大平良平の教理エッセイ

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.27日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「大平良平の教理エッセイ」をものしておく。「新時代の象徴人 大平 隆平 凡そ此の宇宙間にありとあらゆるものにし」その他参照。

 2019(平成31→5.1栄和改元)年.9.26日 れんだいこ拝


新時代の象徴人   大平隆平
新真婦人の典型
(元77年1月9日)  
大平隆平
人類教育家としての中山ミキ子
元77年1月14日)
大平隆平
教祖の降誕日と昇天日とに就て 
(元77年1月14日)
大平隆平
編集室より    RO生
改名の理由     旧/大平良平
新/大平隆平
教主政従の時代   大平隆平
先づ愛を解決せよ
病を恐るゝ勿れ
(元77年2月11日)
大平隆平
独立信仰の宣言
(元77年2月12日)
大平隆平
第二天理教界革命の声(一)
(元77年2月16日)
大平隆平
無形教界より(二)   大平隆平
天理教初代管長未亡人 中山玉恵子に与ふる書
(元77年2月7日夜)
大平隆平
天理教管長中山正善摂行職 山沢為蔵氏に与ふる書 大平隆平
編集室より RO生
自由信仰の時代
(元77年2月23日)
大平隆平
地場より(四)    RO生
第二天理教会革命の声(二) 大平隆平
旧式信仰と新式信仰
(元77年2月28日)
大平隆平
一人一党主義  
(元77年2月28日)  
大平隆平
教会と監獄    
(元77年2月28日)
大平隆平
助けぬ神は信ぜぬ、助からぬ理は信ぜぬ  
(元77年3月1日)  
大平隆平
三条の教憲と我が信条  
(元77年3月1日)
大平隆平
本場の思想  
(元77年3月3日)
大平隆平
心外無法   
(元77年3月6日)
RO生
宮森教正に与ふる書  
(元77年3月5日)
大平隆平
山名大教会前会長 諸井国三郎氏に与ふる書
(元77年3月3日)
大平隆平
読者の声に就て  
(元77年3月8日)
大平隆平
編集室より  
(元77年3月11日)
RO生
天理教祖降誕の世界的意義   
(元77年3月11日)
大平隆平
弥勒菩薩の出現 
(元77年3月11日)
大平隆平
教祖降誕祭の制定と信徒の心得
(元77年3月11日)
大平隆平
飯降亜聖論  
(元77年3月16日)  
大平隆平
新宗教一周年記念号  一周年を迎ふるの辞
(元77年3月17日)
大平隆平
向上と忍苦の生活  
(元77年3月17日)   
大平隆平
第二天理教界革命の声(三) 大平隆平
山中彦七氏に与ふる書  
(元77年3月19日)
大平隆平
道の友三月号の警告に就いて本部に問ふ
(元77年3月19日)
大平隆平
天理教本部 御中  地場印象記(一)   大平隆平
無形教会より(三) RO生
痴人の足跡  序
(元77年3月22日)
大平隆平
大和の地場にて   大平隆平
天理教と現在主義
(大正4年9月27日)
大平良平
別席の講話を改良せよ 
(大正4年9月28日)
結果主義を排す
偶像崇拝を止めよ
独立した人格を養成せよ
甘露台の建設を急げ
教界の廓清(三)  
(大正4年9月28日)
大平良平
聖壇に立ちて(三) 大平良平
三家に与ふる書  
(元77年3月19日)
大平隆平
天理教教育顧問広池博士に与ふる書 
(大正4年10月6日)
RO生
天理教婦人会傍聴記
(大正4年10月6日)  
RO生
地場より(三) RO生
二個の要求 大平良平
実家にある妻に送る書 
(大正4年11月22日)
大平良平
編集室より     RO生
新宗教社
(大正4年11月24日午後12時)
先づ愛を解決せよ
大和の地場にて   大平良平
大和の地場にて本論(下) 
(大正4年11月21日午前3時)
大平良平

