教理の乱用せられざる宗教はないが天理教には殊にその弊害の甚だしきを思ふ。一例を挙げて云えば順序の理である。元来順序の理は教会の系統をのみ指して云つたものではない。人と人との間、物と物との間、事と事との間に横わる一切の順序を指して云つたのである。例えば汽車や電車に乗るにも先着順に切符を買い先着順に乗降すべきが順序である。けれども今日の天理教々師並びに信徒を見るに、彼らは教会の順序については驚くべき訓練を経て居るが、社会に出でゝ長者を立て、幼者を立て、婦人を立て、老人を立て、先輩者を立て、先着者を立てると云ふ社交上の順序と云ふものについては少しも訓練せられていない。これじゃ何のために順序の理を教えているのかわからない。そもそも順序の理は教会のための順序の理ではない。人間の活動律である。従つて工場に於て働くにも、書斎に於て仕事をするにも、台所に於て働くも、皆な順序を重んずるのが順序の理である。然るに今日の天理教々会はこれを教会の順序にのみ利用して、いささかも人間と人間との間の礼儀を説かない。これは明きらかに教会が自営上教理を乱用したものに外ならない。

 例えば御授訓の御礼の如き事情願の御礼の如き部下教会の献金の割当の如き徒らに順序の理を乱用して私腹を肥やす方便に外ならないのである。けれども教理の乱用はひとり順序の理のみではない。凡ての教理は売品として各地の天理教会に展覧せられつゝある。本部を始め部下教会は助け一条の精神を忘れてただ営利に向つて汲々たるのみ。かくの如くにしてこの尊き博愛事業は全く営利的事業と化してしまつた。そもそもこれに向つて喜ぶべきか悲しむべきか吾人はその云ふべき言葉を知らないのである。  
 第六章 この道は名聞を求むる道ではない
 凡そ宗教生活と凡俗生活との相異は、一ツは真実に生き、一ツは名利に生くる点にある。然るに今日の天理教界を見るに全く凡俗以上である。彼ら天理教教師の中には勿論真の布教者の精神を備えているものもあれども、その大部分は一人でも多くの信徒をつくり、もつて教界に巾を利かせんとする憐れむべき小なる志をもつて布教している者が大部分である。彼らの唯一の光栄とする処は美衣美食に飽き、大なる教会に住んで、出入に送り迎えをつけ、上は長者の覚え芽出たく、下は信仰の渇仰の厚からんことのみである。従つて往々集談所が宣教所となり、宣教所が支教会となり、支教会が分教会となり、分教会が教会となり、教会が大教会となり、権訓導が訓導となり、訓導が権少講義となり、権少講義が少講義になり、少講義が権中講義となり、権中講義が中講義となり、中講義が権大講義となり、権大講義が大講義となり、大講義が権少教正となり、権少教正が少教正となり、少教正が権中教正となり、権中教正が中教正となり、中教正が権大教正となり、権大教正が大教正となることあらんか。彼らは之をもつて無上の光栄としている。その名誉心の強きこと全く俗人以上である。殊に婦人になると虚栄心は更に一掃甚しく、祭礼に於ける楽器演奏の順序、もしくは婦人会に於ける講演者の順序等血眼になつてこれを争い、一旦他人によつて順番を先取せらるゝや後日の宿怨長く消えないと云ふ有様である。

 これも今日の天理教徒の前身が天理も人道も分らない無学文盲の成り上り者の多きがためであるが、苟くも天理人道を人に教ゆる本部員夫妻を始めかくの如き状態にては余りに興醒めたる有様にて唖然として云ふべき言葉を知らないのである。しかも彼らは云ふ。本部員は道の功労者である。宜しく彼らをもつて儀表とすべしと。無知の信徒はただ名を聞いて既に涙をこぼしている。けれども少しく眼の醒めたる人間には彼らの人格や生活を見て尊敬せんとしても尊敬することができないのである。そもそもこの道は陰徳をつむとも表面には黙して語らざるをもつて道の精神となす道である。然るに今日の本部員を始め部下教会の教師に至る迄、一言一行の功名より一円二円の慈善を迄人に向つて誇示せんとす。吾人は彼らの多くが殆んど何のためにこの道を信仰しているかを知らない。由来人間と云ふものは、この道を信ずると信ぜざるとを問わずその功を包んで罪を衆人の前に懴悔する処にその人格のゆかしみはあるのである。然るに一言の美、一行の善迄発表して却つて裏に一言の醜、一行の悪を包まんとするが如きは、その人格に向つて何ら敬慕すべき香味あることなし。しかもかくの如き偽善者が斯教の大部分ならんとは。余は寧ろ自己の欠点に対する雄弁者にして、自己の長所に対する唖者(あしゃ、唖はオシ)たらんことを欲するのである。これ我が理想である。私は天理教々師信徒諸君に告ぐ。この道は名聞を求むる道ではないと云ふことを。もし諸君にして名聞を求めんか。宜しく斯教を去つて政治界に下り、人位人爵を争ふべきである。その方が一層諸君にとつての捷径である。もしまた斯道を信じて真に人生の意義に徹底した絶対価値生活を求むるならば、ただ真実なれ。諸君の選むべき生活はこの二つしかないのである。敢て天理教信者の選択を促がす。
 第七章 この道は営利を求むる道ではない
 凡そこの世界にありと凡ゆる罪悪は名利の観念より生れないものはない。誠にこの二つは一切の罪悪の父母である。天理教はこの名利の観念を打破して真実の生活を人に教ゆる道でありながら、今日の天理教にては本部を始め一般教師に至る迄、如何にせば金を儲け得べきかと云ふ様のことばかり考えている。元より中には真に真面目なる教師ありと雖も、そは真に暁天の星のみ。その大部分は信徒の懐を当てにして布教して居る者が多い。これは道の順逆を全然顛倒せるものと云わなければならない。けれどもこれは独り教師の罪ではない。本部より始めてその模範を示しているから止むを得ない。今日の本部の主義を見るに「金はでき得る限り部下より絞れ、けれども一文も有益なことには支出する勿れ」と云ふ主義を奉じているらしい。

 聞く処によれば、今年の教祖三十年祭には六万五千余の金を儲けたといふことである。その中支出した金が五千余円とのことなれば純益六万円は本部の金庫に納つた筈である。しかもなお献金の少なかつたことをこぼして、来る四月の御本席十年祭にはかなり多数の信徒を引き寄せて金儲けの準備におさ怠りないと云ふことである。私は之を聞いて悲しんだといふよりも寧ろ呆れたのである。これが道かと。「寺の門前には鬼が住む」とは私も聞いていた処であるが、今日の天理教は御地場の中に鬼が住んでいるのである。之に向つて金を投ずるはあたかも施餓鬼を行ふのである。元よりこれは人間を中心とした観察であつて、之によつて熱心なる真実の信仰家の寄進を妨害するものではないが、本部がかくの如き精神であり、各教会がかくの如き精神である以上は、宝財を投ぜよと云つても皆な躊躇するのが自然の人情である。今日一般に信者が控えているのは之がためである。