 新時代の象徴人  大平 隆平
 凡そこの宇宙間にありとあらゆるものにして一つとして変化をしないものはない。例へば空に漂ふ雲のたゝずまひも地を流るゝ川つ瀬も一刻として同じ所に止まつてゐるものはない。たとひ一見して何らの変化なきが如く見ゆるものも仔細にこれを観察すれば必ずや何らかの変化をなしてゐるのである。これは自然界に於てそうである計りでなく人間界に於てもそうである。今試みに紀元十億三十七年十二月大晦日の夜の銀座の一角をとつて研究せよ。そこには 来るべき正月を待ち焦れてゐる少年少女もあれば、来るべき正月を如何にして楽むべきかについて考へつゝある青年男女もある。これだけならば大晦日の夜の銀座は至つて平和なも のである。けれども社会は而かく単純ではない。更にそれ以上多くの人が歳末の勘定に苦心しつゝ往来しつゝあるのである。行く人来る人その中には債鬼もあれば債鬼に苦しめ られつゝ逃げ廻る人の子もある。凡てこれ等の人間が相交錯して大晦日の夜の銀座は希望と 失望と歓楽と悲哀との劇場である。然るに一夜明けた元旦の朝の同じ銀座の一角を見よ。そこには昨日の債鬼も債鬼に追はれた人の子も顔の相好を直して新春の気分に酔ひながら右往左往してゐる。吾人の日常生活の上には常に大晦日と元旦程の大なる変化はなくとも、昨日の世界と今日の世界、昨日の人と今日の人との間には眼にこそ見えないが大小の変化が表はれてゐるのである。人は或は考へるであらう。昨日此処を歩いて居た人、昨日ここで働いて居た人、それは成程影も形もない。また昨日の雨と昨日の風と昨日の塵と昨日の埃とはここにはない。けれども軒を並べて立つてゐる建築物と我が現在立つてゐる敷石のみは昨日のままではないか と。これは大いに誤つてゐる。如何にも肉眼をもつて観察すれば凡てこtれ等のものは昨日のままであらう。けれどもこれを細微な顕微鏡をもつて観察する時はその間に何等かの変化を生じてゐるに違ゐない。その証拠には去年の春建てた新築の家屋は今年の春に於て決して 同一の新しさを保つてゐないのに見ても明きらかである。凡て変化は世界の常態である。それは自然界にも起れば人間界にも起り、物質界にも起れば精神界にも起り、主観界にも起れば客観界にも起る。釈迦はこの宇宙の変化相を見て有為転変の世の中とも無常迅速の世界とも云つた。今之を最も卑近なる物質文明の上に徴するに彼の灯明である。太古に於ては今日の如く灯明もしくは灯火と云ふものはなかつた。日月が即ち灯明であり雪や蛍が即ち灯明であつた。それが人智の発達するにつれて自然に灯明もしくば灯火を発明する様になり夜の焼火が発明せられた。それから自然の必要上野外灯では松明が発明せられ、松明が提灯となり、提灯が手提灯となり、手提灯が懐中電灯となつた。また室内灯にては焼火が暗灯となり、暗灯が蝋燭となり、蝋燭がランプとなり、ランプが瓦斯となり、瓦斯が電気となつた。これは物質文明の上に起つて来た変化の一例に過ぎないが変化は物質界にのみ限られては居ない。更にそれ以上の大なる変化を精神界に引き起してゐる。今日は即ちその空前絶後の大変化期に際してゐるのである。
 天理教では教祖出現迄の世界を一世の世界と云ひ、教祖出現以後の世界を二世の世界と云ひ、それ自身を二世の建て換への教と云つてゐる。一世の世界とは即ち旧世界を意味するのである。二世の世界とは即ち新世界を意味するのである。天理教は即ち旧世界の生んだ凡ゆる文明を破壊して全然新しき新文明を創造するにあるのである。天理教の第一の特色は陽気な宗教であるといふことである。凡そ一つの物もしくは一つ の場所もしくば一人の人より得る所の気分は、その物その人その所が真であるとか善であるとか美であるとか云ふものを感ずる前に、先づ明るいとか暗いとか陽気だとか陰気だとか云ふ気分を感ずるのである。これは宗教とか哲学とか芸術とかに於ても亦そうである。吾人が今日迄呼吸して来た旧世界の空気は何となしに陰気な重苦しい空気であつた。と云ふのは人間に水中生活や穴居生活の習慣性が残つてゐたからである。けれども今日は神の所謂「明るいところへ出た」のである。従つてその思想迄明るく陽気になつて来るのは 蓋し自然の要求である。
 天理教の第二の特色は積極的であるといふことである。積極的と陽気とは同一特色の様に考へられるけれども陽気と云ふのは気分を指したものであつて積極的と云ふのは力の方向をさしたものである。
 天理教の第三の特色は活動的であるといふことである。過去の宗教はやゝもすれば消極的、隠遁的、観照的、冥想的であつたが天理教の特色は既に/\それ等の境を超越して真に活動の境に入つたのである。これは啻に天理教の特色であるばかりでなく、来るべき新時代の特色である。
 天理教の第四の特色は向上的であると云ふことである。これは前代の頽廃的気分堕落的分子の反動である。
 天理教の第五の特色は進歩的であるといふことである。これは前代の思想が進んで人格の改良社会の進歩を計らうとするよりは寧ろ退いて自分一身の一時の安全を計らうとする退嬰的気分保守的分子に富んで居つた。けれども来るべき時代はそう云ふ亡国的思想に生くべき時代ではない。更に大いに人生の向上発展を計らなければならない。この進化の思想を引提げて生れて来たのが天理教である。
 天理教の第六の特色は創造的であるといふことである。天理教が創造的宗教であるといふのは今日迄の旧世界の文明を破壊して全然新しき第二の世界を創造するにある。これは従来の宗教の何れも多少持つていた特色であるが天理教の如く而かく根本的に第二の新世界を創造せんとする宗教は未だ曾つてなかつたのである。
 天理教の第七の特色は建設的であるといふことである。これは天理教の所謂「限なし普請」の理想が最もよく表象してゐる。「限なし普請」とは不完全なる自己不完全なる社会を破壊しては創造し創造しては破壊して真に完全無欠の神の社(自己、社会)を建設するにあるのである。これを称して「第一義の限なし普請」と云ふ。「第二義の限なし普請」とは地場即ち大和三島天理教本部の神 殿の不断の建築である。
 天理教の第八の特色は現実的であるといふことである。従来の宗教はやゝもすれば現実を離れて理想に傾く傾向があつた。これは宗教ばかりではない。哲学でも芸術でも倫理でも道徳でもそうであつた。けれども今日は時代が一変した。今日は理想を理想として貴ぶよりも理想の現実化云ひ換へれば理想的の現実を貴ぶ様になつた。この気運の先駆者として生れたのが天理教である。
 天理教の第九の特色は実際的であるといふことである。天啓の声に「論は一寸も要らん/\。論は世界の理で行ける。神の道には論は要らん。誠一つなら天の理。実で行くが良い」。従来の宗教は教論に重きを置いてその実際的方面を閑却していた傾向があつた。云ひ換へれば証拠より論を重んじた傾向があつた。けれども天理教はその反対に論より証拠を重んずる宗教である。この論より証拠を重んずる天理教の特色は現代並びに未来の特色である。
 天理教の第十の特色は実行的といふことである。これは前二者の特色と血縁の関係にあるのであるが天理教が実行教である何よりの証拠は世人が奇異しつゝある御神楽のお手振りである。彼れは人間は凡て心と口と手の三つが揃はなければ完全な人間でないといふ点より心に思い、口に唱ひ、手にて舞ふのである。この実行を重んずる点こそ新時代の思想の一角である。
 天理教の第十一の特色は天理教は生産的の宗教であるといふことである。教祖の言葉に「働きなさい/\。人間であつて働かない者は我が教の子ではない」と云つてあるが無為徒食することは天理教の第一の厭む処のものである。
 天理教の第十二の特色は平民的であるといふことである。これは天理教の特色であるばかりでなく実に近代文明の特色である。将来世が進歩すればする程この平民的思想が勃興して来るのである。けれどもここに一つ誤解してはならぬことは貴族的といへば直ちに上品を連想し平民的と云へば直ちに下品を連想することである。これは貴族的とか平民的とか云ふことを真に理解しない為に起る誤解である。平民的と云へば「低い心」と云ふことであつて全人類 を一列平等視するところより起つて来る思想なり、態度なりを指して云ふのである。従つて天理教は平民的だと云ふことは過去の宗教の如く階級的でないといふことを意味するのである。更に平民的と云ふ第二の意味は実質的内容的であるといふことである。即ち貴族的と云ふ言葉の与へる暗示は繁文褥礼、形式儀礼、虚儀虚礼、虚飾虚偽、誇大負誇といふ意味を連想せしめる。平民的と云ふ言葉はその反対に正直、実直、勤勉、素朴と云ふ様な意味を連想せしむるのである。之を古い言葉で云へば剛毅朴訥仁(真実、自然)に近しと云ふに相当するのである。また貴族と云ふ言葉の内容は「巧言令色鮮いかな仁」に相 当するのである。従つて天理教が平民的だと云ふことは天理教が実質的だと云ふことを意味するのである。この平民的特長こそ実に近代文明の特長である。
 天理教の第十三の特色は普遍的だと云ふことである。凡て平民的と云ふ言葉の中には一般的もしくば普遍的と云ふ意味を含んでゐるのであるが、ここではそれと別種の意味で普遍的だと云ふのである。即ちここに普遍的だと云ふのは世界的とか人類的とか云ふことを意味するのである。それは勿論全世界を大日本国にすると云ふ天理教の終局の理想より見れば特殊的にも見えるであらう。けれどもそれは形式上の論であつてその内容は全然世界的人類的のものである。
 天理教の第十四の特色は通俗的だと云ふことである。従来の宗教が兎角難解の辞句を並べて人類の求理心を妨害せしに反し、天理教は極通俗平易の大和の時代方言をもつて述べら れてゐる。これは実に教祖の「固いものは若い者が食べても老人や子供は食べられぬ。柔かいものは若い者も食べる事もできれば老人子供も食べられる」といふ言葉に表はされてゐるが如く学不学、識不識を問はず凡てのものに理解せしむるをもつて目的としたのである。然るに時代の進歩するにつれてこの通俗平易と云ふことが益々必要になつて来た。何故なれば時勢の進歩は次第に難解なる辞句の為に多大の時間と労力とを費す余裕がないからである。天理教の通俗味は実にこの時代の要求に適応したものである。
 天理教の第十五の特色は実質的だと云ふことである。この実質的だと云ふのは「外の錦よりも内の錦」と云ふ神の言葉に尽されてあるのであるが凡て無用の装飾や無意義な儀式の為に時間と労力と精力と物質とを費すことは天理教の極力反対するところである。これがやがて近代文明の底を流れてゐる新しい潮流である。
 天理教の第十六の特色は単純だと云ふことである。これは近代芸術の最もよく表してゐる時代相であつて凡て創造期に通ずる特色である。
 天理教の第十七の特色は社会的だと云ふことである。即ち従来の宗教は多く社会と離れて社会生活とは没交渉な隠遁的生活を送るをもつて理想としたが天理教の理想は山の仙人(不生産的人物)より里の仙人(生産的人物)をつくるをもつて理想とするのである。この一つ既に新時代の羅針盤として充分の価値がある。
 天理教の第十八の特色は家族的であるといふことである。この家族的と云ふ言葉は天理教が他の宗教よりも特に家庭生活を尊重すると云ふばかりではない。実に世界一列が一家族 として結合せんとするところにあるのである。この特色は基督教以外の過去の宗教の何れにも見ることのできない天理教の特色である。
 天理教の第十九の特色は平和的であるといふことである。近代文明の主潮は一、二の除外例はあつても大体戦争よりも寧ろ平和を愛する傾向を有するに至つたのは悦ぶべき現象である。天理教は実にこの平和の使徒である。けれども東洋人の通弊として一口に平和と云へば無念無想無作為の状態を想像すれども天理教で云ふ所の平和はそういふ希望もなければ生命もない無活動の状態をさして云ふのではない。人類相互が平和の関係を保ちつゝ各自の天職に向つて勤勉する積極的平和状態 をさして云ふのである。今日の戦争論者は何んな議論を述べるにした処で人生といふものは結局平和の状態に入らなければならないものである。何故なれば戦争は決して人生の終局の幸福を意味してゐないからである。
 天理教の第二十の特色は楽天的であるといふことである。凡そ宗教の数も数ある中に天 理教程楽天的宗教はない。この楽天的と云ふこともこれを浅く解釈するものには浅薄なる享楽派に堕ちる憂はあるが天理教の楽天主義は人事を尽して天命を楽しむといふ点にあるのである。天理教の楽天主義は人間は悲しむも楽しむも結局成る様にさへならぬと云ふ断念的態度より来たものでもなく又た泣いたところが悲しんだ所が泣くだけ悲しむだけ損であると云ふ功利的運命観より来たものでもない。神が人類を造つたのは人類の陽気遊山を見て楽しみたいといふ意志に基くこと並びに人生一切の事は凡て神意の発現であるが故に人事を尽して天命を待つと云ふ信仰上の主義から来たものである。この楽天的と云ふことは新思想の一つの特色である。
 天理教の第二十一の特色は相互扶助的であるといふことである。これは必ずしも天理教特独の初説の真理ではないかも知らない。けれども人生は今日迄の所謂生存競争と云ふ残忍な動物的世界を脱して真に相互扶助の世界に入らなければならぬものである。従つて相互扶助といふことは新人生の内容であらねばならない。
 天理教の第二十二の特色は日の寄進的であるといふことである。日の寄進といふことは 日々の誠を神に寄進するの謂であるがこれを実生活の上より云へば日々結構に通らして戴 く神の大恩に対する感謝の一念より生れた利害観念を離れた献身的労働をさして云ふのである。来るべき新人生はまさにかくの如くあらねばならない。
 天理教の第二十三の特色は科学的であるといふことである。科学的だと云ふことはやがて又た実験的、実際的だといふことを意味するのである。即ち今日迄事実を無視した空想の跋扈に対する反動である。
 天理教の第二十四の特色は一元的であるといふことである。これは神と人と人と人との 関係が一元的であるといふばかりでなく全人類がこれ迄もつて来た異つた風俗習慣地理歴史政治を全然手一つの理に統一せんとするのである。これが新時代の必然の要求である。
 天理教の第二十五の特色は地場中心的と云ふことである。これは新人生の空間的焦点である。
 天理教の第二十六の特色は神霊中心的であるといふことである。今日迄の人類生活は或は法律を中心とし、或は芸術を中心とし、或は哲学を中心として生活して来た。云ひ換へれば人間中心的であつた。けれども来るべき新時代は必らずや神の絶対理想に統一せられ なければならない。云ひ換へれば信仰中心の時代に到達しなければならない。
 以上は天理教と旧思想との比較研究の上に成立する天理教の大体の特色であるが更に之を実質的方面より観察すれば天理教の齎らせる新しき特質と使命とは過去の宗教哲学のなさんとしてなし得ざりし精神的革命を根本的に完成するにある。云ひ換へれば過去の宗教哲学の荒い熊手を逸したる小埃即ちほしい、をしい、かはゆい、にくい、うらみ、は らだち、ゆく、かうまんに満ちたる現在の人類社会を根本的に清掃して塵一点も止めぬ清浄潔白の甘露台世界(黄金世界)をこの地上に実現せんとするのである。この新時代の特色と使命とを負ふて生れた新時代の象徴人こそ人類の原母伊邪那美命の後身と称せられつゝある天理教祖中山ミキ子である。

 釈尊(宇宙の根本現在の神国床立命の化身)在世の予言に、我が歿後の世界には正法世に住すること一千年、像法世に住すること更に一千年、その間に月光菩薩が表れて仏法を説くけれども奸悪なる世は之に向つて耳を傾けるものがない。為に正は蔽はれて邪ははびかる。けれどもその後に弥勒の世界が来る。弥勒の世界が来たならば正法は復活して世界は根本的に改革せられるであらう、と。

 思ふに月光菩薩の出現とは基督の降誕をさしたものであらう。而して天理教祖の出現こそ将さに吾人の待ちに待ち倦ぐんだ弥勒菩薩の再来なりと信ずるのである。教祖在世の予言に「この道を世界中に附け通したならば百姓は蓑笠要らず。雨が欲しけれは雨を授けてやる。多ければ預つてもやるで。また百姓の仕事の邪魔になる様な時には雨は降らさぬ。月六斉に雨降らし、風はそよ/\と吹かせ、地震もなければ海嘯もなく、噴火もなければ地辷りもなく、大風もなければ洪水もなく、旱魃もなければ飢饉もない。四時の気候が調和せられて厳冬もなければ酷暑もない。外へ行くにも提灯要らず笠要らず小遣銭要らず。尚ほ人間の徳が進んで行つたならば病まず死なずに弱りなき様にしてやる」と説かれてある。


 誠にかくの如き黄金世界の到来は人類が長い間望んでゐた処の理想であ つた。而かもそれは早晩この世界に実現せられて来るのである。その時来らばこの世界には一人の貪婪者もなければ一人の吝嗇者もなく、一人の邪愛者もなければ一人の憎悪者もなく、一人の怨恨者もなければ一人の憤怒者もなく、一人の強欲者もなければ一人の高慢者もなくなる。凡てが同胞兄弟として相親しみ教祖の所謂「提灯要らず笠要らず鎖さぬ(夜戸を)御代にするが一條」の世界が宛然にこの地上に実現せられるのである。