 けれども信者が財布の口を括れば括る程、本部や教会は種々なる口実を設けて信徒の財をせびらんとしている。かくの如くにしてこの貴き新宗教も全く拝金宗と化してしまつたのである。聞けば中山家の蓄財は少く見積つて五十万円、多くて百万円近くの金を貯蓄しているそうである。しかも一文も公共事業慈善事業に使われたことを聞かない。往々投資すれば軍資金とか代議士選挙運動費とか云ふ如き反宗教的失費に向つて一万二万の出資を惜しまない。之が果して見識ある宗教家のすることであらうかどうであらうか。苟くも宗教家たるものが赤十字や傷病兵慰問に一万二万の金を投ずるならば結構なれど、それを軍資金に投じて戦争を資けるとは何う云ふ理由か? 殊に代議士選挙運動に向つて二万三万の金を惜まず、投資するが如きは殆んど何の意味なるか。吾人はその理由を了解するに苦しむのである。

 昨年の道の友に故管長の逸話として故管長自身軍夫となつて従軍せんとしたことを甚だ美しき行いの如く書いていたけれども、吾人はいささかもかゝる行いを賞讃しない。苟くも 一派の管長たるものが軍夫を志願して迄戦争を助ける理由がいずこにある。仮にも宗教家たるものは社会の動乱の外に立つて公平なる処置を取るべきものである。それを感情に任せて自ら出征せんとする如きは決して賞讃することができない。もし軍夫を募集して戦争を助くるならば何故赤十字と同じく傷病兵の看護の如き宗教的行為に向つて努力せざる。

 管長始めこう云ふ無自覚な状態にあるが故に、そのする事なす事一として見るべき事業はなかつたのである。かくの如く奸者の甘言に誘われ、無意味な所に大金を投じて一時の虚栄心を満足する裏面に於て、どれだけ美しい宗教的事業をなしつゝあるかと云ふに全く零である。内は教会が如何に危地に陥るもこれを救ふなく、外は社会が如何に苦しみつゝあるもこれを助けることはない。而してもし出資の必要ある場合には教会に献金せしめて、決して自腹を切らうとはしない。これが故管長以来本部の取つて来た出し惜しみ主義である。謹んで教祖の精神を按ずるにあればあるだけ、世界助け万人助けのために投じて一文も余さゞるが彼女の主義であつた。それと之とを比較したら余りにその精神の距離の偉大なるに驚かざるを得ない。之を詳しく云えば教祖の精神は純宗教的精神である。今日の本部の精神は純俗人的根性である。既に現在の処これだけの距離がある。将来は必らずや益々大なる距離を生じて行くであらう。その時こそ天理教は事実に於て滅亡した時である。

 凡そ宗教の目的は金儲けにない。また貯財にない。世界一列の救済にある。人格の修養と真生活の建設にある。今日の天理教徒は全然これを助かり一条の道とした。云い換えれば乞食非人の道とした。これ吾人をしてこれに向つて大なる非義を鳴さゞるを得ざる原因である。敢て一般天理教徒の覚醒を促がす所以である。
 第八章 堕落せる天理教
 凡そ天理教の堕落せる今日より甚しきはない。情実因襲の道にあらずと称して情実因襲に流れ、形式儀礼の道にあらずと称して儀式儀礼に流れ、追従軽薄の道にあらずと称して追従軽薄に流れ、貪婪吝嗇の道にあらずと称して貪婪吝嗇に流れ、邪愛憎悪の道にあらずと称して邪愛憎悪に流れ、怨恨忿怒の道にあらずと称して怨恨忿怒に流れ、強欲高慢の道 にあらずと称して強欲高慢に流れつゝある有様は世界並以上である。かくの如くにして一、二の教会を除くの外は、本部を始め一般の教会の会長役員信徒はことごとく教祖の精神を没却しておわんぬ。十五年前二十年前には世界並と云えば一種俗人に対する嘲弄語であつた。然るに今日の天理教は何?全く世界並以下である。勿論中には一、二の高き道徳生活を行いつゝあるものはある。けれどもその大部分は彼らの軽蔑しつゝある世界並以下の低級な道徳しか持つていないのである。今日天理教が社会より蔑視せられ、その教師信徒が社会より一人前の交際をもせられないのは、畢竟する処今日の天理教々師信徒の人格の劣等なるがためであると称せられてもいささかも弁明の辞がないのである。実際或る一部分の人は別として一般の天理教教師並びに信徒を社会の人間と比較するに、いささかも彼らより優れた道徳を有すと思ふ者はないのである。依然として無知劣等の人間である。

 殊に心細いのは彼の本部員である。彼らは天理教界に於ては自分達より偉い者はないかの様な顔付きをして威張つているけれども、これを世界の宗教家の中に列して果してこれが世界第一の宗教家だと云い得るものがあるであらうか?私は日本の中流社会に於て果して一個の人格ある人間として認めらるゝや否やを危ぶむのである。

 今日の一般社会の信仰は平凡普通の天理教々師信徒の信仰の如くしかく幼稚なものではない。また今日の一般社会の状態は天理教に比していささかも遜色あるものではない。却つて天理教こそ一般社会よりも低級な世界を形成しているのである。これは今日の本部を見ても分かることである。そこには世界に於ても見るべからざる情実因襲が纏綿(てんめん、まといつく)している。そこには世界に於ても見るべからざる形式儀礼が行われつゝある。そこには世界に於ても見るべからざる追従軽薄が行われつゝある。殊に貪婪、吝嗇、邪愛、憎悪、怨恨、忿怒、強欲、高慢の程度の甚しきこと世界並といささかも変らない。否な全く世界並以上である。殊に近来一般の傾向が益々物質的に流れて来て以来宗教的情調の如く見たくも見ることができないのである。しかも社会に対する態度は如何と云ふに全く利己的孤立的で、一つとして具体的に社会を利益せしことなく、またせんとする観念に全然欠けている。その癖官憲と云えばあたかも主人か何かに対する様にペコしてただその意を迎えんことにのみ腐心し、いささかも鷹揚なる宗教家の襟度(きんど、度量のこと)がないのである。