 新真婦人の典型 大平隆平
 「新しい女」と云へば一時思想界の流行語であつた。けれども当時の新しい女と云ふのは西洋では三、四十年前乃至五、六十年前にイプセンだのシヨーだのズーダーマンだのと云ふ人達によつて書かれた所謂机上の新しい女を気取つて見たと云ふ迄で何ら深刻なる自覚と云ふものはなかつた。イプセンでもシヨーでもズーダーマンでも成る程婦人問題の喧しかつた当時にあつては面白い問題であつたに違ゐない。けれども人類の自覚の進歩した今日から見れば、彼らの所謂舞台上の技巧を除いて思想問題として見る時は、誠に浅薄皮相なものたるを免かれない。その浅薄皮相な思想を思想上の教養の乏しい日本婦人が模倣するのだから、その気障さ加減は見られたものではなかつた。勿論これも或る古い時代より或る新しい時代に到達する過渡時代には必らず共に表はれて来る共通の現象であるから、昨日の問題は昨日の問題として更に深奥なる婦人問題に就(つ)いて研究の歩を進めたいと思ふ。

 凡そ如何なる問題に係らず真に公平にその問題を解決せんと欲せば判者は須らく周囲の輿論より超越して公平なる観察と偏らざる判断とに待たなければならない。殊に人生問題の殆んど一半を領して居る婦人問題の如きに於て最もそうである。イプセン、シヨー、ズーダーマンによつて提出されたる婦人問題並びに我が国の青踏一派の婦人連中によつて提出せられたる婦人問題は何れも近世の婦人問題として初期の婦人問題に属す。彼らに真の婦人性とは如何なるものか? また真の意味の婦人生活とは如何なるものか?と云ふ様な最も緊要なる実際問題に対しては何らの自覚もなく、唯今日迄造つて来た女性に不利なる風俗習慣に対する反抗の声、破壊の声を挙げたに過ぎなかつた。凡て一個の新しい家を建てんとせば古い家を破壊しなければならない。新時代の女性が婦人にとつて不利なる風俗習慣を破壊して真に自由の天地を創造せんとする企ては元より自然の要求である。けれども只管(ひたすら)旧道徳、旧習慣、旧風俗の破壊にのみ熱中して真の婦人性と真の婦人性に従つたる自然の生活の如何なるものなるかを忘れたる所謂「新しい女」達は、男女同権を唯一の信条として男が料理屋へ行けば料理屋へ行き、男が酒屋へ行けば酒屋に行き、男が女郎屋へ行けば女郎屋へ行き、男がマントを纏へばマントを纏ふ。それで自ら新しいと思つてゐた。けれども男の食ふものを食ひ、男の衣る物を着、男の行く所に行つたからとてそれは男性に対して詰らぬ反抗をして見るだけのことでそれが為に真の婦人性は聊かも進歩せず真の婦人生活は聊かも発達してゐないのである。否却つてこの自覚のない反抗の為めに如何に深く婦人性は傷けられ如何に大きく婦人生活が害せられてゐるか彼らは知らない。殊に彼にとつて最も憐れむべきことは、世界は二つの同一物を要しないといふことについて全然無知なることである。もし彼らの信ずるが如く男女が同一の生活をなし同一の事業をなすべきものならば男女の区別は始めより必要がなかつたのである。それを神が男女に造つたのは、こう云ふことは彼らは信ぜぬかも知らぬが、男性には男性の天分があり女性には女性の天分があるからである。この男女両性の天分の区別を没却して全然男子と同一生活を営まんとするが如きは最も憐れむべき幼稚の考えである。
 教祖は男女同権主義者
 教祖は「男も女も寸分違はぬ神の子供である」と云ひ「この木いも雌松雄松(おまつめまつ)の隔てなし。如何なる木いも月日思はく」と云ひ、明きらかに男女同権論者の最新先駆者であつたが、然し彼女は一面に於てまた女には女の道があると云つて、明きらかに男女両性の天分の差を認めて居る。「女には女の道がある」。これは女性の生理的組織を見ても明きらかなることである。婦人は即ち男性と自ら異つた天分とその天分を生かすべき先天的義務があるのである。即ち妊娠、分娩、哺乳、育児の大任である。これを婦人特独の天分として一切の微細なる仕事は婦人の天職に属するのである。今日の所謂「新しい女」はこの婦人の天分を没却して居る。これ彼らの思想が聊(いささ)かも徹底して居ない所以である。
 先づ愛を解決せよ
 今日の婦人は男女両性間に利害の衝突があると直ぐ、彼らの持前の武器である男女同権を振り廻して自己の権利を主張したがる悪癖がある。これは彼らが徒らに自分一身の利害観念のみ強く、他人即ち夫もしくば子もしくば親に対する利害観念の全然欠乏して居ることを証明するものである。云ひ換へれば利に敏(さと)くして愛に疎(うと)きことを証明して居るのである。けれども此処(ここ)に注意しなければならぬことは両性間の愛と人間としての愛とを混同視せざらんことである。普通夫婦の間に愛があるとか愛がないとか云ふことは恋愛を指すのであるが、恋愛は決して夫婦間の第一義的愛ではない。夫婦間の第一義的愛は先づ人間として互いに相愛することである。性的の愛は寧ろ第二義的のものである。例へば人形の家のノラである。彼女はイプセンによつて新しい女の第一の雛型に使はれて居るが、彼女は元来そんな気の利いた女ではない。彼女の本来の性質は夫を愛することのできる女に造られてゐる。けれども彼女の家出が本当の自覚から出たものでない如く、彼女の愛も本当の自覚から出た愛ではなかつた。もし彼女が夫と子供に対して相対的の愛でなく、真に絶対的の愛をもつてゐたならば、彼女は決して夫と子供とを捨て得なかつたであらう。それを敢て捨てたと云ふのは、彼女も亦夫と同一の利己主義者であつたことを証明するものである。
 愛と欲
 世間では自分を愛する者を愛することを愛だと云つて居る。けれどもそれは利己的の愛であつて真の愛と云ふものではない。誠の愛と云へば我を愛するものも我を憎む者も同一の愛をもつて愛することを云ふのである。更にもう一つの誤りは、真女なるが故に愛し、善女なるが故に愛し、美女なるが故に愛すると云ふことである。これも本当の愛ではない。本当の愛と云ふものは偽なれば偽なる程、悪なれば悪ある程、醜なれば醜なる程愛するものである。これが超人の愛であり、神の愛である。

 例へばここに不品行の夫がありと仮定する。普通の女ならば直ちに嫉妬の炎を燃やすか、もしくば直ちに離縁して他に理想の夫を求むるかゞ普通である。けれども真に絶対の愛を自覚してゐる婦人のみはそうでない。彼女は夫が如何に自分に対して無情であつても、それを聊かも怨とせざるのみならず却つて如何にせば夫をして真に幸福ならしむべきかについて考慮するものである。これが真の愛である。夫が我を愛せざるが故に怒つて去るが如きは、これ全然利害観念より出たる欲の行為であつて真の誠心より出たる愛ではないのである。
(私論.私見)
 ここの下りの教理は「大平」式のものであり、みき教理のものではない。「本当の愛と云ふものは偽なれば偽なる程、悪なれば悪ある程、醜なれば醜なる程愛するものである。これが超人の愛であり、神の愛である」は思弁的過ぎよう。「彼女は夫が如何に自分に対して無情であつても、それを聊かも怨とせざるのみならず却つて如何にせば夫をして真に幸福ならしむべきかについて考慮するものである」も然り
 嫉妬は利己心があるから
 古来嫉妬は婦人の共通の欠点である計りでなく男子にも共通の欠点である。それは男なるが故に嫉妬心弱く女なるが故に嫉妬心の強いと云ふものではない。利己心が深ければ深い程嫉妬も亦深いものである。凡てこれ等の婦人問題に対して真の解決を与へたものが天理教教祖中山ミキ子である。
 若きは若きの雛型
 教祖の言葉に「若きは若きの雛型になれ」と云ふ言葉があるが幼女時代の教祖はこれ幼女の雛型、少女時代の教祖はこれ少女の雛型(模範少女)であつた。「泣かぬ子」、「温和しい子」、「親の手数をかけぬ子」、「真面目の子」、「上品な子」、「大人げな子」と云ふのが彼女の幼少時代に持つてゐた特徴であつた。殊に「大人げた子」であつたと云ふことは彼女の性格が早くより円熟の境に入つてゐたことを語るものである。
 教祖には娘時代がない
 彼女の伝記が世界一般の婦人の伝記と異つてゐる第一の点は彼女には所謂娘時代がなかつたといふことである。あつてもそれが非常に短かつたといふことである。従つて娘時代(処女時代)の教祖といふものについては殆んど云ふべき点がない。あつても少い。彼女の少女時代には裁縫とか料理とか糸機の如きは家庭で何時習ふともなく習つた。また遊芸とては琴を嗜まれた様であるが今日の都会の上中流の家庭の令嬢達が結婚の資格の様に思つてゐる茶の湯だの活花だの長唄だの舞踏だの絵画だのとそんなものはやられなかつた様である。即ち彼女が短かい少女時代に習得した婦人としての智識は今日のハイカラの令嬢の兎角避けたがる実用的の技芸が多かつた。これは新時代の婦人として最も注目すべきことである。けれどもここに一つ注意しなければならぬことは、彼女が習得した技芸が多く実用的のものであつたと云つても、彼女の全体の特徴より云へば、今日の実科女学校実践女学校等の如く 何んで実用的であれば良い何んでも実際的であれば良いと云つて無暗に手先の修養を尊重して頭の修養を怠ると云ふ側ではなかつた。彼女の一面には実際的の所がありながら、他の一方には非常に神秘的宗教的の特徴のあつたことは争ふべからざる事実である。これが今日眼と手先の技芸のみを重んじて頭と心の修養を閑却してゐる実科女学校式実践女学校式と大いに異る点である。即ち少女時代の彼女の性格を云へば一面に於て非常に現実的の所があると思へば他の一面に於て非常に理想的の所があつた。趣味と実益、神秘と実際、これをつき交ぜたのが彼女の性格であつた。
 妻としての教祖
 彼女は非常に若いうち即ち婦人としては殆んど蕾の時代に人妻となつてから彼女に恋愛があつたかどうかと云ふことは疑問であるが、一体に彼女の性格より云へば彼女は今日のハイカラの女の様に星だの菫花(すみれ)だの恋だのと云つて騒ぎ廻る方の性質ではなかつた。どんな夫でも天の与ふる者は凡て満足すると云ふ信仰の深い婦人として作られてゐた様である。その証拠に彼女の長生涯に於て一度も恋愛に関する物語のあつたことを聞かないからである。