 かくの如く内に何らの誠意なく、外に何らの真実なく、ただ信徒より金銭を巻き上げることをのみ考えるがために社会より益々敬遠せらるに至つたのである。近来識者の間には天理教の価値を認むるもの漸く多きを加え来たが、そのために今日の天理教そのものはいささかも是認せられないのである。否却つて識者の嘆きを重ねるのみである。これは中山家を始め一般天理教々師信徒の当然負ふべき責任である。
 第九章 神の栄光は地に堕ちた
 基督曰く 「汝らは地の塩なり。塩もしその味を失わば何を以つてか元の味に復さん。後は用なし。外に棄てられて人に践するのみ。汝らは世の光なり。山の上に建てられたる城は隠るゝことを得ず。灯を燃して斗の下に置く者なし。燭台に置いて家に在る凡ての物を照さん。この如く人々の前に汝等の光を輝かせ。然れば人々汝らの善行を見て天に在す汝らの父を崇むべし」。エホバの栄光を顕す者はエホバの信徒である。天理王命の栄光を顕す者は天理教徒である。エホバの栄光を汚す者はエホバの信徒である。天理王命の栄光を汚す者は天理教徒である。然るに今日天理教と云えば名を聞いただけにても逃げ去るのは今日迄の教師信徒の多くが社会をして斯道の価値を認めしむる程卓越せる人格と行為とをもたなかつたためであ る。けれども何時迄も何時迄もかくの如き状態にあつては天理教の発展を妨害するのである。従つて吾人は先ず神の名誉を復活せよと叫ばざるを得ない。
 第十章 神の名誉を復活せよ
 けれども神の名誉を汚すものが一人二人の教師信徒ではないと同様に神の名誉を復活する者も一人や二人ではならない。天理教徒の凡てが協同してこれに当らなければならない。その第一要件は人格の向上である。この人格の向上を度外視して天理王命の神格を説くも何の効果もないのである。凡て一人の患は全世界の患である如く、一人の不心得者のために天理教全体の名誉を失ふのである。しかも彼らはここに想到せず自分一身の満足のために天理教全体の名誉に関することをあたかも顧みない。

 今日迄天理教が淫祠邪教視せられ天理王命が邪神視せられて来たのは、かくの如き人格劣等の教師信徒の多かつたがためである。けれども時代は常に進歩するものである。従つて社会は何時迄も劣等なる教師の言に耳を傾けない。彼らは自然淘汰の結果遂に社会の劣敗者たらざるべからざる運命を自ら作りつゝあるのである。これは道の発達より云つても同様である。殊にこの道は晩かれ早かれ世界を一貫しなければならぬ道である。それにはこの道の宣伝者たる布教師より善良なる模範を示さなければならない。然らざれば天理教の真価は永遠に社会に認めらるゝ折がないであらう。

 分けて最も重大なるは天理王命である。斯の道の中心生命たる天理王命よりして邪神の如く信ぜられつゝある間は決して信を社会に繋ぐことはできない。けれども神は無形の霊である。自ら人間の前に姿を表してその無限の栄光を顕すことはない。従つて神の栄光を顕わすも汚すも信徒の人格と生活とに待つ処が多い。これ一般天理教徒に向つて人格の向上を要求する所以である。          
 (紀元九億十 万七十七年二月十六日)  

 無形教界より(二)  大平隆平
 この道は助け一条の道なりとは我が夙(つと)に聴ける処なり。然るに今日の天理教徒はこれを助かり一条の道と化せり。神の残念いかばかりぞや。我が残念如何ばかりぞや。畢竟教界は道をつける一時の方便のみ。世に監獄の取り払われる時は教界も亦取り払わるべし。我は我が同行者に告ぐ。我によつてこの道に入れるものは、世の終り迄有形の教界を建設すること勿れと。その時来らば今日の教界は取り払われてただ眼に見えざる心の宮のみぞ栄える。その時、己が心中に無形の教界を有たざるものは禍なるかな。されば火に燃え、水に流され、風に倒さるゝ有形の教界を建つるために己が心を労する勿れ。ただ諸君の心中に無形の大教会無形の神の宮を建つることにのみ心を労すべし。

 凡そ信仰の要義は肉体の疾病の存するがためなり。精神の疾病の存するは人生の意義を自覚せざるに起る。宗教の奥義は人生の意義を自覚して最も価値ある生活を営ましむるにあり。この本義を教えざる宗教は異端なり。外道なり。元より宗教として何らの価値あることなし。今日の天理教々師のなす処を見るに病を助けることゝ金をとることゝの二つより何物も知らず。また信徒の求むる処を見るに、病の助からんこととその代償として金品を教会に捧ぐることより外何物も知らない。これ異端なり、外道なり、外道の信仰なり。

 我は我が同行者に告ぐ、朝起きせよ、正直なれ、働けよ。この三位の修業こそ誠一体の生活なれ。これより外に我何物も神より教えられず。これより外に我何事も教祖より教えられず。また教えらるゝの要なし。何故なればこの中にこそ天理教々理の一切は含めばなり。互い助け合いの理もこの中にあり。日の寄進の理もこの中にあり。足納の理もこの中にあり。発散の理もこの中にあり。一切の教理は只この三条の教憲生活を完成するためにのみ説かれたり。これ人生の意義なるなり。これ人生の価値なるなり。  

 されば人々よ。偽善なる教師と無知の天理教徒のなす所を見て教会の制度及び儀式を頑守することをもつて信仰の要義は尽きたりと思ふなかれ。凡そ教会生活は必ずしも宗教生活にあらざるなり。しかも我らを真の幸福に導くものは教会生活にあらずして宗教生活なることを。我は今日の天理教徒が無上の宝典として尊む天理教々典について何らの価値をも認めず。我は今日の天理教会にて朝夕読み上ぐる古典的文字の羅列(祝詞)に何らの価値をも認めず。凡そ神と人との交情は死して既に生命なき古語にやつて行わるゝものではない。現に生命を有する現代語によつて行わるゝものである。凡て神と人との交情は繁雑なる儀式によつて行わるゝものではない。只誠と誠との感応によつてのみ行わるゝものである。我は諸君に告ぐ。人生の意義と何ら根本的の交渉を有せざる虚儀虚礼を捨てよと。これ信なり力なり生命なればなり。凡て人格の発展と人生の発達を教えざる宗教は真の宗教にあらず。

 然るに今日の天理教を見るに人格発展人生の発達の如きは毛筋程も目的とせられてはいない。而してただ金を本部に吸収することゝ部下を泣かせることゝの外何ら有益なる事業なるものあることなし。道はかくの如く廃れり。道はかくの如く壊れたり。されど智者は目を塞ぎ賢者は口を塞いで誰も云ふものなし。何故なれば彼らは自己の名利の失われんことを恐るればなり。されど我はこの道の人に告ぐ。凡そ神のため人のため理のため道のために我と我父母、兄弟、妻子、眷族、朋友、生命、財産、地位、名誉、権勢を捨てざるものは救わるゝことなしと。古来人生の真人は皆な神と人とのために我と我が付属物を一切捨てたり。

 教祖を見よ、彼女は自己は勿論自己に所属せる有形無形の一切のものを捨てゝ助け一条の道に殉じたり。凡そ何事をなすにもこの殉教者的精神、殉道者的精神、犠牲的精神を有せざるものは路傍の石をも動かすこと能わざるべし。我は諸君に告ぐ。この婦人を見よ、この男子を見よと。けれどもその婦人は我が妻をさして云ふものにあらざるなり。またその男子とは我自身を指して云ふものにあらざるなり。我は創世の始め生れたるものゝ中最も愚かなる男子である。また我が妻は神域に接してその内に入ることのできない迷蒙の一婦人のみ。我がこの婦人を見よ、この男子を見よと叫びしは教祖と本席とを指したのである。この二人は現在天理教の日月である。否な世界の光である。我らはただこの二人の光を仰ぎ見るべし。実にこの二人はこの愚かなる我に向つて人生の意義とは何んぞやと云ふ我が半生の疑問に回答したただ二人の人であつた。 愛する人々よ。我は諸君のために道を説かず。何故なれば我はまだ自らその資格あるものとは思わざればなり。我はただ汝自身のために灯火を掲げよと云ふ神直接の教訓を守らん。而してたゞ一直線に我に明かされたる神の道、朝起き、正直、働きに進まんのみ。諸君の随ふと随わざるとは我が問ふ所にあらざるなり。けれども我は世に一大事因縁の時は迫れどもその時を知らず。徒らに因縁を積み重ねて得々たるものあり。我はそれ等の人々に向つて一言の忠告は惜まず。されど我にはその者を信徒として教会を建築せんと云ふ野心は亳もあることなし。何故なれば信徒は皆な神の信徒、理の信徒にして我の信徒にあらざればなり。