 昔、或る高徳の女菩薩が或る男子を救済する為に自分より徳の少ないその男に嫁いだと云ふことを聞いて居るが、教祖は恰度その女菩薩の様な人である。彼女は今日の若い婦人の求むる様な所謂理想の夫なるものを外に求めなかつた。彼女はどんな不肖の夫でも天の与へる夫に満足し、自分は自分として行くべき道を側目も振らず歩いた道である。これは今日の青年男女がいや理想の夫人だとか理想の夫だとか云つて直接自分に都合の良い好きな男や女を求めて歩くのとは大分違つてゐる。彼女には夫は賢くても愚かでも美男でも醜男でも善人でも悪人でもそんなことは構はなかつた。否寧ろ賢人よりも愚人、美男よりも醜夫、善人よりも悪人を選んで之を賢人とし美男にし善人にして行かうと云ふのが彼女の主義であつた。これが今日の青年男女の考へてゐる愛と彼女の考へて居た愛との大いに異る点である。
(私論.私見)
 「彼女には夫は賢くても愚かでも美男でも醜男でも善人でも悪人でもそんなことは構はなかつた。否寧ろ賢人よりも愚人、美男よりも醜夫、善人よりも悪人を選んで之を賢人とし美男にし善人にして行かうと云ふのが彼女の主義であつた。これが今日の青年男女の考へてゐる愛と彼女の考へて居た愛との大いに異る点である」の件も、「大平」式のものであり、みき教理のものではない。
 超人の愛! 神の愛!
 今この二種の愛を比較すれば自分の好きな男もしくば女を理想の男だの理想の女だのと云つて居るのはこれは明かに自分の小なる利害を中心とした愛であつて真の愛と云ふものではない。真の愛と云ふものは美男であらうが醜夫であらうが善人であらうが悪人であらうが賢夫であらうが愚人であらうが凡てそれ等の差別を超越して唯その人をして真の満足、真の幸福を得せしむるの外何物もないのである。即ち前者の愛は相対的の愛にして後者の愛は絶対的の愛、前者の愛は利己的の愛にして後者の愛は利他的の愛、前者の愛は人間的の愛にして後者の愛は超人の愛、神の愛である。
(私論.私見)
 ここの件も全文がそう。
 凡て自己の利害を中心とした愛
 私はそれを商人の愛即ち欲と云ふと云ふものはそれが自分に都合の良い間は一手に生活してゐるけれども、それが自分に都合の悪い時は直ちに離反して去るのである。それは欲と云ふもので愛と云ふものではない。利と云ふもので誠と云ふものでない。誠の愛と云ふものは相手が敵にならうが味方にならうがそんなことは聊かも自己の問題ではない。自分は唯先方に対して如何にせば先方を幸福ならしめ得べきかに就て考へるより外何物もないのである。かくの如くこの方の愛は出発点に於て既にその目的を異にしてゐる。即ち前者は如何にせば自分を満足せしむべきかに就(つい)て考へ後者は如何にせば他人を満足させ得べきかに就て考へるからである。

 今日夫を愛するとか妻を愛するとか云ふのは多く前者の所謂自己の好悪を中心とし利害を中心とした愛云はゞ利欲より出た愛であつて真の誠より出た愛ではない。真の誠より出た愛は自分一身の利害を超越した愛である。凡て自分一身の利害を中心とした愛(欲)は他の動静によつて常に変化するものである。即ち自分にとつて有利なる間は先方を愛し、自分にとつて不利なる時は直ちに捨てゝ去る。従つてその愛には一定不変と云ふ要素が全然欠けて居る。けれども自己の利害を超越した愛は決して変ることはない。何故なれば彼は始めより自分の利害を捨てゝ他人の利害を中心として生活するが故に先方がたとひ自分に辛く当らうが親切に当らうが聊かも此方の愛には関係がないからである。この時と所と人とによつて愛を異にしない平等不偏の愛を称して誠の愛と云ふ。教祖は即ち前者の所謂自分一身の利害によつて自分の精神や態度を豹変する世界並の利己主義者でなく始めより自己を空うして他人の幸福の為に生活する真の意味の愛である。
(私論.私見)
 ここの件も全文がそう。ここの下りの教理は「大平」式のものであり、みき教理のものではない。「真の意味の愛」論が思弁的すぎる。
 夫善兵衛と下女かのとの不正の関係に対する教祖の態度
 もし教祖が夫に対して世間一般の相対的愛が持つて居ない婦人であつたら夫善兵衛と下女かのとの不正の関係があつた時必らずや離縁を要求するか何か一悶着起したに相違ない。然るにそうはせず却つて益々二人を大切にした見上げた態度は、そうでなくてさへ夫が不品行をしはしなかつたか、夫が他の女と不正の関係を結びはしないかと常に嫉妬と疑惑との眼をもつて夫の行為を監視して居る様な、さもしい慮見の女の全然解することのできない態度である。この時の教祖の態度は怨に報ゆるに徳をもつてすと云ふ様な意気づくの様な態度でなく、全然愛はあつても怨はなかつたのである。その証拠には夫がかのを伴れて何処へ行くと云へば、これに自分の晴衣を貸して着せて出し、尚ほその上自分が毒殺に逢ひながら、我が身を怨んで人を怨まなかつたのに徴して明きらかである。この見上げた精神見上げた態度を罪もない夫に無実の罪をきせて世間の前に赤恥を掻かせ、その上に出るの引くのと云つて我と我が心に疑心暗鬼を作つて騒ぎ廻つて居るその辺等近所の嫉妬狂に見せたいものである。凡て嫉妬と云ふものは女性特有の悪徳の様に称せられて来たが、これは独り女性にのみ限つた悪徳ではない。男子にも同様にこの厭ふべき悪徳があるのである。といふのは彼らに人を愛すると云ふ精神がなく唯一身の利害をのみ考へるからである。そう云ふ我利/\亡者には教祖の爪の垢でも煎じて呑ませたいものである。
(私論.私見)
 ここの件につき、どこまでが史実でどこからが脚色なのか分からないが、一応その通リの出来事があったとして、これは夫婦間に於けるいわゆる不倫がどこまで厳罰されるべきか、どこまで許容されるべきか、どういう条件下であり得るのか等々永遠のテ―マとして考察されるべきものであって、決して解決済みではないと思う。天理教教祖はいろいろ諭しをしているが解決済みとはしていない、解決済みとしてしまうと人生が扁平なものにされてしまうと弁えるべきところではなかろうか。
 母としての教祖
 凡そ婦人性の中最も発達したものは母性である。婦人はこの円満なる母性の修養によつて完全の域に達するのである。教祖は即ちこの母性の最も発達した婦人であつた。普通の婦人にあつては母性は子をもつてから余程経つた後でなければ表はれないのであるが、教祖の母性は決して子供をもつて後始めて表はれたものではなかつた。随分子供の時から早く表はれたものであつた。即ち他の子供と遊ぶにも彼らを決して自分の遊び友達として遇するのでなく恰度母親が子供を遊ばせる様な精神なり態度なりで彼らに接した。それであるから近所の母親達が野良仕事で忙しい時などは良く彼女に頼んで仕事に出たものである。彼女はその預つた子供に玩具を差し換へ引き換へて一日愉快に遊ばさせて母親の帰るを待つて送り届ける事も珍らしくなかつたといふことである。この母性は年と共に発達して遂に晩年には一男五女の母としてゞなく万人の母としてその先天性を発揮する様になつた。
 愛は教祖の生命
 これを要するに教祖九十年の生涯は人間として決して短かいものではなかつた。その長生涯の間彼女は人の娘として、人の妻として、人の母として、婦人の通るべき凡ゆる道を通つた。けれども晩年万人の母として通つた五十年の間の生活(ほど)貴い意味深い生活はなかつた。古来救世主と称し予言者と称せられた人達の説いた愛は皆なこれ、自己の利害を離れた絶対の愛である。けれども実際に於て釈迦の感じた人類に対する愛と基督の感じた人類に対する愛とミキ子の感じた人類に対する愛とはその感じ方が一様ではなかつた。釈迦の感じた人類に対する愛は人類の父としての愛である。基督の感じた人類に対する愛は人類の兄としての愛である。ミキ子の感じた人類に対する愛は人類の母としての愛であつた。更にこれに対して一言の説明を加ふれば彼女が人類に対して感じた愛は天地が万物を生み且つ育てると同一の至情に充ちた愛であつた。
 愛はこの世の無上の権威
 今日の天理教徒は教祖の精神を忘却して愛をもつて人に臨まずして権威をもつて人に臨まんとする悪風がある。この悪風は教界内部に於て殊に甚しい。けれども真の権威は浅果敢な人間心の造つた傲慢や尊大より生れるものではない。唯愛のみぞ真の権威である。見よ打たれても叩かれても母の跡を慕ふて走る人の子を。凡て権威をもつて臨む者には我も亦権威をもつて反抗せんとするのが自然の人情である。けれども愛のみは之に敵する害意を挟む余地がない。その最も良き実例は猛獣である。彼らに対するに武器をもつて感服せしめんとせば彼らは怒つて必らず我を害すべし。けれども何ら害意なき真の愛をもつて臨めば彼らは来つて必らず我が足の指を嘗むるであらう。これが愛の権威である。しかもこの世界に於て体力が大である智力が大であると云つても愛の力に如くものはない。かくの如くにして愛はこの地上に於ける無上の権威である。
 愛なき所に貞操なし
 旧道徳の牢獄の中に育てられたる今日の上中流社会の婦人の大部分は貞操とは生理的に二人の男子に接しないことであると云ふ風に解して居る。成る程生理的に二人の男子に接しないと云ふことは愛を二つにしないと云ふことにはなる。けれどもそれだけで貞操の定義は全うされたものではない。真の貞操には必らず真の愛を伴はなければならないものである。而かもその愛たるや今日の青年男女の考へて居る恋愛ではない。吾が一生の幸福を挙げてその人の幸福の為に捧げるの謂である。この献身的愛なきものは決して真の貞操を有することはできない。何故なれば今日の所謂新人達によつて唱へられつゝある所の愛即ち異性に対する興味のある中は同棲しその興味が去れば離別すると云ふ様な生活はこれは動物と何ら異る所なき野獣的性欲生活であつて真の意味の愛ではないからである。真の意味の愛とは何処迄も自分一身の幸福をその人の為に捧げ且つその人より何らの要求をもなさゞるにある。これが真の愛であり、真の貞操である。けれども今日の人間は皆な狡猾で利己的であるから誰も自分にとつて不利なる生活を続けて行かうとはしない。彼の上流社会の婦人が多少の不満を忍んで尚ほ且つ貞操の美名の下に良妻賢母を粧ふて居るのはその心の底を洗へば卑怯なる自己保存の為である。けれども将来の婦人はそう云ふ形式に囚れたる偽善生活を捨てゝ真の意味の貞操、貞操は即ち愛なりと云ふことを自覚しなければならない。この自覚に到達しないうちはこの世界に於て決して理想の家庭幸福の家庭を実現することはできない。現に今日上中下流を通ずる一般家庭の不和合はその家庭の各員に真に他人の為に我が一心を捧ぐると云ふ真実の愛が欠けてゐる為である。もしそれと全然反対に夫婦兄弟親子が真に自分を捨てゝ家庭の幸福を計つたならばその家に決して春の来ない筈はない。これは自明の問題である。この愛の問題の解決せられざるうちは決して真の意味の婦人問題は解決せらるゝことはできない。
(私論.私見)
 貞操観念もまた同様に未解決の永遠の課題として受け止めるべきだろう。
 先づ権利を要求する前に義務を尽せ
 かく云へばとて私は決して現在の婦人が幸福なる地位にあるとは思はない。けれども婦人参政権運動や婦人解放運動によつて真に婦人の地位が向上され得べしと信ずるのは余りに早計に失して居る。現代の婦人はそう云ふ形式上に於て婦人の地位を高むる以上更に実質上に於て婦人の地位を向上せしむることを計らなければならない。之を云ひ換へれば先づ権利を主張する前に先づ義務を尽さなければならない。何故なれば婦人がたとい一時の運動によつて法律上男子と同等の権利を獲得しても婦人その者の品性、婦人その者の生活が改良せられなかつたならば彼らは前にも増して不幸な生活を味はなければならないからである。
 婦人の解放は過去の問題である
 これを要するに婦人の解放と云ふことは既に過去の問題である。将来の婦人問題は婦人性の発揮にある。欧羅巴に於ける五六十年前に生れた新しい女、今日の日本に生れた新しい女、そう云ふ人達によつて行はれもしくは行はれつゝある反性的生活は決して永続すべきものではない。時代の発達はやがて自然の婦人性に帰れと男子側より新たなる要求を呈出せらるゝ時期が到来するであらう。何故なれば今日の所謂「新しい女」と云ふ変態女性によつて真に円満なる人間生活は行はれないからである。
 今日の婦人は余りに利己的なり
 凡そ一家でも一国でも利己的の人間が多いければ多い程その家その国は衰亡するのであ る。これは現在の支那に徴して明かである。今日の婦人は余りに利己的である。彼らの眼中には自分一身の幸福を得れば夫や兄弟や両親や子供の幸福等何うでも良いのである。而してそう云ふ事に一身を捧げて居る婦人を 無価値の女の様に思つてゐる。けれどもこう云ふ婦人が全世界に跋扈した暁にはこの世界は治まり様はない。
 新時代の理想の婦人
 従つて来るべき新時代の要求する新しい女は今日の所謂古い女でもなければ今日の所謂新しい女でもない。新時代の教育を受けたる愛の婦人これぞ未来の世界の要求する理想の婦人である。
 新は深なり真なり
 これを要するに新は深なり真なり。この最後の二要素を欠いたものは奇であるかも知らないが真の意味の新しさではない。真の意味での新しいと云ふことには必らず古き物もしくば人よりもより以上の深さとより以上の真実さとをもつてゐなければならない。今日の所謂「新しい女」の仕事は唯旧い型を破壊したと云ふだけである。それ以上に何ら婦人として積極的の深と真とがないのである。これ吾人が彼らの思想並に生活に対して全然同感し得ざる所以である。
 新真婦人の典型
 世間では天理教祖は愚夫愚婦を迷はした魔女か妖婆かの様に信じてゐる。更に之を今日の所謂「新しい女」に見せたならば全然自覚を欠いた旧式の女と見るであらう。けれども「新しい女」と云ふものは何も妻たることを拒み、母たることを拒むことではない。もしそういふ女が新しい女ならばこの世界には全然新しい女は不必要である。また「新しい女」と云ふものは何も夫を捨て子を捨て親兄弟を捨てゝ迄自分一身の欲望を満足する女のことではない。もしそう云ふものが新しい女ならばこの世界には全然新しい女は不必要である。真の意味の新しい女は婦人性の真の自覚を有すべきことは云ふ迄もないが、更にそれ以上に公人としては父母兄弟夫子を捨つることをも敢て辞せない真正の勇気と、私人としては一身を犠牲にして父母兄弟夫子に仕へる自由の愛と、この二つを具へた独立した人格の婦人でなければならない。こう云ふ意味に於て真の意味に於て婦人の天分を自覚した新真婦人の典型であつた。近き将来に於て婦人の自覚がもつと進んで来た暁には創世の始めより神が女の雛型人間の苗代と定めたこの人類の原母伊邪那美命の人格と生活とに真の意味の人間生活、真の意味の婦人生活の意義及び価値を発見するであらう。その時こそこの世界に真の理想の男女の充満する時である。私はその時の到来を待つて居る。
(私論.私見)
 この件の「真の意味の新しい女は婦人性の真の自覚を有すべきことは云ふ迄もないが、更にそれ以上に公人としては父母兄弟夫子を捨つることをも敢て辞せない真正の勇気と、私人としては一身を犠牲にして父母兄弟夫子に仕へる自由の愛と、この二つを具へた独立した人格の婦人でなければならない」もナンセンスで、「公人としては父母兄弟夫子を捨つることをも敢て辞せない真正の勇気」なぞはかなりのオウバ-ラン発言だろう。中山みき教祖の諭しにこういうものはない。