 また教会に関しても我がその日、その時、その人に面せる処は即ち我が教会なり。我は天を摩する宏壮美麗の教会を建つるために神の信徒を苦しむるために来らず。何故なれば彼の火に焼け、水に流れ、風に倒るゝ有形の教会を建つるよりも火に焼けず、水に流れず、風に倒れざる無形の教会を彼ら自身の心中に建設するにあり。これ我が使命なり、我が理想なり。我が事業なればなり。されば我はこの道の信者未信者に向つて告ぐ。凡そこの世界に於ける報恩の価値の最も小なるものは金なりと。慈善は黄金にあらず物品にあらず、また真理にあらず、我が誠なり、我が真実なり。苟く も人を助け人を楽しまする真実なくば百万の黄金もただ土塊のみ。四十八庫の物品もま塵埃のみ。千載の真理もただ風の音のみ。与えよ、而らば与えられん。されど与えは価なり。真の与えのなき処に真の価あることなし。我は貧なり、されど我は如何なる苦境に陥るも人に物を乞わんとは思わじ。何故なればそはただ乞食と同一の因縁を重ぬるのみなればなり。与えよ、与えられんことを求むる勿れ。助けよ、助けられんことを求むる勿れ。愛せよ、愛せられんことを求むる勿れ。許せよ、許されんことを求むる勿れ。尽せよ、尽されんことを求むる勿れ。これ我が信条なり。凡て与えられんことを求むるものは与えられず。凡て助けられんことを求むるものは助けられず。凡て愛せられんことを求むるものは愛せられず。凡て許されんことを求むるものは許されず。凡て尽されんことを求むるものは尽さるゝことなし。ただその反対の者にのみ天の価はあり。この道は劣者、弱者、不具者、不幸者、不善者を造る道にあらず。優者、強者、健全 者、幸福者、善人を作るの道、就中独立自由の人格を作るの道なり。これ天理なり、人道なるなり。凡てこの道を歩む者は生きこの道を歩まざるものは亡ぶ。これ自然の約束なり。我は生れてより以来まだ大悪は罰せらるれども小悪は罰せられずと云ふ科法を聴かず。我は生れてより以来まだ大善は賞せらるれども小善は賞せられずと云ふ律法を聴かず。されど凡そ賞罰を目的として善悪を取捨するはまだ真の道を得たるものにあらず。ただ病を恐れて悪をなさゞるもの亦然り。ただ毀誉褒貶、利害得失を超越せる人生の意義の自覚者の生活のみ価値あり。人は云ふ、我は二十歳なり、我は五十歳なりと。されど人寿を享けて以来九億十万七十七年。元より老若あることなし。凡て人間は同等の年齢と同等の権利と同等の自由とを天より享く。往々人間に貴賎貧弱の差あるは畢竟その精神の創作のみ。されば心の広き人は幸なり。その人は広き世界を有ち得べければなり。されば心の深き人は幸なり。その人は深き世界を有ち得べければなり。されば心の高き人は幸いなり。その人は高き世界を有ち得べければなり。人格の崇高偉大!我はこれ以外に我に求めず。高尚美麗の世界!我はこれ以外に世界に求めない。これ我が要求なるなり。  

 天理教初代管長未亡人 中山玉恵子に与ふる書  大平隆平
 未亡人様、忘れもしない昨年の暮私は私の発行している雑誌新宗教の教祖三十年祭記念号として出す感謝と記憶の中に教祖に関する御話を願いたいと思つて一日の中二度貴女をお訪ね致しました。然し二度とも玄関払いを喰つて帰りました。最初の一度は午前11時頃伺つたのですがまだお休みだからと云ふので引つ返しました。二度目は午後の2時頃であつたが用事があるから面会ができぬと云ふことでした。私は玄関番の顔を見て、それが私を断るための詐であることを直ちに観破致しました。而して貴女に私見た様な者でも引見して教祖のお話を一言でも聞かして下さる誠意のないことを悟つて直ちに引き返しました。恐らく貴女には、貴女の祖母様の様に尋ねて来るものにはどんなものでも満足を与えて帰そうと云ふ愛は勿論の事、貴女が今そうして贅沢な生活をしているのも貴女の徳とは云え、祖母様の御蔭にどれだけ預つているかをお忘れのことゝ存じます。もしそうでなかつたら外の新聞記者や雑誌記者にはドン/\御面会なさるのに私一人に限つて面会ができないと云ふことはない筈です。こう云つたならば貴女を神様か何んぞの様に思つている天理教の人々は、何を一信徒の分際に生意気云ふと申すかも知れません。けれども天理教では成る程下級な信者かも知れませんが、社会では結句一人前の人間で通れる人間です。それも外の事なら兎に角、教祖の事蹟を永遠に伝えたいと思つてワザ/\御訪ねした私を詐をつかつて断わらないでも良いではありませんか。

 未亡人様、私は教祖様のお話でも聞くのでなければ、何も戸迷つて貴女なぞ御訪ね致しはしません。教祖御親の人格を慕えばこそ、せめて貴女に逢つて一言教祖様のことをお聞き申したいと思つてお訪ねしたのです。けれども御安心下さい。貴女の生きておいでの間は貴女に逢いたいと思つて二度とお訪ねする様なことはありませんから。たとい貴女の方で会いたいと仰つても会いは致しませんから。けれども私はつく/\考えました。天理教の人達はどうしてこうも訳の分らぬ人間計り揃つているだらうかと。実際そうです。彼らは五十年百年先になつたら教祖の事蹟は湮滅してしまうから、今の中に材料を蒐集してをかなければならん等と云ふ真面目な考えをもつているものは一人もありません。ただその日/\を訳もなく暮して行けばそれで良いのです。実は貴女に御願いするズット前に人をもつて山沢お久さんに教祖のお話を承りたいと申し入れたのです。その時の返事がどうです。大平さんには恐れ入ると。どうです、人を馬鹿にしているじゃありませんか。貴女にしろお久さんにしろ私の仕事を何んと心得てるでしょう。私は何も自分の欲や得で貧苦に甘んじて研究をやつてるのではありません。皆な天下国家を益するがためです。それを何か私が自分一身の欲望を満足させるために勝手に調べ物でもしているかの様に思つているのです。けれども御覧なさい。今の中に天理教に真面目な学者が出て、教義なり歴史なり教祖伝なりを調べてをかなかつたら百年の後には天理教と云ふものは全く正体のわからぬものになつてしまいます。けれどもそんなことは貴女方にはどうでも良い問題でしょうから、私も真面目になつて話は致しません。ただ一言他の新聞記者に向つて「松村様は教祖の足跡を踏んで監獄へ行つて御苦労していて下さる」と云ふ様なとんでもない馬鹿話をなさる暇があつたら、私はそんなことよりはもつと大事な教祖の記憶の一言でも話して下すつたらと思ふのです。またそんな馬鹿らしい話をさも名言を吐いたかの様に思つて新聞を切り抜いてをかれる位なら、教祖に関する記憶でも御残しになつた方が余程優しいかと思います。

 けれども之については何もいいますまい。云つた処で貴女を始め本部の人達は私と云ふものを道の破壊者か何かの様に思つて毛嫌いしての上の仕事であるから。そんなものに向つて何を云つたつて駄目な事だと云ふ事は私も良く知つているから。それで私はここに問題を換えて貴女に一言お尋ねしたいことがあるのです。それは外でもありませんが教祖様の御教訓に朝起き、正直、働きをもつて真の信仰と御教えになつたこの天理教の管長夫人ともあらうものが、天の親様ーお日様ーがお出でになつてから四五時間経つても寝床の中で愚図/\していると云ふのは一体どう云ふ訳ですか?それでいて用事があるから面会ができないも片腹痛いことです。それだけで既に教祖の三大信仰の二つを破つているのです。

 更に働きは如何?私は貴女と一手に生活をしないから知らぬけれども、聞けば夜の2時3時迄下らぬ小説を読ませたり雑談をしたりして貴重な時間を浪費しているといふことですが、それが助け一条の仕事と何か関係でもあるのですか? これは貴女計りではない。故管長も夜の二時三時頃迄起きて、朝はお勤めだけ出てお勤めがすむとまた床の中にもぐり込んだと云ふことである。貴女の方はお勤めに出ないだけ管長より悪い。そんなことで朝起き、正直、働きを勧める一派の管長夫人と云えるかどうか考えて御覧になつたが良い。それでも感心なことには例祭にだけはお神楽の間に合ふ様に起きて出られるが、神様が赤い舌を出して笑つておいでなさる事を御存じないのですか。この頃は事情願いに本部へ来る人に逢ふ毎に時間の不定について不平をこぼさないものはありません。聞けば11時12時頃出寝床にかじり付いている貴女が、事情を許すと聞いてさこそと思いました。然し未亡人よ、私は御身に問ふことがある。御身は一体何の権限をもつて事情願を許可するのか?何時神は御身に事情願の取扱を許したか?これ私の第一に聞かんとする処である。

 聞けば御身は摂行職の印まで握つて山沢はただ虚位に座するのみなることを聞いた。然らば何故に御身自ら進んで摂行職とならざる。否な何故に自ら進んで女管長とはならざる。暴も亦ここに至つて極れりと云ふべし。つらつら今日の本部を見るに、宛然これ太閤歿後の大阪城である。本部員ありと雖もその大部分は大野渡辺の徒である。然らざれば天気を見て何れにも付く首鼠両端の徒のみ。往々木村、後藤、真田の徒ありと雖も、彼らは常に御身の座右より排斥せられつゝあり。もしかくの如き状態が五年十年の後に続いたならば天理教の歿落また決して遠くはないのである。否なそれよりも御身の寿命こそ最も危険な状態に瀕しつゝあるのである。未亡人よ、凡そ牝鶏の夜鳴する家の繁昌する家はなしと聞く。こは恐らく婦人の専権を戒めたる言葉であるであらう。一体御身は何の必要あつて表面の教務に口を出すのですか?寧ろ退いて婦人会の盛大を計るべきではありませんか?それだけでさえ御身の力に余る重大の仕事である。然るにその本職を離れて要らざる教務に口を出すがために、教界は益々紊乱に紊乱を重ぬる計りである。しかも婦人会は如何にと云ふに、昨今は婦人会はただ婦人会と云ふ名目を存するのみにて、何ら見るべきの事業はないのである。かくの如くにして果して全世界の婦人界を廓清し、且つ一面に於て人類生活を益することができるかどうか、之に対しては如何なる愚人と雖も然りと云ふものは一人もないであらう。悲は啻にこれのみではない。管長歿してまだ一年も経だざるに大規模の普請を始めてこの頃漸くその落成を告げた。しかも近頃迄は神殿の障子は破れ不細工の切り張りをして通つて来た。順序の道とは教会の順序計りが順序ではないで。一体神を何んと心得、理を何んと心得ている。

 管長の邸宅を建つる前に建つるべきものは幾らもある。第一にお授け所である。貴いお授けを渡す場所が牛肉を食つた座敷をもつて充てられるとはどう云ふ訳です?御身は先ず御身の邸宅を急ぐ前に先ずこっちこそ急がなければならぬ筈でした。何によらず凡てについてこう云ふ仕事をしているからする事なす事に破綻を生じて来るのみである。

 未亡人よ、御身は知つているか知らないか知らないが、今日の状態は明治十四年、御身の父秀司の亡く なつた当時と宛然同一の因縁を繰り返しているのである。彼の頃御身はまだ五つか六つの子供であつた。御身の母の松枝は夫の亡くなつて一年も経たざるに普請を始めた。その時の後見役は今日の摂行職の山沢為蔵の父良助であつた。また世話役は今の松村吉太郎の父栄次郎であつた。しかも当時世間では色々の噂があつた。今日はその親の代を子が繰り返しているのである。御身は知つているか知つていないか知らないが世間では色々の噂がある。しかも色々な方面に色々な噂がある。私はそう云ふ噂は信じたくない。けれども御身の日常の生活は遂にこれ等の疑問を氷解するだけの鮮明を欠いている。

 未亡人よ、御身の周囲を取り巻くものは追従軽薄のみである。その間にあつて御身が良い気になつてしたいことをしたならば部下こそ良い迷惑である。凡て人の頭に立つものには同情の心がなければならない。しかも御身には全然之が欠けている。その証拠は夜ふかしである。毎夜2時3時迄起きていたならば下々の者の迷惑はどんなであらう。御身には一寸もその察しがない。これで果して宗教家か。もし徹夜をする必要があらば召使を休めて自分のみ仕事をしたが良い。下らぬ雑誌や小説に時を費して下々の迷惑を思わぬと云ふはこれ乱行にあらずして何んぞや?