 人類教育家としての中山ミキ子  大平隆平
 現代並に将来の経世家の最も注意しなければならぬことは政治や法律や倫理や哲学によつてこの世界を得べしと考へる根本的誤解である。成程現代の社会には政治や法律が必要である。もしこれがなかつたらこの社会に生活しつゝある人間は一層不幸な地位に堕落しなければならない。けれども一部の政治万能論者や法律万能論者の考へるが如く政治や法律さへ完備すればこの世界をして理想の世界たらしめ得べしと考へるのは大なる誤解である。何故なれば人間それ自身が自らを統治する信仰と勇気とを欠いて居たならば当局者が如何に活動しても到底統治するに由なかるべしこの法律上の欠陥を埋める為めに生れたのが倫理である。今日の政治家今日の教育家は法律の欠陥を埋めるのにこの方法をとつてゐる。けれども 倫理の世界も法律の世界に比ぶれば一層高い世界には相違はないが尚ほ形式儀礼の上に立つて精神界を統一する権能がない。この実践倫理の欠陥を補ふものが哲学である。哲学と云ふ言葉を一層訳り良く云へば人生観である。人生観と云ふものは個人によつて 各々相異してゐるから一定の標準哲学なるものを挙げることは出来ないが真に偉大なる哲学者の占める世界は偉大なる道徳家乃至偉大なる法律家の占むる世界よりも一層根本的のものである。けれども政治と云ひ法律と云ひ、倫理と云ひ、哲学と云ひこれは皆な人間力の創造になつたものであつて自然の理法とはその間に大なる区別があるのである。例へば此処に偉大なる哲学者がある。彼の考へる所は確かに自然の一角に触れてゐる。けれども彼は偉大なるが故に果して疾病不幸に遭遇せぬであらうか? 世界の哲学史を繙 く所そう云ふ哲学者は一人もなかつたのである。天理教教理より云へば凡て天理に叶つた精神生活を行ふ者には疾病不幸がない筈である。何故なれば彼には肉体の疾病不幸を引き起す精神病がないからである。けれども今日世間の哲学者の伝記を繙くに無病息災で一生を幸福の中に生活したものは少ない。これは彼の持つて居た精神上の法則が自然の法則と一致しなかつた証拠と見なければならない。これは世の所謂偉大なる法律家乃至偉大なる道徳家と称せらるゝ人間の伝記に於ても同様の事実を発見することができるのである。これは直接政治や法律や倫理や哲学の不完全なる証拠とならないかも知れない。けれども法律上の罪を犯さないが為にもしくは犯しても法律上の罪人として取り扱はれない為にその人は神の前に無罪の人として取り扱はれるであらうか? また此処に哲学者がある。彼の哲学の論理は一糸整然として乱れない。けれども論理の正しいことは必ずしも道理の正いことではない。彼は自己の哲学上の論理の正しいが為に神の前に正義の人として承認せらるゝことを要求する権利があるであらうか? もしあると思つてゐたら彼は大なる錯誤家である。けれども多くの場合人間は監獄もしくは警察に監禁もしくは拘留せられたことがないことをもつて一人前の人間だと思つてゐる。また多くの場合人間は自己の論理が誤つてゐない為に自己の道理迄正しいものと信じてゐる。これは悲しむべき人間の誤解である。吾人は至る所の病院に種々の生理的故障並に心理的故障をもつてゐる天の罪人を発見する。けれども彼らは聊かも自ら天の罪人とは思つてはゐない。浅果敢なる人間は人の眼を暗ます事さへできれば窃盗をしても良いものだと思つてゐる。けれども女(男)を見て色情を起したものは中心既に姦通してゐるのである。況して それを現実に実行せるものをや。愚かや人の物を取れば我が物もとられ人の眼を暗ませば我が眼も亦暗まさるべき天の理法を知らない論理の上で勝つことは必ずしも道理の上で勝つことではない。もし我が精神我が生活が天理に合して居なかつたならば人は善人と認めても神は善人とは認めないので ある。今日の政治家や今日の道徳家は法律(人間の作つた)や道徳(人間の作つた)が完備すればそれでこの世界を理想の世界となすことができると思つてゐる。けれどもそれは笑ふべき浅薄な考えである。この世界は人間の作つた法律や人間の作つた倫理によつては決して完成せられない。この世界を完成するものは天理である。人道である。自然の法則である。神の意志である。この自然の法則神の意志を称して宗教と云ふ。この自然の法則神の意志を自ら実行もし且つ他人に伝へるものを宗教家と云ふ。これぞ宇宙の最高法律でありこれぞ世界の最大政治家である。

 天啓の声に曰く 「さあ/\明ければ五年と云ふ。万事一つの事情を定めかけ。定めるには人間の心は更々要らん。弱い心は更らに持たず気兼遠慮は要らん。さあ思案してくれ。これから先は神一 条の道国会では治まらん。神一条の道で治める」 。誠や来るべき時代は法律の時代でもなければ哲学の時代でもない。宗教の時代である。神の時代である。この宗教の時代、神の時代の先駆者として生れて来たのが天理教祖中山 ミキ子である。古来人類教育家として最も偉大なる天分をもつてゐた者に釈迦あり、基督あり、孔子あ り、マホメツトがある。けれども我が天理教祖中山ミキ子の人物養成の目的並びに手段はそれ等の何れの人とも違つてゐた。
 天理教祖の画いた理想の人物
 彼女は釈迦の如く単に頭の人を造るが目的ではなかつた。彼女は基督の如く単に心の人を造るが目的ではなかつた。彼女は孔子の如く単に手の人を造るが目的ではなかつた。彼らの目的は智情意共に円満なる理想の人物を造くるにあつた。この目的を具体的に表現せるものが御神楽歌である。御神楽歌の主要の目的は彼を単に知るだけではない。彼を更に口に移し手に表はすにある。即ち意と口と手と三つを一致せしむるにある。之を人物養成の上に就いて云へば意と口と手の揃つた人物即ち智情意の円満に調和した完全の人物を養成するにある。これは客観的に見たる天理教の理想の人物であるが之を主観的に見れば天理教の目的は「山の仙人」よりも「里の仙人」を養成するにある。云ひ換へれば不生産的人物よりも生産的人物を養成するにある。非家庭的人物よりも家庭的人物を養成するにある。非国家 的人物よりも国家的人物を養成するにある。非社会的人物よりも社会的人物を養成するにある。非活動的人物より活動的人物を養成するにある。非実際的よりも実際的人物を養成するにある。非現実的人物よりも現実的人物を養成するにある。貴族的人物より平民的人物を養成するにある。保守的人物より進歩的人物を養成するにある。自己中心的人物より神霊中心的人物を養成するにある。わけて天理教の主要の目的は平民的、活動的、実際的 理想人物を養成するにある。凡てこれ等の要素を総合したものが天理教祖の所謂「里の仙人」である。凡そこの世界に於て何が困難だと云つて人類の教育より困難なるはない。彼の庭園の草木を養成するにさへ朝夕之に水かひ土かひ贅枝を切り害虫を除くに幾年の苦心を要するか知らない。更にそれよりも貴い神の用木を養成することは更らに幾層倍の慈悲と注意と忍耐とがなければならない。これは子をもつたものゝ何人も経験する所である。
 彼女の教育法
 彼女が人間生活に対する態度は常に論より証拠を重んじたと云ふことである。この論より証拠を重んじたといふことは必ずしも事実を重んじて理論を排斥したと云ふ意味ではない。先づ口に云ふより行に示すことをもつて第一義としたといふことである。事実守屋筑前や小泉の不動院や法林寺、光蓮寺の住職やその他彼女を屈服せしめんとする敵意をもつて来た人達に対しては彼らの心服する迄諄々としてその教理を説いたのである。而かも彼女の説く所の教理とその態度なり生活なりが一分一厘の隙なく一致して居るが為に反対者は之に向つて強弁することができないで退却したのである。唯彼女の特色は世の所謂議論の為の議論家にあらずして人生の為の議論家であつた といふことである。

 (一)実物的教育法

 彼女の教育法の特色を挙ぐれば第一に実物教育法を用ゐたといふことである。即ち火を見れば火、火鉢を見れば火鉢、湯沸を見れば湯沸、鉄瓶を見れば鉄瓶について説明を与へた。乞食が来れば直ちに乞食について説明を与へる。「彼はな前世に贅沢計り云ふてあんな物は食へんこんな物は食へん、あんな物は着れん、こんな物は着れん、あんな所には住めん、こんな所には住めんと贅沢計り云つて物を粗末にした理が廻つて今生には人の捨てたものを拾つて食ひボロを纏つて人の軒下に住まはんならん様になる。けれどもな、彼も皆な神の子供であるから目をかけてやつてくれ。神が喜ぶから」とこう云ふ論法である。

 彼の秀司氏の死骸に臨んで 「伊蔵さん内の態を見ておくれ。金計り溜めて」と云つて涙一滴こぼさなかつたといふのは一面に於て彼女の偉大なる精神を語ると共に他の一面に於て自己の愛子を実例に挙げて天地の理法を説明した血あり涙ある人類教育家の真面目を表はしたものと見ることができる。わけて彼女が偉大なる実物教育家であつたと云ふ最も著るしい例は彼女自身が新時代の典型人として自ら人類に向つて新しき雛型を示した点にある。これより大なる実物教育法はないのである。彼の神を説明するに月が神であるとか火水風の外に神はないとか云つて眼に見える偉大なる物象によつて眼に見えない偉大なる存在物を推測さした如きも確かに彼女の実物教育法の一例であらうと思はれる。

 (二)実際的教育法

 彼女は客観的に教理を説かないことはないがそれが彼女の唯一の目的ではなかつた。更にそれを実地に就て経験し且つ応用することが彼女の最後の目的であつた。その為に彼女は機会がある毎にその事件を捕へてそれに向つて生きた説明を与へることを怠らなかつた。これ物体に接する毎にそれに向つて生きた説明を与へたと。蓋し同一の教育法によるのであつた。一例を挙げて云へば彼女の弟子達が貸物借物の理を聞き倦きて新しき話を求めた時に彼女は黙つて奥から一刀を携へて出て来て、今願い出た弟子の真向見かけて切り下げやうとした。弟子が驚いて後退りした時彼女が微笑の中に発した言葉は確かに千金の価値がある。「貸物借物の理が訳つたと云ふから珍しい話を聞かさうと思へば逃げる。それでは本当にまだ訳つたのではない。貸物借物の理が訳らいでは人の師匠となることはできない。もつと勉強せんならんで」。これは彼女の実際的教育法を説明する充分の例にはならんかも知らぬ。けれどもその一般は之に従つて推測することができる。

 (三)実験的実感的教育法

 彼女は人を助けるには先づ自ら助かつたのである。彼の産屋助けの如き病気助けの如きは皆な自ら第一に之を実験した後に行つたのである。彼女が信徒を教育するにも決して理論を授けてそれで満足しない。必らず先づ教理を実行して実地の経験を味はせるのである。即ち「雛型通らにや雛型要らん」の如き彼女の実験的教育法の精粋を語つてゐるのである。即ち教祖の通つた「道すがら」を一度実地に通らなければ生きた教理を味感することはできない。生きた教理を味感することができなければ宗教生活は全然無意味である。彼女が実験的教育法に意を用ゐたのは此処にある。

 (四)啓発的教育法

 教育法に二つある。注入的教育法と啓発的教育法である。今日旧式の学校にて多く用ゐて居るのは注入的教育法である。けれどもこの注入教育の弊害として注入せられたる智識に対しては確実なる記憶を有するもそれ以外の新しき事物に対してはやゝもすれば応用の才を欠くことである。教祖の用ゐた教育法は前者よりも寧ろ後者に属してゐた。即ち相手の力量を計らずして無暗に注入することを避けて専ら既得の智識を総合して未得の智識を獲得せしむることに努力した。例へば彼の懶惰者の下男を改心せしめた如きその一例である。彼女は始めよりその男に向つて働けとも稼げとも云はない。彼が懶ければ懶ける程優待し遂にその男を本心より改善して勤勉な男としたのである。この道は悟りの道であると云ふのも此処である。  

 (五)暗示的教育法

 前に述べたる如く彼女が人に物を教ゆるに決して一から十まで全示すると云ふことはない。大抵その人間の力で解釈のできる程度に止めてをく。これが彼女の教育法であつた。

 (六)比喩的教育法

 釈迦でも基督でも随分巧妙な比喩家であつたがミキ子も亦それに劣らぬ巧妙な比喩家であつた。彼女が「貸物借物の理」を説くに神を富豪に譬ひ人間の中借物を粗末にする人間と大切にする人間と感謝を知らぬ人間と感謝を知つてゐる人間との二種の型と老人ともう一人の 百姓にたとひ借物を、重箱と袱紗にて表はして一篇の寓話を造り上げた手段の如きは中々凡手ではない。わけて私の感心するのはやゝもすれば卑俗に流れ易い女性の月経を説明するに茄子や南瓜に譬ひて説明した手腕の如きは教育家として誠に上乗のものであると思ふ。この他信仰の径路を説明するにも山坂や茨や畦や崖道や剣の中火の中、淵中、細道、大道と云ふ風に様々の艱難辛苦の道を比喩を以つて表はせる如き又純金の長橋や宝の山の比喩によつて信仰の帰途を示した如きは最も著しき比喩的教育法の一例である。

 (七)漸進的教育法

 けれども彼女が教理を説くにも始めより難解の教理を説いたものではない。始めは泥海時代の如き基礎教理より順次貸物借物の理の如き八つ埃の如き互ひ助け合ひの如き日の寄進の如きを説いたのである。即ち信徒を教育するにも易より難に入り簡より繁に入つて信 徒を教育したのである。

 (八)個人的教育法

 それから天理教祖の用ゐた教育法の中最も研究に価するものは個人的教育法である。凡て教育上の真の効果を納めんとせば多くの人間を一堂に始めで説明すると云ふことよりも直接個人個人に接して所謂人を見て法を説くに如くはないのである。この方法は今日最も進歩した理想的の教育法である。

 (九)自然的教育法

 彼女の教育法を見るに人工的教育法によつて不自然な人物を造らうとはしなかつた。凡て天真爛漫に人間の本性を発揮せしむるのが彼女の目的であつた。この自然的教育法も亦実に彼女の教育法の一つの特色である。

 (十)平民的教育法

 彼女の教育法の多くの特色の中に平民的教育法と云ふことは一つの大なる特色である。これは新時代の教育法中最も出色の一つである。

 (十一)通俗的教育法

 凡て人類教育の目的は相手をして真に真理を理解せしむるにある。それには難解の説明を用ゐるといふことは大なる禁物である。「難しいことを云ふては訳る人もあれば訳らん人もある。それは道とは云へん」、「柔りこいもの/\柔りこい物は若い者も食べれば老人も食べる」。この自覚の下に彼女は最も通俗平易の方法をもつて人類を教育せんとした。偉大なる卓見と云はなければならぬ。

 (十二)人格的教育法

 宗教の目的が安心立命にあるか人格修養にあるかは宗教哲学上の大なる問題である。もし宗教の目的が前者にありとすれば浄土宗の如きは理想的の宗教と云はなければならな い。けれども精神的に醒めて来た近代人に取つては人間生活について自覚なき他力信仰に安心立命することはできない。この欠陥を補ふ為に天理教の如き自力主義的他力主義の宗教が生れたのである。天理教の第一の目的は決して礼拝や祈祷ではない。人格の改造社会の改造がその第一義的目的である。この目的の下に生れたものが教祖の人格的教育法である。凡ての天理教祖の教育法はこの人格教育に結合せられるのである。以上は天理教祖の人類教育法の一般であるが彼女の教育法は教育法としても最も最新式の教育法に属するのである。殊に彼女が最も力を入れた実際的教育法、通俗的教育法、個人的教育法の如きは最も教育の真義に徹底したものである。今日の社会は天理教祖と云へば主義も理想もない無学の一巫女の如く解して居る者が多 い。わけて悲しむべきことは国民教育の当局に当る所の人々がこの偉大なる人類教育家の人格、思想、生活に就て全然無知なることである。これは今日の教育家の思想が如何に低級であるかを語つてゐるのである。私は断言するのである。この社会を根本的に統治するには法律の力だけでは駄目であると。私はまた断言するのである。新時代の国民を養成するには倫理や修身の力では駄目であると。見よ今日の女学生の中一人でも礼法の真義を解して居る者があるか? また真にその必要を根本的に解して居る者があるか? 私は悲しいかなその一人をも発見することができないのである。この仏作つて魂を入れざる現代の教育現代の政治を救ふものはどうしても宗教の力に待たなければならない。私をして将来全世界の教育を左右するの権能を与へられたりとせば私は先づ全世界の修身科を廃して天理教科を置くのである。これは今日並に将来の世界を救ふには今日の倫理や今日の哲学や過去の宗教ではならない。どうしても神の最後の理想を表象した天理教でなければならぬと信ずるからである。けれどもこれは天理教の教義及び理想をしらない者には容易に信ずることのできないこ とである。私はそれ等の人々の為に簡単に教祖の思想を紹介せう。