 未亡人よ、私は御身に対して云わんと欲する所の事が多い。けれども事は未亡人の人格に係る事であるからこの上多くを云わない。ただ最後に一言云ってをきたいことは、理を貴み理を恐れよと云ふことである。苟も天理教と云ふ一派独立の宗教の管長夫人ならば、その実生活が直ちに教理と一致していなければならない。然らざれば決して天下幾百万の信徒の儀表たることはできないのである。これ御身の第一に反省せざるべからざる点である。次に云つてをかなければならぬことは、もつと平民的になれと云ふことである。今日の未亡人の生活を見るに、その理想とする処は王侯貴族の贅沢にある様である。けれどもこれは信徒の熱血によつて成れる宝財をもつては如何あるべき? 更にもう一つ云つてをかなければならぬことは、もつと立憲的になれと云ふことである。今日の天理教は全然これ野蛮専制政治である。長上の命と云えば如何なる非常識も如何なる非条理も平然として行われつゝある。これ上に立つ処の者の最も注意しなければ ならぬ点である。

 凡て人間には因縁の善悪はある。けれども教祖のお言葉の如く「因縁はつけるが後は心次第」のものである。己は因縁が善いから如何なる不条理もなして可なりと云ふ筈はない。見よ、御見の母は大食天命の魂であると。しかもその非道の精神は鼬となつて本部の地内を彷徨している。御身も亦自己の因縁を頼んで天理を遵奉せざれば御身の母と類似の運命に陥るであらう。これ真理なるなり。蓋しこの世界の人間は上は王侯貴族より下庶民に至る迄一人として理を守らぬで良いと云ふものはない。御身がたとい雲読命であつても、それは過去の功労に対して神の下した表賞のみ。現在にをいてその徳を失えば人間もしくば人間以下に堕落すること云ふを待たない。神は因縁の魂なるが故に決して道を二つにはしないのである。乞う、道のため且つは御身のために省察熟慮せよ。暴言多謝。       
                      
 (紀元九億十万七十七年二 月七日夜)  

 天理教管長中山正善摂行職 山沢為蔵氏に与ふる書  大平隆平  
 山沢氏足下、天理教の礼式に従えば足下のことを天理教管長中山正善摂行職大教正、山沢の為蔵公閣下とでも云わなければなるまいが、野人元来その礼に慣わず山沢氏をもつて呼ぶを許せ。私が足下の名前を知つたのは昨年足下が始めて摂行職となつた時であるが、私は足下の人と成りを聞き、直ちにこの人では天理教と云ふ大世帯を負つて立つ事は難しからうと感じました。果してその後足下の手腕を見るに、する事なす事に何らの信仰も何らの見識もない低能者であつたことが明きらかになりた。天理教では何んでも云いたいことも云わず、したいこともせず、小さくなつて他人の云ふ通りにしている人間を、心の善くできた人間だとか云ふそうですが、足下も或はその一人ではないかと思います。近頃君の親戚に当る一人の青年が来て、山沢様は良くできた人だ、彼位できた人は珍らしいと思いますと大層足下のことを賞讃して行きましたが、私はこの青年の人物鑑識眼の幼稚なるよりも、その青年を取り巻く周囲の人々の人物鑑識眼の幼稚なることを悲しみました。何故なればこの青年の言葉は決してこの青年自身が心から感じて吐いた言葉ではなく、実にその周囲の人々の批評をとつて直ちに自己の独創であるかの如く語つたものであることが、私には直ちに観破されたからであります。

 成る程無主義無定見無信仰の人をもつて良くできた人だと云ふ天理教特独の理想の人物より云えば、足下は良くできた人かも知れません。けれども確固たる信仰と崇高の人格とをもつて理想とする宗教家より云えば、今日の天理教の人達の云ふ良くできたといふ人程でき損いはありません。何故なれば彼らには信仰がありません。従つて人格がありません。主義とか定見とか云ふものは勿論のことです。こう云ふ人達は器械の様に使われる人間としては誠に理想の人物かも知れませんが、之を独立した人間として見る時は全く零です。私の考えによれば天理教がこう云ふ頭の空疎な人間をもつて理想の人間とするに至つた様々の原因は、彼の馬鹿々々しい非天理教的教理なる絶対服従主義の所産だと思います。彼の教理より云えば、誠にこう云ふ人物は理想の人物に相違ありません。けれども人間をその人格的価値より論ずれば、こう云ふ人間はただ人格もなく生命もないただの人形に過ぎないのです。私は足下が直ちに生ける人形だとは云わないがマアそれに近い人間ではないかと思つています。

 一例を挙げて云えば摂行職の判ですが、彼の大事な摂行職の判を無責任にも、一婦人の手に委してそれから引き起るどんな重大な事件も、自分が責任を負おうと云ふのは、余程間抜けの人間か余程偉い人間でなければできないことです。それを足下が平気でやつているといふのは、余程好人物と云わねばなりません。人の話を聞くに、足下に逢ふ人も/\足下程要領を得ない人はないと云つています。私は足下が私の新宗教に対して取りつゝある態度に徴して、その詐ならざることを証明するのであります。私は足下に尋問するが、一体新宗教の何れの点がいけないと云ふのですか。足下が山名の大教会長に語られた処によると、本部を攻撃するからいかんと云ふ様に云われたことを聞いたが、私は何も本部を攻撃はしません。攻撃するなんて思ふのが足下を始め本部の人々の誤解です。私は現在の天理教に欠けたるものを補ふ迄です。これは私の雑誌を熟読なされば直ぐ判ることです。足下は云ふべきことがあれば本部に来て云えと云われたそうですが、現在の本部に一信徒の言を採用して改革を実行する誠意がありますか。あるなら行つてお話しますが、私が半年以上誌上で発表したことは今なお一つでも採用されていないではありませんか?人を欺すにも程があると思います。且つ常識から考えて見ても本部員の一人や二人が私の意見を承知したとても、それが一般信徒に徹底しますか?そんなことは到底望むべからざることです。足下の言葉によれば大平がどうしても聞かぬならば処分をすると云ふのだそうですが、足下の言ふ処分とは直轄教会に伝達してその購読を禁止することにあつたのですか?それとも私を除名処分でもなさらうと云ふのですか?前者は既に足下等の実行している処のものであればこの上の取るべき手段は後者ですが、後者なら安心しなさい。私は既に天理教会は脱会したから。この上の処分は足下等の手を待たないのです。

 山沢氏足下、私も世界の宗教家の行動には多少の注意を払つては居ますが凡そ天理教の人達程非宗教的行動を行つて平然たる宗教家は見たことがありません。もし私の信仰に教祖の宗教と相反せる危険分子があつたならば、公然機関誌の上にその誤謬を指摘して之を誘導することに力むべきではないか?然るにさはせずして宗教家らしくもなく新宗教の購読を妨害してそれ自身に自滅せしむるが如き方法を取るのは、余りに卑怯ではないか?余りに宗教家らしくないではないか? 足下は云ふ、大平はお道の破壊者だから大平の雑誌は読むなと。教祖直伝の宗教を宣伝するものと、それを曲信するものと何れが多く道の破壊者たるか考えて見たが良い。天啓にも、教祖といふ内から潰していると。足下等の日々行つている事こそ却つて教祖の道を破壊しつゝあるにあらずや?然るに本末始終を顛倒し、是非曲直を曲解して、教祖直伝の宗教の宣伝者に迫害を加えるとは何たる不忠ぞや何たる不孝ぞや?けれども私は何も新宗教の購読を部下に禁止したことを悲しむものではありません。その慮見の小さいのを悲しむのです。否な、本部に一定の標準教理なく本部員に確固不抜の信仰のないのを悲しむのです。足下は私の雑誌を潰し、私の声を止めたならばそれで天理教界の腐敗は一掃されると思ふのですか?本部の非行が許されると思ふのですか? もしそう云ふ考えをもつて私の著書や雑誌に妨害を加えていられるとしたならば足下の姑息を真に憐れまずにはいられません。そもそも事実と云ふものはたとい人が攻撃しやうが賞讃しやうが善は善にして悪は悪です。それを変更する力は誰にもありません。それを人の口を止めさえすれば良い。人の眼さえ誤魔化せば良い。人の耳さえ塞げば善い事をしても悪い事をしても構わないと云ふのは宗教家の仮にも云ふべきことなすべきことではありません。寧ろ自ら進んで自己の前非を悔い後行を慎むこそ真の宗教家といふものです。