 天理教祖に従へばこの世界の元始りは泥の海の中で月(国床立命)日(重足命)両神居るばかり。其処でお月様よりお日様に相談するには「吾々両神居る計りでは誠に淋しい故人間と云ふ者を拵らへその陽気遊山を見て楽まう」と議、此処に一決して鰌をもつて人間の魂とし人魚と巳とを人間の父母とし、それに当時の最高動物の凡ゆる特徴をとつてつくつたのが原人である。けれども当時の人間と云つても決 して今日の人間の姿を有したものではなかつた。それが段々介鳥魚獣の時代を経て今日の人間に発達した。その間実に九億九万九千九百九十九年。その中九億九万年は水中生活。六千年は智識の仕込み。三千九百九十九年は学問の仕込み。それによつて十のものなら九つ迄仕込んだが後の一つが仕込むに仕込まれなかつたから天保九年に元なる地場(大和国庄屋敷)に元なる神が表はれ人間の原母伊邪那美の命(巳)の後身なる天理教祖を立てゝ万委細の元を聞かすのである。それで今迄何の様な教へもあつたけれども皆な人間の成人に応じて教へて来たものである。今度の教へは教へ始めの教へ終ひこれ一つ仕込んだなら後に何も教へることはないぞよと云ふのが天理教の序論である。よつてこれを根の教、元の教、だめの教、止めの教と云ふ。

 今その教理の一斑を挙ぐれば人間の肉体及び肉体の生活に必要なる凡ての物質は神が人間をして日の寄進的生活相互扶助的共同生活をなさしめんが為に神が貸し与へたものである。それを勝手に我が身の思、案我が身の欲に使ふから之れを小にしては疾病不幸の如き個人的不幸、之を大にしては天変地異と云ふ人類的不幸に遭遇するのである。従つて人類全体が無病息災不老不死の理想の世界に安住せんと欲せば先づ利己的精神を捨てゝ人を助ける精神にならなければならないと云ふのである。この教理を具体的に説明したものが朝起き、正直、働き、互ひ助け合ひ、日の寄進である。それで天理教祖の画いた理想の人物は朝起者、正直者、働き手、相互扶助主義者、日の寄進者である。これが即ち彼女の所謂「里の仙人」である。天理教祖の目的は即ち全人類を里の仙人化せしむるにある。而してその模範を彼女自身に示したのである。

 凡て時代は変遷するものである。人間の定義も亦そうである。吾人は最早や昨日の太陽や一昨日の太陽によつて今日の光を求めてはならない。今日の熱と光と力とは今日の太陽に求めなければならない。この不完全なる論文は即ちその生成化育の力を見んとする努力に外ならない。

 【教祖の降誕日と昇天日とに就て】 大平隆平(元77年1月14日)
 教祖の誕生日に就いては今日の所二説ある。その一つは四月十八日説にして他の一つは 四月四日説である。四月十八日説は天理教祖を始め天理教祖真実伝天理教祖観の如き今日一般に伝つてゐる誕生日であつて、四月四日説は一部の篤志研究家の外知らない説である。前説の出所に関しては今日正確のことを知ることができない。けれども後説の出所には 明かに戸籍が残つてゐるのである。それで今この二説の中何れが正確なものであるかと云へば私は四月四日説をもつて正確な誕生日であると信ずる。然らば何故四月十八日説の如き根拠のない空説が生れたかと云へば私の想像する処によればこれは教祖の昇天日二月十八日(一説二月十九日)の十八日と混同視したものと思は れる。これより外に四月十八日説を確める何等の根拠がないのである。

 刊行はされてゐないが長らく本部にゐて研究せられた故諸井政一氏(諸井国三郎氏の長男)の著教祖「みちすがら」には明きらかに四月四日としてある。これは戸籍を調べてもそうである。明治十一年以後ならば或は新暦と旧暦とに依つて多少の相違を生ずるかも知らないけれども、それにしても唯つた十四日の差と云ふことはない。こて等の点を総合して見ると 四月十八日説は全然虚説にして四月四日説が最も信ずべきものであることが訳る。

 それから昇天日であるが、これも二月十八日説と二月十九日説とある。中山家の菩提寺善福寺の過去帳(愚かなる前管長は先祖の位牌と共に過去帳も焼いて了つたから中山家には何等信ずべき記録はない)によれば二月十九日と書いてあるが天理教祖の年表は二月十 八日とある。けれどもこれは旧暦より繰つて行けば明治二十年の旧正月二十六日は新暦の何日に相当するか古い暦を調べれば直ちに判明することであるからこれは後日の問題として残して置く(今手元に暦がないから調べることはできない)

 次に教祖の年齢であるが、これは伝説によつても天啓によつても戸籍によつても九十歳になるのであるが、善福寺の過去帳には八十歳十一ケ月と書いてある。これに就いて善福寺の主張するところは当時戸籍法の完全でなかつたことを唯一の論拠としてゐるが、これは役場の通知書に落ちたか善福寺で落したか分らぬが、兎に角八十九歳十一ケ月の九を脱落したものであることは明きらかである。これは善福寺で如何に主張してもこっちにはそれ以上の有力なる証拠があるから深い議論を要しない。

 兎に角教祖昇天後二十年や三十年にこの様な異説が生ずる様では百年千年の後には教祖だの伝記だの歴史だのについてどんな異説が生ずるかも知らない。これ今日の天理教研究者の最も注意して精確な調査をしてをかなければならぬ所以である。之は序だから云つてをくが仏教でも基督教でもその他の宗教でも教祖の降誕を盛大に紀念するが、天理教では立教日と昇天日とを紀念するばかりで降誕日といふものを全然記念しない。これは決して謝恩の真義に叶はぬ。宜しく降誕祭を規定して教祖の降誕日を祝福しなければならない。これを特にこの祭に於て云つてをく。

 編集室より   RO生
 教祖三十年祭も待つて居る中に来た。兼て予告の通り教祖の音容に一度なりとも接した方より感謝と記憶とを募つたが、その中に一人として自分から進んで投稿して下さる方はなかつた。目前の利害には随分悧巧だがこんな永久的の仕事に対しては全然注意を払はれないのが 天理教徒の特色である。本誌の主義として雑誌の紙数が多くなつても少くなつても一定の定価以外には一文も多く戴かずまた少く戴かない事に定めてゐるのであるから本号の如き実費が定価以上に上つ ても決して外の雑誌の様に定価を変更する様なことはしない。実はもつと載せたいのであるがそう無制限に紙数を増すと云ふことは道の友の様な七千も八千も読者を有する雑誌なら兎に角僅かに五百や七百の読者しかない本誌にとつては到底不可能の事である。それで材料はまだあつても遺憾ながら割愛することにした。けれども本誌が兼て予告した感謝と記憶の蒐集は之で終つたのではない。本誌は更に永久的の仕事としてより以上の材料を蒐集し最後に単行本として発行する心算である。私はこの頃つく/\考へた。天理教の人達に何を頼んでも駄目だと云ふことを。彼らは自分や自分一身の事になると夢中だが少しく範囲が広まつて来て教界全体とか国家とか社会とかの事になると全然無頓着だ。それは/\冷淡なものだ。こんなこと で世界最後の宗教で御座る等とは片腹痛い。もつと大きな自覚を望んで置く。

 改名の理由  旧/大平良平 新/大平隆平   
 凡そ名前を換へると云ふことは瓶詰のペーパーを張り換へる様なものである。ペーパーを張り換へた所で正宗が月桂冠にはなりはしない。けれども人間だけは特別である。彼は張り換へたペーパーの暗示を受けて清酒とも名酒ともなるのである。私が大平良平を大平隆平に換へたのは必ずしも姓名哲学上の理論に囚れた為ではない。隆平の二字が良平の二字よりも一層適切に神の理想即自己の理想を表現してゐると信ずるからである。私の解釈によれば大平は大平原即ち世界を意味し、隆平は高原即高天原(甘露台と云つても良い)を意味するのである。大平隆平は即ちこの世界に高天原(最高理想の世界)を実現することを意味するのである。之を天啓の言葉に徴するに、谷底をせり上げ、高山を見下ろし、世界を直路に踏み平らすと云ふ神の理想は同時に私の理想である。この世界直路の理想は大平良平にも表はれてゐるが「世界を良くならす即ち理想の世界にする」谷底をせり上げ、高山を見下ろして現在よりも一層高い理想の世界を実せんとする神の理想は良平よりも隆平により多く表れてゐる様である。これが改名の第一の理由。

 改名の第二の理由は良は女性的であり且つ活動性に乏しい。然るに三十年祭以後の私の理想は一層大なる活動を熱望して居る。これ良を捨てゝ男性的活動的の隆を選んだ第二の 理由。改名の第三の理由は大平隆平は縦と横との八方へ拡がる意味を有す。これは空間と空間とに亘つて永久無限に自己拡張を行はんとする私の理想に一層叶つてゐる様に思はれる。これが改名の第三の理由である。この他二種の姓名について何れも長所と欠点とをもつてゐるが大体に於て大平良平よりも大平隆平の方が世界直路の神の理想に一致して居ると信ずるから前者を捨てゝ後者をとつた。

 是を定めるに就ては三度神籖を頂いた結果三度共隆平の御指図を戴いた故、後者に決めたのである。元来世間では改名について必らず欲があるのであるが私には欲がない。唯世界直路の理想を姓名計りではない。凡ての方面に亘つて実現せんとするより何らの欲望はないのである。且つこれは私の先天的使命だと信じてゐる。私の姓名はその理想なり使命なりを実現したものである。元より人にとつては児戯に過ぎないかも知らないが私にとつては真面目な仕事である。わけて今年は私の思想も生活も立て換への時期に迫つてゐる。私は思想の上に於て旧思想を捨てゝ新思想をとり、生活に於て先祖の財産を断つて神の世帯をもつのである。独り姓名に於て変化せざる理由はない。私の新しき姓名は私の新しき性格に向つて下されものとして有難く甘受するのである。

 教主政従の時代  大平隆平
 凡そ人間社会の治め方に二途ある。その一つは自治(もしくば内治)にして他の一つは他治(もしくば外治)である。自治とは他の干渉圧迫を待たずして自分自身を統治して行くことである。他治とは他人の干渉圧迫を待つて始めて自分自身を統治して行くことである。更に詳しく云えば、自治とは人の見て居ると見て居ないとを問わず、人の聞いていると聞いていないとを問わず、他人の干渉、圧迫、恐喝迫害するとせざるとを問わず、自ら善と信じた事は時と処と人とを問わず断行して憚らざるを云ふのである。他治とはこうすれば監獄の罪人になるとか、他人の感情を傷くるとか人に擯斥せられるとか云ふ利害打算の上より自己の欲望に反して風俗、習慣、流行、輿論、法律、道徳に従ふことを云ふのである。今日の社会の殆んど大部分は皆な後者の打算心より善人を粧ふ偽善者にして一旦法律の力の及ぼす社会の眼の届かぬ所にあつては直ちに野獣の本性を顕して非倫非道の行為をなして恥じざる人間である。

 世間の無政府主義者は云ふ。「法律と政府とは吾人の自由を束縛する有害無用の妨害物のみ」と。けれどもこれは一を知つて二を知らざる空想のみ。今日の社会にもし法律を廃し政治を排したならば吾人は一日と雖も安全の生活を営むことはできない。けれども吾人は同時にまた彼の法律万能論者の云ふが如く法律さえ完備すれば良い、制度さえ完全すればこの世界は理想の世界となると云ふ議論に組することはできない。何故なれば法律が如何に完備し、行政が如何に発達しても、もし人間にして罪悪を犯さんとする意志を有したならば、その者は必らず法律の眼を隠れて罪悪を行ふ余裕を発見するであらうからである。その証拠は監獄の罪人である。彼らは監獄にある間は手足を拘禁せられつゝあるが故に悪事をなすの力なしと雖も、一旦監獄を解放せらるゝや彼は再び以前に増したる犯罪を行ふものが少くないのに見て明かである。之を同じく社会の制裁を恐れて表面善人を粧ふ偽悪者もしくば悪人を粧ふ偽悪者も亦社会の眼の届かぬ範囲内には自由に自己の本性を顕わして跋扈するのである。世の所謂交際家なるものは殆んどこの偽善偽悪の大なるものである。凡てこれ等の人間は利己心、打算心には人一倍敏なれども、利害を超越して常に真実自然を愛すると云ふ真実性に欠けている。従つてその行為は朝三暮四にて一定の真実なるものがないのである。けれどもかくの如き人間の跋扈するその家、その村、その郡、その県、その国、その社会の暗黒なるは彼の利己主義者の集合体なる支那に徴して明きらかである。そこには論理はあつても真理はなく、利害はあつても真実はない。その結果、その家、その村、その郡、その県、その国、その社会は乱れて遂に滅亡の悲惨に陥るのである。この信仰なき国家の憐れむべき末路については経世家の等しく注目しなければならぬ点である。今日の施政者の方針を静観するに法律の完備行政の発達以外に国家統治の最上策はないかの如く考えている様である。往々学校に修身科を置き国民道徳の函養を標榜すれども、それはただ小中学の児童を欺く方便にして国家当局者より平然それを破壊して顧みないのであ る。かくの如くにして国民道徳の発達の如き如何にして望むべきか? 吾人は寒心を禁ずることができないのである。且つ修身(もしくば道徳)なるものは法律よりは一歩精神的のふかさを有すれども、その目的が元来行為にあるが故に単にそれをもつて複雑なる人心統一することは望むべからざることである。

 これ等の点を見ても、今日の国家当局者が治世の上に抱ける意見が如何に浅薄なるものであるかを想像するに難くはない。けれどもこれは一人国家当局者の罪ではない。国民殊に宗教家、道徳家、哲学家、芸術家、教育家の罪である。何故なれば彼らにもつと深い人間性の自覚があつたならば、彼の子供の様な幼稚な当局者に人類の大事を一任して平気で居る筈はないからである。この点に於て我が上代の政治家は、今日の政治家よりもより大なる見識と理想とをもつていた。彼らは理論的に自覚していたか居ないか知らないが、兎に角この世界は神の意志によつて統治せらるべきものであることを知つていた。またこの世界を治めるには神を祭る即ち神の意志を実現するにあることを知つていた。政治を祭事と云ふのはその時より起つて来た。当時にあつては即ち神を祭ることが同時に国を治めることであつた。祭政一致の理想は上代に於てそのままに実現せられつゝあつたのである。この慣習は余程長く続いて来た。然るに近世武家の跋扈するに至つて政治は全く堕落して、祭事即ち宗教と全く手を断つに至つたのである。これが国民堕落の第一歩である。

 けれども国民は今日の法律の力のみをもつては到底この国家この社会を根本的に統治することのできないことを自覚しなければならぬ時が来た。また国民は今日の所謂道徳をもつて到底真に幸福なる生活を楽しむことができないことを自覚しなければならぬ時が来た。云い換えれば宗教即ち信仰の力を借りなければどうしても、人間を精神の奥底より根本的に改造し統御することができないことを自覚しなければならぬ時が来た。けれども今日迄の経験に徴するに仏教も基督教も儒教ももはやこの上の新しき統治力のないことを証明した。

 この間に於て最も多大の未来をもつて生れたのが天理教である。凡て宗教の強味は情実因襲の如き一切の外的条件を脱して心中より真実生活、自然生活を建設しつゝ行く点にある。かくの如き人の、かくの如き生活には他人の干渉は無用である。彼は自分自身のことは自分自身で処理して行くことを知つている。従つて法律の如きはかくの如き人に向つて全く贄物である。何故なれば彼は法律以上の広い高い深い世界を自分自身の中にもつているからである。天理教祖臨終の間際に高弟飯降伊蔵を通じて下つた天啓に「サア/\月日(神)あつてこの世界(地球)、世界あつてそれ/\(万物)あり、それ/\あつて身の内(人間)あり、身の内あつて律(法律)がある、律があつても心の定め(信仰)これが第一」 と云ふ言葉があるが、畢竟法律(人為律)は時と処と人とによつて変更せらるべきものであるが、自然律即ち神の意志は永久に変更すべからざるものである。且つ法律の力は僅かに外界に表われたる形式を支配するに止まれども、自然律は内界即ち人間の精神並びに肉体を支配する魔力を有す。従つて法律は時と所によつて犯すことができても自然律は犯すことができない。強いてこれを犯せばただ死あるのみである。

 明治廿四年二月七日夜二時即ち日本に始めて国会の召集せられた翌年の天啓に「さあ思案してくれ。これから先は神一条の道国会では治まらん。神一条の道で治める」と云ふ天啓がある。これは法律の力をもつてしてはこの世界を到底真に統治することはできない。どうしても神の道即ち宗教の力によらざれば新の根本的統治のできないことを預言せられたのである。越えて明治廿五年五月十六日午前九時の天啓に「今の道は二つある。一つは道の表の道。一つの道は心の道や。表の道一寸も道や。心の道は違はしてどんならん。訳らんから皆な見免してある事をどんな事であつたやらなあ、見免してあるから遅れてどんとならん。胸の道あればこそ是迄通つて来た。これをよふ聞いてをかねばならん。世界道と云ふものはとんと頼りにならん。確つかりした様でフワ/\してある。世界の道に力を入れると胸の道は薄くなる」とあるが、この世界の終局は必らず政教一致の時代が来る。即ち政治とは宗教の別名なる時が来る。その時が来なければ詐である。今日の如く国家当局者が人為的の法律をもつてこの世界を統治せんとし、宗教家がまた彼らの忌諱に触れざらんことをのみ恐れている時代では新の治世は期して望むことができない。宗教家自ら政治家の上に立つて天上の権威を振ふ時が来なければ駄目である。

 そもそも将来の宗教家の自覚しなければならぬ点は政治家は一国一代を治むる権威を賦与せられたるのみなるに反し宗教家は万代万国を統治すべき大なる権威を賦与せられたるものなることを自覚するにある。然るに今日の宗教家は自己の偉大なる天賦を忘れてその従僕なる政治家の前に平身低頭してその忌諱に触れざらんことをのみ恐れている。仏教家然り、基督教家然り、神道家然り、かくの如くにして宗教家の権威何処にあるや。実に神の権威、天上の権威、宗教の権威はこれ等堕落せる無定見の宗教家のために地下に堕落したのである。けれども昔はそうではなかつた。釈迦は全天竺の王となるよりも霊界の王者たるをもつて無上の光栄として、金銀宝石をもつて飾れる王衣王冠を捨てゝ乞食僧の姿を選んだ。基督また悪魔の甘言を拒絶して精神的ユダヤ国の王たることをもつて自ら任じた。彼らの弟子も亦世俗的栄華を超越して政治家の上に立つて自己の天分と天職とを発揮した。今日の宗教の権威の失墜と共に宗教家の権威も亦失墜したとは云え、なおローマ法王なるものありて各国の元首の上に立てるは有名無実とは云えなお宗教のために多少の気焔を吐ける点に於ていささか快心の微笑を禁ずることができない。

 然るに翻つて我が国の宗教家の現状は如何?仏教家も基督教家も神道家も政治家の前に立つ時は全くその奴隷たるの観がある。かくの如くにして何時の世にか宗教の権威の発揮せらるべき時かある。凡そ一国の文明の真相を知り、その国の治乱興亡の程度を知るには、その国民が如何に大なる信仰を有するや否やによつて定まるのである。云い換えればその国民が如何に宗教心に富めるか否かによつて定まるのである。もしその国民にして真に大なる宗教心を有せざる国民であつたならば、たとい一時物質的乃至武力的文明をもつて世界に覇を称することがあつても、必ずや憐れむべき悲惨の最後を演出しなければならない。今日の日本もこの点即ち宗教をもつて国家統治の根本義となさない内は決して真に国家万代の策を得たるものではない。何故なれば法律の力は真に一時的であり表面的にして真の国家の統治は国民道徳の発達と宗教心の発揮とに待たなければならぬからである。然るに今日の政治家、今日の教育家、今日の宗教家を見るに殆んどこの点に於て真の自覚を有するものがない。わけて未来の世界教世界最後の宗教たる天理教当局者にしていささかもこれに対する自覚の見えざるは私の最も悲しみつゝある所のものである。けれども近き将来に於て世の経世家が等しく法律や哲学や倫理や道徳のみをもつてこの世界を統治することのできないことを自覚する時が来る。その時第一に叩き起されるものは今日の天理教徒である。それ迄は彼ら自身の力をもつては到底醒むることはないであらう。従つて私は彼ら暗愚なる天理教徒の自覚を殊更に望まない。先ず世界有識家が一日も早く宗教の力に非らざれば到底この世界を根本的に統治することのできないことを自覚せられんことを望む。その時こそこの世界が真の文明に入る第一歩である。敢て世の経世家の反省と自覚とを望む。





(私論.私見)