 然るに足下等の行動を観察するに宛然これ何もわからぬ婦女子の態度です。俗人の態度です。彼らは賞めらるれば直ちに百年の知己を得た様に喜び、譏らるれば全然千戴の仇敵にでも逢つた様に思つて、之に対して悪口憎言迫害攻撃をします。これは君子の最も恥づる処のものであります。私はまだその域に達しないとは云え、誠意をもつて自己の欠点を忠告してくれる人に対してはその忠言を容れるに決して陋ではないのです。寧ろ喜んで常に蔭口でも聞かんことを欲するのです。これ真に徳を進める所以であるからであります。然るに本部では己に諂ふ者は是が非でも近づけ、己に反対するものは是が非でも潰そう遠けやうとするのは甚だ要領を得ません。それが人心救済の使命を帯びた宗教家のなすべきことでしょうか?これを足下に伺いたいのです。

 それから一番悲しむべきことは本部に一定の標準教理のないことです。それがために往々教祖所説の天理教を宣伝すれば本部から潰しにかゝる様の矛盾をする様になるのです。

 こう云ふ具合じゃとても天理教は発展しませんね。第一困るのは我々布教師です。教理の標準を教祖の所説に求めて布教すれば本部で力を尽して反対攻撃圧迫妨害する様では手の付け様はありません。これは私一人ではなく多くの布教師が迷惑を感じている事だらうと思います。大体私が道の破壊者だなんて言葉は何処から出るのですか?私は朝も晩も寝ても起きてもどうかこの道を発展させたいとそれ許り思つているのです。それだから色々欠けたる点、誤つた点を指摘して教界に注意を促すのも、皆な円満な道を世界に伝えたいからです。それを少しも思わず、私を弥次馬か乱暴者の様に思つて倒そうとかゝつているのは、道のために甚だ悲しい事です。けれども本部で如何に迫害しても、私の信仰が間違つていないと信ずる限りは、たとい五百万の信者を敵に回しても主張は撤回しません。それよりも私は足下を始め本部の人達に希望するのです。どうか真の天理教と云ふものを知つて貰いたいと云ふことを。何故なればこの宗教の首脳者たる足下等を始め今の様にわからぬこと計り云つているようでは、この教えを世界は愚か日本国中だつて広めることは容易ではありませんから。之は私が今日迄繰り返し云つたことですけれども幾ら云つても悟りがないのです。而して何時迄も馬鹿を社会に曝露しています。

 山沢氏足下 、足下もし道の性根があらばこの点を自覚せよ。然らば即ち私の著書雑誌並びに私一身に対する迫害攻撃の如き問ふ処にあらず。私は益々その力の強からんことを希望するのである。                            
 (紀元九億十万七十七年二 月十三日)

 新宗教一月号の余の談話に就いて  飯降政甚
 新宗教一月号の余の談話に就いては大分やかましいい問題となり、その為に本部員の集会迄開いて、彼の談話の趣旨を自分に対して尋問せられることになつた。問題となつたのは秀司さんが亡くなつた時、教祖は上段の間からお下りになつて秀司様の枕許に立ち、額をゴロとして「もう剛情は張らせんやろ。張れるかい。張れるなら張つて見いや」と仰つて、涙一滴こぼさず元の所へお帰りになつたと云ふ処の話と、松枝さんが鼬になつたといふことの二つであるが。自分が彼の談話をしたのは教祖には我が子、人の子の隔てはない公平無私の偉大な人格偉大な精神を備えられていたことゝ、理と云ふものはたとい教祖の親族であらうが因縁の魂であらうが、善をすれば善をした様、悪をすれば悪をした様に公平に回つて来るといふこと、即ち天理といふものは公平無私のものであり、因果応報の理は争ふべからざるものであるといふことを語つたのです。之に対して山沢摂行職の実験談なるものを聞くに、私の聞いている所と全く正反対の話である。即ち秀司さんの亡くなつた時、教祖は上段の間から下りておいでになつて、秀司様の枕許に立ち、額を三度撫で「早う帰つて来るだで/\」と云つて涙をポロリと滾して元の所へお帰りになつたが、お帰りになると後は平素とチットモ変らない御様子であつたといふことである。また鼬云々の事も全く事実無根であるといふのが山沢氏を始め一般本部員の説であるが、之に関して自分はその当時の目撃者でないから事実無根であるかどうか知らない。けれども当時現場の目撃者であつた処の自分の父(本席)や姉(永尾芳枝)の云ふ所を聞くと、摂行職の談話とは全然正反対なのです。

 従つて之は天理教将来のために何れが真で何れが偽であるか大いに正してをく必要があると思ふ。摂行職の談によると、教祖がもし自分の話した様なことをし本席がまた自分の話した様なことを云われたとすれば、教祖も詰らない人であるし、また御本席と云ふ人も詰らない人であると云われたが、これは聞き捨てならん言葉だと思ふ。何故なれば自分の子供の亡くなつた時、涙を流す云々と云ふことは普通の人情より押した時の話で、教祖の如き我が子も人の子も分け隔てのない公平無私の大人格を持つておいでの方には当て嵌まらない問題である。摂行職は、教祖がもし自分の子供の亡くなつたのを見てあう云ふことを云われたり、せられたりしたとすれば、教祖は誠に詰らない人であると云われたが、自分の考えでは詰らない処ではない。却つてあれによつて教祖が神に近い人格をもつていられた方であつたと云ふ荘厳無比の感に打たれるのです。また御本席がそんな話をしたとすれば御本席と云ふ人も詰らない人であると云われたが、自分は教祖の公平無私の偉大なる大精神を汲んで無量の感慨に打たれた本席その人を偉いと思ふ。これは自分の父であるからいふのではない。人間として兎に角偉いと思ふ。

 それから秀司さんであるが、一月号では自分の所謂秀司観なるものが徹底して表われていないが、自分の考えでは彼の人の信仰が正しくあつたかまた誤つていたかを問わず、最後迄反対を続けたといふ彼の人の意志の強固な点は偉いと思ふ。これが普通人であつたならば中途有耶無耶になるのであるが、そこをどこ迄も教祖に反対し切つたといふ点は中々尋常人ではない。その反対の中を切り抜けた教祖も偉ければ、その反対を死ぬ迄続けた秀司その人も偉い。一月号ではこの点が充分表われていないが、兎に角一面に於ては秀司その人を感心している。

 また鼬云々の事もこれは私の姉が目撃して知つている事で決して事実無根ではない。無根でないと云ふ証拠には、私の姉が風呂場で教祖の肩を流していると、教祖は廂を見て、「おう松枝もう帰つているで」と云われた。見上げると廂の所に小さな鼬が日和ぼこりをしていたと云ふことである。松枝と云ふ人は何か神様に上ると、教祖に隠して平等寺村の実家に運んで、教祖に対しては随分つらく当つた人であるが、それに対して教祖の仰せられるには「鼬と云ふものは良く物を運ぶ者である。それであるから犬や猫には何かやるけれども、鼬には何もやるものがない。松枝は大食天命の魂で世界ではなくてならぬ道具の一つであるけれども、生前の心掛けが良くなかつたから再び人間界には出さぬ。生涯鼬として屋敷の内に置く」と云われたそうであるが、これは私の姉が何よりの証人であります。

 以上の問題に対して板倉氏は「自分も教会を持ちまた支庁ももつているが、これでは信徒に説明の仕様がないから信徒を満足させる様な説明の方法を教えてくれ」と云ふ最も皮肉な態度に出られたが、自分の考えでは何も説明の方法がないことはないと思ふ。元来天理教では今日迄悪い事は何んでも隠そうの隠蔽主義一点張りで通つて来たが、自分の考えではそれでは反つて世間の疑惑を作る元だと思ふ。それだから事実は何処迄も事実として社会に発表して善悪是非の判断は社会に任せたが良いと思ふ。自分が以上の事実を発表したのは、教祖は公平であり天理も亦何処迄も公平なものであると云ふ教祖の人格と天裁の峻厳とを知らせるためである。しかも板倉氏はなおこれでは説明の仕様がないと云われるが説明はこれでチャンとついている。即ち天は人によつて裁かず理によつて裁くと云ふ天の裁判の公平なること、教祖は我が子人の子の区別のなかつたこと、それで説明はつく。それでも説明がつかんと云ふのは事実を打ち消せと云ふことになる。けれども事実といふものは人間の力で曲げることもできなければ打ち消すこともできないものである。それを曲げたり隠したり打ち消したりすることは宗教家として甚だ要領を得ない態度だと自分は思つている。従つて之で分 らないとならば天下の輿論に訴えるより仕方がない。

 板倉氏はまた然らば何時の何日の何時にそう云ふことがあつたと云ふ書物でもあるかと云ふ質問を呈出せられたが、苟くも当時の状況を知れるものには問題にならない非常識な質問である。一体道の創業時代の当時に於てそんなことをしている余裕があつたかなかつたか、多少なりともその時代の状態を知つている板倉氏としては殆んど誠意よりの質問ではないと思われる。よつて自分も亦一笑に付してしまつた。この他影ではあれこれと云ふ人もあつたが誰も正面より衝き込んで来るものもなく、集会は不得要領の中に終つたが、自分の考えではあれによつて天裁の公平なること、教祖の偉大なること、見様によつては秀司氏も亦偉大な人物であつたことを事実のままに語つた迄である。従つて自分の談話が事実と相違していると云ふ確かな証拠の挙がらない限り自分としていささかも謝罪する必要はない。ただ本部を始め一般信徒に誤解のなき様に自分が右の談話を発表した精神について一言の説明を加えてをくのである。

 編集室より   RO生
 今月号はもつと早く出さなければならないのであるが三十年祭のために半月も前からゴタ/\し三十年祭が済んでも色々の用事ができたり色々の人が来たりして落ち着いて書くことができなかつた。それで意外に発行日が遅れたのは読者に対して申訳のない次第である。それにこの12月程私の信仰の上に動揺の来た時はなかつた。私が遂に恩顧ある山名大教会を退会して教会の一切の制度儀式に囚れざる独立信仰に帰つたのもそのためである。私は信ずるのである。この道の信仰の要は朝起き、正直、働きであるといふことを。今日の教会の制度及び儀式は却つてこの三条の教憲を破壊しつゝある。これ私をして一切の形式を廃して斯教の根本的精神に立ち返つた所以である。従つて今後の私の行動は何れの教会にも属せざる全然自由行動をとるのである。私は天理教の教理は肯定するけれども教権は否定する。従つて本部と雖も私の行動に就いて一切口を差入れることを許さない。何故なれば私は本部の信徒にもあらず教会の信徒にもあらずして神直属の信徒教祖直属の信徒であるからである。今月号はこう云ふ動揺の中に生れたものであるから内容は至つて貧弱である。けれども それは読者から云ふことで私自身にとつては最も意義あるものである。序に読者に申し上てをくが読者の中には本社の発行した御筆先を十部買ふから四十銭に負けろ二十部買ふから三十銭に負けろと全然商売人の様に掛け合つて来る人があるが、この紙代印刷費組代製本料の暴騰の折柄本社はできるだけの廉価(五十銭)をもつて分つて居るのである。且つ御筆先そのものの性質から云つても御神楽歌と同じく負けろの引けのと云ふべき性質のものでないと思ふ。私が御筆先発行の目的は斯道の研究者の便利を計るためであつて営利的事業のためでないから今後売品として商売上の掛け引きでやつて来る人には一切御分ちしないことにします。もし理を軽ろしむるの弊害があつたら書店の販売も止めます。それからもう一つ断つてをくのは、読者の中には書店と心得て他店の発行に係る書籍を注文して来る人がしばしばあるが、本社は本社の発行せる書籍以外は一切取り扱わないからその心算に願いたい。重ねて申し上てをきますが今月号には遺憾の点が多くあります。且つ三十年祭の記事を掲げよとの注文もあるがそれは三月号より書く地場印象記の中に出て来ると思います。早く見たい人は道の友なり新聞によつて御覧を願ふ。それから三月号からは御神楽の新研究やおさしづの研究やを掲ぐる外「痴人の足跡」と題して私の心の跡を書きたいと思つています。私にとつて最も密接の関係あるのは自分自身の問題である。この文は即ち自分自身の問題を最も深刻に扱つたものである。私の暗き生涯の半面はこの文によつて公衆の前に曝露せられるのである。新しき自我の建設は私にとつてそれ以後の問題である。私は真剣を愛し、真剣の人を愛する。人生を茶化して通る人間は最初から私の友ではな い。私は真剣の友を愛する。読者の中には手紙をもつてまた直接色々の問題を私の所に持ち込んで来るが、私はその人達のただ一人よりも真我の叫びを聞かない。これで生命を直接扱つている宗教家と思えば実際情なくなる。けれども何より大切の問題は自分自身の問題である。これに対して徹底した自覚をもた ない人間が他人の思想を左右し得やう筈はない。従つて私は先ず自分自身の問題の解決を急いでいる。終りに三月号の発行日は十五日に延したことゝ四月号より一日発行にすることを断つてをく。





(私論.私見)